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怪物少女の無双奇譚《フォークロア》  作者: あかなす
第二章 黒縄地獄篇
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黒縄地獄 5

 黒縄地獄の暗黒街。その建物群の中で一際目立つのが、黒縄唯一の迎賓館である。コンクリートに近い材質の壁で塗り固められた二階建てのその建築物は、外観だけならまるで本物のホテルのようだった。

 あの大聖堂ほどではないにしろ、ほとんどプラ板と瓦礫の寄せ集めのような下々の民家とは比べ物にならない程度には、人間の棲む場所として正しく成立しているように映る。


 開けっ放しの玄関を潜り抜けた先のロビーには受付窓口などは無く、夜を灯す燭台だけが壁に掛けられ揺らめいている。愛達はシスターに案内されるがまま、燭台の灯りを追いかけるように奥へ奥へと進んでいった。途中二階へ続く階段を登り、そうして辿り着いた廊下の最奥、鍵のついていない木製の扉を開けた先の客間へと通される。


「……マジか」


 その先の光景に、一ノ瀬ちりは唖然としていた。

 ちりが呆気に取られるのも無理はなく、その空間には、なんと汚れ一つない白いシーツに包まれた洋風の寝台――所謂ダブルベッドが在ったのだ。

 この地獄に落ちてくる物といえば、ヒトか、産業廃棄物が精々。およそ役割を終え使い道のない絞りカスのような物ばかりが落ちてくる。そのはずだ。

 しかし目の前に広がるこれは、新品美品とまでは言えないものの、よほどの潔癖症でもない限り堪えられる程度には使える状態であった。


 通貨の概念がほとんど意味をなさないこの地獄において、基本的な交渉材料となるのはやはりこういった物品になる。特に、まともに使える状態の物品というものは非常に珍しく、価値がある。シャツ一枚を奪い合って血が流れることなど珍しくもない。仮にこのダブルベッドが等活地獄に落ちていた場合、何十人、何百人の命が散ることだろう。


 それを見ず知らずの客人に貸し出すとは、本来ならばありえない。等価交換であれば合点もいくが、今回に限ってはそれを無償で提供すると、シスター・アグネスは言っている。

 ちりの中で不信感が益々膨れ上がっていく。それを察知したアグネスは、やはり当然のように「大切なお客さまですから」などと嘯くわけだ。


「……九十九、こいつはどうもきな臭い。やっぱり引き返した方がいいかも――」


 しかし、ちりがそう言って振り向いた時には既に愛と九十九、二人の姿は無く――


「……は?」


 ちりの両脇を躊躇なく駆け抜けていった二人は、そのまま白いシーツの中に無言でダイブしていたのである。


「すごい……なんだこれ……ふかふかだ……愛、これはいったい……」


「知らないんですか九十九さん……これはベッドですよ……私の家のと比べると些か小さいですが……いえ、この際贅沢は言いません。ああ、久し振りの感触……悪くないです……」


「べっど……そうか……やっぱり愛は物知りだな……」


 シーツに顔を埋め蠢く、奇妙な生き物が二匹。片や等活地獄の王、片やそれと肩を並べる怪物少女。そのはずである。そのはず……なのだが……


「あらあら……お気に召していただけたようですね?」


 ちりの背後でシスター・アグネスは、これでもかと言うほどの満面の笑みを浮かべていた。


「…………」


「如何なさいましたか?」


「…………開闢王が戻ってきたらすぐに知らせろ。それ以外の用件でオレ達に関わるな。いいな」


「ええ、ええ。勿論でございますとも。はい、それではどうぞ、ごゆるりと……」


 最後までにこやかに、余裕すら感じられる柔和な微笑を崩さぬまま。アグネスは客間の扉を閉ざし、去っていったのだった。足音が遠ざかっていくのをしっかり聞き届けた後、ちりはひとり、これ見よがしに大きく溜息を吐く。


