等活地獄 22
「おい、そこのバカ共ッ!」
慌ただしく階段を踏み鳴らし、ホームに滑り込むように駆け上がってきて――赤い彼女は開口一番、半ば叫ぶように言い放った。
「等活から一歩も外に出たことねえクセに、二人揃ってまた宛てもなく彷徨うつもりか?」
駅のホームに響き渡る荒々しいその声に、愛と九十九は目を丸くしてその場に立ち尽くす。そんな彼女達のもとへ彼女は一歩、また一歩と確かな足取りで近付いていく。
「必要だろ、おまえらには……地獄に精通している人間の案内が!」
「ちり……っ!」
一ノ瀬ちり。目の前までやってきた彼女のその華奢な体に、芥川九十九は勢いよく飛び付き、その肩を抱き寄せていた。
「付いてきてくれないかと思った!」
ちりの頬が瞬く間に朱を帯び始める。その視線は忙しなく動き、取り繕うように次の言葉を探し求めているようだった。
「ッ……そ、それにだな……! おまえひとりで勝手に王様辞めたッつっても、他の階層の怪異らからすりゃ、おまえはまだ等活地獄の幻葬王だろ!? そんなおまえが堂々と他階層に乗り込んでみろ、また誤解されかねないし……だから……!」
「うん、ありがとう!」
「……ッたく」
まるで二人だけの世界を演出しているが、もちろんこの場には三人目が居る。身を寄せ合う二人のことを、そのすぐ傍で困惑の表情を浮かべている黄昏愛が居る。
九十九を前にすっかり間抜け顔を晒していた一ノ瀬ちりだったが、愛からの視線に気付くや否や、突如としてその首を勢いよく横に振り始め、慌てて九十九から離れてみせた。そして赤いマニキュアに彩られた鋭い中指を愛に向かって突き立てる。
「オイッ、黄昏愛! オレはオマエを認めちゃいねーからな! オレが付いていくからにはテメーに妙な事はさせねェ! そん時ゃオレがテメーをブッ殺す!」
ちりは獣のような牙を剥き出して、威勢のいい啖呵を切ってみせた。そしてそれを受けた愛はと言うと、呆気に取られた様子でその目を丸くしていた。やはり困ったように愛はその頬を硬直させていた。
そんな愛の反応が、ちりにはどうやら自分の気迫に圧倒されて戸惑っているように見えたらしい。ちりは勝ち誇ったように鼻で笑ってみせる。
「どちら様でしたっけ……?」
「喧嘩売ってんのかッ!?」
しかし恐る恐るといった様子で口を開いた愛の一言に、結局ちりはその声を更に大きく荒げることになるのだった。
「ごめんなさい、本当に印象が薄くて……私、何かやっちゃいました?」
「殺されてんだよこっちは!! テメーにッ!!」
「えっと……殺した怪異の顔なんていちいち覚えてられます?」
「とんだイカレ野郎だなッ!?」
もちろん、半分は冗談である。しかし半分は本気だ。黄昏愛は他人に興味が無い。そんな彼女と一ノ瀬ちりはまるで水と油。売り言葉に買い言葉。あっという間に険悪な空気が流れ始めたのだった。
『―――――――――――――――――――――――――』
そんな彼女達の声を掻き消す、鋭い汽笛が遠くから聞こえてきて。三人は揃って音がした方を咄嗟に振り向く。その視線の先では、三途の川を突き進む、黒く長い巨影が此方に近付いてきていた。やがて駅のホームに滑り込んできたそれは、地獄の階層を行き来するという、ヒト呼んで猿夢列車。その到着である。
その黒い外装にはヒトの手形のようなものがびっしりとこびり付いていて――そして車体の先頭、明光する案内板には間違いなく『黒縄地獄』と記載されていた。
列車はその動きを停止させると、横開きの扉を自動的に開け放つ。黄昏愛は誰よりも真っ先に、何の躊躇いなくその中に乗り込んでいた。
「行こうか」
続いて芥川九十九、隣に立つちりに向かってそう呟き、列車の中に一歩を踏み出す。その後を追いかけて、半ば恐る恐るといった風に一ノ瀬ちりが飛び乗った。それを見計らったように再び汽笛は鳴り響き、扉がゆっくり閉じていく。
「あーあ、乗っちまったよ……クソッ……」
外から蒸気の吹き荒ぶ激しい音が聴こえてきて、やがて列車は動き始める。三人は扉近くのボックス席へおもむろに腰掛けると、流れる車窓の向こう側に揃って視線を向けていた。
「……待っててくださいね……」
――こうして彼女達の地獄を巡る旅は始まった。向かうは第二階層、黒縄地獄。三者三様、それぞれの感情、それぞれの思惑を胸に――彼女達は自ら進んで、次なる地獄へと落ちていくのである。
◆
一方その頃。いつかの時間、どこかの場所で。
「やあやあ、ボクはロア! ねえねえ、こんな噂を知っているかい?」
灼熱の砂漠に佇む黄金宮殿。煌びやかな輝きを放つ金色の空間、敷き詰められた赤い絨毯の上で、華やかに踊るのは地獄の水先案内人。自らを噂と名乗る彼、もしくは彼女。性別不詳、正体不明のその怪異。
「八大地獄の八大王、その一柱、等活地獄の幻葬王! 彼女がついに乗り出したのさ、地獄の天下統一に! 自分の領土を離れ、次に向かうは地獄の第二階層、黒縄地獄!」
いつものように真偽不明の噂を語るそんな道化にさえ真摯に耳を傾ける、巨大な人影が其処には在った。黒いキャソックの上から黒いフードコートを纏った、とても大きなその背中。顔面をペストマスクが覆っていて、その表情は窺い知れない。そんな、巨大な人影――黒い魔女の姿が。
「悪魔はすぐそこまでやってきている。さあさあどうする、あなたはどうする――黒縄地獄の開闢王!」
開闢王。確かにそう呼ばれた、不吉の黒い魔女。その場に跪く彼女は、もぞりとその身を捩らせて――
「そうですか」
温度すらも感じさせない無機質な、それでいて枯れ果てたような声色で呟く。対するロアは御機嫌な様子で、宙にくるくると舞うように昇っていき、やがてその身は粒子の如く霧散させる。それの気配が完全に消えたのを確認してから――その黒い影はゆっくりと、溜息を漏らしていた。
「困りましたね。すぐに戻らなければ……」
その影はまるで乞うように顔を上げた。仮面の奥に光る螺旋の瞳は眩しげに、遥か彼方を見据えている。
「――まさか。まだ話の途中でしょう」
影が見据えるその彼方で一人、黄金の玉座にて君臨する――太陽の如き、見目麗しい女性が其処に居た。
艶めかしい金色の長髪、緋色の羽衣に包まれた白い肌の長身、溢れんばかりの豊満なバスト、引き締まったウエスト、妖艶に彩る紅いアイライン――およそ美女たる資格の全てを携えた、その絶世の魔女。獣の如く縦に割れたその金色の瞳孔で、女は遥か先の影を射抜く。
「そんなに殺されたいのかしら」
そして、ただ一言。その有無も言わさぬ迫力に、影は諦めたようにもう一度、深く溜息を吐くのだった。
地獄の第七階層、大焦熱地獄。物語がいずれ至る場所。今は遠き修羅の国。
其処もまた、同じ地獄なれば――どこまでも続く線路の上、等しく赤い空が広がっていた。
第一章・等活地獄篇、終幕。
第二章・黒縄地獄篇に続く。