24 がんばってください
私はアマンダ令嬢の手を引いて、やや強引に部屋の中へ連れてきた。
今までおとなしかった私のその行動に、令嬢は驚いて放心状態になっている。
「……アマンダ様! この際ハッキリと申し上げます!
私は、私は……イクスではなく、ジェイクのことが好きなんです!」
「…………」
「そのことをずっと言えなくて、とても苦しかったです。
アマンダ様を騙しているみたいで胸も痛くて……でも、もう隠したくないんです!」
「……リディア様」
アマンダ令嬢は、私の必死な態度に驚いてはいたけど、私の言葉に驚いた素振りは見せなかった。
きっと、本当はすでに気づいていたんだと思う。
どこか悲しそうな顔で私を見つめていたアマンダ令嬢は、ポロリと涙を流した。
同じ女性であっても、相手に泣かれるというのは居心地が悪い。
「ア、アマンダ様……」
「どうして……?
リディア様には、他にもたくさん男性がいらっしゃるじゃないですか……」
「え?」
アマンダ令嬢の涙は、どんどんと溢れてくる。
小刻みに震えて泣いている彼女は、守ってあげたくなるほどに可愛らしい。
「私には、ジェイク様しかいないんです……。
初めて怖くないって思えた男性なんです」
「…………」
「リディア様は、ジェイク様でなくとも大丈夫ですよね!?」
「え……?」
ジェイクじゃなくても大丈夫……?
そりゃ私は男性恐怖症じゃないけど、だからって他の人を簡単に好きになれるわけじゃない。
私だって、この世界に来て初めて好きになったのがジェイクなのに。
アマンダ令嬢は、目に涙を溜めながら私の両手を包み込むように握りしめた。
そして熱のこもった目で必死に懇願してくる。
「お願いします! リディア様!
ジェイク様は私に譲ってください!!」
「そんな……」
ジェイクを譲る!?
私だってまだこんなにもジェイクのことが好きなのに?
それに、ジェイクの意思を無視してそんな話をするなんておかしい!
「アマンダ様!
それを決めるのは私達ではなくジェイクです!」
「でも……!」
「リディの言う通りだね」
「!!」
突然聞こえたジェイクの声に、私とアマンダ令嬢の動きがピタッと止まる。
いつの間にか部屋の中に入ってきていたジェイクが、入口付近に立って私達の様子を興味深そうに見ていた。
ジェイクに会えたからか、さっきまでの会話をきかれてしまったからか、アマンダ令嬢の顔が気まずそうにカアッと赤くなる。
「誰を選ぶかを決めるのは、君達じゃなくて僕さ!」
特に怒ってる様子もなく、軽い調子でそう言いながらこちらに向かってくるジェイク。
私の手を握っていたアマンダ令嬢は、パッと離すと小走りにジェイクに駆け寄っていく。
「ジェイク様、私は……その、あなたをお慕いしているんです。
男性が苦手な私が、こんな風に想えたのはジェイク様が初めてなんです」
少し垂れた紫の瞳には涙が浮かんでいて、ウルウルと潤っている。
豊満な胸がアピールされた色っぽいドレスに、サイドに編み込まれた赤い髪。
そんな彼女に上目遣いで告白をされているというのに、ジェイクの顔色は変わらずただ笑顔を浮かべているだけだ。
「それは光栄だね。
でも、申し訳ないけど僕は君を選べないよ」
「!!」
あっさりと断ったジェイクに、私だけでなくアマンダ令嬢も呆気とした顔になってしまう。
断るの早!!!
ええ!? 悩むことすらナシですか!?
「な……何故ですか?
男性は、皆すぐに私に寄ってくるのに……」
「それは君の外見しか見てないからさ」
「私の、内面がダメだということですか……?」
「君自身を否定しているわけじゃない。
ただ、自分勝手な理由でリディと他の男を無理矢理なんとかさせようとしたり、相手への思いやりが少なかった君のやり方は……見ていて気分のいいものじゃないよね」
「!」
一度断られて青ざめていたアマンダ令嬢の顔が、またカッと真っ赤になる。
ジェイクの顔は、かろうじて口元は笑っているものの目が笑っていない。
なんとも言えぬ威圧あるオーラに、令嬢がビクッと身体を震わせた。
「ご……ごめんなさい……。
私、どうしてもジェイク様に振り向いて欲しくて……」
「裏で工作してるような女性に、僕が落ちることはないよ」
「…………っ!」
ひどくショックを受けた様子のアマンダ令嬢が、両手で自分の口元を隠すように覆った。
目からはポロポロと涙が溢れ出している。
またこの場から走り去ってしまうのでは? と思ったが、意外にも令嬢は動く気配がない。
なんとか涙を止めようと、必死にこらえているように見えた。
そんな令嬢を前に、不機嫌そうなオーラを消したジェイクは優しく微笑んだ。
「ごめんね。でも、リディが言うには君はとっても女性らしくて魅力的な人なんだってさ。
だから、次からはこんな裏工作なしで普通にがんばった方がいいと思うよ」
「……!」
アマンダ令嬢は、私の方をチラッと見てくる。
えええ!? そこで私の名前出す!?
