等活地獄 15
彼女は産まれたその瞬間、親の手によって殺された。誕生を祝福されないばかりか、呪いを孕む『悪魔の子』として忌み嫌われ、即座に処分された。
「魂の分析を開始」
産まれて間もない彼女に、地獄の扉――『声』は器を与える。知識と肉体を授け、怪異として新たに定義する。
「エラー。情報が不足しています。トラブルシューティングを実行――あなたのモデルを『ジャージー・デビル』に仮決定しました」
『声』は生前の記憶を基に、与えるべき怪異のモデルを判断している。当然、記憶の無い彼女は情報不足として処理され、そういったケースに対応した仮の依代を自動的に対象へ発行する。
ジャージー・デビル。現世においては米国ニュージャージー州、産まれてすぐの赤ん坊が悪魔のような姿の怪物へと変貌しその場から飛び立ったという都市伝説を由来とした未確認生命体である。
そして地獄においては、生前の記憶を由来として異能の強弱に個体差が生じる通常の怪異とは異なって、その判断材料すら無い者に対して一時的に与えられる仮の器であり、怪異としては極めて矮小な存在である。
そう、ジャージー・デビルは弱い。悪魔の似姿をしているというだけで、本物の悪魔ではないのだから、悪魔の如き力など、振るえるはずもない。
「権限の譲渡を開始――エラー」
だからこそ、それは。この地獄において――
「再実行――エラー。再実行――エラー。再実行――エラー」
突然変異、と呼ぶ他無かった。
「エラー。エラー。エラー。エラー。エラー。エラー。エラー。エラー。エラー。エラー。エラー。エラー。エラー。エラー。エラー。エラー。エラー。エラー。エラー……――」
彼女の脳内に響き渡る警告音。その言葉の意味など、産まれたばかりの彼女に解るはずもなく。
「致命的なエラーが発生しました。スキャンを実行――対象に不具合を検知。エラーコード――該当無し。トラブルシューティングを実行――有効な解決策が見つかりません――――強制排出、開始します」
◆
次に目を覚ました時、彼女は空に浮かんでいた。
強制排出された彼女は『猿夢列車』という正規の産道すら通らず、半ば放り出される形で、地獄へと送り込まれたのだ。
文字通り、空から落ちてきた少女。何百という時間、何千という距離を自由落下した末、地上に激突した彼女は、粉塵の巻き上げる中、無傷の姿で大衆の前に現れた。
「……………………」
何事かと群がるヒトの群れ。その只中で、少女の凪いだような赤い瞳は、静かに深紅の空を見上げている。
親に捨てられ、閻魔大王にすら匙を投げられた、名前の無い少女。そういった経緯にある彼女は、自身の出生にまつわる記憶を、当然ながら何一つ有していない。ただ殺されたという事実だけは死んだ先、つまり地獄で案内人に教えられた。
何も持たず、誰にも望まれず、地の獄に捨てられて、そのまま死ねれば良かったのに――
「まさかこんな不具合が起きるなんてね。『偽物の悪魔』のくせに、本物の悪魔と同じ能力が扱えるなんてさ。正直よく解らないけど……うん……まあ……いいや! 地獄は誰でもウェルカム! 歓迎するよ、名無しちゃん!」
そんなロアの言う通り、何の因果か彼女には、無双を誇る規格外の膂力が備わってしまったのである。
だが、それだけだ。それだけが、彼女の全てだった。この姿も、この力も、自分のものだという実感は何一つとして無い。
そもそも、産まれるべきではなかったのだ。だからきっと、捨てられた。果たしてそんな自分に意味はあるのだろうか。自分は一体何者なのか、何を成すべきなのか、何故産まれてきてしまったのか。
その答えを捜して、地獄を彷徨い続けた名も無き少女は――
『地獄は弱肉強食だ! 強者が弱者を助けるなッ!』
――辿り着いたその先で、運命と出逢ったのである。
地獄は弱肉強食。そういうものなのだと言う友人の言葉に彼女は納得して、生きていく為に力を行使するようになった。向かって来る者、その悉くを返り討ちにして。弱きを助け、強きを挫いてきた。
その規格外の強さは瞬く間に地獄中で噂となった。けれど神出鬼没の彼女を実際にその目で見たという者は少なく、当然名前も解らないので――
『学生服姿の怪異は芥川九十九の可能性があるので見かけたら近寄ってはいけない』
――などという都市伝説だけが、地獄中に広まっていって。
そんな彼女も、やがて様々な異名で囁かれることとなる。ジャージの悪魔。学生服の魔人。廃棄場の主。紅眼の黒山羊。死神。怪物。ばけもの――
それら全ての呼び名に畏怖が込められ、もはや誰も彼女に歯向かう気すら失せた頃――誰が最初に呼び始めたか、彼女を象徴する称号が現れた。
悪魔の如き『幻葬王』――その称号を全地獄に轟かせた彼女は、等活地獄の王として認められるようになり――今に至る。
――彼女自身が、それを望んだ訳ではないとしても。