15 ジェイク視点
あーーあ。何やってんの、僕。
リディと噴水の近くで話した日の夜、僕は1人部屋のバルコニーでたいして好きでもないワインを飲んでいる。
夜は少し肌寒いが、それが心地良い。
「なんで、あんな事しちゃったんだろ?」
ため息まじりにそんな独り言を呟く。
普段心が乱れる事なんてほぼないのに、何故か今日はめずらしく苛立っていた。
そんな苛立ちから芽生えたイタズラ心がしてしまった事ーーまさか、リディにキスしてしまうとは。
いくら頬とはいえ、この事が知られたら大変だよね。
エリック様に手を出すなって言われてたのに。
あ。でも、出したのは手じゃなく口だからセーフ?
こんなセリフを本人の前で言ったなら、確実に無事じゃ済まない。
彼女の兄にも彼女自身にも少しだけ罪悪感を感じるが、あの時の彼女の顔を思い出すとついニヤけてしまう。
真っ赤になったリディ、可愛かったな。また見たい。
そんなことを素直に伝えたら、また赤くなるのかな。
自分の中の好奇心がウズウズしてしまい、ワインをガブッと一気に口に入れる。
それにしても、何故あんな事をしてしまったのか……実は自分でもよくわかってない。
「なんであんなにイライラしたんだ?」
最初は普通だったはずだ。
彼女と楽しくふざけ合っていたら、突然おかしくなった。
『イクスと恋人同士なの? って聞かれた』
『ジェイクに相手はいるの? って聞かれて、いないって答えた』
この言葉を言われた時、何故かわからないがすごく不快な気持ちになった。
なんで僕の相手は自分だって言わなかったんだ?
ここでは恋人のフリをするって事になってたのに。
僕がアマンダ令嬢のことを気に入ってたら……だって? なんでそうなる?
そんな態度をした覚えなんてない。
それに、なんでリディと騎士くんが恋人同士に見えるわけ?
確かにあの2人は仲がいいけどさ。でも、どう見たって騎士くんの片想いじゃないか。
「……あーー、僕、性格悪いなぁ……はは」
1番心が落ち着かない理由は、それくらいの事で僕がこんなにイライラしてるって事だ。
一体どうしちゃったんだ?
なんで、そんな事でこんなに不快な気持ちになる?
「調子狂うなぁ……」
でも、だからっていきなりキスするのは良くなかったよね。
次は気をつけないと……。
どんなにワインを飲んでも、全然スッキリしない。
どうでも良くなり、部屋には入らずそのままバルコニーで横になり寝てしまった。
*
次の日。僕は見事に風邪をひいてしまったらしい。
「ゼェ……ゼェ……」
真っ暗な部屋の中で、自分の苦しそうな息遣いが響いている。
頭や喉、身体の節々が痛い。毛布をかけてるのにすごく寒い。
あーーやってしまった。ここ数年、風邪なんてひかなかったのに。
こんな高熱、いつぶりだ?
「はぁ……」
ぼやける視界の中で、高い天井を見つめた。
この原因は、間違いなく昨夜バルコニーで寝たせいだ。
いくらどこでも寝られる体質とはいえ、毛布もかけずに外で寝たらダメだね、うん。
昼間は少しクラクラするといった程度だったが、夜になって突然熱が上がってきた。
今はおとなしく自分の部屋のベッドで横になっている。
「はぁ……。喉渇いたな……」
ずっと自分のことは自分でしてきてたから、看病はしないで欲しいと使用人にお願いしてしまった。
ここまで悪化するとは思ってなかったから、看病を断ってしまったのを少し後悔している。
かといって、今更頼む気にもなれない。
水……欲しいけど、キッチンまで歩いていけるかなぁ。
気合を入れて起きあがろうとした時、扉の方から声が聞こえてきた。
「ジェイク、まだ寝ているわよね?」
「お部屋からは一度も出てきていないみたいです」
「みんな、部屋に入らないように言われているのよね?
なら、私だけ入るわ。私はジェイク本人から直接は言われていないから、もし怒られたとしても知らないフリできるし!」
リディの声だとわかり、胸が少しざわつく。
彼女とは今日まだ会話をしていなかった。
昨日のことを気にしているのか、昼間はずっと避けられていたからだ。
もしかして、看病に来てくれたのか?
