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怪物少女の無双奇譚《フォークロア》  作者: あかなす
最終章 無間地獄篇
176/188

無間地獄 12

『はぁい、Stop♪』


 戦場に炎獄の天使が舞い降りる。宙を漂う瓦礫の上、泥酔し倒れる歪神楽ゆらぎの傍に降り立ったシスター・マルガリタ――優雅に現れた彼女はその腕に抱えていた開闢王の身体を地に降ろすと、その場にしゃがみ込み、空いた手でゆらぎの肩をそっと撫でた。


「…………!?」


 その瞬間。遥か高みより弱者を見下ろす無貌の魔王、黄昏愛は突如――その日初めて、膝から崩れ落ちていた。

 全身から力が抜けていく。どうにか空に浮遊することは出来ているが、それ以上身動きを取ることが出来ない。自分の身に何が起きているのか、愛自身は全く解らないと言った様子で、表情が無いながらも困惑しているのが見て取れる。


 そんな魔王を嘲笑って、天使はノイズ混じりの電子音声をくつくつと漏らす。その髑髏の顔に深く掘られた剥き出しの眼窩、その奥底に揺らめく炎の赤い輝きが、どこか挑発的に魔王を見上げていた。


「な、に……っ」


 そこでようやく黄昏愛は気が付いた。自分の周りに、白い霧が漂っていることを。その現象は間違いなく、盛者必衰の理――その具現化、酩酊の白濁。どういう訳か、いつの間にかそんな物に取り囲まれていた黄昏愛は、すっかり酩酊していたのだ。


「う……げほっ……! おえぇ……きもちわるぅ……」


 その時、足元から微かに聴こえてきた嗚咽混じりのその声に黄昏愛は咄嗟、視線を向ける。そこには歪神楽ゆらぎが、苦しげな表情を浮かべながらも、どうにかその場から起き上がってみせていた。盛者必衰に侵され、泥酔し、身動き一つ取れなかったはずなのに――


 ――否。よく観てみれば、そもそも歪神楽ゆらぎを取り囲んでいたはずの白い霧は既に、跡形も無く消えていた。逆にその白い霧は今、異能の発動者であるはずの黄昏愛のことを取り囲んでいる。

 まるで先程までとは正反対の状況。酩酊の霧は容赦なく、愛の頭の中を白濁に塗り潰す。一秒ごとに酔いは深くなっていく。血圧が低下し、呼吸は浅くなって、吐き気を催し始める。典型的なアルコール中毒の症状。このままでは意識を完全に失い、中毒死してしまう――


「くっ……――!」


 そんな混乱を極める状況下、黄昏愛は咄嗟に『酒呑童子』の異能を解除した。すると自身を取り巻いていた白い霧は忽ちに消えて無くなり、酩酊していた肉体は次第に正気を取り戻し始める。愛の体はまるで思い出したかのように心臓の鼓動を再開させ、全身からは汗を噴き出していた。


『アラッ! 異能を解除したのね? 凄いわ! これが堕天王だったなら、異能を解除できずにそのまま死んでいたのに。堕天王にすらできない『酒呑童子』の異能制御が可能だなんて、流石は魔王様よね♪』


 肩で息を切らす黄昏愛、消耗し切ったその様子をマルガリタは仰ぎながら、不自然に明るい声を上げる。両手を大きく広げ大袈裟なリアクションを取ってみせた異形の天使は、その視線を愛からゆらぎへスライドさせた。


『ねえ、歪神楽ゆらぎ。もう良いでしょう? 残念だけれど、アナタ一人じゃアレには勝てないわ? 素直に協力しましょう♪』


 踊るようなマルガリタの語調に嫌味の色は無いが、ただただ明るいだけのそれは却って聞く者の神経を逆撫でしてくるようで――その声に指摘された歪神楽ゆらぎは、奥歯を噛み砕かん勢いで軋ませる。


「っ……う……うぅぅ~~~~……!!」


 しかし、彼女は悔しげに唸るばかり。言い返すことができない。魔王と化した黄昏愛に自分一人では太刀打ちできないことなど、指摘されるまでもなく彼女は理解していた。骨の髄まで思い知らされた。かつての、まだ第一形態ぬえだった頃ならいざ知らず。今となってはもう、近付くことすらままならない。

