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怪物少女の無双奇譚《フォークロア》  作者: あかなす
第二章 黒縄地獄篇

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黒縄地獄 9

「ん――――…………」


 等活の、瞼にあたるぬくもりとはどこか違う微睡みの朝、目を瞬かせる。黒縄地獄の迎賓館、その一室で、芥川九十九は一足先に目を覚ました。


 昨晩は風呂から出た後、ちりの帰りをしばらく待っていたが――気付けばこの柔らかい敷物の上で寝入ってしまっていたようだ。ぼうっとした思考のまま、ゆっくりと辺りを見渡す。紅いカーテンの隙間から挿し込んでいる僅かな日の光が、薄ぼんやりとした部屋の中を仄かに照らしている。


 寝台の上に横たわる、白い毛布に身を包んだ自分の姿を確認する。いつも通り、上下黒のジャージだ。衣服に乱れはないし、体調も悪くない。学ランは部屋の隅に置かれた椅子に掛けられている。

 睡眠とは最も無防備になる瞬間でもある。この地獄では寝込みを襲われて殺される怪異なんて珍しくもなく、故に起きてすぐ周囲の状況と自分の身の安全を確認するのが習慣付いている者が殆どだった。


 それは九十九も例外ではなかったが、しかし彼女に関しては睡眠状態であろうと危険を察知すれば一瞬で目を覚ませる程の勘の良さがあり、実はそれほど意味のある行為ではない。

 それは他ならぬ一ノ瀬ちりに「そうした方がいい」と教えられたので、習慣的にそうしているだけだった。


「……くぅ……」


 そうしてふと右隣に目をやると――未だ静かに寝息を立てる黄昏愛の寝顔がそこにあった。どうやら同じベッドに隣り合って眠っていたようである。


 愛は九十九と違い、セーラー服を脱いだ白い下着姿の状態で、九十九と同じ毛布の中に包まっていた。黒いセーラー服は折り畳まれた状態で机の上に置かれている。飾り気のない白いブラと、柄のない白いショーツ。剥き出しになった白い肌には染みの一つも無い。


「あ……」


 愛に気付いた九十九は無意識に、小さく声を上げていた。まるで死人のような、ぞっとするほど美しいその寝顔に、九十九は自然と目を奪われていく。


「…………」


 九十九の人生において、こんな風に誰かと同衾する機会などは、ちりを除けばただの一度も無い。昨晩は特に会話が盛り上がるようなこともなく、風呂から出た後の愛と九十九はどちらからともなくベッドに横になり、お互い気付けば会話も無いまま眠っていた。


 旅に同行させてもらっている、それだけの関係。仲が良いとか悪いとか、それ以前の歪な利害関係。そんな彼女が今こうして、無防備に寝顔を晒している。

 愛のことをもっと知りたい――それが九十九にとっての、旅の動機である。そういう意味では今この瞬間、まさに愛の知られざる部分を一つ知ったような気がして、九十九の心はどこか浮ついていた。


「……………………」


 だからきっと、魔が差したのだろう。殆ど無意識だった。自分の手が、指が、愛の耳元に伸びていく。

 そっと、その耳にかかった髪を掬い上げ、その艶のある黒髪を、指で梳く感触を楽しんで――


「……何してるんですか」


 不意に降ってきた、その咎めるような声に、九十九の心臓は跳び上がっていた。

 いつから起きていたのか、愛は気怠そうに細目を開けて、自分の髪を触る九十九を訝しげに睨んでいたのである。


「…………お、おはよう」


 努めて冷静に挨拶を交わそうとする九十九を無視して、愛はゆっくりと上体を起こす。愛の顔はいつにも増して血色が悪い。訊くと「朝はいつもこんな感じです」と唸るような低い声で愛は応えるのだった。


 愛もまた九十九と同様に、自分達が今居る場所を確認する。部屋の様子は昨晩から何も変わっていない。キングサイズのベッドの上には下着姿の自分と、ジャージ姿の芥川九十九が隣り合って寝転んでいる――


()()()足りませんね」


「……………………えっ」


 その一言で、寝惚けていた芥川九十九の思考はようやく覚醒した。今更になって、ようやく気付く。あの赤い少女が、ちりがまだ帰ってきていないことに。


 無論この部屋で三人共に、必ず宿泊しなければならないというわけでもない。ちりだけがどこか別の寝床を見つけたのかもしれない。そんな可能性を九十九なりに考えてみて――やはりどうもしっくりとこなかった。


