26 お兄さんにはナイショだよ
早朝までバルコニーでジェイクと一緒に過ごした日から、数日が経過した。
「おはよう、イクス。
あれ? 今日は騎士の訓練はないの?」
朝食を食べに行こうと部屋を出たところでイクスに会った。
普段ならこの時間いないはずのイクスは、どこかソワソワした様子で私が出てくるのを待っていたらしい。
「はい。今日はその……行かないことにしました」
「そうなんだ?」
どこか煮え切らないような返事をしたイクスは、そのまま私の後について歩いた。
イクスはあの日から悲しそうな顔を私に見せることはなく、普段通りに接してくれている。
たまにジェイクに対しては厳しい目を向けていることもあるけど、それは前から同じと言ってしまえばその通りである。
「あの、リディア様。もしかしたら今日がグリモール最後になるかもしれません」
「え? イクスが?」
「いえ。リディア様が、です。
おそらく……としか言えないのですが」
突然そう話し出したイクスは、廊下を行き来する使用人達の様子をうかがいながら答えた。
今日でグリモール最後?
侯爵家に戻るってこと? なんで? 私だけ?
「エリックお兄様から何も連絡ないし、いきなりそんな事にはならないと思うけど?」
「そう……ですかね」
イクスはどこか納得できないような顔でまだチラチラと横目で使用人達の様子を気にしている。
まるで、使用人達が普通に仕事してるか、慌てていないか、を確認しているみたいだ。
なんでこんなに周りを気にしてるんだろ?
何やら不審な動きをしているイクスは、食事をする部屋に入るなり急いで窓際に向かって行き、そこに立った。
私の後ろの位置なのは変わりないが、普段と様子の違いすぎる行動がちょっと気になる。
「おはよう。リディに騎士くん」
「おはよう、ジェイク」
「…………」
ジェイクの挨拶をまるっと無視しているイクスは、今度は窓の外をジーーッと観察している。
不思議そうな顔を向けてくるジェイクに、私はコソコソと話しかけた。
「さっきから、なんだかおかしいのよね」
「まるで誰かが来るのを確認しているみたいだね。
もしかして、彼女とか?」
「ええっ!?」
そんな話をしていると、急にイクスがジロッとジェイクを睨みつけた。
どうやら地獄耳のイクスには全部聞こえていたらしい。
「お前、ふざけるのも大概にしろよ」
「いやぁ〜。君が誰かを待ってるみたいだったから」
不機嫌そうな顔のイクスに対して、ジェイクは相変わらずヘラヘラした調子でからかうように言った。
あきらかにカチンときた様子のイクスは、何故か突然嫌味っぽくニヤリと笑みを浮かべる。
「……そうだな。誰を待ってると思う?」
「え? 本当に誰か来るのかい? 誰?」
怪しい笑顔のまま、イクスは窓の外をチラッと見てから答えた。
「実は、ルイード様がここに向かってる」
え? ルイード様が?
わざわざグリモールまで来るなんて、何か用事でもあるのかしら?
そんな疑問を感じながらジェイクの顔を確認すると、何故かジェイクの顔色が真っ青になっていた。
なんだか無理に笑顔を作って冷静を装っているような顔だ。
「皇子様がわざわざここまで来るなんて、一体どうして……だろうね〜?」
ジェイクがそう聞き返すと、イクスはさらに意地の悪い顔でニヤッと笑った。
そして、まるでザマアミロとでも言いたげな態度で返事をする。
「それはもちろん、陛下から婚約解消の話を聞いたからだろうな。
さて。いつの間にか婚約を解消されていて、いつの間にかその元婚約者に手を出されていたと知ったら……ルイード様はどうするかな?」
「いや、ちょっと待ってよ騎士くん。
手を出されてたって言い方は、誤解されるからやめようか、うん」
「それに、エリック様とカイザ様もここに向かってるそうだ」
「えっ!? な、なんで!?」
「さあな。俺がある報告をしたら、2人揃って即出発したらしいぞ。
3人とも今日か明日には到着するはずだ」
どんどん顔色が悪くなるジェイクと、どんどん楽しそうに顔が輝いてくるイクス。
そんな2人を、ただ黙って見つめている私。
ある報告って、もしかして私とジェイクのこと?
