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怪物少女の無双奇譚《フォークロア》  作者: あかなす
第三章 衆合地獄篇

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衆合地獄 36

 酩帝街北区、境界付近。酔っ払いがうっかり侵入しては二度と帰ってこれなくなることも珍しくない酩帝街の北区。その入口付近、中央区の道から繋がった境界付近にあたるこの場所には、これ見よがしに「この先北区につき立ち入り注意」といった張り紙や看板が乱雑に設置されている。更にその周囲をA型バリケードが取り囲むことで、北区は事実上の立ち入り禁止区域となっていた。


 とは言え、実際に禁止しているわけではない。首切れ馬の来訪を迎える必要もある為、入口として用意された道は塞がれてはいない。北区には入ろうと思えば誰でも入れる。ただ、入れば二度と目が覚めないというリスクを誰も保障などはしてくれない。完全な自己責任である。

 そんな境界付近、バリケードに腰掛けている黄昏愛の姿があった。一ノ瀬ちりの指示通り、酩酊の影響が強く及ばないこの境界付近にて待機しているわけである。


 一ノ瀬ちりが単身で座標に向かってから、数時間が経過した。黄昏愛の体調も随分マシになったものの――すると今度は一ノ瀬ちりの身が心配になってくる。赤いクレヨンの遠隔操作で連絡を取ると言っていたが、それすらも未だに送られてくる気配は無い。愛の黒い瞳は僅かな不安の色を宿し、濃霧の向こう側を見つめている。


 もしも『禁后パンドラ』のような罠に引っかかってしまって、身動きが取れる状況に無いのだとしたら、今すぐに助けに行かなくてはならない――が、現実問題として愛が北区に向かうのは不可能に近い。

 そう、信じる他無いのだ。酩酊に耐性のあるちりですら攻略出来ない罠を、今の愛と九十九がどうにか出来るわけもない。自分達がこの街から出られるかどうかは、ちりに懸かっていた。


「……………………」


 他人のことは信用出来ない。


 地獄に堕ちたことで、記憶を欠損した黄昏愛。しかしどういうわけか、その価値観だけは忘れること無く、身に沁みているようだった。

 誰のことも信用出来ないから、等活地獄では会話を諦め、一方的に略奪してきた。その所業を反省こそすれ、今でも後悔はしていない。

 だって身に沁みたその生き方自体を否定してしまったら、それはもう自分ではなく別の誰かのような気がして。


 そんな矢先、愛は二人の少女と出会った。彼女達との出逢いによって、『あの人』以外の誰かに頼るということを覚えた。

 黒縄地獄では九十九を信じ、そしてこの衆合地獄では、ちりを信じている。信じることが出来ている。相変わらず、他人のことは信用出来ない。それはやはり、否定出来ない。


 ならば九十九とちりは他人ではないのか。他人ではないというのなら、自分にとって彼女達は何なのだろう。少なくとも身内のように感じつつはあるが、どうも今ひとつしっくりこない。もっと明確な呼称があるのではないか――


「…………あっ?」


 などと、ぼんやり考え事をしていたその矢先。不意に視界の端に捉えた――赤い影。それを認識した瞬間、愛の意識は叩き起こされたように現実へと引き戻されていた。


 地面を踏み鳴らす音と共に、濃霧の奥から微かに浮かぶそれは、間違いなく人影だった。その赤い染みのような影は、白い世界の向こう側から愛の居る方向へ徐々に浮かび上がってくる。


 ちりだ。赤い少女が無事に帰ってきたのだ――そう確信した愛の表情は思わず明るくなっていた。椅子代わりにしていたバリケードから身体を離し、人影の方へ足を向けて――


「………………………え」


 ――けれど、それ以上前に踏み出すことはなく。次第にその全容が見え始めた人影の姿を目前にて確認して――愛の表情から先程の明るさは疾くと消え失せる。


 それは、確かに一ノ瀬ちりだった。間違いない――その全身を顔まで真っ赤な血に塗れた状態でも、愛がその面影を見間違うことはなかった。血だらけの彼女を、同じく赤に染まった何者かが担いでいる。霧の向こう側から、それは現れた。


「よォ、ぬえの怪異」


 シスター・フィデス。全身に返り血を浴びて真っ赤に染まった修道服のその女は、片手にちりを担いで、ここまでやってきたのである。


「……………………そのヒトに何をしたんですか」


 フィデスに担がれているちりがまるで微動だにせず、呼吸はおろか心臓の音すらも聞こえないことを、愛はすぐさま察知して――虎のような鋭い瞳孔で、フィデスを睨みつけた。その昏い声のトーンは、この街に来て以降久しく聞く機会の無かった――警戒心剥き出し、暴走一歩手前の音。


