第22話『The wrongdoer never lacks a pretext; even thieves have their reasons Part1』
【神栄教民主共和国 衛星ザルディアン ザイアン隊基地正面玄関】
≪AM17:40≫
「……うーわ……メガ最悪……」
自らの髪を掴んで毛先を見つめながらリオは思わず呟く。手入れに力を入れていたつもりだが、潜入の為に一時的とはいえ無理やり黒く染めた髪の毛はどこか軋んでいるように思えた。
溜息と同時に吸い込む空気は湿っている。街灯が照らす濡れた道を見下ろしてから、リオはガラス張りのドームの天井を見上げた。
空気のない小さな衛星に作られるドーム内は、なるべく通常の惑星に近い環境を作るように心がけられている。年月の季節に合わせた気温管理がされ、天井部からは雨という名のシャワーが降り注ぐ。それは軌跡先導法によって惑星に降りることのできない人間への配慮だったのかもしれない。
「一雨あったみたいだね」
リオは隣を歩くアークにそう告げる。天井から降る雨は当然だが人為的に完全管理されているおかげで、衛星ドーム内では、天気予報ではなく天気予告が常時発令されていた。任務前に天候を確認するのは基本中の基本である。士官学校で主席だったリオは当然そんな初歩的確認を怠ることはないのだが、彼女が敢えて知らぬふりをする道化を演じたのには訳があった。
「んー。お、あれか」
リオの隣を歩くアークは、彼女の道化に徹した言葉に軽く相槌を打つだけで、その視線は道の先にあるザイアン隊基地から外れることはなかった。
アークの横顔を見てリオは思わず息を飲む。最初に出会った時同様の気怠そうな歩き方はそのままだが、彼はまるで殺し屋のように冷たい目をしていた。そんな彼を見るとリオはどこか不安になってしまうのだ。
「おねーちゃんは基地に入ったらどーすんの?」
リオの心情など知る由もないアークは首の辺りをポリポリと搔きながらそう告げる。そんな彼にリオは自らの不安感を押し隠すかのように少し呆れた様子で、それでいて努めて明るく言葉を返す。
「あのねアーク君。今回の潜入捜査における最大の調査項目は二つ。一つは神栄教がフマーオスと繋がっている証拠、そしてもう一つはライオット・インダストリー社から送られたっていう新型BEの情報でしょ? 基地に無事入れたら私は情報管理するシステム室に行って深層にあるデータを盗るから、アーク君は実験棟に行って新型BEの存在を確かめてきて。それと脱出する時のための爆弾の設置も忘れないでね……因みにこの説明もう四回目だけど?」
「あ、そうだっけ? ごめんごめん」
アークは形式だけの謝罪で薄い笑みを浮かべる。リオは「まったくもう」と言いながら笑みを浮かべるが、自分以上の作り笑いを見て、出発前に隠れ家で話したエルディンとメアリーの言葉を思い浮かべた。
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【神栄教民主共和国 衛星ザルディアン 居住区隠れ家】
≪AM17:08≫
睡眠薬で無理矢理の仮眠をとったリオは眠気覚ましのシャワーを浴びた。
夏の寝汗を洗い流し、下着姿で洗面台の前に立つと、彼女はそのまま頭髪用の黒髪スプレーを頭に吹き掛ける。自慢の鮮やかな桃色の髪がドス黒く染まりきると、彼女は指に付いてしまった塗料を専用の洗剤できれいに洗い流した。
「ちょっとえエ?」
背後から掛けられた声の主をリオは鏡越しに確認する。扉を少しだけ開けて顔だけを覗かせるその愛らしい姿を見たリオは思わず小さく微笑んだ。
「どうしたの?」
「……リっちょんエエお尻しちょるネ……」
妙なあだ名呼びにリオは苦笑しながら改めて振り返る。ポーっとした表情で見つめてくるメアリーを見て何故か身の危険を感じたリオは、慌てる素振りを悟られないように少し急ぎ気味にパンツに足を通して神栄教徒の装いである白いシャツを羽織りながら背を向けた。
「ありがと。それで? 何?」
「ア、うン。エっちょン。もう大丈夫」
メアリーがそう告げて扉を開くと、嫌になる程な美形なエルディンが姿を見せる。彼は一応まだ着替え中のリオに配慮してか、視線はこちらに向けずに口を開いた。
「入浴後に済まない。出発前に話したいことがあってね」
「おぉエルディン君の口から初めて謝罪の言葉を聞いたよ」
シャツのボタンを締めながら、リオはこれまでの態度をからかうつもりでいたずらっぽく微笑む。しかし振り返ってみると、エルディンもメアリーも真剣な表情だったので彼女は思わず少し戸惑った。
「え? ん、何なの? とりあえず部屋に戻って……」
「もうアッちょんが起きとるけン。三人で話しときたいんヨ」
メアリーの言葉にリオは「なるほど」と納得したように頷く。となれば話すことは一つしかないからである。
「アーク君のことだね」
その返答にメアリーが頷くと、彼女ではなく壁に寄りかかるエルディンが口を開いた。
「今回の仕事の役割はもう頭に入っているね?」
