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怪物少女の無双奇譚《フォークロア》  作者: あかなす
第五章 焦熱地獄篇
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焦熱地獄 8

 今からおよそ、九千と五百年前。

 以下はヴィンセント・ヴァン・ゴッホが地獄に堕ちてきて、その七日後に起きた出来事である。


 ◆


 さて。等活地獄に降りて早々、醜い液状と化した俺の肉体は、次の日もそのまた次の日も元に戻る兆候すら見せず――それも別にどうでも良かったため――その間、俺はただ只管に瞼を閉じ、惰眠を貪り続けていた。


 賽の河原で石を積み上げるような人生だった。無意味で無価値な命だった。だからせめて死後くらい、安らかに眠らせてほしい。俺はもう何もしたくない。もう誰も俺に構うな。このまま溶けて消えて無くなりたい――


 しかし、その願いが叶うことはやはり無かった。七日目の今日。怒りで焼き切れた脳細胞が怪異の自然治癒でようやく復元されたのか、単に頭が冷えてきたのか、少しずつ冷静さを取り戻していく俺の精神に呼応するように――液状だった俺の肉体は徐々に元の固形へと戻っていったのだ。


 斯くして俺の物語は終わらなかった。冷えて固まった俺の肉は、灰色を被ったような女の姿へと変わり果てていく。やがて感覚が全身に蘇り、呼吸を自覚出来るようになって、瞼を開いたその先に――


「やっとお目覚めかヨ。待ち草臥れたゼ、宇宙人」


 ――俺は魔女の集会を視たのだ。


 其処は一言で表す事の出来る場所だった。即ち、牢屋である。剥き出した岩肌の壁に囲まれた暗い密室の中で、蝋燭の灯りだけが周囲を仄かに照らし出す。そんな場所で俺は目を覚ました。白いガウンを一枚羽織っただけの頼りない格好で冷たい地面に横たわっている。


 この場所がどこなのか、俺はどうなっているのか、俺を此処に運び込んだ連中は何者なのか――そんな事はどうでもいい。

 ただこうして無事目覚める事が出来たという事は、結局俺は終われなかったという事だ。その事実だけが全てだった。

 一度は開かれた俺の瞼は虚無感に襲われ、また徐々に閉じられていく。


「……オイ。二度寝しようとすんナ」


 そんな俺の脇腹を軽く足蹴にしてきて、不遜にも俺の顔を上から見下ろしてきていたのは――銀の長髪に灼熱の瞳を携える、痩せた女だった。

 身に纏うは黒い修道服。その隙間から垣間見せる不健康な印象の蒼白色をした肌。黒く塗られた爪と爪の間には紙巻き煙草を燻らせている。


 銀髪のその女は、俺がもう一度瞼を開き今度こそ覚醒したのを見届けると、呆れたように溜息を漏らしながら、右手の煙草と気怠げな口吻を交わしてみせた。不躾なその視線は俺から外し、その左手に掲げる黒い装丁の分厚い本の中へと注ぎ始める。


「わあ、ほんまに起きた。そんなことまで解るなんて、やっぱり便利やねえ。フィデスちゃんのそれ」


 そんな銀髪の女の背後から、不意に聞こえてきた仄暗いその声色。そこには、夥しい量の黒髪を床に引きずるまで伸ばしている、車椅子に跨った女が控えていた。

 その女もまた黒い修道服を身に纏っていたが、灯りに照らされたその身体をよく見ると、どうやら四肢を欠損しているようだった。欠けたシルエットをあまりにも長いその黒髪がローブのように覆い隠している。

 あまりの長さに目元すら殆ど隠れてしまっていて、にやけた口元を除けばその表情を窺い知ることは出来ない。


「…………」


 そして、黒髪の女の傍で静かに佇む三人目、黒いローブ姿の女。頬に火傷の痕を残した褐色の肌、毛先の碧い朱髪、赤と青のオッドアイ――そして、異様とすら形容出来る程の整った美貌。