 愛の周囲に漂う霧が一気に濃くなっていく。酩酊によって瞬く間に愛の頬は朱に染まったが――そんなことは些細な問題ではないとでも言うように、愛はフィデスを睨むことを止めようとはしなかった。


「オイオイ、そりゃないゼ。せっかくココまで運んできてやったッてのにヨォ」


 明確な敵意を向けられて尚、フィデスは飄々と薄ら笑いを浮かべるばかり。愛の眉に刻まれた皺はますます深くなっていく。


「まずは事情のヒトツでも聴いてみるつもりはないのカ?」


「事情? お前がその人の返り血を浴びている事情をですか?」


「早計だナァ。まだコイツの血だって確証は無いだロ?」


「ニオイで解りますよ、それくらい」


「ククッ……血のニオイまで嗅ぎ分けられンのかヨ。成る程、確かに便利な異能ダ。まア……それでもアタシはキサマに興味なんざ微塵も湧かないがネ」


 依然、まるで隠そうともしない露悪的な面持ちで――フィデスは突然、会話の途中、担いでいたちりの身体を宙に放り投げた。


「……ッ!」


 愛は咄嗟に駆け出して、その身体を受け止める。ちりの身体は冷え切っており、やはり呼吸はしていない。死んでいる。それは間違いない。問題は、その死因だった。


「これは……!?」


 服ごと斬り裂かれたちりの腹部には、見るも無惨な傷痕を残していた。そこからぼとぼとと、依然血が溢れ出している。その死因は誰の目に見ても明らかで、だからこそそれはこの街において問題以外の何物でもない。


「赤いクレヨンはゲームをクリアしタ。この街からいつでも自由に出られるゼ」


 動揺する愛を差し置いて、フィデスは端的に結果のみを挙げ連ねる。軽薄さの滲み出た微笑を変わらず貌に張り付かせて。


「詳しい話はソイツを蘇生させてからゆっくり聴いてみるとイイ。その便利な異能で治してやれヨ。輸血なんて朝飯前だロ?」


 少女の屍体を抱きしめたまま、愛は咄嗟に顔を上げる。しかし既にフィデスはその場から修道服を翻し、再び霧の中へと姿を暗ませようとしていた。


「待ちなさい! お前は一体……ッ!」


 しかし今の愛には、それを止める術は無い。追いかけようとした矢先、酩酊によって膝から下の感覚が希薄となり、それ以上前に進むことは出来なかった。

 恨めしそうに睨み付ける愛の視線を背中で受けながら意にも介さずに、そうしてシスター・フィデスはそれ以上の言葉を残すこともなく、北の白い世界へその姿は融けて消えゆくのであった。


 ◆


 昇る。昇る。


 赤い天蓋より伸びる数多の黒い細腕が、少女の身体を上へ、上へと引っ張り上げていく。

 少女が目を開くと、其処は黒い世界。何も無い暗闇の中、悶え苦しむような無念の声だけがどこからか聞こえてくる。天地の逆転した其処で、少女は宙に浮かんでいた。頭上には黒い大地が在り、足元には赤い太陽が在る。


 このまま身を委ねれば、きっと天にまで昇っていくのだろう。そうなれば、二度と目を覚まさないで済むのだろう。それもいい。元より少女には生きる意志などさらさら無い。

 その人生に意味など無かった。少女にとって生は罰であり、死は正しく救済であった。何度転生したところで、生きたいなどと願うはずもない。生きとし生けるもの全てを少女は恨み、妬み、蔑んだ。そこには当然、自分も含まれていて。


 何でもいい、早く楽になりたい――間違いなく、そう思っていた。そのはずだ。それなのに、嗚呼。少女は気付く。気付いてしまう。


 ――果たして、自分にそれが赦されるのだろうか。

 死が救いだと言うのなら。生きることが罰だと言うのなら。救われてはならない。償わなければならない。自分は、生きなければならない。


 突如として少女は自身に纏わり付く腕を振り払い、宙で藻掻き始めた。

 下へ、下へ。自ら沈んでいくことを望むように、血塗れの両手で闇を掻き分ける――


 ◆


 一ノ瀬ちりが意識を覚醒させた瞬間、まず視界いっぱいに飛び込んできたのは、蒼白の肌をした黒い少女の顔だった。


「あぁ……よかった、目を……っ……まったく、心配掛けさせないでくださいよ……」


 黄昏愛。ちりの右手は、彼女の両手に包まれていた。死に体であるはずのちりより更に低い体温が、触れ合う皮膚から微かに伝わってくる。ちりは自分がどうやら仰向けになっているらしい事に気が付くと、咄嗟にその赤い瞳で周囲を見渡していた。


