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怪物少女の無双奇譚《フォークロア》  作者: あかなす
第五章 焦熱地獄篇
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焦熱地獄 10

「やれやれ……仕方のない奴じゃの〜ォ……」


 その時。不意に扉の開く音が聞こえてきて、九十九が顔を上げる。


 傷付き倒れたバルバラが、とうとう身動ぎ一つ見せなくなった直後――その扉は九十九が凭れ掛かっている物と同じ壁から、突如として出現した。


 何の変哲も無い造りの、握り玉(ドアノブ)が付いた白い扉。九十九から少し離れた場所に佇むそれは軋む音を立てながら、ゆっくりと開かれて――その奥から現れたのは、小さな人影が一つ。


 その人影は、毛先の黒い白髪を後ろに結った、まるで筆のような髪型をしていた。骨張った小柄な体躯を纏うのは墨汁のような黒で汚れた浴衣が一枚。肩にはリュックサックを背負っている。

 右手に絵筆を二本と彫刻刀が一本、指と指の間で挟んで。左手に無地の版木を数枚、腋に抱えて――その少女は呆れたように溜息を漏らしながら、カラカラと下駄を鳴らしながら、そこに現れたのである。


 芥川九十九と彼女の間に面識は無い。なので九十九にとってその闖入者は見知らぬ他人であり――敵の増援と考えるのが自然だった。


「……何者だ」


「むあ~、そう身構えずともよい。わしはおぬしの敵ではないし、そこな小童の味方でもない。わしはただの……むあ……そうじゃな。同じ屋根の下で暮らす、ただの居候じゃ」


 しかし見知らぬその少女からは敵意を微塵も感じない。くりっとした黒いまなこ、白い太眉、わらべのような幼い顔付き、彼女が見せる仕草のどれも、九十九には悪意が潜んでいるようには到底思えなかった。


「…………」


 とは言え、ここで緊張感を途切れさせる程お人好しではない。九十九の赤い瞳は突然の訪問者から視線をそらすことなく、その動きを注意深く観察していた。


「ふむ……」


 対する少女、何かを探すように周囲をきょろきょろと見渡し始める。そうして視線をぐるりと一周した後、再び九十九へ焦点を戻した彼女は、僅かに眉をひそめながら口を開いた。


「おぬし、仲間とはぐれたようじゃが。居場所に心当たりは無いのか?」


「……何を言っている。お前らの仕業だろ」


「いいや。少なくとも此度の件に関して、わしと小童は何も関与しておらん。恐らく、そこな小童……バルバラも、おぬしを見て『()()()()()()()()()』などと騒いでおったのではないか?」


 その返答に九十九の頭はようやく、本当の意味で冷静さを取り戻す。


『侵入者は二人組のはずだ。何故貴様しか居ない。もう一匹はどこに居る』


『使いの者を寄越したはずだ。……まさか途中で逃げ帰ったか? 手間を掛けさせる……それで貴様はどちらだ? 鵺か? 悪魔か? どんな異能を持っている? 俺に見せてみろ――』


 ちりに続いて愛まで行方を晦ました、そのショックに囚われて、見過ごしていた違和感が次々と思い返されていく。特に今この少女がまさに話した通り、バルバラの言動からはその端々に確かな違和感があった。


「やはり、おぬしの仲間は……突然消えた、というわけじゃのォ。つまり……わしらもまた、おぬしらと同じ……何かに巻き込まれた側、というわけかァ。こりゃ参ったの~ォ……」


「…………どういう事だ?」


「詳しい話は、まずそこな小童を起こしてからじゃ。どうも双方に誤解があるようじゃからの~ォ」


 やれやれと何度目かの溜息を吐きながら、少女は地面に倒れるバルバラの方へ歩み寄る。そして、おもむろ――掲げた版木目掛けて一心不乱、筆と彫刻刀を振るい始めたのだった。


 斯くして複数の筆を同時に操り、凄まじい筆捌きで絵を描き始めた少女。それがただの絵ではなく、何らかの能力が発動しようとしている気配をこの時の九十九は感じ取っていたが――