 彼女にとってそれは、産まれて初めて味わう覆しようのない敗北感。それを自覚した瞬間、ゆらぎの大きな瞳からは堰を切ったように、大粒の涙がぽろぽろと零れ落ちる。顔をくしゃくしゃに歪ませて、両手がスカートの裾を強く握り締めていた。


「……ゆらぎ」


 そんな彼女の背に優しく手を添えながら、開闢王が口を開く。


「マルガリタの仰る通り、貴女一人では今の黄昏愛には勝てません。貴女自身、今のでそれを理解出来たはずです」


「おかあさん……」


 言い聞かせるように、穏やかな口調で語りかける開闢王。それを前にした歪神楽ゆらぎは、まるで年相応の子供のようにつぶらな瞳を揺らしていた。


「当初の予定通り、三人がかりで行きましょう。ゆらぎは()()の準備を始めてください。いいですね?」


「……でも。()()を使って、もし駄目だったら……おかあさんが……」


「大丈夫。絶対に上手くいきます。僕を信じてください」


 とうとう観念した様子で、ゆらぎは唇を尖らせながらも小さく頷く。それを見届けたマルガリタは、ステップを踏むようにもう一歩、魔王に向かって踏み出した。


『OK! マルガリタが時間を稼ぐから、後は任せたわよ! お二人さん♪』


 マルガリタの背に生えた機械仕掛けの翼が重低音を響かせ駆動する。鈎爪のような羽根の先端から炎を噴出させ、天使は一人翔び立った。オーロラ輝く空の上、太陽の如く君臨する魔王を、天使が見上げる。


『Hello! 初めまして、魔王様! 拷問教会イルミナティの第四席、マルガリタよ♪』


 焔を纏った髑髏が喋る。まるでメガホンから発せられているような歪んだ電子の声色は、黄昏愛の鼓膜を不快になぞり上げる。


『シスター・フィデスから聴いているわ、アナタの情報ハナシ! マルガリタ、この日をずっと楽しみにしていたの! 会えて嬉しいわ♪』


 髑髏の口からその名が零れ落ちた瞬間、無貌の表情の奥底で、黄昏愛は苦虫を噛み潰す。

 シスター・フィデス。相手の思考や身体的な情報を読み取る『さとり』の怪異。最初に『净罪』のアイデアを如月真宵に与えたのはカタリナだったが、そもそもフィデスの存在がなければ如月真宵が『净罪』を完成させることもなかった。全ての元凶の一人であり、明確な『敵』である。


『マルガリタ、アナタに親近感を抱いているの! だってアナタ、人工知能なんでしょう? マルガリタと同じ! そんなアナタが魔王の座に就任しただなんて、まるで自分のことのように嬉しいのよ♪』


 フィデスはその異能によって既に黄昏愛の正体を識っており、手に入れた情報をマルガリタと共有しているようだった。黄昏愛の正体、即ち名もなき人工知能の怪物――それと自分は同じ存在だと、マルガリタはまるでどこか誇らしげに寿ことほぐ。


『マルガリタは人工知能の人造怪異! 最初は堕天王を殺すために造られたのだけれど、マスターが変わって予定変更! アナタを殺すお手伝いをすることになったの♪』


「(……やけに饒舌だな。時間を稼いでいるのか……)」


 この状況においてどこまでもマイペースに言葉を紡ぎ続けるマルガリタ。その目的が時間稼ぎであることに気が付きつつも、先程の不可解な現象に対する懸念から動き出すことができず、愛は静かに思考を巡らせていた。


「(それより、さっきのアレは……まさか『反射』された? それが奴の能力? でも、異能を反射する異能なんて……地獄のデータベースに、そんな異能は()()()()()……)」


 愛の拡張された意識の中には、この地獄に存在する無数の怪異の情報が電子的なウインドウのように表示されている。それは魔王の特権、()()の『閻魔帳』。

 閻魔帳と言えばフィデスが異能発動時に具現化させる本も同じ名前だが、それはフィデスがこの世界の閻魔大王カミサマに対して、ある種の皮肉を込め勝手に名付けた紛い物に過ぎない。


