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トラフィック・アクシデント

作者: カーミラ










 俗悪なるものへの対立姿勢は、ミラン・クンデラの存在の耐えられない軽さの最大のテーマのひとつとなっている。










 


 まるでその俗悪なるものを体現しているかのような男が、三丁目の交差点で自殺した。

 人々は待った。しかし道行く乗用車や、特に交差点を緑信号で通り過ぎようとしているタンクローリーは待てなかった。太陽光線を眩しく反射させた30トンのステンレス製の大型タンクを搭載した大型車両は、空港へジャンボ機に給油を済ます為に産業道路を南東方面へ向けて走らせていた。












 女は笑った。名前は知らない。勝手に助手席に乗っている感じだ。車内テレビの番組を観ている。すると今度は大きく体を仰け反らせて、片手に持っていた馬鈴薯のスナック菓子を数枚床に落としてしまっていた。シートベルトが伸びたり縮んだりしている。腹が痛くなったのか、暫く静かになった。














  タバコ屋の角を曲がると、そこは異世界だった。しかしタバコ屋の角はどんな街にも存在した。そこで売られている銘柄?そんなものはどうでもいい。問題は、そこでたばこを売っている若い女の肖像なのだった。ああ、君はいつの時代にもいたんだね。でも、タバコ屋はいずれ近い将来、消えて無くなるだろう。そうしたら君は、いったいどんな仕事をしているのだろうか。或いはしていないのか。でも恐らく、この県で盛んな製造業と関係した職業に就くはずだ。観光とは縁遠いこの田んぼと工場とパチンコ屋しかない田舎町で。でももしかしたら、君はポスターに描かれているのかも知れない。タバコ屋の売り子だけど、タバコではなく、コーラでも片手に、ビキニ姿で汗をかきながら、にっこりとセクシーに笑っているんだ。僕は何年か何十年かしたらそれを食堂の壁で見たことを思い出すのだろう。そしてその時それを食い入るように見つめる。思春期の特徴のひとつの形態として、ひと目を憚りながら。














 でも僕は、激しい、公開の、場にいた。人々は待ち望んでいたからだ。既に痴呆になって、よだれを垂らしている者さえいた。人々は閉じた指に親指だけを伸ばし、それを下に向けて激しく拳を上下させている。このままではいけない。何かを変えなければいけない。すると君が現れた。尖った言葉をしていたが、パーソナリティはそのふくよかなお尻と同様に丸かった。濃霧注意報が発令された夜に、湖の先まで行った。君と僕。僕と君。混沌と静寂。静寂と混沌。僕は君が携帯の明かりを一度も灯さなかったことに感謝した。その後に、暗闇に入り込み、互いを見つめ合った。そこにお互いがいることを信じて。輪郭。虫と鳥の声。月明かりを交差させる黒い雲の流れ。時間は過ぎていった。










 




 白アリ駆除の業者の人が家に来た。1時間ほどで仕事を済ませて帰っていった。この家に白アリはいない。それでも奴はやってきたのだ。つまらなそうな顔で僕を見て。白アリに対して見せる表情の方が、僕に対して見せる表情よりも顔が輝いていたことだろうに、と僕は思った。












 


 するとどうだろう。奴が帰って行って凡そ20分後くらいに、外で激しく物がぶつかる音がしたのだ。僕は何事かと、ベランダに出て通りを見た。道路の先に、人間がひとり倒れているのが確認出来た。その数十メートル手前にタンクローリーが停車していた。そのすぐ後ろには2、3台の車が斜めになって停車していた。動いているのは対向車線を走る車だけで、それでもまるで何事にも触らぬかのように恐る恐ると徐行して通り過ぎていった。最近やたら交通事故を目の当たりにする機会が多い。俺と関係でもあるのか。まさか。勘弁してくれ。すると約10分後くらいになって救急車輛のサイレンが聞こえてきた。だがそれまでの間に、僕は隣の部屋のベランダに住人がいることに気づいていた。見ている方向と反対の隣室だったから、最初は気付かなかったのも当然だったかも知れない。相手と目が合い、彼は僕に軽く会釈した。僕も釣られるようにそうした。すると彼は目で軽く合図するかのように事故現場を促した後に、視線はそのままで、僕に言った。














 「わたしはタンクローリーに轢かれるところを見ていたのですが、あの男は、自分から轢かれようとして、道路に飛び出していったのですよ」

 「本当ですか?」

 僕は吃驚して思わず問い返していた。すると男は言った。

 「本当も何も、彼は自殺する為にそうしたのですよ」

 僕がどう言っていいのかわからずにいると、隣室の男はつづけた。

 「どうやらあなたは知らないと思いますが、彼は死んで当然の人間だったのですよ」

 「え?」

 「ほら、ごらんなさい。近くにいるあの野次馬共たちも、スマホで写真なんか撮っているでしょう。中には笑っているひともいますよ」

 僕は黙っていた。何が起こっているのか追いつけなかったこともあるが、確かに、よく見てみると、隣室の男の言う通り、まだ男が倒れている周りには、待ってましたと言わんばかりに、いつの間にか野次馬たちが集まって、携帯電話を顔の前にかざしていた。

