焦熱地獄 15
人造階層、似非地獄。
焦熱地獄にて芥川九十九がバルバラと死闘を繰り広げていた一方その頃。
黄昏愛とカタリナ、両者の再会は思いの外早く訪れる。
「それじゃあ――しよっか?」
カタリナの姿を目視した次の瞬間、有無も言わさぬ愛の先制攻撃によって両者の再戦は幕を開けた。
変化した怪物の如き歪な両腕、そこから放たれた触手群は――しかし、その殆どが虚空へと呑み込まれていく。シスター・カタリナの異能、空間を繋ぐ丸穴。それは既に愛が居るこの空間の至る所に設置されていて、愛は今立っている場所から迂闊に動くことが出来ないでいた。
しかしこれの攻略法を、愛は既に見つけている。転送の異能の発動条件、穴を設置する条件は、その座標上に有機物が重なっていないことが必須。つまり極端な話、空間を余す所なく有機物で満たせば、カタリナは異能の対象に出来る虚空を失ってしまう。
そこで触手に自ら生成した糸を纏わせ、攻撃と同時に周囲の空間に糸の結界を展開することにより、異能設置の虚空を潰していく――というのが、愛の考案した攻略法だった。
「ちりさんを……返せ!!」
それが解っているからこそ、愛は攻撃を繰り出すことに一切の迷いが無い。初撃はどうしても転送で防御されてしまうが、それ以降は既存の穴の位置も把握出来る上に、糸の結界は次第に穴と穴の隙間を縫うように張り巡らされていく。そうなってしまえばカタリナは、それ以上の穴を追加で展開することが出来なくなる――はずだった。
「あらら、愛ちゃんたら。せっかちさんやねえ」
しかし。事は既に、そう単純な話では無くなっている。
そもそもこれは再戦。互いの手の内をある程度理解した上での二戦目なのだから。
「落ち着いて? 戦うつもりは無いの。うちは愛ちゃんと、ただ普通にお喋りがしたいだけ。血気盛んな愛ちゃんも可愛いけどねえ? ふふっ――嗚呼それに、糸の結界だっけ? もうその手は通じんよお」
怪異は不死。故に同じ相手との殺し合いが二度三度と発生し得る。愛の編み出した攻略法は、確かにカタリナの異能に対して有効的――だからこそ、カタリナがそれを解ったうえで無策のまま、愛の前へ再び姿を現すはずが無かったのだ。
「あの時は咄嗟に何も思い付かなかったし、とりあえずナーシャちゃんにぜんぶ丸投げしちゃったけどねえ。流石にもう二度とナーシャちゃんの協力は得られないだろうし、自力でなんとか出来たほうが良いよなあって、うちなりにあれから色々と考えて、準備して――」
どこまでもマイペースに、軽薄な口調で紡がれる彼女の喋りに耳を傾けること無く、愛は攻撃に専念する。その両腕から伸び続ける触手の群れはその大半が虚空の穴に吸い込まれながらも、その穴と穴の間隔、隙間を縫うように糸が伸び、攻撃の通り道となる導線を引いていく。
そうして導かれたルートに従い、やがて一本の触手がとうとうカタリナの目と鼻の先まで肉薄した――その刹那。
「――こんなの造ってみましたあ」
愛の触手はカタリナの目の前で突如その勢いを失い、空中に静止して――そのまま見えない何かの力によって無理矢理、あらぬ方向へと捻じ曲げられたのである。
そしてそれだけでは終わらない。見えない何かに鷲掴みにされた愛の触手は、鉤爪のような鋭い何かが内側に食い込んでいって――直後、その傷口からドロドロと腐り落ちるように溶け出し始めたのだ。
「人造怪異『ヒサルキ』――他の生物に憑依して、その肉体を内側から貪り喰らう――実体を持たない怪異。転送の異能と併せて二段構えの防御策。愛ちゃんの触手攻撃もこれで完全にシャットアウト。もう糸の結界も張れないねえ?」
