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怪物少女の無双奇譚《フォークロア》  作者: あかなす
第五章 焦熱地獄篇
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焦熱地獄 27

 目を閉じて、歯を食いしばって、衝撃に備える。

 たとえ世界が滅びようと決して離してなるものかと、愛は九十九の身体を力強く抱き締めていた。


 そうして10秒が経ち、20秒が経ち、30秒、40秒――――1分が過ぎた頃。


「……………………?」


 ――――何も起きない。


 愛も九十九も、勿論何もしていない。ただ二人寄り添って、死を待つのみだった。

 けれどその死が、いつまで経ってもやってこない。いよいよ様子がおかしい事に気が付いて、愛はそっと、薄く瞼を開く。


 地上に燃え盛っていた白炎はどういう訳か、その勢いを少しずつ衰えさせていた。世界中に轟いていた爆発の連鎖も鳴りを潜め、火花の弾ける音だけが微かに響いてくる。


 そんな黒く焼け焦げた大地の中心、羅刹王は独り佇んでいた。ただし、その黄金の眼差しは――何も無い、ただ煙が立ち込めるばかりの虚空を見つめている。


「――――あら。来るのね。よくってよ」


 そんな彼女が、不意に――虚空へ向かって囁いた。ともすればここにきて、愛と九十九の前では一切見せることの無かった、花の咲くような笑顔を浮かべながらである。


 彼女が笑うと、世界はまるで怒りを忘れたかのようにその気温が急激に下がっていく。周囲の炎もやがて完全に鎮火し、溶岩は冷え固まり、立ち昇るのは残滓のような黒煙だけ。


 あらゆる生命が死に絶える灼熱地獄だった其処は瞬く間、すっかり人間が生きていける程度の環境を取り戻したのである。


「おかえりなさい」


 虚空に向かって囁くその声色は、どこまでも穏やかで、人肌の温かさが伴う優しい音色で。先程までの苛烈で冷徹だった緋色の王の姿はどこにも見当たらない。


「な……何……?」


 空から様子を窺っていた黄昏愛、現状に理解が追い付かず、咄嗟に身動きも取れずにいた。

 絶滅の危機から一転、どうして突然こんな状況になっているのか。自分は助かったのだろうか。そもそも、今何が起きているというのか――


「……只今戻りました、我が主」


 ――その答えは、虚空から現れた。


 黒煙が揺れ、その奥から這い出るように姿を見せたのは――血に薄汚れた黒いローブで全身を覆い隠す人影。

 その背には、ヒトがひとり入るには充分な大きさの、棺桶のような黒い『箱』を背負っている――


 闖入者の名は、如月真宵。

 彼女は新たな力を手にし――羅刹王の前へその姿を現したのである。


 その場に現れたのは彼女一人だった。深く被ったフードの奥底、控える褐色の顔は、覚悟を決めたような険しい表情を形作っていて。その物々しい雰囲気は遠目からでも解るほどである。


 そんな如月真宵とすぐ目の前、対峙した羅刹王は――


「会いたかったわ、マヨイ。貴女、最近はとても忙しそうだったから。朝も、夜も、顔を合わせる時間が無くて。寂しかったのよ、わたくし


 ――まるで対照的。優しく目を細め、穏やかな微笑を浮かべながら、歌うように言葉を紡ぐ。頬は朱を帯び、瞳は宝石よりも眩く、活き活きとしたその雰囲気は遠目からでも解るほどである。


「でも……マヨイ? 顔色が少し、悪いのではなくて? 寝不足かしら。だめよ? いくら忙しくたって、無理をしてはいけないわ。身体は大切にしないと。貴女にもしものことがあったら、わたくし……悲しいわ」


