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怪物少女の無双奇譚《フォークロア》  作者: あかなす
第五章 焦熱地獄篇
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焦熱地獄 31

「……………………悪い。待たせたな」


 それはフィデスと開闢王が愛達の前から立ち去った後のこと。不意に聞こえてきたその声を、愛と九十九は最初、空耳だと思っていた。

 だって、聞こえてくるはずが無い。彼女は心臓だけの存在になった上に、如月真宵と一体化して跡形も無く消えてなくなったのだ。だから、そんなはずが無い――

 けれど、もしも奇跡があったなら。そんな一縷の望みに賭け、愛と九十九は揃って顔を上げた。空耳と思しき声のした方向へ、その視線を走らせる。


 其処には如月真宵の死体があった。しかし地面に倒れていたはずのその死体は、自らの足でその場に立ち上がっている。

 肉体は蝋人形のように溶け出していて、内側から別の白い肌が垣間見えて――その現象を、芥川九十九はよく知っていた。


「あ…………ぁあ…………ちり…………っ!」


 その姿は、かつての面影を殆ど残してはいなかったけれど――それでも芥川九十九は、確信していた。其処に居るのが間違いなく一ノ瀬ちりだと確信して、彼女の両目から大粒の涙が溢れ出す。


「……記憶の断片を読み取って、今の状況は把握している。この肉体に心臓オレを移植した奴は、どうやらこうなる事を見越していたらしいな。主人格が死んだことで、代わりにオレの人格が表に出てこれたみたいだ」


 バルバラの『融解アブダクション』は、精神という非物質すらも溶かして、混ぜて、固める事が出来る。あの時、バルバラは咄嗟にちりの人格を抽出して、フィデスにバレないよう真宵の体の奥底に隠していた。真宵が死んだ事で肉体の主導権は交代され、一ノ瀬ちりの人格が表に現れたのである。


「悪い……オレの責任だ。オレが間抜けだった。聞き分けの良いフリをして、あっさり騙されちまって……こんな事に――」


「ちりっ!!」


「うおっ……!?」


 ばつの悪そうな表情を浮かべていたちりだったが、そこに突進の如く飛びついてきた九十九によって謝罪の言葉は中断を余儀なくされる。九十九はどろどろに溶けている彼女の身体を構わず抱き締め頬ずりしていた。


「…………はぁ。まったく、ほんと、あなたって……ばかですよね。どれだけ心配したと思ってるんですか。このばか…………」


 そんな二人の様子を傍で眺める黄昏愛はと言うと、憎まれ口を叩きながらもその瞳を微かに涙で滲ませている。

 ようやく叶った、念願の再会。こうして三人で再び集うのは、まるで遥か昔の事のようで――その間に変わったものもある。


「……ちり。話があるんだ。大事な話が……!」


 今回の件で特に大きく変わったのは、やはり芥川九十九だろう。そんな彼女はちりの両肩を抱きながら、その瞳を真っ直ぐに捉えて離さない。


「…………っ」


 明らかにいつもと様子が違う、その決意の眼差しを向けられた一ノ瀬ちりは――咄嗟に視線を逸らしていた。

 予感があった。きっと九十九はこれから、今の自分達の関係が壊れてしまうような――そんな言葉を、そんな変化を齎そうとしているのだと。そう予感して――


「……いや。悪いが積もる話は後だ。『茨木童子』の異能はさっき解除した。もうすぐ動けるようになるはずだぜ」


 ――彼女は慌てて、話題を逸らす。実際それどころでは無い状況なのは確かだが――それを言い訳に逃げたのもまた確かだった。

 無理もない。だって会わなかった間に変わったのは愛と九十九だけ。ちりは何も変わっていない。独りで抱え込んで、己を犠牲にしようとするその精神性は、何も変わってなどいないのだ。せめてこのような状況でなければ、もう少し話も出来たのだろうが――


