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酩帝街の日常

 衆合地獄。八大地獄の第三階層。


 酒気を帯びた白濁の霧中、浮かび上がるのは提灯の淡い光。区画ごとに全く違う様相を見せる多様性の街、其処に暮らす人々の愉しげな笑い声が、其処ではいつも聞こえてくる。

 曰く、地獄で最も天国に近い階層くに。その最たる理由として――此処では暴力を振るう事が出来ない。

 この階層くにを統べる王、忘却齎す堕天王の異能によって管理されているこの世界では、全ての住人が争いを禁止されている。それが絶対的な法となり、住人の行動に強制的な制限を課していた。


 地獄どころか現世でさえ、人間の世界というものは毎秒どこかで死人が出ている。むしろそれが自然の摂理だと言えるだろう。だと言うのに、この衆合地獄においては死人なんて滅多にお目に掛かれない。

 その上、此処ではヒトではない動物の死骸が食肉として出回っている。通常、地獄には人間以外の動物が堕ちてくることは無い。それがどういう訳か、この街では当たり前のように牛や豚の肉が市場に流通している。


 空腹に餓えることも無く、死の恐怖に怯えることも無い。となると、次に人間が欲するのは娯楽である。そして当然、此処にはそれが溢れている。

 中でも特筆すべきは、アルコールの存在だろう。この街ではただの水が酒になる。平和が約束された世界で、人々は酒に溺れ、辛い過去を忘れることが出来る。此処ではそれが赦される。


 其処はヒト呼んで、衆合地獄の酩帝街めいていがい。来る者拒まず、去る者を憂う街。酩酊し、停滞し、忘却する事を是とするその場所に――黄昏愛、芥川九十九、一ノ瀬ちりの三人は、足を踏み入れた。


 この街から脱出するべく、暗号解読に奔走する彼女達。これはその幕間に起きた出来事である。


 ◆


 酩帝街、東区。其処には『死ねぬ(デス)子供のための(ティニー)遊園地(ランド)』と呼ばれるテーマパークが存在する。

 曰く其処は、古今東西あらゆる娯楽の集められた玩具箱のような空間。酩帝街の住人達にとって、無くてはならない場所の一つ。


 そんなデスティニーランドだが、流石に衆合地獄の住人全員、数億単位の人間が一箇所に収まり切れる程の広さは無い。従って入場制限を設けることにより毎日の動員数を管理し、園内全体の秩序を保っていた。


 つまり入場には入場券が必要となる訳だが、これが先着順なのである。そうなると当然、戦争だ。無論この酩帝街で本当の戦争など起きるはずも無いが――そんな喩えがしっくりくるほど、極めて高い競争率を誇っている。

 酩帝街に永く棲む者ならば、いずれ入場券を獲得出来るチャンスは訪れるだろう。しかし昨日今日来たばかりの新参者が簡単に入手出来るような代物ではない。


 しかし黄昏愛、芥川九十九、そして一ノ瀬ちりの三人は何の苦労も無くすんなりと、今日もデスティニーランドに入場することが出来ていた。

 と言うのも――初めて此処へ訪れた時、一ノ瀬ちりはシスター・アナスタシアから特別優待券(・・・・・)を受け取っている。つまりはVIP待遇。おかげで彼女達は長蛇の列に並ぶ必要も無く、その狭き門を素通りすることが出来るのだった。


 さて。暗号解読も行き詰まり、偶には息抜きも必要だろうということで、彼女達は今日此処に訪れたわけなのだが――


「…………」


 デスティニーランドが誇るアトラクションの一つ、波打つ巨大プール。天井の無い開放的な其処にはウォータースライダーやビーチコート、果ては人工的な砂浜など、様々な設備が整えられていて、もはや現世のそれと遜色ない充実した施設となっている。


 赤い空の下、照りつける黒い日差しに晒されて。一ノ瀬ちりはプールサイドに独り、不機嫌そうに眉間へ皺を寄せていた。腕を組み、足を組み、椅子にふんぞりかえる彼女の視線の先には、水の中で戯れる水着姿の少女が二人。