「…………」


 やはり、そこに敵意は感じられない。何より、ようやく話がまともに通じそうな相手が現れたのだ。この状況が動くかもしれない――そんな期待を感じずにはいられない。

 絵を描きながら自分の横を通り過ぎる少女の背中を、九十九はひとまず黙って見守ることに徹したのだった。


 常軌を逸した筆捌き、彫刻刀捌きはあっという間、版木に凹凸を浮かび上がらせ、そこに着彩が施されていく。

 そうして一瞬で完成した木版画、そこに描かれた浮世絵を、少女はバルバラに向かって掲げてみせると――


「ほい、『あまびえ』」


 版画の中から、絵が浮かび上がる。


 鳥のような嘴を持った頭に、魚のような鱗に覆われた胴体を持つ妖怪。俗にアマビエと呼ばれるそれは、少女の描いた絵から作画をそのままに、現実世界へと転写されたのである。


 具現化されたアマビエは、その長い毛髪のような触手をバルバラに向かって伸ばし、傷付いた身体を包みこんだ。するとバルバラの全身が微かに発光を始め――血の気の引いていた肌は、見る見る内に本来の血色を取り戻していく。


「――――げほっ」


 それまで完全に息をしていなかったバルバラだったが、光に包まれてしばらくすると、不意に少量の血を吐き出しながら咳き込んだ。俯せだった身体を捩り、仰向けに体勢を変えた彼女は、瞼を薄く開けていく。


「…………我が、同胞。何故、此処に…………」


「まったく……この阿呆! 無茶しやがったの~ォ!」


 掠れた声を上げるバルバラ、その傍までやってきた少女は、しかめっ面を浮かべながら勢いよく一喝した。しかしそれでいて、どこか安堵したように見えるのは、決して気の所為ではないだろう。


「峠は越したが……ふむ、肉体の崩壊が止まらんな。このままでは直に回復も追いつかなくなる……が」


 少女は依然倒れるバルバラの身体を改めて一瞥する。隅々まで彷徨ったその視線は、やがて悪魔化した右腕と左脚に注目した。


「成る程、原因はそれか。ならば……ここは『かまいたち』、じゃな」


 何か納得したように口を開けた少女は、再び版木を掲げ、そこに筆と彫刻刀を走らせ始めた。そしてやはり神業の如き筆捌きは一瞬でそこに絵を完成させ――絵は人造怪異となって転写される。


 それはイタチのような姿をした獣の妖怪だった。鎌鼬かまいたちが隙間風の吹いたような鳴き声を上げると、次の瞬間その周囲で突風が巻き起こる。

 突風は閃き、鎌のような鋭さで見えない刃を宙に迸らせると――それはバルバラの悪魔化した右腕と左脚を瞬時に切断してみせたのだった。


 旋風に断ち切られた右腕と左脚は風に舞って宙に浮き、そのまま風に乗って九十九の傍に落下する。目の前まで転がってきた九十九はそれに思わず目を見開かせていた。


「おい、若造。戦いは終わりじゃ。奪った物を持ち主に返せ。よいな?」


 まるで子供を叱りつけるような語調でバルバラを見下ろす少女。その隙に九十九は尻尾を使って落ちている左脚を拾い上げ、脚の切断面に引っ付けてみると――

 不思議なことに、左脚は九十九の身体と一体化するように溶け出して、すっかり元の形に戻ったのだった。同じ要領で右腕も拾い上げ、右肩の切断面と引っ付ける。踏み締める大地の感触と右手の握力の感覚に問題無い事を確かめると、九十九はそっと胸を撫で下ろしていた。


「う、ぐッ……余計な、真似を……」


 少女を怨めしそうに見上げ悪態をつくバルバラであったが――取り込んだ悪魔の一部を切り離した途端、その容態は安定していった。すぐに上半身を起こして胡座をかける程度には回復し、切断した右腕と左脚も本来の自分の物へ再生していく。


「(……描いた絵を具現化する異能か。しかも、独立した機能を有する人造怪異を複数体……まさかあの百鬼夜行も全て、彼女が一人で……?)」


 人造怪異を創るには基となる異能と、血肉となる材料が必要だ。その後の作り方は様々だが、例えば人造怪異に任意の機能を搭載させようとすると、それだけ要求される材料も複雑になるし、基となる異能が一つじゃ足りない場合も出てくる。

