等活地獄 18
終わりというものは、いつも決まって唐突に訪れる。
ちりの焦燥とは裏腹に、拳を交わし合う愛と九十九。互いに顔は痣だらけ、至るところから血を迸らせて。それでも止まらない。目に血が入ろうが、鼻から血が噴き出そうが、止まることはない。
全ての指の骨が折れても、拳は握り締めたまま。愛の異形の拳が、九十九の鼻頭を殴り飛ばす。顔からめきりと音を立てながら、九十九の体が大きく揺らぐ。
それでも倒れない。折れて曲がった鼻を自分の手で無理矢理に逆側へ折り直す。鼻の片側を指で押さえて、鼻腔から勢いよく空気を噴き出し、それに伴って鼻血が吐き出される。
次は私の番だとでも言わんばかり、九十九の悪魔の拳が愛の顎を撃ち抜いた。その威力は愛の比ではない。顎が弾き飛ばされ、顔の縦半分が拳によって削られる。
顔を失った愛は、しかし倒れない。異能による再生能力が瞬時に肉を、骨を、皮を作り直す。目玉が復元したあたりで愛は再び呼吸を始めた。
「もういいだろ……」
このまま永遠に続くのではないかと、観ている誰もが錯覚を覚える程の死闘。しかし、やはりそれは錯覚なのだ。終わらないものは無い。
結果的として、互いにその一撃ずつが最後だった。両者、とうとう異形であったはずの拳すら、元のヒトの形へと還っていく。
それでも歩みは止まらない。ただのヒトの身と化してなお、止まる様子はない。ふらつきながらも前に進み、ぼやけた視界の中に相手の影を捉え、ただのヒトの拳を両者振り翳す。
その細腕から繰り出される腰の入っていない拳ですら、それが頬に軽く当たっただけで、互いの身体を大きく蹌踉めかせるに足りてしまう。
その光景はもはや、先刻までの怪物同士の殺し合いなどではなく、ただの殴り合いにまでステージを落としていた。
「やめてくれ……」
殴り合いの最中、両者ふと、自分がどうして目の前の相手と殴り合っているのか、何度も我に返りかけていた。何が許せなくて、自分は今拳を振るっているのか。愛も九十九も、自問自答を繰り返していた。
きっかけは、ただの勘違い。行き違い。本来であれば、戦う必要はない。今からでも握手をして仲直りをしてしまえばいい。その歩みを止めてしまえばいい。
そんな考えが頭を過る度、しかし次の瞬間には相手の痣だらけの顔面が視界に入って、どうでもよくなっていった。喜怒哀楽、あらゆる感情を超越した先の、言葉では表現できない正体不明のなにかに突き動かされるがまま、彼女達は拳を通わせている。
ようするにこれは、ただの意地の張り合い。引っ込みがつかなくなっただけの、ただの喧嘩。しかし本来そんな趣味を黄昏愛は持ち合わせてなどいないし、芥川九十九だってそうだ。
特に芥川九十九、彼女には何かを愉しむといった心は無い。喧嘩なんて以ての外だ。他人を殴って楽しいだなんて、そんな俗物のような感情を彼女が抱くはずがない。
だからこそ彼女は幻葬王として在り続けられた。そんな幻葬王だからこそ、一ノ瀬ちりは――安心して彼女に依存できていた。寄生できていた。そのはずだったのに。
けれど。全力を出して、それでも倒れない強敵を前にした、芥川九十九の表情は。初めて自分と互角にやり合える好敵手を得た彼女の、その顔はまるで――
「違う……」
――ああ、まるで。
すっかりただの人間のようじゃないか。
「オレの九十九は……そんな風に笑わない……!」
終わりというものは、いつも決まって唐突に訪れる。
愛の右の拳が、九十九の頬に触れて。九十九の左の拳が、愛の頬に触れて。交差した腕、もつれ合い。そうして二人はゆっくりと、重なり合うように、倒れ込んでいった。
それきりだ。それっきり、両者ぴくりとも動かなくなった。静寂が五秒、十秒と続いて。それで周囲の有象無象はようやく確信へと至る。この戦いの決着を。
「九十九……ッ!」
直後、弾けるように校舎から飛び出したちりの、駆け寄ってくる足音を微かに聞き届けながら――芥川九十九の意識は暗闇の中へ、引きずり込まれていく。