「ちり。ちりもこっちに来るといい。ふかふかだ」


 ちりの気苦労など気付く素振りも無く、九十九はベッドの上、ちりを手招きしていた。


「…………おまえらなァ!」


 ダブルベッドの中央、愛と九十九の間のスペースに、ちりもまた物凄い勢いで飛び込む。


「ちったぁ警戒しろアホどもッ! どう考えても罠だろーがこんなもんッ!」


 怒りの声を上げるちりだったが、その顔面はシーツに埋まったまま。まるで説得力の欠片もない。


「ふっ……体は正直ですね。あなたもこれが恋しかったんでしょう。素直に気持ちいいと言ったらどうですか」


「なんだそのドヤ顔やかましいわッ! 気持ちいいに決まってんだろッ! こちとら生きてた頃でさえ座敷牢の固てェ畳でしか寝たことねーんだよッッ!」


 ◆


 彼女たちがベッドの感触を堪能して、数分後。


「…………いや、マジでどーすんだこれ」


 ようやく落ち着きを取り戻した三人は仰向けに直り、川の字で寝転がっていた。そうしてしばらく呆然と天井を見上げていたちりが、おもむろに口を開く。


「どうするとは?」


「この状況だよ……おかしいだろどう考えても」


「それでも、他に手掛かりが無いからとあちらの条件を呑んだのもあなたですよ」


「そりゃあ……まあ、そうだが……」


 ベッドの上に大の字で寝転んで、白塗りの天井見上げながら、黄昏愛もまた落ち着いた様子で口を開き始める。


「あなたの言い分も解ります。地獄には法律が無い。だからどんな目に遭っても文句は言えない。地獄がそういう場所だと言うことは私も理解しました。そして今の状況は確かに怪しい。ですが、その時はその時です。罠だろうと何だろうと関係無い。私は『あの人』を探します。もしその邪魔をしてきたなら、全力で叩き潰すまでです」


「……そりゃ最後の手段にしとけ。実際、まだ何かされたわけでも無いだろ……」


「そもそも、なんだけど。これが罠だとして、私達を罠に嵌める理由って、何だろう?」


 産まれて初めてのシーツの感触を未だ噛み締めながら、九十九も二人の会話に続く。


「さあ。幻葬王の首でも欲しいんじゃないか」


「どうして?」


 ちりの返答に釈然としていない表情を浮かべる九十九。


「等活地獄内の他勢力に狙われるっていうなら、まだわかるんだけどさ。接点無いよね? 私達。開闢王と」


「そうだな……だから例えば……『()()()()()()()』、その足掛かりにでもするつもりなのかもな」


「……はい?」


 天下統一、などという。時代錯誤どころではない単語が聴こえてきて、黄昏愛は思わずそれを口にしたちりの方へ首を傾けていた。


「冗談だと思ったろ。それがそうでもないんだな」


 その視線を受け、ちりは溜息混じりに口を開く。


「ご存知の通り、ここ地獄には何も無い。ヒト以外はな。つまりここじゃあ、ヒトの命そのものが最大の娯楽になる。ヒトの命を使った、時代も国も関係無く共通の認識で遊べる娯楽といやあ……戦争だろ」


 話しながらちりはひとり、ベッドの上から上半身を起こした。そのまま立ち上がって少し歩き、リビングに設置された洋風のテーブルの上に飛び乗り、胡座をかいてみせる。


「要するに暇なんだよ、地獄の住人てのは。暇だからヒトを殺すし、暇だから他所の階層を侵略するし、暇だから地獄そのものを手中に収めようとする。しかもそれを実現しちまえる可能性を、オレ達怪異は皆平等に持ってるわけだからな」


 黄昏愛のぬえ。芥川九十九のジャージー・デビル。そして一ノ瀬ちりの赤いクレヨン。怪異は原則として一人に一つ、対応した異能を持つ。

 異能の性質には個体差が生じるものの、どういったものであれそれは間違いなく人智を超えており、地獄の住人は皆平等にそれを持ち合わせている。

 ここまでお膳立てされてしまっては、戦争の一つや二つ、起きて然るべきである。むしろ法の律された現世ですらあの有様なのだから、特筆する程の異常でもないのだろう。


「開闢王が果たしてその類いの狂人なのかどうかは知らねーし、オレの考え過ぎかもしんねーが、奴等が九十九の首を狙ってたとしてもおかしくねえよ。つーか、狙われる心当たりがぶっちゃけそれくらいしか思い付かん」