 そもそも作り方のレシピがあるわけでもない。独学で、作れる保証も無く、作ったところでその苦労に見合うとも限らない。だから基本的に、一人の作り手が創作できる人造怪異のバリエーションは一種類が限界と言われているわけだが――


 それをこの少女は、言ってしまえばただ絵を描くだけで、数多の種類の人造怪異を量産出来てしまうようだった。描いた絵を人造怪異として具現化する異能――『百物語』の怪異。その異常性が理解出来るからこそ、目の当たりにした九十九は静かに息を呑んでいた。


「ほれ、まだざっとるじゃろ。全部出しなさい」


 腕を組み見下ろす少女は、毅然とした態度を見せている。それに対して顔を背けるバルバラは、まるで教師に叱られて不貞腐れる不良少女のようだった。


 そして確かに、バルバラはまだその体内に悪魔の翅と尻尾の半分を取り込んでいる。それを九十九に返すよう少女に促されるバルバラであったが――


「…………ク、クク」


 不意に漏れる、聞き覚えのある嗤い声。そうしてバルバラはゆっくりと立ち上がり、その背に悪魔の翅と尻尾を生やしてみせると――突如、血走った目をかっと見開かせた。


「クハハハハハハハハハハハハッ!! 莫迦め油断したなッ!! 俺が復活するのをよもや指を咥えて眺めているだけとは笑止千万ッ!! さァ第二ラウンドだッ!! ここから反撃開始――――」


「ばっかもーん!!」


「ぐえっ…………」


 その瞬間、少女の手からすかさず飛び出した拳骨げんこつがバルバラの脳天に振り落とされる。直撃を受けたバルバラは間抜けな呻き声を上げながら、再びその場に俯せで倒れ込む。


「今はもうそれどころでは無い! まずは落ち着いて状況を整理するのじゃ! わかったな!?」


「む、ぐ、う……」


 どうやらバルバラはこの少女に強く出れないようだった。手酷く叱られたバルバラは、もはやぐうの音も出ないといった様子。俯せのまま、ぴくぴくと身体を小刻みに震わせている。


「……えっと。とりあえず、返してもらうね」


 そこへ追い打ちをかけるように、九十九はバルバラの傍へおもむろに近付いていき、その翅と尻尾を容赦なく引っこ抜いてしまうのであった。


「くそォ……」


 果たしてこの戦いの決着は、斯様な結末と相成ったのである。


 ◆


 崩壊した空間の自動復元が進み、すっかり元通り――とは言わずとも、其処が駅のプラットホームであることは解る程度には原型を取り戻しつつあった。大破していた猿夢列車も殆ど修復が進んだ状態でレールの上に鎮座している。


 少女が担いできたリュックの中身は、バルバラの着替えや荷物などが入っていた。リュックを少女から手渡されたバルバラがその場でいそいそと着替え始めたので、九十九と少女の二人は傍の椅子に腰掛けてそれを待つことにしたのだった。


「バルバラの目的は、特別な人造怪異を創り出すことじゃ」


 待っている間、プラットホームの椅子に腰掛ける少女はふと、視線の遥か前方に横たわる画板を指して声を上げる。


 地面に倒れかかった、縦に長く巨大なその画板に貼り付けられていた紙には、一面を燃えるような緋色が彩っていた。焔が如きその緋色の形は、ともすれば鳥のようにも視える。


「人造怪異の創り方は様々じゃが、あやつはわしと同じように、絵を描くことでそれを産み出そうとした。その為にあやつは、絵具となる特別な材料を探しておったんじゃ」


 幼い見た目とは裏腹、ひろくゆったりとした語調で言葉を紡ぐその少女は、自身の隣に並んで腰掛けている九十九に向かって今度は指差した。


「わしのは元々そういう異能じゃからのォ、ただ絵を描くだけで人造怪異を生み出せる。じゃが他の者達は違う。普通は描いた絵が勝手に人造怪異に成ったりなどせん。ゆえに特別な材料が必要なんじゃ」