「メガ当然! 二人で基地に潜入したら、私がシステム室に入ってフマーオス星との通信記録を抜き取る。アーク君はその間に脱出の準備と実験棟に行って新型BEの情報を探る。でしょ?」
「そうだ。だが裏にクジャ・ホワイトの存在が見え隠れする以上、アークにいつものようなパフォーマンスは期待できない。出来れば僕が代わりに潜入したいところだが、これから僕らの帰りの足を用意する必要がある。メアリーもここで基地内の警備システムを操作しなければならないというのが現状だ」
「じゃけン、諜報の大半はリオちゃんにお願いしたいんじャ。システム室ば行けばフマーオス星の通信記録だけじゃのうて新型BEの情報も両方あるはずじャ。システム室のメインにこんチップば差してくれたらあとは勝手に中の情報ココに届くけン」
そう言って差し出された小型チップをリオは小さく頷きながら受け取ると、メアリーはそのまま言葉を連ねた。
「そいが終わったラ、別行動中のアッちょんば早々に連れて帰ってきて欲しいんじャ」
「待って? システム室だけで全部が事足りるんなら、二人で一緒に行動してた方がいいんじゃ……」
リオがそう言いかけたところでメアリーは小さく首を振った。
「ウチが作った偽造パスじゃけド、入る時は大丈夫じャ、けんど出る時はもう使えんくなっちょる可能性があル。じゃけン、脱出ルートの確保は絶対に必要じャ。ばってン、あん基地にそげなルートはなイ。そん為にアッちょんにはエっちょんの作った爆弾を設置をお願いせんといけン」
「爆破の混乱に乗じて基地から脱出だ。アークにはできる限り実験棟の近くに設置するようにと言ってある。セット予定時刻は十八時。爆発までは二十分だ」
エルディンは補足を加えると同時に小さくため息をついた。
「あの男がいるかもしれない場所で一人仕事をこなしたという事実があのバカを成長させる……かもしれないな」
彼はそう言ってようやく壁から体を離すと改めてリオの方に向き直った。
「厄介ごとを任せてすまない。だが、頼むよ。リオ君」
そう言って目を伏せるエルディンの横でメアリーも微笑む。そんな二人を見てリオは少し不思議に思った。
エルディン=ネメシス・ミュリエル、メアリー・ブランド・ガンフォール。二人ともその家柄は本物だった。今は亡き智者として知られる八賢者の血を引き、それに似つかわしい能力を持ち合わせている。そんな二人が小さな民間軍事組織で燻り、尚且つ一人の少年に強く肩入れすることが理解できなかったのだ。
「一つ聞いていい? 二人は……どうしてそんなにアーク君に入れ込んでるの?」
その問いに二人は視線を一瞬合わせると小さく微笑んだ。
「僕等はね……アイツ沢山貸しを作っているが……返しきれないほどの大きな借りがある……」
「何よリ。私ら三人は小っちゃい頃から一緒じゃけン。理由はそれだけで十分じゃロ?」
そう告げる二人の表情を見ると、リオは何も言い返す言葉がなかった。
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出発前の二人から頼まれた言葉を反芻しながら、リオはメアリーから渡された基地内に潜入するための偽造パスを取り出し、アークが手にぶら下げているエルディンから渡された爆弾の入った買い物袋に視線を投げる。それらはどちらも精巧なもので、この二人ならば帝国軍の諜報部にも潜入できる技術を持っていることを示唆していた。
そんな二人が捨て置けないこのアークという少年がどんな人物なのか……彼の後姿を見ながら、リオはそんなことを思っていた。
「んじゃ、おねーちゃん。基地に入ったら別行動でよろしくね」
ジっと見つめていた背中が振り返り、アークは少し緊張した雰囲気を隠すようにそう告げる。
いつの間にか基地の前までたどり着いていたことにリオはハッとして顔を振る。そしてこちらを見つめるアークに頷いた。
「あ、うん。アーク君、メガ気を付けてね」
「心配してくれんの? んじゃ景気づけにおっぱ」
「ぶっ殺すぞ」
たった今まで持っていた感情を一切かなぐり捨ててリオは突き放すと、基地の入り口に立つ警備部と思しき守衛に歩み寄った。
「お疲れ様です。給仕部のミラン・スペイサーです。買い出しに向かっていたんですが」
リオはそう言ってメアリーに渡された偽造パスを差し出す。そしてちらりと後ろのアークに視線を投げると、彼もそれに倣ってポケットから偽造パスを取り出した。
「あ、はいはい。同じく……えーと……アラン、えージュイルです」
彼は偽名を忘れたのかパスを一度確認してからそう告げ、白々しい笑顔で片手に持った買い物袋を掲げる。
警備隊員は「ご苦労様です」と告げると二人が差し出すパスに検知器を照射する。それを少し緊張した面持ちで見つめていたリオだったが心配は無用だった。メアリーの作った偽造パスに支障はなかったらしく、警備隊員の持つ検知器からは「通行可」という文字が浮かび上がったからだ。
「確認しました。どうぞ」
警備隊員は笑顔でそう告げると、背後の別隊員に合図を出した。
