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怪物少女の無双奇譚《フォークロア》  作者: あかなす
第三章 衆合地獄篇
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衆合地獄 24

 ライザ・スターリナ・クロヴォプスコフ。彼女は当時、焦熱地獄の植民地と化していた第一階層・等活地獄の管理を羅刹王より仰せつかり、任される立場にあった。


 と言っても、やることは生前から何も変わっていない。ただ、選別の作業が増えただけ。使えそうな者は生かす。それ以外は殺す。実にシンプルだ。

 自分はただ命令された通りにやるだけ。余計なことは何も考えなくていい。殺す。とにかく殺す。それでいい。それだけが自分の存在理由なのだから。

 幸い自分には才能があった。殺しの才能。お陰様で生前むかしから食いっぱぐれることは無かった。しかしそんなものを天職としていた時点で、凄惨たるあの最期は最早決まっていたようなものだったけれど――


 本編から一万と三千年前。地獄に落ちて早々に、ライザは羅刹王と出遭った。

 羅刹王。彼女に遭えば誰もが悟る。()()()()()()()()()。およそ神に等しい絶対的な存在だと。

 ライザには人殺しの才能があった。生きているのなら誰が相手だろうと確実に殺せる自負があった。そんなライザでさえ、羅刹王のことは一目見た瞬間に諦めた。

 自分ではアレを殺すことは出来ない。自分が殺せるのは人間だけだ。ヒトではないモノの殺し方を自分は知らない――


 その後、ライザは羅刹王の命令に従い、等活地獄の王として千年近く在り続けた。羅刹王の代理――『獄卒』として、人を殺し続けた。水を求める魚のような、まるでそうしなければ呼吸もままならないかのように。

 事実、人殺しは仕事である以前に彼女を苛む病となっていた。血に触れていなければ落ち着かない。ともすれば愉悦すらも感じるほどの中毒じみた呪いが、今の彼女の全てだった。


 これはまだ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()の話。


 ――そして。


「すっっっっっっ……………………ごぉぉぉぉぉ~~~~~~~~~~い!!!★☆★☆」


 その時代が終わりを告げる瞬間に、その日、彼女は立ち会った。


 等活地獄。当時は十六ほども勢力は分かれておらず、そこに棲む殆どの住人が、ライザ――即ち『光り輝くてい王』によって管理されていた。

 今日もいつものように、新たに地獄へ落ちてきた怪異を駅前で待ち構え、ライザは選別する。羅刹王にとって有益な異能を齎す者は生かして仲間に加え、それ以外の者は好きに処分する。たったそれだけの簡単なお仕事である。


「ここが地獄かぁ~~~~★ わぁ……ほんとにあったんだ……★ へぇぇ……なんというか……★」


 その日、猿夢列車に乗ってやってきたのは、一人の少女だった。

 透き通るようなスカイブルーの長髪、その毛先は美しいワインレッドに染まっている。女性としては平均的な身長で、グレーのパーカーに黒のショートパンツという特別目立つような着こなしではないにも拘わらず、そこから垣間見える絹のような白い肌と細く長い四肢、完璧に調律された無駄のない体型が人目を惹く。そしてオッドアイの両眼は星を散らしたような輝きを放ち、太陽のように周囲を照らす光を放っているようだった。


「……あんまり、歓迎されてなかったり……?★」


 そんな彼女の光に吸い寄せられるように集まってくる有象無象、怪異の群れ。血に飢えた獣のようにギラついた眼光、それら全てが霆王率いる軍隊の猛者達である。彼らに取り囲まれたそんな状況で、少女は苦笑いを浮かべていた。


「君は、どういう怪異だ」


 獣のような低い唸り声を上げながら、群れの奥から一人歩いてきたその女性。返り血で汚れた漆黒のスーツ身に纏う彼女こそは、ヒト呼んで光り輝く霆王ライザ。その澱んだ碧眼が少女を射抜く。


