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怪物少女の無双奇譚《フォークロア》  作者: あかなす
第五章 焦熱地獄篇
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焦熱地獄 18

「愛ちゃ~ん? 生きてる~?」


 遠巻きに、間の抜けた声を投げ掛けるシスター・カタリナ。彼女の視線の先、砕けた大地の上に横たわる悪魔の亡骸は微動だにもしない。肉体が高速で再生される兆候も無い。

 反応が返ってこない事を確認したカタリナは悪戯っぽく口角を上げ、倒れる悪魔に向かっておもむろに歩き始めた。右手に軽く握り締めた日本刀、その逆刃を気怠げに自身の肩へ置いて。背中から生えた両腕は手持ち無沙汰に二丁拳銃の用心金へ指を引っ掛け、それをぐるぐると振り回している。


 防御に専念して愛に攻撃を諦めさせるという目論見が頓挫した時点で、もっと言えば愛との戦闘が確定した時点で、カタリナにはこの勝ち筋が見えていた。

 黄昏愛という『ぬえ』の怪異について、そして芥川九十九という『悪魔』の怪異について、カタリナは事前にある程度、フィデスから詳細を聞き及んでいる。だから芥川九十九が悪魔そのものへ変身を遂げた時、代償として命を失う程の反動を受けることも当然、カタリナは知っている。

 つまりそれを模倣した今の黄昏愛もまた同様の代償を受けて然るべきであり、その反動は黄昏愛にとって肉体のみならずその精神にも深刻なダメージと成り得るであろう事は、およそ察しがついていた。


 悪魔への変身を切り札としている以上、追い詰められれば愛は一か八か、必ず悪魔に変身しようとするはず。とは言えそんな状況を果たして作り出せるかどうか。カタリナにとってもこれは綱渡りに等しい賭けだった。

 一歩間違えれば先に死ぬのは自分のほう――そんな賭けにカタリナは勝った。傷付いた肉体が『ぬえ』の再生力で修復され命を繋ぎ止めたとしても、意識が蘇生するまでには時間がかかる。しばらく目覚める事は無いだろう――


『――――――――――――――――――――――――ッッ!!』


 ――カタリナがそう思案していた矢先の事だった。上空に佇んでいた白鯨の怪物が、不意に雄叫びを上げたのは。

 地獄中に響き渡るようなその咆哮に、思わずカタリナは歩みを止めていた。困惑に眉を顰めながら、彼女の四つ目は咄嗟に空を見上げる。


「うわっ……もお、うるさいなあ。急にどないしたのよ――」


 カタリナの視線の先で、空を飛ぶ白鯨は全身を大きく揺らし、その表面から無数の触手を再び生成している。その様子は、まるで――戦いはまだ終わっていないとでも言いたげに。


「…………愛ちゃん?」


 カタリナの表情から先程までの悪戯な微笑は消え失せる。黒く濁った四つの瞳は一斉に、彼女が歩みを進めようとしていた前方――倒れる悪魔の亡骸へと向けられた。

 悪魔の死体は依然として倒れたまま動かない。ぬえの高速再生が働いている様子も無い――しかしよくよく考えてみれば、その時点で既におかしい。

 怪異の異能は基本的に、本体の意識が無くなるとその効果も連動して失われる――が。中には本体が死んだ後でもその効果が途切れること無く、自動的に発動し続けるタイプが存在する。

 黄昏愛の『ぬえ』はまさにそれだった。愛本人が死んで意識を失っても自動的に、且つ高速で肉体を修復してしまう。だからこそ黄昏愛の『ぬえ』は規格外チートなのだ。


 そんな『ぬえ』の高速再生は、精神の摩耗によってその再生速度が遅くなることはあれど――完全に失われることは無い。

 それがどうだろう、今目の前にしている悪魔と化した黄昏愛の亡骸は、再生の兆候すら見られない。そもそも悪魔化が解除される気配すら無いのだ。それがもう既におかしかった。


 まるで肉体の再生よりも優先度の高い何かが、彼女の内側で密かに起こっているかのような――


「は……何あれ」


 ――そう。それは正しく、内側で起きていた。

 その異変が、やがて目に見えるようになって――カタリナは静かに息を呑む。


 最初は僅かな変化だった。悪魔の死体が、その皮膚の表面がぽろりぽろりと、ひとりでに剥がれ落ち始めた。脱皮のようでもあったが、些か様子が異なる。まるで内側から小さな何かが顔を出して、そのせいで皮膚が零れ落ちたような。

