黒縄地獄 24
「……ああ、やっぱり心配ですわね……」
開闢王がこの実験室を飛び出して、まだそれほどの時間は経っていない。しかしただ待つだけしか出来ないという状況が、シスター・エウラリアに言い得ぬ焦燥感を与えていた。
◆
シスター・エウラリア。どこか育ちの良さを感じさせる、栗色の髪の修道女。その両脚は股間の付け根からバッサリと斬り落とされたように跡形も無い。そんな状態で地獄に落ちてきた彼女は等活地獄において喰われる側であり、本来であれば其処で彼女の地獄における余生は終わっていた。廃人になるまで慰み者にされた後に廃棄されるか、食用肉となり誰かの糞となっていたか。この地獄において弱者の辿る末路の典型である。
彼女がそんな典型に収まらなかったのは、幸運以外の何物でも無かった。彼女の異能が戦闘向きで、数日の間なら単独でも等活地獄を生き延びられる程度の戦闘力が最初から備わっていたと言うのもあるが――
「失礼、お嬢さん。僕は黒縄地獄の者です。一つ、お尋ねしたい事があるのですが」
最たる幸運は、その出逢いだった。
生前に交通事故で両足と家族を失い、自分だけが取り残された世界で、彼女はそれでも生きることを諦めなかった。両足で立つことは二度と叶わずとも、前に進むことだけは諦めなかった。車輪を前へ押し出すことを諦めなかった。
だから。先に彼女のことを諦めたのは、彼女以外の周囲全てだった。親が遺した借金を背負った子供など引き取り手に名乗りを上げる者はおらず、事故の後遺症で麻痺の残る身体にこれ以上の治療もリハビリも無意味だと医師も匙を投げた。
ある日知らない大人達がやってきた。彼女を病院から引き取った彼らは、借金を帳消しにする代わり彼女の肉体の所有権を彼女から奪った。なんでも「身体の部位が欠損しているからこその需要というものもある」とのことで――それから一ヶ月、彼女は生きながらにして地獄を味わった。
一ヶ月で済んだのは、過酷な環境に身体が耐え切れなかったから。使い潰されて、衰弱して、彼女は死んだ。
そうして彼女は地獄に落ちた。両足を失ったまま。けれど地獄に落ちて尚、彼女は前に進むことを諦めなかった。ヒトとして生きることを諦めなかった。地べたを這いつくばり、泥を啜って、他の怪異を手に掛けることになっても、彼女は残された両腕だけで前に進み続けた。
――何故なら私の名前は足立歩夢。尊敬する両親が「諦めず歩み続ければ夢は必ず叶う」と願いを込めて付けてくれた名なのだ。
だから私は諦めるわけにはいかない。歩みを止めてはならない。足が無ければ手で進め。諦めるな。諦めるな。諦めるな。諦めたら――私にはきっと、何も残らない。
「首からロザリオを下げた、修道服の者を探しています。この辺りで待ち合わせをしていたのですが、見当たりません。どこかでそのような特徴の人物を見かけなかったでしょうか」
だからこそ。彼女にとってその出逢いは幸運足り得た。
等活地獄、その一角にて。怪異の群れに囲まれていた彼女の前に、その幸運はふらり現れた。ペストマスクの黒い魔女。地に蹲り薄汚れた少女に向かって、その魔女は躊躇いもせず手を差し伸べたのだ。
「……いいえ。存じ上げませんわ」
「そうですか。ありがとうございます」
魔女は彼女の手を引き寄せて、異様な程に軽いその身体、そっと抱き抱える。それは久しく覚えの無かった浮遊感。その時彼女の脳裏を過ぎったのは、在りし日の記憶。幸せの絶頂。没落貴族などと揶揄されるより以前、母は微笑み、父は肩車をしてくれた、小さな子供の頃の思い出。
「あなたは一体何者ですの?」
「……ふむ。良いでしょう。質問には答えなくてはなりません」
気付けば周囲を取り囲んでいた有象無象の怪異の群れは魔女が従える黒い修道服の者達によって一掃されていた。
