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怪物少女の無双奇譚《フォークロア》  作者: あかなす
最終章 無間地獄篇
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無間地獄 11

 天啓があった。

 悪疫に侵されたこの世界を救えと、神の思し召しがあった。

 その日から、僕は神のしもべとなった。


 けれど、僕の願いは道半ば。成し遂げる事は叶わなかった。

 言葉を知らぬ僕は悪意に欺かれ、この身を炎に焼べられた。


 やり直したい。

 偏に僕の力不足だ。

 次はもっと上手くやれる。

 剣だけでは世界は救えない。言葉を知り、知恵を蓄え、真実を見極める能力が必要だ。

 それを身につけることさえ出来れば――僕は今度こそ、世界を救える。


 これは自己犠牲に非ず。だって僕は間違っていない。神は間違えない。

 天啓は確かに聴こえた。夢ではない。幻ではない。

 世界を救うことで、それを証明してみせる。


「悪疫とは、人類の産み出す悪意そのもの。人間が存在する限り、悪意の伝染は止まらない。悲劇の連鎖は終わらない。罪が裁かれることも無く、過ちが正される事も無く、この世界が救われることも無い」


「だから貴女のような犠牲者が生まれてしまう。僕と同じ、言葉を知らぬ者。神の供物として押し上げられた者。悪意によって欺かれた者」


「僕は貴女を救ってみせる。不滅の悪意に死を齎し、人類を救済へと導く。悪疫に侵されたこの世界を浄化し、全てを正しく終わらせる。それを成し遂げるためには――」


「――歪神楽ゆらぎ。貴女の異能で、どうか僕を『■■■■』にしてください」


 ◆


 今宵、無間地獄の王と対峙するのは三人の怪異。彼等の名は、神秘貪る開闢王。シスター・マルガリタ。そして――歪神楽ゆらぎ。


「殺しに来たぞォォ……間女アバズレええええええええええッ!!」


 棺桶の奥から這い出てきた彼女は声を荒げ、瞳孔を剥き出した憎悪の眼差しで魔王を見据える。既に臨戦態勢。白い髪が蛇のように蠢き、滲み出る狂気が周囲の空間を歪ませている。


「魔王は夢幻から目を醒ました資格ある者と必ず戦わなくてはならない。そこに関して、一対一でなくてはならないというルールは存在しないはず。つまり、こちらが三人がかりで挑んでも何の問題もない。そうですね?」


 そんな彼女の背後に控える開闢王はまるで対照的、声を荒げることもなく淡々と言葉を紡ぐ。開闢王にとってこの状況は、計画の最終段階。一万年という途方もない時間を費やしてついに実現した悲願。だと言うのに、開闢王の声色には相変わらず、何の感慨も込もっていないようだった。


「…………はぁ」


 対する黄昏愛。彼女もまた相変わらず開闢王たち来訪者に丸まった背を向けたまま、地蔵のようにその場に座り込んだまま。ただ一つ、苛立ちを乗せた溜息を地面に向かって吐くばかり。

 九十九とちり、三人一緒だった愛たちは離れ離れになって今は独り。逆に敵のほうが三人がかりで向かってくる。その状況はどこまでも皮肉めいていて、愛の精神を擦り減らす。


「そうですね……何人がかりだろうと関係ない」


 それでも愛は、今の自分にできることを見失ってはいなかった。少なくとも、自分が魔王で在る限り。その座を奪われない限り。九十九とちりの生きる世界を守ることはできる。それが唯一、今の愛の生き甲斐になっていた。生き甲斐に、するしかなかった。

 彼女の望んだ結末ではない。こうなったのは全て、そう在るように仕組まれたからに他ならない。しかし、たとえそれが解っていても――今の黄昏愛はもう、この役割に縋ることでしか生きていけなかった。


「お前ら全員……此処で……――」


 そんな彼女が震える声で静かに告げる。体を不安定に揺らしながら立ち上がったその拍子に、彼女の背中に生えていた蝿の翅が急に朽ち果て、ぽろりぽろりと地面に落ちていった。


「――……皆殺しだ」


 俯かせていた顔を上げ、ゆっくりと振り返る。そうして露わとなった、黄昏愛の顔面には――何も無かった。目も鼻も口も無い。ただ真っ黒な空洞だけが顔の中央に広がっている。