 内装からしてホテルの一室のようだが、自分達が拠点としている部屋ではない。どこか別のホテルの部屋に運び込まれたらしい。カーテンの隙間から微かに射し込む赤い月光が、薄暗い部屋を淡く照らしている。

 ベッドの軋みを背中で感じながら、ちりはその場から起き上がろうとして――直後、頭を打ち付けられたような目眩に、全身の力が一気に抜ける。ちりの軽い身体は、再びベッドに沈み込んでいた。


「だめです、動かないで。まだ本調子では無いでしょう」


 ベッドに横たわるちりを、その右隣で愛が窘める。ベッドの横で膝を折りその場にしゃがみ込んでいる愛は、その両手でちりの肩を軽く抑え、ベッドに寝かしつけようとした。

 愛の言う通り、ちりの身体はまるで本調子ではない。それどころか最悪だった。とにかく目眩が酷い。全身の感覚は希薄で、まるで自分の体が自分の物では無いようである。


「オレは……どうなった……?」


 答えを求め彷徨うように、その赤い視線は弱々しく、目の前の黒い少女に向けられた。


「……シスター・フィデスが」


 それに応じるように、苦い顔を浮かべながらも黄昏愛は言葉を紡ぎ始める。


「あの女が、あなたを担いで北区の境界付近にまでやってきました。その後に、私があなたをこの場所に運び込んで、その身体に治療を施しました」


 愛の言葉を受け、それに感化されたように、あの時の情景がふつふつと蘇ってくる。『あの場所』で起きたこと全てを現実として、一ノ瀬ちりは確かに記憶していた。

 思い出してすぐ、ちりは自分の身体に視線を落とす。そこで自分が上半身の服を脱がされていることに今更気が付く。『净罪』によって傷付いたちりの腹部には、白い包帯がこれでもかと言うほど巻き付かれていた。


 どうやら愛は異能によって輸血を施し、更に糸を編んで傷口を縫い付け止血をしたようだった。加えて怪異元来の自然治癒力によって脳死状態が回復、ちりは一度死んだ身でありながら早々に復活を遂げることが出来ていた。傷口に当たる部分には血が若干滲んでいるものの、それ以上の出血の心配も無さそうである。


「一体何があったんですか……どうしたらそんな身体になってしまうんですか……!」


 再び目の前、愛の方へ視線を移す。愛の表情は明らかな困惑を示している。


「今のあなたの身体は異常です……! あなたの身体の中には……()()()()()()()()()()()……!」


 あの部屋で、酩酊への耐性と引き換えに、ちりは体内の臓器をひとつ失った。そして其処で繰り広げられたフィデスの説明にやはり偽りは無く、净罪によって失われたソレは今も彼女の体内に還ってきてはいないようだった。


「私が異能で複製したソレを移植しようと、何度接合を試みても……引っ付かないんです。まるで見えない何かに拒まれてるみたいに……」


 あの黄昏愛ですら焦燥する程の、理解が及ばぬ異常事態。酩帝街のルールどころか、この地獄そのもののルールを逸脱した怪現象。

 そんな呪いのような現象を、小さな身体ひとつで背負っている当の本人は、見ている者が不安になる程に落ち着き払っていた。事実、この街に来てからどこか霞んだようだった思考が、今では明瞭に晴れ渡っていて――雑音に塗れていた心の内は、すっかり静けさを取り戻している。