「あっ、はじめまして★ わたしの名前は――」


「名乗らなくていい。必要ない」


 少女の言葉を途中で遮るライザ。表情は無い。まるで温度を感じない、ぞっとするほど酷薄な眼差しのまま、少女を見下ろしている。


「君が何を依代とした怪異で、どういう異能を持っているのか。我々に必要なのはそれだけだ。返答次第では殺す。返答しなくても殺す。答えるなら早くしろ。答えないなら抵抗しろ。私はどちらでも構わない」


 体内電流を操作し反射神経と筋肉運動を極限まで強化したライザの肉体に死角は無い。誰も彼女の疾さには追いつけない。たとえ少女がどんな異能を持っていたとしても、その発動よりも速く少女との距離二メートルなど刹那の瞬間には詰め終わり、露出した肌に掌で触れればそれで終わり。

 ライザの肉体から電流迸り、青白い火花を散らす。殺意が目に見えるかのように、彼女を取り巻く空気は異様な重力を伴っていた。


「アッ……フーン……ナルホドネ……★」


 すっかり萎縮し切ったように、少女の発する言葉は見事なカタコトと化していた。青ざめた顔にはだらだらと汗が流れている。


「概ねロアちゃんから聞いてた通り……いやそれ以上……? 薄々察してはいたけれど……やっぱりそういう世界観かあ……★ まあ地獄だもんねえ……★ でも初めての異世界転生としてはちょっとハードモードすぎない……? あはは……は……★」


 少女は萎縮しつつも、おどけた口調でライザに話しかけていた。わたしに敵意はありませんよ、とアピールするように。冷や汗だらけの顔で、それでも懸命に、柔和に微笑みかけている。

 しかしライザは眉一つ動かさない、無表情のまま。目の前の少女を睨み続ける。周囲を取り囲む怪異の群れも同様に、刺すような視線を少女に向けていた。


 血に飢えた獣の視線。そうしなければ生きていけなかった者達の視線。それらを一身に向けられた、その少女は――


「…………うん。でも、そっか。そうだよね…………」


 張り詰めた空気の中、少女はひとり呟き、瞼を閉じた。地獄に落ちる途中、猿夢列車の中でロアから聞いた話を反芻する。地獄という場所が、どういう世界なのか。そこに棲む者達が、どういう生活をしているのか。

 こうして実際に目の当たりにして、確信する。ここがどうしようもなく、その名に相応しい地獄であるということを。


「こんな世界で、ずっと暮らしてたんだよね……だからみんな、そんなに……」


 もう一度、目を開ける。目の前にあるものを取りこぼさないように、目一杯に視界を広げる。


「みんな……飢えて、渇いて……辛そうな顔」


 先程まで萎縮していた彼女の表情は、すっと熱が引いたように鳴りを潜めていた。唇をきゅっと結んで、覚悟を決めたような眼差しを向けている。

 ともすれば、これから自分の身に起こることを受け入れた、死刑を待つ者のように映るかもしれない。実際、ライザの目にはそう映っていた。掌の中で電流がバチバチと、行き場を求めて火花を散らす。


「――うん。よくない。こんなの、やっぱり……よくないよね。…………よーしっ!★」


 そうして、今にも飛び掛かろうとしていたライザの前で、その少女は――何を考えているのか、満面の笑みを浮かべるのだった。

 生前より、季節のようにころころと移り変わるその表情は、観る者全てを虜にしてきた。特に晴れ渡る夏の空のような弾ける笑顔は――戦時中、銃を持つ兵士が引き金を絞ることさえ忘れ、見惚れてしまうほど。

 場所も時代も関係なく、彼女はいつでもどこでも咲き誇る。求める者がいるのなら、どこへだって駆け付ける。それがたとえ地獄だろうと。その身命を賭してでも。みんなの笑顔を守るため。


 そう、何故なら彼女は――


「戦争なんてくだらないぜっ★ わたしの歌を聴けえっ★」


 どうしようもなく、アイドルだったのだ。


 花の咲かぬ地獄の土壌に、鮮やかな青い薔薇が咲き誇る。薔薇の少女が奏でる音色は、天使すらも魅了する。歌は霧となり、等活地獄の全てをその隅々まで覆い尽くしていった。


「っ……なんだ……これ……」


 ライザはその場から動けないどころか、膝から崩れ落ちていた。頭が回らない。手足の感覚が無い。異能が使えない。何も出来ない。辛うじて呼吸をすることだけが許されている。

