第32話『Children's quarrel』
【神栄教民主共和国 衛星ザルディアン ザイアン隊基地】
≪PM20:20≫
困ったことになったとアークは立ち尽くしていた。リオと分かれて実験棟内に入ったはいいが、内部の地図など当然頭に入っていない彼は道に迷っていたのだ。
「もぉ……ここどこ? なぁんでこんな複雑な道にするかなぁ……」
迷子の子どものように彼はゲンナリしながら再び足を前に出す。
猫背のアークは気怠げに身体を揺らしながら、歩くことさえ面倒くさそうにダラダラと歩く。そんな彼の目がパァッと輝いたのは突き当りの曲がり角を曲がった時だった。
「おぉ!? あの扉さっき見たよ!?」
先程ハンナの唇を吸った感覚が舞い降りる。
一転してウキウキしたような表情のアークは思わず走り出す。そして勢いよく扉を開くと、そこには満天の星空が広がっていた。
「……」
再びジト目に戻ったアークは猫背を更に折り曲げながら外に出る。
「んだよもぉぉぉぉっ!!」
彼は思わず叫ぶと、まるで最後の大会で敗戦したかのように地面に突っ伏した。
地面を叩きながら徒労を悔やむ。しかし程なく身体に妙な振動が伝わった。それが自身が地面を叩くものとは別のものであると察するのにそれほどの時間はいらなかった。何故ならアークが顔を上げると同時に実験棟からアナウンスが響いたからである。
「これより、新型の起動を行う。異端者の行動が許可されているので、非戦闘員はシェルターに向かえ。繰り返す……」
鳴り響くアナウンスを聞きながらアークは立ち上がる。それと同時に聞き慣れた声が彼の耳に届いた。
「アーク」
声の先に振り返る。走り寄ってきたエルディンを見て、アークはゲンナリした表情を浮かべた。
「あれまぁ……これはこれはお楽しみだったみてーで」
どこか火照った若く引き締まった胸元をはだけさせながら、苦笑さえも美しいエルディンはボタンを留め始めた。
「宗教に準ずる女性はかなりタフだったよ。恐らく、戒律やらのしがらみが多いんだろう」
「自慢かコノヤロー」
「贅沢な嘆きと受け取って欲しいな。それよりもアナウンスは聞いたかい?」
その言葉にアークは「ん」と頷く。すると彼は周囲を見回しながら怪訝な表情を浮かべた。
「リオちゃんはどうした?」
「何か二手に分かれようってさ。まだ中かもね」
「君に単独行動させるとは彼女も余裕がなかったようだな……仕方ない。中央広場へ向かおう」
エルディンはそう告げて実験棟から離れるように走り出す。
アークには素直に彼の後ろを走り出すと気付いたように声を上げた。
「あれ? 何で? 実験棟から離れんの? BE出たんだからそこ行けばハンナに……」
アークがそう言いかけたところで前を走るエルディンは振り返ることなく呆れたように口を開いた。
「ハンナにBEを使わせた以上、もう既に僕らの事は知られている。そして彼女の近くには監視役のザイアン隊がいる筈だ。そんな所に丸腰で行くつもりかい?」
「あ、なるほどね。でも俺等武器なんかねーじゃん」
「全くだ。そこに関しては賭けと言うしかないね。乗るかい?」
「あたぼーでしょ」
アークは何の迷いもなくそう告げる。
やがて走り抜けると、集会場に使われているような中央広場に辿り着いた。広場の更に中央には闘技場のような丸いステージがあり、その周囲を階段のような座席に囲まれている。二人は階段のような客席を駆け降りると、ステージに辿り着く。アークは辺りを見回しながら眉間にシワを寄せた。
「なに? ここ来て意味あんの?」
「少し大人しくしていてくれ」
エルディンはそう言って腕に嵌めている天に掲げると、上空に向かってストロボのように光を点滅させ始めた。
「アーク。賭けは勝ちのようだ。さ、服を脱げ」
天を見上げたままニヤリと笑うエルディンの唐突な言葉にアークは口をあんぐりと開いた。
「はぁ!? な、何で!? 俺ソッチのケはないよ!?」
「いいから黙って脱いでくれ」
彼がそう告げると、実験棟に向かって何かが落下する影が見え、それと同時に建物を貫いたような衝撃音が響き渡った。