 まさに一喜一憂。如月真宵を前にした羅刹王の表情は、季節のように目まぐるしく、それでいて美しく、豊かに移り変わる。

 戦いの最中、あれほど退屈そうな表情を浮かべていた彼女が。つい先程まで、何の感慨も無く世界を滅ぼそうとしていたあの怪物が。それはまるで、恋する少女のようだった。


「おいで。今日はもう休みましょう。眠れないのなら、わたくしが膝枕をしてあげたっていいのよ」


 そう言って羅刹王は、前方に佇む真宵に向かって腕を広げる。得意気な微笑を浮かべてみせる彼女に、対する真宵はバツの悪そうな苦い表情を浮かべていた。


「……大丈夫です。お気になさらず」


「そう……? でも、心配よ……?」


 羅刹王は哀しげに眉を下げ、露骨なほど肩を落としている。そんな彼女に対して、真宵は堪らず大きな溜息を吐いていた。


「っ……ああもう……ほんとうに……! どうして貴女はいつもそうやって……私が今どんな想いで此処に立っていると……!」


 如月真宵が此処に来た目的など、このタイミングで現れた理由など、一つしか無い。直前まで『净罪』の地下室で何があったのか、いくら知らずとも察するには余りあるだろう。


 しかし羅刹王はと言うと、すっとぼけているのか、本当に心当たりが無いのか――不思議そうに首を傾げているばかり。


「マヨイ? どうしてそんなに怒って……あっ」


 そんな彼女がふと、何か思い至ったように声を上げた。すると、見る見るうちに羅刹王の表情は更に暗く、哀しげなものになっていく。


「そうよね……ごめんなさい、マヨイ。見ての通りよ……貴女に建ててもらった、大切なお家……わたくしが燃やしてしまったの。それで怒っているのね……ごめんなさい」


 それはまるで、親に悪戯がバレた子供のようだった。しょぼくれた顔で的外れな言葉を小さく漏らす羅刹王に、真宵は思わずその場でずっこけそうになる。


「そうじゃなくて……! 今はどうでもいいですから、そんなの……!」


「え……じゃあ……どうして怒っているのかしら。あ、ひょっとして……このあいだ、貴女の部屋に置いてあった……カスタード・プティング。わたくしがこっそり、食べてしまったから……? バレていたのね……」


「そもそも私は怒っているわけでは……え? アレ勝手に食べたの貴女だったんですか!? てっきりバルバラかと思って……後で喧嘩になったんですよ!?」


「ごめんなさい……バルバラが庇ってくれたの。罪を犯す時も、裁かれる時も、いつも一緒だって言ってくれてね」


「あいつはまた訳の解らないことを……! 羅刹王、貴女はあいつに甘すぎる……!」


「あら。貴女に対してもわたくし、随分甘いと思うのだけれど。プティングなんかよりもずっとね。ふふ」


「いいですからそういうの……」


 これが普段の彼女達の日常なのだろう。すっかり二人だけの世界で、気の置けない言葉を重ね合う羅刹王と如月真宵。傍から見ればその様子は、まるで隙だらけだった。


「よ……よくわかりませんが……今のうちに……!」


 依然として上空に留まっていた黄昏愛。完全に状況がクリアになった訳でも無い為、未だ其処から動く事は出来ずにいたが――

 戦いが中断され、羅刹王の意識が如月真宵にのみ向いていることを確信した瞬間、彼女はすぐさま腕の中に眠る九十九の治療に取り掛かった。

 愛の掌から伸びる無数の小さく細い触手が、九十九の全身を包むように貼り付いていく。その触手を介して、人工的に増殖させた細胞を火傷で爛れた皮膚へ移植し修復していく――