 その小さな変化は徐々に悪魔の全身へと広がっていき――やがて悪魔の肉の表面を、それより更にどす黒い無数の何かが蠢き始めたのである。

 その蠢きが大きく波打つ度に、悪魔のシルエットは少しずつ、崩れていくように原型を失っていく。これ程までの変化が伴うと、最早その蠢く何かの正体は、遠目に見ても解るようになっていた。


 それは、蛆虫うじむしだった。

 無数の蛆虫が、悪魔の死体をその内側から食い破って、這い出てきたのだ。


 はえの幼虫である無数のそれらは、悪魔の死体を一心不乱に貪り食っている。悪魔の肉体は瞬く間に縮んでいき、やがて跡形もなく食い尽くされた其処には水溜りのように蛆の群れだけが残った。


『――――――――――――――――――――――――ッッ!!』


 その異常な光景に、恐らく本能的な何かを感じ取ったのだろう――まるで堪え切れないといった様子で、白鯨の怪物は咆哮と共にその全身から生やした無数の触手を、地上に蠢く蛆の群れに向かって一斉に放っていた。

 白鯨の触手が次々と地面に突き刺さり、其処に沈む蛆の群れごと纏めて薙ぎ払っていく。その衝撃で再び地表は割れ、周囲には砂塵が吹き荒れた。


 今の愛の状態は、フィデスから事前に聞いていた情報にも無く、アナスタシアとの戦いで見せた様子とも異なる、前例の無い現象。故にカタリナの警戒心はここにきて一気に強まった。

 カタリナは無言のまま、ゆっくりと、息を殺すように後ろへ下がっていく。更に転送の門を自身の周囲に再び展開し、自身の行動が制限される事を引き換えとした完全防御の体勢。何が飛び出してきてもいいように、覚悟を決める。


『ぶん、ぶん、ぶん』


 しかしその警戒も、防御も、覚悟すらまるで意味を為さない。

 だって、羽音それはもう、聞こえてきてしまったのだから。


 吹き荒れる黒い砂塵に包まれる中、それは狼煙が上がるように溢れ出した。悪魔の肉を食い尽くした蛆が、異様な早さで成虫と化し、無数の蠅の群れと化す。黒い霧のようなそれは一塊に密集して、やがてひとつの輪郭を形作っていく。


 その異形を一言で表すのなら――単純だがやはり、巨大な蠅と呼ぶ他無かった。


 全長五メートルにも及ぶかという黒い巨躯が、一塊になった蠅の群生によって肉付けされ、一体の巨大な蠅の怪物へと具体化していく。

 しかしその姿はただ蠅を大きくしただけではない。どうやら先に変身していた『悪魔』を原型ベースとしているようで、黒い筋肉と体毛は悪魔のまま、その上から更に昆虫の外殻を身に纏っていた。頭部には巨大な複眼、胴体には四本の腕と二本の脚、そして背中には翅が付いている。

 宙に浮かんだまま制止しているそれの佇まいは、まるで人間のような二足歩行の姿勢を空中で保っていた。その異形は蠅人間、もしくは蠅怪人とも表現出来るが――それもまた地獄の『怪異』ならば、もっと的確な呼称があるだろう。


「あれえ……? 愛ちゃんって『ぬえ』の怪異じゃなかったっけ……」


 それは、神話の存在。嘗て気高き主として高名であったその神は、異教の者達によって悪魔へとその名をおとされた。

 聖書にさえ刻まれたその名を、その正体をカタリナが、然らば一目見ただけで直感的に思い至れたのは、もはや道理だと言える。


「知ってるよお……うち、ゲーム好きやから。そういうの、見たことあるし……有名よねえ。その……『()()姿()()()()()()』って……――」


 黄昏愛。彼女は悪魔の怪異に変身した状態で、()()()()()()()()()()()()()ことで、自分自身を新たな怪異へと改変――否、進化させた。


 それは『暴食』の悪魔。蠅の王、ベルゼブブ。

 正しく、黄昏愛という存在そのものの第二形態ネクスト

 有り体に言えば――新たな力の覚醒である。


「(……愛ちゃんの異能は、生き物に変身する能力。フィデスちゃんにもそれは確認済み)」


 人語を発することなく、ただ其処に佇む蠅の王。その複眼は上空にて控える白鯨の怪物を静かに捉えている。


「(それなのに……いやそもそも……『悪魔』とかいう他者の怪異を、生き物ですらない架空の存在を模倣出来ていること自体がおかしいのに……そこから更に、自分自身をまったく新しい怪異に変えてしまうなんて。逸脱している……)」