エリックやカイザに報告したってこと?
な、なんか恥ずかしいんですけど……!
照れている私とは違い、ジェイクは恨めしそうにイクスにブーブー文句を言っている。
本気のようでどこかふざけているような感じだ。
「なんでそんな報告するのさ!
もし僕が殺されたら、どうするつもりだい!?」
「それは願ったり叶ったりだな」
「ひどいよ騎士くん!」
「大丈夫だ。相手がその3人なら、きっと一瞬で終わる」
「何が!? 全然大丈夫じゃないんですけど!?」
ギャーギャー言い合いしている2人の姿は、本当に久しぶりな気がする。
なんだか妬いてしまいそうなくらい仲良しに見えるけど、本人達に仲良しの自覚がないから困ったものだ。
とりあえず止めておこうかな?
「まぁまぁ。いつかは言わなきゃいけないことだし、私とジェイクがどうにかなったからって、エリックお兄様やルイード様が何かするわけないでしょ」
裁判の件でジェイクの印象は良くなってると思うし、きっと受け入れてくれるはずよ。
そんな私の考えを全否定するかのように、ジェイクとイクスが呆れた視線を向けてくる。
まるで『お前は何もわかってない』とでも言いたげな顔だ。
「リディ。忘れたのかい?
ここに来る前、僕はエリック様からリディに手を出したらこの街には戻って来れないと思えって言われたんだよ?」
「それはエリックお兄様の冗談で、本気なわけじゃ……」
最後まで言い終わっていないというのに、ジェイクとイクスは首を横にフリフリ振っている。
イクスまで……。
エリック、どんだけ信用されてないのよ……。
その後は庭をチラチラと確認しているイクスに気を取られながらも、なんとか食事を終えた。
私は自分の部屋に戻ったが、イクスはずっと庭で待機している。
私から離れる時に、「リディア様に血を見せるわけにはいきませんから」とボソッと言っていたのが恐ろしすぎる。
血を見せるって何よ。
エリック達が、ジェイクに何かするとでも?
確かにみんな過保護なところはあるけど、さすがに……ねぇ?
コンコンコン
ビクッ!!
いきなりのノック音に、ソファに座っていた私は身体が数センチ浮いたんじゃないかと思うほど驚いた。
心臓がドッドッドッと一気に速くなってしまった。
「ははははい!?」
「リディ、僕だよ」
「あ、ジェイク。ど、どうぞ」
カチャ……とゆっくり扉が開き、ジェイクが部屋に入ってくる。
無言のまま歩いてきて私の隣に座ったかと思うと、どこか思い詰めたような顔をしたジェイクが突拍子もないことを言い出した。
「……で、どこに逃げる?」
「え? 逃げる?」
「そうさ。このままここに居たら危険だからね」
「まさか、エリックお兄様やルイード様から逃げるってこと?」
ジェイクはニコリともしてない真顔でコクリと頷いた。
いくら真面目な顔をしていても、どこかふざけてるようにしか思えないのは普段の行いのせいなのか。
「そこまでしなくても大丈夫よ。
エリックお兄様もカイザお兄様もルイード様も、話せばわかってくれるわ」
「リディは何もわかってないね。
もしかしたら、僕達が会うのはこれが最後になるかもしれないんだよ?」
「そんな、まさか……」
あまりにもジェイクが真剣なので、私の顔色もつられて真っ青になっていく。
そんなことはないだろうと思っても、もしも本当にジェイクとのことを反対されて会わせてくれなくなったら……という不安が出てきた。
「ど、どこに行けばいいの?
ナイタ港湾のある街とか?」
「そうだね。あの辺なら、少しは時間稼ぎができそうだ。
じゃあ、ここで思う存分イチャイチャしてから出発しようか」
「わかったわ……って、え? イ、イチャイチャ……?」
ずっと真面目な顔をしていたジェイクが、いきなりニヤーーと笑いだす。
気づけば座ってる位置も近くなっているし、腕が私の肩に回されてしっかりと掴まえられていた。
あ、あれ!? いつの間にこんな状態に!?