「でも、でもね? マヨイ。聞いてほしいの。わたくしね、さっきとても、悲しいことがあったのよ」


 そしてそんな愛達のことを、その存在をまるですっかり忘れてしまったかのように――羅刹王の言葉も眼差しも、やはり如月真宵にのみ注がれていた。


「ねえ、バルバラのことを見なかった? もしかしたら、どこかで死んでいるかもしれないの。心配だわ」


「っ……そんな事より……羅刹王……!!」


 そんな状況に、そんな彼女にいよいよ我慢の限界に至ったのか、真宵は一際大きく声を張り上げた。


「今日、私が此処に来たのは……貴女を殺す為です」


 そして――ついに。ついにそれを、言葉にする。

 彼女が地獄に落ちて、一万年。姉を守る為に、羅刹王を殺す。彼女の一万年はその為にあった。

 その悲願を叶えに、此処までやってきたのだ。


「あら……そうだったのね……?」


 目の前で、確かにそれを聞き届けた羅刹王は――それでも尚、現状に理解が追い付いていない様子だった。彼女はただ呆然と真宵のことを見つめている。


 そして暫しの沈黙があった。その間も羅刹王は困惑したような表情浮かべ、ともすれば次に発する言葉選びに悩んですらいるようで。

 まるで冗談のような光景だった。あの最強の怪異である羅刹王が、ただの人間ひとりを前にして、戸惑い振り回されるばかり。

 少なくとも部外者である黄昏愛にとっては意味の解らない光景で、その目を疑う程だった。


「ええと……」


 そんな羅刹王が、ようやく口を開く。躊躇いがちに、様子を窺うように。


「それって、つまり……そういうことよね? 貴女は約束通り、わたくしを殺す方法を完成させた……そういうことで良いのよね? マヨイ」


「……そうです。私はこれから、貴女と交わした契約に従い……貴女を殺します。羅刹王」


「そう……でも……解っているわよね? ただ殺すだけでは駄目なのよ? わたくしが求めているのは完全なる死。そうじゃないと、わたくしを『殺した』とは言えないわ……?」


「解っています。その問題も解決した上で、貴女を殺すと言っているんですよ。私は」


 真宵はもうとっくに覚悟を決めていて、その険しい表情が、その重苦しい吐息が、まさかこの期に及んで冗談に見えるはずもなく。


 羅刹王はここにきてようやく、実感へと至った。確信へと至った。如月真宵は自分を殺しに来たのだと。それを可能とする方法を、ついに完成させたのだと――


「……すごい。すごいわ、マヨイ。貴女ついに、願いを叶えたのね」


 それを理解した次の瞬間、羅刹王は――今日一番の、とびきり可憐な笑顔を見せたのである。


「おめでとう。おめでとう、マヨイ。まさか、ほんとうに……わたくし達三人の中で、貴女が一番に願いを叶えるだなんて……」


 その喜びようといったらなかった。そして異質でもある。まるで自分の事のように――否、自分の事であるのは間違いないのだが――彼女は自らの死を喜んでいるのだ。


「でもひどいわ、隠していたなんて。そして悔しいわ。わたくし、先を越されたのね。負けてしまったのよね。ああ、なんてこと。すっごく悔しい」


 きっと、悔しいというその言葉自体に偽りは無くて。ただ、その悔しさを上回るほど、嬉しかった。

 まるで、贔屓にしていた選手が記録を打ち出して喜ぶファンのように。まるで、好きな相手と共に記念日を迎えて喜ぶ恋人のように。

 羅刹王はただ、如月真宵が願いを叶えたという事実そのものに対して、喜んでいたのである。


「…………」


 しかし如月真宵、当の本人はと言うと、やはり複雑極まる表情を浮かべていた。実際、これから殺そうという相手にそれを祝われてしまっては、調子が狂うのも無理はない。


「どうしましょう。わたくし、ちゃんと殺されるのは初めてだから……ドキドキしてきたわ。あ、でも待って。マヨイ? 貴女なら当然、解っているとは思うのだけれど。わたくし、抵抗するわよ? だって『殺される』のと『死んであげる』のとではまるで別物だわ。そうでしょう?」


「……ええ。お好きにどうぞ」


 爛々と目を輝かせる羅刹王、まるで緊張感の無い彼女に対して真宵の口からはもはや溜息すら出てこなかった。

 そんな真宵は羅刹王とは打って変わって、緊張の面持ちで――先程から背負っていた黒い棺桶を、地面に降ろす。そしておもむろに、その身に纏っていた黒いローブを自ら脱ぎ捨てた。


