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怪物少女の無双奇譚《フォークロア》  作者: あかなす
最終章 無間地獄篇
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無間地獄 2

 昼休み。


 未だ肌寒い屋上は、昼休み特有の賑わいから少し離れ、聖域のような静けさを保っていた。遠くのグラウンドから聞こえてくるボールの弾ける音だけが時折、その静寂を破るように響いてくる。


 少し錆び付いた屋上のフェンス、その向こうには、どこまでも広がる青空が広がっている。白い雲はゆっくりと形を変えながら、屋上を横切っていく。時折、日差しが雲間から顔を出し、屋上に置かれたベンチや、その上に座る二人の女子高生の影をくっきりと浮かび上がらせた。


 その屋上の、一番日当たりの良い場所に、二人の女子高生が並んで座っていた。

 午後の授業を前に、束の間の休息を求めて此処までやってくる生徒は稀である。故に今、この屋上に他の生徒は、その二人――芥川九十九と一ノ瀬ちりしか居ない。


 九十九の手元には青い蓋の弁当箱、ちりの手元には赤い蓋の弁当箱――黄昏愛から手渡されたそれらを巾着袋から取り出し、二人揃って膝の上に置いて。それぞれ蓋を開ける控えめな物音が、静かな屋上で微かに響き渡った。


 弁当箱の中身は――卵焼き、タコさんウインナー、肉じゃが、ブロッコリー、ミニトマト。そして白いご飯の上には、種の抜かれた梅干しが一粒。

 特に卵焼きは、手作りであることを感じさせる趣きがあり、ほのかに優しい香りが漂ってくる。これを早朝から三人分、それも毎日作るとなると、正しく()が無ければ続かない所業だろう。


 そんな愛情の詰まった手作り弁当を前にして早速、二人は揃って手を合わせ、付随していたプラスチックの箸を取り出す。そうして二人は、示し合わせたわけでもなく、真っ先に卵焼きに箸を付け、口の中に放り込んだ。


「おいしいね」


「ああ……うまくなったな(・・・・・・・)


 何度も咀嚼を繰り返したあと、文字通り噛み締めるように、二人はぽつりぽつりと感想を溢す。その声色は優しく、ちりに至ってはどこか感慨に耽っているようにすら見えた。


練習・・に付き合ってきた甲斐があったってもんだ」


「練習?」


「あいつのほうから言い出したんだろ。『あの人』のために、もっと料理が上手くなりたいってさ」


「あぁ、そっか……そうだったね」


 ちりは持ってきていたペットボトルのお茶を箸休めに一口飲む。液体が流れ喉を潤すその音が、微か響くように聞こえてくる。


「しっかし……『あの人』ねェ。一体どこのどいつなんだか……」


 そうして一息ついた後、ちりの口から漏れ出たその声色は呆れたような、それでいてどこか拗ねているような不機嫌さを滲ませていて。


「……私たち、会ったことないよね? 愛の恋人」


「そうだな……別に興味ねーけど……」


 興味が無いと言いつつ、やはりどこか面白く無さそうに呟くちりに対し、九十九もまた何度も首を縦に振り頷いていた。そうしている間にも、彼女達は弁当の中身を次々と口の中へ放り込んでいく。


「愛、自分のことはあまり多く喋りたがらないよね。外でしか会ったことないから、おうちがどこなのかもわからないし。親のこととか、学校での話なんかも、全然聞かない」


「無理に問い質すほどの事でもねーけどな……」


 交互に言葉を交わす二人。その間も箸を動かす手は止まらない。よほど美味しいのか、二人の弁当箱はあっという間に中身を減らしていき、最後に揃って白米を掻き込んで、米粒一つ残さず二人はそれを平らげてしまった。


「人間誰しも、知られたくない事の一つや二つはあるだろうよ」


「……でもせめて、愛の恋人については私、ちゃんとよく知っておきたいな」


「ま、どんなツラしてやがんのかは気になるな」


「それもそうだけどさ」


 二人はそれぞれ弁当箱の蓋を閉じ、持ってきた風呂敷に丁寧に包み始める。その手つきは淀み無く、まるで何年も前から、毎日同じことを繰り返しているかのような、自然な所作で。