 どうにか視線だけを動かして周囲の様子を窺おうとするが、状況がまるで解らない。気が付けば世界は白い霧で満ちていた。自らが率いる怪異の兵隊達はその全員がその場に倒れ、意識を失っているようだった。


 この事態が少女の異能による影響であることは状況的に見ても間違いない。早急に手を打たなければならない――そこまで解っているのに、身体が動かない。動かそうとすると力が入らなくなる。

 そもそも少女が歌い出すよりも速く、ライザは駆け出したはずだった。ライザの脚力ならば少女との距離を詰めるのにコンマ何秒と掛からない。

 それなのに、否それ以前に、ライザは勿論その場に居た全員が動けなかった。駆け出したと思い込んでいたのは自分だけで、実際は足に力が入らず、気付けば膝を地につけていた。まるで世界がそれを許さないように――未だ理解が追いつかぬまま、ライザはただただ呻き声を上げることしか出来なかった。


 そんな中、不意に冷たい何かが、ライザの頬に触れる。それは空より舞い降りて、触れた瞬間に溶けて消えていく。それは雪だった。歌う少女を祝福するかのように、それは突然降り始めた。

 しんしんと降り積もる雪の中、少女は歌い続ける。その頬は艶やかな朱に染まり、白い世界の中でその笑顔は一層煌めいて映った。


「…………――――」


 その姿に、ライザは不覚にも目を奪われていた。この状況で何を安穏と眺めている。異常事態だ。すぐにこの場から離れ、羅刹王に報告しなければ――

 そこまで理解してなお、ライザは動けなかった。確かに少女の異能によって身動きを封じられているが、それ以上に――少女の歌う姿から、片時も目を離したくない。そう思ってしまっている自分がいる。


 嗚呼、このまま永遠に。何もかも忘れて、聴き入っていたい――


「おえええええええええええええええええええええっ★」


 しかし、その願いは叶うことなく。不意に歌うことを止めた少女は唐突に、その場で嘔吐したのだった。


「……えっ?」


 あまりにも予想外の展開に、ライザは思わず間抜けな声を上げる。


「うえぇ……こんなの聞いてないよお……★ 歌うだけでも酔っ払っちゃうなんてえ……★」


 酔っ払う――その言葉で、ライザはようやく気が付いた。確かに今自分の身に起きている症状は、酩酊のそれと似ている。冷静になって感覚を集中させてみると、突然発生した霧や雪からは確かにアルコールのニオイが漂っていた。

 周囲に倒れている怪異達も、どうやらただ眠っているだけのようである。怪異達の寝顔はどれも頬を真っ赤に染めていて、穏やかな表情をしていた。


「ふう……★ あっ……ねえっ、そこのあなた★」


 ライザと視線が合った瞬間、少女は何の躊躇いもなく近付いてきた。白いスニーカーが軽やかに大地を蹴る。目の前まで接近してきた少女の容貌に、ライザは再び目を奪われていた。天使がいるならこういう姿をしているのだろう、と思ってしまうほどの美貌。酒の肴とするにはあまりにも華やかすぎる。


「ごめんねっ、ちょっとだけお話、聞かせてくれないかな★」


 紫のネイルに彩られた小さな手が、ライザに向かって差し出される。この少女は一体何者なのか――少なくとも羅刹王に匹敵する規格外の存在であることだけはライザにも解った。


「……君は……一体……」


「おっ★ やっとわたしに興味持ってくれたね★ それじゃあとっておきの口上、いっちゃおうかなー★」


 にひひ、と悪戯な笑みを浮かべて。少女はその手でピースを形作り、自らの顔の前に掲げてみせる。


「わたしの歌で身も心も酔っちゃって★ 地獄に舞い降りた堕天使★ あきらっきーです★」


 これがライザと、少女――如月きさらぎ暁星あきらのファーストコンタクトだった。


「あき、らっきー……?」


「あ、やっぱりわたしのこと知らないんだ★ 結構昔のヒトだったりしますか? 昭和とか? 平成だと嬉しいな……いやそもそも日本人じゃない? ていうか言葉通じてるっ!? わたしこれでも世界中飛び回ってたから七ヵ国語くらいなら喋れるけど……えっと……ハロー★ ニーハオ★ コニャニャチワ★」


