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怪物少女の無双奇譚《フォークロア》  作者: あかなす
最終章 無間地獄篇
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無間地獄 10

 後生大事にしていたはずの茜色のペンダントは、いつの間にか消えていた。

 どこまでも長く伸び続ける黒髪が、大地の上をカビのように広がっていく。血に薄汚れた黒いセーラー服、その背に巨大な蟲の翅を携えて。血の気のない蒼白の顔を俯かせる彼女は、深淵の如き純黒の瞳を微動だにもしない。

 太陽も月も無い、ただ赤いだけの空の下。彼岸花に囲まれて、黄昏愛は夢想する。


 自分の正体を自覚したことで、捏造されていた記憶が正しい輪郭を取り戻していく。その現象は思い出すと言うよりも、思い知らされると表現したほうがこの場合は正しかった。むしろ黄昏愛は、それを他人事とすら感じていた。

 無理もない。だって取り戻した記憶は、一つ残らず『黄昏愛』の物ではないのだから。それは『黄昏愛』の基となった、名前のない怪物の残滓。記憶を失っていたのではない、最初からそんなものは存在しなかったのだ。ただ『ナイアーラトテップ』の異能を制御する為だけに生み出された依代。だから他人事。


 その事実を突きつけるように、正しい記憶――否、正しい()()が襲いかかってくる。まるで現実に起きた出来事だとは思えない、その奇妙なはなしを夢想するほどに――自分という存在の希薄さを、彼女は思い知らされていた。


 ◆


 ■■■■年 ■■月


 地上三十階建てのタワーマンション、その最上階を陣取って非合法な人体実験に着手する彼女は今日も、名前のない怪物に餌を与えている。


 実験用のその部屋は彼女が普段使っている寝室よりも面積自体は広いものの、空間の半分以上を占有している座敷牢のような檻とその周辺に散乱する様々な機器によって占拠されており、狭く乱雑とした印象を与える。

 一糸纏わぬ姿を自身の黒い長髪で包み込むその怪物は、手足を重りの付いた鎖に繋がれて、檻の中で這い蹲ったまま、ペット用の皿の上に乗った異臭漂う獣肉を口だけで貪り食っていた。頭に突き刺さった電極とコードが周辺機器と繋がって、絶えず交信を行なっている。


 そんな怪物を閉じ込めた檻のすぐ傍、彼女はオフィスチェアに座ってデスクの上のノートパソコンと向かい合っていた。ウェーブがかった黒髪を肩まで伸ばした長身の彼女は、今日はノーメイクで、格好も部屋着の黒いスウェット姿。人差し指と中指の間で煙草の煙を退屈そうに燻らせている。


「やっほお、先生せんせえ。遊びに来たよお」


 その時。また別の女が突如、実験部屋に我が物顔で入ってきた。足元まで伸ばした黒い長髪。目元を完全に覆い隠した前髪。白いワンピースを纏うその女は、椅子に座っている彼女を『先生』などと呼びながら、しなだれかかるように彼女の背中にもたれ掛かる。


「……悪いけど外してもらえる? 今忙しいの」


 遠慮なく体重を預けてくるその女に対し、彼女は素っ気なく応じる。その視線は依然としてノートパソコンの画面に注がれたまま。


「なに見てるのお?」


 駘蕩とした口調のその女は、肩越しに彼女のパソコンの画面を覗き込む。そこにはとある動画サイトの配信映像が映し出されていた。映像の中では美しい少女が青い髪のツインテールを揺らしながら元気に踊り歌っている。


「あきらっきー様のアーカイブ」


「ええ? 忙しくないやんかあ」


「忙しいわよ。流し見するわけにもいかないし、視る時はちゃんと時間を確保して内容に集中しないといけないんだから」


 仕事をしている風だったが、どうやら今は休憩中らしい。画面の向こう側をかじりつくように見つめているそんな彼女の肩の上に顎を乗せ、女はつまらなさそうに唇を尖らせていた。


「それよりさあ、お仕事は順調なのお?」


 彼女の気を引きたいのか、女は耳元で囁くように話しかける。


「せっかくうちが協力してあげてるんやからさあ、結果は出してもらわないとねえ」


 妖艶なその響きに、彼女はどこか諦めたように溜息ひとつ。


「……順調よ。これまでになく」


 もはや集中して視ることは叶わないと悟ったのか、彼女はマウスを動かして映像を一旦停止するとノートパソコンを静かに閉じた。燻らせていた煙草を灰皿に押し付けて消火する。

 その様子を見た女は満足げに口角を釣り上げると、彼女の座っていたオフィスチェアをくるりと回転させ、自分の方に振り向かせた。そしてそのまま、女は彼女の膝の上に向かい合う形で座り、互いの息が頬に触れ合うほどの距離まで顔を近付ける。


「デザイナーベビー。正直どうなる事かと思っていたけれど、期待以上だった。良い商品を提供してくれたわ。流石ね」


「へへえ、そうでしょお? 今回のベビーは特別製やからねえ」


「特別?」


 距離の近さに彼女は少し困ったように微笑みながらも、女の背に腕を回して軽く抱き締める。


「実は、アレねえ……うちの遺伝子を基に造ったの」


「……へえ?」


 彼女は少し驚いたように目を見開かせて――今も餌を貪り食っている怪物の姿を密かに一瞥した。


「つまりアレは、あなたのクローンでもあるということ?」


「そうねえ。あるいは……子供と表現しても過言ではないかもねえ」


 女はくつくつと嗤いながら、彼女の首の後ろに腕を回す。体温を交換するように、その身体を深く密着させて。厚いカーテンのような前髪の隙間から、純黒の瞳を覗かせる。


「うちの子供を、きみが育てて……まるでうちら、あの子の親みたいやねえ?」


「……は。面白いことを言うわね。言い得て妙だわ。私達は間違いなく、アレの親なのよ。だって――」


 そう乾いた笑みを漏らす彼女は、口元を悪辣に歪ませていた。


「子供を好き勝手に弄れるのは、親の特権だからな」


 直後、彼女たちの唇は重なり合う。その内側で舌を絡めながら、互いの体をきつく抱き締め合う。二人分の体重を預けたチェアは、揺れるたびに軋むような音を立てる。やがて布の擦れる音と共に、身に着けていた物が一切れずつ、床の上にはらりと舞った。


