表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
怪物少女の無双奇譚《フォークロア》  作者: あかなす
第三章 衆合地獄篇

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

80/188

衆合地獄 20

 酩帝街東区は他の区画と比べて、その存在そのものが一際異彩を放っていると言えるだろう。東区は丸ごと遊園地に改造されている。周囲には鉄線と鉄柵によって囲まれ、唯一の出入り口である正門以外からは侵入出来ないようになっている。まるでその区画自体が一個の王国のように、他区画とは一線を画していた。

 そして、そんな東区を統治しているのが、ヒト呼んで吸血皇女――拷问教會イルミナティが第五席、シスター・アナスタシアである。


 酩帝街では誰もが表現者になれる。街の発展に貢献するのであれば、基本的には何をしても許される。とは言え、酩帝街そのものの所有者は堕天王、如月きさらぎ暁星あきらだ。そんな彼女を差し置いて、アナスタシアは東区を手中に収めている。彼女はこの東区に帝国テーマパークを築き、そこの王を名乗っている。

 勿論、その所業を堕天王が、ひいては街の意思とも呼べる盛者必衰の理そのものが許しているからこそ実現出来ているというのは言うまでもない。アナスタシアの帝国テーマパークが齎す街への貢献度はそれほどまでに破格だということでもあった。


 とは言え、である。状況だけを見ると、それはやはり異常だった。ともすれば他階層からの侵略行為と受け取られても何らおかしくない状況のはずだ。あるいは――そんな状況が許されているという事自体が、拷问教會イルミナティという秘密結社コミュニティの真に恐るべき本質なのかもしれない。


  拠点ホテルを出た芥川九十九と黄昏愛の分身は、酩帝街東区――『死ねぬ(デス)子供のための(ティニー)遊園地(ランド)』にやってきた。唯一の出入り口である正門前までやってきた彼女達は、まずその人通りの多さに圧倒されることになる。

 開け放たれた正門の前には警備員と思しき制服が数十名配置されており、入り乱れる利用客が門の内側に入る前に何か赤い結晶のような物を手渡している。

 ほとんどの客はそれを素直に受け取り、そうして入場した園内からは歓声とも叫喚とも判別の付かない悲鳴がそこら中から聞こえてきていた。現世でも類を見ない程の賑わいに満ちている。


 ひとまず、人通りの邪魔になってはいけないと考えた愛と九十九は正門前から少し離れた通路の端で立ち止まった。そうして愛は懐から、以前ここに訪れた際に拝借した園内の地図を取り出し、両手で広げる。


「ここのどこかに、手掛かりがあるんだよね」


「そのはずです」


 四番目の座標は、間違いなくこのデスティニーランドの園内を指し示している。しかし具体的な場所までは解らない。そもそも手掛かりがどんな形をしているのか、九十九も愛も――今の時点では――知る由もないのだ。


「……全然関係ないんだけどさ」


 ふと思い付いたようにそう言って、九十九がその視線を園内の方に向ける。


「なんだろうね、あれ」


 釣られて愛も顔を上げる。九十九が何を見てそう言ったのか、愛にもすぐに解った。


 九十九の視線は遥か遠く、霧の中に浮かぶシルエットを捉えていた。そのシルエットは巨大なヒトのような形をしていて、それが園内の遥か遠くに聳え立っている。その巨大なヒト型物体を、九十九は当初園内のアトラクションかそれに類するモニュメントか何かだと考えていた。しかしその考えは一瞬で覆される。だからこそ九十九は疑問を投げかけたのだ。


 それは明らかに生きていた。正門前からでは距離の問題と霧によってその姿の全容を見ることは適わない。しかしそれは確かに動いていたのだ。その巨大な人影が足を動かすたびに、微かに地面が振動しているのを感じる。それは両手で巨大な棒状の何か――恐らく鉄骨のような物――を担いでいるようだった。