「どうにか傷口だけでも塞ぐことは出来ましたけど……その部分だけ何故か自然治癒が働いている様子も無いし……この現象は一体……あの女に何をされたんですか……っ!」


「……そう、か……」


 それでも未だ拭えぬ目眩すら、諦めたように受け容れて。


「……わかった。説明させてくれ。あの場所で起きたことを……」


 あの場で起きた出来事の全てを、彼女はその口から粛々と紡ぎ始めるのであった。


 ◆


「…………そんな、ことが」


 ちりの味わった壮絶な体験は、どうやら愛の感覚からしても受け入れ難いものだったようで。一部始終の説明を聞いた愛はしばらく言葉を失っていた。


「つーわけで……ミッションコンプリートだ。いつでもこの街から出られるぞ、良かったな」


「え、でも……酩酊しないのは、あなただけですよね……?」


「嗚呼、だからオレがおまえら二人を担いで駅まで運ぶことになるな」


「あ、なるほど……」


 頷いてみせる愛だったが、その表情はちりから見ても解るほど、すっかりしょぼくれてしまっていた。


「……ごめんなさい。あなたにだけ、そんなものを背負わせてしまって……」


 もしかしたら逆だったかもしれない。一ノ瀬ちりはただ偶然にも、酩酊への耐性を元々持っていたというだけ。そんな偶然に左右されたばっかりに、一ノ瀬ちりは永遠に癒えない傷を背負うことになったのだ。何かが違っていればその傷を負うのは愛だったかもしれない。さしもの愛もそこに罪悪感を覚えずにはいられないようであった。


「オレが勝手にやったことだ。おまえが気にする必要は無い。そんなことより、オレからも聞きたい事がある」


 その一方で、当人はまるでけろりとしていた。あっけらかんと、ともすれば軽薄さすらも感じるほどに。自分自身のことだというのにまるで意にも介していない様子で、ちりは次の話題に移ろうとする。


「痛みをあまり感じないんだが、これもおまえの仕業か?」


「生物毒を調合した麻酔を打ち込んでいます。今はそれで痛覚を麻痺させていますが……一時的なものです。定期的に打ち込む必要がありますので、その際は私に申告してください」


「……成る程な。それでか……」


 思い出すだけでも怖気が走る程の激痛が今ではすっかり鳴りを潜めているのは、どうやら麻酔による影響のようである。代わりに得も言われぬ目眩が続いているが、治療に因るものか傷に因るものか、いずれにせよ後遺症ということだろう。


「あと……治療中、心臓マッサージと人工呼吸を繰り返していたのですが……強く胸を圧迫しすぎて、アバラを何本か折ってしまいました。ごめんなさい」


「おぉ……それは別にいいけどよ。いや、迷惑掛けたな。悪い」


「いえ……ともかくそういう状態なので、しばらく激しい運動は厳禁です。安静にしていてください。……あ、ちなみに人工呼吸に関しては唇NGということでしたので、口から私の触手を入れて肺に直接酸素を送り込みました。安心してください」


「それはそれでどうなんだ……?」


 ベッドの上に仰向けのまま、ちりは改めて自分の体をまじまじと見つめていた。あれだけ血に汚れていた全身が綺麗に洗って拭き取られているところから鑑みても、愛は随分と熱心にちりの治療と看病をしてくれたようだ。

 怪異の身体ならば何もせず放っておいても、自然治癒の機能によっていずれ蘇生には至る。その自然治癒を待つよりも早く蘇生出来たことからも、愛の施した処置が的確である証左でもあった。


「つーか、前から思ってたけどよ……おまえ、生前は医者の卵だったのかもな」


 握り締める手の感触を確かめながら、率直に思ったことを口にする。


「道具があるからって、そもそも扱う知識が無いと手術なんざ普通出来ねえだろ。動物の種類にもやたらと詳しいしよ……それとも高校ってのは、そんな専門的な事まで教えてくれる場所なのか?」


「いや、それは……うーん……でも……そうですね。経緯は覚えていませんが……知識は確かにあります。体に染み付いている、と表現した方がより正確でしょうか。将来はそっち方面に進もうとしていたのかもしれません」


「ほーん……」


 もし本当に医者を目指していたのだとしたら、志半ばで死んだということになる。聡明な彼女の末路として、それはあまりにも勿体ないような気がして――ちりは逡巡したのち、すぐさま次の話題を切り出すことにした。


「オレを此処に運んでどのくらい経った?」


「半日ほど……拠点の分身には既に連絡済みです。……ちなみに、九十九さんはまだ目覚めていないようです」


「……そうか。あいつはあいつで、呪いで弱った身体が酩酊の影響を強く受けちまってるのかもしれねーな」


「そうですね……しばらく様子を見ましょう」


「まァ、酩酊の効果は階層を跨がないらしいし……いざって時は寝てる間に街の外まで連れ出しちまえば大丈夫だろ」


 しかしこうして思い返してみると、次の階層へ向かう頃には結局毎回死にかけている芥川九十九と一ノ瀬ちりである。階層を渡る者が皆が皆このような目に遭っているわけではないにせよ、どんな階層くにだろうと地獄はやはり地獄なのだった。