「……なるほど」


 ちりの弁に頷きながら、九十九もまた追いかけるように上半身を起こす。


「でも、ちり。愛の言う通りだよ。その時はその時だ。やられそうになったら、返り討ちにすればいい。それだけの話だと思うよ、私も」


 凪いだ赤い瞳は一片の迷い無く、真っ直ぐに赤い少女を見つめていた。最強の『悪魔』の怪異であるが故の自信に満ち溢れたその言葉に、異議を唱えられる者は誰もいない。


「それに、案外本当に歓迎してくれてるのかもよ?」


「そうですよ。赤いひとは警戒し過ぎです」


「おまえらが順応し過ぎなんだっつーの……」


 とは言えこんな調子で、この先本当に大丈夫なのだろうか……という愚痴は頭の中にだけ留め、ちりはやれやれとかぶりを振るばかりであった。


 ◆


 今後の方針も纏まったところで、しかし現状ただ待つことだけしか出来ない彼女達はいよいよ暇を持て余し始め、各々が好き勝手に部屋を物色し始めていた。

 ふかふかのダブルベッドにばかり気を取られていたが、よくよく見渡すと、この部屋には細部に至るまで希少な物資をふんだんに使われていることが分かってくる。

 ちりがなんとなしに座っていたテーブルも、愛が覗き込んでいる壁に立てかけられた大鏡も、九十九が手に取っているティーカップも、地獄では滅多にお目にかかれない物ばかりで。最初は警戒していたちりも流石に好奇心を刺激され始める。


 そして極め付けは、これ。


「お、おい……見ろ……」


「これは……!」


「……?」


 短い廊下を奥に進んで洋風の扉を開け放った先、まるでそこだけが切り取られたかのように、景色が一変する。狭い空間の中にタイルのようなものが敷き詰められ、大きな箱のようなものが設置されている。壁には錆び付いた銀色の蛇口が伸びて、そこからノズルの付いたホースが繋がっている。


 その空間はまるで、いやまさに。


「風呂じゃあねえかッ!!」


「お風呂、ですね…………!!」


「…………?」


 ひとりピンときていない表情の九十九を差し置いて、愛とちりは見るからに興奮し切っていた。


「これは……いいもの、なの?」


「ああ……黄昏愛、オマエなら解るだろ」


「はい……これは……よいものです……」


 成長も退化もしない怪異の肉体だが、どういうわけか生理機能だけは生きていた頃と同じように再現される。だから怪異も汗をかくし、汗をかけば気持ちが悪い。だから湯浴みをする、と。現世ではなるのだが、等活地獄においてはそれを可能とする設備が整っていない。等活地獄では、三途の川付近で溺死覚悟の水浴みをするか、水を生み出す異能持ちの怪異に頼み込むかの基本二択だ。


 無論、湯浴みをしなかったからと言って死ぬわけでは無いが、ヒトによっては死ぬよりも耐え難いものがあるだろう。しかし尤も、地獄でしばらく暮らせば血の臭いに全身が染まることになるし、それも鼻が慣れて何も感じなくなるのだけれど――


「見てください……! 蛇口からお湯が出てきましたよ……!」


「三途の川から直接汲み上げて……温度を調節する機構ないし異能を経由してるのか。なるほどよく出来てる……」


「ふうん……」


 すっかり夢中になっている二人の背後、いまいちピンときていない様子の九十九であった。


「……等活に居た頃、オレも何度かこういう設備を造ろうとしたことがあったんだよ」


 蛇口から溢れる水を手で掬いながら、独り言のようにちりが呟き始める。


「けど等活のクソみてーな治安じゃあ、こんなもん造ろうとした端からクソ共に荒らされちまう。まあでもしょーがねえ、地獄なんてどこも似たようなもんだ……って、思ってたんだが」


 等活から黒縄地獄に向かおうとする怪異は、大きく分けて二種類存在する。ひとつは、好奇心に唆され、まだ見ぬ新天地を求める者。そしてもうひとつは、等活地獄の治安に耐えかね、半ば逃げ出すように流れ着く者。そしてその実態は、ほとんどが後者である。


「こうも違うかねえ……」


「……そうだな」


 不意に、それまで沈黙を守っていた九十九が、声を上げる。見上げたちりが目にしたその表情は、どこか淋しげで。


「子供たちも、笑ってた」


 この瞬間、ちりは自身の何気ない言葉が失言であったことに気付いた。


「子供が地獄であんな風に笑えるだなんて……()()()()()()()