 そこから巻き込まれないよう離れた位置で、カタリナは息を潜めるように様子を窺いながら次の一手を巡らせていた。

 ここにきて、やはりカタリナも只者ではない。如何に相手が予想外で規格外だったとしても、いつまでも戸惑ってばかりはいられない。彼女はすぐに冷静さを取り戻していた。

 そうして彼女の薄く閉じた瞼の内側、眼球との僅かな隙間では転送の門が小さく開かれ、此処とは別の景色を映し出し、次に持ってくる対象エモノを品定め。


「……あはっ。もしかして愛ちゃん、なんか覚醒とかしちゃった? へえ、すごい。なんだか主人公っぽいよねえ。うふふ。いやあ……やっぱりすごいなあ……愛ちゃんは……――――ッ!」


 カタリナの四つ目が大きく見開かれた直後、鳴り響く汽笛。蠅の王を取り囲むように四方から、転送の門を潜って四両の猿夢列車が突っ込んでくる。


『――――――――――――――――――――――――ッッッ!!!』


 その上で更に、空から白鯨の咆哮が轟く。その全身を淡く発光させ、大きく開かれた口の奥底から光が溢れ出し――瞬間、放たれる熱線。逃げ場のない波状攻撃が蠅の王に襲い掛かる――


 しかし蠅の王、まるで抵抗する素振りも無く、そのまま四両の猿夢列車に四方から押し潰されていた。列車同士が激突した直後、追い打ちをかけるように上から降り注ぐ熱線が、蠅の王を列車ごと焼き払う。列車に引火したことで連鎖的に炎上し、その場で巨大な爆発が巻き起こった。


 まるで太陽が落ちてきたような凄まじい光を伴った爆発が、空に黒煙の茸雲を作り出す。カタリナは前方に転送の門を展開し爆風から自身を守りながら、立ち上る炎の中へその目を凝らしていた。飄々とした口振りを装いながら、彼女に油断は全く無い。


 先程までの黄昏愛ならば、ただの悪魔程度ならば、白鯨の熱線に加え無人在来線爆弾による波状攻撃は大きなダメージになり得る。だが今の黄昏愛――蠅の王は全くの未知数。最悪、これだけの攻撃を受けて尚も無傷ということすらあり得る。

 なのでカタリナはすぐさま次の一手を思案していた。カタリナが生前に行ったことのある場所、触ったことのある物を思い出せる限り思い出して、転送の門から観測する。その中に今の黄昏愛を殺し得るような武器は無いか模索する。


「こんなことなら……生きてる間に核兵器の一つでも、どうにか触っておくべきだったねえ……」


 独り冗談ぽく呟いたカタリナ。しかし核兵器とまではいかずとも、彼女は生前に刀剣や銃器の類いがある場所へ実際に赴き、その手で実物に触れた経験がある。何故そんな経験があるのか、この場で語られる事は無いが――


 しかし先にも述べた通り、残念ながらこのカタリナの抵抗は意味を為さない。それこそ核兵器でもあれば話は違ってきていたかもしれないが――否。仮にそんな物を使ったところで、今の黄昏愛を殺し切ることは不可能なのだ。


 ――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


「……居ない……?」


 炎の勢いが収まってきた爆心地、其処に蠅の王の姿は無かった。再生途中ですら無い。跡形も無く消えている。どこにもいない――


「いや……()()……」 


 ――否。やはり羽音それは、どこからでも聞こえてくる。


「居る……居る! 聞こえてくる、羽音が……! でも……()()!?」


 ぶん、ぶん、ぶん。暗がりに紛れて飛んでいる、蠅の羽音。けれど居るのは確かなのに、どこにいるのか判然としない。ただ微かな羽音と、確かな気配だけが感じ取れるだけ。それがなんとも言い難い気持ち悪さとなって、カタリナの神経を逆撫でする。