『……………………』


 その様子を、檻の向こう側から。

 怪物は息を殺してじいっと、窺っている。


 ◆


 ようやく地獄の底に辿り着いて、魔王になってまで叶えた願いの果て。彼女に待ち受けていたものは、そんな救いのない現実ばかり。

 いっそ何もかも嘘であれば良かったのに、残念ながら全てが偽りだった訳ではない。『黄昏愛』も『あの人』も架空の存在ではあるが、そのモデルになった人物は確かに実在するのだ。今の黄昏愛は、存在しているとも存在していないとも言い切れない――まさに都市伝説を体現するような曖昧さの上で成り立っている。

 そんな泡沫夢幻の如き存在が、本物の『愛』を知った。ならばせめて、彼女達の生きるこの世界の事だけは守り抜きたい。それが今の自分にできる唯一の贖罪であるのなら――他の選択肢は残されていなかった。


「……あの女……」


 赤い空を見上げる純黒の瞳を静かに揺らして、愛はふと言葉を零す。呼び起こされた記憶の中で見覚えのある顔が、聞き覚えのある声があった事に、彼女は気がついていた。


「あの女が……私を造った、人間……」


 果たして何の因果なのか。『あの人』の原型と共に寄り添うその女の姿は、地獄で見たそれとは変貌を遂げていたものの――あらゆる所作に滲み出るその邪悪は、間違えようがなかった。

 拷问教會イルミナティの第一席、シスター・カタリナ。かつて愛と死闘を繰り広げた怪異の一人であり、ここまでの事態を引き起こした元凶の一人。

 奇縁と呼ぶほか無いだろう。ある種の親子関係にあった二人は、この地獄で再会を果たしていた訳である。

 一体どこまでが偶然でどこまでが必然だったのか。生前も死後も、結局あの女は何を企んでいたのか。しかしそんな事に今更気がつき思考を巡らせたところで、今の愛にはどうする事もできない――


「……………………」


 その時だった。無間地獄の彼方から聞こえてくる、花畑の上を踏み荒らす複数の足音に、黄昏愛は鎌首をもたげる。落としていた視線をゆっくりと持ち上げて、顔だけを背後に振り向かせる。


「魔王就任、おめでとうございます。黄昏愛」


 愛の丸まった後ろ姿に遠くから呼びかける、感情の希薄なその声の主は――言わずもがな、神秘貪る開闢王。愛と同じ、狂気への耐性を持つ者。魔王に成る資格を持つ者。


「早速ですが、奪いに来ました」


 ペストマスクの怪人は端的にそう告げながら、背負っていた巨大な棺桶を左手で掴み、大地に下ろす。棺桶に潰された彼岸花が辺りに血飛沫を撒き散らして、その拍子にどこからか湧いて出た小蝿の群れが一斉に空へ翔び立つ。


「…………二人?」


 愛の眉間に皺が寄っていく。その訝しむような眼差しは開闢王に対してではなく、その右隣に佇む別の人影に向けられていた。

 否、それを人影と言うにはあまりにも常軌を逸した異形。焔を纏った機械仕掛けの髑髏、修道服を模した外骨格、金属片の折り重なった四枚の黒翼――それは初めて目の当たりにする怪異だった。

 そしてそれが何者であれ、此処に居るという事は少なくとも狂気に耐性があるということ。開闢王以外に狂気の耐性を持つ者が他にまだ居たという予想外に、愛は思わず声を漏らしていた。


「それは質問でしょうか。ならば答えねばなりません」


 しかしそれは、別に問うた訳ではない。だが開闢王はまるで地獄耳、愛の零した微かな疑問すら掬い上げる。


()()()()()()()()()


 ――その瞬間。開闢王の左隣、地面に突き刺さったまま微動だにもしていなかった棺桶が、内側から爆発したような衝撃によって突如、閉ざされていたその蓋を上空へと吹き飛ばした。


()()()()


 ◆


 ひたひた、ひたひた。


 開け放たれた地獄の門――その暗闇の奥底から、足音が響いてくる。


 ……ひたり。


 白くて細い指の先が、闇の中から伸びてくる。その骨張った華奢な腕には、蛇の鱗のような刺青が浮かび上がっている。


 ひらり、白いワンピースのスカートが風に舞う。足元まで垂れた白い長髪、頭上には虹色のキューティクル。此方側に這い出てきた、七色に揺らめく瞳と、幼いその顔付きは――


 ◆


「よおおおおおおおおおおッ!! 殺しに来たぞォォ……間女アバズレええええええええええッ!!」


 ――溢れる怨念が如き狂気によって、悍ましく歪んでいた。


 歪神楽ゆがみかぐらゆらぎ。黒縄の禁域に封じられし厄災。最強最悪の怪異。

 それは裸足のまま、彼岸花を踏み潰して――今再び、黄昏愛と相見える。

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