 少女の話を九十九はしばらく黙って聞いていたが、しかしその表情はどこか釈然としていないような、少し困ったような様子で。


「だからって、いきなり材料呼ばわりされるのは困るよ」


 眉を八の字にしかめ、疲れたように呟いた九十九に、少女は苦笑いを浮かべていた。


「そうじゃよな~……まァ、なんと言うか……あやつもあやつで必死だったんじゃ。何せあやつにとっておぬしらは、何千年と続くスランプからようやく抜け出せるかもしれない、未知の可能性じゃったろうしの~ォ……」


 味方ではないと言っておきながらも、どうやら情を隠し切れていない少女の気まずそうな様子に、九十九はやれやれと溜息を吐く。


「いや、おぬしには関係の無いことじゃな。身内が迷惑をかけた。すまんのォ」


「別にいいけどさ。そんな事より……お前達は本当に何も知らないんだな?」


「生憎、わしらは『獄卒』である以前に一人の画家……ぶっちゃけ、自分の絵を完成させること以外に興味が無くての~ォ。平時であれば、わざわざ首を突っ込む事も無かったんじゃが……此度の一件、わしにはどうもきな臭く感じてなァ。色々はっきり解るまでは一時休戦といきたい。構わんかのォ?」


「……嗚呼。私は仲間を助けられるなら、何だって構わない」


 頷き合う両者。不透明な要素が多すぎる現状において、話の通じる相手との邂逅はこの上ない幸運だと言えるだろう。特に九十九にとっては願ってもない申し出である。


 実はこうしている今もずっと、芥川九十九は――大切な仲間を突然、一気に二人も失ってしまったショックを引きずっていた。冷静に見えるのは、毅然と在るように努めているから。どんな状況でもまずは落ち着くこと――黄昏愛から受けた忠告を、九十九は健気にも守っていたのである。


「待たせたな」


 暫くして、九十九達の腰掛ける椅子の後ろ側から回り込んでくるように、着替えを終えたシスター・バルバラが改めてその姿を現した。

 茶髪を靡かせる彼女がその身に纏っているのはガウンではなく、新しい黒の修道服。目元には黒いレンズの眼鏡を装着し、右手には煙草を一本燻らせている。

 そしてその頭上には、一本の巨大な五寸釘が突き刺さっていた。釘の刺さった箇所からは、やはり血の一滴も流れ出していない。


「流石は我が同胞、着替えに煙草に人造呪物オブジェクトまで持参してくるとは用意周到なことだ。おかげで暫くは感情を抑えられる。会話を成立させる分には問題無い」


「やれやれ……」


 調子の良いことに、すっかり涼し気な表情で煙草を吹かすバルバラの、充足したその様子に、少女はほとほと呆れたように溜息を吐いていた。


「……ところで親友、このまま俺と二人掛かりでそこの悪魔を捕らえるというのはどうだ?」


「こらっ! まだ言っておるのかっ、この!」


「チッ……嗚呼解っているとも。言ってみただけだ……」


 ぷりぷりと怒り始めた少女から反射的に顔を逸らすバルバラ。口ではそう言っているものの、煙草を唇に挿し込むその仕草からは不満が滲み出ているようだった。


「一時休戦、大いに結構。他ならぬ同胞の頼みとあってはな」


 バルバラは口の端から黒い煙を吐き出しながら、そのじとりした視線を今度は九十九に対して向ける。やはりどこか嘲笑的で挑発的な、不躾極まるその眼差しに、九十九もまたムッとした表情で睨み返していた。


「だが納得はしていない。俺に創作の手を止めろと言うからには、それ相応の理由があるのだろうな。材料が一匹逃げ帰った事と何か関係でもあるのか」


「愛は逃げてない」


「ほう? ならばどこへ消えた。こんな所に、貴様独り残して。ここまで共に行動してきたらしいが、本当に信用の足る相手なのか? 裏切られたんじゃあないのかね?」


「……それ以上、愛のことを侮辱するなら……殺すぞ」


「ククッ……やってみろ」


 一瞬にして一触即発、視えない火花を散らす両者。赤い眼に殺意滲ませ、九十九は不意に椅子から腰を持ち上げ立ち上がろうとする。

 それに対してバルバラは灰色の眼を冷笑するように薄く細め、修道服の内ポケットから何かを取り出そうと懐を弄り始めて――


「こらこらこらぁ~っ!! やめやめぇ!! どうしてそう喧嘩腰なんじゃ!! 今からちゃんと説明してやるから少し落ち着けっ、このばかもん!!」


 二人がアクションを起こすよりも早く、少女は立ち上がり両者の間に割って入っていた。少女の制止によって九十九はムスッとした表情を浮かべながらも、再び椅子に腰を落ち着かせる。