 顕れたのは、何の装飾も無い平凡なパンツルックのスーツ姿。ただし白かったワイシャツは胸元の部分が無惨に切り裂かれ、血の痕で真っ赤に染まっている。

 真宵は掛けていた眼鏡も外してスーツのポケットに仕舞うと――その朱と碧のオッドアイで、羅刹王を鋭く睨み付けた。


「もう、終わっていますので」


 瞬間、毛先の碧い朱髪が、逆立つように揺らめいて――彼女の変容はここから始まる。


 褐色肌の額からその皮膚を突き出し顕れたのは、鬼の如き深紅の一本角。

 爪と牙は鋭く伸び、全身に血管のような紋様が浮かび上がる――


 ◆


「…………愛…………?」


 その最中、上空では芥川九十九が目を覚ましていた。


「九十九さん……! 大丈夫ですか……!」


 全身火傷の重体だった彼女は、愛の献身的な治療によって焼け焦げた皮膚も殆ど元に戻り、傷付いた体内も修復されその意識を取り戻すに至る。

 しかし病み上がりの衰弱した精神では咄嗟に動ける程の気力は無いのか、今の九十九は愛の呼びかけに反応し口を動かすだけで精一杯だった。


「こ……これって……どういう状況……?」


 そんな彼女が開口一番に唱えるほど、今の状況は異様だった。そもそも九十九が意識を失う直前、羅刹王によって世界が滅ぼされかけていたはず。それが目を覚ますと、何故か助かっていたのだ。


 九十九にとっては当然、何がなんだかという状況で――


「わ、私にも何がなんだか……急に、如月真宵が現れて……」


「え……!?」


 ――しかし。愛のその一言によって、九十九はすぐに全てを理解した。


 九十九は慌ててその視線を地上へと落とす。其処には既に、まるで鬼のような姿へと『変身』を遂げた如月真宵の姿が在った。


「まずい……如月真宵の目的は……羅刹王に完全な死を与えることなんだ……! もしそれが、叶ってしまったら……奴等が……『拷问教會イルミナティ』が来る……――!」


 そんな九十九の忠告も、時既に遅し。


「何ですか……これ……?」


 その異変に愛が気が付いた時にはもう、全てが手遅れで。

 世界は次の瞬間、突然に――()()()()に包まれたのである。

 そう、霧だった。それは何処からともなく現れ、瞬く間に世界中を包み込んだ――()()()

 それが現れた瞬間、愛と九十九に襲い掛かったのは――身に覚えのある、抗いようのない――あの酩酊感だったのだ。


「う……わっ……!?」


 気が付いた時にはもう既に、愛と九十九は地上へと真っ逆さまに墜落している最中だった。

 酩酊によって異能が弱体化させられ、愛は変身が強制解除され――まるで煙に焚かれた虫のように。羽を失い、為す術もなく――

 せめて九十九の事だけは落下の衝撃から守ろうと、抱き締めたまま――ただただ落ちていくのだった。


 ◆


「…………あら」


 そして――あの羅刹王でさえも。世界が赤い霧に包まれた瞬間、その膝を呆気もなく地面に付かせていた。


「……懐かしいわね。この感覚」


 それは明らかに、あの堕天王――如月暁星のそれと同じ、盛者必衰の異能によるもの。世界を塗り潰す酩酊の濃霧。ただしその色は白ではなく、血のような深紅。


 酩酊した羅刹王は、抵抗しようにも異能が発動出来ず、それどころか身体の自由すらも失って――とうとう、その場に横たわってしまうのだった。


「羅刹王……貴女の弱点は最初から明確だった」


 倒れる彼女を見下ろすのは、鬼の如き変容を遂げた如月真宵。彼女は赤い霧の中で平然とその足で立ち、冷たい息を吐く。


 この酩酊の異能を発動させたのが他でもない彼女である事は、最早誰の目に見ても明らかで――だからこそ奇妙であった。

 如月真宵の異能は、特殊な部屋を創る能力。それ以外の能力を、ましてやあの堕天王と同じ能力など、本来持っているはずもない。


「貴女にはあらゆる物理攻撃が通用しないが、しかしその代わり、貴女は『酩酊』と『狂気』への耐性を持っていない。貴女を殺すには……その土俵に立つ為には、『酩酊』か『狂気』……最低でもこのどちらかの能力が必要不可欠だった」


 羅刹王は酩酊と狂気の耐性を持っていない。それはバルバラの証言からも判明していた通り、彼女の数少ない弱点だ。

 怪異にとっての異能とは個性のようなものであり、全く同じ異能は存在しない。だから現状、酩酊は如月暁星だけが、狂気は歪神楽ゆらぎだけが持っている能力である。


「そこで私は、後天的に能力を獲得出来る『净罪』と……複数の怪異を融合させ新しい一つの存在へと作り変える『宇宙人』の異能を組み合わせて……酩酊と狂気に類似する新たな異能を人工的に造り出す事にした」


