焦熱地獄 28
それは、在りし日の記憶。
如月暁星と如月真宵。双子の彼女達は、3歳の頃に両親と死別した。
その後、身寄りの無い双子をどうするか――当時、親戚の間で幾度も話し合いが行なわれたという。
というのも、親戚の誰もが彼女達の事を積極的に引き取ろうとはしなかったからである。
それは経済的な理由もあるし、単に厄介事に巻き込まれたくないというのもあった。
だから、そんな彼等の間で真っ先に、ごく自然に出た提案は、双子を施設に預けようというものだった。
彼等の殆どがそれに賛同した中、それではあまりにも可哀想であると申し出た母方の祖父母によって、双子は一旦引き取られる。
だがその祖父母も既に高齢で、数年後には他界。結果として、祖父母の遺言に従う形で叔父が、渋々、彼女達を育てることになった。
叔父は妻と息子の3人暮らしだったが、家庭は既に冷え切っていた。その上、引き取る気も無かった他人の子供、しかも双子の面倒を見る羽目になって――夫婦間は更に悪化し、その鬱憤は当然、双子に向けられた。
とは言え、夫婦にも世間体がある。家庭に金銭的な問題も無かったため、双子には最低限の衣食住は提供されていた。
だから――周りには見えないところで。肉体ではなく精神的な負荷を、理不尽を、彼女達に強いていた。言葉による圧政で彼女達を飼い殺した。
そういう意味で、彼女達の家庭内での扱いは劣悪と言って差し支えなくて。そんな彼女達にとって、お互いの存在は心の支えになっていた。
そんな生活を何年も続けてきて――ある日、妹は気付く。
「……あれ? お姉ちゃんって、ひょっとして……めちゃくちゃ顔が良い……?」
姉の非凡な才能――絶世の美貌は、彼女が歳を重ね成長を遂げるごとに、浮き彫りとなっていった。
その才能に、この世の誰よりもいち早く気付いたのが、如月真宵だった。
彼女達にとって義理の兄にあたる叔父の息子は、普段から家に殆ど帰ってこない。そんな彼の部屋にはパソコンがあり、家にはインターネットに接続出来る環境が整っていた。
叔父の目を盗んでパソコンを使い、インターネットの世界を覗き込んだ如月真宵は――そこに可能性を見出す。
「……きっかけは何だっていい。とにかく、メディアの目に留まりさえすれば……生まれも育ちも関係ない、学歴や資格が無くても……アイドルに成れる。お金が稼げるんだ……」
時は西暦2014年。如月真宵の計画はここから始まった。
彼女はプロデューサーとして、ディレクターとして、マネージャーとして――如月暁星という存在を、世に知らしめる事を決意した。
「それに……今メディアで活躍している、どいつもこいつも……全然大した事ない。トップアイドルとか呼ばれてる連中でさえ、この程度……――ははっ」
そう。誇張も無く、この物語における全ての元凶は間違いなく、彼女なのだ。
彼女の行動が、現世を正史から逸脱させた。如月暁星という銀の弾丸を、地獄へ放つ拳銃こそが、彼女の役割だった。
「こんなのブルーオーシャンじゃん! この程度の顔で稼げるなら、競合相手なんて居ないも同然。お姉ちゃんなら……こいつらなんかよりもっと稼げる……!」
それは、在りし日の記憶。
偶像という概念を根底から覆した――あるいは、正しく偶像そのものを造った――怪物少女の前日譚。
決して奇跡などではない、辿るべくして辿った軌跡。
終わりの始まりの物語。
◆
2015年。時代の変わり目に突如、如月暁星という存在はインターネットに現れた。
彼女が最初に姿を現したのは、生放送の配信がメインコンテンツとなる某サイト。そこで匿名アーティスト『あきらっきー』として活動し、その知名度はSNSを通じて爆発的に広まった。
曰く、とにかく顔が良い。これまで見たことも無いような絶世の美貌、一万年に一人の美少女とまで謳われた彼女がメディアの目に留まるのは必然であり、一瞬で。
当時はまだ配信活動がメインだったが、既にテレビ出演のオファーが幾つも来るようになっていた。
そしてこの頃から、如月暁星の芸能活動における全てのタスクとスケジュールは、如月真宵が一人で管理していた。
如月真宵が表舞台に立つ事は無かったが、その手腕は姉の名と共に後世に語り継がれる事となる。
2016年。如月暁星の活動が義理の両親にバレる。