 そしてバルバラもつまらなそうな表情を浮かべつつ、懐から伸ばした手を引き抜き、からの両手を上げて肩を竦めてみせるのだった。


「やれやれ……あァそうじゃ、その前に……自己紹介がまだじゃったな」


「俺達画家が材料に対して名乗りを上げる必要があるか?」


「これから協力関係を結ぶかもしれん相手じゃ、当然じゃろ。それと他人のことを目の前で材料とか呼ぶのはやめなさい」


 バルバラを宥めつつ、少女は改めて九十九のほうへ向き直った。そうして咳払いをひとつ。


「というわけで、わしの雅号なまえは卍天上天下(スーパーウルトラ)唯我独尊(ハイパーミラクル)画狂少女(ロマンチスト)卍じゃ」


「……………………?」


 平らな胸を張って、彼女の口から自信満々に飛び出した奇天烈と呼ぶ他無いその名に、九十九は思わず首を傾げるのだった。


「卍天上天下(スーパーウルトラ)唯我独尊(ハイパーミラクル)画狂少女(ロマンチスト)卍。バルバラと共に第六階層の管理を任されておる。まァ気軽に『ロマンちゃん』とでも呼んでくれ」


「…………そうか。私は、芥川九十九。よろしく、ロマンちゃん」


「あァ、よろしくの~ォ」


 恐らく文字に書き起こしたら滅茶苦茶なルビの振り方をしているんだろうな、というツッコミはひとまず呑み込んで。九十九もまた名乗り返す。

 斯くして地獄転生を果たした葛飾北斎――もといロマンちゃんは、キシシと歯を見せ笑ってみせるのだった。


「で、こやつがバルバラ。わしと同じ『獄卒』でありながら、拷问教會イルミナティ幹部シスターも兼任しておる。ええと……他に知りたい事はあるかの?」


「……いや、大丈夫。こいつの事は、さっきの戦いでよーく解ったから……」


「じゃよな……まァ、こういう奴じゃから……ほどほどの距離感で接してやってくれ。バルバラ、おぬしもな……袖の中に忍ばせておる果物ナイフをさっさと棄てなさい」


「ククッ、命拾いしたな」


「……やっぱりこいつ殴っていい?」


「勘弁してやってくれ……」


 ◆


「……さて、まずはわしが此処に来た経緯を説明するかのォ」


 ロマンちゃんはそう口を開きながら椅子へ掛け直すと――自分の右目をおもむろに、右手の掌で覆い隠してみせた。その妙な仕草に九十九が何事かと眺めていると、その矢先、ロマンちゃんの右手の甲の皮膚が突如蠢き始め、そこに大きな一ツ目が浮かび上がる。


「わしの描いた人造怪異さくひんのひとつ、『一目連』の能力によって、わしは他の人造怪異と視界を共有することが出来る。それでまァ……わしは自分の部屋で絵を描いておった片手間、おぬしらの動向や小童の様子を、暫し窺っていたわけじゃが……」


 少し時を遡って――バルバラが侵入者を迎え撃ちにロマンちゃんの部屋を飛び出したあの時、何だかんだと言いながらもロマンちゃんは、どうやらバルバラの身を案じていたらしい。

 実は遠くから見守っていたという事実を白状したロマンちゃんは、気恥ずかしさからかその頬をほんの僅かばかり朱に染めているようだった。


「おぬしら二人組の侵入者がバルバラの部屋に、あの扉に入る瞬間を、わしはこの目で確かに見届けた。じゃが、その直後――わしがバルバラの部屋に視界を移動させた時、既に侵入者は一人減っておったんじゃ」