起き上がりかけていた身体を布団の中に戻し様子をうかがうと、静かに扉が開けられた。
できるだけ音を立てないように、ゆっくりと歩いているのが気配でわかる。
目を閉じて寝たフリをすると、枕元でリディが囁いた。
「眠ってるみたいね。熱は下がってないのかしら?」
その声と同時に彼女の手がおでこに当てられて、心臓がドキッと大きく弾む。
小さくて細い手がひんやりしていて心地良い。
「まだ熱いわ……」
パシッ
彼女の手が離れる瞬間、思わずその手をつかんでしまった。
驚いた彼女と至近距離で目が合う。
「び……っくりしたぁぁ。
ごめんなさい、起こしちゃった?」
「……なんでここに?」
「ジェイクが熱を出したって聞いて……。
あの、お水とか持ってきたんだけど、飲む?」
昨日困らせたというのに、わざわざ来てくれるなんて……ここにいるのは天使かな?
白いワンピースを着ているからか、本当にリディが天使に見える。
「飲みたい……」
「…………」
「…………?」
飲みたいと言った僕を、困ったように見つめるリディ。
心なしか、顔が赤くなっている気がする。
……何か変なことを言ったかな?
「あ、あの、ジェイク……」
「うん?」
「手……手を離してくれないと、水が取れないんだけど」
「あっ」
無意識に彼女の手を握りしめたままだったことに気づく。
パッと離すと、リディは少し戸惑った様子でコップに水を入れてくれた。
ダメだな。自制が効かなくなってるみたいだ。
照れてるリディの姿を見て、もっと困らせたい、もっと照れてほしいと思ってしまっている。
彼女は水の入ったコップを持って、こちらを振り向いた。
「起き上がれそう?」
「んーー無理っぽい。リディが口移しで飲ませてくれない?」
「ええっ!? な、何言って……!」
「ははっ。ウソウソ、冗談だよ」
「……もうっ!」
真っ赤な顔で怒っている姿も可愛い。
さっきまで感じていた心細さが、いつの間にか消えていることに気づく。
起き上がって水を飲むと、さらに癒された気分になった。
「ありがとう、リディ。助かったよ」
「良かった。出ていって欲しいって言われるかも……って、ちょっと覚悟してた」
「こんな天使に看病されるのを、拒否する男なんていないさ」
目を見つめたままそう言うと、リディが恥ずかしそうに視線を外す。
手を伸ばせば届く距離にいる彼女に、触れようとしてる自分の手を必死に止める。
うーーん……。
僕って、全然反省してないみたいだね。
昨日のキスをやりすぎたと思ってたはずなのに、また懲りもせず彼女に触れようとするなんて。
でもこんな遅い時間に、薄暗い部屋に2人きり。
ダメだとわかっているのに、熱で朦朧となってる今日の僕はいつもより決心が鈍いかもしれない……。
触りたい。触っちゃダメだ。少しだけ。……兄達の顔を思い出せ。
「ぶはっ」
「!? ど、どうしたの?」
突然吹き出した僕を見て、リディが目を丸くしている。
可愛らしい美少女の後ろには、この場にいるはずのない氷の侯爵と怪物英雄騎士のシルエットが浮かんで見える。
「いや。効果覿面だなぁと思って」
「何が??」
「イタズラしそうだった僕の手が大人しくなったってことさ!」
僕が自分の右手をヒラヒラさせながらそう言うと、リディは訳がわからないといった顔で首を傾げた。
そんな仕草ですら可愛くてたまらないと思ってしまうのは、熱のせいなのかな?
「リディ、昨日はごめんね」
「え?」
「罰とはいえ、いきなりキスしちゃって」
「!?」
ボッと一気にリディの顔が真っ赤になった。
その話題を出してほしくなかったのか、ジトーーとした目で僕を見てくる。
ああ……ダメだな。
今日は、どんなリディも可愛いと思ってしまうんだけど、なんなんだろう、これ。
気まずそうな顔になったリディは、僕の持っていたコップを取り上げてきた。
「き、気にしてないわ。
……それよりほら、お水飲んだならまた横になって!」
「え? もう大丈夫だよ」
「どこが!? さっきおでこ触ったけど、すごく熱かったからね!?
声だってガラガラだし、下がるまで寝てなきゃダメ!」
年下なのにまるで母親のように言う彼女がおもしろくて、素直に言うことを聞く事にした。
モゾモゾと布団に入り、柔らかい枕に頭をうずめる。
「はい! これでいいですか?」
「よろしい!」
そう言って、ふふっと笑うリディ。
頭や身体の痛みはまだあるのに、不思議と彼女がいると和らぐ気がする。
その笑顔を見ているだけで、すぐに風邪なんか治りそうだ。
「……ずっと、ここにいて欲しいな……」
そう自分の耳に聞こえてきた瞬間、リディの綺麗な瞳が丸くなったのが見えた。
笑っていた彼女は、硬直したように動かなくなった。
……あれ? 今、僕……口に出してた?