その見えない何かは、恐らくずっとカタリナの傍に佇んでいたのだろう。それがどんな姿形をしているのか、意思を持つのかすら解らない。ただ事実として、愛の攻撃はそれによって防がれたのだ。
そして『ヒサルキ』に掴まれた事で発生した呪いのようなその現象は、傷口から触手全体へと広がっていき、やがて他の触手群にも伝播していった。触手は次々と勢いを失いその場で腐り落ちていく。触手に引っ付いている糸の結界も必然的にその現象に巻き込まれ、ドロドロと溶け出し消滅していった。
「ちっ……!」
触手を伝って広がっていく呪いが、とうとう愛本体にまで届きかけたその一歩手前、愛は急いで触手を自身から切り離す。これにて間一髪、呪いの伝播が愛に届くことは無かったものの、触手はおろか糸の結界すら目の前で破られた現実に愛は忌々しそうに舌打ちしてみせる。
「いやあ、それにしても……ちりちゃん、人気者やねえ。フィデスちゃんもマヨイちゃんも、みいんな、ちりちゃんのこと欲しがって。うちは断然、愛ちゃん派なんやけどなあ」
草原が再び静けさを取り戻す。愛にもはや打つ手無しと考えたか、カタリナは余裕に満ちた表情で愛のことを品定めするように見据えていた。その飄々とした口調は相変わらず、いい加減な言葉を紡ぎ続けてる。
「愛ちゃん、うちの好みにドストライクなんよお。一目見てビビッときたのよねえ。まさに運命の赤い糸ってかんじ? ほんま、生きてた頃に現世で会いたかったわあ」
どこまでが真意なのか解らないカタリナの言い草は、只管に愛の神経を逆撫でする。
しかし愛も成長した。ここで激情に身を委ね、暴走してしまっては相手の思う壺であることは重々承知していた。静かに息を整える。怒りで真っ赤になりかけていた意識は深く息を吐くと次第に冷静さを取り戻していく。集中力が研ぎ澄まされていく。この戦闘時における気持ちの切り替えは芥川九十九から教わったものだ。
「だから、二人きりになりたくて。最期くらいちゃんと、お話ししたくてさあ――拐ってきちゃった♪ 急にごめんねえ? でも、うちがそれくらい本気だってこと、愛ちゃんにも解ってもらいたくて――」
そして、相手の一手先を読む論理的思考は一ノ瀬ちりから教わったものだ。
だから――愛はカタリナの台詞が終わるのを待たず、すぐさま次の一手を繰り出していた。
愛は触手による攻撃方法は中断し、別の生物をその両腕から生成し始める。それは前回の『巨頭オ』戦でも一度試した攻撃方法――細胞のひとつひとつを肉食性の蟲に変化させて大群を放つ――蝗害。
前回の反省点を活かし数は絞り消費カロリーは節約。この方法なら触手と違い蟲はもともと愛自身と切り離されている為、いくら攻撃を続けたところで愛のもとまで『ヒサルキ』の呪いが伝播することは無い――
「……あらら。諦めが悪いねえ」
斯くして一挙に飛翔する肉食蟲の群れが、カタリナ目掛けて襲い掛かる。やはりその殆どが転送に穴に吸い込まれてしまったが、その隙間を掻い潜って次々と蟲はカタリナへ肉薄していった。
縦横無尽、カタリナの周囲に群がる数百の蟲――それを『ヒサルキ』が見えない何かを振り回し、蟲を叩き落としていく。
「ねえ、もう観念してさあ。うちとお喋りしようよお? これ以上やったって、もう愛ちゃんの攻撃はうちには届かへんよお? こんな無駄なこと、止めたほうがええって――」
「無駄じゃないでしょう?」
そう、無駄ではない。確かに『ヒサルキ』が居る限り、愛はもう、少なくともカタリナの周辺に糸の結界を張る事は出来ないだろう。しかし攻撃自体は続けられる。攻撃を続ける事自体に、今は意味がある――