「僕は開闢王、そう呼ばれています。僕が今日此処に来た目的は、我々が開発した薬物の在庫を、売人として此処に潜伏している仲間に渡す為です。我々は等活地獄に薬物を流通させ、あわよくば我々の組織に有益な情報を齎す人材の引き抜きを目論んでいます」
「……それ、言っちゃいけないやつなのでは?」
「そうですね。僕は嘘を吐く事が出来ませんので。なのでどうかこの件はご内密にお願い致します」
悪びれる様子もなく何もかもを白状する開闢王に、彼女から思わず笑みが溢れた。これまで汚い大人に振り回されてきた。そんな彼女が真実のみを口にするという魔女に、興味を抱かないはずがなかった。
「……それで? そんな事をしてあなた達はこれから先、何をなさるおつもりですの?」
それは、期待。あるいは、予感めいたものがあった。彼女はいつだって前だけを見て歩みを進めてきた。諦めずに進んできた。それが自分の存在意義だと信じて疑わなかった。それが正しいことだと、信じてきた。
足立歩夢は正しく在りたかった。正しく在る為の道標は両親だった。それを失った今、それでも前に進むということは彼女にとって暗闇の中を独りで藻掻き苦しむことと同義であった。心のどこかで求めていたのだ。道標を。光明を。救済を。
「――地獄に落ちた全人類の救済。全てはその為に」
信じて進むことが赦される、大義を。
「では、こちらからも質問を返させていただきます。貴女はそれを訊いて、これからどうするつもりですか?」
「――決まっていますわ、そんなこと」
◆
それから四十年。拷问教會に第十一席としてその名を連ね、彼女は今も此処に居る。
何故、開闢王の目指す救済に芥川九十九が必要なのか。そんなこと、誰も解らない。具体的に何をどうすれば怪異と化した全人類を救えるのか。そんなこと、誰も知らない。
それでいい。我々はただ開闢王を信じて付いていくだけでいい。誰もが開闢王を理解出来ないまま、それでも、そこにはきっと開闢王だけが到達した真理があるのだと、誰もが信じて疑わない。
嘘を吐かない人間はいない。現世も地獄も関係なく、人の世は常に騙し騙され合うものであり、だからこそ開闢王、彼女の存在は救いとなった。開闢王の前では誰も嘘を吐けない。偽り、騙し、虚飾ることが許されない。そんな彼女を魔女だと忌避する者もいれば――聖女だと敬う者もいる。
真実のみを口にする怪人は、騙され傷付いた者達にとっての拠り所となったのだ。目的の為ならば手段を選ばない拷问教會という組織はこうして生まれたのである。
そしてシスター・エウラリア、彼女もまた開闢王を崇拝してやまない立派な信徒の一員であり、
「――ええいっ! やはりじっとしてなどいられませんわっ! 行かねば、わたくしもッ!」
ならば当然、こんなところで立ち止まってなどいられないのである。
シスター・エウラリアは止まらない。前に進む為の車椅子が有るのなら、前進せずにはいられない。彼女は常に目標に向かって走り続ける。目標とは即ち、開闢王の役に立つこと。まるで飼い主をどこまでも追いかける忠犬のように。
「あっ、でも幻葬王の見張り……は……まぁ…………うん! 王の御身が最優先ッ! 後で怒られれば済む話ッ!」
ただし留守番が出来ないタイプのやんちゃ犬である。
かくして。気合いを入れた掛け声と共に、車椅子を実験室の出入り口前まで軽快に走らせたエウラリアは――
「オラッ!! 九十九居るかァ!?」
一ノ瀬ちりが勢いよく蹴破った扉を、タイミングばっちりに顔面で受け止めて――
「ぶへえッ!?」
鼻血を出しながら、壁まで吹っ飛ばされたのでした。
「…………あ?」
蹴破った扉に質量以上の手応えを足先に感じたちりは、すぐにその正体に気が付く。扉ごと蹴り飛ばされた衝撃で壁際まで車椅子と共に吹き飛ばされたシスター・エウラリア。その顔からは見事に鼻血を垂れ流していて。お互い点になった目と目が一直線に繋がり、しばしの沈黙。
先にその沈黙を破ったのは――部屋の中央に鎮座している寝台の上、芥川九十九が横たわっているのを見つけた一ノ瀬ちり。