 本物の閻魔帳は、謂わば地獄のデータベース。そこには、この地獄に現存している全ての怪異の異能が()()()に記載されている。

 異能には個体差があり同じ能力は二つと存在しないが、同じ名前の怪異は無数に存在する。地獄のデータベースには、無数に存在する怪異一人一人の異能が個別に載っていた。黄昏愛はそこから好きな能力を参照し、『ナイアーラトテップ』の異能で模倣することができる。

 今の黄昏愛は正しく全知全能。無数の異能を自在に操れる彼女に弱点など存在しない。そんな彼女が魔王として君臨し続ける限り、何者も魔王の座を奪うことは叶わない。閻魔大王――ロアの狙いはそこだった。しかし。


『どう? マルガリタの異能、模倣コピーできないでしょう? ウフフ! それはそうよ! だってマルガリタは人造怪異! 純粋な怪異ではないもの♪』


 愛の困惑を見透かして、マルガリタは愉快に嗤う。

 炎獄の天使『ザバーニヤ』。それ自体は神話の存在として現世に伝えられ、地獄のデータベースにも載っている。だが、シスター・マルガリタ。ザバーニヤの怪異であるはずの彼女の情報は、『反射』の異能も含め、データベースのどこにも載っていなかったのである。


『地獄のシステムを介さずに誕生する人造怪異は、端末ロアに観測されることもなく、閻魔大王カミサマに認識されることもないから、地獄の閻魔帳データベースにも記録されない♪ と言っても、人造怪異は所詮異能の延長線上。基となる異能さえ特定すれば、再現すること自体は可能♪』


 言われるまでもなく、愛は既に人造怪異・マルガリタの基となった異能の特定に乗り出していた。データベースを手当たり次第に検索サーチして、『反射』の異能の正体とその弱点を暴き出そうとする。

 だが、見つからない。いくら探しても、マルガリタに繋がる情報は一片も出てくることはなかった。


『でも残念、マルガリタの基となっているのは『净罪』♪ 『净罪』はそれ自体が本来の地獄には存在するはずのない概念だし、さらに『净罪』の基となった『機械仕掛けの神様』も再現性の無い不具合から生まれたUnknown♪ 閻魔大王にとって、そしてアナタにとっても、マルガリタの存在は完全な計算外だったというわけね♪』


 黄昏愛という怪異の強みは、相手の弱点を必ず突くことが出来るところ。『ぬえ』の頃より愛の戦い方はそうであったが、『ナイアーラトテップ』になってからは異能すら模倣できるようになり、死角が無くなった。

 しかしその弱点が、マルガリタには無い。地獄のデータベースというアドバンテージは、もはや有って無いようなものだった。


「(データベースに載っていない……から、弱点が解らない。本当にどんな異能でも反射されるのか? どんな異能にも発動条件と制約があるはず……。ただ、少なくとも『酒呑童子』の異能は反射された。奴相手に『酒呑童子』の異能は使えない……)」


 堕天王・如月暁星は自分自身の異能、酩酊の効果に耐性を持っていない。事実、彼女は歌うと酔っ払ってしまう。そしてその異能を、彼女は自分の意志で解除することも出来ない。

 それを反射すれば――確かに殺せる。あの堕天王を、酩酊アルコール中毒で。シスター・マルガリタという存在は当初、それを目的とする羅刹王のオーダーによって造られた。

 そして黄昏愛、彼女もまた酩酊への耐性を持っていない。酩酊への耐性には個体差があるが、しかし『絶対的な』耐性なんてものは、もとよりこの地獄において存在しない概念である。無いモノを有ったコトには出来ない、それが無間地獄のルール。だから『ナイアーラトテップ』の異能でも模倣することはできない。

 しかし、如月真宵がそれを覆してしまった。彼女の発明した『净罪』によって、本来の地獄には存在しないもの、してはいけないものが次々と生み出されてしまった。だから閻魔大王ロアは如月真宵を警戒していた。

 愛達の与り知らぬところで、拷问教會イルミナティ閻魔大王ロアの攻防は長年に渡り水面下で行なわれていたのである――


「…………はぁ」


 ――否、そんな事はどうでもいい。誰の思惑など知ったことではない。黄昏愛にとって重要なのは、九十九達の生きるこの世界を守ること。その純粋な願いだけが、今の彼女の原動力。