リディが言うにはってことは、ジェイクはそう思ってないって言ってるようなものじゃない!!
それ、逆に失礼じゃない!?
恐る恐るアマンダ令嬢と視線を合わせると、意外にも彼女はショックを受けたと言うよりもどこか嬉しそうな顔をしていた。
口元に当てていた手を下ろし、涙を流したままゆっくりと私に近づいてくる。
目の前まで来た時、令嬢はペコッと頭を下げた。
「リディア様……私、自分のことばかりで……リディア様にご迷惑を……本当に、ごめんなさい」
「アマンダ様、頭を上げてください。……私は大丈夫ですから」
笑顔でそう答えると、頭を上げた令嬢はそのまま私に抱きついてきた。
かすかに震える身体が、まだ涙が止まっていないのだと伝えてくる。
「ごめんなさい……! ごめんなさい!」
「アマンダ様、本当にもう大丈夫ですから」
女同士とはいえ、抱きしめられているのは恥ずかしい。
照れながら返事をすると、令嬢は私から身体を少し離して遠慮気味に聞いてきた。
「あの、もしよろしければ……これからもお友達だと思っても……よろしいでしょうか?」
「! はい、もちろんです」
その返事に、涙目の令嬢はにっこりと可愛らしく微笑んだ。
私もつられてまたニコッと笑うと、アマンダ令嬢はジェイクにも聞こえないくらいの本当に小さな声で、
「私はもうきっぱりジェイク様のことは諦めます。
リディア様、がんばってくださいね」
と囁いた。
どこか無理しているのは伝わってくるが、きっと彼女なりの罪滅ぼしのために言ってくれたのだろう。
その気持ちを無下にもできず、とりあえず「はい」とだけ返事をしておいた。
そんな私達のやりとりを黙って見守っていたジェイクは、頃合いとみて声をかけてくる。
「こっちの仕事も一通り終わったから、馬車を準備させてあるよ。
サイヴァス男爵も向かってると思う」
「はい……。ありがとうございます」
そうお礼を言って部屋から出ていくアマンダ令嬢の後に続こうとすると、ジェイクが無言で私の前に腕を出し行く手を阻んだ。
私はこの部屋から出るなってこと?
チラッとジェイクを横目に見ると、ジェイクは私を見ずに廊下にいたメイドに何かアイコンタクトを送っているようだった。
メイドが「どうぞ、こちらへ」とアマンダ令嬢を案内しているのが、だんだんと閉まっていく扉の隙間から見えた。
「……どうしたの? 見送りしなくていいの?」
「うん。使用人達にお願いしておいたから、大丈夫さ」
得意気にニコッと笑うジェイクに、小さく胸が弾む。
「そ、そういえば、なんでここに来たの?」
「騎士くんが呼びにきたのさ。
自分が入っていくより、僕の方がいいだろうってさ」
「イクスが……」
「リディが本気でキレて暴れるかもしれないって心配してたよ、彼」
「ええ!?」
本気でキレて暴れる!? そんなこと、するわけないじゃない!
ま、まぁいきなり令嬢の腕を掴んで引っ張って行ったら、そう思われても仕方ないかも……?
少し複雑な気持ちでいると、いきなり扉が開いてイクスが顔を出した。
「嘘を言うな。そんなこと、言ってないだろ」
「あれ? 聞いてたのかい?」
「俺がここに来たのがわかってて言っただろ」
「え〜なんのこと〜?」
真顔のイクスと少しおちゃらけた感じのジェイク。
この2人のこんなやりとりを見るのは、なんだか久しぶりな気がする。
「とにかく、アマンダ令嬢も帰ったことですし。
リディア様お部屋に戻りましょう」
「え……」
「ちょっと待ってよ。僕はリディに話があるんだけど。
騎士くんだけ先に戻っていいよ」
「え……」
「はぁ? お前が今更リディア様になんの話をするって言うんだ。
これ以上、リディア様を傷つけるな」
「君には関係ないだろ?