「お兄さん達が到着したら、しばらくこんな事できないだろうし。
今のうちに存分くっついておかないとね?」
「え、あ、でも……」
嫌なわけではないけど恥ずかしい。
座ったままズルズルと後ろに下がってみるけど、ニヤニヤしたジェイクはどんどん距離を縮めてくる。
「ジェ……ジェイク、ちょっと待っ……きゃっ!」
「危ないっ!」
後ろで支えていた私の手が滑り、そのままソファに倒れ込んでしまった。
アームの部分に頭を打ちそうになったので、ジェイクが慌てて私の頭を支えてくれる。
ハッと気づいた時には、ソファに横になった私の上にジェイクが覆い被さっている状態になっていた。
この体勢は……!!
まるで押し倒されているかのような体勢だとわかり、顔がボッと真っ赤になる。
ジェイクは一瞬だけ動揺した表情になったけど、すぐにまたいつもの余裕そうな笑顔に戻った。
「……これ、もしかして誘ってるのかい?」
「ちっ、違う……!」
そう私が小さく叫んだ時、ガチャ!! と勢いよく扉が開いた。
息切れをしているエリック・カイザ・ルイード皇子・イクスが入口に立って、こちらを見て固まっている。
私とジェイクも、突然のことに思考も身体も一時停止状態だ。
ジェイクが「あっ……!」と声を出して私から離れた時には、入口にいる4人から大きなため息が出た後だった。
低く、身体の奥底から込み上げてきたものを思いっきり吐き出したような……そんなため息を。
「あ、エ、エリックお兄様……」
私が慌てて起き上がりながら名前を呼ぶと、エリックは今まで見たことがないような笑みを浮かべた。
爽やか王子様のようなその美しい笑顔は、何故か私に安心感ではなく恐怖心を与えてくる。
その横にいるルイード皇子は、いつもの可愛らしさはどこへやら。
こちらもまた見たことがないような生気のない冷めた目で、ジェイクを静かに見ている。
まるでゴキブリでも見るような目だ。
エリックの後ろにいるカイザは、首と指をコキコキしたりスクワットをしたりと何やら準備運動のようなことをしているし、イクスは剣を抜いて刃のほころびがないかなどの確認をしている。
なんだか……みんなからすごい怒りのオーラを感じるんだけど、もしかしてさっきの誤解してる!?
「あの、今のは私が……」
「リディア。こっちに来なさい」
不自然すぎる笑顔のまま、エリックが有無も言わせぬ威圧ある声でそう命令してきた。
隣にいるジェイクは、顔を真っ青にした状態でなんとか笑顔を作っている。
「ああ。これはこれは、みなさまお揃いで。
もしかして、さっきの何か誤解してます? あれはたまたま……」
「誤解? お前がリディアを押し倒していたことか?」
エリックがジロリと鋭い視線を向けながら聞き返す。
「押し倒すだなんて、そんな。あれは偶然……」
「お前がニヤけた顔をしていたのも、しっかり見たが?」
虫ケラでも見る目をジェイクに向けながら、ルイード皇子が言い返す。
「いや。あの状態になったら、男ならみんなニヤけ……じゃなくて、僕そんな顔してました?」
「気持ち悪いくらいにな」
ドキッパリとイクスが言い切る。
「ひどいなぁ〜騎士くん!
でも僕はまだ手を出してなかったじゃないですか」
「まだ?」
4人の声が重なる。
ずっとヘラヘラ笑顔で流そうとしていたジェイクが、真顔になって自分の口を押さえた。
「あっ」
「よし。もう捕まえていいか?」
カイザがスタスタと部屋の中に入ってくる。
それと同時に、ジェイクはソファから立ち上がってバルコニーに逃げ出した。
「あっ! 待てっ!!」
ドタドタとカイザとイクスがあとを追う。
ジェイクは木を使って庭に下りたらしく、2人もそれに続いていた。
突然の展開についていけずポカンとしていた私の元に、ルイード様がやってくる。
今はもういつもの可愛い爽やか皇子の顔に戻っていた。
「リディア。俺は婚約解消なんて認めないから!」
「えっ」
「その件については、ジェイクを捕まえてから改めて話そう!」
捕まえて……って。
まるでジェイクが犯罪者扱いなんですけど!?