 あきらっきーと名乗る少女は、途端に額に汗を浮かべ、わたわたと身振り手振りで話しかけてくる。二転三転する彼女の表情、ともすれば誰よりもこの状況に動揺を示しているようなそんな姿に、返ってライザの方が先に落ち着きを取り戻し始めていた。


「……少し、落ち着いてくれないか」


「あぁあっ、ごめんねっ★ ごめんなさいっ★ ()()()()にもよくダメ出しされるんですよね……普段は陰キャのくせにスイッチ入っちゃうと距離の詰め方がエグいって……★ いやそんなこと言ってる場合じゃないですよねこの状況……えっと、こういう時は……わたし、また何かやっちゃいました?★ なんて……あはは……」


 酒吞童子の怪異としての、あきらっきーの異能――その階層に居る全ての者を酔い潰す盛者必衰の理は、彼女が地獄に落ちた時点で既にその効力を発揮していた。全てを停滞させる酩酊の気候は、あきらっきー本人の意思とは無関係に常時発動する。


 怪異は自分の異能を直感的に理解する。あきらっきーも当然自分の異能が齎す効果を知ってはいた。しかしまさかここまで強力な効果だとは思ってもみなかったのだろう。あるいはそのせいでライザを怖がらせてしまったと思ったのか、敢えてフランクな口調で喋りかけているようだった。


 しかし懸命なその姿は、少なくともこの少女が敵意を持って今の状況を故意に造り出したものではないという証左でもあり――殺しが最優先事項であるはずのライザの手を止めるには充分で。


「……わかった。話をしよう……」


 そして二人は話し合った。あきらっきーは自身の異能の正体を、ライザは地獄の現状を、お互いに情報を共有し合う。


「うーん……なるほど。つまり……」


 地獄の現状を聞いた彼女は、悲痛な表情を浮かべていた。想像を絶する状況に、その美しい顔が苦々しく歪む。


「その、羅刹王さん? が、今の地獄を支配していて……争いを増長させているんだね」


「……彼女は民を必要としない。彼女が求めるのは兵力のみ。彼女は文明を必要としない。彼女が求めるのは殺戮のみ。彼女の殺戮から逃れるには、自分が彼女にとって有益な兵力となり得ることを証明するしかない。だから争いが絶えない。どの階層でも誰もが殺し合っている」


 この時代の地獄に国境は機能していない。羅刹王は国を造ろうとはしなかった。故にどの階層も等しく、戦火の灰に埋もれた荒野のみが広がっていた。

 ヒトが満足して生きていけるインフラなど整っているはずもなく、常に誰かの悲鳴が風に乗って聞こえてくる。肉を灼き焦がしたような死臭がそこら中から漂ってきて、ヒトの住む場所とは到底呼べない環境だった。


「私は彼女に選ばれた。地獄に落ちた者を選別する『獄卒』の役割を命じられ、これまで数え切れない程の人間をこの手で殺してきた。そうしなければ私が彼女に殺される。私は彼女に逆らえない……」


 そんな環境でライザは千年もの時間を過ごしてきた。そのうちに人間らしい感覚など忘れてしまって、ただ殺し続けるだけの機械と化していった。


「……だが誤解しないでほしい。もともと私は殺人鬼。私にとって人殺しなんてものはただの趣味に過ぎない。獄卒という役割も、所詮は趣味の延長だ。だから、これでいい。これだけが私の生き甲斐なんだ。……私にはもう、これしか無いから」


 そう、これしか無い。だから、これでいい。このまま心が灰になるまでその身を焚べ続け、そうしていつしか自分が何者だったのかも忘れ、廃人は地獄の土へと還る。殺人鬼には相応しい末路だろう――