「あぁ、そういえば……西区の郊外、工事現場の辺りでも見かけましたよ」


「そうなの?」


「はい。でも……怪異、ですよね? アレ」


「んー……たぶん?」


「あんなのがいるんですねえ……」


「ね。すごい……なんていうか……大きいね」


「そうですねえ……」


 などと他人事のように言っているが、愛と九十九、御存知の通りこの二人もまたその気になれば一回りも二回りも巨大な怪物の姿に変身できる。そんな自分達のことを棚に上げて、遠くに聳え立つ巨人を物珍しそうに眺めているふたりなのであった。


「アレは『だいだらぼっち』の怪異だな。あ、いや……『がしゃどくろ』だったか? ……まあどちらでもよいか! ふはっ!」


 そして、そんな呑気な会話をしていた愛と九十九の前に、それは突如として舞い降りた。漆黒の修道服纏い、黒いマントを翻す金髪の少女。この帝国の主にして『吸血鬼』の怪異、シスター・アナスタシア。巨人に向けられていた二人の視線は一瞬にして、自分達の目の前に現れたその少女に釘付けとなった。


「えっと……?」


「九十九さん。この方が例の、シスター・アナスタシアです」


「うむ! 余がアナスタシアである! ようやく来たな幻葬王! 待ち侘びたぞ! くははっ!」


 女性の中では比較的高身長の愛と九十九、この二人に比べると、アナスタシアはその一回りも二回りも小柄で、一見しただけでは年端も行かぬ幼女にしか見えない。見た目にそぐわぬ大仰な物言いは、まるで子供が大人の真似をして背伸びしているようにも聞こえる。


 しかし、この地獄において外見だけで相手を判断するのは危険を通り越して愚の骨頂と言えよう。怪異の肉体は劣化しない。あるいは地獄に堕ちた影響で、怪異化による影響で、生前とは全く異なる姿形になる例もある。

 事実、一ノ瀬ちりがそうであるように。この幼女もまた、見た目からは到底想像出来ない程の暦と狡猾さを蓄えているのかもしれないのである。


「アレら巨人の怪異には、我が帝国テーマパークの改装工事を任せておるのだ。デスティニーランドはまだまだ大きくなるぞ! 貴様らも楽しみであろう? 余も楽しみだ! ぬわっはっはーっ!」


 さて、そんな彼女は一体どこから降ってきたのか。愛と九十九の様子をどこから見ていたのか。まるで見当もつかないがしかし、アナスタシアはふわり風を纏って愛と九十九の前に現れた。

 踊るように地につま先を着け、平らな胸を自信たっぷりに張り上げて、上機嫌な笑みを浮かべる彼女からは敵対心などは微塵も感じられず、ふたりを歓迎しているようだった。


「……そうか。ええと……ちりから話は聞いている。私に会いたがっていたと」


 未だ幻葬王と呼ばれることに内心些か戸惑いながらも、九十九は口を開いた。背の低いアナスタシアに視線を合わせる為、自ら膝を折り少し屈んでみせる。


「うむっ! 会って話したいと思っておった! 何と言っても禁域の怪異を相手取った大立ち回り、その武勇! 余は伝え聞いただけだが、それでもッ! 見事なり幻葬王ッ! 余はすっかり貴様のフアンになってしまったぞ! 願わくばこの目で直に見届けたかった! 嗚呼いや、あの場にいたら余もアレの狂気に充てられてそれどころではなかったか? くははっ!」


 まさに絶賛の嵐。捲し立てるように九十九を褒めちぎるアナスタシア、ぴょんぴょんとその場で飛び跳ねながら喜びを表現している。その様子に思わず目を丸くする愛と九十九だった。


「まあ立ち話もなんだ、向かいながら話そうではないか!」


 そう言ってアナスタシアは、おもむろに正門の方へと歩き始めた。まるで有無を言わせぬ元気溌剌さに圧倒され、ふたりはつい流されそうになって――


「む、向かうってどこにですか?」


 愛は辛うじて踏みとどまる。当然の疑問を投げかけられたアナスタシアは愛達の方へ再び振り返り、妖しげに口角を上げてみせ――


「この街から出たいのであろう? 街から出る方法自体は余にも解らんが、手掛かりならば知っておる。否、より正確に言うのであれば手掛かりの在る場所か。貴様らもそれを探しにきたのであろう。故に、余が直々にそこへ案内しようというわけだ! くっはっはーっ!」


