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怪物少女の無双奇譚《フォークロア》  作者: あかなす
最終章 無間地獄篇
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無間地獄 7

 地獄の第八階層、無間地獄。


 星一つ無い黒天の下、其処には辺り一面、白いユリの花が咲き誇っている。噂に違わぬその絶景、何色にも染まっていない純白の花畑に囲まれた中心で――黄昏愛。彼女は永い夢から目を醒ました。

 下敷きにしていた白い花々の中から、眠り姫が起き上がる。その頬には涙の伝った痕があり、目の周りは赤く腫れていた。


「おはよう、黄昏愛」


 そうして茫然と、ただ項垂れるばかりの彼女に向かって、声を掛ける者が一人。


「よくここまで辿り着いたね」


 愛は地面に落としていた視線を、ゆっくりと持ち上げる。声の主は、愛の真正面。地面の上で胡座をかくように座り込んで、愛の顔をじいっと見つめていた。


「ボクは魔王。この無間地獄を統べる怪異の王だ」


 魔王を名乗るその少年は、しかし、何の変哲も無いただの人間のようにしか見えない。白色のパジャマのような服装、癖毛の黒い短髪、寝不足が祟ったような酷く深い目の隈――特徴らしい特徴と言えばそれだけの、平凡な少年の姿。


 ともすれば、どことなくあの案内人ロアと雰囲気が似ているような――


「ボクがロアに似ている? そりゃあだって、アレはボクの端末、クローンのような物だからね。魔王ボクはこの場所を離れられないから、アレには外の世界の情報をボクに共有する役割を与えているんだ。と言っても、アレにはアレで独立した自我がある。ボクとは別物と思ってくれて構わない」


 ――などと思っていた矢先、彼は訊かれる前から先回りして、ぺらぺらと喋りだした。それでいて薄く笑みを張り付かせ、愛のことをじいっと見据えている。


「キミのことはよく知っているよ、黄昏愛。だってボクは、キミという存在が地獄に落ちるのを直接手助けしたんだから。産みの親は流石に言い過ぎだけど、助産師くらいは名乗ってもいいんじゃないかな」


 案内人ロアのそれよりも幾許か低い音で紡がれる彼の言葉は、耳を傾けるほどにまるで深い眠りへと誘う子守唄のような心地良さと、それでいて幼い子供を死へと誘う魔王シューベルトのような悍ましさすら伴っていて。


「まずは、おめでとう。キミは見事、この魔王ボク――『アザトース』の異能によって創り出した『夢幻地獄』を自力で脱出した。キミには、願いを叶える『資格』がある」


 まるで名状し難き根源的な恐怖が形を成したような、そんな呪詛の如き言葉が絶え間無く、彼の口から吐き出されていく。


「そして、思い出したはずだ。生前、キミの身に何が起きたのか。なら、もう解っているね。黄昏愛は実在しない。キミの探し求めていた『あの人』は、キミの中にしか存在しない現実逃避の産物だということを」


 ――瞬間、心臓を鷲掴みにされたような怖気が、愛の全身に駆け巡った。


「キミが『あの人』というテクスチャを重ねて見ていた人物こそが、キミを壊した張本人だった。生前のキミは、時にそれを母親だったり恋人だったり、認識を都度変化させていたけど。ただの思い込みさ。キミは造られた存在。人間としての定義すら曖昧な、この世に産まれてはいけない、偽物の命だったんだ」


 夢幻地獄の中で見た、本当の自分の姿。本当の自分の記憶。本当の自分の末路――それら全てに事実だという実感が伴って、彼女の心に深く突き刺さっていく。


「本来であればこの事実を知った時点で、キミの不具合が再発する可能性は極めて高かった。さっきも言った通り、キミは人間としての定義すら曖昧だ。もしも不具合を起こしたキミが、自分自身を人間ではないと定義してしまった場合、人間のみを転生させるという前提にある地獄のシステムに深刻なロジックエラーが発生してしまう。そうなれば、果たしてこの世界にどんな影響を及ぼすのか、全く想像がつかない」


 風も吹かないこの地獄では、花のそよぐ音すら聞こえない。ただ魔王を名乗る彼の、淡々とした無機質な声だけが響くように伝わってくる。


「――でも、そうはならなかった。何故ならここまでの旅路で、キミの不具合は無事修復されたからね。この物語は最初から、キミを『人間』として成長させる為に用意された――キミが新たな『生き甲斐』を見つけ出す為に用意された筋書きだったのさ」


 それ以上は聞きたくない、心の中でどれほどそう訴えかけても――


「そう。キミが今不具合を起こさずにいられるのは、芥川九十九と一ノ瀬ちり。あの子達の存在が、キミの心の支えに――新しい『生き甲斐』になっているからだよ」


 ――どんな呪いよりも恐ろしい残酷な真実は、鳴り止む気配がまるで無い。


「キミ達は『親』という存在に人生を振り回された似た者同士。気が合うと思ったんだよね。だから引き合わせた。上手くいったよ。こちらの想定よりも遥かに、キミ達は仲良くなってくれた。おかげで虚像でしかなかった『黄昏愛』という存在に、揺るがない個性が生まれた。キミは人間になれたんだ」