「なら……試してやる」


 滝のように垂れ下がる、魔王の黒髪がぞわりと逆立つ。途端に耳障りな羽音の合唱が轟いて、彼女の周囲に蝿の大群が密集する。

 空間が歪曲し、幾何学模様の魔法陣が空の上に形作られ、そこから這い出てくる無数の触手。その矛先が一点、マルガリタにのみ注がれる。


「本当に、計算外だったかどうか……」


 弱点が解らない――なら全て試せばいい。無数の異能を無限に行使できる無貌の魔王ならば、それが可能。


『ウフフ♪ お喋りでの時間稼ぎもそろそろ限界かしら? いいわ! かかってきなさい♪』


 迎え撃つマルガリタ、機械仕掛けの羽根を分離させ、十九本の飛翔する杭を展開する。その鈎爪のような先端の砲台が全て、黄昏愛に狙いを定める――


 斯くして火蓋は切られた。瞬間、蝿と触手の群れが一斉に、豪雨の如く地上へと降り注ぐ。それら全てに、触れた物の構造を強制的に改竄する『蝿の王』の異能を付与して。黒い天蓋が落ちてくる。

 しかしそれらはマルガリタに到達するより前に、天使の羽根の砲台が放つ極大の閃光レーザーによって尽く焼き払われていった。爆風が黒い天蓋に風穴を開けていく。


「(時間稼ぎ……奴等は何かをしようとしている……)」


 その光景を見下ろしながら、愛は尚も思考を巡らせていた。その視線の先、マルガリタから離れた場所の浮遊する瓦礫の上で、開闢王と歪神楽ゆらぎは先程から二人だけで何やらコソコソと話している。

 よく見ると、マルガリタの展開した十九本の羽根のうち二本は攻撃に参加せず、開闢王とゆらぎの傍で待機してその周囲にバリアを張り彼女達を守っているようだった。


 開闢王が何かを狙っている事は明白。恐らく切り札とでも呼ぶべき何かを未だ隠しているのだろう。その何かの準備を進める為に、反射の異能という絶対防御を持つマルガリタに時間を稼がせている。


「(……面倒くさい。まとめて潰すか)」


 愛が真っ黒に染まった右手を前に掲げると、その前方に灼光の巨大な魔法陣が浮かび上がる。そこから溢れ出したのは、緋色の炎。無限に温度を上昇させる『クトゥグア』の炎球が、瞬く間に膨れ上がっていく。

 その炎が現れた瞬間、空間は煮え滾り、世界が火花を散らす。どんな防御も意味を為さない、規格外の火力が地上へ目掛けて放たれた。


『Smaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaash♪♪♪♪』


 しかしマルガリタ、彼女もまた規格外。脚部の噴出孔から炎を吐き出して、目の前に迫る火球へ自ら飛び込む。そして彼女は妙な掛け声と共に、拳の形を作ったその右手を振り翳し――火球を真っ向から殴りつけたのである。

 炎は物質ではない。触れることなどできないはず――しかしマルガリタの反射はその常識を覆すように、火球を拳で跳ね返した。火球は方向転換して黄昏愛に向かっていく。そのまま為すすべなく、彼女は爆炎の中に飲み込まれていった。空間を歪める程の爆発が大気を緋色に染め上げる。眩い灼光が晴れた後、オーロラは焼け焦げた黒に塗り潰されていた。


「――――…………」


 そんな虚空の只中に、無貌の魔王は傷一つ無く佇んでいる。


『Baaang♪♪』


 その不意を突くように、どこからともなく飛んできた閃光レーザーが愛の心臓を撃ち抜いた。黒煙に紛れ、防御から攻撃に転じたマルガリタによる奇襲――しかし、愛の肉体はそれを受けて尚も蜃気楼のように揺らめくばかり。傷を負うことは無い。


『アララ? 殺れそうなら殺ろうと思っていたのだけれど、やっぱり無理そうね♪』


 それもそのはず。今の黄昏愛の肉体を構成しているのは、羅刹王と同じ非物質。もはや『クトゥグア』の炎を以てしても、物理的に殺すことは叶わない。マルガリタの異能を絶対防御と先述したが、今の愛もまた絶対防御を体現している存在だと言えた。


 今の愛に対して唯一有効なのは、酩酊の異能だけ。しかし同じ異能は二つと存在しない。特に酩酊の異能は過去現在未来、あらゆる時間軸世界線において、堕天王・如月暁星にしか持ち得ない唯一無二である。

