25 夜のバルコニー
「……気持ちいい」
眠れなくて部屋のバルコニーに出ると、少し冷たい風が頬に当たった。
夜空いっぱいに輝く星空を見上げながら、今日の出来事を振り返る。
アマンダ令嬢に、ジェイクに、イクス……。
なんだか今日は色々あったな。
涼しい風を感じていると、ゴチャゴチャと考えすぎていた頭が冷やされて、気持ちがスッキリしていく感覚がする。
イクス……ごめんね。
そんなことを頭の中で呟いて、チクッと痛む胸元を押さえた。
私のことをあんなに真剣に考えてくれていたイクス。
その彼の気持ちを犠牲にして改めて気づいた、自分の中の譲れない強い気持ち。
やっぱり私はジェイクが好き。
時間がかかっても、いつかちゃんと女性として好きになってもらえるまで頑張ってみたい。
心地良かった風を寒く感じ始めたので、部屋の中に戻ろうとした時……暗闇の中から突然イクスの声が聞こえた。
「……ここにいたのかよ」
ドキッ
え!? イクス!? ど、どこ!?
声は下から聞こえてきたので、コソッとバルコニーの手すりの隙間から下を覗く。
そこには、いつもの騎士の格好ではなくもっとラフな服を着たイクスが立っていた。
彼の視線は、真っ直ぐに前を向いていて、その先には……
えっ!? ジェイク!?
イクスが声をかけたのは、どうやらジェイクだったらしい。
同じようにラフな格好をしたジェイクが、庭に座っているのが見える。
私の部屋のバルコニーのすぐ近く。一体いつからいたのか、全く気づかなかった。
2人の声は決して大きくはないけど、距離が近いため普通に聞こえてきてしまう。
盗み聞きのようで罪悪感が湧くが、今窓を開けたなら物音で私の存在に気づかれてしまうだろうと思うと、この場から動けない。
「やぁ、騎士くん。僕に何か用かい?」
「お前、これからどうするつもりなんだ?」
「ははっ。唐突だなぁ〜! なんの話?」
「とぼけるな! ……リディア様のことだよ」
ドキッ!!
自分の名前が出て、心臓が大きく跳ねる。
この先は聞いてはいけないと思うのに、足が動かない。
わ……私のことって……。
ドキドキドキドキ
どんどん速くなる鼓動を感じながら、ジェイクの反応を待つ。
ジェイクは明るい口調ながらも、どこか皮肉めいたようにそれに答える。
「それ、君が言う? 散々邪魔してきたのは君なのに……」
「…………」
「……もう諦めたのかい?」
「諦めたわけじゃない。
……けど、リディア様の悲しそうな顔は見たくないだけだ」
顔を見なくても、イクスが苦しい思いをしているのが伝わってくる。
それくらいイクスの声は切なくて弱々しくて、聞いていて涙が出そうになる。
そんなイクスは、苦しい思いを怒りに変えたかのように、ジェイクに向かって小さく叫んだ。
「……だからっ! いい加減はっきりさせろよ!! クソ兎!!」
「……ははっ。久しぶりに言われたなぁ、クソ兎」
ジェイクのどこか嬉しそうな笑い声と同時に、足音がどんどん遠ざかっていくのが聞こえてくる。
イクスは言いたいことだけ言って去っていったらしい。
……はっきりさせるって、何?
キッパリと振れってこと? それとも……。
自分の胸に浮かんでくる、ほんの少しの期待。
2人の会話を聞いてしまった申し訳なさと共に、私の心にできた小さな希望の光。
その光のせいで、今日は眠れないかもしれない……そんなことを思っていると、ジェイクの声が聞こえた。
「いつまでも外にいたら、風邪ひいちゃうよ」
「!?」
もうイクスはいないはず。ジェイクは1人のはず。
それなのに、ジェイクは誰かに向かって話しかけている。
……誰に? まさか。
「ねぇ、リディ」
「!!」
思わずパッと自分の口元を手で隠す。
別に声を出したわけでもないけど、それを隠すように。
けれど、今さらそんなことをしても意味はないことくらいわかってる。
私は覚悟を決めてジェイクに返事をした。
「……気づいてたの? いつから?」
手すりの隙間から覗くと、先ほどまではチラリともこっちを見なかったジェイクと目が合った。
完全にバレていたのだと思い知る。
ジェイクは特に不快そうな様子もなく、笑顔を向けてくれている。
「最初からさ。君が『気持ちいい』って言った独り言が聞こえてたしね」
「そ、そうなんだ……」
カァーーと顔が赤くなる。
その頃からずっと下にいたのなら、私が窓を開けてバルコニーに出たのも、独り言を言ったのも、聞こえていても不思議はない。
ジェイクやイクスの名前を口に出さなくて良かった……!!