「時間が無い。今はとにかく、奴等を止めるぞ」


「え、あ……うん……」


「…………」


 早々に話を切り上げるちりに、そしてこの状況に、異議を挟む余裕も無く。愛も九十九も引き下がるを得なかった。

 しかし何はともあれ、これで『茨木童子』の異能は解除された。赤い霧が晴れ、動けるようになった三人は、遥か前方を往くフィデス達を追いかけて駆け出したのである。


 ◆


「赤いクレヨンッ!? まさカ……あのクソ野郎……! やりやがったナ……ッ! 赤いクレヨンの人格を心臓から抽出しテ……如月真宵の中に隠していやがっタ……!!」


 事態を察したフィデス、赤いクレヨンに塗り潰された本を投げ捨て、その懐から拳銃を取り出す。


「クソガッ……!! 邪魔すンじゃネェェェェエエエエエエエッ!!!!」


「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ!!!!」


 そして放たれる銃弾、しかしそんな物を何発喰らったところで芥川九十九を止める事は出来ない。半人半魔と化した彼女の脚力はフィデスとの距離を一気に詰める。もはや目と鼻の先、九十九の振り翳す悪魔の拳はフィデスの顔面目掛け、一直線に放たれる。


 しかしそれはフィデスに届く直前、()()()()によって遮られた。


()()()……!?」


 突如として上空から雨の如く降り注ぎ、九十九達の進路を妨害したそれは、かつて戦った『巨頭オ』と呼ばれる人造怪異。その群れは槍のように次々と地面に突き刺さり、その内の一体が九十九とフィデスの間に割り込んで、悪魔の拳からフィデスを守ったのである。


「(まさか……転送の異能!? どうして……カタリナは殺したはず。それから1時間も経っていないのに……もう復活した……!? 私と同じ高速再生能力でも隠し持っていたのか……!?)」


 虚空から現れる巨頭オの群れ、その現象は間違いなくあの『リンフォン』の異能――カタリナによる転送だった。しかし俄には信じ難いその事実に、黄昏愛は静かに目を見開かせる。


「ぐ……っ……」


 その時フィデスの後方、駅の近くで倒れていた開闢王が呻き声を上げる。愛の狙撃は急所を外していたのか、開闢王は苦しげな息を漏らしながらもなんとか生きていた。


「さッさと列車に乗レッ!! 先を越されるゾッ!!」


 流血する左肩を抑えながら起き上がる開闢王に向かってフィデスが声を荒げる。それに応えるように、開闢王は覚束ない足取りながらも駅に向かって歩き始めた。


「行かせない……!」


 その動きに気が付いた瞬間、全身の骨が砕けるような奇怪な音を鳴らして――黄昏愛は『変身』する。黒い外骨格を身に纏う巨大な蠅の怪物――『蝿の王』へと自らを作り変えた彼女は、そのはね羽撃はばたかせた次の瞬間――音速を超えていた。

 全てを置き去りにする速さの突進は、開闢王を守る盾にもなっていた『巨頭オ』の群れ、その尽くを呆気なく、一瞬で木っ端微塵に薙ぎ倒していったのである。


 その勢いのまま一気に距離を詰め、開闢王の目の前に降り立った黄昏愛。蠅の怪物と化した今の彼女は、背の高い開闢王を更に上から見下ろす程の巨体で――


「…………申し訳ありません、御姉様マイシスター。これは……流石に――――」


 台詞を最後まで言わせる時間すら与えず、放たれた悪魔の拳。その一撃で胸を穿たれた開闢王は駅とは真逆の方向、遥か彼方まで殴り飛ばされたのだった。


「クソッ……化け物ガ……!!」


 開闢王がやられた。当然こんな展開、全く想定などしていない。最期の最期で計画を台無しにされた怒りと焦りで、フィデスは苛立ちを乗せた息を荒々しく吐き出す。


「退けえッ!!」


 そしてその一方、地上では九十九が巨頭オを次々と殴り飛ばし、道を開け――真っ直ぐ、フィデスの姿を捉えていた。

 九十九の接近に気が付いたフィデス、慌てて振り返るが――その時にはもう既に、彼女の怒りの形相は目と鼻の先まで迫ってきていて。


「フィデスッ!! 覚悟しろッ!!」


「このクソガキィ……!!」


 両者が再び肉薄した時、その間に壁となる障害は何も無かった。もはや避けようの無い距離で振り翳される、九十九の拳――だがそれは、またもや遮られる事になる。


「な……これ、は……!?」


 両者の僅かな隙間を縫うようにして、虚空から割り込んできた物は――大量に蠢く、黒い髪の毛。それは九十九の背後から忍び寄り、四肢に纏わりついて、悪魔の拳を拘束したのである。


「まさか……『禁后パンドラ』の……っ!?」


 拘束した者の身体能力を制限する『禁后パンドラ』の異能、呪いの髪の毛が九十九の身動きを封じ込める。

 またしても転送されてきた妨害によって間一髪、拳の直撃を免れたフィデスは、よろけた拍子に自分の足下にいつの間にか転がっていた物に気が付いて、その口角を鋭く吊り上げていた。