怒り狂った叔父が、暁星の顔に向かって熱湯をブチ撒けるが――それを庇って、真宵は顔に大きな火傷を負う。
これまで目に見える虐待をしてこなかった叔父だったが、ここにきて申し開きも出来ない程の外傷を子供に与えてしまった事を如月真宵はむしろ逆手に取り、すぐさま児童相談所へ通告。
結果的に叔父とは離れ、別の親戚の元に引き取られる手筈となったが、その後に如月姉妹は部屋を借り、二人だけで暮らすようになった。
あきらっきーとしての活動は順調で、音楽系のイベントに多く出演するようになる。テレビにも当然引っ張りだこ。全国ツアーライブも大成功を収め、インターネットを通じ海外のメディアにも注目されるようになる。
2017年。実名を公表。ここから如月暁星のアイドルとしての活動は本格化する。
彼女のファンの輪は世界中に広がり、暁星自身も世界各国へ飛ぶようになった。
もはやネットも現実も関係なく、誰もが如月暁星という偶像に夢中になっていた。彼女はもはや疑いようもなくトップアイドルとして世界に君臨し、その功績はノーベル平和賞を受賞するまでに至る。
「そんなのリアルじゃない? 世の中そんなに甘くない? 芸能業界の闇? 既得権益者の都合? 裏金問題? 枕営業? ここまできて今更そんな物語が読みたいわけ? 前提からして間違ってる。才能で無双する、お姉ちゃんのはそういう物語なの。既存の価値観なんて関係無いんだよ。そんな世界これから全部ブッ壊すんだから」
2018年。世界各国の権力者が彼女を懇意にするようになり、如月暁星という存在は莫大な富と権力を獲得する。
彼女の存在によって既存の価値観はその悉くが大きく歪み、彼女を神とすら敬う人種が国家単位で現れるようにさえなっていた。
その最たる例として、日本の法律が彼女の為だけに一部改定される。如月暁星は改定後の法律に則り、選挙に立候補。彼女は政治家として異例の速度で出世を遂げていく。
2019年。如月暁星が日本の内閣総理大臣に任命される。
これに伴い、日本の元号は平成から『暁星』になった。
彼女の数々の偉業は歴史に刻まれた。例えば、全人類の殆どが彼女の歌声に心酔したことにより、世界中で次々と戦争が終結。殆どの国が争うことを止めた。ならばもうこんな物は必要無いだろうと、世界終末時計が廃棄されることになった。
例えば、彼女の築いた巨万の富が全て寄付に使われ、世界中の貧困層が救われた。世界平和の実現は現実の物として、もはや目前にまで迫っていた。
彼女の記録映像の視聴は義務教育となり、世界中の紙幣で彼女の顔が印刷され、彼女の誕生日は祝日に制定され、世界中の規範や法律が大きく変わり、新たに暁星賞が設立されて――
この世界はまるで、空想のように変わり果ててしまったのである。
「私が造ってあげる。お姉ちゃんが最高に輝ける舞台を、空間を、部屋を、箱を、世界を――私が全部用意してあげる。だって私はその為に生まれてきた、お姉ちゃん専用の、『工務店』なんだから――――!」
2020年。如月暁星、飛行機内で自爆テロに巻き込まれ死亡。享年20歳。
「――――……………………は?」
◆
デウス・エクス・マキナ。
機械仕掛けの神を意味する、演劇技法の一種。
劇中における解決不可能な局面において、機械仕掛けで舞台に登場し、強引に事態を収拾させる神の役割。
転じて、作為的な大団円。有機的な展開とは無関係な偶然的要因によって物語に決着をつける、御都合主義の舞台装置。
◆
「…………キミは何者だ?」
次に目を覚ました時、如月真宵は列車の中に居た。
それがこの世ならざる猿夢列車で、その行き先が地獄である事を、この時の彼女はどういう訳か直感的に理解していた。
車窓からは、正しくこの世の物ではない赤い空と黒い大地が見える。伽藍洞とした車内、ソファーの上に座る彼女は、いつもと変わらぬビジネススーツ姿で――しかしその肌は、生前とまるで反転したような褐色に染まっていた。
「(……地獄って、列車に乗って行くものなんだな……)」
寝起きの頭で、ぼんやりとそんな事を思いながら――先程から目の前に佇んでいる、奇妙な道化の顔に彼女は視線を送るのだった。
「デウス・エクス・マキナ……? 『工務店』の怪異だって……? そんな種族、地獄のデータベースには無い……そんな物語は存在しない……」