そんな恥ずかしい思いを隠すように、私も同じことをジェイクに言う。
「ジェイクこそ、そんな所にいたらまた風邪ひいちゃうよ」
「そうだね。じゃあ……そっちに行ってもいい?」
「…………え?」
ジェイクの赤い瞳が、暗い景色の中で綺麗に輝く。
その言葉が冗談ではなく本気なのだとわかり、一気に身体全体が冷やされたような緊張感が走った。
「こっちに……?」
そう聞き返した時には、ジェイクがスルスルと近くの木に登り、バルコニーと同じ高さにまで来ていた。
あとは手すりを跨ぐだけで、ここに来れてしまう。
ジェイクは私の返事を聞くまでは来ないつもりなのか、その場所で止まった。
「……行ってもいいかい?」
「うん……」
ニコッと笑ったジェイクが、バルコニーに飛び移ってくる。
さっきまで下にいたはずのジェイクが目の前にいて、やけに緊張してしまう。
「ジェイ……」
彼の名前を呼ぼうとした瞬間、いきなりジェイクに抱きしめられた。
背中に腕が回され、少し強引に寄せられる。冷えたジェイクの頬が、私の耳元に当たっている。
ぎゅうっと強く抱きしめられて、私の頭の中は一瞬でパニックだ。
え!? え!? え!?
「……ごめんね」
「!?」
耳元で囁かれた『ごめん』という言葉に、嫌な思い出が蘇って一気に背筋が凍る。
どういう意味のごめんなのか、問いかける前にジェイクが静かに話し出す。
「僕、自分の気持ちに全然気づいてなかった。
いや……気づいてたけど、絶対に違うって思い込んでた」
「…………」
「妹だとか、女性として見てないとか、ひどいこと言って傷つけてごめん」
「…………」
ドッドッドッドッ
速すぎる鼓動が苦しくて、何も言葉を返せない。
それをわかっているのか、ジェイクは私の返事がなくても話を続けてくれた。
「最初は君と騎士くんのことを応援していたし、皇子とか他の貴族とか……君に相応しい男は他にいるからって思ったりもした」
「…………」
「でも、そう考えるのはやめたっ!」
「……!?」
ずっと真面目に話していたジェイクが、突然明るい声を出して私から少し体を離した。
そして至近距離でニコッと笑うと、頭に軽くポン、と手を置かれる。
「僕、リディのこと欲しくなっちゃったから」
「欲し……!?」
「うん。だから誰にもあげないことにした。騎士くんにも、皇子にも」
「わ、私は物じゃないんですけど……」
「あはは。ごめん、ごめん」
目の前で楽しそうに笑っているジェイク。
今言われたことは本当に現実なの? 夢じゃない?
今までの不安だった気持ちや嬉しさが込み上げてきて、自然と涙が出てくる。
ボロボロと涙を流す私を、ジェイクは優しく微笑みながら見つめてくる。
「……気づくのが遅くなってごめん」
「……っ、うん……っ」
そう返事をすると、ジェイクは私の泣いている目元にチュッと優しいキスをしてきた。
そのまま頬やおでこにもキスを落とされる。
恥ずかしすぎて後ろに逃げたいが、私の背中の後ろでジェイクが手を組んでいて挟まれているので逃げられない。
「ジェ、ジェイク……!!」
「んーー?」
「ちょ……ちょっとストップ!! し、心臓が……!」
「あはは、ごめんね。可愛くてつい」
そう言うと、今度はまたぎゅっと抱きしめられて頭を優しく撫でられる。
いきなりの甘々な展開に、頭も心も全くついていけない私。
なななななななに!?!?
ジェイクってば、こんなに甘えてくる人なの!?
いや、これは、私が甘やかされてるの!? どっち!?
なんだか目がグルグルして足に力が入らない。
でもジェイクが支えてくれているので、なんとか立っていられてるって感じだ。
「リディ」
「は、はい!?」
「ふはっ! めっちゃ元気だね」
「だって……」
抱き合ってるジェイクの身体が、笑っているせいか小刻みに震えている。
そんな振動すらも感じてしまうこの距離感に、改めて恥ずかしくなる……けど、不思議と安心感もある。
恥ずかしいのに。ドキドキしすぎて苦しいのに。
それでも、離れたくない。まだこうしていたい。
自分の胸の前にあった腕を、ゆっくりとジェイクの背中に回した。
ぎゅうっと抱きしめ返すと私の頭にくっついていたジェイクの顔がバッと離れた。
丁度ジェイクの胸元に当てていた耳に、ドッドッドッと速くなった心臓の音が聞こえてくる。
「……ジェイク。心臓の音が……」
「ああーー……。だって、それはずるいでしょ」
ジェイクの胸から顔を離し、彼を見上げる。
月明かりに照らされたジェイクは、頬を赤く染めてどこか気まずそうな顔で私を見ていた。
「僕は自分からするのは平気だけど、リディから何かされるのはまだ慣れてないみたい」
「…………っ!」
ギューーッと胸を締め付けられる。
ダメだ。私、この人のことすごく好きだ。
「ジェイク……好き。大好き」
「!! ……ああ、どうも。いや、このタイミングで言う?」
ジェイクの顔がさっきよりも赤くなって、フイッと視線だけそらされる。
めずらしすぎる光景に、私は自分の目がキラキラしているのが自分でわかった。
ジェイク、可愛い!!