「趣味を仕事にするのって大変だよね★」


 次に口を開いた時、彼女は今日見せてきた中でもとびきり愛らしい――穏やかな微笑を浮かべていた。


「趣味としてなら楽しいことでも、それを仕事にした途端なんだか窮屈に思えてきちゃったりするじゃない? まあそれがプロになるってことでもあるし、だからこそやり甲斐があるって気持ちも分かるけどね★」


「……何の話だい?」


「あなたの話だよ★」


 膝をついたライザと視線を合わせるように、彼女もまたその場にしゃがみ込む。


「今のあなたは、趣味を仕事にしてる。でもそれって、あなたの意思じゃないよね? 羅刹王さんにお願いされたからやってるんでしょ? ()()()退()()()()()


「……退屈……?」


 交差する視線。酸いも甘いも呑み干したような海原が、オッドアイの中で静かに揺らめいている。


「だって――自分にはもうこれしか無い、なんて。そんなのなんだか、自分にそう言い聞かせて退屈を諦めてるみたい。やっぱり趣味も仕事も、自分が楽しいと思えることをしなくちゃ★」


 それは彼女の持論でもあった。好きなことを自由に出来ない、そんな世界を壊す為に――現世の彼女は実際に立ち上がったのだ。

 配信者ストリーマーから始まり、芸能人アーティストとしてメディアに露出、やがてはアイドルとして全世界にその名を轟かせた彼女――『あきらっきー』の言葉は力強く、自信に満ち溢れていた。


「……楽しいとか、楽しくないとか……そういうことじゃないだろう」


「そう? わたしはそういうことだと思うけどなあ。だって笑えてないよ? 好きだから趣味だったんでしょ? 仕事になってもそれは変わらないはずなのに、今のあなたは笑えてない。楽しそうには見えないよ?」


 この手の話題に正解など無いのだろう。自分は自分、他人は他人。各々が各々の生き方を模索して、人生は紡がれていく。自分が何をしたいか、何が愉しいと感じるかなんて、自分以外に決められる者などいない。自分の生き方は、自分で選ぶしかない。

 たとえそれが不自由な結末を迎える選択だったとしても、自分で選んだ道ならば、それは自由なのだ。大事なのは自分で選んだかどうか。自分の選択以外で自由は得られない。


「本当はやりたくないんでしょ? あなたがしたいのは趣味であって仕事じゃない。だから今のあなたは自由じゃない」


 今のライザは自由ではない。世界がそうだから仕方ない、羅刹王に命令されたから仕方ない――そうやって自分の意思以外の介入によって選ばされた道に、自由は無い。たとえやる事は変わらなくても、自分の意思でやるのと他人にやらされるのとでは違う。自分で選んだ不自由は面白い、他人に選ばされた自由はつまらない。


「……だったら、なんだって言うんだい?」


「もっと楽しいことをしよう! イヤならやめちゃっていいんだよ! 人生で一番大切なのは、自分が今何をしたいか★ それだけなんだから★」


 極論だ。如月暁星という個人の思想に過ぎない。そんな綺麗事が罷り通るほど、現実は甘くない――けれど、それを『綺麗事』だと思わされている時点で。それが、『そうだったらどれほど良かったことか』、という理想であることには違いなくて。その事実を如月暁星は言葉によって突きつけてくるようだった。


「……皆が皆、自由に生きられるわけじゃない。こんな地獄じゃ生き甲斐もない。それでも生きる為には嫌なことでもしなくちゃいけない。それが現実だ」


「えぇっ、そうかなあ? そういうものなのかぁ……うーん……」


 困ったように眉を下げ、むむむと唸り声を上げる暁星。赤と青の視線が、見えない答えを求めるように、虚空をしばし彷徨っていたが――


「あぁ、そっか★」


 ――腑に落ちたように、頷く。一体どこに答えが書いてあったのだろうか、と思わずこっちまで空を見上げてしまうほど、彼女は呆気もなく見つけてしまったのだった。ともすれば、この世界の真実を。