「絶対、私達のほうが好きだと思うんだよね。愛のこと」


「……マジか。どっから湧いてくるんだよその自信……」


「負ける気がしない。ちりだってそうでしょ?」


「……ばーか。なに言ってんだおまえ……」


 相変わらず素直ではない反応を見せるちりに、九十九はくすりと微笑んで。弁当箱を包み終えると、彼女は立ち上がった。軽く伸びをして、午後の授業に向けて気持ちを切り替えるように、ゆっくりと呼吸をする。


「よし。早速今日の放課後、訊いてみようかな。色々と」


 愛とは学校がある日はいつも校門の前で待ち合わせている。そこから公園までの道程、途中まで同じ帰り道を一緒に歩くというのが彼女達のルーティンだった。


 たまに寄り道をすることもある。ゲームセンターやカラオケに行って遊んだこともあるし、夕暮れまで公園でただ談笑していただけの時間もあった。喧嘩することもあったけど、その度に話し合って、仲直りしてきた。


 そんな毎日を過ごすうち、もっと彼女のことを、黄昏愛という存在をよく知りたい――そんな願望がいつの頃からか、芥川九十九の中に芽生えていたのだ。


 そして、きっとちりならそれに頷いてくれるだろうと、九十九は当たり前のように彼女に同意を求めて――


「……いや。それは……また今度でいいだろ」


 しかし。依然として座り込んだまま、視線を足下に向ける一ノ瀬ちりの表情は、暗い。


「ちり?」


「……なァ、九十九。もしもそれが、あいつの地雷だったら……」


 その時、昼休みの終わりを告げる予鈴の音が聞こえてきた。いつもと変わらないはずのその音色が、今日はやけに五月蠅く感じる。


「それを訊いたことで……今の関係が壊れちまうかもしれねェ。それでもおまえは……他人の人生に踏み入る覚悟があるか?」


 まるで自分にはそれが無いとでも言いたげな口振りで、九十九を見上げるちり。その眼差しはどこか、怯えてすらいるようで。


「えっ……と……」


 そんな彼女に咄嗟、九十九は言い返すことが出来なかった。だってまさか、あのちりから。気が強く、聡い、誰よりも信頼に値するあの幼馴染の口から、そんな言葉が飛び出してくるなんて――


 否、それほど意外でも無いだろう。これこそが一ノ瀬ちりの本質。誰よりも臆病な彼女は、何よりも変化を恐れる。『今』を大切に想うあまり、何を犠牲にしてでも、それを守ろうとしてしまう。前向きな意思も、後ろ向きな企みも、彼女には無い。ただ『今』が続くならそれでいい。

 そんな彼女の本質に、九十九も本当は勘付いていた。確かに芥川九十九という人間には浮世離れしたところがあり、感情の機微に鈍いところはあるが――愚かではない。


 流石に解る。それこそ本人達が思い出せないほど、途方も無く永い時間を二人は共に過ごしてきたのだ。芥川九十九は一ノ瀬ちりの事を何でも理解している――そう、だからこそ言い返せない。

 何でも理解しているということは、ちりが言われたくないことも解ってしまうということ。だから言えない。嫌なことを言って、ちりに嫌われたくない。

 それにちりの言いたいことも解る。『今』がずっと続けば、それはきっと幸せに違いないのだ――


「あー……悪い。変なこと言っちまったな。とにかく……まだその時じゃ無いっつうか……ほら、訊くだけならいつでも訊けるだろ? 今じゃなくても……いいんじゃねぇかな」


「……そう、なのかな」


 屋上の上を風が吹き抜ける。夏に近付き、随分暖かくなったとは言え、風が吹けばまだ少し肌寒い。

 ちりは小さく身震いをして、重い腰を持ち上げるようにようやくその場から立ち上がった。


「そろそろ戻ろうぜ」


「あっ、うん……」


 屋上の出入り口へ足早に向かっていく彼女の背中を、九十九は慌てて追いかける。後ろ髪を引かれるような想いのまま、けれど一歩を踏み出す勇気も出ないままに、彼女達は日常へと帰っていく。