 それを勿体ないことにフードを深く被り隠しているその女は、どこか居心地が悪そうに俺からも視線を背けていた。


 三者三様、尋常ならざる雰囲気を纏った三人の女達。そんなものに囲まれているこの状況を、この光景を魔女の集会と呼ばずして一体何だと言うのか。

 魔女共に囲まれて目を覚ます経験など死後でさえそうはあるまい。そしてそんなものは経験しなくて済むならそれに越したことはないだろう。


「だいじょうぶう? 宇宙人ちゃん。気分はどお? お話し出来そうかなあ?」


「……気分だと? 決まっているだろう最悪だ。言っておくが俺は魔女の集会(ドラッグパーティー)なんて興味は無い。幻聴も幻覚も自前で事足りる。解ったらそこを退け……」


 蹌踉よろめきながらもどうにか立ち上がり、蝋燭の灯りの向こう、微かに見える鉄格子に向かって歩き始めた俺の前に――不遜にも銀髪の女が立ち塞がる。


「まぁ待てヨ。アタシ達はアンタと話がしたいだけダ」


 俺に向かって言葉を吐いているにも拘らず、やはりこの女はその視線を手元の本にばかり集中させている。まるでそこに全てが書かれてあるような、そこを読めば全てが解るとでも言いたげな、そんな鼻につく態度だった。


 しかし――俺と話がしたいだと? まさかコイツも、等活地獄で出会ったあの烏合の衆と同じ輩か? 俺がヴィンセント・ヴァン・ゴッホだから近付いてきたのか?

 だとしたら笑わせる。俺は貴様等の知るゴッホではない。俺はただの死体ジョンドゥだ。俺はもう絵描きじゃない。俺に絵を描く資格など無い。貴様等の期待に俺は絶対に答えない――


「自惚れるなヨ。絵描きとしてのアンタに興味はナイ。用があるのはその異能だけダ」


 そんな俺の心を見透かしたように、銀髪の女は先回りして言葉を連ねる。この女にはまるで俺に見えないものが見えているようだった。事実、その視線は俺を一瞥すらせず依然として本の中に注ぎ込まれている。


「アンタの異能は『触れたモノを何でも溶かす』ことが出来ル。その発動条件は感情の昂揚――正確には『対象に強い感情を抱いた状態で直接触れると発動シ、触れた箇所から熱が伝播していくように対象を融解すル。なお対象が完全に融解するまでに掛かる時間は感情の強弱や種類によって変化が伴ウ』――と言ったところだナ」


 まるでそこに俺の取扱説明でも書いてあるかのようだった。女は慣れた手付きで肌着を一枚ずつ脱がしていくように、俺の心を剥き出しにしていく。


「問題はアンタが自分の感情を致命的なまでに制御出来てないって事ダ。自意識過剰な上に自虐精神の塊。そのせいでアンタは何を差し置いてもまず真っ先に自分自身に対して強い感情を抱いてしまウ。そして自滅すル。勝手に怒って勝手に死ヌ、まさに最弱の怪異ダ」


 高慢ちきなその態度に俺は怒りを煽られつつも、一方でその一言一句に耳を傾ける冷静な自分もいた。


 俺の異能は、触れた物を溶かす。それは俺自身の怒りの感情に反応して発動する――当然解っている。地獄転生を自覚したあの瞬間から、俺は俺という怪異について大凡の事は把握出来ているつもりだ。

 そしてこの女の言う通り、俺はこの感情の制御というやつが恐ろしく下手なのだろう。生前からそうだ。俺にとって感情は、俺の意思や肉体とは最早かけ離れた存在だった。

 俺の感情は意思とは関係なく独りでに暴走する。だから異能が勝手に発動して、その時最も身近に触れている物――即ち自分自身を真っ先に溶かしてしまう。そういう事なのだろう。

 解ってはいるのだ。解ってはいるのだが――こればかりはどうしようもない。


 異能の使い方は言語化が難しく、漠然と感覚的に捉えているに過ぎない。きっと使ってみなければ解らない事も多い。通常ならば実践を積んで少しずつ自分の異能の理解を深めていくのだろう。