「……何か言った?」
それを物語るように、カタリナはその頬を僅かに強張らせていた。
「私の攻撃は無駄じゃない。だからお前は、私に攻撃をやめてほしいんだ。だって私が攻撃を続ける限り、お前は防御に徹するしかない――そうなると、お前はその場から一歩も動けなくなるんだから」
毅然とした態度のまま、愛が口を開く。その間も蟲の大群を操りながら、カタリナへの攻撃を緩める気配は微塵も無い。
「何言うてるのお? うちが一歩も動けなくなるって……普通に自分自身をこの場から転送させればいいだけの話やん?」
「それが出来ないんですよね? お前の異能は、自分自身を転送させることが出来ない。そうでしょう?」
それはまるで、何もかも見透かしたように振る舞い言葉を巧みに操るカタリナへ対する意趣返し。愛の言葉は努めてゆっくりと紡がれて、嘲るような視線で遥か前方のカタリナを見据えている。
「私もあれから色々と考えていたんですよ。これまでのお前の行動を思い返して……それで、気付いたんです。お前は自分自身を転送させたことが一度もない。あの時も……お前はわざわざ猿夢列車を呼んでいた。如月真宵を逃がす時は転送の穴から直接脱出させていたのに」
「あの時はたまたまそういう気分だったのよお」
「だったら今すぐその場から動いてみなさい。そんな事が出来るなら、そもそも糸の結界なんかで困ることは無いはずだけど。自分を結界の外に転送させれば良いだけなんだから。『ヒサルキ』なんてものを造って二重の防御策を講じる必要も無い」
黄昏愛の視力と記憶力は異能によって拡張、強化されている。故にその観察眼は並の人間のそれではない。
そんな愛だからこそ気付く――これまでの戦いにおいてカタリナは自ら積極的に動こうとしなかったこと。基本的に自分自身を異能で守りつつ、人造怪異など他の要因を自分の代わりに戦わせ、その成り行きを遠くから見守るだけ。
自分自身を転送出来るなら、そもそも設置した転送の穴に標的が自ら飛び込むのを待つ必要すらない。カタリナ自身が標的の背後に回り込む等して、標的を穴に突き落とせばいいだけ。しかしそれすらカタリナはここまでしてこなかった。もしそれが、しないのではなく出来なかったのだとしたら。
「お前は自分自身を転送させることが出来ない。だからお前は、自分の周りに転送の穴を設置すると、猿夢列車を呼ぶ余裕すら無くなって――その場から動けなくなる」
無論、仮説に過ぎない。カタリナの言う通り、その時たまたまそういう気分だっただけなのかもしれない。しかし愛はその閃きに全てを委ねることが出来た。一ノ瀬ちりならきっとそうするはずだという確信に背中を押され、即断即決。愛は開幕から全力で攻撃を繰り出していた。
「お前のその異能、万能なようでいて制約がかなり多いみたいですね。使い勝手に些か難がある。その隙を突くことが出来れば……私の攻撃は、いつか」
そしてその判断が功を奏した。転送の丸穴と『ヒサルキ』の二重防御をついに掻い潜った一匹の蟲が、その大顎でカタリナの左腕に喰らい付く。
「いつか必ず、お前に届く。もう逃さない……此処で捕まえる……絶対に……!!」
飛蝗を模したその怪虫は、喰らい付いた二の腕に鋭い牙を突き立てる。常人ならその激痛に叫び声のひとつでも上げようものだが――
「……あはは。いやあ、バレちゃったかあ。もしかしてうち、隠し事下手なんかなあ?」
カタリナは、ただ困ったような微笑を浮かべるだけ。蟲が喰らい付く自身の左腕を掲げ、まるで他人事のように眺めている。
