第21話『Joker』
【星間連合帝国 帝星ラヴァナロス シルセプター城 皇帝居住区画 庭園】
≪AM17:19≫
一滴の汗が滴り大地の色を変えていく。
少し寄り目になって鼻先に集まる自身の汗を見たダンジョウは、子供の頃から続けるこのトレーニングメニューを考案した姉代わりを思い出した。
「(……ババァ……テメェ……今どこで何してやがる……)」
不安定なロープの上で自らの身体を片腕一本で支えながらダンジョウは思わず悪態をついた。
重心が少しでもズレれば真っ逆さまに落ちるであろうロープの上でダンジョウは少しふらつく。心を落ち着ける為に、彼は目を閉じると、懐かしい時代を思い出した。
抜け出した孤児院の外に広がる真っ青な草原
汗だくで追いかけてくる肥満体型の親友
長身痩躯で腕っぷしの強い相棒
全てを肯定してくれた赤髪の想い人
不満や狭苦しさを感じながらも、最も自由だったその時代は彼にとって掛け替えのない思い出だった。勿論、それ以降の戦いの日々も決して辛いことだらけだった訳ではない。目の前に立ちはだかる障壁を新たな仲間達と乗り越えたのも彼にとって財産である。そしてその全ての瞬間、彼の横に立っていたのは栗色のお下げ髪をした童女だった。
「そのような修練はお控えくださいと申し上げたはずですが?」
現実に引き戻すような声にダンジョウはゆっくり目を開ける。
視線だけを庭園入口の方へ向けて声の主を確認すると、ダンジョウはロープを掴む右腕を僅かに折ってヒョイと飛び上がると軽やかに地面に着地する。そして休憩用のガーデン椅子の背もたれに掛けていたタオルを手に取った。
「どうした? 何かあったか?」
汗を拭いながらダンジョウが告げると、彼を現実に引き戻した帝国宰相エリーゼ・ラフォーレが“鉄の処女”という通り名に似つかわしい無表情で歩み寄ってきた。
「ご報告が。フマーオス星への諜報結果から、ライオット・インダストリー社よりジュラヴァナ星、フマーオス星に新型BEが運ばれたとの情報が入りました」
「新型ね……兄貴とコウサのオッサンが繋がってるって話をカンムから聞かされてたが、こりゃマジみてぇだな……それで?」
ダンジョウは大して驚いた様子も見せずにそう告げると、エリーゼもまた冷静なまま答えた。
「ライオット・インダストリー社に至急問い合わせたところ、社長であるタクミ・マウントの所在が分からなくなっております。カルキノス星の憲兵軍に本社へ向かわせたところ、どうも今回の一件はタクミ・マウントの独断行動によるものと考えられます」
「ふーん……アイツ派手な事しやがったな」
笑いながらダンジョウがそう告げるが、エリーゼはここで初めて表情を変えて不愉快そうに告げた。
「陛下。此度の件、タクミ・マウントの独断とされていますが、ライオット・インダストリー社の総意としか考えられません。あの企業は血族を重んじる一族経営が伝統……前社長の一人息子であるタクミ・マウントを役員会が見捨てるでしょうか?」
「軌跡先導法がここまで浸透してんだ。あの会社もそんな古くせぇ考えも変わって来てんじゃねぇの?」
「観念とはそう簡単に変わらぬものです。それは陛下も身をもってご承知の筈でしょう?」
エリーゼの挑発的な口調にダンジョウは僅かに目を吊り上げる。そして拭っていたタオルを軽く椅子に叩きつけた。
「疑惑だとか陰謀論なんてもんは考えたきゃ其辺のガキでも思いつく。大人の……ましてや帝国宰相なら証拠の一つや二つ持ってきて事実を報告するもんだろ。それともそんな台詞で俺がアタフタするとでも思ったかよ?」
明らかにイラついた空気を出してダンジョウはエリーゼを睨みつける。しかし彼女はそれを受け流すかのようにアッサリと頭を下げた。
「……失礼いたしました」
エリーゼは全く感情の籠っていない口調でそう告げる。そんな彼女のプライドの高さを咎める程ダンジョウももう幼くはなかった。
ダンジョウは険しい表情から普段の表情に戻すと、着ているシャツで自らを扇ぎながら話を続けた。
「話はそれだけか?」
「もう一つ。先程、各惑星知事連と帝国軍での会合が開かれました。帝国軍元帥ビスマルク・ナヤブリよりアーリア=セイナ・ガウネリン皇女殿下に独立執行権をお差し上げするべきと言う提案が」
「で?」
「帝国元帥、帝国軍統括大将、カルキノス星知事、レオンドラ星知事を筆頭とした主流派の賛成多数により認可されました。後は皇帝陛下のご承認次第となります」
義務的な動作でエリーゼはデータ照射機を起動させると、新たな法案や外交条約の調印書と同じ形式の二次元データを宙に浮かび上がらせる。そして宙に舞う二次元ディスプレイを手に取るとダンジョウに差し出してきた。
「御承認いただけるようでしたら御署名を」
「オメェはどっちに入れたんだ?」
ダンジョウはニヤリと微笑みながら尋ねる。しかしエリーゼは無表情のまま簡潔に告げた。
「反対です」
「ほぉ。そりゃまた何でだ? アイツがいずれこの帝国の女王になるのがオメェの目的じゃねぇのか?」
「無論です。ですがそれには段階という物が必要になります。今の皇女殿下に独立執行権をお与えするのは時期尚早かと……何より、陛下がランジョウ=サブロ・ガウネリンに独立執行権をお与えになったからこそ、今こうしてフマーオス星の問題が浮かび上がっているのですから」
当てつけのようにそう告げるエリーゼにダンジョウはニヤリと笑った。