「九十九……ッ!」
気を取り直して、すぐさま九十九の元へ駆け寄ろうとする。
「ちょぉぉおおおおッとお待ちなさいなぁぁああああッ!」
しかしそこへ立ちはだかるのは、やはりシスター・エウラリア。
「あなた達ッィィッ! よくもやってくれましたわねぇええエッ! もう一度豚小屋にブチ込んで差し上げますわぁァアあああッ!」
咆哮と共に、細かった少女の両腕が、その筋肉が、一回り大きく膨れ上がった。その尋常ならざる挙動は、彼女が身体強化系の異能を持つであろうことを推察させる。
シスター・エウラリアの戦闘態勢。車椅子の車輪がエンジンのような唸り声を上げている。これに関しては……どういう原理だろうか。
「…………ッ」
舌打ちし、咄嗟に周囲を確認するちり。開闢王の実験室。十畳程度の空間に、悪趣味な拷問器具の数々が壁一面に飾られている。中央の台座には眠る芥川九十九。そして背後には開け放たれた出入り口。そして目の前には、敵。
二度目の衝突。判っているのは、相手が壁を突進でブチ破る程の怪力を有しているということだけ。しかしその時点で、相手が自分より格上であることを一ノ瀬ちりは悟っていた。
異能の種類、その効果は怪異によって千差万別だが、特に強力な部類だと云われているのが身体強化系の類である。複雑な発動条件を必要としその効果も限定的な特殊能力より、どんな場面でも応用が利く身体能力強化の方が使いやすく万能だ。事実、超人的な身体能力を有する芥川九十九が「シンプルに喧嘩が強い」というだけで等活地獄の王として君臨していたのが良い例だろう。
シスター・エウラリアがどんな怪異でどんな異能を持っているのか正確な情報は知らずとも、常軌を逸した怪力を有しているという事が解っているだけで、一ノ瀬ちりにとって驚異である事実は間違いない。
しかし今の一ノ瀬ちりに退却という選択肢は無い。目の前で芥川九十九が囚われている。ならば、敵が格上だろうが関係ない――やるしかない。
瞬間、ちりは跳躍した。態勢をその場に低く屈ませて、獣の如く四つ足で、左に飛ぶ。エウラリアが目で追った先で、ちりは壁に掛けられた拷問器具をフックにし、まるでヤモリのように壁に張り付いていた。
「――――死ッ、ねぇェエエッ!!」
掴まった壁から拷問器具のひとつ、大振りの金槌を手に取って、ちりはエウラリアの左側から飛びかかる。咄嗟に上半身を捻り腕をクロスして頭を守るエウラリア。ちりの振り下ろした金槌を両腕で受け止めながら、それでもエウラリアの腕は傷一つ付かない。
ちりは金槌で殴った勢いのまま、今度は宙返りしながらエウラリアの右側に着地する。そして振り返りざま、再び金槌を振るった。それは車椅子の車輪に直撃し、エウラリアはバランスを崩しながら車椅子ごと僅かに吹き飛ばされる。
エウラリアはバランス整え直ぐに車輪の方向をちりへ向けようとする。しかしそれよりも疾く、ちりは再びエウラリアの左側に回り込もうと動き始めるのだった。
「小賢しいですわね……」
お察しの通り、シスター・エウラリアの異能は怪力である。それも両腕にのみ特化した超強化。加えて、金槌で殴られようが、壁を突き破ろうが、掠り傷ひとつ付かない頑健さを誇る。
ただし、その代償とでも呼ぶべきだろうか、彼女には両足が無い。故に機動力を補う為、彼女は車椅子に搭乗する。しかしその車椅子も、やはり人の足ほどの機動力は再現出来ない。車椅子は瞬発的に横方向への移動は出来ない。そこが付け入る隙になってしまう。一ノ瀬ちりは対峙してすぐそれに気が付いて、そしてエウラリア自身も今まさに一ノ瀬ちりの狙いに気が付いていた。
「……ですがッ!」
しかしエウラリアも伊達に四十年近く怪異をやってきてなどいない。弱点なんてものは言われるまでもなく把握しているし、だからこそ積み上げてきたものがエウラリアにもある。