 ここでミソとなるのが、全く同じ異能は存在しないというだけで、()()()()()()()()()()()()()()ということ。

 つまり、自然発生しないというだけで人工的に創り出せる可能性はある。ならば作ってしまえばいい。それが如月真宵の至った結論だった。


「その為に必要な材料と組み合わせのレシピは、シスター・フィデスの異能で人体の情報を読めば特定は容易だった。と言っても……レシピが解ったところで、目当ての材料と出会えるかどうかは正直、運でしたが……」


 『さとり』の怪異、フィデスの異能が読めるのは心だけでは無い。人体のあらゆる情報が可視化される。

 つまり、どんな組み合わせでどんな怪異が新たに生まれるのか、身体のどこを『净罪』に捧げればどんな能力を新たに獲得出来るのか、それらの回答レシピをフィデスはカンニングする事が出来た。

 フィデスの齎すこの情報を元に、真宵は今日まで密かに準備を進めてきたのである。


「でも……運は私に味方した。ついに先程、最後の材料が揃い……バルバラも、協力してくれて……完成した。それが今の私……融合怪異『()()()()』……!」


 斯くしてそれは、『净罪した赤いクレヨンの心臓』と、『净罪した工務店デウスエクスマキナの肉体』を合体させることで、完成した。

 その名は、融合怪異『茨木童子』。それは酒呑童子と肩を並べる大妖怪。王位種族『鬼』の怪異。


 今の如月真宵は、あの堕天王をも超える酩酊の異能を――羅刹王を殺せる力を、ついに手に入れたのである。


「今の私は……『工務店デウスエクスマキナ』の異能、部屋を造る能力こそ失いましたが……お姉ちゃんのそれを上回る『酩酊』能力を獲得した。私の『酩酊』には『狂気』のエッセンスが組み込まれている。対象をただ弱体化させるだけじゃない、その『狂気』によって存在を狂わせ、概念的な死を齎す事が出来る。そして……」


 真宵は赤い爪の伸びたその手で、傍に立っていた黒い棺桶にそっと触れる。するとその直後、棺桶の蓋が勝手に開かれ――その中身が、底の見えない深淵が露わとなった。


「死んだ貴女を、これからこの箱の中に閉じ込めます。この箱もまた、私の造った特別な『部屋』。この中に閉じ込められた物は、こちら側の世界――地獄の時間軸とは完全に切り離される。つまりこの箱の中には時間が存在しない。貴女は死んだ状態のまま時間を止められ――もう二度と生き返ることは無い」


 真宵の作る部屋には元々、他の空間とは時間の流れが異なる性質があった。この箱は、まさにその典型にして究極と呼んでいいだろう。

 時間の存在しない箱の中で、死んだ状態のまま閉じ込められたら――時間経過による自然治癒も発生しない。それは即ち、完全なる死の擬似的な再現。


 真宵は開け放たれた棺桶を片手で引き摺って、横たわる羅刹王の枕元にそれを置く。そして、羅刹王の顔を覗き込むようにしてしゃがみ込み、真宵の視線は羅刹王のそれとすぐ目の前で交差した。


