2 様つけて呼ぶのは勘弁してください
私とジェイクが一緒にグリモールに行く!?
あのグリモールに!?
「リディも一緒にだって?
でもあの場所は、リディには行きたくない場所なんじゃないかい?」
ジェイクが、腫れ物を見るような目で私を見る。
エリックも私の反応を気にしているようで、薄グリーンの瞳は私に向けられたままだ。
そう。グリモール……しかも元ドグラス子爵邸は、まさに私が監禁された場所なのよね!
他国に売られるんじゃないかって、不安に過ごしていたあの牢……。
私の複雑そうな顔色を見たエリックが、遠慮がちに話し出す。
「……グリモールは、本来とても賑やかな街なんだ。
色々な国の人や物が行き交う、交流の街でもある。
そんなグリモールのイメージを悪いままでいさせたくなかったんだが、リディアが行きたくないのなら……」
先ほどまで、ジェイクに有無を言わさずだった態度の氷の侯爵はどこへやら。
今は、妹のことを心配するただの優しい兄の姿になっている。
きっと、私の嫌な記憶を楽しい記憶に塗り替えさせたくて、提案してきたのね。
不安はあるけど、そんな兄の気遣いが嬉しくもある。
同じように心配してくれてるらしいジェイクの気持ちも、素直に嬉しい。
まぁ、監禁されてたのは別棟の方だし。
地下や、あの本棚に囲まれた部屋の思い出しかないから、ドグラス子爵邸がトラウマになってるってわけでもないんだよね!
というか、そもそもそんなにトラウマにもなってないし。
結果的にエリックの婚約も破棄できたし、誘拐もそんなに悪い事ばかりではなかった。
けれど、みんなは私が精神的にショックを受けたと思って、いまだに心配しているのだ。
「大丈夫です、行きます。
突然のお話だったので、驚いてしまっただけです」
私がにっこり笑ってそう言うと、エリックがホッとしたのがわかった。
隣に座るジェイクは、私の返事を聞いて「うーーん……」と腕を組んで唸りだした。
わざとらしいくらいに顔をしかめさせて、迷っているような、考え込んでいるようなアピールをしている。
あ。そういえば、まだジェイク本人が行くってはっきり言ってなかったわ。
先に、私が行くって答えちゃった!
これでジェイクが断ったら、私が行く意味がなくなるわね。
あんなに嫌がってたんだし、やっぱり断固拒否するのかな?
隣からジッと不安そうに見つめると、目を合わせたジェイクが諦めたようにため息をついた。
「はぁ……わかりましたよ。
とりあえず、しばらくは子爵として仕事をしてればいいんでしょ?」
「そうだ。護衛の数は増やすつもりだから、邸宅も安全にしておく。
……それにしても、思ったより早く決断したな」
「だって、どんなにゴネてもエリック様は譲らなそうだし。
僕は勝ち目のない勝負を長々とやる趣味はないのさ! それに……」
エリックと話していたジェイクが、突然私の方に顔を向ける。
そして私の頬にそっと触れるなり、ニコッと笑って言った。
「こんな可愛い監視役が一緒なら、行かないと損でしょ?」
うっ……!
こんな面と向かって可愛いなんて言われたら、さすがに照れる!
いつものジェイクの軽口だとわかっているのに、顔が熱くなってしまう。
丸い真っ赤な瞳をそらすようにうつむくと、エリックがゆっくりと立ち上がったのが目の端で見えた。
なんとなく冷ややかな空気が漂ってきた気がする。
「ジェイク。最初に言っておくが、万が一リディアに手を出したら……その時は、二度とこの街には戻ってこれないと思え」
ええええ!? こわぁっ!!
エリックがまた悪魔モードになってる!
ギラリと睨みつけてくるその目を見ただけで、石にされそうだわ!!
ジェイクはパッと私から手を離すと、両手のひらをエリックに見えるように向けて腰を引いた。
焦ってる様子もなく、軽い調子で答える。
「わかってますとも!