 しかし俺にとってはそれ以前の問題だった。俺自身がこの異能と相性が悪すぎるのだ。

 俺には感情の制御が出来ない。つまりそもそもとして俺は自分の意思で異能が使えない。それだけならまだ良かったが、俺の場合は勝手に発動して勝手に自滅する。だから実践の積みようがない。


 まるで無用の長物。俺にとっては使い道の無いハズレスキルもいいところなのだ――


「確かに今のままじゃ使い道の無いハズレスキルもいいところだナ。だがアンタのソレはアンタが思っている以上の代物――磨けば光るダイヤの原石ダ」


 それを初対面であるこの女は、使い手である俺以上に俺という怪異を熟知しているようだった。


「そのチカラの使い方、アタシが教えてやル。感情の制御の仕方、能力の応用、細かな発動条件と制約――全部ダ。アンタがそれを使いこなせるようになるまデ、アタシが全力でサポートしよウ」


 不意に、それまで一瞥もくれなかった女がその灼熱の瞳を此方に向ける。その視線に射抜かれた瞬間、心臓を鷲掴みにされたような怖気が全身に走る。

 何もかもを見透かしたような眼光、恐ろしくもどこか惹き込まれるような声調、きっと全てが計算尽くなのだろう。ともすれば俺はまさに今、奴の口車、奴の術中に嵌りかけている――


「アタシは全てを識っていル。だから当然解るんだヨ。アンタには才能が有ル。アンタがその才能を開花さセ、異能を使いこなせれば――そのチカラで世界を救う事だって出来ル。率直に言っテ、アタシ達の目的はそれダ。アタシ達はアンタのその才能が欲しイ」


 手練手管、誘われている自覚は俺にもある。しかしそれでも、奴の言葉には悪魔じみた魔力があった。

 恐らく奴の異能は心を読むだとかそういった類いのものに違いないだろう。だが奴から感じる悍ましさの本質はそこじゃない。

 心が読めるからと言って、相手のことを何もかも思い通りに出来るわけではない。読心はあくまで手段。奴の作る表情、仕草、言葉選び――どれもが的確に、相手に逆らう気を失わせる。

 文字通りの人心掌握。それが生まれついてのものなのか、後から身につけたものなのかは解らないが――この女にはその才能カリスマが備わっていた。


「アタシ達は『拷问教會イルミナティ』――我等が教団の教祖サマはご高尚な趣味をお持ちでナ、本気でこの地獄に堕ちた全人類を救済しようとしていル。アタシ達はそれに仕方なく付き合っテ――あァ否、その信念に則ってだナ――教団の聖職者シスターとして活動しているのサ」


「コンカフェ嬢ちゃうよお~」


 自分で言いながら鼻で嗤う銀髪の女。その背後で車椅子の女もまた冗談めかしたように笑う。


「そろそろ解ってきただろウ。これは勧誘ダ。アンタを拷问教會イルミナティの一員として迎え入れたイ。安心しロ、アタシ達と一緒に来ればアンタは絶対――望みを叶えることが出来ル」


「……俺の、望みだと……?」


 何を偉そうに、解った風な口を利きやがって――今すぐそう一蹴してやりたかった。


 けれどこの女は事実、解っているのだ。そう――奴は俺が今最も欲しい言葉が解っている。


「ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ。アンタはどうして絵を描く事に拘ってきタ? それは自分が得意とする事で誰かの役に立てる唯一の手段だったからだろウ? きっと絵じゃなくてもよかっタ。ただ無償の愛が欲しかっタ。そうして受け取った愛を誰かに還元したかっタ。その為に望んだアンタの最初の願いハ、聖職者として迷える魂を導く事――それがアンタの原点だったはずダ」