照れてる!? あのジェイクが!!
「……リディ、ジロジロ見過ぎ」
「だって、こんなに照れてるジェイクなんてなかなか見れないし」
「……僕、前に言わなかったっけ?
自分が困らされるよりも、相手を困らせる方がいいって」
「言ってた……けど……」
そこまで言うと、私の背中に回されていた手がいつの間にか頬に触れられていることに気づいた。
ジェイクの顔が近づいてきて、唇が触れ合う寸前のところで止められる。
心臓が止まりかけるほどに驚いた私に、ジェイクが呟くように問いかけてくる。
「……いい?」
「……う、うん」
うん、と最後まで言えてないかもしれない。
もう……すぐそこにまできていたジェイクの唇に、私の声は遮られてしまった。
温かくて、柔らかくて、甘いキス。
一度離れたと思ったらまたすぐに唇が重ねられる。
優しいけど少しだけ強引で、頭の中が真っ白になっていく。
何度もキスをされて、うまく息ができなくて苦しい。
でも嬉しくてまた涙がポロリと流れ落ちた。
ジェイクはゆっくりと唇を離すと、頬に触れていた指でその涙を拭ってくれる。
「……僕も好きだよ」
「!!」
私の幸せは、この瞬間に使いきっちゃったんじゃないかな。
これほどにない幸福感で、涙が止まらない。
「あははっ。なんで泣くのさ」
ジェイクは楽しそうにそう言うと、私が泣き止むまでずっと頭を撫でてくれた。
良かった……。諦めなくて良かった。
ジェイクのことを好きになって良かった。
後悔なんてしないよ、絶対に。
そんなことを考えながら、気の済むまで思いっきり泣いた。
私が泣き止んでからしばらくすると、ジェイクが先ほど登ってきた木をチラリと見て「じゃあ今日はもう自分の部屋に戻ろうかな」と言ってきた。
「え? そこから行く気? 私の部屋を通って行けばすぐじゃない」
「……リディ。君には今度ちゃんと言わなきゃいけないと思ってたんだけどね。
そんな簡単にその真っ暗な部屋に男を入れてはいけないよ」
「ええ!? そ、そりゃ私だって誰でも入れたりなんかしないわよ。ジェイクだから……」
「信用してくれてるのはありがたいけど、僕は君よりも僕のことを信用できないんだよね!
だから今夜はやめておくよ」
そう笑顔で言うなり、ジェイクはバルコニーの手すりに手をかけた。
……もう行っちゃうの?
無性に寂しくて、でもそんなこと言えなくて、ただジェイクの行動を見ていることしかできない。
ジェイクは片足を浮かせて手すりを乗り越えようとしたところで……動きを止めた。
「……えーーと、あのさ、リディ。
そんな捨てられた子犬みたいな目で見られると、行きにくいんですけど……」
「えっ? ご、ごめん。
行って欲しくなくて、つい……」
「…………」
ジェイクは少しだけ頬を赤らめて、引きつった顔をする。
そして手すりから手を離し、そこに背中で寄り掛かるようにして立つと私に手招きをした。
呼ばれているのが嬉しくて小走りに近寄ると、そのまま優しく抱きとめられる。
「はぁーー。そんな可愛いこと言われると、戻りたくなくなっちゃうんですけど」
「だったら行かなきゃいいのに」
「簡単に言ってくれるよね……。
今、僕がどれだけ君にキスしたいのを我慢してるかわかってないでしょ」
「えっ? 我慢してるの? なんで?
さっき普通にたくさんしてきたくせに……」
ジェイクの胸に寄り添っていた顔を上げて、少し照れくさそうな彼と目を合わせる。
呆れたような視線を向けながら、ジェイクはため息混じりに言った。
「さっきと今では状況がちょっと違うのさ」
状況が違う? 場所も同じで時間もほぼ変わってないのに?
それでなんで我慢?
ジェイクの言っていることは理解できないし、我慢されているのも納得できない。
私だって、もっと触れて欲しいと思ってるのだから。
「よくわからないけど、その……我慢、しなくていいんだけど……」
恥ずかしながらもがんばって素直な気持ちを伝えると、ジェイクは突然両手で自分の顔を覆った。
そしてその状態のまま、嘆くような声を出す。
「もーーやだ、この子」
「ええ!? なんで!?」
ジェイクは顔を隠していた手を少し下げて、赤い瞳でジロッと私を睨む。
怒ってるような困ってるようなその瞳に私も困惑してしまい、不安な気持ちでジェイクを見つめ返した。
「……怒ってるの?」
「いや、僕の中の僕と戦ってるだけさ。
それよりも、本当に我慢しなくていいの? ……知らないよ?」
ジェイクの手が私の頬に触れてくる。
私の顔にかかっていた髪を、優しく耳にかけてくれる。
ドキドキと高鳴る胸を押さえて、私はニコッと微笑んだ。
「ジェイク、大好き」
「……僕も」
そう言って近づいてくる赤い瞳を見つめた後、私はゆっくりと目を閉じた。