「……えっ?」
リディの顔がみるみる赤くなっていく。
間違いなく、さっきの言葉は彼女に聞こえてしまったようだ。
「あっ、ごめん。冗談、冗談……」
「…………」
いつものように冗談と言って誤魔化すと、リディは真面目な顔になってそんな僕の様子をジッと見つめてくる。
あれ?
今日は「またそんな事言って!」って怒らないのかな?
そんな事を考えながら、僕も彼女を見つめ返す。
リディは怒った様子はなく、むしろ心配するような顔でボソッと言った。
「本当に冗談なの? 本当は、本音なんじゃないの?」
「……え?」
「風邪をひいてる時って、誰でも寂しくなるものなのよ。
ジェイクはみんなに看病はしなくていいって言ったみたいだけど、本当は誰か側にいて欲しいんじゃないの?」
「…………」
そうか。そういうものなのか。
風邪なんて、母親が生きてる頃……子どもの時以来だから、そんな感情はすっかり忘れていたよ。
じゃあ、今リディにずっと側にいて欲しいと思ってるこの気持ちは、風邪のせいなのか。
「もう少しだけ……ここにいてくれるかい?」
「……! うん!」
何故か嬉しそうに返事をしたリディの姿に、すごく安心する…………って、ちょっと待って!?
自分の右手に、ひんやりとした手の感触が伝わってきた。
気づけばリディが僕の手を握っている。
「リ、リディ? なんで手を……?」
「え? 知らないの?
こうして手を握ると、手のひらから熱が移っていくのよ」
「そんなの初耳だよ……」
貴族の中にだけ広がっている話か?
それとも僕が親からされた事がないだけ?
どっちにしろ、これじゃ手が気になって寝れないんですけど。
ただ手を握られているだけなのに。
こんなの、大した事ない。なんでもない事だ。
でも……そのなんでもない事が、どうして相手がリディってだけでこんなに気になってしまうのか。
これも、もしかして風邪のせいなのかな?
とりあえず静かに目を閉じる。
眠れないって思ってたけど、自分で思っていた以上に熱が出ていたらしい。
僕はそのまま吸い込まれるように眠りに落ちていった。
*
「…………んん?」
あれ? いつの間に寝てたんだ?
目が覚めると、部屋が少しだけ明るくなっていた。
あのまま朝まで熟睡していたらしい。頭がやけにスッキリしている。
熱は下がったみたいだな。よかった…………え!?!?
気づくと自分の右手はまだ誰かに握られたままだった。
よく見ると、リディが椅子に座ったまま僕の布団に顔を埋めて寝ている。
リディ!? えっ、まさか、ここで寝ちゃったの!?
ゆっくりと身体を起こして、リディの肩を揺すろうとつながれていない左手を伸ばす。
しかし彼女の寝顔が見えてその手が止まった。
「…………」
白い肌に、金色の長いまつ毛。目を閉じていても、その美しさが隠せていない。
彼女の周りだけ朝日を浴びているかのように、キラキラと輝いて見える。
……綺麗だな。……欲しいな、なんてね。
握られている手を、ギュッと少しだけ力を込めて握り返す。
反対の手で彼女の顔にかかっていた髪を耳に掛けると、彼女の眉がピクピクッと動いた。
あっ、起きるかな。
この状態を知って、リディはどんな反応をするかな?
慌てる彼女の姿を想像し、つい笑顔になってしまう。
そんなの絶対に可愛いじゃないか。
長いまつ毛が揺れて、うっすらと目が開いていく。
僕がわざと彼女の瞳に映るように顔を覗き込むと、大きな目がパチッと見開かれた。
ガバッと勢いよく顔を上げたので、頭突きされないように避ける。
「おはよう、リディ」
「お……は……? え? なんでジェイクが……って、あれ?」
「寝起きでパニックになってるところ言っちゃうけど、ここは僕の部屋で、今は早朝だよ」
「ジェイクの……部屋? 早朝……?」
リディの顔色がどんどん青ざめていく。
と思ったら今度は赤くもなってきて、とにかくリディが焦っているのだけは伝わってくる。
「わ、私、ここで寝ちゃったのね! た、大変!
早く部屋に戻らないと、メイ達が来ちゃうわ!!」
ガタンと椅子から立ち上がったリディは、僕に握られている手に気づいたようだ。
頬を赤らめて、戸惑ったように僕を見てくる。
「あ、あの、ジェイク……」
「リディ、昨日はありがとう。君がいてくれて良かったよ」
「!」
そう素直に感謝の気持ちを伝えると、彼女は本当に嬉しそうににっこりと笑った。
……おかしいな。
もう風邪は治ったはずなのに、リディに側にいて欲しいって気持ちが消えていないぞ?
そんな不思議な感情になりながら、僕は彼女の手を離した。