 通常どれだけ言葉を尽くそうと、他人のことを完全に理解するのは不可能だ。何故なら他人の本心を知ることは絶対に出来ないからだ。

 だがこの女は違う。この女は文字通り、全てを識っている。俺の過去は勿論、それがたとえ神の秘した真実でさえも暴き出して根こそぎ貪り喰ってしまう――怪物だ。

 ただの人間が怪物に抵抗しようとすること自体間違っている。だから逆らってはいけない。従うしかない、この女に――


「オメデトウ、アンタの願いは今すぐ叶ウ。アンタは今日からバルバラ――拷问教會イルミナティのシスター・バルバラ、そう名乗ると良イ。もう二度と絵描き(ゴッホ)だなんて呼ばれることも無イ。絵を描く必要も無イ。そんな事をしなくてもアンタは皆の役に立てル。生前にあれだけ辛い思いをしたんダ、アンタは死後イマからでも報われるべきダ。そうだロ?」


 優しくも悍ましい冷たい笑みを浮かべ、煙草を口に咥えながら――女は俺に空いた右手を差し出した。

 握手を求めているのだ、触れたものを何でも溶かす俺の手と。その豪胆さもきっと心を読んだ上、計算の上での行動なのだろう。まさに全てがこの女の掌の上なのだろう。


「改めて問ウ。是非アンタの口から答えを訊かせてくレ。アタシ達の仲間になってくれないカ?」


 俺は最早、抵抗する気力も喪っていた。

 実際、この女の提案は今の俺にとってあまりにも魅力的だったのだ。初めての地獄転生、右も左も解らなければ先の事もまるで見えない状況で、弱小怪異の俺がこんな怪物共を味方につけることが出来るチャンスなんて、この先もう二度と訪れないだろう。

 どう考えても、断る理由が見つからない――


「嗚呼……良いだろう。今日から俺はバルバラ、貴様等の同胞だ……」


 俺の脳細胞は努めて合理的な判断を下し、その首を縦に振らせた。だが握手をするつもりは無い。俺はまだ自分の異能を制御出来ていないのだ、万が一にでも仲間を溶かしてしまう訳にはいかないだろう。


 女は手元の本に一瞬視線をやると、呆れたような笑みを溢していた。今まさに俺の心を読んだのだろう。俺が握手をするつもりは無いと知った女は、差し出した右手をそのまま自分の口元にやり、煙草を抜き取った唇の隙間から黒い煙を吹かしてみせる。


「契約成立だナ。頼もしい仲間が増えて嬉しい限りだヨ」


「せやねえ。ああ、そういえば自己紹介がまだやったんとちゃう?」


 話が一段落したのを見計らって、車椅子の女が今思い出したように声を上げた。


「うちの名前は物部天獄――じゃなくてえ。カタリナと申しますう。よろしゅうねえ」


「……アタシの事はフィデスと呼ベ」


「ほんで、こっちの物静かな子が如月真宵ちゃんねえ」


 車椅子の女――カタリナの背後にぴったりとくっついて、黒いローブの女――如月真宵はやはり一言も発しないまま、ただ俺に向かって静かに会釈をしてみせる。


「そして此処には居ないガ、我等が教祖サマと連れのガキ――今の所はアンタも合わせてこの六人が拷问教會イルミナティのメンバーってところダ」


「あれえ? そういえばフィデスちゃん。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


「…………テメエがそれを気にする必要はナイ。黙ッテロ」


「ええ~? はあい」


 そして銀髪の女――フィデスは、見逃しそうになる程ほんの一瞬、険しい表情を垣間見せたが――次の瞬間にはいつもの冷たい表情に戻っていた。


「……さテ。最優先事項は感情を制御出来るようになることだガ、アンタの場合はまずその貧弱な肉体を補強する必要があル。身体が強くなれば自信が付き心も強くなル。その為に必要な材料インプラントはコチラで用意してやろウ。自分以外のモノを溶かす練習がてラ、自分の肉体を異能に適したカタチに改造しテ――」


 フィデスの手元で分厚い本のページが独りでに捲られていく。その紙面に視線を注ぎ込みながら、フィデスは俺の育成方針について考えを巡らせ始めた。


 どうしようも無い俺だが、死後いま生前むかしもどうやら環境に恵まれる才能だけはあったらしい。

 身に余る幸運だ。俺はようやく、誰かの役に立てるらしい。この新しい同胞達と共に。そうだ、それこそが俺の本当の望み。それがやっと、叶えられるのだ。


「――……あァ? なんだその手ハ。何をしていル……――うおォッ!?」


 嗚呼、ありがとうフィデス。我が同胞よ。感謝してもし切れない。任せてくれ、俺はきっとこの異能を使いこなしてみせる。それが叶った暁にはまず真っ先にフィデス、貴様の役に立つと誓おう。