「ちょいちょい! 何が起きてんのよ!」
「今は説明している時間も惜しい。早く脱いでくれよ。恥ずかしいなら安心していい。ここには僕しかいないね」
「うわっもう何言っても疑わしく聞こえちゃう。え? 長い付き合いだったけどエル吉ってそうだったの?」
「心外だな。僕は女性しか愛せないよ。仮に同性愛の感情があっても君に発情しないね」
「ぐっ……別にいいけど何だよ」
自分の貞操に心配はないという安堵、そして全くどうでもいい女性にフラれたような感情に駆られながらアークは渋々と服を脱ぎ出した。
「……何なのもう……こんな辱め……あら? 意外と開放感があってこれはこれで……」
全裸になったところでアークは妙な快感を感じる。巷で現れる彼以上の変質者の気持ちに共感しそうになったところで広場内に声が響き渡った。
「そこまでや!」
その声にアークは下半身を手で隠しながら振り返る。そしてまるで少女のようにエルディンの後ろに隠れた。
「う、う、う、嘘つき! 誰も居ないって言ったじゃん!」
「嘘も方便……いや、正直者が馬鹿を見るかな?」
「言ってる意味分かんねーけどバカにしてんのは分かるからね!」
みっともない姿で身体を縮めるアークの方に振り返ることなく、エルディンはようやく空を仰ぐのを止めて声の先に目をやった。
階段の先に立っていたのはアークたちとそれほど年齢差のない人物だった。中世的な顔立ちで性別は分からないが、反り上げた頭を見る限り熱心な神栄教信者であることは間違いない。
「俺の名はザイアン隊特別隊士、シャオロン・ルネモルン。名は知らんでも苗字くらいは聞いたことあるやろ」
シャオロンなる人物は堂々とした様子でそう告げるとゆっくりとした雄大な足取りで階段を降り始める。その姿をエルディンの肩越しに見ながらアークは彼の耳元で尋ねた。
「ねぇエル吉。あれって男? 女?」
「今関係あるのかい?」
「女の子ならこの格好見せた時のリアクションが気になると言うかね」
「変質者の域に突っ込むのは片足に留めた方が良いよ。これは親友としての助言だ」
シャオロンの存在など意にも介さない様に二人はヒソヒソ話を続ける。しかしシャオロンも二人の会話などどうでもいいのだろう。圧倒的有利な立ち位置からさらに言葉を続けた。
「お前らに聞きたいことがある。この潜入を指示したんは誰や?」
「馬鹿正直に言うと思うかい?」
エルディンがそう告げるとシャオロンは眉間に皺を寄せる。そして階段を下りていた足を止めると右腕を高々と上げた。
――パチン
シャオロンが指を鳴らすと同時に周囲を完全に包囲していた無数のザイアン隊部隊が姿を現した!
数え切れない程のブラスターライフルの銃口が向けられる中、アークは両手を上げるか下半身を隠すかで迷っていた。
「あれ!? ちょっと、あの、どうすればいい?」
「体制を低くしておけばいいよ」
エルディンは落ち着いた様子でそう告げる。そんな彼の態度が気に入らないのか、シャオロンは右腕を上げたまま少し苛立った様子で声を上げた。
「もうええ。どうせ後でたっぷり絞られるんや。せやけど一つ応えてもらおか。……キャタピラっちゅうワードに聞き覚えはあるか?」
「工事現場に行けばよく見るね」
エルディンはおちょくった様な態度でそう告げる。そして逆撫でするようにシャオロンの言葉にようやく答えた。
「あと、シャオロン・ルネモルン。君は自身の姓に妙な価値観を抱いているようだが……しょうもない家柄に縋るのは止した方が良い。品性を疑われるよ」
その分かりやすい挑発にシャオロンの顔色は変わった。
「ルネモルンを……俺の父をバカにしとるんか!」
「ルネモルン家はクソさ。ここの教皇がイイ例じゃないか」
エルディンは悪魔のように微笑みながらそう言い放つ。その言葉にシャオロンの右腕が震えるのを確認すると、彼はアークに背を向けたまま囁いた。
「アーク。伏せるんだ」
「え? ずっと伏せてるけど? あ待って! 後ろから見ると俺のアナ」
「撃て!」
アークが言葉を言い終える前に紫色の閃光がアークたちめがけて飛んでくる!