「これがプール……三途の河以外でこんなに大きな水溜り、初めて見た。それにみんなこの、水着? ってやつを着て泳いでる。お風呂とは違うんだね」


 芥川九十九、黒一色のシンプルな三角ビキニ。引き締まった筋肉質の四肢、その白い肌は太陽よりも眩しく映る。


「ええ……私もこんなに広いプールは初めてです。それにしてもヒトが多いですね……」


 黄昏愛、赤い花柄をあしらった黒色のオフショルダービキニ。長い髪を後ろに結ってお団子にしている。高い身長にすらりとした体型、病的なまでの蒼白いその肌も相俟って、精巧な人形にも似た印象を周囲に与えていた。


「おーい。ちりもこっちに来なよ」


「…………はぁ」


 その二人の様子をプールサイドから眺め、大きな溜息を吐く一ノ瀬ちり。ちなみに彼女も当然水着姿。赤い競泳スクール水着の上からオーバーサイズの白いTシャツを着込んで、肌の露出を抑えている。


「……今のおまえらには近寄りたくない。何故だか解るか」


「え、どうして?」


「もしかして泳げないんですか? やれやれですねぇ……」


「……おまえらと並ぶと! 自分の貧相さが際立つからだよ!」


 ちりは最早我慢の限界と言わんばかり、その場から勢いよく立ち上がって悲痛にも近い大声を上げる。

 対してそんな彼女の言いたい事がいまいちピンと来ていないのか、ただただ目を丸くするばかりの愛と九十九。


「おまえらさっきから死ぬほど目立ってんだよ! 自分の顔とスタイルの良さを自覚しろ! 見ろ、ここのプールめちゃくちゃ人多いのにおまえらの周りだけ誰も寄り付かねーじゃん! そんな中にオレなんかが混ざり込んでみろ、公開処刑もいいとこだろーが!」


 彼女の言う通り、愛と九十九は周囲の視線を独占していた。ともすればそんな彼女達に邪な感情を抱いてしまった者達が次々と酩帝街の盛者必衰ルールに抵触し、プールの中で酔いが回って溺死するという事態にさえ密かになっていた訳なのだが、その事に愛と九十九はまるで気が付いていない。

 そして一ノ瀬ちりもまた、そもそもプールサイドで大声を上げている時点で既に注目を集めてしまっている訳なのだが、どうやらその事にも気が付いていないようだった。


「……? よくわからない。ちり、プール嫌いだった?」


「いやだから……オレとおまえらじゃ、不釣り合いだって……」


「なんで?」


「……おまえらはかわいいけど、オレはかわいくねーだろ。そんなのと一緒に居たら変に目立って、おまえらがナメられちまうだろーが……」


「何言ってるの!? ちりはかわいいよッ!!」


「はあっ!? んなわけあるかッ!! いいんだよそういうのッ!!」


「ちりはまたそうやって!!」


「うっせバカ!!」


「私は一体何を見せられているんですか?」


 ようするに、ただの痴話喧嘩である。そんなものの間に挟まれて、黄昏愛は心底呆れ果てたような視線を二人に向けていた。


「ちなみに私達の周りに誰も寄り付かないのは、私が異能で無数のクラゲを作り出して周囲に放っているからですよ。これで悪い虫が寄り付いてくることもありません。安心して遊べますよ」


「出禁になるぞ!?」


「なんか浮いてるなとは思ってたけど……愛の仕業だったんだね……」


 ちなみに愛の作り出したクラゲは毒を持っている種類では無い。仮に毒を持つ種類だったなら、そもそも作り出そうと考えた時点で盛者必衰の理に引っ掛かり、愛は今頃泥酔して水底に沈んでいるはずである。

