衆合地獄 7
これは夢だ。
ただの悪い夢。
「――ちり。私は多分、殺されたら死ぬぞ」
でなければ、こんなことがあっていいはずがない。
等活地獄。一度終わった者、二度と終わることのできない者、そんな屑共の掃き溜め。秩序なんて無い。皆等しく活き活きと、殺し合い、奪い合う。終わりのない、文字通りの地獄。そんな場所で、オレは希望に出逢ったんだ。
悪魔の如き力を持つ、無辜の怪物。誰もが畏れ平伏す、絶対的な王。強き者に絶望を齎し、弱き者に希望を齎す。きっと彼女ならば、全てを救える。あの日、オレにそうしてくれたように。彼女は、皆を救ってくれるに違いなかった。
名前の無い希望に、オレは芥川九十九と名付けた。その名を聞けば誰もが恐怖する。その名を聞けば誰もが安堵する。そんな絶望の象徴としての役割を、オレは彼女に押し付けた。無辜の怪物を、無垢の少女を、他ならぬオレが、悪魔の如き幻葬王に仕立て上げたのだ。
「――ちり。私は多分、殺されたら死ぬぞ」
知らなかった。怪異なのに殺されたら死ぬなんて。それなのに、今までずっと九十九は、命を削って戦っていただなんて。
そんなことも知らずにオレは、彼女の犠牲の上に成り立つ偽りの平和を当然のように謳歌していた。等活地獄に蔓延る十六の勢力、その一つ一つに九十九をけしかけて、皆の為に戦わせてきた。
戦う度に九十九は傷付く。死ぬとか死なないとか以前の問題だ。そんな当たり前のことを、オレは見ないようにしてきた。まるで悪い夢だ。こんな事が許されていいはずもない。 もし最初から真実を知っていれば、オレは九十九をこんな目には――
――いや。たとえ知っていたとしても、きっと何も変わらない。どんな出逢い方をしていても、オレはきっと九十九を利用していた。屑籠を造っていた。
一度の死が命取りになる。それでも芥川九十九は戦う。皆の為に、弱き者達の為に、屑共の為に、戦ってくれる。それが芥川九十九の役割だから。そう在るように、オレが仕向けたから。
オレは九十九が好きだ。
笑わない九十九が好きだ。
怒らない九十九が好きだ。
哀しまない九十九が好きだ。
楽しまない九十九が好きだ。
無垢な九十九が好きだ。
無欲な九十九が好きだ。
無知な九十九が好きだ。
孤独に戦い続ける九十九が好きだ。
誰にも理解されない九十九が好きだ。
幻葬王の芥川九十九が好きだ。
芥川九十九を等活地獄に縛り付ける為ならオレはなんだってやった。王としての役割と責任を押し付けた。仲間は守るべきものだと教えた。数え切れない程の嘘を吐いた。全部おまえの為だと言い聞かせて。二百年間、オレは芥川九十九を騙し続けた。
幻葬王には誰にも言えない秘密がある。
最初にその噂を流したのだって、オレなんだから。
全ては、芥川九十九を……オレだけの王様に、したくて……
「――ちりは、花というものを、知っているか」
何も知らなくていい。
笑わなくていい。
怒らなくていい。
哀しまなくていい。
楽しまなくていい。
ただ傍に居てくれるだけでいい。
「愛はきっと、私の知らない世界を知っている。私も、私の知らない世界を、知りたい。この目で確かめたい」
なのに。
「花を見てみたい。愛が何なのか知りたい。あの瞬間、そう、思ったんだ」
どうしてこんなことになった?
「ごめん。私、王様辞めたいんだ。本当は」
◆
これは夢だ。
ただの悪い夢。
「…………」
目を開けると、見知らぬ天井が一面に広がっていた。視線だけを動かして、周囲の様子を窺ってみる。
和風の小ぢんまりとした一室だ。窓は開け放たれ、暁の空から僅かな陽光が部屋の中を淡く照らしている。畳の上に敷かれた布団に仰向けで倒れている自分の身体を確認する。衣服に乱れは無いし、身体のどこも痛くはない。寝ている間に何かされたわけではなさそうだ。
ヒトの気配がして、視線を右にやる。同じ布団の上に並んで、黒い長髪のセーラー服の少女――黄昏愛がそこにいた。その更に右隣には、黒い短髪の黒ジャージ――芥川九十九。ふたり揃って、静かに寝息を立てている。
どうやら酒天童子の異能に酔い潰された後、眠っている内に此処まで運び込まれたようだ。自分だけが先に目を覚ましたのは、眠りが浅かったのか、酔いが回り切っていなかったのか――
「……………………」
――おかげで、悪夢を見る羽目になった。
否。自分でもよく解っている。悪夢でも何でもない、ただの現実だ。自分で選んだ道だ。今がその末路だ。黄昏愛がどうあれ、いずれこの未来は訪れていた。この地獄に本当の永遠なんてものは存在しない。解っていたんだ。解っていたのに。
それでも、離れたくない。離れ難い。変わらずその背中を追い続けていたい。恥知らずにも、そんなことを願ってしまう。祈ってしまう。縋ってしまう。嗚呼なんて、愚かで醜いことだろう。
これがオレの、罪と罰。
地獄よりも深く昏い、歪な愛の物語。
「…………………………………………」
再び目を閉じる。
いつか誰かが、自分を断罪してくれる日を夢見て――