 黄昏刻を想わせる赤い世界、佇むのは顔の判らない黒い影。これが今の黄昏愛。記憶を取り戻し、本来の異能を思い出した今の彼女は、第二形態ネクストを超えた『第三形態ジエンド』――無貌の魔王『ナイアーラトテップ』の化身として顕現する。


『愉しくなってきたわね♪』


 そんなものを目の前にして、シスター・マルガリタはまるで能天気に口遊む。軽快にステップを踏んで、躍り出るように歪神楽ゆらぎと肩を並べた。


『魔王討伐、三人で一緒に頑張りましょう♪ ね、歪神楽ゆらぎ♪』


 ノイズ混じりの電子音声でそう気安く呼びかけながら、マルガリタは機械仕掛けの手をゆらぎの頭に乗せる。直後、ゆらぎはそれを鬱陶しそうに払い除けた。


「触んなッ、ポンコツ!」


『アラッ! 暫く見ない間に反抗期? やーねぇ♪』


 マルガリタはまるで悪びれた様子もなく、両手をひらひらと振ってみせる。壊れたラジオのような調子の相手に、これ以上悪態をついたところで意味はないと承知しているのか、ゆらぎはそれ以上の口を噤んだまま一歩前へと踏み出した。


「見てて、おかあさん……! 助けなんかいらない……あんな奴、あたし一人で殺れるんだから……!」


 黄昏愛と歪神楽ゆらぎ。かつて黒縄地獄にて相対した両者。一度目の対決は黄昏愛に軍配が上がっている。歪神楽ゆらぎがその復讐に燃えている事は誰の目に見ても明らかで、恨みの籠もった虹色の蛇眼は遥か前方、無貌の魔王を捉えていた。


『良いの、マスター?』


 両手の人差し指をゆらぎの背中に向け、やや呆れ気味に首を傾げるマルガリタ。問われた開闢王は、諦めたように息を吐く。


「……良くはありません。が……仕方ない。少し様子を見ます。万が一の時は頼みましたよ」


『はぁい♪』


 天使に背中を見送られながら、歪神楽ゆらぎは一人、その細い足で花畑を踏み荒らす。相手が魔王だろうとまるで怖いもの知らず、間合いを容赦なく詰めていく。あの時と同じように。


糞女クソビッチ……調子に乗ってんじゃねえぞ……あたしが本気出せば……てめえなんか簡単にぶち殺せるんだよ……」


 殺意が音となって息に乗り、呪詛のように紡がれる。彼女はある種、誰よりもこの日この瞬間を待ち侘びていた。あの日からずっと、味わった屈辱晴らすその時を。


「…………」


 悍ましいその響きを前にして、しかし黄昏愛は身動ぎ一つ見せない。顔面にぽっかり空いたその黒い穴は、呪詛も殺意も、何もかも呑み込んで無に帰してしまうようだった。


 やがて両者、間合いに入る。腕を伸ばせば相手の顔に触れられる程の距離まで詰めて――ゆらぎは愛を見上げ、愛はゆらぎを見下ろす。片や憎悪を剥き出して、片や無貌のまま佇んで、静かに睨み合っている。


「もう遊んであげない……」


 とうとう相手の息遣いが聞こえる程にまで接近した彼女達は、どちらからともなく――幕を上げた。


「今更謝ったってェ…………許してやらねえからなアアアアアアアアッ゛!!」


 怒号と共に、最初の一撃を繰り出したのは歪神楽ゆらぎ。瞬間、彼女の背中から臓物のような肉塊や触手のような骨の連なりが、皮膚を突き破って飛び出した。


 歪神楽ゆらぎ。視る者全てを狂わせる『くねくね』の怪異。彼女の異能による狂気付与は精神のみならず肉体にも影響を及ぼす。そしてそれは自分自身の肉体でさえ例外ではなかった。彼女は黄昏愛のような変身能力や高速再生能力は持ち合わせていないがその代わり、肉体を自在に改造することができる。

 彼女の精神は最初から一片たりとも正気ではない。自分自身の肉体を改造することに何の抵抗も無い。それについては黄昏愛も同様で、つまりそれこそが狂気への耐性ということでもあった。


 そんな歪神楽ゆらぎが、改造した自分の体の中に収納しているのが――『ひみつおもちゃ』、全七騎のうち()()人造怪異オーダーメイド。『白鯨』『黒蛇』『鳥』『猫』『蜥蜴とかげ』『条虫』――それらが一気に、ゆらぎの中から飛び出した。


