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怪物少女の無双奇譚《フォークロア》  作者: あかなす
第一章 等活地獄篇
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等活地獄 12

 赤い髪の少女、本名を一ノ瀬(いちのせ)ちり。彼女が死んだのは、十二歳の時だった。

 死因は、両親からの虐待による、衰弱死。殴る蹴るは当たり前の毎日。それでも、無力な十二歳が生きていく為には、耐えるしかない。


 そんな彼女を、とりわけ苦しめたのは『箱』だった。タンス。冷蔵庫。引き出し。ダンボール。ゴミ袋。ありとあらゆる『箱』の中に、彼女は無理矢理、閉じ込められてきた。

 密閉された空間に閉じ込められると、呼吸する度に酸素が薄くなっていき、息苦しくなっていく。それで藻掻けば藻掻くほど呼吸が荒くなって、結果的に酸素が急速に消耗され、酸素欠乏症の症状が現れ始める。

 息が出来なくなっていくと共に、死を実感し始める。それでも体は生きようとして、本能的に壁を爪で掻きむしり始める。この空間から出ようと必死に抵抗する。その掻き毟る音を合図に、両親はようやく自分を開放する。満足気に微笑みながら。


 ゴミ袋に閉じ込められた時は傑作だった。爪でどうにか袋の底に穴を開け、呼吸が出来るようにした彼女の、そんな些細な抵抗を気に食わなかった両親は、今度はゴミ袋を何十にも重ねて、その中に彼女を押し込んだ。

 幾重にもなったビニールの壁は、衰弱した子供の爪ではその全てを破り切ることが出来ず、やはり悶え苦しむしかなかった彼女を尻目に、外で両親は「今日は燃えるゴミの日だったか」などと冗談を言い合い、楽しそうに嗤っていた。


 物心ついた頃からそんな日々が続いていた――ある日のこと。何かが気に障ったのか、いつも以上に激昂した両親が、彼女のことを『箱』に閉じ込めた。


 それは外側から鍵の掛けられた、窓の無い部屋だった。その『箱』は今までに閉じ込められてきたどの空間よりも広かったけれど、彼女がどんなに泣き喚いても、壁を爪で掻き毟っても、両親は二度と、彼女の前に姿を現さなかった。

 彼女は謝った。『箱』の中で、その最期の瞬間まで謝り続けた。どうして自分が謝らなければならないのか、その理由すら解らないまま、いつもそうしてきたように彼女はひたすらに謝った。


 ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさいごめんなさい。ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい出して出して出して出して出して出して出して出して出して出して出して出して出して出して出して出して出して出して――


 部屋の壁には彼女の潰れた指先で掻き毟って出来た血文字がびっしりと刻まれて、真っ赤に染まったその『箱』の中で、彼女は死んだ。


 ◆


「――――こんにちは。わたしは Earth() Narrative() Manager(). あなたをサポートします」


「検証開始――――分析完了――――モデルを「()()()()()()」に決定」 


「排出開始――――ようこそ、一ノ瀬(いちのせ)ちり。歓迎します――――」


 そんな『声』が聞こえてきて――ふと気が付くと、ちりは生前乗ったことすら無い『列車』というものに乗って、この等活地獄にやって来た。

 怪異化の影響か、どういうわけかその肉体年齢は生前のそれより三つほど女性として成長しており、髪は赤く染まり、爪は赤いマニキュアで彩られていた。

 更に、怪異へ生まれ変わった特典――『異能』を手に入れ、自由の身となった彼女は――生前の鬱憤を晴らすかのように、地獄中で暴れ回った。あらゆるものを敵とみなし、着る物を奪い、居場所を奪い、殺し合いの喧嘩に明け暮れる毎日を過ごすようになっていった。

 誰のことも信用出来なかった。生前、誰も自分のことを助けてはくれなかった。それは地獄でも変わらない。結局、人間そのものが、彼女は憎くて憎くてたまらなかったのだ。


 そんなある日、とうとう喧嘩に敗れた彼女は、有象無象の怪異達から集団リンチに遭っていた。

 嗚呼、結局そうなのだ。自分はこうなる運命なのだ。こんなゴミ溜めで、地べたに這いつくばって、ゴミクズ同然に扱われるのが、自分にはお似合いなのだ。仕方ない。何もかも、どうだっていい――