 つまりは見掛け倒しなのだが、毒の有無に拘らず水面でクラゲを見つけた際に近寄ろうと考える人間のほうが稀だろう。張りぼてでも人払いの効果は覿面てきめんであった。


「まあ落ち着いてください。他人の視線なんてどうでもいいでしょう。せっかくここまで来たんですから、あなたも楽しめばいいんです」


「オレはいいってマジで……」


「強情ですねぇ」


「こういうところあるんだよね、ちり」


 顔を見合わせ此れ見よがし、やれやれと肩を竦めてみせる愛と九十九。それでもちりは其処から動こうとせず、じとりとした目付きで二人のことを遠巻きに睨み付けている。


「やれやれ、仕方が無い。でしたら――」


 このまま言い合いが暫く続くのかと思われたその矢先、不意に黄昏愛が重い腰を上げるように溜息を吐いて――突如、彼女の剥き出しの白い背中が、ぼこぼこと隆起しだす。


「こちらにも考えがあります」


 そうして彼女は不敵に微笑んで――その背中から、烏賊イカのような白い触手を八本、生成したのである。大きく長いその触手郡はそれ自体が意思を持つように蠢き、自在に伸縮する。

 その異様を目の当たりにしたちりは、その後自分の身に何が起きるのかを察し、みるみるその表情を青ざめさせていった。


「おまッ……!? ちょ、待っ……てかそれ、此処の盛者必衰(ルール)に引っ掛からねーのかよ……!?」


「引っ掛かるわけないでしょう。私達の仲じゃないですか」


「殺し合った仲ですけどッ!?」


 慌ててその場から逃げ出そうとするちりだったが、時既にお寿司。(イカだけに。)

 ちりが逃げだすよりも疾く放たれた触手の群れは、あっという間に彼女を取り囲んでしまう。そのまま為す術も無く手足を捕縛され、ちりの小さな身体は宙に持ち上げられてしまうのだった。


「わ、わっ……! 離っ、降ろせ、このばかっ!」


「往生際が悪いですよ。ああ、ついでにそのシャツも脱がせてあげますね。プールの中でそれを着たままだと動きづらいでしょう」


「ちょ、やめ……っ!?」


 数本の触手がちりの身体からシャツだけを器用に脱がせていく。ダボダボのシャツはそのまま地面に落下し、秘されていた水着が白日の下に晒される。


「……ん?」


 そんな彼女の水着姿を目の当たりして、愛は思わず声を上げていた。愛の黒い瞳は、ちりの身体のある一点のみに視線を注ぎ込んでいる。


「ふむ……なるほど……これは……」


 まじまじと。ちりの身体に真剣な眼差しを向ける愛。そして一言。


「あなた……意外と大きくないですか? おっぱい」


「殺すッ!!!!」


 水着に着替える時、三人は同じ脱衣所に居た。しかし着替え中のちりは二人から離れた隅っこのほうで、更に全身をタオルで覆い隠しながら着替えていた。

 そもそもちりは普段から、素肌を見せようとしない。酩帝街で拠点として利用しているホテル内でも、ちりは二人と一緒に風呂に入ることも無いし、いつも愛が気が付いた時には着替え終わっている。


 だから愛にとって、今のちりの姿を見るのは――胸にサラシを巻いていない状態の彼女を見るのは、殆ど初めてだった。つまり時系列で言うと、この時点での二人はまだセックスしていないという訳だが――それはまあ、さておき。


「愛、ちりのおっぱいがどうかしたの?」


「いや……小柄な割に意外とあるほうだな、と」


「ふーん……?」


 どうやら愛に指摘されて初めて気が付いたのか、九十九もまた真剣な眼差しで、ちりの胸元を凝視し始める。小柄で華奢な身体にしては確かに、ちりの胸の膨らみは些か目立っているようだった。アンバランスと言う程では無いが、ギャップはある。着痩せするタイプなのは間違いない――


「このアホどもッ!! いいからさっさと降ろせ!!」


 ――などと不躾な視線を向けてくる二人に向けて、怒りと羞恥で真っ赤に染まった顔のまま声を荒げるちり。彼女が触手の拘束から逃れようと暴れるたび胸元が微かに揺れる。


「おぉ……」


 その揺れに静かな歓声を上げる黄昏愛エロガキ。すっかり見惚れてしまっている。そのせいで異能を操る為の集中力が途切れてしまったのか――愛の触手は本体の意思とは関係なく、勝手に蠢き始めていた。