「(やはり……痛覚は無い。だったら……)」
明確な理由は定かではないものの、カタリナに痛覚が無いであろうことは前回の戦いからも推測出来た。なので愛が放った蟲には、異能によって改造された特別な機能が備わっている。
それはすぐさまカタリナの肉体に影響を及ぼし始めた。蟲の顎に喰らい付かれた傷口から、カタリナの左腕の皮膚は徐々にその血色を青黒く変化させていく。身体の内側から起こるその異変を、痛覚が無くともカタリナは感じ取っていた。
「ああ……なるほど、これは……毒やねえ。はぁ、やれやれ……踏んだり蹴ったりだわ……」
蟲の毒によって変色していく自身の左腕を目の当たりにして、しかしカタリナ、気怠げに溜息を吐くばかり。依然として悍ましい程の平常運転。死に瀕した者の反応ではない。それよりも、異能の制約がバレた事のほうが、カタリナにとっては余程心を乱されたようである。
「ええっと……とりあえず……――」
そんなカタリナがおもむろに、右手を前へ掲げてみせる。現れたのは、一振りの日本刀。白刃を剥き出しにしたそれは転送によってカタリナの目の前に現れる。カタリナはその柄を右手に握り締めて――
「よいしょっと」
何の躊躇いも無く振るったその刃で、自身の左腕を蟲ごと斬り落とした。青黒く変色した左腕が重力に従って地面に落ち、斬り裂かれた肩から先はその切り口から黒い血飛沫を上げる。そんな状態になってもカタリナはやはり痛みを感じていない様子で、更に左腕の出血も不思議とすぐに止まっていた。
「あ~あ……残念。うちが防御に徹すれば、そのうち諦めてお喋りしてくれると思ったのに。制約がバレた以上、愛ちゃんは攻撃の手を緩めないだろうし。このまま攻撃を続けられたら、百回に一回はこういうラッキーが起きて……うちはジリ貧もいいとこ。このままじゃ……いつまで経ってもお喋りはしてくれなさそうやね?」
「最初からそのつもりは無いです。そのまま大人しく倒されてください」
「ふふ……うん、せやね。わかった。他ならぬ愛ちゃんがシたいことだもの、うちも付き合ってあげたいし……ええよお」
眉間に皺を寄せ不機嫌を顕わにする愛に対し、カタリナは依然として穏やかに微笑み続ける。二人の黒い眼差しが交差する。
確かに、このままではカタリナが不利だろう。しかしそれは――カタリナが防御に徹した場合という前提があってこそ。結局のところ、この状況はカタリナの行動如何で幾らでも変わってしまう。
つまり――カタリナが防御ではなく攻撃に転じた場合。二人の戦いは次のフェーズへと移行するのだ。
「それじゃあ、ちょっとだけ――遊ぼっかあ?」
その開戦を現すように、カタリナは不敵に微笑みながら――肩に掛けていたギャングコートを地面に落とした。
「(カタリナが動く……っ!)」
そうして現れたその異様に、愛は思わず目を見張る。羽織っていたコートがずり落ちて、露わになったカタリナの背中――そこから生えてきたのだ。新たに、二本の腕が。
間違いなくそれはヒトの腕。ただしそれはひょろ長く、そもそも背中から生えているという事自体が尋常ではない。
そしてカタリナの身に生じた異変はそれだけではない――次の瞬間、カタリナの顔には薄く開かれた細い目が、四つ。両目の下、隈の位置に新たな両目が現れていた。
斬り落とした左腕を含めれば、腕が四つに目が四つ。その異様は紛れもなく、怪物のそれ。
「さあて――殺りますか♪」
そんな異形へと変貌を遂げたカタリナは、変わらず軽薄に微笑んで――背中に生えた異形の両腕、その手にいつしか握り締めていた二丁の短機関銃の銃口を、黄昏愛へと向けたのだ。