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怪物少女の無双奇譚《フォークロア》  作者: あかなす
第五章 焦熱地獄篇
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焦熱地獄 12

 俺の昔話はもう少しだけ続く。

 あれから一週間後。俺は地獄の第七階層、焦熱地獄に居た。


 その日、拷问教會イルミナティは三獄間での同盟を締結させるべく、羅刹王と最後の交渉の場を設けていた。そこに俺も出席する事になったのだ。

 しかし酩酊に耐性の無い俺の肉体は、酩帝街を越境する事は叶わない。だからといって俺は『净罪』することもままならない程の虚弱体質なので――そもそも俺は体質的に『净罪』が出来ないらしい――今回も如月真宵に担がれた状態で運ばれることになった。


 次に俺が目を覚ました時、猿夢列車の車窓から一面灰色の砂漠が広がっていた。列車から駅のホームに降り立った途端、何とも形容し難い臭いが漂ってくる。俺には馴染みの無い臭いだったが、如月真宵が言うには線香とやらの臭いによく似ているのだという。


 第七階層の大地は殆どが灰に埋もれており、それ以外に何も無い場所と言ってよかった。大量の灰が降り積もり、まるで砂漠のように全てを覆い尽くしている。

 しかし周囲のどこを見渡してみても、此処には火山の類いが全く見当たらない。ならばこの灰は何を燃やして生まれた物なのか――


「……何をしているんですか。置いていきますよ」


 その場に立ち止まって辺りの様子を観察していた俺に向け、前を先に歩いていた如月真宵が焦れったそうに投げ掛ける。その更に前方では開闢王とフィデスが隣り合って、俺の事を見向きもせず先を歩いていた。どんな大荷物が入っているのか、開闢王は巨大な棺を背負っている。

 全く遠慮を知らない連中だ。わざわざ動きにくい修道服に着替えてやった上、点滴スタンドを引き摺って歩かなければならない俺への配慮がまるで欠けている。


「今日は羅刹王との会合の日です。気を引き締めてください」


 否、そもそも俺に配慮する余裕が無いのか。如月真宵に至ってはどうも気を引き締め過ぎていて、過剰な緊張に苛まれているようだった。その褐色の肌すら青白く見えるほど彼女の顔色は悪く、額には玉のような汗が浮かんでいる。


「羅刹王。今の地獄を二分する、二大王の片割れか。奴等と結ぶ同盟がそれほど重要な事なのか?」


 正直、俺は今回の趣旨を理解出来ていなかった。というより、興味が無かった。

 俺がここまで黙って付いてきているのも、カタリナの穴埋めという、ともすれば俺の中にこびり付いた僅かな罪悪感に漬け込まれての事だ。

 最期まで気に入らない奴ではあったが、ああなってしまった原因には僅かながら俺にも責任がある。正しい芸術を教えてやる事が出来なかったという後悔が、今此処に立っている理由の全てだった。


「……当然です。私の願いを叶える為に、それは……どうしても必要な事ですから」


 だから俺は識らなかった。三獄同盟、その成立が今後の地獄にどんな影響を与えるのか。何を意味するのか。まあ、きっと碌でもない事に違いないだろうが――結局、俺には関係の無い事だ。同盟でも何でも勝手にすればいい。


 生き甲斐を見失った俺に、生きている価値など無い。だからと言って死にたくても死ねないこの地獄で、俺は永遠にこの苦痛に苛まれながら生きていくのだ。


 こんな俺に新しい生き甲斐なんて、もう二度と見つかるはずが無い――


 ◆


 ――そんなふうに考えていた時期が俺にもありました。


 人生とは死した後も尚、何が起こるか解らないもので。

 俺の新しい生き甲斐は、存外あっさりと見つかってしまったのである。


 灰色の砂漠を只管に真っ直ぐ突き進んでいると――不意にそれは蜃気楼のように現れた。

 女だ。赤い空、黒い炎の下で、それは黄昏れるように遥か遠くを見据えていた。本物の太陽が如き黄金の長髪を風に靡かせて、縦に割れた瞳孔もまた金色の輝きを放っている。

 その身に纏うは麗しい緋色の羽衣。その顔を彩るもまた緋色の化粧。すらりと伸びた四肢からは透き通るような白い肌を覗かせている。


 そんな彼女の周囲は蜃気楼のように景色を歪ませていて、その空間の中心で彼女はその身を僅かに宙へ静かに漂わせていた。ただそれだけの景色が、灼熱の気候すら涼しく感じる程の威厳を放っている。

