第1話『子を思わぬ母などいない』
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【星間連合帝国 帝星ラヴァナロス シルセプター城 来賓用応接室】
≪AM10:30≫
帝星ラヴァナロス――そこはこの世の楽園か、それとも終末の世界か……そんな抽象的な表現が見合う星だった。空を見上げれば天高くそびえる大樹があり、その大樹には自然生命維持装置が絡みついている。他にも宙をホバリングする巨大な空中都市、毛細血管のように蠢くエアカー用の空路、そしてすべてを飲み込むような広大さと高さを待つシルセプター城が聳え立っている。そのシルセプター城内から大地を見下ろせば、様々な広告が彩る二次元ディスプレイ、清掃用ドロイド、そして行き交う多くの帝国民の姿が見て取れた。
そんな光景をシルセプター城の来賓用応接室から眺めていた少女……サヨ・ゴールベリは少し緊張した面持ちで自身の栗色の髪に触れていた。縦ロールで整えられたその髪の軽さは握ればすぐに萎んでしまいそうに思える。だが、仮にその整った髪を崩してしまっても今の彼女は気付きもしないだろう。
「お飲み物は何がよろしいですか?」
緊張を解すかのような優しい声にサヨはハッとしながら振り返る。しかし、そこに立っていた給仕係の女性を見て、彼女は思わず硬直してしまった。そこにいた女性は壮年といっても過言ではない顔立ちをしていながら、フリフリのリボンがあしらわれた水色のミニのメイド服を着用し、白いニーソックスを履いていたからだ。
「他の物がよろしかったですか?」
給仕係の女性は首を傾げながら無数のフレーバーを見せてくる。サヨは目を泳がせながら我に返ると、慌てて一つのフレーバーを指さした。
「こ、こちらをいただけますでしょうか?」
「畏まりました」
給仕係の女性は笑顔で頷くと「これには軟水の方が合うわね……」と呟き、給仕用のカートの引き出しからポットを取り出すために屈んで見せた。ショーツが見えそうなその際どい姿勢にサヨは思わず目を逸らしながら中央のテーブルに戻ると、用意されていた椅子に腰を下ろした。
これからサヨは誰よりも尊敬し畏怖する人物と会わねばならない。それが彼女の緊張の原因だった。フワフワの髪を撫でながら小さく深呼吸をする。すると目の前の卓上に甘い香りが漂う黄色いお茶が入ったティーセットが差し出された。
「どうぞ。緊張をほぐす効能があるパウダーを少し混ぜさせていただきました」
給仕係の女性の微笑みにサヨは会釈する。
「い、いただきます(……装いはともかく……作法は流石皇帝直属と言ったところですね)」
サヨは内心で彼女の作法に感心しながらソーサーを手に取りお茶を一口含んだ。
「まぁ……!」
思わず声を漏らす程にそのお茶は見事な出来栄えだった。淹れ手の技量次第でこうも味が変わる事に驚きながらサヨは思わず給仕係の女性に微笑みかけた。
「とっても美味しいです! 茶葉の風味を逃さず、それでいて滞りない喉通り。緊張していた心が洗われるような気分です」
「素敵なお褒めの言葉痛み入ります。それにしても遅いですわね。このような可憐なレディをお待たせするなんて……」
給仕係の女性がそう告げると、それを見計らったかのように扉を叩く音が響き渡る。その音でせっかく解れた緊張感が再びぶり返した。
ティーカップを持つ手が小刻みに震えている。それは膝にも伝染し、サヨの足は座りながらもまるで生まれたての動物のように震え上がっていた。
「ただいま」
給仕係の女性はそう言って扉に向かいドアノブに手を掛ける。その一連の動作がサヨにはスローモーションに見えていた。
扉が開く――そこにいた久しぶりに見る姿にサヨの胸の鼓動はさらに高まっていく。それでも出来る限りの平静を保ちながら彼女は何とか立ち上がると、緊張を悟られぬよう顔を隠す意味も込めて頭を下げた。
「お、お久し振りです。お母様」
頭を下げる間に何とか平静の表情を作って顔を上げる。しかし、入室してきた女性の表情には感情が一切感じられなかった。
女性はツカツカと足早に入室すると、椅子に座る前に早速の嫌味を告げてきた。
「帝国内では宰相と呼ぶよう命じたはずだけど」
いきなりの訂正にサヨのこめかみから一筋の汗が零れ落ちる。久しく見る母……エリーゼ・ゴールベリは昔と比べて顔立ちがキツくなったように見受けられた。