そんなことをしたら、エリック様に何かされる前に執着騎士と腹黒皇子に殺されちゃうよ、僕」
「執着騎士と腹黒皇子?」
それって、誰のこと?
いつもクールなイクスが執着なんてするわけないし、あんな可愛いルイード皇子が腹黒なわけないし。
それ以外に、私と関わってる騎士や皇子がいる?
……単純なカイザも、執着ってイメージないし。
理解できずにいる私とは違い、エリックは納得したように腕を組んで頷いた。
「そうだな。魔が差しそうになった時は、あの皇子の顔をよく思い出すんだな。
それから、イクスにはリディアの護衛として一緒にグリモールに行ってもらうつもりだ」
「騎士くんも一緒かぁ〜。
美少女と一つ屋根の下だから、何かしらのラッキーハプニングを期待してたんだけど難しそ……あ、なんでもないです」
ギロッとエリックに睨まれて、何か言いかけていたジェイクが慌てて作り笑顔を披露した。
こんなに怖いエリックの前でもふざけていられるなんて、ジェイクってやっぱり強者だわ。
いつも本気なのか冗談なのか、よくわからないし。
「はぁ……。まぁ、いい。
お前がリディアを傷つけることはしないとわかってるからな」
「それはもちろん! リディを傷つけるわけないですよ」
「では、リディア。これからジェイクと仕事の話をするから、お前はもう部屋に戻っていいぞ」
「あ、はい。では、失礼します」
チラリとジェイクを見ると、笑顔でヒラヒラと手を振ってきた。
さっきまでは貴族の仕事をするのをあんなに嫌がっていたのに、もう気持ちを切り替えたのかしら。
この心の広さが、普段のジェイクの余裕さを出せているのかも……と、妙に納得してしまう。
ジェイクが現代世界にいたら、かなりの世渡り上手で出世していきそうだわ。
そんなことを考えながら執務室から出ると、廊下にはイクスが立っていた。
私に気づいて、ゆっくりと近づいてくる。
「イクス、訓練から戻ってたのね」
「はい。クソ兎と一緒に呼ばれたと聞きましたが」
「ああ。あの、実はね……」
私は自分の部屋へ戻りながら、さっきのエリックの話をイクスに聞かせる。
ジェイクが貴族としてグリモールに行くこと、それに私とイクスも着いていくことを話すと、イクスは複雑そうな顔で了承した。
「そうですか。
あの、エリック様の命令であれば聞きますし、リディア様が行くなら俺ももちろん同行します……が、あのクソ兎としばらく一緒ってことですよね……」
「そ、そうね」
目に見えてずーーん……と落ち込んでいるイクス。
身体全体から『イヤだイヤだ』というオーラが出過ぎている。
そこまで落ち込みます!?
そんなにジェイクと一緒なのがイヤなの?
最初のフェスティバルの誘拐で、彼のイメージが悪くなりすぎちゃってるわね。
まぁ、今でもジェイクはイクスをからかって遊んでる部分もあるし、好きになれって言う方が無理か……。
自室に戻ると、落ち込んでいたイクスが突然ハッとしたように顔を上げてこちらを見た。
「あっ! でも、リディア様は大丈夫なんですか!?
