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怪物少女の無双奇譚《フォークロア》  作者: あかなす
第二章 黒縄地獄篇

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黒縄地獄 25

 肩に抱えた九十九を誤って落とさないよう慎重に、ちりは松明に照らされた廊下を進んでいく。しかし一歩踏みしめるごとに、その身体は大きくふらつき、呼吸は弱々しくなっていく。事実、今のちりは完全に疲弊し切っていた。一気に大量の血を失ったのだから当然である。怪異だからといって、構造は生身の人間のそれを再現したものに過ぎない。その顔はすっかり青ざめ、歩みは一歩ずつ、ゆっくり進むので精一杯だった。


 このままではちり自身も失血により行動不能となってしまうわけだが、無論こうなることも含めてちりは算段を立てていた。赤いクレヨンはその能力を解除すれば体内に同じ量の血が戻ってくる。そして一般的に人間が溺れた状態で意識を保ったまま耐えられる時間の長さは一分が限界であり、それ以上になると意識が停止し、心臓が停止し、やがて死に至る。ちりはエウラリアが行動を停止するであろう一分後に能力を解除して血を戻すつもりだった。


 ここまで、対エウラリアを想定したちりの作戦は上手くいっていた。順調過ぎる程に。


「……ァァァアアアアまぢなざああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああアアアアいィィィィィイイイイイいいいいッッッッッ!!」


 だからそれは、ちりにとって想定外の展開。唯一の誤算であり、最大の誤算だった。


 地べたに這いつくばろうとも。顔を血塗られ呼吸が出来ずとも。それでも前に向かって進み続ける。何故ならばシスター・エウラリア、彼女は『()()()()』の怪異なのだから。下半身が欠損した女の悪霊、テケテケの怪異とは元来――――足の代わりに腕で地面を這って移動するものなのだから。


 車椅子に乗れなければ追いかけてこられないだろう、と言う先入観。そして血で鼻と口を塞がれ溺れている状態であるにも拘わらず、それでも諦めない彼女の執念深さを計り損なった、一ノ瀬ちりのミスである。

 地を這う手が地に着くたび、床は割れ、震動がちりの足元に伝わってくる。それほどまでの怪力で以てシスター・エウラリアは追ってきていた。目も見えない。呼吸も出来ない。それでも前に進み続ける。侵入者を排除する。全ては開闢王の為に。地を這う無様を晒すことになろうと、シスター・エウラリアが諦めることは無い。


「ァあぁあああああああああああああああああぁあああああああああああああああああああアアアアアアアアアアアアアッッッッッッッッッ!!」


 真っすぐ。真っすぐ。一ノ瀬ちりの背後目掛け、一直線に突っ込んでくる。その突進を避ける余力は、もはや今の状態のちりに残されてはいない。


「クソが……ッ」


 あと十秒。あと十秒なのだ。予定ではあと十秒でエウラリアは意識を失い、自分は血を戻してこの場を切り抜けられるはずだった。そのたった十秒が埋められない。敵はもはや目と鼻の先にまで迫ってきていて、どう足掻いても自分が轢き殺される未来しか見えない。


 一秒後。確実な死がすぐ目の前まで迫ってきた、その刹那。一ノ瀬ちりがその時、血を失ったその頭で、咄嗟に思い付いたことと言えば。エウラリアの突進に巻き込まれないよう、九十九の身体を放り投げようとする事くらいで――


「ごめん」


 ――その時。不意に聞こえてきたその声が、言葉が、ちりの耳元にまで届いた瞬間。ちりの身体からずしりと感じていた重みが無くなって。直後、地盤を砕くような轟音が一際大きく、彼女の足元で響いていた。


「ギッ……………………ァ…………………………………………」


 あわや接触する寸前のところ。シスター・エウラリアは頭から地面に減り込ませた状態で呻き声を上げ、その動きを完全に停止していた。その光景を目の前に、ちりは大きく目を見開かせている。其処に立っていた、彼女の姿に目を奪われる。


「ちょっと、ねてた」


 まだ薬の抜け切っていない、泥の中にいるような身体に無理やり鞭打って。ふらつきながらもその場に立っている。そんな彼女は青白い肌に汗を滲ませながら、荒れた唇、その口端を僅かに上へと持ち上げて見せるのだった。


「九十九……っ!?」


 芥川九十九。彼女は昏睡状態から目を覚ましていた。と言っても、目覚めたのはほんの一秒前のことである。しかしその一秒で、芥川九十九は本能的に、一ノ瀬ちりに迫った危機を察知した。

 咄嗟にちりの肩を振りほどき、迫っていたエウラリアへ目掛けて振り返りざま、その拳を振り下ろしていた。その一撃で以てして、エウラリアを地面に叩き伏せたというわけである。