 そこまでの接近を許しながら、羅刹王はもはや指の一本も動かせない。ただ茫然と、真宵の顔を見上げるばかりで。


「これが私の用意した……願いの叶え方。貴女を、完全に殺す方法です……」


 こうして、如月真宵は答えを示した。一万年前の約束通り、羅刹王を完全に殺す方法を、ついに叶えたのである――


「……………………」


 ――だと言うのに。如月真宵の表情は、ずっと浮かないまま。

 ようやく、念願の王殺しが実現したと言うのに。その為に今日まで頑張ってきたのに――

 彼女はどこか、ともすれば今にも泣き出してしまいそうな、そんな悲哀に満ちた面持ちで。


「おめでとう、マヨイ」


 対する羅刹王。これから死ぬ運命にある彼女のほうが、笑っていた。

 酩酊と狂気が回って、口を動かすのも辛いはず。いつ死んでもおかしくない状態で――

 彼女はどういうわけか、これから自分を殺そうという相手に、心の底からの祝福を伝えるのだ。


「…………どうして」


 だから、何故を問うのは真宵のほう。


「どうして、あなたは……そんな顔をするんですか。どうして……私に優しくするんですか」


 羅刹王の、温度を感じないその身体を、抱き寄せながら――真宵はただただ、困惑していた。


「あなたのことが、すきだからよ」


 その問いに勿体ぶる事も無く答えてみせる羅刹王は、やはり花のように咲う。


「わたくしね、お友達が欲しかったの。競い合ってみたかったの。約束を守ってもらいたかったの。恋がしてみたかったの。でもね。全部、全部叶えるなんて、きっと無理だと思っていたの」


 そんな、もう動くことすら出来ないはずの羅刹王の腕が、不意に持ち上がって。その指先が、真宵の頬に優しく触れる。


「あなたがそれを、全部、叶えてくれたのよ」


 彼女の願いは実のところ、人並みで。

 そんな人並みの、願いとすら呼べないような些細な事でさえ、彼女には叶わなかった。


 彼女と対等な人間など存在しない。それはあの閻魔大王でさえ匙を投げた、絶対に叶わない夢。

 だから月に還りたかった。この星に対等な存在が居ないなら、別の惑星に居るかもしれない。別の惑星の住人となら、お友達に、なれるかもしれない――


「ふふ……もちろん、バルバラもね。こんなところを見られたら、きっとあの子、嫉妬でどろどろに溶けてしまうわ。だから、ね。はやく、わたくしを……その中に片付けてしまって。わたくしに、とどめをさしてちょうだい」


 そんな彼女の願いは、もうとっくに叶っていた。

 羅刹王にとって、その出逢いは幸福だった。

 真宵が、バルバラが、彼女にとっての月だったのである。


「…………羅刹王。貴女は私にとって、お姉ちゃんを殺そうとする、斃すべき敵。それ以上でも以下でもなく、出会った時からずっと、ずっと……その認識は変わらないと……思っていた…………」


 対する如月真宵、彼女にとって羅刹王との出逢いは最悪だった。殺したいほど憎かった。

 そんな相手を傍に置いて、一万年。寝首を掻く事だけを考えて、彼女は共に過ごしてきた。


 それでも。そんな彼女でさえも――変わる。

 だって、変わらないものは存在しないから。


「どうして……お姉ちゃんを殺そうとするんですか。もしもそうじゃなかったら……私は、あなたを……殺さずに済んだのに……!」


 自分でも気が付かないうちに。気が付いた後も見て見ぬふりをして。気の所為だと自分に言い聞かせてきて。自分が変わってしまったことを、認めたくなくて――


「最悪です……あなたとなんか、出会わなければよかった……私には、お姉ちゃんだけでよかったのに……それなのに……出会ってさえいなければ……あなたのことなんか、好きになんてならなかったのに……!」


 まさか、殺そうとしていた相手に――愛着が湧いてしまうだなんて。

 彼女のことを、同じ人間として――好きになってしまっていただなんて。

 そんなことを、今更、この期に及んで――信じられなくて。

 それでも口を衝いて出たのは、そんな、どうしようもない――告白だった。


「…………そう、だったの。ごめんなさい、きがつかなくて。ええと……困ったわ。願った以上のものが手に入るなんて、初めてだから……」


 真正面からそんな言葉を受けた羅刹王、彼女もまたここにきて今更、どこか気恥ずかしそうに視線を逸らす。操る熱を失ったはずの彼女の頬には、微かな朱がさしていた。


「ああ、いつのまにか……変わっていたのね、わたくしたち。ずっと、わたくしの片想いだと思っていたのよ。もうすこし、はやく……それに気が付けていたら……よかったのだけれど…………――――」


 しかしこの時間も、永きに渡り及んだ因縁と共に、終わりを迎えることになる。

 胸の中で静かに息を引き取っていく羅刹王。彼女の安らかな表情を見つめる如月真宵の脳裏には――

 在りし日の、懐かしい記憶が蘇っていた。

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