「……減っていただと?」


 ロマンちゃんの説明にようやく事態を呑み込み始めたのか、バルバラが真っ先に反応を示す。訝しげなその視線は九十九ではなくロマンちゃんに対して向けられていた。


「奇妙じゃろ? それで少し、胸騒ぎがしての~ォ。念の為、他の部屋も片っ端から視てみたのじゃが……もう一人の侵入者の姿はどこにも無かった。あの者は、忽然と姿を消したのじゃ」


 手の甲に浮かび上がった一ツ目が瞼を閉ざしていくと、まるで最初からそこに無かったかのようにすうっとそこから消えていった。ゆっくりと右手を下ろしたロマンちゃんは、その墨のような色の眼で九十九を見据える。


「先も訊いたが……仲間がどこに消えたのか、おぬしにも心当たりは無いんじゃよな? あるいは、そやつのなにがしかの能力によって身体を透明にしたとか、瞬間移動したとか……そういった可能性も無いのか?」


「……確かに、愛の能力ならそのくらいの事は出来るだろうけど。ここまで来てそんな事をする理由が無い」


「じゃろうな。そして当然、わしらにも心当たりは無い。そうじゃな? バルバラよ」


「嗚呼……」


 ロマンちゃんに尋ねられたバルバラは、釈然としていない表情を浮かべながらも頷いてみせる。


 突然消えた黄昏愛――その行方について、どうやらお互い本当に何も知らないらしいと納得した九十九とバルバラは、思わずその顔を見合わせていた。


 しかしならば、愛はどこに消えてしまったのか――九十九はバルバラに向けていた視線を外し、自身の口元に手を当て思案する。


「……そうか。よく考えたら……」


 狭窄していた視野も、一度冷静になれば自ずと広がっていく。九十九がその可能性に思い当たるまで、そう時間は掛からなかった。


「愛がどこに消えたのか、その行き先は解らないけど……これと似たような現象に、心当たりはあったよ」


「ふむ?」


 不意にハッとした様子で声を上げた九十九に、その隣で腰掛けていたロマンちゃんが何事かと眉を持ち上げる。目の前で腕を組んでいたバルバラもまた、訝しげなその視線を静かに九十九へ向けていた。


「シスター・カタリナ……あいつの能力、転送の異能だよ。そうだ……こんな事が出来る怪異なんて……あいつしかいない。愛は転送させられたんだ……」


「かたりな……? シスターということは、拷问教會イルミナティの者かの? 知らぬ名じゃな。わしは会うたことが無いが……そやつは何者じゃ?」


「ロマンちゃんでさえ知らない、会ったことすら無いってことは……やっぱりあいつは、拷问教會イルミナティとも獄卒とも違う別勢力として動いているんだな……」


 冷静に状況を分析しているように聞こえるが――その名を口にするだけで、九十九の中では沸々と怒りが込み上げてきていた。


 拷问教會イルミナティ第一席、シスター・カタリナ。彼女が未知の階層で見せたその異能は、空間と空間を繋げる『穴』を座標上に設置するというもの。


 九十九達がカタリナと山頂で交戦に至ったあの時、カタリナはあの場にアナスタシアを呼び出そうとした。

 その直前、カタリナはまず転送の穴から別空間の景色を覗き込み、アナスタシアの居場所を目視で確認していたのだ。


 つまり今回もそうしてカタリナは、黄昏愛が一人で扉を潜り抜ける瞬間を見計らい、その目の前に穴を設置して彼女だけを転送させたに違いない――九十九はそう考えた。


「……………………は?」


 九十九の脳内で推理が駆け巡っていく――そんな最中。

 虚を突かれたような表情で、不意に乾いた声を上げたのは――バルバラだった。


「おい……おい待て貴様。巫山戯ふざけているのか? カタリナ? 転送の異能だと……?」


 口を挟んできたバルバラに対して、また話の腰を折るつもりなのかと、九十九はムッとした表情でその顔を睨み付ける――


「いい加減な事を言うなよ……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……」


 ――しかしバルバラのその表情は、酷く青ざめていて。尋常ならざるその様子に、九十九もまた驚きで目を見開かせていた。


「……嘘じゃない。カタリナに会ったんだ、私達は」


「…………どこで逢った」


 バルバラはその眉間にこれでもかと皺を集め、今にも襲い掛かりそうな剣幕で九十九を詰める。九十九も負けじと睨み返して――あの日に起きた出来事を振り返るように、口を開いた。