しかしその道化はと言うと、何故だか酷く怯えたような面持ちで、何かを譫言のように呟いている。それはあまりにも平時の彼らしからぬ狼狽えようだった。
「プロ意識に欠けている」
そんな彼に向かって、真宵は唐突に口を開く。主語の抜けた彼女の言葉は道化にとっても意味が解らず、虚を突かれた彼は言葉を詰まらせ、ただただ目を丸くしている。
「嗤いなさいよ。道化ってのはそれが仕事でしょ」
真宵は溜息混じりにそう言うと、自らの口の端を両手の人差し指で持ち上げ、道化に向かって笑顔を作ってみせた。当然、その目は笑っていない。
それでも道化は、ぽかんと口を開けたまま。まるで不具合の発生したシステムのように、処理落ちしたプログラムのように、固まっている。
見かねた真宵は呆れたように溜息を吐いて、腕を組み、脚を組み、その朱と碧のオッドアイで目の前の道化を尊大不遜に睨み付けた。
道化がプロ意識に欠けているというのなら、今の彼女は冷静さに欠いていた。彼女はまるで八つ当たりでもするように、露骨なまでに不機嫌な態度を取り続けている。
「まあいいわ。それより、教えなさい」
事実、彼女は怒っていた。当然である。だからこそ彼女は地獄までやって来たのだから。
「お姉ちゃんはどこ」
自分の預かり知らぬ所で勝手に死んだ、実の姉――如月暁星のことを、ただ怒鳴りつける為だけに。
姉の凶報を聞いた彼女はあの後すぐ、何の躊躇いも無く――自ら死を選んだのだから。
◆
真宵が地獄に落ちてきた時点で、姉の暁星は地獄で既に千年以上を過ごしていた。
時系列で言うと、本編から一万と千年前のことである。
この頃の地獄は激動の時代。羅刹王と堕天王、二つの巨星がぶつかり合い、地獄の勢力は二分された。
いつしか忘却齎す堕天王などと呼ばれるようになっていた暁星は、羅刹王から第一・第二・第三階層を奪還し、更に『酩帝街』を築き上げるまでに至ったが、それでも羅刹王との戦争は未だ続いていた。
正確には戦争ではなく、暁星にとっては交渉のつもりだったのだが――羅刹王は停戦を拒み、そればかりか触れた物の熱を操る異能の遠隔発動によって、暁星の居る階層に幾度も爆撃を仕掛けていた。
しかし暁星の異能、盛者必衰の理は遠隔発動による攻撃に対しても効果を発揮し、その威力を抑制することが出来た為に、羅刹王の爆撃は未遂に終わり続けていた――が。
そんな羅刹王の行動に触発され、他階層に散らばる羅刹王の配下は勿論のこと、直接無関係な勢力や、元々は暁星の支持者であったはずの者達でさえ心変わりして、暁星の命を狙った侵略行為を繰り返すようになり、争いが絶える事は無かった。
暁星が直接管理している第三階層はともかくとして――全ての地獄から戦争を無くすなど、この時点では夢のまた夢。実現など到底不可能な話だったのだ。
「…………何やってんの、お姉ちゃん」
そんな、今の地獄の話題の中心。来る者拒まず、去る者を憂う街。酩帝街に、如月真宵は足を踏み入れる。
未だ発展途上、まともな設備も施設も整っていない其処で――
「えっ……うそうそ。ひょっとして……真宵ちゃん……!?」
彼女はついに、再会を果たしたのである。
如月暁星。彼女は長い碧髪を頭の上に大きく纏めた所謂お団子ヘアで、その身には泥だらけの作業着を纏っていた。
周囲には同じ格好をした者達が何人も居て、鉄骨や石材を運んだり、スコップのような物で整地をしたり――そこら一帯で見るからに大掛かりな工事を執り行っている。それを暁星は指導しつつ、自らも率先して作業に加わっているようだった。
「真宵ちゃぁ~んっ! 会いたかったよぉ~っ★」
そんな暁星は満面の笑顔で駆け出して、真宵に勢いよく飛びついた。
「あ、でも……真宵ちゃんが此処に居るってことは……真宵ちゃんも死んじゃったってことか。果たしてそれは喜ぶべき……? う~ん……でも嬉しいものは嬉しいっ★ だって千年ぶりの再会だもんっ★」
姉妹はほぼ同時期に死んだというのに、地獄に落ちてくる順番は暁星のほうが千年も先で。暁星にとってはまさに、奇跡的な再会。夢にまで見た悲願だった。そんな暁星の目尻からは大粒の涙が浮かんでいる。
対する真宵にとってもまた、二度と会えないと思っていた姉との再会。その目頭を熱くさせていたが――
「なに勝手に死んでんのよ……」