「は……? な……にいいぃっ!?」


 触手は謎の粘液を分泌させながら、ちりの肌の上を滑るように纏わりついていく。その触手の先端が、彼女の足裏や腋にまで這い寄ると――


「待っ、ひっ……ひ、は、はは、あはははっ! ちょ、やめっ、あは、は、ひああっ!?」


 その得も言われぬくすぐったい感触に、ちりは堪らず笑いだしていた。目尻には大粒の涙が浮かび上がり、顔は更に紅潮していく。


「あはっ……やめ、ろ、ぉ……! ひ、ん……っ! は……ぁ……っ!」


 触手に絡まれ苦しげに悶えるちり。その様子を眺める愛の表情は、やはり真剣そのもので。腕を組み、顎に手をやり、眉間には皺を寄せて。そしてやはり、この一言。


「…………エッチですね…………」


 この出来事が、後にあの『部屋』で彼女の欲求不満を爆発させる要因の一つとなることを――この時の愛とちりはまだ知らない。


 つまりは伏線である。


「愛、エッチって何?」


「……現世の言葉で、とても可愛らしい、という意味です」


「なるほど。それじゃあ、ちりは……すごくエッチだね!」


「オマエ……まじ……ぶっころす……」


 こんな伏線があってたまるか。


 ◆


 というわけで。


「ほらほら。鬼さんこちら、ですよ」


「捕まえてごらん、ちり!」


 触手からの解放を条件に、結局プールの中へと引き摺り込まれた一ノ瀬ちり。そこからは三人で、いわゆる鬼ごっこが始まった。

 異能を使わないというルールの下、プールの中で水の抵抗を受けながら、泳ぐように走り回る彼女達。その様子は和気藹々として――


「このクソガキ共ォォォォオオオオオッ!!! 待てやコ゛ラ゛ァ゛ァァアアアアアアああああああああッ!!!!」


 和気藹々として、いない。其処には約一名、水の中を猟犬の如き疾さで突き進む、怒り狂った鬼の姿があった。


「あれは……怒ってるね。捕まったら本当にまずそうだよ、愛……」


「……べ、別に怖くないし。上等ですよ……!」


 ほんのり命の危険を感じつつ、鬼の手から必死に逃げ回る愛と九十九。


「あっ! 愛ちゃん達だ★」


 そんな時だった。たった一言で、その場に居る全ての視線を釘付けにする、可憐な声色が聞こえてきて。それは愛達ですら例外なく、その声のした方へ咄嗟に、本能的にとさえ言っていい反応速度で視線、走らせる。


「え……あきらっきーさん……!?」


 その視線の先にいた人物。毛先の朱い碧髪を二つ結びにしている彼女こそは――この酩帝街を造り出した怪異の王。

 ヒト呼んで忘却齎す堕天王――地獄に舞い降りた堕天使『あきらっきー』こと、如月きさらぎ暁星アキラである。

 白いフリルワンピースに身を包み、プールサイドから手を振り笑顔で駆け寄ってくる彼女の姿は、太陽の如き眩しさで。その場に居る誰よりも目立ち、観る者全てを否応無しに魅了していた。相変わらずの超絶美少女ぶりである。


 彼女の登場で周囲がざわつき始める。ある者は歓喜に打ち震え、ある者は黄色い声を上げ、ある者は泥酔し、ある者は卒倒し、ある者は溺死する――そんな阿鼻叫喚が、彼女が其処に居るだけで瞬く間に形作られていく。

 その威厳、その異様こそ正しく、彼女が怪異の女王――『酒呑童子』たる証左でもある。


「あきらっきーさんも、遊びに来たんですか?」


 鬼ごっこは一時中断、愛はプールから上がり暁星のもとへ駆け寄っていった。その様子をプールの中から目で追う一ノ瀬ちり、依然として不機嫌そうな表情を浮かべていたが、流石にそれ以上追いかけることもなく、興が削がれたといった風に溜息ひとつ。