  そう自信満々に告げる彼女を前にして、ふたりは思わず顔を見合わせていた。


 ◆


「……ひょっとしたら、誤解があるかもしれないから言っておくね」


 アナスタシアの後を追う形で、愛と九十九はデスティニーランドの園内に入場した。園内の人混みは想像を絶する程の賑わいだったが、アナスタシアを視界に入れた誰もがさながらモーゼの海割りの如く彼女の通る道を開け、愛達は何不自由なく道を通ることが出来ていた。


「禁域の怪異を倒したのは愛だよ。私は少し手伝いをしただけなんだ」


 その道中、九十九がアナスタシアの背中にそんな言葉を投げかけた。何やら自分ばかりが評価されているようで、どうも居心地が悪かったらしい。事実、九十九からしてみれば言葉の通り、自分は愛の助力に努めただけで、実際に禁域の怪異――歪神楽ゆがみかぐらゆらぎを倒したのは黄昏愛に他ならない。


「ふむ。しかし誤解などではないさ幻葬王。確かに直接トドメを刺したのはぬえの怪異だが、そこに至る決め手となったのは他ならぬ貴様だ。貴様がいなければアレを倒すことは出来なかった。そうであろう? ぬえの怪異よ」


 首だけを後方に傾けて、言ったアナスタシアは口角を上げてみせる。話を振られた愛は、僅かな逡巡の後、九十九の方を見ながらゆっくりと頷いてみせた。


「……そうですね。今ここにいる私は本体を複製した分身ですが、本体と同等の記憶を持ち合わせています。だからこそ言えますが、九十九さんがいなければアレを倒すことは出来ませんでした。あの鯨の怪物に邪魔をされ、アレに近付くことすら叶わず、勝負にすらならなかったのではないかと」


「であろう? 耐性があるわけでもなし、それでいてアレの狂気に耐え得る精神力。そしてあの()()()()の化け物――『白鯨』の分厚い肉壁を穿つその膂力! まさに悪魔的よな。まるで神話のようであったぞ! 余は興奮した!」


 白鯨――歪神楽ゆらぎが『くねくね』の異能によって造り出した人造怪異ホムンクルス。その存在規模スケールはあらゆる毒を喰らおうともそれが全身に回り切らない程に大きく、その肉体強度はあらゆる攻撃をも耐え切る程の頑健さで、完全に殺すことは不可能である。


 その上で多彩な攻撃手段を有するあの怪物は、さながら黄昏愛の『ぬえ』と芥川九十九の『悪魔』の能力を両方兼ね備えたような、規格外の怪物であった。

 ともすれば歪神楽ゆらぎ本人よりも脅威であると言えるあの怪物を正面から膂力のみで抑え込める怪異ともなれば、同じ規格外の膂力を誇る九十九以外にあの場においては存在しなかっただろう。


「そして勿論ぬえの怪異、貴様も見事な機転であったな。まさか悪魔を模倣するとは。余はてっきり、ぬえの怪異は現世における既存の動物にしか変身できぬものとばかり思っていた。余の知る限り、本来『ぬえ』とはそういう怪異ものだからな。それがまさか、あのような奥の手を隠し持っていたとは!」


 そして、そんな規格外の九十九を間近で観察してきたからこそ、愛は悪魔への変身を可能にした。そういう意味では確かに、芥川九十九のおかげで歪神楽ゆらぎを倒すに至ったという評価は決して過剰なものではなかった。

 それは愛自身も認めている点ではあったが、しかし同時に、釈然としないものもまた感じているようで。


「いえ、あれは……あの時は、無我夢中で……咄嗟の判断というか、発想の飛躍というか、ヤケクソだったというか……ひょっとしたら出来るんじゃないか、みたいな……ただの賭けでした。今同じ事をやれと言われても出来るかどうか」