「小狡い、小汚い、小賢しいッ! 小さい小さいッッ、小ッせェですわッ! そんな程度でッ、このわたくしにッ、勝てるわけがありませんわァァアアアアアアアアアアアアアアアッ!」
ちりが左側に回ってきたのにすぐさま反応して、エウラリアは車輪をその指先で器用に操り、最小限の動きで僅かにバックした。一瞬で軌道を修正し、再びちりと向かい合うまで、コンマ何秒も掛からない。
彼女にとって車椅子はもはや体の一部だった。確かに人間の足のような瞬発的な横移動は出来ないが、それを補って余りある操作技術をエウラリアは会得していた。その場でタイヤを軸回転させ、望みの進路へ向けることなどエウラリアにとっては容易いことだった。
向かい合った時、一ノ瀬ちりは既に目と鼻の先にまで接近していた。すぐさま掴み掛からんと、ちりに向かって一直線、左の怪腕を伸ばす!
掴まれたら終わり。ちりにあの怪力を振り払うだけの膂力は無い。それはちりに限らず、殆どの怪異がそうだろう。彼女に掴まったら終わり。それはエウラリア自身もよく解っている。だからこその自信。自分の腕力への絶対の信頼。
自信があるから大振りになる。多少大雑把になってもなまじ通用してしまうからいけない。そこに隙が生まれることを、一ノ瀬ちりは知っている。そういう輩を二百年間、これまでうんざりするほど見てきたのだから。
「――――ッ」
空気を切るような、息を吐く音が口から僅かに漏らしながら。ちりはエウラリアの腕に自ら突っ込む。紙一重、エウラリアの掌がちりの頬を掠める。掠っただけで肉を数ミリ削がれ、ちりの頬から血が噴き出す。それを物ともせず、ちりはその小柄な身体を空中に投げ出して――エウラリアの腕を足場代わりに利用して、飛び乗った。
数秒にも満たない一瞬の早業で、空中のちりは両脚を開き、太ももでエウラリアの首を挟み込む。ちりは小柄で軽量な自身の体を活かし、まるで新体操選手のような自在さで、エウラリアの体に組み付いたのだった。至近距離どころか完全な密着状態である。ちりは上半身を浮かせたまま、エウラリアを見下ろしていた。
ちりの大道芸のようなこの軽い身のこなしは、先天的なものではない。ちりが地獄で二百年戦い身につけ培ってきた後天的な戦闘技術である。当然、それを可能にするだけのセンスが元からあり、そして十分な経験を積めるだけの環境があった。そんなちりが膂力で劣る相手に対して出来ることは、常に一手先を読むことだった。
最初の金槌による一撃を無傷で防がれた時。エウラリアの怪腕にはダメージがまともに通らないことを、ちりはあの一瞬で悟っていた。故に今回の戦闘において腕への攻撃は戦法からは除外される。ならば、狙うべきは腕ではなく――
「潰れろ……ッ!」
殺意の声を絞り出しながら、間髪入れずちりの左腕が加速する。爪が二本、一直線、エウラリアの眼球目掛けて飛び込む。
「ナメんじゃねェェエエエエですわァァアアアアッ!」
しかしその一手は、エウラリアからしてみれば――甘すぎる。無敵の怪腕を誇るエウラリア。ならば腕以外の部位を狙うのが定石。そんなもの、本人が一番よく解っている。警戒は怠らない。腕による攻撃が大雑把な大振りなのは、相手の攻撃を誘いやすくするため。腕以外の部位を狙われることが大前提の上で、エウラリアは常に意識を配っている。
「獲ったァアアアアアアアアアッッ!!」
ちりの左手は、豪速球のように放たれたその目潰しは――それを予測し既に行動に移していたエウラリアの右手によって、呆気もなく阻まれたのだった。
がっちりと。もう逃しはしまいと。エウラリアに掴まれたちりの左手は、その時点で既に、掴まれた瞬間から、エウラリアの掌の中で粉砕骨折していた。
掴まれたら終わり。それを勝敗の条件として理解していた。だからこその咆哮。エウラリア、勝ちを確信し、高らかに叫ぶ――
「嬉しそうだな」
しかし、それはどうだろう。掴まれたら終わり。本当にそう思い込んでいたのは、彼女だけではないだろうか?