「で、いつ出発する? オレはいつでも良いぜ」


「……良いわけないでしょう。まだ安静にしてないと駄目です。この街から出るのは……あなた達が回復してからにします」


「そうか? おまえがそれで良いなら別に良いんだけどよ。……随分とお優しいんだな。叩き起こされるもんだと思ってたぜ」


「私を何だと思ってるんですか。まったく……」


 ベッドの上で身動き一つ満足に取れないにも拘わらず、そんな軽口を叩いてみせるちり。そんな彼女の様子を愛は呆れたように溜息を漏らしていた。


「……っと。あァ、そうだ」


 そんな会話の流れで、ふと思い出したように、なんでもないことのように――


「净罪のこと、九十九には黙っててくれ」


 思わず聞き逃してしまいそうなほど、あまりに軽い切り口で。彼女は唐突に、そんなことを口走る。


「――――は?」


 それに対して、黄昏愛――聞き返すその口調は、どこか乱暴で。困惑と怒りを滲ませた瞳孔、獣の如く開かせる。一瞬の静寂が生まれた。赤と黒の視線が混じり合い、数秒。


「どうしてですか?」


「わざわざ言う必要も無いだろ」


「黙ってる必要も無くないですか」


「あいつの足手まといにはなりたくねぇ」


「なにをバカな……!」


 ちりの貌から表情が消える。乱れた赤い髪、汗の滲んだ頬に張り付かせて――


「九十九のことが大切なんだ」


 ――そして、ただ一言。


「頼む」


 それだけだった。それ以上、彼女は何も言わなかった。

 ちりの深く昏い地獄のような感情を、今の愛には到底測れない。しかしそれがただならぬ想いであるということは、ひと目見て理解した。その一言で理解した。


「…………はぁ。わかりました。あなたとの秘密ばかり無駄に増えていきますね……」


「……すまん、助かる」


 理由は解らずとも、気遣うことは出来る。誰しも他人には言いたくない秘密の一つや二つはある。余計な心労を掛けたくないという想いもあるに違いない。

 とは言え、納得したわけではない。到底出来るはずも無いことだったが――それでもどうにか、愛はちりの想いを汲み取ることにした。嘘を嫌う彼女にしては珍しく、空気を読んで。それ以上の追求は止めることにしたのである。


「…………私も流石に疲れました。少し休みます」


「おう、世話になったな」


 屈んでいた膝を真っ直ぐ伸ばし、立ち上がる。丸一日ちりの看病に徹していたのだ、流石の愛も精神的に堪えたようである。そんな愛を送り出すつもりで声を掛けたちりだったが、愛は立ち上がった後その場から離れようとはせず、その黒い視線をちりの方へ静かに落としていた。


「…………ちょっと、ずらしますよ」


「あ?」


 すると愛はおもむろに、ちりの身体を両手で押して左へと動かし始めた。ちりの身体は壁際まで追いやられ右隣に出来たそのスペースに、愛は腰掛ける。そしてそのまま愛は身体をベッドにゆっくりと沈み込ませたのだった。赤と黒の視線が再び混じり合う。同じベッドにふたり、少女が並ぶ。


「……いや、なんで添い寝……?」


「仕方ないでしょう。この部屋、ベッドがひとつしか無いんですから。それとも私に床で寝ろと?」


「……拠点に戻れば良くね……?」


「殺しますよ」


「なんでだよ……」


 愛からすれば偏にちりの身を案じての事でもあったのだが、ちりにはいまいちピンときていない様子で。ムスッとした表情を向けてくる愛に対し、ちりもまた訳がわからないとでも言いたげな困惑の表情を返すのだった。


「あ~誰かさんのことを夜通し看病したのでとても疲れましたね~。もう一歩も動けません~」


「わかったわかった……勝手にしろ……」


 どうしても拒否したいという理由も無し、諦めて天を仰ぐちり。目眩だけは依然収まらず、それもまた諦めて瞼を閉じる。


 静寂はすぐに訪れた。彼女達の疲労は本物で、静けさに耳を傾けているとすぐに睡魔がやってくる。意識は次第に遠のいて――


 先へ進む為の切符カギを巡る激動の数日間は、こうして幕を閉じたのだった。

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