「ふむ? それはそれで不可解だが……否、ある意味合点がいくか。当の本人にすら予想外の反撃にアレは対処し切れず、内臓への長い接触を許した結果、まんまと一服盛られたと。アレの敗因は悉くイレギュラーだったわけだ」


 愛の返答が些か予想外だったのか、アナスタシアは興味深そうに唸っていた。


「そもそもアレは戦闘慣れしておらん。強すぎるが故の未熟よ。まぁその性質上、無理もないことだがな」


「……強いとか弱いとか、そういう次元の話では収まらないような気がします。アレはどういう存在なんですか? 開闢王のことを、()()()()()などと呼んでいましたが……」


「うむ、余にも解らん! アレと開闢王に血の繋がりは無いはずなのだがな。旧くから何らかの因縁があるのは確かだが、それ以上のことは詮索せん方が身のためだ。アレは話題に出すだけで精神が蝕まれる故な」


 霧の漂う園内を迷いなく軽やかに進んでいた吸血皇女の足取りが、僅かに緩む。


「ともかく……並の怪異では、そもそもアレに近付くことすら出来ん。仮に近付けたとしても『白鯨』や『黒蛇』……アレがペットと呼ぶ人造怪異の化け物共が壁となり立ちはだかる。本来ならば勝負にすらならん。故に毒を喰らうという体験は、アレにとって未知であった。そんな未知の連続、偶然の連続が貴様らに勝利を齎したのだ」


 要するに、お前らの勝利はラッキー以外の何物でもないぞ、と言われているに等しいわけだが。愛も九十九もそれに関しては異議を唱えることすら出来なかった。事実、そうなのだから。


「それを踏まえた上で……余から貴様らに一つ、忠告である。もしこの街から出ることが叶ったとしても、貴様らに引き返すという選択肢は無い。前進あるのみだ。即ち、黒縄地獄には絶対に戻ってはならん」


 漆黒のマント翻し、アナスタシアはくるりと体を回転させて愛達の方へと振り返る。


「最強の怪異、という肩書きを聞いて誰を思い浮かべる?」


 後ろ向きに歩きながら、謳うように言葉を紡ぐその姿は、確かに吸血皇女の異名に相応しい麗しさだった。


「余は強き者が好きだ。故によく考える。何を以て最強と定義するのか? 例えば幻葬王、貴様の膂力は等活の地にて最強の名をほしいままにしてきたであろう。例えば堕天王、全てを酔い潰すその無敵ぶりも此処では最強の怪異と謳われておる。例えば開闢王、あれの異能は詐欺師にとってある意味最強の天敵であると言えような」


 そんな吸血皇女の赤い瞳が妖しく光る。見る角度によって色を変える、まさに宝石のようなその美しさに、目を合わせた誰もが見惚れてしまう。あるいはそれこそが吸血鬼の怪異としての特権なのだろう。そういう意味では彼女もまた、最も可憐という意味で最強の怪異なのかもしれなかった。


「余にとって最強とは、理不尽さだ。そういう意味でアレは別格なのだ。アレは間違いなく全階層、全怪異の中で最強といっていい。堕天王も、あの羅刹王でさえも、アレの『狂気』には耐えられぬ。まぁ、いざ戦闘となると話は多少変わってくるだろうがな。アレはアレで堕天王の『酩酊』に耐性があるわけでは無いし、そもそも羅刹王に至っては……否、それはさておき」


 禁域の怪異の名をはっきり口に出さないよう配慮してもなお、僅かに苛む頭痛を感じながら、九十九は吸血皇女の言葉へ静かに耳を傾けていた。


「繰り返しになるが、アレは戦闘において未熟である。遊びが過ぎるし、そもそも勝つことに拘りが無い。その未熟さこそがアレの唯一の弱点、付け入る隙だったわけだが――しかし。そんなアレが、とうとう敗北の味を知った。自分の弱点を知った。未知は既知となってしまった」