 開闢王も、フィデスも、如月真宵も、誰も彼女の傍まで近寄ろうとせず、充分に距離を取った所で立ち止まり、跪く。


「…………………………………………」


 その間も呆然と立ち尽くしていた俺は如月真宵に袖を引っ張られ、無理矢理にその場に座らされた。


 美しい、なんてものじゃない。絶世の美女などという形容詞が生易しく思える程の、魔性たる女神の造形だ。目を奪われる。こんなものがこの世に存在していたとは。こんな何も無い砂漠の只中で、彼女は一体何をしているのか――


「お待たせして申し訳ありません。羅刹王」


 その時、開闢王の口から出たその名で彼女の正体を知り、俺の中で全ての合点がいった。


「あれが…………羅刹王…………」


 今の地獄を二分する二大王の片割れ。ヒト呼んで、麗しき緋色の羅刹王。堕天王が現れる前までは彼女こそが()()()()()()()全ての地獄を支配していたという。

 階層が異なる時空で隔たれている地獄という異世界で、そんな事が出来るものなのか甚だ疑問だったが――今なら納得出来る。理解出来る。このカリスマならば、容易い事だっただろう。


「オイ、静かにしてロ……」


 自然と出ていた俺の譫言を隣のフィデスが唸るように咎める。そんなフィデスの手には心を読む異能の具現化たる、あの本が現れていた。


「三獄間での同盟実現に向けた会合も、今回が最期。羅刹王。貴女が我々の提示する交換条件を呑んでいただけた場合、我々が提供可能な見返りを本日、ご用意致しました」


 開闢王は跪いたまま、遠くの羅刹王に届くよう多少声を張り上げる。その声で、まるでようやく此方の存在に気が付いたように――羅刹王はその黄金の瞳を俺達の方へ動かした。


「此方のフィデスより説明が御座います」


 開闢王に促されるように、羅刹王はその視線をシスター・フィデスへと注ぎ込む。まるで惑星をその中に閉じ込めてしまったかのような、膨大な輝きを秘めた金色の瞳が静かに見下ろす――


「羅刹王。我々がアナタに提供出来るモノ――それは()()デス」


 対するシスター・フィデス、その視線を手元の本に落としたまま、粛々と口を開く。

 しかしこの女、敬語が使えたのか。いつもの高慢ちきな口調はすっかり鳴りを潜めていた。


「――例えバ、()()


 フィデスがそう言うと、開闢王は先程から背負っていた巨大な棺を、その体躯に縛っていた鎖から解放し、地面に下ろした。余程重たいのか、地面に置いた瞬間に棺は周りの灰を宙に巻き上げる。


 するとフィデスは徐ろに、その場からゆっくりと立ち上がった。そして足元に鎮座する棺の蓋を開けると、その中から彼女が片手で握り取り出した物に――俺は絶句したのだった。


 フィデスが取り出した物――それは紛うこと無き、()()だったのである。


 フィデスは慣れた手付きでマガジンを装填しスライドを引く。そしてそのまま銃口を空へと向けたフィデスは、躊躇うことなくトリガーを引いた。

 乾いた音が周囲に鳴り響く。発射された弾丸は赤い空の中に消えていき、残ったのは微かな火薬の臭い。この一連の流れから、それが本物の銃であることを物語っていた。


「無論、本物の銃デス。このように我々ハ、武器を始めとする現世の物資が無限に手に入る方法を確立しましタ」


 当然俺はそんな話など全く聞いていない。いつの間にそんな事になっていたのか。一体この地獄でどうやって現世の物資を手に入れる事が出来るというのか。


「――例えバ、()()


 俺の理解が追いつかないまま、フィデスは矢継ぎ早に口を開く。拳銃を足元の地面に放り投げたフィデスが次に棺から取り出したのは――鶏の死体だった。二本の脚を束ね逆さに吊るしたそれを、フィデスは掲げてみせる。


「地獄では手に入らなイ、人間以外の動物の肉。野菜や果実、小麦だって用意できル。喉が乾いたのなら紅茶をドウゾ。酔いたい気分ならワインもありマス」


 極めつけにフィデスは棺の中から取り出した麻袋を地面に放り投げてみせる。すると麻袋の隙間からフィデスが先ほど口にした物品の数々が中から溢れ出したのだ。とてもじゃないが信じ難い光景である。


「羅刹王。アナタは全てが欲しいはずダ。その全てヲ、我々は提供することが出来ル」


 地獄においては希少なんて物ではない鶏肉を、フィデスは事も無げにその場で捨ててみせながら――その灼熱が如き眼光を、羅刹王のそれと交差させた。


「そしてそれは無論、今のアナタを悩ませている存在――あの堕天王を殺す手段すら我々は用意出来るという事デス」


 フィデスのあの目付きを、その仕草を俺はよく知っている。あれは相手を詰めにいく時の目だ。相手の望みを、欲望を識った上で投じるあの女の囁きは、悪魔の誘いにも等しい――


 ――待て。シスター・フィデス、奴は今何と言った?