「……仕切り直しダ。開闢王アイツがいなきゃ無間地獄に行っても意味がねェ。()()()()は譲ってやるヨ……」


 フィデスが足下からゆっくりと担ぎ上げたそれは――棺桶のような、黒色の大きな箱。


「だがテメェは駄目ダ……テメェだけは此処で確実に殺ス……!!」


 その蓋が開け放たれた瞬間、周囲に転送されてきた黒い髪の群れが一斉に九十九の身体に飛びついて、棺桶の中に引き摺り込もうとする。


「(あれは……あの棺桶は、羅刹王を封印した物と同じ……!? マズい……あの中に閉じ込められたら、もう二度と……っ!!)」


 閉じ込めた物を地獄の時間軸から切り離し、永遠の死を齎す人造呪物オブジェクト――どうやらその予備の用意があったらしい。『禁后パンドラ』に拘束され悪魔の膂力が発揮出来ず、そのままずるずると引っ張られる九十九の身体。

 大きく口を開けたように待ち構えている闇が、もう目の前にまで迫ってきている。しかし九十九に為す術は無い――


「九十九ォォォォォォオオオオオオオオオッ!!」


 そんな彼女の危機に誰よりも早く駆けつけるのが、一ノ瀬ちりという女だった。両手の鋭く伸びた赤い爪で『禁后パンドラ』の髪を切り裂き、九十九を拘束から解放。咄嗟にその身体を突き飛ばす。


「ちり……っ!? 駄目だ……それは……!」


 しかしそうなると、必然的に――『禁后パンドラ』の標的が、九十九からちりへと移り変わる。ちりは瞬く間に四肢を拘束され、身動きを封じられてしまった。


「ちりさん……!?」


 開闢王を斃した直後、変身を解除した愛が振り返った時には既にもう、ちりの身体は棺桶の中に半ば引き摺り込まれている状態で。


「くっ……そお……!」


 ちりに向かって咄嗟に触手を伸ばす愛――しかしそれを邪魔するのは、やはり転送の異能。触手は虚空に吸い込まれ、あらぬ方向から排出される。ちりのもとまで届かない。


「ちり……ッ! 手をッ!!」


 目の前で引き摺り込まれていく彼女に向かって、九十九が必死にその手を伸ばす。


 もしかしたら――ちりが拘束に抵抗して、無理矢理にでも手を伸ばし返せば――その手を掴み取れていたかもしれない。だが、ちりにその手を取るという選択肢は最初から無かった。

 もしもここで九十九の手を取ったら、一緒に引き摺り込まれてしまうかもしれない――そんな冷静な判断が出来てしまう彼女だからこそ。九十九の手を取ることなんて、出来るはずもなかったのだ。


「行け……」


 閉ざされていく蓋の隙間、最後にその目に焼き付けるように――彼女の赤い瞳は、九十九のそれと交差する。


「行けッ!! 先に進むんだよッ、オマエ等は!!」


 過去じぶんの事など捨て置けと、釘を刺すように――彼女は最期にそう叫んで、闇の中に沈んでいったのだった。


「ちりィィィィィィィィィイイイイイイイイイイイイイイイッ!!!!」


 九十九の悲痛な叫びを置き去りにして――彼女を閉じ込めた棺桶はそのまま地面の中、転送の丸穴の中へ、沈むように消えていく。


「チッ……死に損ないガ……」


 転送されていく棺桶を見届け、吐き捨てるように言い放つフィデス。その声が聞こえた次の瞬間、九十九は全身から黒い瘴気を噴き出し、勢いよく立ち上がった。


「貴様あああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」


 まるで今抱いている感情をそのまま反映したような、怒りを顕わにしたような悪魔の紋様を全身に漲らせて。九十九がその衝動の赴くまま、フィデスに向かって掴み掛かろうとした――その時。


『――――――――――――――――――――――――――――――――』


 ここにきて、幸運がことごとくシスター・フィデスに味方するように――またしても間の悪いタイミングで、遠くから聞こえてきたそれは、列車の汽笛。

 先程まで駅の前で静かに横たわっていた猿夢列車は突如として蒸気を吐き出し、車輪の軋むような金属音を鳴り響かせる。車内の電灯がチカチカと点滅して――今にも発車しそうな様子である。