 園内の奥へと進むにつれて、周囲漂う霧もまた濃くなっていく。周囲のアトラクションの数も徐々に少なくなって――


「そう、真に恐るべきはアレにまだ成長の余地があるということだ。加えて、アレは執念深い。もしも貴様らが再び黒縄の地へ足を踏み入れることがあれば、奴は貴様らの臭いを辿って禁域より自ら地上へ這い出てくるだろう。成長した最強の怪物が、今度は遊び無しの全力で、貴様らを負かしにやってくる。これ以上の理不尽はあるまい?」


 霧の向こうにやがて見えてきたのは、競馬場。巨大な球場のドームからは割れるような歓声が虚空に響き渡るようである。


「アレが使役する人造怪異は全部で七騎。『白鯨』『黒蛇』『()』『()』『()()』『()()』――そして『()()』。それら全てが一斉に解き放たれたなら、その階層セカイは跡形も無く滅びるであろうな。無論そんな事はあの開闢王が許さんだろうが、それに近い事態は起こり得る。本気を出したアレと勝ち負け出来る怪異など、余の知る限り……まぁ、シスター・マルガリタくらいなものか」


 そんな競馬場を通り過ぎて、愛達を連れたアナスタシアは更に奥へと突き進む。ここまで来ると流石に人通りも減ってくる。自分達は一体どこへ連れていかれるのだろうか。そんな一抹の不安が一瞬、愛の脳裏をよぎって――


「……んん?」


 と、不意に。アナスタシアの雑談になんとなく付き合っていた愛が、思わず唸り声を上げていた。つい聞き流しそうになっていたが、よくよく聞くととんでもない事を言っているのに気付き、愛の思考は慌てて現実に戻ってきたのだった。


「ちょっと待ってください、今なんて言いました? マルガリタ? あなた達の仲間ですか? ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……?」


「おおっと、失言失言! 今のはオフレコで頼むぞ。ふははっ! ともかく、命が惜しくば戻るな。肝に銘じておくがよい! くははっっ!」


「えぇ……?」


 まるで悪びれもせず、呵々大笑するアナスタシア。マルガリタという人物に、愛は黒縄地獄で会っていない。話に聞く限り、相当な実力を誇る怪異のようだが。ならば何故あの時、あれだけの騒動が起きていながら顔を出していないのか。詳しく問い質したいところだったが――


「くっはっはーっ!!」


 ご覧の通り、全力で誤魔化す気満々のアナスタシアである。もうこれ以上話す気が無いであろうことを悟り、愛もまたそれ以上の追撃は我慢して飲み込んだのだった。


「とまぁ、多少身内贔屓に色々言ってしまったがな。余は貴様らを評価しておるのだ。特に幻葬王、余は貴様を気に入った! その武勇は称賛に値する。故に――」


 そんなアナスタシアの歩みが、ようやく止まる。舞うようにその金髪を靡かせて、その指を前方へ向けた。


「余は貴様を、()()することにしたのだ」


 アナスタシアの指の先に愛達もまた視線を向けると――そこには何の変哲もない、一棟の高層ビルが佇んでいた。

 ビルの中からは他のアトラクションと同様に楽しげな歓声が聞こえてきてはいるが、それ以上の大きさで、ビルの周辺では地鳴りのような震動音が響いていた。どうやら正門から遠くに見えていた、あの巨人たちの近くにまでやってきたようだった。ビルの背後で巨大な人影が蠢き、動くたびに地鳴りと金属音が遠くから聞こえてくる。


「ここは……?」


「百貨店だ」


 建物の名前を答え、アナスタシアは躊躇うこと無くその入口へと足を進めた。扉などは無い開け放たれた入り口には、アナスタシア以外にも園内の観光客が当たり前のように出入りを繰り返している。


「あの堕天王が直接監修の下、『Dope Ness Under Ground』や『如月きさらぎ暁星あきら』本人のファングッズも多く取り扱っている。余はあくまでも東区を間借りしている身である故な、奴の顔も多少は立てねばならん。実際客からの評判も良い……のだが……」