 気付いて、後悔する。


『開闢王の周りは常に人で溢れている。なんとも人望の厚いことだね? 誰かさんと違ってさ!』


 地獄の階層は、其処を統べる王によって様変わりする。黒縄の現状を見せつけられた九十九は、こう思ってしまったわけである。等活の現状は、やはり、自分が王としての器量不足であったが故なのだと――


「勘違いするなよ」


 ――そんなバカなことがあってたまるか。


「誰が王だろうと等活の現状は変わらねえ。……オマエのせいじゃねえ。自惚れんな」



「……そっか。うん……ありがとう、ちり」


「ふん……」


 そっぽを向くちりに、九十九は僅かばかり頬を綻ばせていた。それはまるで、あの時の再現。あの時とは立場は逆だが、その光景はまるで、親に虐待されたという一ノ瀬ちりの生い立ちを知った芥川九十九が、彼女の代わりに怒りを顕にした、あの日のような――


「そんなことより早くお風呂入りません?」


「…………」


 空気が読めないのか、はたまた空気を読んだ結果なのか。湿っぽくなりつつあった空気が黄昏愛の一言により一瞬で瓦解し、ちりは溜息を吐きながらもいつもの調子を取り戻すのだった。


「わあったわあった……んじゃコレで決めッぞ、入る順番」


 そうしてちりがおもむろに差し出したのは、固く結ばれた自身の拳。


「地獄じゃんけんだ」


「地獄じゃんけん?」


出した手(ぐーちょきぱー)で相手を先に殴り倒した方の勝ち」


「なるほど」


 唐突に始まった謎のゲーム。腕をまくり、睨み合う両者。ちなみに芥川九十九はと言うと「私はふたりに合わせるよ」と言ってあっさり引き下がっていた。


「異能使うの禁止な」


「はい」


「いくぞ……」


 一瞬の静寂ののち、両者、抜き放つ。


「じゃんッ、けんッ、死ねェッ!!」


 地獄じゃんけん。等活地獄ではポピュラーな遊びである。「勝敗を天運に任せるなぞ言語道断、勝利は己の手で掴み取るモンだ」とは一ノ瀬ちりの言。ただの喧嘩とどう違うのかと問われると、誰も答えられる者はいない。

 等活では血塗れの狂犬などと呼ばれ畏れられてきた一ノ瀬ちり。彼女は、こと地獄じゃんけんにおいて無敗を誇っている。事実、彼女は()()()()()()()()()()()()屑籠ダストシェルの大幹部を務めてきたのだ。自分の拳に、ジャブの速度に、ちりは自信があった。曰く、「タイマンじゃ負けねえ。ただし芥川九十九は除く」とのこと。


 そんな数多の血を吸ってきた一ノ瀬ちりのグーが黄昏愛の顔面目掛け容赦なく放たれる。まるで音が遅れて聞こえてくるような錯覚を感じる程の、文字通り目にも留まらぬ速さ誇るそれは――

 やはりと言うべきか。残念ながら、黄昏愛に届くことはなかった。ちりの拳は愛の背中から生えた蛸の触手によって手首を掴まれ、身動きを封じられてしまったのである。

 そのまま愛は手を目潰し(チョキ)の形にして、ちりの両眼目掛け容赦なく突き刺したのだった。


「ぎゃあああああああああああッ!?」


「はい私の勝ち~」


 チョキがグーに勝つこともある。それが地獄じゃんけん。


「テメェ異能使うの禁止ッつっただろうがッ!!」


「いえいえ、これはあくまでも私の体の一部なので……」


「上等だコラァッ! じゃんけんなんて生温いこたァやめて今すぐここでケリつけてやるッ!」


「あなたが最初に言い出したんでしょ……別にいいですけど……というか、本気で私に勝てると思ってるんですか?」


 涙目のまま床に転がり回るちりを、見下ろし意地の悪い笑みを浮かべる愛――


「ねえねえ」


 そんな光景を離れた所から見ていた九十九がふと、口を挟む。


「なんだァ九十九、今からこのアマシメッから後で――」


「一緒に入っちゃ駄目なの?」


 それは、少なくとも一ノ瀬ちりにとって、青天の霹靂とでも呼ぶべき衝撃伴う一言であった。


「…………」


「…………」


「……え、ごめん。私、また何か、おかしなことを言ったかな」


 何もおかしな話ではない。浴槽はそれなりの広さがある。少女三人、詰め込めば入れないこともないだろう。初めて人工的な入浴設備を利用する九十九にアシストが必要だというのなら、尚更一緒に入る理由はある。