 今の愛には耳を塞いで、現実逃避する余力すら、残ってはいなかった。


「さて、ここからが本題だよ。魔王『アザトース』の異能は、対象を夢幻地獄に閉じ込めること。だけど異能である以上、必ず発動条件と制約が存在する」


 魔王は口を動かしながら、不意にどこからか短剣を取り出した。禍々しい形をしたその短剣を魔王は、愛が視線を注ぐ地面に向かっておもむろに深々と突き立てる。


「もし夢幻地獄に閉じ込めた対象が自力で脱出した場合、ボクは対象と必ず戦わなければならなくなる。ボクが勝てば対象を追い返せるんだけど、もしボクが負けたら、ボクは対象の願いをひとつ叶えなきゃいけない。そして願いを叶えた対象は、そのまま次の魔王の座も継承して――魔王じゃなくなったボクは、この世界から消滅しちゃうんだ。そのリスクを背負う事自体が、ボクの異能の発動条件なんだよね」


 その言葉が真実ならば、先程の短剣を愛の脳天に突き立てていれば、それで愛をこの無間地獄から追い返せたはずである。

 しかし魔王はそうしない。それどころか、地面に突き立てた短剣から彼は手を離し、まるで愛に短剣を譲ったように見える。


「夢幻地獄を自力で脱出するには『狂気』への耐性が必要だ。つまり『狂気』への耐性こそが実質的に、願いを叶える『資格』でもあるわけさ。無間地獄の魔王は、訪れた者の願いを叶える――これが噂の真相だ」


 愛には確かに『狂気』への耐性がある。羅刹王が願いを叶えられなかったのは、これが無かった為である。

 と言うことは、同じく狂気への耐性を持つ拷问教會イルミナティの開闢王は、願いを叶える資格があるということ。だからこそ彼等は、願いが叶うという確信があってこの無間地獄を目指していた事になる。


「ボクは魔王の特権で、地獄のデータベースにアクセス出来る。そうして『対象の願いに限りなく近い物』をデータベースから参照し具現化することで、ボクはキミ達の願いを叶える。だけど当然、データベースに無い物を具現化することは出来ない。無いモノを有ったコトには出来ない。それが無間地獄のルール。魔王の異能の制約だ」


 この時の愛は、彼の言葉の意味を完璧に理解出来てはいなかった。ただ、それに異を唱えることもしない。粛々と、静かに耳を傾けている。


「つまりね。キミの中にしか存在しない理想の『あの人』を、そのまま具現化することは出来ない。だってそんなもの、実在しないんだから。よく似た偽物を作り出すことは出来るけれど、そんなものは求めていないだろう? キミのその願いは、叶わない」


 全てを思い出した今の愛にとって、もはや『あの人』は重要ではなくなっていた。


「以前までのキミなら、叶えるべき願いが無いと解った瞬間、間違いなく暴走していたよね。でも、今のキミには新しい願いがある。キミはもう自分を見失う事は無い。だったら、キミがやるべき事は一つだ。そうだろう?」


 だから、彼のその提案は必然で、そして愛にとっても避けようのない選択。


「さあ――ボクを殺して願いを叶えろ。そして、キミが新しい魔王になれ」


 本来であれば叶えるべき願いを持たず、魔王を継承することも出来なかった黄昏愛。そんな彼女に新しい願いを抱かせ、魔王を継承させる――全てはその為に。


「プランA、如月真宵の無力化には失敗した。だからプランB、黄昏愛を魔王に成長させる計画へ、物語の筋書きを変更したのさ。ボクでは奴等の企みを阻止出来なかった。魔王の座を防衛出来なかった。でも、キミなら出来る。ボクよりも強い怪異であるキミが魔王になれば、奴等から魔王の座を防衛出来る。キミのおかげで、この世界は救われるんだ」


 最初から、彼女に自由意志なんてものは無かった。ともすれば芥川九十九も、一ノ瀬ちりも、彼女の物語に巻き込まれただけ。それを彼女は、自覚してしまった。ここにきて、あれだけ否定し続けてきた――自己犠牲の精神が、芽生えてしまったのである。


「…………全部、私が、悪い。私が、産まれてきたせいで……九十九さんも、ちりさんも……みんな、不幸になった…………」


「そうだね。でも今ならまだ間に合う。キミの願いで、彼女達を幸せにしてあげるといい」


 心はもう、とっくにへし折れた。そんな彼女に、魔王は甘く囁きかける。

 飛び込んでおいでと言わんばかり、両手を大きく広げてみせて。


「言ってごらん。キミの願いを」


 そうして促されるがままに、彼女は――目の前の短剣を手に取った。

 地面から引き抜いて、鋭利なその刃先を――彼の胸元に飛び込ませる。


「……………………ちりさんを、助けてあげてください」


 魔王に短剣を突き立てて、返り血を浴びながら――彼女は、その願いを口にした。


 瞬間、魔王の身体から止めどなく流れ落ちる血が波紋のように地獄全土に広がって、白い花畑を赤に染め上げていく。赤く染まったユリの花は全て枯れ、代わりに大地から生えてきたのは――深紅の彼岸花。血の海のような赤い花畑が、地獄の全てを覆い尽くしていった。そんな大地の変化に呼応するように、漆黒だった空もまた、血の色に蝕まれていく。全てが赤に変わっていく。


 赤い空に赤い大地、何もかもが血に染まった世界の中心で――


「それじゃあ、後は頼んだよ。黄昏愛――無間地獄の新たな魔王」


 ――今この瞬間、ここに新たな魔王が誕生したのだった。

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