『――――――――――――――――――――――――――――――――!!!!』


 耳をつんざく雄叫びと共に、まず現れたのは白い鯨。それは空を飛び、巨大な口の中から無数の触手を吐き出して、その矛先を地上目掛けて降り注ぐ。

 更に黄昏愛の脇を挟撃するように、八頭の黒い大蛇が飛び掛かる。前回の反省を活かしているのか、大蛇はゆらぎの肉体から完全に切り離され独立しており、その長く大きな胴体を叩きつけるように地を駆け、獲物に喰らいつかんと押し迫る。


「…………はぁ」


 しかし。黄昏愛がこれ見よがしに溜息を一つしてみせた次の瞬間、白鯨の放った触手は突如軌道が歪み、愛ではなく黒蛇の胴体を貫いていた。串刺しにされ地面に縫い付けられた八頭の蛇は、そのまま音も無く霧散する。

 その一方で白鯨は、上空に突如現れた大量の猿夢列車によって四方八方から追突されていた。直後に列車は連鎖的に爆発していき、その爆風に呑み込まれ全身が風穴だらけとなった白鯨は、絶叫と共に遠く離れた地上へと落下する。


「は?」


 そして、それらが起きた一瞬の間に。歪神楽ゆらぎ、彼女は気が付けば上空にいて、自由落下の真っ只中だった。自分の身に起きている異常事態にようやく気付いた彼女が思わず間抜けな声を上げた次の瞬間、その体は地上に激突し全身の骨が砕け散る。


「あれは……転送の異能。『リンフォン』……ですね」


『そうみたいね♪』


 目の前に落下してきた歪神楽ゆらぎ。その姿を目の当たりにして、開闢王が静かに呟く。その隣でマルガリタもまた当たり前のように同意を示した。

 彼女達の分析通り、触手の軌道が歪んだのも猿夢列車が突然現れたのも歪神楽ゆらぎが突然上空に飛ばされたのも、確かに転送の異能――あのシスター・カタリナを彷彿とさせる現象。しかしそんな事は知る由もない歪神楽ゆらぎは、今の状況に混乱し切っていた。


「ちッ、ィ……!? クソが……何しやがった、あの女ァ……!!」


 悪態をつきながら歪神楽ゆらぎは体勢を起こす。全身の骨が折れているにもかかわらず、痛み自体は然程感じていない様子で彼女は立ち上がってみせた。


「だったらァ……『にゃあちゃん』! 磨り潰しちゃえええええええッ!!」


 そんな彼女の次なる命令に従って、周囲に散らばった臓物から這い出てきたのは、一匹の小さな白猫。しかしその猫には口が無く、鼻も無く、付いているのは顔の面積の半分以上を占めた大きな目が二つだけ。

 最初は一匹だけだった白猫は、その瞬間からあらゆる物陰から次々と湧いて出てきた。そうして無限に増殖し続けた猫の大群が津波のように、黄昏愛を目掛けて一斉に押し寄せる。

 それはカタリナ戦で愛も実践した転送対策の戦法。大量の有機物による盤面支配。ゆらぎは転送の正体が解らないながらも、その対抗策に直感で辿り着いていた。


「……無駄ですよ」


 対する黄昏愛、彼女もまた自身の背後から無限に増殖する蝿の群れを生み出し、猫の大群に衝突させる。蝿の一匹一匹が『ベルゼブブ』の異能を携えているその黒い大群は、猫の津波を容易く呑み込み返し、そのままゆらぎのこともまとめて押し潰そうとする。


「はァ゛!? うッぜェなマジで……! クソ……なら……『ぴよちゃん』ッ!!」


 蝿の大群を迎え撃つのは、全身に灰色の炎を纏った鈍色の大鳥。上空より飛来したその炎鳥は壁となって立ちはだかり、近づいてきた蝿を一匹残らず燃やし尽くす。鈍色の鋭いくちばしから溢れる甲高い啼き声が世界中に響き渡り、放たれた灰色の火炎が周囲の花畑を黄昏愛ごと燃やして灰にした。