「……良いのカ? 無間地獄行きの列車は次にいつ現れるか解らなイ。今を逃せばもう二度ト、テメェ等の望みは叶わなくなるかもしれないゾ?」


 その場凌ぎの嘘かもしれない。けれどもし本当だったなら、取り返しがつかない――そんなフィデスの囁きに、九十九はその動きを止めた。止めざるを得なかった。


「…………くそっ…………!!」


 握り締めていたその拳は、振り上げていたその腕は行き場を失い、力無く下ろされる。悔恨に満ちた声を漏らしながら、そうして九十九は悪魔の羽でフィデスの頭上を飛び越え――駅の前、愛の隣に並び立つのだった。


「……ククッ……! そうだよナァ……? テメェ等はそうするしか無イ……だって一ノ瀬ちりを助けるにはそれしか無いんダ。良いゼ、願いを叶えてこいヨ……譲ってやル……!」


 血と汗に塗れたフィデスの顔は、邪悪な嗤いを形作る。二人の少女達の行く末を呪うように、牙を剥き出したその口からは冷ややかな嘲弄が溢れ出す。


「だがナ……この物語の結末は変わらなイ……アタシの勝利は揺るがなイ……! 延びた寿命で精々良い夢見ろよクソガキ共……!!」


「…………行こう」


「…………はい」


 後方から延々と聞こえてくる、呪いのようなその言葉を無視して、二人は列車に乗り込む。直後に列車の扉は自動的に閉ざされ、再び鳴り響く汽笛を合図に、その車体はゆっくりと動き始めたのだった――


 ◆


 静かに揺れ、線路の上を進む猿夢列車。灰色の砂漠から遠ざかり、車窓から見える景色は見渡す限りの三途の川が広がっている。

 程なくして、九十九は力尽きたように膝から崩れ落ちていた。虚ろなその瞳はどこも、何も見えていない。


「九十九、さん……」


 そんな彼女に声を掛ける愛もまた、当然疲れ切っている。やっと念願の無間地獄、あと一歩で願いが叶うというのに――彼女達の表情はこの世の終わりかと言う程に曇り切っていた。

 すぐに誰も喋らなくなって、静寂が訪れる。聞こえてくるのは車輪の軋む音だけ――


「…………大丈夫。大丈夫だよ」


 ――そんな時、不意に声を上げたのは芥川九十九だった。跪いたまま、ゆっくりと持ち上がった彼女の顔は――しかし。大丈夫という言葉とは裏腹に、今にも泣き出しそうな弱々しい表情で。


「無間地獄で願いを叶えれば良い。そうすれば、ちりの身体は取り戻せる」


 それはまるで、自分自身に言い聞かせているようで。事実、彼女はある懸念を振り払う為に、自らを奮い立たせる為だけに、それを口にしていたのである。


『確かに無間地獄の魔王は訪れた者の願いを叶える。だが願いが叶うのは『()()』を持つ者だけだ』


 九十九の抱く懸念とは、バルバラから聞いたその言葉。つまりそれは、芥川九十九には願いを叶える『資格』が無いかもしれないという可能性。願いが叶わないかもしれないという可能性。一ノ瀬ちりのことを、救えないかもしれないという可能性――


「ねえ。そうだよね? 愛」


 その可能性を考えると今にも気が狂いそうになる自分を、必死に抑え込んで――それでも助けを求めるように彷徨っていた九十九の視線は、やがて請うように愛を見上げる。


「……そう、ですね……」


 それに応える黄昏愛――しかし斯く言う彼女もまた、ある懸念に苛まれていた。


『実は無間地獄のアレね、()()()なの。しかも……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のよ』


 カタリナの遺したその言葉は、まるで呪いのようだった。だってそれが本当なら、それはつまり愛と九十九、二人が揃って願いを叶えようとした場合――殺し合うことになる。

 他にもまだ何か条件があるのかもしれない。そもそも何の代償も無く願いが叶うだなんて、楽観的にも程があったのだ――


「……………………」


「……………………」


 だからもう、それ以上――お互い何も言えなかった。

 無言のまま、ただ時間だけが過ぎていく――


 ◆


 少女達を乗せた列車の行き先は、地獄の第八階層――無間地獄。

 一万年以上もの間、誰も立ち入る事の出来なかった地獄の底。


 果たして其処には、他の地獄と同様に――等しく赤い空が広がっているのだろうか。

 それすら誰も識らない禁足地、この物語の終着点へ――彼女達は足を踏み入れる。

第五章・焦熱地獄篇、終幕。


最終章・無間地獄篇に続く。

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