「第三階層を抜けたあと、私たち三人はカタリナの異能で列車ごと転送させられて、如月真宵の造り出した謎の空間……人工階層に閉じ込められたんだ。そこで奴等に、私の仲間……ちりを拉致された。そのあと人工階層を二人だけで脱出した私と愛は、叫喚地獄には立ち寄らず、そのまま第六階層にやってきた」


「…………………………………………」


 九十九が一息に語ったその内容を無言のまま聞き届けたバルバラだったが、その様子はやはり信じられないとでも言いたげに白い頬を強張らせている。


「……叫喚地獄には立ち寄っていない? しかも……三人だと? 他に仲間が居たのか? そんな報告は受けていない……いやそれどころか……()()()()()()()()()()()()()()()()()……」


 やがてバルバラはその場からふらりと後退り、その手で文字通り頭を抱えた。目の焦点は定まらず、茫然と言葉を漏らすその唇は微かに震えている。


「…………貴様、本当に、カタリナと逢ったのか。しかも、如月真宵と行動を共にしていた……間違いないんだな」


 顔面を覆う掌の隙間から三白眼を覗かせるバルバラの唸り声に、九十九は無言のまま頷いた。

 バルバラの首筋を冷たい汗が伝う。自身の足元に視線を落とし、そのまま押し黙ってしまった彼女の様子に、ロマンちゃんが不安げな眼差しを向けている。


「…………それが、真実なら…………」


 瞬間、バルバラの脳内を駆け巡る――在りし日の記憶。


「俺は……欺かれていたのか。あの日から……ずっと。ならば…………カタリナ…………如月真宵…………まさか…………」


 今から九千と五百年前――彼女が芸術家として再び蘇るきっかけとなった、あの日、あの約束のこと――


「…………ククッ。成る程。そうか……そういうことか」


 それを今、彼女は鮮明に思い出していた。


「……理解した。如月真宵……我が同胞、我が好敵手よ。この俺を出し抜くとは。やり方は気に食わんが……そうか。ついに、見つけたのだな。貴様だけの、願いを叶える方法を……」


 指の隙間からすり抜けるように、煙草の灰殻が力無く地面に零れ落ちる――


 暫くして、不意に顔を上げた彼女はその表情を一転。まるで暗雲を晴らしたような清々しさすら伴う程の、柔らかな笑みを浮かべていたのだった。

 それを彼女のいつもの奇行、ただの独り言として片付けるには、あまりにも様子が違いすぎる。明らかに何らかの真実に至った気配を一人漂わせるバルバラに、九十九とロマンちゃんは一斉に口を衝いていた。


「何か、知っているのか?」


 皆の視線を集めたバルバラ、短くなった煙草を灰になるまで吸い尽くし――大きく息を吐き出しながら、前を見据える。


「如月真宵はあの頃から何一つ変わっていない。徹頭徹尾、自身の願いを叶える為だけに動いている。それだけだ。これは最初から、そういう物語だった」


 如月真宵、彼女が今何を考えているのか。シスター・バルバラ、彼女が今何を想っているのか。その全てを今の芥川九十九に知る術は無い。


 それでも、たった一つ。確かに言える真実が今、あるとするのなら。

 物語は一つだけではなく、この世界を無双する怪物少女もまた、一人だけではない。

 而して、その無双の果てに――物語の結末へと辿り着けるのは、たった一人。

 これは選ばれし者達の物語。奇跡を求める者達の軌跡――


「……良いだろう。教えてやる。全ての始まり、あの日の約束――()()()()()を」


 その軌跡に、その言葉に、耳を傾けること。今の自分にはそれしか出来ないと悟った芥川九十九は、口を閉ざし、静かに頷いた。


 ◆


 斯くして物語は過去へと遡る。今から九千と五百年前。

 それはシスター・バルバラが地獄に落ちて、半年が過ぎた頃に起きた。

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