「だから無駄だって……」


 灰色の炎に全身を灼かれながら、それでも黄昏愛はまるで意にも介していない様子で、ただ苛立たしげに掠れた声を漏らしている。そうして彼女が、その真っ黒な無貌で空を僅かに見上げてみせた、次の瞬間――


「……あァ? 雨ェ……?」


 ぽつり、ぽつりと。雲一つ無いはずの赤い空から降ってきた、赤い雫。その冷たさが頬に触れて、ゆらぎは思わず空を見上げる。


『アラ大変! マスター? マルガリタから離れないでね♪』


 その瞬間に何かを察したマルガリタは開闢王の肩を抱き寄せると、すぐさま機械仕掛けの翼を変形させ、開闢王の頭上に傘のような防御壁を展開させた。その判断がぎりぎり間に合ったタイミングで――それは空から降ってきた。

 赤い、赤い、血の雨。滝のように降り注ぐそれは地上を燃やしていた灰色の炎を掻き消し、更にその発生源である鈍色の鳥の肉体を瞬く間に凍らせていった。


「ぐッ……!? あ……が……!? な、ァ……ッ!」


 そして血の雨に晒されたゆらぎもまた全身に霜を貼り付かせ、その場に膝から崩れ落ちていた。全身の血色が失われ、呼吸が出来なくなっていく。


『Wow! 見て、マスター! これって『吸血鬼』の怪異、シスター・アナスタシアの異能をきっと再現しているのよね? 凄いわ! 流石は魔王様ね♪』


 目の前で繰り広げられる死闘の最中、血の雨を遮る防御壁の内側で、マルガリタは一人場違いなほど明るい口調。ともすれば敵であるはずの黄昏愛を褒め称えるような、能天気な感想を述べる。その隣で開闢王はただじっと、戦いの行く末を静観していた。


「……やはり。これが無貌の魔王……『ナイアーラトテップ』の怪異と成った黄昏愛は、地獄のデータベースにアクセスすることで全ての怪異の能力を参照し、模倣することが出来る。シスター・フィデスの仰っていた通りですね」


 記憶を取り戻し『ナイアーラトテップ』の異能が限定解除された今の黄昏愛の変身能力は、他の怪異の異能まで模倣対象に出来るようになった。そこに魔王の特権である地獄のデータベースを参照する能力が加わることで事実上、今の彼女は地獄に居る全ての怪異の異能を模倣することが出来る――


「……ざッ、けんな……!」


 その圧倒的な、別次元とさえ言っていい強さを前にしながら、歪神楽ゆらぎは尚も立ち上がっていた。苦しげな表情は見せているがそれでも、まだ動くことが出来ている。『吸血鬼』の異能によって血を失っているのにもかかわらず。


「この日の、ために……お前をぶち殺すために、あたしは……! この子達のことも、自分のことも、いっぱい……いっぱい改造したんだから……!」


 そう、彼女もまたあの日から成長を遂げていた。油断を捨て最初から全力であることは勿論、肉体を改造することで毒等への耐性を獲得し、たとえ全身の血を失うような事態になっても痩せ我慢すれば動ける程度には強化されている。もはや弱点は無い。かつてシスター・アナスタシアが言っていた通り、今の歪神楽ゆらぎは正しく最強の怪異を体現していた。


「この、程度……この程度、でェ…………殺れると思うなアアアあああアアアアアアッッ!!!」


 アナスタシアはこうも言っていた。歪神楽ゆらぎが本気を出せば、その階層セカイを滅ぼすことすら出来る。それを証明するように――次の瞬間、世界は暗転した。


 現れたのは二騎の人造怪異、白い条虫と黒い蜥蜴。虫のほうは、その巨大さが尋常ではなかった。白鯨の比ではない。まるで惑星そのもののような、途方も無い大きさのそれは果たしてどのように潜んでいたのか、大地の奥底から飛び出して――その衝撃によってこの世界の地盤を根こそぎ空へと打ち上げていた。

 そして黒い蜥蜴。これもまた、蜥蜴と呼ぶにはあまりにも巨大な姿で。その風貌は竜と呼ぶほうがもはや正確だった。四足歩行のそれは翼も無いのにどういう原理なのか、上空から落ちてくるように現れて、その巨体が赤い空一面を蓋するように黒く覆い尽くす。