 そんな未練を跡形も残さないよう、誰も居なくなった屋上はすっかり元の静けさと冷たさを取り戻していた。


 ◆


 放課後。


 午後の授業を終えるチャイムが、校舎の隅々にまで響き渡る。解放感に満ちた生徒たちが一斉に廊下へ溢れ出し、笑い声と話し声が交じり合い、校舎全体が活気付く。


 九十九とちり、二人はいつものように校門の前で待っている黄昏愛と合流した。学校から公園までの帰り道、その短い距離を噛み締めるように、三人肩を並べてゆっくりと帰路に着く――その途中。


 花壇を通り過ぎ、交差点の手前までやってきた時。愛は不意に口を開いた。


「今日は、海に行きませんか?」


 突拍子もない提案に、九十九とちりは一瞬きょとんとした表情を浮かべる。対して愛の浮かべる微笑は好奇心に輝いているようで、その様子に二人の心にも小さな興味が生まれ始めていた。


「時期じゃ無くね?」


「だからこそですよ。シーズンじゃない今なら、私達であの場所を独占できますよ」


「海、か……」


 このまま真っ直ぐ交差点を渡れば、すぐ公園に辿り着いてしまう。三人の帰り道が同じなのは其処まで。辿り着いてしまえば必然、三人は其処で別れてしまう。

 勿論これまでもそういう日はあったが――今日は何だか、離れ難い気分だった。ともすれば昼休みにしたあの会話が、二人をどこかセンチメンタルにさせていたのかもしれない。


「いいね」


「それじゃあ早速、駅に向かいましょう!」


 愛は交差点を渡ることなく、そのまま手前を右に曲がり、駅へと向かって歩き出す。その意気揚々とした後ろ姿に、九十九とちりは顔を見合わせ困ったような笑みを浮かべるのだった。


 斯くして思いがけない寄り道が決まり、三人は早速駅へと向かう。学校から最寄りの駅まで徒歩10分程度。その間も三人は他愛も無い話を続け、そうしていたら目的の駅はすぐに辿り着いた。


 ポケットから定期入れを取り出し、改札口にかざす。軽い電子音が鳴って、三人は問題なくそこを通過した。

 暫くホームで待っていると、電車はふらっとやってきた。三人はそれに乗り込んで、空いていたボックス席に座る。それを見届けたように、電車はドアを閉めて再びゆっくりと動き始めた。


 窓から移り変わる景色を眺めているうち、街の喧騒は遠ざかり、車窓には緑豊かな風景が広がり始める。田園風景、小さな川、そして遠くに見える山々。景色は移り、車窓を吹き抜ける風も、どこか潮の香りを帯び始めた気さえしてくる。


 そうして20分ほど揺さぶられていると、海のある駅に辿り着いた。トンネルを抜けてすぐ、地平線の彼方まで見渡せる絶景が飛び込んできて、三人は思わず車窓に身を乗り出す。


 電車を降り、改札を抜け、駅を出てすぐ。目の前には砂浜と、広大な海が姿を現した。視界いっぱいに広がる青い海面は、午後の陽射しを浴びてキラキラと輝き、波打ち際には白い波が穏やかに打ち寄せている。

 一気に押し寄せてくる潮の香りが鼻腔をくすぐり、耳を澄ませば砂浜を洗う波の音が心地よく響いてくる。


 砂浜に足を踏み入れた三人。九十九とちりが細かい砂を踏みしめる感触を足裏で愉しんでいると、その輪の中から愛が一人飛び出して、波打ち際に向かって駆け出した。海風が彼女の黒い髪を優しく揺らす。

 波打つ瀬戸際で立ち止まった愛は、おもむろに九十九達の方へと振り返る。そうして彼女はいたずらっぽく微笑むと、その場でローファーを脱ぎ始めた。片足立ちで交互に靴下も脱いでいき、丸めてローファーの中に押し込む。