 そしてそれは上空に居る白鯨もまた同様だった。自分の周りに確かに居る、けれどはっきり見えない残像のようなその気配に、白鯨は苛立つような咆哮を上げている。


「…………居た」


 微かな月明かりに照らされた夜の闇の中で、カタリナはようやく一匹の蠅を見つけた。一匹見つけると、その周りに群がる他の蠅も次々と見つかる。

 そうしてどんどん、どんどん見つかって――気が付く。捜すまでもなく、それはずっとそこら中に居た。物陰だと思っていた其処に。夜空だと思っていた其処に。土だと思っていた其処に。炎だと思っていた其処に。そこら中に居たのだ。


 今の黄昏愛はひとりではない。そこら中に卵を産み付け、無限に湧き続ける蠅の群れ。その一匹一匹が単純な分身などではなく、黄昏愛の本体そのものなのだ。本体を増やせるということは、異能使用時に発生する本体への精神的な消耗すら分散出来る――数少ない弱点すらも黄昏愛は克服してしまった。

 最早どうすれば殺し切れるかという次元の話ですらなくなったのだ。それこそ世界そのものが無くならない限り、無限に増殖する蠅の王もまた無くなることはない――


『――――――――――――――――――――――――ッッ!!!!』


 再三轟く、白鯨の咆哮。カタリナが咄嗟に空を見上げた先で、白鯨の周りに群がる蠅の量はいつの間にか凄まじい数にまで増えていた。

 まるで雲の塊のように膨れ上がった蠅の群れが、白鯨の身体の表面に取り憑こうとしてくる。それを振り払うように、白鯨は全身から生やした触手を振り回し暴れていた。


「……でも」


 それを地上から眺めていたカタリナだったが、ふと思い至ったように声を上げる。


「その子には毒も効かへんし……たかだが蠅に噛み付かれたところで……何のダメージにもならへんよ……?」


 ここにきて彼女は未だ冷静さを失っていない。そしてそんな彼女の漏らした疑問は道理だった。確かに今の黄昏愛を殺し切るのは不可能。だがそれは逆も然り。所詮はただの蠅である。普通に考えて、蠅が鯨を殺すことは出来ない。


 しかして、その疑問はすぐに晴らされる。


『――――――――……………………』


 蠅に群がられていた白鯨は暫し暴れていたが、不意に押し黙ると、その動きを止めた。やがて無数の蠅が付着したその全身を、小刻みに震わせ始め――


『…………………………………………ごぽっ』


 白鯨の両目、その内側から、迫り上がるように――巨大な蟲の複眼が、突如として()()()()()のである。


 蠅という生き物の中には、他の生き物に卵を産み付け、幼虫を寄生させる種類が存在する。これに寄生された宿主は、肉体を内側から食い荒らされるわけだが――今回、この『()()』という生態を、その解釈を黄昏愛は異能によって拡大した。

 寄生の生態も様々で、例えば宿主の脳を支配し、その行動を操ることすらある。これの拡大解釈によって――『蠅の王』は他者の肉体を媒介とし、自己の増殖と他者の支配を両立させた。それこそが『蠅の王』としての、黄昏愛の新たな異能。新たな力。


 蠅に卵を産み付けられた白鯨は、その内側で孵った蠅の王に寄生される。それによって脳の構造が、存在そのものが書き換えられていく。蠅の一匹にでも取り憑かれたら、その時点で終わり。強靭な肉体も、毒への耐性も、何も意味を為さない。構造体としての在り方そのものが変わってしまうのだから。


 やがて白鯨の肉体から、蠅の複眼と手足、翅が生えてくる。その異形は、もはや白鯨という呼称は相応しくない有り様だった。

 やがて意識までもが蠅の王に乗っ取られた直後、かつて白鯨だった異形の怪物は突如、大きく身震いする。その振動に篩い落とされた透明で巨大な何かが、続いて地上に落ちてくる。


「……『ヒサルキ』が、()()()()()……?」


 そもそも白鯨には先に、カタリナの用意した人造怪異『ヒサルキ』に取り憑かれていた。姿の見えない『ヒサルキ』は、ずっと白鯨の中に潜み、その行動を操っていたのだが――


「もしかして……横取りされた? 寄生されて……所有権を、奪われたってこと……?」


 どうやら蠅の王に白鯨の所有権を奪われ、外に弾き飛ばされてしまったようだった。地上では『ヒサルキ』と思しき透明の何かがのたうつように暴れている。

 そんな地上へ目掛けて異形の怪物は、全身から生やした無数のハリガネのような黒い触手を放った。それに為すすべもなく絡め取られた『ヒサルキ』、その透明の肉体はノイズが走ったように微かに点滅して、巨大な猿のようなその輪郭を浮き彫りにさせる。