「……お久し振りです。ゴールベリ宰相閣下」
「ここではラフォーレ姓よ。そんなことも忘れたの? それとも貴女のB.I.S値はそんな単純なことも忘れてしまうほどに低いという事かしら?」
「し、失礼いたしました」
「問いかけたのに回答ではなく謝罪?」
畳み掛けるような言い草にサヨは反射的に再び頭を下げる。すでに目には涙が溜まっていたが、彼女は唇を噛み締めてそれを押し殺すと、エリーゼは「まぁいいでしょう」と言って正面の椅子に腰を下ろした。
「それで? 本日は?」
「は、はい?」
「何の用だったかと聞いているの」
エリーゼ・ラフォーレはそう言ってチラリと給仕係の女性に視線を投げる。すると給仕係の女性は先程とは打って変わり、無表情で「畏まりました」と頭を下げると再びお茶の準備を始めた。
緊迫した空気の中に見合うピリッとした香りが室内に漂う。エリーゼが目配せした茶葉は辛み成分の強いものだった。甘味あるサヨのものとは似ても似つかないその選択にサヨは本当に自分達の中に血縁があるのかさえ疑わしく感じながら何とか自らの勤めを果たそうと口を開いた。
「さ、宰相閣下、本日はミリアリア・ストーン元老院議長から書面をお預かりしてまいりました」
サヨはそう言ってバックを開けると、この時世ではほとんど見ることのない手紙を取り出し、テーブルにそっと差し出した。シーリングワックスで閉じられたその手紙を見たエリーゼは、小さくため息をつくと渋々と言った様子で拾い上げ封を開いた。
「……」
黙って中身を確認する母の姿は美しく見える。いや、それは何だかんだと言いながらも逞しい母への憧れからくるものに違いなかった。
「……なるほど。よく分かったわ」
エリーゼの言葉にサヨは慌ててティーセットをテーブルに戻す。それと同時に給仕係の女性がエリーゼの前にピリッとした香りのお茶を差し出していた。
「ストーン議長もお変わりないようね」
「はい、お元気です。私にも良くしてくださっています」
「そういう意味じゃないわ。相変わらず甘いお考えを捨てきれない方と言っているのよ」
「え……」
思わず呆けた声を上げてしまうが仕方がない。サヨはミリアリアと母の関係を師弟であり同じ志を持つ存在だと聞かされていたからだ。
ローズマリー共和国の次期元老院議長と期待されながら、国を離れて敵国でもある帝国の宰相となったエリーゼ……そんな彼女は当然の如く国内では国を捨てた売国奴と呼ばれていた。だが、今や彼女を売国奴と呼ぶ者は存在しない。帝国に帰化後、エリーゼは共和国内だけでなく帝国内でも強硬下政治姿勢を見せつけていたからだ。おかげで今や彼女には別の呼び名が出来ていた。
「(……鉄の魔女)」
その冷たい視線を見てサヨは思わず母の渾名を心の中で口にする。そしてこの瞬間、サヨは初めて母への反発を覚えた。人間とは許せない状況や境遇で成長を見せるものなのかもしれない。
「甘い……とはどういうことでしょうか?」
サヨは言葉を絞り出す。反抗しようにもこの巨星とも言える母の存在は彼女にとって大き過ぎた。振り絞った声は少し震えていたが、その中には明白な怒りを乗せている。しかしエリーゼは事もなげに読んでいた手紙をヒラヒラと靡かせながら告げた。
「言葉のままよ。相も変わらず融和政策だのナスカブディア協定の再締結だの……甘い考えだらけ。あの方も成長がないわね。そろそろ引退をお考えになったほうが良いんじゃないかしら?」
「国家間で争いのない時を目指すのが甘い考えでしょうか?」
サヨは出来る限りの知恵を絞り出しながら食って掛かるが、エリーゼは冷たい目のまま……いや、少し呆れたような面持ちで鼻を鳴らした。
「争いのない日々が何を齎すの。競い合いこそが文明の進化を促すのよ」
「それはあまりにも短絡的過ぎませんか?」
「では仲良しこよしで付き合えば世界はより良い方向に動くのかしら?」
「それは分かりません……ですが、平和という基盤に無ければ文明の発達も意味をなさないと思っています」
「浅はかね……痛みも知らずに利益だけを得ようとする。その方が私から見れば短絡的よ。貴女は私が否定した家柄だけに縋る古い人間と同じ思考のようだわ」
エリーゼがそう告げながら見せる行動にサヨは目を疑った。彼女は靡かせていた手紙を片手でクシャクシャに丸めると、事もあろうに卓上のティーカップの中に沈め込んだのだ!