「世の中、何でもオメェの思い通りにはいかねぇもんだ。それでも良くなるようにするのが政治家の仕事だろ」
「世の中を良くするために事前に動くのが政治家の仕事と捉えております」
「見解の相違って奴だな」
エリーゼの反論にダンジョウは苦笑を浮かべながら二次元ディスプレイを受け取る。そして先程までロープを掴んでいた指先で自らの名前を書き込んだ。
幼少期から変わらない自身の悪筆にダンジョウは再び苦笑を浮かべる。そして「ん」と言ってエリーゼに二次元ディスプレイを差し出すと、彼女は二次元ディスプレイを受け取らずにじっと睨みつけてから、視線をダンジョウに向けてきた。
「陛下は宜しいのですか?」
「何が?」
「このまま皇女殿下が帝国の女王になる事です。ビジョウ皇太子殿下やソフィア皇后陛下は……」
「関係ねぇ」
エリーゼが言い終える前にダンジョウはその口を塞ぐかのように食い気味に告げると更に言葉を続けた。
「ビジョウは元々上に立つ器じゃねぇ。アイツは上の奴の片腕だとか下に付くことで本領を発揮するだろうよ。ソフィアも皇位に興味がねぇしな」
「その時……ご自身の場所が無くなってもよろしいので?」
エリーゼは敵意と真実が籠った様な視線を向けてくる。しかしダンジョウはまるで眼中に無い様子で鼻を鳴らした。
「場所なんてどこでも構わねぇんだよ。適当な星で土いじりしながら暮らせりゃいい。そうだ。今朝とれた野菜持ってくか?」
「ご遠慮いたします」
エリーゼは冷たい表情のままようやく二次元ディスプレイを受け取ると、「失礼いたします」と一礼をして踵を返して行った。
エリーゼを見送ったダンジョウは海陽が傾いていることにようやく気付いた。そして椅子の座面に置いていた端末を手に取ってテーブルに置く。それから暫くすると、端末から青い肌の肥満男性が浮かび上がった。
『これはこれは皇帝陛下。ご機嫌麗しゅう』
「やめろ気色悪ぃ。オメェにそんな口利かれると寒イボ立つんだよ」
ダンジョウはそう言って腕を見せながら微笑む。そして椅子に腰を下ろすと、ホログラムとして浮かび上がるタクミ・マウントもまた微笑んだ。
『気が合うね。僕としても君に妙な敬語を使うのは気味が悪いんだよ』
「言ってくれんじゃねぇか。んな事より話は聞いたぞ。上手くやってくれたみえてぇだな。また一つ借りだ」
ダンジョウの微笑みにタクミは額の汗を拭いながらニヤリと笑った。
『いいんだよ。当分は姿を隠さなきゃいけないからね。おかげでしばらくバカンスを楽しめる。あぁさっきレオナルド君にも会ったよ。君にお変わりありませんかやら、いつでも馳せ参じますやら色々言っていたよ』
「カカカ。まぁレオにもヨロシク言っといてくれ」
『了解した。暫くは連絡を取れなくなるが君も元気でな』
「あぁ。次は直に会おうな。久し振りに酒でも飲もうぜ」
『医者に止められているが君とならいいだろう』
タクミは微笑みながら頷くと、浮かび上がっていた姿がプツリと消えていった。
静寂に戻った庭園に穏やかな南風がそそぎ込む。ダンジョウは南風を感じながら大きく深呼吸して微笑んだ。
「……“世の中を良くするために事前に動くのが政治家の仕事”、か……エリーゼ。オメェの考えも間違っちゃいねぇな」
戦いの先に生んだ軌跡先導法という名の平和の形……それを守り抜くため、ダンジョウは自らの決意を今一度確かめるように拳を握り締めた。
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【星間連合帝国 帝星ラヴァナロス シルセプター城 帝国軍元帥執務室】
≪PM18:18≫
自制の為に心を落ち着ける。
その為に何をするかと言えば、エリーゼの場合は紅茶を飲むことだった。
「感謝するわ。ジュリアン・フェネス給仕長」
「お気になさらず」
薄緑色のミニスカメイド服を着たジュリアン・フェネスはそう言って微笑むと、宰相席に腰を下ろすエリーゼの前にティーセットを差し出した。
この帝国に来て随分長くなる。当初はローズマリー共和国との文化の違いに当初は戸惑い、中には呆れるようなものも多くあった。しかし彼女の淹れる紅茶だけはローズマリーでは味わえない一級品だった。
「……給仕長、貴女の目に皇帝陛下はどう映っているのかしら?」
エリーゼは探りを入れるように尋ねるが、ジュリアンは作業に手を休める事なくさも当然のように返答してきた。
「大変ご立派なお方です。お母君である前皇后陛下亡き今、私目が従うのは陛下とあの方以外にはいらっしゃらないと思っております」
「崇拝しているのね」
「敬愛にございます」
ジュリアンは微笑みながら訂正する。だからこそエリーゼは彼女の行動に疑問を感じていた。
「それなら何故、貴女は私の秘密を陛下に話さないの?」
その問いにさえジュリアンは穏やかなまま、また当然のように返答してきた。
「ご本人からそう命じられているので……こちらお茶請けにどうぞ」
ジュリアンはそう告げてケーキを差し出してくる。
差し出されたケーキを見つめながら、エリーゼはジュリアンが言う“あの方”と“ご本人”というのが同一人物であることを察していた。
そして宰相席のデスクに置かれた、この時代では珍しい旧式の平面ディスプレイを見つめる。そこに映っている人物を見てエリーゼは顔を顰めていた。
「……シャイン=エレナ・ホーゲン……」
彼女の視線の先……旧式のディスプレイにはカプセルの中で眠る栗色のお下げ髪の童女の姿が映っていた。