 何やら複雑そうな表情を浮かべているアナスタシアだったが、気にせず愛達もまた先へと進むことにした。ビルの中はその名の通り、ショーケースの中に堕天王の似顔絵やサインが書き込まれた多種多様なグッズによって埋め尽くされており、彼女のファンと思しき利用客が右往左往している。


 その人混みを避けながら奥へと進んでいくアナスタシアに、愛達は周囲を物珍しそうに観察しながらも付いていく。壁も床も天井もビビットピンクに染まっている内装は堕天王の要望なのだろうか、などと九十九がぼんやり考えていると、一階フロアの奥、突き当たりの壁に到着する。


 アナスタシアが壁に備え付けられていたピンクの引き扉を開けると、そこには非常用のものと思われる階段のあるスペースが広がっていた。アナスタシアに促されるがまま、愛は非常階段に足をかける。


「せめてこの配色はどうにかならんかと、何度も直談判しておるのだがなぁ……目が痛くてかなわん……」


「いいじゃないですか。ピンク。かわいいですよ」


 螺旋状に造られた非常階段を登りながら雑談を交わすアナスタシアと愛。その背中を見上げながら、九十九も階段をゆっくりと踏みしめていく。

 何の変哲もない階段を、ただひたすらに登っていく。二階、三階と登って、次は四階――といったところで、不意にアナスタシアが歩みを止める。


「うむ。ここだ」


 アナスタシアが立ち止まったのは、三階と四階の中間地点に当たる踊り場だった。剥き出しのコンクリートのみが広がる空間。特に変わったものは見られない。

 するとアナスタシアはおもむろに、踊り場の壁に向かって三回、間を置いて更に四回、ノックする。そうして五秒ほど、待っていると――


「おっ……」


 じわり、と。どういう原理か、壁から扉が浮かび上がってきたのだった。思わず九十九が声を上げる。


「秘密の入り口だ」


「うむ。だが驚くにはまだ早いぞ?」


 現れた秘密の扉に、アナスタシアはやはり躊躇わずそのドアノブを回転させる。扉は呆気ないほど簡単に開き、奥にへと進んでいく。


 ◆


「……おや、いらっしゃいませ」


 扉の内部は六畳ほどの小ぢんまりとした空間だった。部屋の中央に置かれた木製のテーブルの上には黒い革靴と、それを磨いたと思しき黒く汚れたタオルが散乱している。テーブルだけでなく、愛達が入ってきた入り口付近の靴箱、床や壁の材質に至るまで全て木製で造られたモダンな雰囲気のその一室の中央には――淡い照明の下、一人の黒髪の女性が椅子に座っていた。


 黒いパンツスーツをぱりっと着こなした彼女は、来客に気付くと少しずれていた眼鏡を掛け直し、椅子から立ち上がって愛達に向けお辞儀をする。


「うむ。今日もお勤めご苦労であるな」


「アナスタシア様。そちらの方々は……見ない顔ですね?」


「あ、どうも」


 女性の視線を受け、九十九もまた礼儀正しくお辞儀をする。


「…………」


 しかしただ一人、愛だけはそれどころではないといった風に、周囲に視線を配り続けていた。周囲に微かに霧が漂い始める。それは愛の警戒心が強まった証でもあった。

 愛達が入ってきた入り口の付近には、靴箱がある。よくある来客用の、靴を入れるスペースがいくつも仕切られた大きな棚である。靴箱のスペースは、その殆どが誰かの靴によって埋まっていた。靴箱には様々な種類、大小様々なサイズの、使い古されたそれらは――明らかに、あの女性の物ではない。


 しかしこの部屋にいるのは、自分達を除けばあの女性ただ一人。他に客はいないのに来客用の靴箱に靴が入っている、という矛盾に愛は気付き、声には出さずとも訝しげにその目を細めていた。


「うむ。今日は――()()()()()()()()()()()()