「…………っ」


 自分の中で何かが引き算されていくような感覚。朝の気怠さは抜け、自分の中で何かがざわつき、焦燥していくのを九十九は感じ始めていた。


「ちりを探そう」


 口にした瞬間、九十九は考えるよりも早く、その両足をベッドから降ろし飛び上がるようにして立ち上がっていた。椅子に掛けてあった学ランを、黒ジャージの上から羽織る。

 当然、ちりの実力は芥川九十九も承知の上だ。あの警戒心の高さ、知見の深さは、自分なんかよりもよほど頼りになる――だからこそ。


「ちりが心配だ」


 九十九の赤い瞳に、焦燥の色が見え始める。その様子はかつて等活地獄でも見せていた、仲間を傷付けられたと知った時と同じ、使命感にも似た感情の顕れ。


 自分には王は務まらない、自分では役者不足だ――などと。口ではそう言いながら、彼女に刷り込まれた二百年分ののろいは、そう簡単に打ち消せるようなものではない。

 芥川九十九は()()()()()()()()()()()()()――その為ならば命を賭けられる。考えるよりも先に、身体が動いてしまうのだ。


「そうですか。それはそれは……」


 しかし黄昏愛は依然、その様子をベッドの上から眺めるばかり。まるで興味がないとでも言いたげに、いや現にほとんど言ってしまっているような、気怠い表情を見せるのだった。

 黄昏愛にとって、この旅の目的は『あの人』を探すこと。それこそが黄昏愛の行動原理なのだと、九十九もまた理解している。理解しているし、承知した上で同行している。それでも――


「一緒に探してほしい。お願いだ」


 ベッドの上の黄昏愛に、九十九は深く――深く、頭を下げた。


「…………ふむ」


 その真摯な姿に、愛は意外そうに目を見開く。

 黄昏愛。二百年という永きに渡って等活地獄の王を務めた芥川九十九を、たった数週間で事実上失脚させた、規格外の怪物少女。そんな彼女の協力を得たいと考えるのは自然だろう。

 しかし彼女には性格上の問題がある。自分の目的以外に頓着がまるで無く、癪に障れば暴れ出す。そんな彼女を手懐けるのは至難の業だろう。ましては何の見返りも無いお願いなど、聞いてもらえるはずもない。

 だからこそ、愛は考える。もし自分が芥川九十九の立場であったなら、力尽くにでも言うことを聞かせようとするのに――そんなことを考えて、実は密かに臨戦態勢を整えていた愛の事など露知らず、実直に頭を下げる芥川九十九。その真摯な姿を前にして、僅かばかりの好奇の色が、淀んだ黒い瞳に宿っていく。


「その前に、ひとつ訊いてもいいですか? 昨日から気になっていたんですけど」


 愛に声を掛けられ、顔を上げる九十九。一体何を訊かれるのか、と身構えて――


「どういう関係なんですか? あなたたち」


 ――身構えていた、にも拘わらず。あまりにも予想外なことを訊かれた九十九は、思わず首を傾げるのだった。


「……言ってなかったっけ」


「ええ、まあ。はっきりとは聞いていませんでしたね」


「仲間だよ」


「……いえ、そういうことではなく」


「え? えっと……ずっと一緒にいる」


「はい。それで?」


「それで……?」


 愛の言葉の意味を測りかね、頭上に疑問符を乱立させる九十九。その様子に、愛はまるでちりのような大きい溜息を吐くのだった。


「……なるほど。赤いヒトも苦労してますね……」


 ちりが九十九に対して並々ならぬ感情を抱いていることを、愛は察していた。いや愛でなくとも、九十九と接している時のちりの様子を観察すれば見て取れるだろう。ちり本人は隠しているようだが、バレバレである。


 愛にとって、ちりのことなどは別にどうでもよかった。しかし――他人の恋愛事情ほど、面白いものはない。その恋愛が困難であればあるほど、観客は盛り上がるというものだ。あまりにも無知で無垢な芥川九十九、そんな彼女に対してどうアプローチすればいいのか解らない――そんなちりの気苦労が窺い知れたことで、気まぐれな愛の食指は僅かに動いたのだった。


「そんなことよりも、愛……!」


「いえ、わかりました。手伝いますよ。仕方がないですね……」


 食指が動いたのは確かだが、しかしそこまで乗り気というわけでもなく――九十九の懇願に頷いて見せる愛は、やはり溜息を漏らしていた。


「どのみち、此処を見て回るつもりではあったので。でも当然、『あの人』を探すついでですよ」


 九十九の顔に生気が戻ってくる。頬は僅かに綻び、そして――


「ありがとう……!」


 九十九は感謝を述べながら、愛の手を両手で強く握り締める。まるで他人を疑うことを知らないような――否、知っていてなお、他人を信じられるような。そんな純粋無垢の懸命な姿。


「…………はぁ」


 ――ああ、少しは気持ちが解る。きっとあの一ノ瀬ちり(あかいひと)も、これにしてやられたに違いない。

 黄昏愛は引き受けたことを些か後悔しつつ、眉間に皺を寄せて、それでも渋々頷くのだった。

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