――しかしその鋭い目付きは同時に、明確な怒りも顕わにしていた。
「予定に無かったよね……? 私に黙って、一人で勝手に戦争止めに行って……その挙げ句にさ……」
「あっ……うん。それは、ごめんね……? でも……みんな困ってたから……」
「お姉ちゃんは……アイドルだよ? そんなの……アイドルの仕事じゃないじゃん……」
「あう……でも一応、わたし、総理大臣だったし……」
「関係無いし……総理大臣の仕事は世界を救うことじゃないでしょ……」
怒りと悲しみに震える声で、暁星を責め立てる真宵。運命を呪うように、想いが溢れ出す。
「わかってる……そんなお姉ちゃんだからこそ、世界を変えることが出来たんだって。でも、それで死んじゃったらさあ……意味ないじゃん……!」
暁星の両肩を押し退け、自らもまた一歩下がる真宵。二人の距離は、体と同時に心も離れていく。
「なのに、性懲りもなく……死んだ後でもまたこんな事してるし……信じらんない……!」
時として愛情は、想い過ぎるがあまりに暴走し、衝動的な行動を齎してしまう。
人間ならばままあることで、この時の真宵にもその自覚はあった。でも今更、引っ込みがつかなくなって――
「せめて……死ぬ時は一緒がよかった……っ」
「ま、真宵ちゃん……ごめんね。ごめんなさい。でも、わたし……どうしても……みんなの笑顔を守りたくって――」
「もういい……っ!」
姉をその場に一人残し、彼女は走り去ってしまった。踵を返してしまった。
それが姉と交わす最期の言葉になるとは露知らず――如月真宵はその奇跡的な再会を、棒に振ってしまったのである。
◆
如月真宵にとって、世界平和なんてどうでもよかった。
当然である。彼女はただ、姉の才能を世に知らしめることが出来れば、それで良かった。
ついでに大金を稼いで、二人で一生裕福な生活を送ることさえ出来れば、それで満足だったのだ。
そんな妹の思惑を、規格外の姉は悠に超えてきた訳である。姉の大き過ぎる夢と才能は、妹にとっても大きな誤算だった。
「私のせいだ……」
そして、大きな過ちでもあった。
全ての原因は如月真宵。彼女自身、やはりその自覚はあった。
「私が、お姉ちゃんを……アイドルにしなければ。あんな風に……死なずに済んだのに……」
後悔したところで何の意味も無い。全てはもう終わったことだ。
それでも、自らの罪を悔いずにはいられない。罰を求めずにはいられない。
いつまでも、叶わぬ願いを夢見てしまう。奇跡なんて起こるはずも無いのに、神などという御都合主義に祈り、縋ってしまう。人間とはそんな、愚かな生き物で――
「出来過ぎる姉を持つと、妹は大変よねえ」
――しかし。今宵、その愚かさは。叶わないはずのその願いは、届いてしまった。
ただしその願いを聞き入れたのは決して神などではなく、もっと邪悪な何かで――
酩帝街、北区。豪雪吹き荒ぶ其処一帯は、近寄る者全てを問答無用で昏睡させる魔境。
姉から逃げるように無我夢中で走っていた真宵は、気が付けば其処に足を踏み入れていた。その上、一歩でも踏み込めば誰もが酩酊に倒れるその魔境で、彼女はどういう訳か平然を保っていた。
暫く其処を宛もなく彷徨い歩いていた彼女は――積雪の闇夜に佇む、一人の女と出逢ったのである。
「…………は? 何? 誰?」
「あは。そんな警戒せんとってよお。うちはただの、あきらっきーの大ファンですう」
地面に引き摺るほど長い黒髪と、丈の長い白いワンピース。そして、目元を覆い隠す前髪の隙間から垣間見えた――深淵のような黒い瞳。
その女はまるで、真宵が此処に来るのを最初から解っていたかのようだった。女は濃霧の中から突如として姿を現したかと思えば、何の躊躇いも無く声を掛けてきたのである。
「いやあ、それにしても感激やわあ。あきらっきーのことを影で支えてきたあの名プロデューサー、表舞台には滅多に顔を出さない噂の妹ちゃんにこうして会えるだなんて。地獄で姉妹揃って、あきらっきーもこれで完全復活やねえ?」
「(なんだこの女……)」
当然警戒しない訳も無く、真宵は訝しげな眼差しを女に向けている。女はそれでも構わず飄々とした口振りを続けた。
「ああでも、だからこそ残念。このままだと、あきらっきーはまた殺される」
そんな彼女の口から、不意に飛び出してきたその言葉に、真宵の思考が一瞬止まる。止めざるを得なかった。