 そして、唐突に降って湧いたアナスタシアのその言葉に、愛は見開かせた黒い瞳をぎょろりと女性に向けた。愛にとって意外だったのは、アナスタシアの言葉を受けたその女性もまた、愛と同じように目を見開かせ、驚いたような素振りを見せている点だった。


「……左様でございますか」


 どうやら「靴を磨きに来た」というその言葉自体、文面通りの意味ではないようで。何らかの意図が含まれているであろうその言葉を聞いた女性は驚いたような素振りを僅かに見せるも、すぐに冷静さを取り戻したようだった。部屋の中央に陣取っていたその女性が、おもむろにその場から離れるように壁際まで移動する。


「どうぞ、こちらへ」


 そうして女性が部屋の中央から離れたことで、部屋の奥に位置するその壁に、扉が備え付けられていることに愛は気が付いた。女性はその扉の方へ手を向け、どうやら愛達にこの先へ進むよう促しているようだった。


「……大丈夫なんですか、これ」


 酩酊の影響を受けているとはいえ、もともと警戒心が人一倍強い愛である。愛は九十九を庇うように一歩前に出て、アナスタシアに向けて些か強い語気で声を上げた。


「くふふ、安心するがよい。取って食いなどはせん。それに――――ひっく」


 言葉の途中、奇妙なしゃっくりを上げるアナスタシア。振り向いたその顔を見て、愛も九十九もようやく気が付いた。いつの間にかアナスタシアの頬はすっかり紅潮していた。酩酊している。つまり――何かを企んでいる。


「貴様らに引き返すという選択肢は無い。前進あるのみだ。そうであろう?」


 直後、扉の奥で「ごうん」と鳴り響く重低音。そして扉は、誰も触れていないにもかかわらず自動的に開け放たれた。

 開かれた扉の向こうには、ヒトが三、四人ほど入れるかと言った狭さの個室で――それは見るからに昇降機エレベーターだった。アナスタシアは歩みを進め、その中へと堂々侵入する。


 アナスタシアの言う通り、ここまで来てもはや引き返すことは出来ぬと悟り――愛と九十九、ふたりは顔を見合わせる。涼しげな顔で頷く九十九に、愛は小さく溜息は吐いて――ふたりはアナスタシアの後を追い、昇降機に乗り込んだ。


 女性は三人が昇降機に乗り込んだのを確認すると、その場で丁寧にお辞儀をしてみせる。


「……ご健闘を、お祈りいたします」


 自動扉が閉まる刹那、囁くようにそう言った彼女の表情は、何故だか、どこか儚げで。愛がその真意を尋ねる暇もなく昇降機の扉は閉まり、三人を乗せた箱はゆっくりと、下へ、沈むように動き始めたのだった。


 ◆


「どこに連れて行く気ですか?」


「そう身構えんでもよい。言ったであろう、取って食いはせんと。貴様らが挑んでいる謎の手掛かりも、この先にちゃんとある」


 沈み続ける箱の中、むすっとした表情を浮かべる愛の頬もまた、酩酊で赤く染まっていた。それに応じるアナスタシアもまた、赤い頬を二人に向ける。


「ただ、うむ。貴様らを利用しているのは確かだ。この街に居て尚、酔うこともままならぬ余が……存分に酩酊を許される、数少ない肴であるが故な。それにありつけると思うと、楽しみで楽しみで……故に酔っておる。無様を許せ」


「いいよ。よくわからないけど、何があっても私達なら大丈夫だから」


「くくっ! 流石に肝が据わっておるな幻葬王。ここまで招いた甲斐がある」


 昇降機の降下速度は徐々に落ちていく。地上のあらゆる音が遠のいて、静寂へと近付いていく。


「これより向かうは地の獄。我が帝国テーマパークにおいては、余の選んだ『強き者』にのみ、立ち入ることを許された――裏賭博の会場」


 やがて全ての動きが完全に停止すると、そうして目の前の扉は、再び開け放たれた。


「即ち――()()()()()であるッ!」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