「なら、もっとくれてやる――出血大サービスだ」
一ノ瀬ちりは常に相手の一手先を読んでいる。だから、何の躊躇いも無かった。自らの左手を、自らの爪で切り落とすことに。一ノ瀬ちりは何の躊躇いもなく、それを瞬時にやってのけたのだ。
「ぴゃああああああああああああっ!?」
悲鳴を上げたのは、手を切り落としたちりではなく、無傷のエウラリアの方だった。ちりが自身の手首を切り落としたその瞬間、傷口から尋常ならざる血の量が洪水の如く噴き出して、エウラリアの顔面に直撃したのである。
まるで壊れたスプリンクラーのように物凄い勢いで噴射する血飛沫がエウラリアの視界を完全に奪う。首を両脚で挟まれ固定されていて逃れることも出来ず、目に、口に、放流された血がなだれ込んでくる。
一ノ瀬ちりの勝利条件は、此処でエウラリアを仕留めることではない。一ちりの目的は最初から、芥川九十九を回収し、此処から脱出することである。後から追手が来る可能性があるこの状況で長居は出来ない。エウラリアを最短で最速で無力化する方法を、この戦いの結末を、一ノ瀬ちりはその赤いクレヨンで脳裏に思い描いていた。
赤いクレヨン。血文字を浮かび上がらせる能力。浮かび上がる血は、なにも無から発生しているわけではない。赤いクレヨンが血文字のインクとして使っているのはその実、一ノ瀬ちり本人の血。遠隔で文字を浮かび上がらせる場合、消費出来る血は少量に限られる。一度の発動につき二十文字程度の文章作成を可能とし、血文字は能力を解除することで霧散。使用した分だけの血液量が体内に再び戻ってくる。
つまり一ノ瀬ちりの肉体はインク溜まりであり、そんな肉袋ならぬ血袋となった自分自身の肉体を傷付け出血させた場合――遠隔ではなく直接、自分の身体を筆とし、その場に血文字を書き起こす場合――血文字として使用できるインクの量は遠隔操作時の比ではない。
自分の身体から溢れ出す大量の血を、その勢いを、ちりは自由に操作出来る。切り落とされた手首はホースとなり、大量の血がインクとして放水される。
「ごべっ、ぶっ、うっ、ばああああああああっ!?」
そんな血の大洪水を顔面でまともに受けたエウラリアは、見えない視界の中でバランスを崩し、とうとう車椅子ごと横転した。倒れ、その場で藻掻き苦しみ、のたうち回る。大量の血が顔を覆うだけでなく、口や鼻、目にも入り込んで、エウラリアを窒息状態に追い込んでいく。そしてエウラリアが横転する直前、その身体を踏み台にして、ちりは跳んでいた。
「九十九……ッ!」
そのまま芥川九十九に覆いかぶさる形で着地したちりは、すぐさま九十九の身体を肩に抱き抱え、出入り口に向かって再び跳躍する。
「な、ッ、なンべずのごれぇ、ッ!? どれまぜんッぶわぁぁぁぁああああああッ!?」
その間、エウラリアは自分の顔に張り付いた血溜まりを何度も手で拭い去ろうとしていた。しかし血は顔に異常なまでにべったりと張り付いて、一向に取れる気配がない。
「……ただの血糊じゃねェ。オレの異能だ。オレの意思で操作しない限り絶対に取れねェよ」
疲れ切った様子で、大きく溜息を吐いてから。そうして一ノ瀬ちりは、ゆっくりと実験室を後にするのだった。