 そして九十九もまた、ちりが落ち着きを取り戻した事に心底安堵した溜息を漏らしつつ、愛を追いかけて自らもプールから上がる。


「うんっ★ みんなと一緒にね★」


 そんな女王の背後、静かに控える臣下の存在に、愛達は遅れて気が付いた。


「やあ、レディ達。奇遇だね」


 臣下の名は、ライザ・スターリナ・クロヴォプスコフ。『Dope Ness Under Ground』のバンドメンバーである彼女は、純白のビキニ姿で其処に佇んでいた。

 そして突如巻き上がる、周囲からの黄色い歓声。ライザは自身の引き締まった肉体を見せつけるかの如く、凛々しく優雅なその所作で以てファンの声に応えてみせる。


「……おや。君は……」


 そんなライザは、プールから上がってきた九十九の姿を一瞥した途端、僅かにその動きを鈍らせた。ほんの僅かな時間、それでも確かにライザは、驚いたように目を見開かせて――不敵な笑みをこぼす。


「……フフッ。やあ、私はライザ。よろしく(・・・・)ね」


「え? あぁ……よろしく……?」


 微笑みながら、左手を差し出してくるライザ。その意図が理解出来ず、不思議そうに首を傾げる九十九であった。


 斯くして彼女達の登場により、人混みが出来始めるプールサイド。あちこちから黄色い声が、絶え間なく聞こえてきて――


「――ねぇねぇ。ライザ様の隣に居るあのヒト、めっちゃカッコよくない……?」


 その中から聞こえてきた一節に、ちりは密かに顔を顰める。


 その声は明らかに九十九を指した言葉だった。ライザと九十九、両者は同系統と言っても良い顔の造りをしていて、並ぶとその魅力がより際立って映るようである。


「ちッ……」


 言わずもがな、一ノ瀬ちりは嫉妬深い。名も知らぬ誰かの言葉にさえ苛立つ彼女は、これ見よがしに舌打ちをしてみせる。


「かわいくないですかぁ……?」


 その時だった。不意に背後から、どこかおどろおどろしい暗い声色が聞こえてきて――


「うおっ……!? なんだオマエ……」


 ちりが咄嗟に振り返ると、其処には一人の少女が水の上、浮き輪に乗って漂っていた。ピンクのインナーカラーが特徴的な黒髪姫カットの少女。その顔に、ちりは見覚えがある。

 少女の名はキョン子。ステージの上ではロリータ衣装を身に纏っているが、今は水着姿――ピンク色のフリルワンピースに身を包んでいる。よく見ると如月暁星のそれと色違いのお揃いだった。

 大粒の黒い瞳を彩る濃いアイシャドウはもはや深い隈のようで――そのじっとりとした眼差しはただ一点、遠くのライザにのみ注がれている。


「ほらぁ、見てぇ? 有象無象あいつらの……羨ましそぉ~な、あの目。ライザさまはキョン子のものだから、絶対に手に入らないのに……もしかしたら自分も、なぁんて……浅ましさが滲み出ているあの眼差し。かわいいよねぇ……」


「……良い性格してんな」


 可笑しそうに嗤う少女、その表情だけであれば恋する可憐な乙女のそれなのだが、放つ言葉はあまりにも物騒で。そしてどうやら彼女の言葉は独り言ではなく、他ならぬ自分に対して放っているのだと悟ったちりは、不気味に思いながらも渋々言葉を返してやるのだった。


 この街に訪れたばかりの頃は『Dope Ness Under Ground』のことについて無知だった一ノ瀬ちりも、この街で過ごしていると知る機会も多く、彼女達について色々な情報を仕入れることが出来た。

 だからライザとキョン子、二人が交際しているという情報も、今のちりは知っている。そんなちりが特に驚いたのは、彼女達のその交際期間の永さだった。詳細は不明だが、どうやら二人の交際は何百、いや何千年も前からずっと続いているらしい。

 この街の特殊性、そして怪異の不死性を鑑みればある意味道理だとも言えるがしかし、一度たりとも破局した試しが無いというのは――正しく、永遠の愛と言ったところだろう。

 ちなみにそれについて両者のファンの意見は、まさしく賛否両論。それこそ何百年も前から様々な憶測が飛び交っていて、それに伴いファン同士の対立も後を絶たないらしい……が、それはさておき。