彼の合図に従って大きな扉がゆっくりと開きだす。リオとアークは警備隊員たちに小さく会釈すると、堂々と正門から中へ入りながら口を開いた。
「メガバカなの? 名前くらいしっかり頭に入れといてよ」
「おねーちゃんの照会中の顔も大概よ? こんな顔してたし」
出来うる限り顔をひん曲げたようなアークの顔を見てリオは思わず憤慨して彼の腕を殴りつけた。
「メガ盛り過ぎ! そんなに口への字になってないし!」
「痛っ! どうせなら眼福チャンスある蹴りにしてよ!」
隠密任務を忘れてリオは憤慨しながら歩くと、システム室へ向かう通路に差し掛かる。それと同時にアークは殴られた右腕を摩りながら実験棟の方に向かっていった。
「……本当に大丈夫かな」
気怠そうに歩いていくアークの後姿を見送りながらリオは思わず呟く。しかし我に返るように頬を叩いて気合を入れなおすと彼女は自らの任務に意識を戻し、アークとは別方向に向かって歩き始めた。
システム室に向かう道は平穏そのものだった。道中にある礼拝堂では交代制なのか入れ替わり女神像に向かって祈りをささげる隊員がおり、ほかの部屋の人々もみな穏やかな表情を浮かべている。宗教にのめり込む人間の心理をリオは理解できなかったが、彼らのその穏やかな表情を見ていると信仰も悪くないのでは? という感情とある種の恐怖心がリオの中に渦巻いていた。
「(全世界にいる神栄教信者が一斉にこの海陽系に対して反旗を翻したら……今の帝国皇帝がいる限り帝国軍は国を裏切らないだろうけど……)」
現星間連合帝国の盤石は何よりも堅い。かつての八賢者の内二人が所属する戦皇団、そしてローズマリー共和国から帰化した“鉄の処女”ことエリーゼ・ラフォーレ宰相、そして何よりも帝国が一枚岩と化す最大の要因は圧倒的カリスマ性を持つ帝国皇帝の存在である。現帝国皇帝の存在がある限り、帝国が揺らぐことはないだろう。その意見にリオも決して反対することはなかった。
「(……ただ……強すぎる力に頼りすぎると……それが無くなった時にどうなるかな……)」
自分が生きる時代が良いに越したことはない。だが、真に世界を思う者は次の世代のことを考えるものだとリオは思っていた。だからこそ彼女は未来を考えることに対して妥協することはなかったのだ。そんな事を考える内にリオは再びハッとしながら立ち止まる。気付けば彼女はシステム室の前に辿り着いていた。
腕に嵌めている端末から時刻を確認する。端末に浮かぶ時刻は十七時五十分と表記していた。
――『セット予定時刻は十八時。爆発までは二十分だ』
エルディンから告げられた作戦内容を思い出す。恐らく情報の抽出には五分程かかるだろう。しかし、それもアークが仕事をこなしていればの話だった。
「(……ま、今は彼を信用するしかないか)」
通路内のカメラ位置をチラリと確認する。偽造パスを使った以上、監視カメラを気にしても仕方がない。そのために彼女は自身の髪色まで染めているのだ。
リオは再び偽造パスを取り出すと、カメラの前で堂々とパスをかざしてシステム室内に足を踏み入れる。室内は帝国の諜報部とは違い、コードが繋がる旧式の機器に溢れていた。
「さて……メインにチップを入れて……と」
リオは早々にメインと思しき大型のサーバーにメアリーから渡されたチップを差し込む。するとチップが赤く点滅し、メアリーがいる隠れ家にデータを送り始めた。
待機の時間になったリオは一つの端末の席に腰を下ろすと、今まさに送られているであろう深層部に保管されているデータを確認し始めた。
「……帝国議会議員との通信文……大手企業からの不正献金……幹部信者の猥褻隠蔽……収穫は今回の件だけじゃなさそうだね……」
思わず目を覆いたくなるような汚い大人たちの情報を見てリオは顔を顰める。そしてその中には新型BEの情報もキチンと残っていた。
「……」
既に送っている情報なのであれば今確認する必要はない。しかし、アークやエルディン、メアリーをあそこまで恐れさせるクジャ・ホワイトへの好奇心から、彼女は気付けば新型BEの情報ファイルを開いていた。
「……これって……新型の起動実験映像……? しかも今日のじゃん」
リオはそっとそのファイルを再生する。すると歪んだ映像ながら新型BEが動く様が浮かび上がった。
ところどころノイズが走る映像をリオは注視していたが、新型BEは大した動きも見せずにすぐさま停止する。不可解な状況に眉を顰めていると思いがけない人物が映し出されリオは思わず目を見張った。
「コウサ=タレーケンシ……ルネモルン……」
いきなり映し出されたこの海陽系に最も影響力があるといわれる神栄教のトップに息をのむと、解放されたBEの着用者を見てリオはまたしても目を見張らせた。
「……誰……この人……」
データでのみ見たことのあったクジャ・ホワイト……それは傷だらけの顔を持ち、すべての惑星の特性を持った不気味な男だったと記憶している。しかし、映し出されたのはリオとそれほど年が変わらない少女だった。