 俺に才能があると言ってくれた貴様の為ならば、俺は何だってしてやるさ。今のその一言だけでも、俺はきっと救われたのだから。


「ッ……はァ……!? 何やってんだテメエ……!?」


「あらら……? どうしちゃったのお、宇宙人ちゃん? フィデスちゃんのこと、()()()()()()()()()()


 ところで先程からフィデスの様子がおかしい。急にいったい何を騒ぎ出している? そしてカタリナも奇妙なことを口走っていた。俺がフィデスに殴り掛かるだと?

 そんな事あるわけないだろう。どうして急にそんな展開になる。そもそも俺はこの場から一歩も動いていないじゃないか――


「急にコイツ……どういう事ダ……どうしテ……()()()()()()()()()()()()……!?」


 ――いや待て、どうやら本当に様子がおかしい。まさかと思い俺は自分の平たい胸に手を置く。だが異能は発動していない。俺の身体はどこも溶けていない。意識もはっきりしている。


 うん、大丈夫。俺は狂ってない。


「…………ククッ」


 それでも、敢えてどこかがおかしいのだとすれば。


「ク、ク、クハッ、ハ、ハハ、ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッ!!!! 何故? 何故だと!? 解らんのかフィデス、俺の心を読んだはずだろうにッ!!!!」


 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


「読んだなら識っているはずだ、俺にとっての感情とは、意思とはかけ離れた存在!!! 今この肉体を動かしているのは意思ではなく感情ッ!!! 即ち、溶けて分かれた()()()()()()ッ!!!!」


 否――嗚呼そうか、しまった!


 俺の感情は独りでに暴走する! つまりそれは感情そのものに新たな意思が、命が宿っているという事に等しい!

 そんなある種の別人格が俺自身の異能に溶かされ肉体と混ざり合ったことで表に出てきてしまったのだ! 俺はきっと今、碌でもない事を口走っているに違いない!


 冷静になって意識を集中させてみると、霧が晴れるように幻覚症状は収まっていって――次第に周囲の状況が解るようになっていった。

 見ると確かにフィデスは俺に殴り掛かられたようだ。その左頬に手をやって、驚愕に目を見開かせている。それを傍から見ていたカタリナも如月真宵も揃ってぽかんと口を開けていた。


「さてフィデス、つまり『俺達』はこう言っているわけだ――貴様を俺の同胞にしてやってもいいが、俺の同胞になりたいのなら貴様も相応の態度を示せとな。即ち――俺は貴様のその高慢ちきな態度が気に入らねえッ!!!! 勝負だァァァァアアアアアアアアアアアアアッ!!!!!」


「トチ狂ってんのかテメエッ!?」


 嗚呼、なんてことだ。すまないフィデス! 誤解だ! 高慢ちきだなんて、そんなこと俺は思っていない! あまつさえ殴り掛かるだなんて予想外だ! 本当だ信じてくれ! 俺はただ貴様のその顔面を今すぐグチャグチャにしてやりたい。


 待ってくれ。俺は何を考えている? 俺の口が天邪鬼なのはいつもの事だがそれにしたって、殴りたい。殴りたい、フィデス、貴様を、待て。落ち着け。どうした? これじゃあまるで――


「このクソ野郎、言った傍から感情を暴走させやがっテ……いや待テ……暴走じゃナイ? コレはまさカ……異能が感情にまで影響を及ぼしたのカ? 溶けた感情がその後いびつに冷えて固まって形を成しテ……()()()()()()()()()()()()()……?」


 ――嗚呼、そうか。そういう事か。理解した。ようやく理解したとも。


 俺は憤怒キレていたのだ。既に。その目付きが気に食わなかったのか、その喋りが気に障ったのか、とにかく自分でも気が付かない内に俺は憤怒キレていて、意思から離れた感情に肉体の制御を奪われていた。