「(……こいつ、今なんて言った?)」
如月暁星が、また殺される。その意味が、真宵には到底理解出来なかったし――到底聞き流せるものでも無かった。
「この地獄には毎日のように新しい怪異が落ちてくる。だから、いつかは必ず現れるよ。今のあきらっきーを殺せるほどの、規格外の異能を持った怪異が。必ずね」
開いた瞳孔で女の姿を見据える真宵。怒りの滲むその眼差しに対し、女はこれ見よがし、妖しげな笑みを浮かべてみせる。
「もしもその怪異が、あきらっきーに対して悪意を持っていたら? そうじゃなかったとしても……例えば、あきらっきーの命を狙う誰かに唆されてしまったら?」
それは確かにその通り。地獄とは本来そういう場所。突然現れた規格外によって、明日には何もかもが変わっているかもしれない。
全ての怪異は等しくその可能性に曝されている。無敵の異能を持つ堕天王、如月暁星でさえそれは例外では無い。
「知ってるう? ヒト呼んで、麗しき緋色の羅刹王。今の地獄を事実上支配している、悪の親玉。あいつは今、あきらっきーの暗殺を企てているの。あいつの仲間はまだ等活地獄に潜んでいて、利用価値のありそうな怪異を手当たり次第に引き入れている。このままだと、時間の問題やね」
羅刹王と堕天王、両者の因縁については真宵も此処に至るまで散々耳にしてきている。
問題は、羅刹王が明確に堕天王の命を狙っているという現状。今の地獄ではそれが周知の事実となっている。
怪異に寿命は無い。つまりこの現状が、永遠に続くということである。それこそ、羅刹王がその望みを叶えるまで――
「羅刹王は絶対に、あきらっきーの暗殺を諦めない。どれだけ時間が掛かっても、あいつは必ず成し遂げる。それを阻止するには、まあやっぱり。殺すしかないよねえ、羅刹王」
――そんな現状の解決策を、女はまるで簡単な事のように提示した。
「でも怪異は不死身。一度殺したところで、結局また蘇ってくる。だからただ殺すだけじゃ駄目。羅刹王に限らず今後現れるであろう脅威の為にも、怪異をこの地獄から完全に消し去る方法を確立しないといけない」
この時、如月真宵は直感していた。この女の邪悪を。本性を。
きっとこれは悪魔の囁きなのだと、確信して――それでも尚。否応無しに、耳を傾けずにはいられなかった。
それも当然。悪魔の囁きとは本来そういうものなのだから。
「マヨイちゃん。きみの異能ならそれが可能なんじゃないかなって、うちは思うのよ。あのロアちゃんでさえ識らない、存在しないはずの怪異。この世界に不具合を齎す、機械仕掛けの神様ならね」
「……なぜ初対面の貴女が、私の異能のことを知っているんですか」
「あは。まあまあ、それはいいじゃない。今重要なのは、事実だけでしょう」
女はケタケタ笑い露骨にはぐらかす。普通ならこんな女の言うことなど無視して然るべきなのだろう。胡散臭いにも程がある。
「ねえ、マヨイちゃん。お姉さんを助けたくはない? それとも……また見殺しにするつもり?」
しかし厄介だったのは、女の言葉が丸っ切り嘘だという訳でも無いということ。
実際、堕天王の異能を打ち破る程の怪異が、例えば明日。突然現れる可能性だってある。そうでなくとも、いつかは必ず訪れる未来なのだ。
真宵も、それを理解してしまったからこそ――もはや選択肢は残されていなかった。
「大丈夫、うちが協力してあげる。必要な人員も材料も、全部うちが用意してあげる。もしも必要だって言うんなら、この手足。斬り落としたって構わへんよお。有益に使ってね、うちのこと」
だって如月真宵の人生は、如月暁星の為にある。それは生前も死後も関係ない。如月暁星が輝ける舞台を用意する、その為に自分の人生はあるのだと、如月真宵は本気で思っていた。
だから許せなかった。如月暁星の死を。如月暁星の失脚を。如月暁星の敗北を。如月暁星の人生には一片の曇りも許されない。その露払いの為だけに、如月真宵という舞台装置は存在している――
「(今度こそ……お姉ちゃんのことは、私が守る。お姉ちゃんの敵は……許さない……)」
そんな真宵が、差し出されたその手を取る事は、もはや必然だったのだろう。
「さあ。一緒に願いを、叶えましょう?」
全ては姉を守るため。
この日、彼女は悪魔と契約を結んだのだった。