それに、傷つけるつもりなんてないけど?」
「…………」
バチバチという音が響いてきそうな雰囲気で睨み合うイクスとジェイク。
……ん? あれ?
さっきまでの懐かしい空気はどこへ?
またビリビリとした居心地の悪い空気に変わってますけど?
イクス……真面目な顔から一転、憎い敵を目の前にした復讐者のような顔になってるわ!
ジェイクもいつもの明るい笑顔はどうしたの?
なんだか薄っすら笑みを浮かべたエリックみたいでちょっと怖いけど!?
「……リディア様を傷つけないならいい……が、その前に俺が先に話をする」
「……はい? え!?」
突然のイクスの提案に、めずらしくジェイクが動揺した! と思った時には、私はイクスに手を引かれて部屋から出されていた。
そのまま止まることなくスタスタと歩き出すイクス。
ええ!? またこのパターンですか!?
ジェイクは後ろから「騎士くん、ずるいよーー!」と軽い調子で叫んでいるだけで、追ってくる気配はない。
イクスは前を向いたまま、「……余裕かよ」と呟いた。
苛立っているようで、どこか寂しそうなその顔を見てしまっては、私も黙ってイクスについて行くしかできない。
無言のまま私の部屋に着くと、イクスは私から手を離し申し訳なさそうに謝ってきた。
さっきジェイクに向けていた強気な顔とは全然違う。
今は顔色も悪く、イクスがやけに弱々しく見えるほどに生気が感じられない。
「すみませんでした。
アイツがリディア様と話したいって言ってるのに、勝手に連れ出して」
「それは大丈夫だけど、イクスの方こそ平気なの?
なんか最近いつもと様子が……」
そこまで言った時、ずっと下に向けられていたイクスの深い緑の瞳が私を捉えた。
吸い込まれそうなほどの強い視線に、身体が石になったみたいに動かなくなる。
イクスは一瞬すごく悲しそうな顔をして、私の背中に腕を回した。
引き寄せられて、ぎゅっと抱きしめられる。
「……イクスッ!」
「本当にジェイクじゃないとダメなんですか……?」
「……!」
今まで聞いたことがない、まるで泣いているような声。
イクスの辛さがその声に表れていて、私の心を押し潰してくる。
押し退けようとした私の手が、その声を聞いて力を失くす。
なんでこんなに泣きそうな声なの……?
いつもの、ちょっと失礼なことを堂々と言ってくるイクスはどうしたの?
イクスを苦しませているのは自分だと、それはわかってるのに……どうしたらいいのか、わからない。
「なんでジェイクなんだ? 会ってる時間だって誰より短いのに、なんで……」
「イクス……」
イクスは私の肩に顔をうずめたまま、小さな声で訴えかけるように呟いている。
私より大きくて年上のイクスが、まるで縋ってくる子どもみたいだ。
「……本当にアイツでいいんですか?」
「……うん」
「今まで何やってたのか、よくわからない相手なんですよ?」
「うん」
「一度リディア様を振ったようなヤツですよ?」
「うん」
「それでも好きなんですか?」
「うん」
イクスは私の背中に回していた手を肩に置き、顔を上げて身体を離した。
今にも泣きそうな、どこか悔しそうな、そんな顔をしたイクスと目が合う。
初めて見るイクスのその表情に、ズキズキと胸が痛む。
私の方が泣いてしまいそうだ。
「……後悔しないんですね?」
「……しないよ」
痛む胸をこらえて、ニコッと笑顔でそう答えた。
もしかしたら少し引きつっていたかもしれないけど、その気持ちをわかってくれたらしい。
イクスは、はぁ……と諦めたようにため息をつくと、私の肩に置いていた手を離し少し後ろに下がった。
いつもの距離感だ。
「言っておきますけど、反対するのは俺だけじゃないですからね?
エリック様にカイザ様に、それにルイード様だって……。覚悟しておいた方がいいですよ?」
「ええ!?」
「俺もジェイクの味方にはなりませんから」
「そんな……」
いつの間にか、普段通りのクールで失礼なイクスに戻っている。
イクスはフッと小さく笑うと、私に背を向けて歩き出し扉を開けた。
出ていく寸前で、「がんばってください」と呟いたのがかすかに聞こえてきた。
「……ありがとう、イクス。ごめんね」
イクスが出ていって1人になった部屋で、私はそう扉に向かって言った。