 しかもそれだけじゃない。どうやら『俺』は感情の数だけ存在する。『俺達』はこうしている今も己の肉体を、精神を、奪い合っているのだ。


「本音と本音で打つかり合うッ!! 仲間とはそういうものだろうが!? 嗚呼、これこそ我が望み!!!! 我が青春ッ!!!! さあ語り合おうシスター・フィデス!!!! 想いを乗せたッ、この拳でなァッ!!!! クハハハハハハハハハハハハハハハハハハッ!!!!!!」


「なンで芸術家と拳で語り合わなきゃならねェんだよ畜生ッ!!」


 こうなってしまってはもうどうしようも無い。解るだろう? フィデス。さっきからチラチラと本の中身を覗き込んでいるようだが、載っていたか? こうなった俺の対処法が。貴様に『宇宙人』を理解出来るか? 無理だろう。無理に決まっている。


 嗚呼、やっぱり駄目だ。駄目なんだ。俺は誰にも理解されない宇宙人。そんな俺なんかがこの異能を使いこなせるはずもなかった。すまないフィデス、俺のことはもう放っておいてくれ……


「オイオイ待て諦めんナッ!? 肉体の主導権が簡単に奪われちまったのは今のキサマの肉体が異能にそもそも適していないからダ!! だからまず肉体を補強するんだよさっき言っただロッ!! もう二度と他の人格に主導権を奪われないようキサマ自身に改造を施せばイイッ!! アタシがその手伝いヲ――――」


「隙ありィィィィィィィィイイイイイイイイイイイイイイイイイイイッッ!!!!!!」


 こんな俺の事をまだ見限らずにいてくれる優しいフィデス――その顔面に無情にも繰り出される『俺』の右ストレート。

 我ながらまるで腰の入っていないパンチだったが、対するフィデスも俺を莫迦に出来ない程度にはヒョロガリである。俺の拳でも痛みを与えるのには充分で、フィデスはよろよろと後ずさり、赤くなった鼻頭を手で抑えている。その目には薄っすらと涙が浮かんでいた。


 心を読む異能、その具現化である『本』に載っているのは俺の心だけで、どうやら『俺』の心は読めないらしい。本来なら心を読むことで攻撃を事前に察知し余裕で躱せるはずなのだ。しかし俺に対しては残念ながら無用の長物である。おお可哀想に。


「来いよフィデスッ!!!! 本なんか捨ててかかってこいッ!!!!」


 そして意気揚々、啖呵を切る『俺』――哀しき哉、それが開幕の合図となった。


「……………………いい加減にしろよテメエこの野郎ッ!!!! ブッ殺してヤルァッ!!!!」


 額に青筋を立て、牙を剥き出し、咆哮するシスター・フィデス。しかしこの女はこんな顔も出来たのか。なかなか画になるじゃないか。気に入った、やっぱり殴らせろ。


「クハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッ!!!!」


 斯くして。時は九千と五百年前。場所は黒縄地獄、監獄塔。

 当時の拷问教會イルミナティの仮拠点。後に改築され大聖堂となるその場所から、俺の地獄人生は始まった。画家の道(ゴッホ)を捨て、新たな道(バルバラ)を選んだのである。


 嗚呼、きっとこのまま――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()――そう思っていた。


「あっははははははははははは!? なにこれなにこれ、どういうことおっ!?」


「……止めなくていいんですか、これ」


「あはっ、ま、待ってマヨイちゃん! いひひっ、と、止めるだなんてもったいない! 女体化したアレイスターとゴッホの殴り合いなんて滅多に見れるもんやないよお!? ははっ、は、こ、この世紀の闘いの行く末を、さいごまで、見届けないと……ぶっっひゃははははははははははははは!!!」


「死ぬほどウケてる……」


 ちなみに。爆笑するカタリナとドン引きする如月真宵に見守られる中、俺とフィデスの勝負の行方はと言うと。


「ハーッ……ハーッ……二度と逆らうなヨ……」


 顔面にフィデスの左ストレートが炸裂し、俺の一発KO負けで幕を閉じた。

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