「私、ひとりだと勝手がわからないから……一緒に入ってくれると、助かるんだけど」


「……なるほど、確かに。言われてみればそうですね」


「はァ!?」


 ちりにとって予想外だったのは、黄昏愛がそれをすんなりと受け入れたことである。


「オマエ……いいのかよ!?」


「ええ、別に。そっちのほうが効率的ですし。私は構わない(どうでもいい)ですけど」


 聞けば黄昏愛には『あの人』という女性の恋人がいるらしい。ならば恋人以外の女に自身の裸を見られるなど黄昏愛は許さないだろう――などと、ちりは高を括っていたわけだった。

 が、しかし。そもそも黄昏愛はちりや九十九をそういう対象として見てすらいなかった。彼女にとっては文字通り、『あの人』以外の全てがどうでもいいのだろう。

 しかし黄昏愛にとってはどうでもいいことでも、一ノ瀬ちりにとってそれは大問題で。


「待て待てッ、一緒に入るって……! 誰と誰がッ!?」


「はあ? 三人一緒に入るって話でしょう?」


「む……無理ッ!」


「どうしてそんなに嫌がって……ああ、なるほど?」


 過剰なまでに拒否の反応を示すちりに、愛が意地の悪い笑みを浮かべる。


「気が利かなくてすみません。私は後でいいです。あなたと九十九さんの二人で先に入っていいですよ。どうぞどうぞ、ごゆるりと――」


 ちりと九十九が長い付き合いだということは、愛も聞かされ知っている。実に、二百年。相棒として、参謀として、ちりは九十九の傍に居たわけだ。

 つまり九十九とちりは()()()()()()なのだと、愛は思ったわけである。

 ちりは九十九と二人きりになりたくて、だから愛を含めた三人で風呂に入ることを嫌がっているのだと、この時の愛はそう思って、誂うような笑みを浮かべていた。


「…………っ」


 ――だがしかし。真っ赤に染まった顔を俯くように隠す一ノ瀬ちりの、あまりに初心ウブなその反応に、愛の表情からは思わず笑みが消えていた。


「……え。あなたまさか……」


 ()なのだ。この赤面は、黄昏愛という見知らぬ他人に裸を晒す恥じらいではなく、芥川九十九という最も身近なはずの人間に対するものなのだと、気付いて。その反応の意味するところを理解して――「え、いやいやそんな。二百年も一緒に居て、まさかまだ付き合ってない? そんなことがありえるか?」と――愛はちりの顔をまじまじと見つめていた。


「ちり……?」


 一方で芥川九十九、無表情ながらもどこか恐る恐るといった仕草で、急に黙りこくってしまった一ノ瀬ちりの顔色を窺っている。その赤い瞳を、しかし一ノ瀬ちりは見返すことが出来ない。どうしても脳裏に過ぎってしまう。芥川九十九の、目の前の少女の、ありのまま、産まれたままのすがた。

 そんな暴力的なまでのイメージが、頭の上に重しのように乗っかって、とてもじゃないが真っ直ぐ向いてなどいられなかった。


「……とりあえず、一緒に入る方向でいいですね? 私、お湯張ります」


「嗚呼、うん。ええと、私はどうすればいい?」


「まずは服を脱ぎましょう」


「う……ぐ…………~~~~~~~~ッ!!」


 声にならない声、もはや悲鳴に近いうめき声を上げたかと思った刹那――ちりは勢いよく立ち上がっていた。


「ちり?」


「外ッ! 走ってくるッ!」


「お風呂はどうするんですか」


「先に入ってろッ!」


 半ば喚き散らすように台詞を捨て置いて、一ノ瀬ちりは走り出す。自分の髪の色とそっくりに染まった顔隠し、逃げるように部屋を飛び出す。残されたふたり、呆気に取られた顔をお互い見合わせていた。


「ちり、どうしちゃったんだろ……?」


「……さあ」

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