「……別にどーでもいーけどよ。あの様子じゃ、一夜限りの相手なんざ選り取り見取りだろ。随分と余裕かましてっけど……不安にならねーのかよ」


「しかたないよぉ……ライザさま、かっこいいから……好きになっちゃうみんなの気持ちも解るしぃ……」


 ちりとキョン子がそんな話をしている最中でも、人(だか)りはどんどん増えてきている。それまで距離を取っていたファン達も、ライザのファンサービスや暁星のフレンドリーな雰囲気に絆さる形で少しずつ彼女達に接近し、握手を求めるまでになっていた。

 慣れた様子で次々と握手を交わしていく暁星とライザ――そして何故か巻き込まれる、愛と九十九。『DNUG』の関係者だと思われたのか、そうでもなくとも芸能人だと勘違いされたのか、ファン達は愛や九十九にまで握手を求めている。

 明らかに戸惑っている様子の愛と九十九だったが、傍に寄り添う暁星とライザに何か耳打ちをされた直後、たどたどしくも握手に応じ始める。


「じゃあ、ああいうの見ててもムカつかねーの?」


 その様子を眺める一ノ瀬ちりは、やはり面白くなさそうに顔を顰めたままで。九十九がファン達から軽いボディタッチをされるたび、ちりの目付きはどんどん鋭くなっていく。


「ムカつくよぉ?」


「ムカつくんじゃねーか……」


「えぇ〜……? あぁ……違うよぉ? キョン子がムカついてるのは、ライザさまに対してだからぁ……」


「……は? そっち?」


 そんなライザはと言うと、ファン達に対して積極的にボディタッチをしているようだった。特に女性ファンに対しては――その頬に触れてみせたり、何かを囁くように耳打ちしてみせたり――そしてそのたびに、女性ファンは顔を真っ赤に染め上げている。

 むしろこの過剰なファンサービスこそライザの売りなのだろう。暁星は老若男女、あらゆる世代のあらゆる人種に支持されているようだが――ライザのファン層は明確に、圧倒的に、若い女性ファンに偏っているようだった。


「ライザさまの悪い癖なんですぅ……アレ、わざと他の子に色目を使ってるんですよぉ……? キョン子に嫉妬してほしくて……いっつもそうなの。困ったひとだよねぇ……」


 そうしてまさに今、キョン子が言った直後――ライザの視線は一瞬、だが間違いなく、キョン子の方へと密かに向けられていた。それはどこか挑発的な、餓えた獣のような眼差しで――それを受け取ったキョン子も昏く微笑み返す。


「だからぁ、お望み通り……あとでいっぱい……()してあげるんだぁ。ねぇ、ライザさまぁ……?」


「(……やべーなコイツ。関わらないほうがよかったか……?)」


 あの堕天王と同じ『DNUG』のメンバーということもあり、何か有益な情報を持っているかもしれない、無碍にすることは出来ない。そう考えて実はここまで適当に会話を繋げてきた一ノ瀬ちり。そんな自分の判断を今更ながら後悔していると――


「ちりーっ! 上がっておいで!」


「みんなで一緒にビーチバレーやりますよ!」


 愛と九十九の、まさに助け舟を出すような呼び声が聞こえてきて、ちりはそっと胸を撫で下ろすのだった。


「お……おぉ。今行く……」


 いつものちりなら遠慮するところだったが、キョン子と離れる口実になるなら何でも良かったのだろう。そそくさとプールサイドまで泳ぎ始める。


「くす……いってらっしゃ~い……」


 その後ろ姿に小さく手を振るキョン子、どうやらビーチバレーに混ざるつもりは無いようで、相も変わらず浮き輪の上。妖しくも儚い海月くらげのように、マイペースにぷかぷかと漂うのであった。


 ◆


 結果として。ビーチバレーは思いの外、白熱した。


 ちりが審判を買って出て、チームは暁星とライザ、愛と九十九でそれぞれ分かれ、試合は執り行われた。

 彼女達は怪異である。その身体能力は常人のそれではないのだが、酩酊による制約が彼女達の身体能力を減退させているおかげで、辛うじてスポーツの領域を逸脱することはなかった。