「うん……わかっちゃった。わたしが地獄に落ちた理由……ううん、わたしが生まれてきた理由……★」


 そして如月暁星は立ち上がった。その右手の人差し指が、星も見えない赤い空の果てを指差して――高らかに宣言する。


「宣誓っ★ わたくし、如月暁星は、この世界のみんなにとっての生き甲斐になってみせます★ 差し当たっては――この地獄から戦争を無くすぞ~っ!★」


 言葉を失う。一言一句、彼女の言葉は意味が解らなかった。だってそれは、酩酊が見せる幻覚で、酩酊が聞かせた幻聴だと思いたくなるほどの――世界で一番の綺麗事。


「だから――わたしと一緒に、来てくれませんか★」


「…………は?」


「えへへ……閃いちゃったんだ★ この世界から戦争を無くす方法★ だから、その為に――あなたの力が必要なんです★ 協力してほしいなっ★」


「…………………………………………」


 やはり、わけがわからない。まるで宇宙人から意味不明な言語で一方的に話しかけられているかのような感覚。そんな彼女の言葉から、ライザは辛うじて意味を汲み取り――自分が今、いわゆる雇用のスカウトをされている、という所までは把握したのだった。


「……私に何をさせる気だ。……私に誰を殺させたい」


「ん!? えっ!? 違うよっ!? あなたのその異能――掌がバチバチってやつ! それ、電気を生み出せる異能なんでしょっ?★」


 ライザは自分の右手に視線を落とす。触れた者を一瞬で感電死させる程の電気量を操る異能。この力で数多の怪異を殺してきた。この力を、羅刹王は人殺しの為に使えと言った。この力は人を殺す為に存在する。それ以外の意味は無い。この力を求める理由なんて解り切っている――


「世界平和を目指すにあたって、まずこの世界に必要なのは――やっぱりインターネットだよね★」


 ――しかし如月暁星。彼女はこの力を、インターネットの為に使えと言った。


「……………………いんたーねっと?」


「ほら、インターネットって電気で動いてるでしょ? だから電気、必要でしょ? ね★」


 電気云々とか最早それ以前の問題である。


「ちょ、ちょっと待ってくれ……」


「あ、もしかしてインターネットをご存知ない? インターネットってめちゃめちゃすごいんですよ★ 世界中の人達といつでもどこでも繋がれちゃうの★ インターネットさえあれば、この世界のヒト達みんなにわたしの歌を届けられる★ 世界平和には絶対に必要だよね★」


「い、いや……そうじゃなくて……!」


 酩酊で思考が鈍る。彼女の言葉を聴けば聴くほど目が回る。殺意も敵意も戦意も、存在意義すらも削ぎ落とされた今の自分に出来ることなど何も無い。戦闘不能だ。彼女には勝てない。それを現在進行系で、嫌というほど思い知らされている。しかしそれでも、これだけは絶対に聞いておかねばならぬという意思が、ライザの口を動かしていた。


「……本気で、言っているのかい? そんなことが、本気で……叶うとでも?」


「うん★ わたし、やるって決めたことは絶対にやるよ★ 確かに大変な道のりになるとは思うけど……でも今回は勝算が無いわけじゃないし★ だってほら、わたしの異能って世界平和の為にあると思わない?★ きっとわたしは地獄に落ちるべくして落ちたんだよ★」


 本気だった。全てを承知の上で、それでも彼女は本気で口にしていた。無謀な妄想ではなく、彼女なりの根拠と信念に基づいた目標として、それを掲げている。


「君は、本当に……一体……」


 一体、どういう人生を歩めばこんな人格が形成されるのか。一体、どんな最期を辿れば、ここまで夢と希望を純粋に信じられる善良性を身につけられるのか――

 否、違う。逆だ。彼女は善良などではなく、ただ自分の思うがままに行動しているだけで……自分がそうしたいからそうしているだけで。その本質は善良とは全く掛け離れた、狂気。それも呆れ返る程の、酔狂。


「というわけで、ハイ★ わたしからのプレゼン、おわり★ ごめんねっ、急にこんな話、びっくりしちゃうよね★ 返事はいつでもいいよ★ 無理強いはしないからね★」


「……無理強いは、しない……?」


「うん★ 協力してほしいのは本音だけど……決めるのはあなただから★」


 この日、この瞬間、ライザ・スターリナ・クロヴォプスコフは、如月暁星という巨星の齎す狂気に魅せられてしまった。

 彼女のことをもっと知りたい。その深淵を覗きたい。その結末を見届けたい。何より――殺し以外で自分を必要としてくれた、初めての依頼人である彼女の為に。私は、私に出来る限りの全てを捧げてでも、その夢を応援したい――