その時に走馬灯……というのは特段見えはしなかった。彼が確認したのは上空から何かが落ちてきて、その衝撃によって土埃が舞い上がったという事だけだった。
「ゲホッ! ゲホッ! 何!? 何降ってきたの?」
「帝国軍専用BEだーっ!!」
咳き込むアークの質問に答えるように周囲を囲むザイアン隊隊士の声が響き渡る。みっともなく全裸で四つん這いになるアークと、その横で格好良く立て膝を付くエルディン……そんな二人を覆い隠すようにアークのBEデュナメスが彼同様の四つん這い状態で覆い隠していた。
「えぇっ!? どゆこと!?」
「言っただろう? どうやら賭けに勝ったとね。さ、さっさと乗り込むんだ。その為に全裸になってもらっていたんだからね」
「お前はどーすんの?」
「……」
エルディンは無言でニヤリと微笑みながらズボンの裾を捲って履いているブーツを見せる。それはCSに用いられる飛行ユニットが取り付けられたものだった。が、それを見てアークは怪訝な表情を浮かべた。
「そのカラーリング……女物じゃん」
「受付にいた女性が貸してくれてね。マチルダ……だったかな? くびれが奇麗な子だったよ」
「キサマ~ッ!」
その胸倉に掴みかかりたくなるが、それを遮るように再びブラスターライフルの銃声が響き渡る。それと同時にエルディンは腹部ハッチを開くと、アークの首根っこを掴んでBEの中に押し込んだ!
「僕も趣味じゃないが背に腹は代えられない。一度抱きかかえて上空に放り投げてくれ。後は自分で何とかする。君はここでリオちゃんとハンナを見つけて一緒に戻って来るんだ」
「行き当たりばったりだな作戦だねおい」
「いつものことだろう?」
小さく鼻を鳴らしたエルディンはニヤリと口角を上げる。それは男でも見惚れるような美しさだったが、状況的にそうしている場合でもなかった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
≪PM20:42≫
ブラスターライフルの閃光が辺りに土煙を舞わせて視界が消えていく。やがてその状況が不利と察したシャオロンは「撃ち方やめぇ!」叫ぶと攻撃が瞬時に収まった。
土煙で侵入者の姿は完全に見えない。その状況がシャオロンに自らを戒める時間を与えていた。
「(あの程度の煽りでキレとるようじゃ俺もまだまだやな……)」
自らを厳しく律したところで左隣の隊員から声があがった。
「シャオロンはん! 煙が収まりました!」
薄っすらと土煙が風に流されていく。それと同時に二つの眼光がギラリと光った。
「アカン! 起動させよった! アイツ等どっちか異端者や!」
シャオロンがそう叫ぶと同時に眼光は消えて土煙からBEが飛び上がった!
「逃げるつもりや!」
隊員たちはそう叫びながら銃口を天に向ける。しかし、数十メートル上空に上がったBEは何かを更に上空に放り投げると、再びこのステージに舞い降りてきた!
「アカン! 退避や! みんな逃げぇ!」
シャオロンがそう叫ぶと同時に隊員たちは一斉に「退避ーッ!」「うわぁぁ!」と叫びながら階段を上り上がっていく。
再度のBE落下にシャオロンは防御態勢に入るが、その衝撃音は予想外の場所から響き渡った。
「……! あれは!」
その光景にシャオロンの心の中に複雑な感情が巡る。落下するデュナメスを受け止めていたのは、ライオット・インダストリー社から受け渡された新型BE……エネルゲイアだったからである。
「この神聖な星に異端者が二人……しかもこの俺に借りを作らせよったっちゅう事か……」
屈辱と怒りに駆られながらシャオロンは唇を噛み締める。彼女の耳には部下たちの「危険です!