「あ、あの、ルイード様! でも私はジェイクのことが……」
「ごめん! 聞きたくない! 話はまた後で!」
「ええ……!?」
ルイード皇子は私が話している途中で耳を塞ぎ、慌てて廊下に出て行った。
部屋には私とエリックだけが残っている。
エリックは小さなため息をつきながら、ゆっくりと私に近づいてきた。
「エリックお兄様……」
「……お前は本当にジェイクでいいのか?」
「……ジェイクがいいんです」
「…………」
ニコッと微笑みながらそう答えると、エリックは諦めたように小刻みに頷いた。
なんとか納得しようとしてくれてるみたいだ。
「わかった。だが、先程の行動については話が違う。
婚約前の妹に手を出した件については、しっかりと罰を受けさせる」
「ええ!? ち、違いますっ!
あれはただ転んだっていうか、本当に偶然で……!」
「俺達がそれで納得すると思うか?」
えええ----!?
エリックは絶対零度の笑みを浮かべると、ルイード皇子のあとを追って部屋から出て行った。
開けられた窓の外からは、カイザの「どこだ!?」と叫ぶ声が聞こえてくる。
あああ、もう! なんでこんな状態になってるの!?
私はただジェイクと幸せになりたいだけなのに!
ガッカリとした気持ちでバルコニーに出ようとすると、開いたままの部屋の扉からジェイクがコソコソと入ってきた。
「ジェイク!? なんで!?」
「外に逃げたフリして、隣に隠れてたのさ」
追われているというのに、どこか楽しそうに笑っているジェイク。
本当にこの人の心臓は鋼でできているんじゃないかしら。
「さっきのは誤解だって言ったんだけど、納得してもらえなくて……!」
「うん。まぁ、だろうね。でも大丈夫さ。
リディを欲しいと思った時から、彼らの怒りを受け止める覚悟はできてるし」
「えっ?」
ジェイクは周りをキョロキョロと見回してから、ニコッと笑い私の耳に顔を近づけてくる。
そして小さな声で呟いた。
「その前にイチャイチャしないと、って言っただろ?」
「え……わっ!」
ひょいっと急にお姫様抱っこされて、私の部屋にあるドレスルームに連れて行かれる。
そして静かに扉を閉めてから、ゆっくり下された。
「見つかるまで、ここに隠れていよう」
「……こんなことしてたら、余計に怒られるんじゃ?」
「どっちにしろあんな場面見られちゃったからね〜!
もうどんなことしてても変わらないさ!」
ははっと楽しそうに笑うジェイクを見て、私も自然に笑顔になってしまう。
「見つかったら、私がどれだけジェイクのことが好きなのかみんなに熱弁するね!」
「え? いや、それは嬉しいけど……僕のいないところでお願いするよ」
頬を少しだけ赤くしたジェイクを見て「ぷっ」と吹き出すと、ジェイクが意地悪そうに目を細めて微笑んだ。
周りをドレスに囲まれた華やかな空間に、少しだけ緊張感が走る。
何故か逃げたい衝動に駆られるが、ジェイクの怪しい笑顔から目が離せない。
「さーてーとー、じゃあ思う存分、リディを堪能させてもらおうかな」
「た、堪能って……!」
ニヤけ笑いをしながら、ジリジリと近づいてくるジェイク。
楽しくて仕方ない、と顔に書いてある。
もう、すぐ目の前にジェイクの顔が近づいてきた時、以前言われたセリフを囁かれた。
「お兄さん達にはナイショだよ」
「……!」
ウサギのような真っ赤な瞳が、甘えるように私を見つめてくる。
すぐに優しく唇が重ねられて、一気に頭の中がジェイクで埋め尽くされていく。
どこか背徳感を感じながらも、みんなの声が聞こえてくるまでの間、私はジェイクとの甘い時間を過ごした。
Jルートを最後までお読みいただき、ありがとうございました!
感想や評価ブクマもとっても嬉しくて、完結まで書くことができました。
Jルートを希望してくださった方もありがとうございました!
少しでも楽しんでいただけたら嬉しいです。
現在『悪役令嬢に転生したはずが、主人公よりも溺愛されてるみたいです』の2巻とコミカライズを進行中です✩︎⡱
今後ともよろしくお願いいたします。
菜々