 世界の全てが宙に浮く。崩壊した大地はマントルを剥き出しにして、その灼光が黒い世界を地の底から照らし出す。惑星を破壊する程の質量が重力すらも捻じ曲げたのか、砕けた大地は宙を漂い、それにしがみつくことで歪神楽ゆらぎは足場を確保していた。


 対して足場を失い空中に放り出された黄昏愛。無防備を晒す魔王に向かって、条虫と蜥蜴はその巨体を叩きつける。


「死ねえええええええええええええええええええええええッッッ!!!!」


 世界の終わりを告げるように、ゆらぎの咆哮が天に轟く。条虫と蜥蜴を衝突させることで、階層を空間ごと破壊する重力塊が生み出される。相手が無尽蔵の再生能力を持っていたとしても関係ない。空間が無くなれば存在することも出来なくなるのだから。それは事実、世界を終わらせる一撃だった。


「……………………はぁ」


 そんな物に天と地を挟まれて、黄昏愛は溜息ひとつ。自身の周囲に蜃気楼のような空間の歪みを纏い、宙に浮かぶ無貌の魔王。彼女は迫りくる質量の塊に、指先で――そっと触れた。


 瞬間、世界が緋色の閃光に満たされる。超新星爆発を想わせるその輝きの正体は――緋色の炎。黄昏愛に触れた二騎の人造怪異はその瞬間、質量を上回る熱量によって全身を燃え上がらせ、閃光と共に一片も残さず焼失した。


 無間地獄の階層は、もはや元の景色を完全に失っていた。大地は無くなり、重力は歪んだまま。赤かった空はその上から更に色濃い緋色によって塗り潰され、熱に灼かれた大気が発光しオーロラを生み出している。

 変わり果てたその世界で黄昏愛は何も変わることなく、まるで地獄の太陽のように空の上から黒い影を落としている。その異様を見上げる歪神楽ゆらぎはもはや言葉を失い、ただ愕然としていた。


「今のは、『クトゥグア』の炎……当然と言えば当然ですが、羅刹王の異能まで扱えるとは……」


 そんなゆらぎのすぐ傍に、開闢王の姿はあった。機械仕掛けの翼で飛行するマルガリタに抱えられ、空を漂う彼女もまた黄昏愛のことを唖然と見上げている。流石の開闢王も目の前で起きた光景には動揺を隠し切れず、譫言のように呟いていた。


「ぁ……あ……?」


 そして。歪神楽ゆらぎは不意に、その場に崩れ落ちる。毒への耐性を獲得したはずの彼女の肉体は足場の上で這いつくばったままぴくりとも動かなくなり、その意識も朦朧とし始める。


「なん、れ……? こ、え……ちから……はい、らな……」


 とうとう呂律すら回らなくなった彼女、その周辺にはいつの間にか――()()()が漂い始めていた。


 ――酩酊。それは堕天王、如月暁星の異能。『酒呑童子』の盛者必衰。その白い霧は歪神楽ゆらぎの周辺にのみ発生している。泥酔したゆらぎの青ざめた顔には頬だけが朱を帯びていて、瞳は焦点が定まらず殆ど白目を剥いていた。


「……思い知りました? お前はもう私には勝てない。相手にすらならない」


 その無様を見下ろし、酷薄に告げる黄昏愛。彼女が言葉にするまでもなく、もはや誰の目に見ても明らかだった。歪神楽ゆらぎはもう、今の黄昏愛には勝てない。むしろ最初から堕天王や羅刹王の異能を使っていれば、本来戦いにすらなっていなかったのだ。

 愛がそれをせず敢えて戦いを長引かせたのは、あの時の意趣返し。それでいて、絶対に勝てないという事実を思い知らせることで、魔王の座を諦めさせる狙いもある。


「これ以上は時間の無駄。見逃してやるから、もう二度と顔を見せるなよ……雑魚」


 思い知らされた上に、見逃された。その屈辱を植え付けるように、彼女はどこまでも冷酷に言い放つ。それが役目であると言わんばかり、無間地獄を統べる王として――弱者の尊厳を踏み躙る。


 無貌の魔王、その名はナイアーラトテップ。外宇宙からの侵略者。這い寄る混沌。狩り立てる恐怖の化身。その依代として、黄昏愛は此処に居る。きっとこれからも、永遠に。

 そう定められた自らの運命を、どう捉えているのか――顔の無くなった今の彼女からはもう、その気持ちを窺い知る事は出来なかった。

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