 そうして捕らえた『ヒサルキ』を、異形の怪物はそのまま触手を締め上げバラバラに引き裂いた。『ヒサルキ』はその一瞬、黒い体毛に覆われたモノノケの姿を垣間見せたが、直後に灰燼へと霧散していく。



「(……ああ、流石に無理やなあ。これは……)」


 カタリナは冷静である。だからもう、諦めていた。この期に及んで抵抗は無意味であると悟り――すぐさま脱出の準備に取り掛かる。

 転送の異能で作った門は、カタリナ自身が通ることは出来ない。猿夢列車のような時空を超える性質を有した物を利用して初めて、例外的にカタリナは転送の門を潜ることが出来る。

 カタリナはすぐに猿夢列車を捕捉し、それを呼び寄せる為の門を自身の近くに配置しようとする――が。


「……異能が、発動しない」


 カタリナの表情が苦虫を噛み潰したように歪む。彼女が思わず声に漏らした通り――既に発動している自身の周囲を除いて、列車を呼ぶ為の門を追加で設置することが出来なかった。

 その原因は周りにうじゃうじゃ飛んでいた――無数の小蠅コバエ。『ヒサルキ』がいない今、カタリナの状態は最初に愛と対峙した時に戻ったと言ってもいい。つまり今のカタリナの周辺一帯には、転送の門を設置するのに邪魔となる有機物で満たされてしまっていた。


「そんなんありィ……?」


 逃げ場を失ったカタリナが、忌々しげに視線を向けたその先で。待ち構えるように、異形の怪物がその巨大な大顎をばっくり開けている。全身を淡く発光させ、その喉奥から青白い閃光を溢れ出して――


「くっ……そぉ~……!」


 目の前に設置していた転送の門を盾にして、咄嗟にその身を屈めたカタリナ――そこへ目掛けて異形の怪物の口から一直線、あの熱線が放たれた。

 熱線は虚空へと吸い込まれ、あらぬ方向から排出されたものの――しかしそれだけで怪物の攻撃は終わらない。無数の黒い触手が雨のようにカタリナの頭上に降り注ぐ。

 門と門の隙間をすり抜けて、ハリガネのように尖った触手が次々とカタリナに肉薄する。迫り来る触手に対して日本刀を振るい、二丁拳銃を放ち、その場でどうにか迎撃していたカタリナだったが――それも限界だった。

 捌き切れなかった触手によって背中の両腕が絡め取られ、そのまま引き千切られる。残った右腕も同様に触手の先端が突き刺さり、破裂した。そして――


「あっこれ無理――――」


 直線的だった熱線が突如その軌道を変え、曲線を描く。それは回り込むように、カタリナの腹部を背後から貫いて――カタリナの胴体は呆気もなく、その上半身と下半身を真っ二つに切断されたのだった。


 切断された半身から血を噴水のように撒き散らしながら、その場に崩れ落ちるカタリナ。彼女が倒れた瞬間、周囲に展開されていた転送の門が次々と閉じていく。


 上空からそれを見届けた異形の怪物はというと、再びその動きを突如停止させていた。そして瞬く間に、その白い体表の上を――無数の黒い蛆虫が蠢き始める。

 怪物の肉を、その内側から食い破り姿を現した蛆虫の群れが、貪り始めた。それに抵抗すらせず、嘗て白鯨だった意思なき怪物は、まるで自ら身を捧げているかのように食われ、食い尽くされ、見る見る内に縮んでいく。

 そうして異形の怪物はものの一瞬で食い尽くされ、残された蛆の群れは蠅となり、地上に降りてくる。蠅の群れは一塊に密集して――やがて見慣れた少女の形に成っていった。


 黄昏愛。彼女は蠅の王から元の人間の姿へと戻り、地上に降り立つ。その降り立った先、足元には、血溜まりの中に倒れるカタリナの無惨な姿。


「……私の勝ちです」


 その一言が全てだった。

 斯くしてこの戦いは決着。大地は割れ、野が焼き払われた其処に、静寂が再び戻って来る。

 もうどこからも、蠅の羽音は聞こえてこない。

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