ドグラス子爵邸ではあの出来事が……」
「大丈夫よ。
私が外に出た時には暗くなってたから周りがあまり見えなかったし、別棟の方だけで本邸は一度も見ないままだったもの。特に問題ないと思うわ」
「そうですか? ですが、もし辛い思いをされたらと思うと心配です」
エリックもジェイクもイクスも、本当に私の気持ちをちゃんと考えてくれてるのね。
小説の中とは違う、みんなの優しさに改めて嬉しくなる。
不安そうな顔で見つめてくるイクスに、私はニコッと笑いかけた。
イクスの頬が少しだけ赤くなる。
「エリックお兄様が、あの場所が私にとっていい思い出の場所になってほしいって言っていたの。
だから、今度はグリモールを目一杯楽しもうと思って!」
「いい思い出の場所……。
そう、ですね。そういうことであれば、俺も協力します」
「うん! よろしくね、イクス」
イクスがイケメン度全開の笑顔を見せてくれた時、コンコンコン、と部屋の扉をノックされた。
「リディア様、メイです。ジェイク様がお見えになってます」
「ジェイクが? どうぞ」
ジェイクが来たと聞いた途端、爽やかイケメン顔だったイクスの顔が、不良のような顔つきに変わった。
部屋の扉を、これでもかというくらいガンつけている。
もう! イクスってば、またそんな顔して!
メイと一緒に部屋に入ってきたジェイクが、イクスを見てニヤニヤと意味深な笑みを浮かべた。
「やぁ、騎士くん! 訓練ご苦労様だね!
僕を睨みつけるその君の目が、なんだかクセになりそうだよ」
「気持ちの悪いことを言うな」
ゾッとしたのか、イクスは顔を青くして睨みつけるのをやめていた。
なんだかんだ言って、いつもジェイクにうまく誘導されているような気がする。
イクスもこの年にしては大人っぽくてしっかりしてると思うけど、ジェイクの方が何倍も上手だ。
「あれ? もう睨んでくれないのかい?
これから一緒に暮らすんだから、遠慮せずに睨んでくれていいんだよ?」
「やめろ! 鳥肌が立つ!」
この2人はいつもこうね。
ジェイクの軽口に、イクスが怒ってる図ばかり。
これからしばらく一緒に過ごすんだから、もっと普通でいられないのかしら。
そんなやり取りをしている2人を微笑ましく見守りながら、メイは紅茶の準備をしてくれている。
「ほらほら、騎士くん」
「こっちに寄ってくんな! クソ兎!」
「あっ!」
突然私が声を出したので、2人が私の方に顔を向ける。
それだ!! そんな変な呼び名で呼び合ってるからダメなのよ!!
「2人がいつも言い合いしちゃうのは、ちゃんと名前で呼び合ってないからじゃない?
これからは、お互いちゃんと名前で呼び合ってみたらどう?」
「名前で……」
「……呼び合う?」
2人がお互いの顔を見ながら、ボソボソッとつぶやいた。
目を丸くして、冗談だよね? と心の中で会話しているような顔である。
もちろん、私は冗談で言っているんじゃないわ!
「そうよ! ほら、早く!」
「え? 名前……って、僕達が?」
「そうよ!」
少しだけ戸惑っている様子のジェイク。
真面目なイクスは、私の言うことを聞こうと努力しているらしい。
私の顔をチラリと見ると、無の表情でジェイクに向き直って言った。
「ジェイク……様」
「!?」
そう呼ばれたジェイクは、顔を真っ青にして自分の身体をぎゅうっと抱きしめるように丸くなった。
少しガタガタと震えているように見える。
「ちょ……っ、や、やめてよ!! しかも、なんで様呼びなのさ!」
「一応子爵なので、ジェイク様と呼ぶのが妥当かと」
「そんなことを言ったら、君だって伯爵家の次男なんだろ!?
僕もイクス様って呼ぶよ!?」
「ゔっ!!」
呼ばれたイクスも、呼んだジェイクも、お互いが顔を青くして震えだす。
まるで、吹雪のひどい雪山で凍えているかのような姿である。
……そんなに気持ち悪いの?
ただお互いの名前を様つきで呼び合っただけじゃない。
まったく、もう……。
呆れながらも、困りきった2人の様子がおもしろくてつい口元が緩んでしまう。
特にジェイクのこんな姿はなかなか見れないから、余計に微笑ましい。
メイも同じ気持ちなのか、こちらに背を向けた状態で肩を震わせている。
私も笑っているのが2人にバレないように、自分の口元を手で隠した。