「マジかよあいつ」


 愛が何をしようとしているのか察し、その様子を見て呆れたように笑うちり。釣られて九十九も微笑んで、二人もまた愛を追いかけて波打ち際まで歩き始めた。


「う゛っ……冷たい゛……!?」


「そりゃそうだろ……」


 波打つ砂の中を素足で突っ込んだ途端、全身を震わせる愛。早くも後悔したような反応を見せる彼女に、近くまでやってきたちりはやれやれと溜息ひとつ。


 寄せては返す波の際、九十九はその場にしゃがみ込んで、砂に埋まっている貝殻を手に取る。それを空に掲げ、西日に透かして見てみると、美しい模様が浮かび上がってきた。

 その小さな白い星屑は、ただの炭酸カルシウムで出来た残骸だとは思えないほどに可憐で。九十九は思わずぼうっと、見惚れるようにそれを眺め続けていた。


「九十九さん」


 そんなことをしていると、不意に聞こえてきたその呼び声。九十九がはっとなって視線をやると、いつの間にか愛が傍まで近付いてきていた。


「撮りましょ」


 彼女の手にはスマートフォンが握られていて、そして続くその言葉で、彼女が何をしようとしているのか察し、九十九は立ち上がる。

 そしてこういう時、「いやオレは……」などと言って逃げようとする一ノ瀬ちりの行動を先回りして、九十九と愛はすかさず彼女の両脇を挟み込むように並び立つのだった。


「ちょ、おまえら……ちけぇって……! わ、わかった……わかったから……!」


「ふふ。いえーい」


「いえーい、です」


 スマホのインカメラを起動して、三人の姿を画面に収め、シャッターを切る。切り取られたその瞬間は永遠となって、記録の中に保存される――


 時間が経つにつれて、太陽は徐々に西へと傾き始めた。空の色は鮮やかな青から茜、やがて紫へと、刻々と変化していく。海面も夕焼けの色を反射して金色に染まり、幻想的な光景が広がっていった。


 波の音は昼間よりも少し静かになったように感じられる。風も穏やかになり、辺りは静寂に包まれていく。

 三人は波打ち際から離れた砂の丘に腰を下ろし、黄昏刻の空を見つめていた。交わす言葉は無い。その静けさは、この美しい瞬間を心に刻み込む為の時間。心地の良い静謐が其処にはあった。ただ波の音だけが、永遠に繰り返されるように響き渡る。


 そうして夜の闇が刻一刻と迫り、車道の街頭が点き始める程度にはいよいよ薄暗くなってきた頃。


「愛は今、幸せ?」


 ふと、九十九が口を開いた。九十九の両脇に並んで腰掛けていた他の二人は、その声に揃って反応を示すように、視線を九十九へと向ける。


「幸せですよ」


 応える愛に淀みは無い。夜の闇よりも濃い黒を宿したその瞳は、空に浮かぶ一番星の光を鏡のように映し出している。


「今がずっと、続けばいいのに」


 それはどこか、星に願いを掛ける人形のような、切実さで。


「……そっか」


 祈るようなその小さな声に、九十九はただ頷くことしか出来なかった。昼休み、ちりに諭された時と同じように。彼女は言葉を飲み込み、目線を足下に落とす。


「(……いいのかな。みんなが望んでいるのなら、それで……)」


 自分自身を納得させるように、心の中でだけ呟いて。そしてゆっくりと、彼女は再び目線を上げた。


 夜の空に、少しずつ星の瞬きが増え始めている。気付けばどうやら、随分と長居してしまったようである。流石に身体も冷えてきた。


「よし、そろそろ帰るか」


 九十九がスマホを取り出し時間を確認しようとした矢先、ちりは見計らったようなタイミングで口を開く。スカートに付いた砂を払いながら勢いよく立ち上がる彼女、それを皮切りに愛と九十九も立ち上がって、三人揃って海に背を向け、駅のほうへと歩き始めた。


 ◆


 もう一度電車に揺られて、三人は学校まで戻ってきた。そこからはいつもの帰り道。

 交差点を渡って暫く歩くと、いつもの公園が見えてくる。そこが分岐点。ここから先は別々の道。


「んじゃ、また明日な」


 ちりは道を逸れて公園を突っ切り、反対側の裏道に出る。


「はい、また明日」


 愛は声だけを残し、いつの間にか其処から居なくなっていた。


「うん。また、明日」


 そして九十九は道なりに、ひたすら真っ直ぐ突き進む。


 歩き方は三者三様、けれど抱く夢はきっと同じ。ずっと一緒に居たい、ただそれだけのはず。

 ならば『今』、彼女達の夢は叶っていた。『今』が続く限り、彼女達はずうっと一緒。

 だから、また明日。これからも、続けましょう。


 この地獄を、いつまでも。

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