 「でも」

 黙っている男に対して、耐えられない居心地の悪さを振り払うように僕は男に言った。「ああいった連中は昔からいるでしょう?どこにでも」

 「あの男は死んで当然だった男です」

 男が僕の言ったことなど聞いていなかったかのように話しはじめた。「だからもう、人々は安心しているのです。まるで大昔のローマの暴君がリンチを受けて殺されたようにね。あれだって同じですよ。あなたは知らないようですが、あの男は、生きていてはいけなかった人間なんですよ」

 隣人は軽く笑って僕に笑顔を見せた後、背伸びをして部屋の中へ入っていった。僕はまだ事故現場を見ることにした。そんなことがあり得るのだろうか。あの男は一体何者だというのだろう。あんな言われようがあるものなのか。しかも瀕死の状態の人間に対して。そこまであの男は何か悪い奴だったのか。やがて救急車が到着し、倒れている男を担架に載せ、車に乗せた。僕は部屋の中に誰にも見られないように戻った。急に隣人が怖くなったのだ、。すぐにインターネットで車に轢かれた男のことを検索しようとしたが、検索方法がわからなかった。代わりに、隣人のことを調べてやろうと思い、検索しようとしたが、名前がわからなかった。玄関に行き、音がしないようにそっと、重いドアを開けて、すり足で先ほどの隣人の男のいた部屋の、手前まで来た。部屋番号だけで名前はなかった。仮に名前があったとしても、そんなもの知ったところで何にもならないと、今更のように気付いた次の瞬間に、隣室のドアが開いた。僕は心臓が止まりそうになるくらいの恐怖を感じた、だが出て来たのは女だった。あの男の嫁か彼女だろうか。僕は素知らぬ振りを装い、視線を宙に彷徨わせたまま通り過ぎようとした。するとその女が言った。

 「助けて」

 「え?」

 僕は思わず言った。

 「助けて」

 女が繰り返し小声で言った。そして続けた。「わたしを連れてって欲しいの」

 「なんだって?」

 「お願い」

 女がそう言うと、速足でエレベーターへと向かう僕のすぐ後ろについて来ていた。僕がエレベーターを待っている短い時間の間に、女は僕に、車でどこかへ連れていって欲しいと言った。もうここには戻らない。どこか遠くへ。我々はエレベーターに乗っていた。僕は女に言った。

 「わかった」














 女は袋から馬鈴薯のスナック菓子を出して食べはじめていた。カーテレビを点けて、お気に入りの番組が見られると、カーセックスよりも簡単な操作ねと言った。僕は先ほどの事故現場を通り過ぎた。すると女は突然笑い出した。シートベルトが伸縮した。スナック菓子が数枚床に落ちた。そして暫く黙った後に彼女が言った。

 「自殺したあの男いるでしょ」

 「ああ」

 僕は取り敢えず頷いた。

 「あいつ死んで当然の男だったのよ」

 「そうなの」

 「そうよ」

 テレビを見ていた女はまた大きく笑った。

 「そうよ」

 少し後に女が繰り返した。その後いくら車を走らせても、女はもうその話しは興味が無いようだったから、僕も尋ねるのを止めた。やがて夜が来た。見知らぬ土地のとある道の駅の駐車場で、我々はカーセックスをした後に、後ろのスペースで抱き合い、毛布に包まって眠った。最初はセックスの余韻もあり、暫くはじゃれ合って寝付けなかった。だがふたりとも疲れていたのか、案外簡単に眠りに入っていった。そして僕は夢は見た。翌朝になって君も夢を見たのかと女に聞いてみた。女は曖昧な返答をした。僕も自分の見た夢の内容が、潮が引いていく見知らぬ海岸のようにまるで思い出せなくなっていたから、それでその話しは終わった。まだ早朝だったことを思い出して、我々は再びカーセックスをした後に、車を走らせ、適当なコンビニに寄っておにぎりとお茶を買って食べた。

 食後に女が僕に言った。

 「これからどうするの」

 「どうしようか」

 「わたし、この町のタバコ屋で働こうと思う」

 「何故タバコ屋なの?」

 「ほかに思いつけないから」

 女が僕に訊いた。

 「あなたは?」

 僕は前から思っていたことを言った。

 「あの男のことを調べる」

 「あの男って?」

 「あの死んだ男だよ」

 「死んだ男?」

 女は言った。

 「昔から男も女もたくさん死んでいるでしょ。なんでそんなのに拘るの?」

 「不自だからだよ」

 僕は言った。

 「当然死すべき人間って、一体何の話しなんだ。おかしくないか」

 問うでもなく、僕がひとりごちるようにそう言うと、女が当たり前のように言った。

 「そういう風になっているし、みんながそういうからでしょ。当たり前なこと言わないで。面白くないから」


 