」「避難を!」と退避を促す声は届いていない。そこにあるのは自分にもっと力があればという悔しさだけだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
≪PM20:48≫
思いがけない再会だった。そう思いながらハンナはゆっくりと中央広場に下りながら腕を掴んでいた目の前のデュナメス……アークの事を見ていた。
「何で戻ってきちゃったわけ?」
近距離故に出来る簡易通信で問いかけると、アークは「おぉ!」と言いながらいつも通りの気楽な声で返答してきた。
『ハンナ!? やっと会えたわ! やっぱ考え直してさ。一緒に行こーぜ』
「あーしは帰りたくないって言ったよね?」
ハンナは呆れたようにそう返すと、アークは再びケロッとしながら答える。
『そうは言っても目の前にあるおっぱいを持って帰らないってのは無理でしょうに』
「あーしの魅力に負けちゃうのはしょーがないけどさ。あーしの気持ち無視すんのは良く無くない?」
『いや、俺もそう言ったのよ? でもまぁそんなの関係なしに俺が連れて帰りたいのよね。あ。勿論エル吉とかメー子もそう思ってんよ』
「ほー。んじゃ無理矢理連れて帰ろうって訳だ。エッ君もメッちゃんも成長しないね。アッ君私に勝てた事あった?」
『ある訳ないじゃん。だから今日をその記念すべき一勝目にしようかと』
「おー言うじゃん。ってことはその左腕使うの?」
『必要ならね』
アークの言葉にハンナはどこか嬉しくなった。
「(アッ君が……エッチな事と寝る事しか興味のないあのアッ君が……自分の目的の為に動くか……ふーん……エッ君やメッちゃんの言ってたやつかな)」
アークと出会って以来、ハンナは彼が自身の命や作戦行動に何の興味もない人間であると感じていた。彼が優先するのは常にエルディンとメアリーの命と意見だけだったのだ。だが、その二人がいつの日かハンナに言った事があったのだ。
――アーク程の我意の強いは居ない
目の前に現れた今まで見たことのないアークにハンナは喜びを隠せなかった。自分の思い人の新しい一面を見れば誰でもそうなのかもしれない。
「(ようやく本当のアッ君が見えれるって訳だね)」
二人はステージ上にゆっくりと着地する……どれと同時に瞬時に距離を取ると、ハンナは腰元のダガーを引き抜いた!
「悪いけどアッ君。ちょっとだけ本気で行くよ?」
『いや、手加減気味にお願いします』
素直な返答にハンナは笑いを堪えながら距離を詰める! その横薙ぎの一閃をアークは仰け反りながら躱す! そして両手を地面に付け発射台のようにすると、彼女の腹部を蹴り上げようとしてきた!
「悪くない。でも行動パターンが見えすぎ」
しっかり膝を曲げて防御体勢に入っていたハンナはアークの蹴り上げを受け止めると、上空で姿勢を戻して回転しながら着地する。そして再び距離を詰めると、ダガーをお手玉のように両手で巧みに操った。その動作はまるで曲芸のようで誰もが目を奪われそうになる。しかし彼女が繰り出した攻撃は、脇腹へのミドルキックだった!
『あぐッ!』
居たそうな声を上げるアークに対して、ハンナは得意気な声を上げる。
「エモノ持ってるからってそれで攻撃してくるとは限んないんだよ?」
膝を付くアークにそう告げると彼女はダガーを振りかざす。この一撃で肩辺りを突き刺し、BEの機動力を落とせばすでに勝利は確定も同然だった。
「はーい。またまたあーしの勝ち」
振り上げた逆手に持つダガーが鈍く光る。彼女が勝利を確信して振り下ろそうとした瞬間――振り上げた右腕に衝撃が走った。
思わず視線を上に上げる。そこに映るのは、右手にあるダガーが撃ち抜かれ、キラキラと輝きを放ちながら粉々になる光景だった。
「(今、一瞬閃光が走ってた……それにあの衝撃はブラスターと接触してきたのと同じ……)」
閃光が飛んできた方にハンナは視線を向ける。そしてズームしながら発砲位置を確認すると、彼女はまたしてもBEの中で微笑んだ。
「へぇ~……あの距離から撃ち抜いたんだ。……やるなリッちゃん」
彼女の視線の先には、アークと同じデュナメスが長距離ブラスターライフルを構えていた。