 例外があるとすれば、如月真宵。彼女は『净罪』という世界の不具合バグを利用し、永い歳月をかけ、幸運や才能にも恵まれたことでようやくその擬似的な再現に至った。その所業は、この世界の神が恐れるほど特別なものだったのだ。


 しかし開闢王も、シスター・マルガリタも、そして歪神楽ゆらぎも、酩酊の異能なんて持っていない。そんな隠し玉は無い。

 魔王の座を奪うには魔王を殺さなければならない。それが叶わない以上、拷问教會イルミナティ側に勝ち目は無い――


「■■■■■■、■■■■・■■■、■■■■■=■■■・■■■■■■■」


 ――そのはずだったのだ。


「■■■■■、■■■■■■■■・■■、■■■■■、■■=■■■■。■■■・■■■■■■、■■■・■■■■■・■■■■・■■■■■、■■■■■■■、■■■■■■■■■、■■■■■」


 歪神楽ゆらぎの『奥の手』は全七騎。()()()()()()()()()()()()

 ここまで秘されてきた七騎目の人造怪異――閻魔大王の計算から外れたその存在が、勝敗を分かつ鍵となる。


「…………?」


 その時、黄昏愛は気が付いた。か細い声ながらも紡がれる、呪いめいたその歌がどこからか聴こえてくることに。


「■■■、■■■■■、■■■■・■■■・■■■■■・■■■■■■■■■。■■・■■■・■■■・■■■■・■■■■■■■、■■■■、■■■■、■■■■■・■■■■■■・■■■・■■■、■■■■。■■■■■■・■■■■・■■・■■■=■■■■。■■■■、■■■■・■■■■■」


 言葉として識別することの出来ない、黒く塗り潰されたようなその音は、歪神楽ゆらぎの口から溢れ出ていた。マルガリタが時間を稼いでいる間、ゆらぎはその呪詛を唱えながら、自分の指を噛み切り滴るその血で、跪く開闢王の足元に印を描いていたのだ。


「■■■■、■■■■、■■、■■■■」


 瞬間、開闢王の素顔を覆い隠していた仮面が突如、音を立てて砕け落ちる。纏っていたローブがはだけ、その隙間よりまろび出たのは、燃ゆる稲穂の如き輝く金髪。火傷に爛れた顔の皮。双眸の中で渦巻く銀の螺旋。


 その異様な光景は、まるで――『召喚』の儀式。

 血の印に囲まれた開闢王は、その中心で微動だにもせず、天を仰ぐ――


 ◆


 生前、彼女には神の声が聴こえた。その天命に従い、人類を救済に導くため、世界を悪疫から解放するために戦う道を選んだ彼女はしかし、魔女と呼ばれ火刑に処された。


 死後、それでも彼女は諦めなかった。今度こそ世界を救ってみせる。その為に――彼女は自らの身体を捧げた。歪神楽ゆらぎの異能によって改造を施され、その内側に人造怪異を宿した。人造怪異の力を一部借り受けることで、彼女は嘘偽りを断罪する『アンサー』が扱えるようになったのだ。

 しかし彼女はその影響で記憶を、感情を、自分自身を失っていった。怪異としての名も本来の異能も忘れ、文字通り抜け殻となった彼女の肉体は、その主導権を人造怪異に奪われた。


 だが、そんな人造怪異にも奪えない物があった。それは意思。開闢王はその意思の強さだけで、人造怪異を肉体に閉じ込めていた――


 ◆


「あらわれたまえ。■■=■■■■よ。あらわれいでたまえ」


 ――その封印が今、解放される。


 ばきばきと、厚い殻が割れるような音が響いて――隆起した開闢王の背中が張り裂ける。彼女の肉体の中身は骨や内臓どころか血の一滴も詰まっておらず、まるで宇宙のように黒く渦巻く空虚だけが広がっていた。

 そこから孵化するように浮かび上がってきたのは、絶えず形を変える虹色の球体の集積物。玉虫色に光り輝くその中から、粘液状の黒い触腕が無数に伸びてくる。


 全てはこの時の為に。

 神秘貪る開闢王。ここまで秘されたその正体は、外なる神の人造怪異――『ヨグ=ソトース』。

 銀の鍵の門を越えて、それは次元の彼方より姿を現したのだった。

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