「意思に反応して対象のあらゆる行動を停止させる酩酊の霧――堕天王の異能は確かに無敵と呼んで差し支えないだろウ。だが全く隙が無いわけじゃナイ。アレの効果には僅かだが個人差が生じル。我々はその個人差による僅かな耐性を極限まで増幅させる方法――即ち酩酊の耐性を後天的に獲得する方法の確立に成功しタ。この事実は堕天王にも伝えていなイ」


 酩酊の耐性を後天的に獲得する方法――それはつまり『净罪』の事を言っているのだろう。どうやらその詳細までは羅刹王には隠すつもりでいるようだ、が。


「ご存知の通リ、この三獄同盟の本質は最終的に堕天王――()()()()()()()()()事にアル」


 いや全くご存知では無いのだが。それは同盟とは名ばかりの、堕天王を陥れる為だけに用意した謀略ではないか。


 何より俺は聞いた事がある。堕天王、如月暁星。彼女の実妹こそが今まさに俺の隣に居る、この如月真宵のはずだ――


「……………………」


 ――その如月真宵はと言うと。ローブで顔を隠している為に表情は見えないが、その物々しい気配だけは容易く見て取れた。

 まるで虎視眈々と、牙を突き立てる瞬間を窺っているような――尋常ではない雰囲気を、如月真宵はその全身から醸し出していた。


「とは言エ、そう簡単な話じゃナイ。酩酊への耐性を獲得したところで堕天王を暗殺するには不充分ダ。無論こんなチャチな拳銃程度じゃあ殺すなんて以ての外。()()()()()()()()()()()()()()()()()。だから厄介なんダ。それは羅刹王、アナタもよく解っているハズ」


 フィデスの口車に耳を傾ける羅刹王。宙を揺蕩う彼女は表情一つ変えないまま、静かに俺達を見据えている。


「今のアナタが最も恐れている事ハ、あの堕天王が第七階層まで侵攻してくる可能性でしょウ。堕天王の異能はアナタにとっテ、唯一にして致命的な弱点。この同盟の本質ハ、その堕天王を第三階層に閉じ込めておく事にアル」


 流れるようにつらつらと、用意した台本を読み上げるように言葉が紡がれていく。


「同盟という名目上、等価交換の契約を成立させる為には堕天王の要求もある程度呑む必要がアル。堕天王の要求は同盟獄間での侵略行為の禁止、そして羅刹王の異能の一部制限。具体的には焦熱地獄以外の他階層でアナタが異能を()()()()させない事」


 羅刹王の異能――それが何なのかは解らないが、聞く限りどうもそれは時空を隔てた階層を跨いでも発動するらしい。きっと碌でもない代物に違いない。


「その代わり堕天王はこの同盟の本質、その全容を知る事が出来なイ。これで見かけ上の停戦協定は成立すル。同盟は時間稼ぎに過ぎナイ。堕天王を確実に殺せる方法を見つけるまでの時間稼ギ――その間に我々がアナタに代わり暗躍すル」


 言葉遣いを多少正したところで、やはりフィデスはフィデスだった。有無を言わせぬ断定的な口調は相変わらずで、羅刹王を相手に物怖じすらしていない。


「我々は各階層に潜伏し物資を供給しつつ情報を蒐集すル。これによって我々がアナタに要求する見返りはアナタの所有する土地と人材の一部提供。そして拷问教會イルミナティの人間をアナタの獄卒として一部迎え入れる事。我々の要求はそれだけデス」


 あまつさえ薄く笑みを張り付かせ、フィデスの言葉はまるで謳うように吐き出されていく。口先もここまで極めると、もはや魔術と呼んで差し支えないだろう。


「ご心配には及びませン、同盟獄間での侵略行為の禁止は我々にも適用されル。誰であろうと契約を破れば例外なく開闢王の異能の対象になル。アタシが今こうして話している内容に嘘偽りが無い事モ、他ならぬ開闢王コイツの異能が証人となってくれている訳デス」