 九十九の復活。それを前にして、雲間に太陽が射し込んだように、ちりの表情が晴れ渡る――


「あ……っ」


 しかし同時に気が抜けてしまったのか、その直後にちりは倒れ込むようにして九十九の胸元に身体を預け、半ば抱き留められるような形となるのであった。


「わ、わるい――」


 血を失ったはずの青い顔に僅かな朱が差す。ちりは慌てて九十九から離れようと体を仰け反らせようとするが――


「ちり」


 しかし、九十九の力強い腕の中で、それは許されなかった。その小柄な身体を抱き締めながら、九十九は覇気の無い声色で囁くように息を吐く。


「無事でよかった」


「……っ」


 九十九の息遣いを肌で感じて、気付く。九十九がこれまで見たこともないような衰弱の仕方をしていることに。九十九が今日まで開闢王から受けていた拷問は薬物に依るもの。そしてそれは思いの外、九十九に対して有効的なダメージを与えていたらしい。無敵の芥川九十九にこんな弱点があったなんて――ちりは静かに奥歯を噛み締める。


「……ごめん。ごめん九十九、オレが捕まったせいで、こんな……」


 最初から拷问教會イルミナティの狙いは芥川九十九だった。あの時ちりが捕まっていなくとも、遅かれ早かれ衝突は避けられなかっただろう――が。それでも、下手を打って捕まった挙げ句、九十九を危険に晒した事実は変わらない。

 戦いになっても九十九がいれば大丈夫だろうという信頼は、依存の裏返しで。捕まっても『赤いクレヨン』で連絡が取れるから大丈夫だろうという自信は、慢心の裏返しで。責任を、感じずにはいられなかった。


「……ちりにはいつも、助けられてばかりだ」


「……は? 何言って……オレを助けに来てくれたのは、九十九のほうだろ……」


 ばつの悪い顔をするちりに対して、けれど九十九は、耳元でくすりと微笑うばかり。


「いや……助けに来たつもりが、結局こうして助けられてるし……私は何も……」


「結果的にはだろ……元はと言えばオレが……それにさっきのだって……!」


「いやいや……」


「いやいやいや!」


 犬も食わないような痴話喧嘩の後、一呼吸ほどの間を置いて。ちりの顔にも、ようやく微笑が戻ってくるのだった。


「はァ……とにかく今は、急いで此処から離れようぜ……」


 寄りかかっていた身体を少し離して、ちりは再び九十九に肩を貸した。既に異能は解除して、体内に血を戻している。肌の色は徐々に健康的なそれに戻り始め、意識も明瞭となっている。


「愛は」


 ちりに肩を借りて少しずつ歩みを進め始めた九十九が、その時ふと、その名を口にした。


「愛は、大丈夫かな」


「……大丈夫だろ、アイツなら」


 ちりはその歩みを緩めること無く、ただ面白くなさそうに鼻を鳴らす。


「……そうだ、このままオレたち二人だけで次の階層に向かったっていい。アイツは強いから、一人でも平気だろうし……て言うか、そもそもだな……別にオレ達がアイツの人探しにこれ以上付き合ってやる義理は……!」


「いや。それはだめだ」


 魔が差したようなちりの言い分を、しかし九十九ははっきりと否定した。


「私は、花が見たい。色々な世界を見てみたい。何より……愛のことを、もっとよく知りたい。そう思ったから、そう思えたから、ここまで来れた。だから、先に進むなら、三人一緒がいい」


「…………」


 ――そんなにアイツのことが気になるのかよ。


「……そうか。そうだったな。悪い悪い。ンじゃ、次の階層行きの駅前で落ち合うとしようぜ。気が済んだらその内ふらっと戻ってくるだろ、アイツなら…………」


 何でもないような素振りで、乾いた笑みを張り付かせながら――松明で仄かに照らされた暗い道を、ふたりは進んでいくのだった。


 ◆


 実験室へ繋がる廊下は一本道で、そこを抜けるとあの交差点のような大広間に辿り着く。そこから先の道のり、地上へ続くルートはちりにとっても未知である。ならばどうやってこの地下迷宮を脱出するのか。そこで鍵となるのが、黄昏愛だった。

 あの黄昏愛が素直にこの迷宮を道なりに進んでいるとは思えない。恐らく壁を破壊し、無理矢理にでも道を切り開いて進んで来ているに違いない。そうして出来た道を利用すれば、最短ルートで地上に出られる――というのが一ノ瀬ちりの予測だった。


 そしてその予測は当たっていた。


「…………どういう状況だ、こいつは」


 むしろ、当たり過ぎているほどに。


 ちりの予想通り、黄昏愛は壁を破壊し、有象無象を蹴散らして、ちり達よりも一足先に大広間にまで侵攻していた。実験室から繋がる暗がりの廊下を抜け、ちり達が大広間に辿り着いた時にはもう既に、黄昏愛は開闢王と対峙していたのだ。


 けれど。その先に広がっていた光景を、一体誰が正確に予測出来ただろうか。黄昏愛。彼女が自らの身体を六つに分身させ、開闢王を取り囲み尋問している――そんな怪物じみた光景を。

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