「…………ふっ。はは…………」


 否、それすらも建前になってしまうほど――もっとシンプルな動機がある。


「嗚呼……乗ったよ。その誘い。私、ライザ・スターリナ・クロヴォプスコフは……君についていく。そっちの方が……愉しそうだ」


 手を伸ばしても届かない、あの星の輝きに――私はどうしようもなく、恋焦がれてしまったのだ。


「わあっ……★」


 オッドアイの星が輝きを放つ。気付けば周囲の霧はその濃度を薄め、雪は降り止んでいた。


「あっ……でも、ほんとにいいの? 今更だけど……わたしについてきたら、それはそれで……あなたの趣味……ヒトゴロシ。あんまり出来なくなっちゃうかも……?」


「嗚呼……そうだね。それでも……」


 実際、今の彼女達が知る由もない事だが――ライザは()()()()()()()()()()、五千年以上もの間、殺人を封じることになる。地下闘技場の完成に至ってはもっと先の話だ。しかしそれも、ライザは覚悟の上である。


「その程度の不自由は許容しても良いと思えるほど、もっと素敵で愉しいもの……新しい趣味に、出逢ってしまった。君が言いたいのは、そういう事だろう」


 何故ならそれは、間違いなく自分の意思で選び取った、自由な不自由なのだから。


「おぉっ……!★ いい笑顔っ★ やっぱりあなたには笑顔が似合うね★」


 ライザの、自然と溢れたその笑顔に、つられて如月暁星の表情も更に明るくなる。


「うーん……でもこうして見ると、ライザちゃん……本当に顔が良いな……?★ 生前、どこかの劇団に入っていたりしてませんでしたか?★」


「フフッ……私なんて、星の輝きのような貴女の美貌の前では霞んでしまいますよ」


 ライザはその場に傅くように片膝を付け、微笑携えたまま如月暁星を見上げてみせる。その見惚れてしまうほど優雅な所作は、彼女が生前に培った技術の一つ……女性の標的は口説きながら殺すという、個人的な趣味によるものである。


「さあこの手を取って、我が主。今後の計画を練るにあたり、まずはお互いを知るところから始めましょう。落ち着いて語り合うのに相応しい場所を知っています、案内しますよ……フフッ……」


「わわっ!? ライザちゃんそういうキャラだったの!? だ、だめでーす! アイドルにスキャンダルはご法度なんだから!★」


 ライザに腰を抱かれた瞬間、暁星の周囲に再び霧が立ち込める。一瞬で酩酊の回ったライザの表情は青ざめ、その場に膝から崩れ落ちるのだった。


「クッ……フフッ……なかなかこれは、難攻不落だね……」


「うぅ……★ でもほんと、その顔の良さを活かさないのは勿体ない……あ、そうだ★」


 星が瞬くように、如月暁星の閃きは突如として降って湧いてくる。そして彼女はとんでもないことを口にするのだ。

 果たしてこれに慣れるのはいつになるだろう、と。ライザはまだ見ぬ明日を想い、笑みを浮かべるのだった。


「ね★ 楽器、何か弾けたりしませんか?★」


 かくして、物語は始まった。第一から第三までの階層を羅刹王の支配から解放し、羅刹王にこれ以上の侵略行為を中断させて――地獄の全人口とはいかずとも、その半数以上に衣食住を保障した楽園、のちに酩帝街と呼ばれる国家を築き上げた――怪物少女の無双奇譚は、ここから始まったのである。


 それから一万と二千年が経った現在。彼女の夢は未だ果たされていない。地獄から完全に争いを無くすという彼女の夢はまだまだ遠い夢物語で、その実現に向かって今も進み続けている。

 ちなみに。全階層にインターネットを普及させるという彼女の目標も未だ、達成されてはいないのだった。

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