 




 


 女に別れの手紙を送った後に、彼は埠頭から北行きのフェリーに乗船した。明日の昼頃には目的地に着く。着いたら列車に乗り、あのサイロを目指せばいい。かなり歩くだろう。何てシンプルなのだろう。それだけで、俺の人生は完結するのだ。彼はそう思った。その誰にも知られない白いサイロの中には部屋がある。必要なものはすべてそこに揃っている。あそこで冬を過ごす。雪と樹氷に閉ざされた白一色の世界の中で、いったい誰があの白いサイロを見分けられるというのか。誰にも見つけることは出来ない。誰にも。俺は閉じ篭る。誰にも邪魔されない。もう既に雪が降り始めているかも知れない。急がなければいけない。そうしなければ、この俗悪な世界へと戻されるからだ。もう見切りはつけていたのだから。ずっと昔に。思い出せないくらい遠い過去に。




 








 彼は今夜も部屋のなかでひとり酒を呑んでいた。突然いなくなった妻のことなどどうでもよかった。あんな尻軽女はさっさとこの家と彼の世界からいなくなるべきで、実際にそうなって清々していたところだった。あとは時間が解決してくれるだろう。ベランダに出て氷の入ったウイスキーのグラスを傾けた。事故現場の方を見つめた。隣の部屋の住人はあの事故以来部屋に居ないようだった。彼は明かりの気配の感じられない暗い隣室の方を見て思った。タバコに火を点け、驚いていた隣人の顔を思い出した。それを思い出して、彼は思わず笑っていた。低く、鼻で軽く。タバコを灰皿に消し、部屋に戻ろうとした時、背後で何かの気配を感じた。疾風でも起こったのかと、後ろを振り返ろうとしたが、その前に、もの凄い勢いで何者かに抱き寄せられるように背後から立ったまま引き摺られるように、ベランダの欄干まで引き寄せられると、そのまま頭から手摺を乗り越えられて宙に弾き出された。間もなくマンションの下からドスンという音がして、やがて通行人によって発見され、救急車が到着した頃には既に彼は死んでいた。彼が死ぬ間際に、瀕死の状態で誰にともなく言った言葉があった。

 「あいつだ」

 しかしそれは誰の耳にも聞こえなかった。その時にはもう既に、スマホのシャッター音に囲まれながら、彼は死んでいったからだ。














 白アリ駆除の業者の男は高速道路を西に走らせていた。彼にとって、秋葉原と乃木坂以外の地名性はどうでもよかった。アイドルが然るべき場所にいる場所でさえあればそれでよかった。そんな空間にしか興味が持てなかった。ずっと昔から。彼が贔屓にしている萌えキャラは声優のちくこちゃんだった。今その可憐な声が業務用のバンの、劣悪なスピーカーを通して聞こえ出してきた。








 「はーい。ちくこちゃんで~す。みんな元気にしていたですか?あ?

 さて、今日も、ちくこちゃんの占いがはじまりまっするぅ~。うーん・・・

 今日のラッキーアイテムは




 白アリでっしゅ♡うふん






 うびゃうびゃうびゃぴーうひゃうはびー!ハッピー!!






 男は次の瞬間、恍惚感の余り、ハンドル操作を大きく誤り、ガードレールを突き破って、崖の下に車ごと転落していった。その後車は燃えた。












 


 山中にある、その古い民家では、家主が、いつまで待っても来やしない白アリの業者に苛立ちを覚えはじめていた。八王子にある白アリの会社に電話しても、連絡がつかないらしい。しょうがないので、書斎に閉じ込めておいたセフレの大きな尻を平手で何発か叩くことにした。ふたりにとってはゲームの再開だった。そして腹癒せでもあった。すると女は恍惚とした表情でシニアの男に向かって再び絶叫したのだ。














 僕は逃亡先のホテルで、途中どこかの書店で購入したミラン・クンデラの存在の耐えられない軽さを読み終えた後、隣で眠っている女に気付かれないようにそっと、部屋を出た。女からすべてを聞いたからだった。しかしそれ以外の理由もあった。秋の虫の声しかしない寝静まる深夜の駐車場に降り立ち、静かに灯る常夜灯の下に停めてある車に乗り、エンジンをかけて、そっと、何食わぬ顔でホテルを出た。そして以後、過去には戻れない道のみを選択し続けた。












 目が覚めるまで。

























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