「大丈夫か」


 ――けれど、その次の瞬間。目の前に突如現れた黒い少女が、周囲の有象無象を蹴散らしていた。

 黒いジャージの上から学ランを羽織る、奇妙な風体のその少女は、短い黒髪を揺らし、赤い目で不思議そうにちりを見つめ、手を伸ばしてきた。


「っ……余計なお世話だ……!」


 ちりはその手を跳ねのける。貸しを作るわけにはいかない。地獄では、隙を見せた者から殺される。この女もきっと、私をいいように利用する腹積もりなのだろう――


「そうか。問題無いならいい」


 そんなことを考えているちりを尻目に、たったそれだけ、ぽつりと言い残し、黒い少女はその場から去っていったのだった。


 ――ふざけるな。


 胸の奥がひどくざわめく。まるで当然のことをしたとでも言いたげに、涼しげな顔して去っていくあの女に、一言いってやらねば気が済まない。直後、弾けるように立ち上がり、ちりは黒い少女を追い掛けていた。


「おい!」


 地獄に来てから真っ赤に変わった髪、振り乱して。ちりは黒い少女に詰め寄る。


「仏様にでもなったつもりか? 偽善者が、自己満足の為にオレを利用すんじゃねえ!」


「……なにか、おかしかったか」


 黒い少女は僅かばかり首を傾げながら言葉を返す。その赤い瞳は真っ直ぐ、ちりを捉えて離さない。その見透かしたような視線に、余計、ちりは苛立ちを覚える。


「おかしいに決まってんだろ……!」


 見ず知らずの他人を、見返りもなく助けるような真似なんて、地獄の住人がするはずがない。そんなのは路地裏に落ちてる噛んだ後のチューインガムを、わざわざ交番に届けに行くようなものだ。ちりはそう思っていたし、実際そうだった。


地獄このよは弱肉強食だ! 強者おまえ弱者おれを助けるな!」


 ちりの声を、ちりの存在を、地獄ではないはずの現世ですら、誰も振り返らなかったのだから。


「……私は、私がしたいと思ったことをしただけだ」


 しかし目の前の黒い少女は、やはりそんなことを嘯いて。とうとう苛立ちもピークに達したちりは、瞳孔の開き切った赤い殺意を以て、目の前の黒い少女を捉える。


「同情なんかいらねェんだよ……ッ!」


 どんな言葉でも表しようがない、ぐちゃぐちゃの感情に呑み込まれたまま、ちりは地面を踏み込み、彼女に殴りかかっていた。

 しかし黒い少女の体は半歩だけ後ろへ下がっただけで、それを容易く躱してみせる。そしてちりの拳が虚空を切ると同時――ちりの右頬を、黒い少女の左拳が捉えていた。


 鈍い打撃音がして、ちりは地面へ吹き飛び、叩きつけられる。まるで機械のようだった。躊躇いも戸惑いも見せず、黒い少女の反撃は呆気もなく、いとも容易く行なわれたのだ。


「ぐあっ……!?」


 殴られた衝撃で地面に背中から倒れるちり。殴りかかったのは確かに自分だが、まさかここまで容赦なく、それも完璧なカウンターを食らうとは思っていなかったのか、ちりは戸惑いを隠せない様子で殴られた右頬に手を当てよろよろと立ち上がる。


「て、テメェ……何、しやがる……!」


「大丈夫か」


 殴っておいて、再びそんなことを問いかける少女に、ちりは殴られたとき以上に眩暈がした。


「うるせェ……なんなんだよオマエは……!」


「そうか。問題無いならいい」


 他人を見返りもなく助けたかと思いきや、襲われれば平然と殴り返す。表情の無い、それでいて悪魔的な美貌の、その少女。

 一体何者なのか。何を考えているのか。まるで人間味の無い、今まで出逢ってきた誰とも違うその少女のことが、なぜだか無性に気になって。

 その日以来、ちりは黒い少女に付き纏うようになっていた。


 ◆


 けれども喧嘩をする以外、ちりは人を知る術を知らなかった。知っているのは、どうにもならない相手との関わり方――どうすれば一秒でも早く『箱』から出してくれるのかという、それだけだった。


 だからちりは、黒い少女と幾度となく拳を交えてきた。一度だって勝てた試しは無かったけれど。しかし黒い少女は、ちりに何度喧嘩を売られても顔色ひとつ変えず、求められるがままそれに応じ、その度にちりを殴り倒した。そして最後にはいつものように「大丈夫か」などと言って手を差し伸べる。


 そんな日々を繰り返す内、やがて喧嘩自体、面倒になってきて。少しずつ、喧嘩以外のこともするようになっていった。

 まるで普通の友人のように、他愛もない日常会話をするようになった。話をすればするほど、目の前の黒い少女がいかに世間知らずで、無知で、無垢な存在であるか、ちりは身を以て思い知っていく。