 それでも彼女達の身体能力が高いことに違いはなく――両者激しいスパイクの応酬が続き、純粋に試合の面白さで歓声が上がる程度にはスポーツとして見応えのある試合だったとか。


 それが落ち着けば、今度はスイカ割り。と言っても、地獄にスイカなど存在しない。そこで――


「フフッ……私に任せてください、我が王」


 ――などと微笑みながら、ライザは自らスイカ役(・・・・)を買って出て、砂浜の中に頭だけを出して埋もれてみせた。


「あはぁ……いきますよぉ、ライザさまぁ……?」


 そしてこれもどういう訳か、いつの間にか合流していたキョン子が嬉々として鉄パイプを片手に、何故か目隠し無しでライザ(スイカ)の頭をかち割ろうとしていたので――これには流石の暁星も慌てて中断に入る事態となる。

 その様子を眺め「愛の形にも色々あるんですね……」などと興味深そうに頷いていたのは黄昏愛。「こんな愛の形があってたまるか、九十九の教育に悪いもん見せるな」と怒り狂う一ノ瀬ちり。

 そして「スイカ……そんな食べ物があるんだ。いつか食べてみたいな……」と、未知に想いを馳せる芥川九十九であった。


 ◆


 そんなこんなで、日も暮れて。


「じゃーねー! 愛ちゃーんっ!★」


 休日オフを充分に満喫した暁星達は、愛達よりも先に施設から出ていった。名残惜しそうに、いつまでも手を振る暁星に、愛もまた気恥ずかしそうに小さく手を振り返す。


 暁星がプールから去ると、集まっていた他の来場客も皆それに倣うように次々とその場を後にして。まるで昼間の人混みが嘘だったかのように、愛達三人を残した其処はすっかり人も疎らになり、静けさを取り戻していた。


 愛と九十九とちり。赤と黒の入り混じる黄昏時の夕闇を眺めながら、プールサイドに三人、並んで腰掛けて。ぼうっと空を眺めている。


 心地の良い無言が続いた。さざめく波の音と、微かな笑い声がこだまする。

 まるで地獄であることを忘れてしまいそうになる、安寧のひととき。いつまでも続きそうな、平穏な日常――


「良い気分転換になりました」


 ――それに終わりを告げるべく、黄昏愛は総括した言葉を漏らす。


 そう、この時間も永遠には続かない。少なくとも彼女達にとって、これはあくまでも気分転換。幕間でしか描かれることのない、本編とは関係のない、いずれ忘れ去られる通過点。あるいは、思い出になることを前提とした非日常。


「明日からはまた、手掛かりを探さないとですね」


「うん。頑張ろう」


 当然それに納得した上で、愛と九十九は微笑み合う。いつかこの日を振り返って、懐かしむ未来を予感して――


「……そうだな」


 しかしただ一人、彼女だけは違った。


「……こんな日が……ずっと……」


 ずっと、続けばいい。しかしそれは叶わない。叶える資格が、彼女には無い。

 落ちていく。掌の上、指の隙間から、かけがえのないものが。彼女はそれを、ただ眺めることしか出来ない。

 時間は止まらない。今は必ず過去になる。変わらないものなんて無い。それが只管に、恐ろしい。


「……ハハ。なんてな」


 今の彼女に出来ることはただ、恐怖に震える自分を悟られないよう、言葉を飲み込み、奥歯を噛みしめることだけで。


 心地の良い無言が続いた。さざめく波の音と、微かな笑い声がこだまする。

 まるで地獄であることを忘れてしまいそうになる、安寧のひととき。いつまでも続きそうな、平穏な日常――


「…………くだらねェ」


 ――否。彼女だけは思い出していた。此処がどうしようもなく地獄であることを。

 さざめく波の音も、こだまする微かな笑い声も、愛するヒトとの平穏な日常も――目に映るもの全てが彼女にとって、罰なのだということを。

 彼女はこの時、心底思い知らされていたのである。

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