お茶を吸った元老院議長からの手紙が徐々に赤く染まっていく。サヨは呆然としながらその光景を見つめていたが、エリーゼは何食わぬ顔で話を続けた。
「仮に貴女が言う平和第一主義の結末を望むなら、共和国は早々に国家解体をして帝国の属国になるべきでしょう? 帝国に属しても共和国内でこれまで享受してきた法案は惑星法として使用できる。何より今まで通り女性主権の惑星として生きていけるし、帝国からヤシマタイトの供給や技術支援も受けられる。そして共和国の医術技術を帝国に共有することで病に苦しむ帝国民を救えるのよ」
「で、ですが! 共和国にも帝国と同じ時を重ねた文化と歴史が!」
「文化と歴史はそのまま継承できると言っているでしょう? 貴女達が拘っているのは独立国という自尊心が消える事を嫌がっているのよ。この三千年で帝国は様々な進歩を見せてきた。でも共和国はどう? 文化と歴史に胡座をかいて何もして来なかったじゃない。そして分かっていることがもう一つあるわ。そんな自尊心を持つ貴女達は、全惑星で適応される帝国法の一つ、軌跡先導法が気に入らないのよ」
エリーゼは既に飽きたと言わんばかりに足を組み始める。おおよそ娘に向けるとも思えない……まるで遊び飽きた玩具を見るような目でエリーゼは話を続けた。
「結局、貴女達ローズマリー共和国は切磋琢磨を怠けている。軌跡先導法は決して実力のない人間を蔑ろにする法案ではないの。誰しもがその才覚を活かせるようにしたものなのよ。それを束縛と呼ぶなら、まずは自由な国風を保ったまま帝国並の力を身に着けてみなさい」
圧倒的な正論にサヨは何も言い返すことができない。いや、何か付け入る隙はあるのかもしれなかったが、エリーゼの醸し出す風格がそれを言わせなかった。
サヨが沈黙という名の敗北に打ちひしがれる中、エリーゼは手首に装着されている端末が点滅しているのに気づくと、シークレットモードでサヨには見えない様に二次元ディスプレイが浮かび上がらせた。
「……」
その内容を確認するエリーゼを見てサヨは驚きの表情を浮かべる。この応接室に入って初めて、母が眉を動かしたからだ。
エリーゼはゆっくりとした動作で立ち上がると給仕係の女性に視線を向けた。
「ジュリアン・フェネス給仕長、せっかくのお茶を汚してしまったことをお詫びするわ。そして、共和国のお嬢さんがそろそろお帰りになるそうだから、お送りいただけるかしら?」
「畏まりました」
ジュリアンと呼ばれた給仕長は深々と頭を下げる。サヨは話は終わっていないと言わんばかりに立ち上がろうとしたが、エリーゼにキッと睨まれた瞬間に動けなくなってしまった。二人の間にある大きな壁と差を見せつけられ、サヨは黙って俯く。するとエリーゼは勝ち誇るわけでもなく、まるで小事を済ませたようにチラリと見下ろしてきた。
「帝国観光もいいけど、あまり羽目を外しすぎないようにね」
「……それは……警告ですか? それとも……」
「好きに取りなさい。じゃ、失礼するわ」
エリーゼはそう告げると振り向くことなく応接室を去っていく。その後ろ姿は冷たくも、どこか堂々としている。その姿にサヨはやはり憧れを感じずにはいられなかった。
次週12月11日(土)AM10:00
第2話『その志は大地と共に』
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