黒縄地獄 11
工場地帯の工場群。それはもはや地獄の技術でどうやって造られたのか、そっちのほうが気になる程の異様な光景だった。
煤に汚れた工場群、その長い煙突からは絶えず黒煙が吐き出されている。その煙の臭いといったら酷いもので――等活地獄で死体の臭いなどとっくに嗅ぎ慣れた九十九でさえ、その臭いの酷さには顔を顰めていた。
蔓延した黒い煙によって視界がすこぶる悪いものの、明らかに生気のある人間の気配を工場内から感じ取れる。人間の声が確かに聞こえてくる。
工場群に侵入した九十九は、身を低くして物陰に隠れつつ、開け放たれた入口から工場内を覗き込む。工場内は外ほど煙が少なく、中の様子を比較的はっきりと確認することが出来た。
そんな彼女の視界に、まず飛び込んできたのは――全裸で無理くり押し込まれた、大量のヒトの山。
積み上げられたそれらからは生気を感じられない。しかし死体というわけでも無さそうだった。それらの全身至るところには、キリトリセンのような入れ墨が、身体の各部位ごとに刻まれている。
そしてそんなヒトの山を囲むようにして、修道服姿の男が二人。装飾こそ異なるものの、最初に出会ったシスター・アグネスのそれとよく似た服装であることに九十九は気が付いた。
彼らはヒトの山の中から適当に何人かを掴んで引っこ抜き、ぶっきらぼうに地面に並べていく。並べられる者は皆、道中に九十九を襲撃してきたあの狂人と同じく、全身の体毛が抜け落ちた蒼白い肌をしていた。しかしその顔に笑顔は無く、殆どの者が痙攣し、口から黒い泡を噴いている。
やがて修道服の一人が、腰元のノコギリのような物を手に取って――それの首に刻まれたキリトリセンに沿うように、刃を上下に動かし始めた。
「……チッ、こいつ太いな……おい!」
「あいよ」
ノコギリの刃が思うように進まなかったのか、機嫌の悪そうな声を上げた修道服に、もう一人が気怠そうに返事をしながら、巨大な木こり用の斧を担いで持ってくる。
台座の上に文字通り首の皮一枚つながった状態の死体を乗せると、彼女はそれに斧をあてがい、全体重を斧にあずけるように振り下ろす。豪快な音と共に、死体の首が宙を跳ね工場の床に転がった。
それから彼等は慣れた手付きで肩口、足首、脚、腹を次々と掻っ捌いていくと、臓物だけは軍手のような物をして器用に引き千切り、傍に置かれたバケツの中へ投げ入れていく。
目の前で行われている人道ならざる所業と凄まじい臭気に、九十九の眉間には深く皺が刻まれる。黒縄は等活より治安のいい平和な階層なのかもしれない、などという考えはこの時点で九十九の頭から完全に消え去った。こんなことが看過されている場所を国などとは呼べない。無法地帯もいいところである。
彼等が解体した肉の詰まったバケツを、今度は工場の奥から出てきた別の修道服が回収していく。両手にバケツを持ったまま工場の入り口に向かってくるので、九十九は咄嗟にその場から離れ、死角に身を隠した。九十九が傍に潜んでいることに気付かず、修道服は隣の工場に入っていく。
「…………」
気配を殺して、慎重に修道服を尾行する九十九。付いていったその先の工場内で、九十九が目の当たりにした光景は――高さ四メートルはあるだろうという、巨大な窯だった。
一見するとただの窯のように見えるが、しかし。よく見るとその窯には夥しい数の、まさに呪詛の如き言葉の羅列が至る所に刻まれている。その文字が微かに発光しているのを九十九は遠目で確認した。
恐らく何らかの異能による現象か、あるいは――あまり考えたくはないけれど――あの窯自体が怪異という可能性すらありそうである。そんな窯の中では九十九の視点からは確認出来ないが、何かが煮え滾るような水音が聞こえてきていた。
修道服は肉バケツの中身を、その窯の中へとぶち込んでいく。別の修道服が窯の中身を、長い鉄製のような棒でもって、踏み台の上から掻き混ぜていた。
「く……っ」
遠くからでも漂ってくる強烈な熱気と臭気で、九十九は一際強くその顔を顰めていた。思わず呻き声を上げそうになる自分の口と鼻を掌で覆い、どうにか九十九は工場内の様子を監視し続ける――
「……おい! 一口もらうぜ」
――その最中、それは突然起きた。バケツを運んでいた修道服が急に何やら叫んで、窯に取り付けられた蛇口を捻り出した。掻き混ぜている方はなにか野次を飛ばしているようだったが、九十九には聞き取れず、蛇口をひねる修道服の下品な笑い声だけがよく響いてきていた。
蛇口からは恐らく窯の中で液状化したのであろう、肉のジュースがぼとりぼとりと零れてきて。それを空になったバケツで受け止めると、そのままバケツをまるでビールジョッキのように口に押し当てて、その修道服はあろうことか自分の口内へとそれを流し込んだのである。
「あぁ……これこれ……効くゥ……」
肉を飲み干した修道服、その恍惚とした表情が垣間見える。涎を垂らし、目からは血の涙を噴き出して、それでも彼は嗤っていた。
「あ……アァ……あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁいいいいいいいいいひひひひひひひひひひひひ豁サ豁サ豁サ豁サ豁サ豁サ豁サ豁サ豁サ豁サ豁サ豁サ豁サ豁サ豁サ豁サ豁サ」
――そして、絶叫。突如、それは自らの肉を掻き毟り始める。その有り様はまさに、九十九が道中に出会ったあの怪物と瓜二つ。
「あーあ、飲みすぎだバカ……しゃーねえ、こいつもバラすか……」
そんな発狂している同僚を見下ろす別の者もまた、光を失った瞳をして、薄すら笑顔を浮かべている。
もはや言葉にすらならない、胸焼けのような忌避感だけがただそこにあった。発狂した彼がどうなったのか、その後の顛末を見届けようという気も起きず、九十九は逃げるようにしてその場を後にする。
一刻も早くここから離れたい、ただその一心で歩みを進めて――
「教会に女が運ばれたらしいな」
工場内に運ばれる前の外に放置された大量の死体、その傍に座り込んでいる修道服の男達の談笑からそんなワードが聞こえてきて。九十九は咄嗟、再び身を潜め耳を傾けた。
「教会の幹部が直接手を下したのか、珍しいな」
「なんでも第一階層の王様と関係があるらしい」
「へえ……だったらもうこっちには回ってこないか」
「ああ……残念だ。久し振りに女をバラせると思ったのに」
「男を材料にして作った『救い』は効き目がイマイチだからな。やっぱり材料としては女が一番――」
そんな会話が聞こえてきて――直後、男たちの後方で突風が巻き起こる。凄まじい轟音と共に吹き荒れた風が、肉山の頂を崩して、何体かの肉が落石のように男たちの頭上に降り注いだ。
「うおっ……なんだ!?」
慌てた様子の男達、急いで山から離れ、突風の起こった山の裏側を覗き込むが――其処には既に、何もいなかった。
◆
人間が人間を飲んでいる。これが黒縄地獄の本当の顔なのだとしたら――
「ちり……ッ!」
突風を巻き起こしながら、芥川九十九は飛ぶように大地を駆け抜ける。地獄の黒い太陽は錆色の空の中でじりじりと熱さを蓄えていき、やがて真上へとさしかかろうとしていた。