 言われてみれば確かに、開闢王の異能『アンサー』はその発動の兆候すら見せていない。つまりこの契約に関してフィデスは嘘を吐いていないという事になる――が。

 それにはきっと何らかの抜け道、カラクリがあるのだろう。でなければそもそも、契約内容を堕天王に対して一部秘匿するという嘘偽りが『アンサー』に断罪されないのはおかしな話だ。

 恐らくそれ自体が契約として互いに合意した内容であれば断罪の対象外となるのだ。その事に羅刹王が気付いているのかいないのか、彼女の表情からは全く読み取れない。


開闢王コイツの異能はあらゆる概念を無視して対象の四肢を引き千切ル。堕天王は勿論、アナタでさえも例外なク。無論その程度でアナタ達が死ぬ事は無いでしょウ。しかしそうなればアナタ達は永遠にその場で拘束されル。抑止力という意味でこれ以上のモノはナイ。この契約はだからこそ成立すル――」


 そこまで一息に話し切ったフィデスは、手応えを感じたような表情で、その視線を手元に漂う本の中へ移す――


「…………チッ…………」


 ――しかしどういう訳かその直後、それまで涼し気だった彼女は途端にその顔を苦々しく歪ませていた。


「……我々からの要求は以上デス。恐れながら羅刹王、アナタのお考えを我々にお聞かせ願えますカ」


 フィデスから余裕の表情が無くなり、語調は更に重苦しい色を伴う。どうやら思い通りの反応が得られなかったのだろう。その心情を文字通り読み取ったフィデスはすぐにその場へ跪き、灼熱の瞳を怨めしそうに濁らせる。


 それから僅かな沈黙が漂った。心做しか、周囲の気温は徐々に上がっているようで――にも拘らず、体内の温度は徐々に下がっていくようで。じりじりと、ひりひりとした、居心地の悪い静寂が只管に続く――


退()()()


 やがて、溜息をひとつ漏らしながら――紡がれた羅刹王の言葉は、それが全てだった。

 その一言で、この場に居る誰もが心臓を跳ね上げさせただろう。ともすればそれは、死刑を宣告されたような。そんな、底知れぬ絶望感。


「おはなしはそれだけ?」


 ――それ以上に彼女の声色は、悍ましい程に魔性だった。

 妖艶などという、その程度の表現ではやはり相応しくない。まるで本能的に抗う事を諦めてしまうような、果てしなく巨大なものと相対したような、異常な程の美しさ。


「……恐れながラ。アタシは何カ、間違った事を口にしたでしょうカ」


 早々に話を切り上げようとする羅刹王に対して、フィデスは慌てて喰らいつく。跪き顔は伏せているが、奴が今どんな表情をしているのかは想像に難くない。羅刹王の反応に納得がいっていないのは明白だった。


 事実、フィデスは心が読める。羅刹王の抱く欲望は筒抜けで、それを読んだ上での交換条件だ。羅刹王にとってそれは間違いなくメリットのある提案のはず。普通なら断る理由が無い――


「いいえ、間違っていないわ。わたくしは堕天王を殺したい。わたくしは全てを手に入れたい。その通りよ。それを貴女達が手伝ってくれるというわけでしょう。良い提案だと思うわ。ええ――だからつまらないの。間違っていないから、貴女のおはなしは、とても退屈」


 ――しかし残念ながら、今回の相手は普通ではない。フィデスにとって羅刹王は、まさしく天敵だったのだ。


「(クソッ……! 羅刹王……()()()()()()()()()()()……! 辛うじて読み取れるのは過去の記憶だケ……そこから推理する事自体は可能なんダ……! だがまさに今、この瞬間に何を考えているのカ……それだけはどうしても解らナイ……ッ!)」


 フィデスの心を読む能力には弱点がある。無いものを読むことは出来ないという、当然にして致命的な弱点が。

 例えば俺の肉体から分裂した別人格、感情の化身が暴走したあの時、その行動を先読みする事が出来なかったように。フィデスの異能は文字通り人間離れした存在を、人智の理解が及ばないものを、そもそも心を持たぬものを、その思考を読む事が出来ない。


「三獄同盟は不成立ね」


 だからフィデスには解らなかった。羅刹王の本当の願いに、辿り着けなかったのである――

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