 川を一望できる堤防の上で、ふたり、その日はただなんとなしに、ぼうっと景色を眺めていた。とはいえ一望出来たところで、死者の白腕伸びる三途の川では情緒もへったくれもあったものではないが。

 先程まで打ち合っていた拳がじんじん痛むのを感じながら、その手で石ころを弄び、飽きると川へ目掛け投げ入れる。そんなことをしていて、ふと、ちりは口を開いた。


「オレさ、親に殺されたんだ」


 自分でも意外なほど流暢に、ちりは自分が死んだときの様子を、隣に座っている黒い少女へ語り聴かせていた。真っ黒なジャージ姿の彼女は、ただ黙ってそれに耳を傾ける。


「皮肉なもんだよな。あの部屋より地獄ここのほうがずっと広くて、自由だ」


 そこまで言って、ようやくちりは我に返ったように口を噤んだ。見ると、黒い少女は何やら神妙な面持ちで、ただじっと、ちりのほうを見つめ続けている。そりゃそうだ。こんなこと急に聞かされても、きっと困るだけだろう。途端に恥ずかしくなったちりは、慌てて先の言葉を言い繕う。


「あー……悪い、今のナシ。忘れろ」


 恥ずかしさで薄っすら赤らんだ頬を隠すべく、黒い少女の眼前を覆い隠すように手を翳して、黒の少女の視線から身を守ろうとするちり。すると、自分の眼前に差し出されたその細い手首を、黒い少女はそっと包み込むように掴んでみせたのだ。

 ちりの目がぎょっと見開かれる。こんな風に触れられたのは、当然、初めてで。ばちりと視線交わり、喉で息、詰まる。


「私は、()()()()()()()()()()()()。此処に堕ちてきてすぐ、ロアにそう教えられた」


 そして、黒い少女もまた、語り始めた。


「私にとって、此処が一度目の人生なんだ」


 ちりは言葉を失う。彼女はほんとうの意味で、何も知らないのだ。『普通』を一片たりとも知らず、想像さえできないのだ。

 愛情というものも、怒りというものも、悲しみというものも、ちりは『普通』を学んだからこそ理解できる。親からの虐待がどういうものか、世間に知ってもらえれば助けてもらえて『普通』に生きていけた可能性があることを、夢見ることだってあった。


 しかし、目の前に居るこの黒い少女は、そこから知らない。何一つ。可能性すらも。

 それはまるで、奇跡の体現のようだと――ちりには思えてならなかった。


「……すまない。私にはこれ以上、教えられることが何もない。ちりは私に、たくさん教えてくれたのに。だから、すまない」


「あ……いや、別に……そういうつもりで言ったんじゃ……」


「やられたらやり返す。地獄ここでは弱肉強食こそが全て。ちりはそう言ったな」


 凪いだような赤い瞳に射抜かれた、ちりの赤い心臓は、まるで鼓動を忘れたようだった。だって、いつも何を考えているのか解らない、悪魔のようなその少女が、この日初めて。能面のようだった顔に、感情を浮かべていたから。


「なら、必ずやり返そう。その()()()()()()を、絶対に許しちゃいけない。どこに居ようと、隠れていようと、必ず見つけ出そう。そうしたら、その時は――私にも一発、殴らせてほしい」


 親がどういうものかさえ知らない。そんな彼女が放った、力強いその言葉。決意を固めたような、少し強張ったその表情。それは、まるで――


「もし、またやられそうになったら。その時は私が必ず、ちりを助ける。約束だ」


 ――やっぱりそうだ。

 オレの代わりに、オレが受けた理不尽を。怒ってくれてるんだ、この子は。


「……………………は、」


 誰も助けてくれなかった。誰も救ってはくれなかった。周りの全てが敵だった。信じられるものなど何一つ無かった。希望を持つことさえ許されない、そんな人生だった。


 この欺瞞に満ちた世界で――何も知らない、何も持たない、無垢な彼女の口から出たその言葉には――嘘偽りのない、本心だけがそこにあって。


 ――まるで本当に、こんな自分を、助けてくれるかもしれなくて。


「はっ、あはっ、ははは……っ!」


 彼女の存在が、一ノ瀬ちりの希望となった瞬間であった。


 ちりはひとしきり笑うと、やがて大きく溜息を吐いた。隣で目を丸くしている黒い少女の間抜け面にまた噴き出しそうになるのを、今度は必死に堪えてみせて。


「あー、はは……いや、悪ィ……あぁ……そう……そうだ。そう……おまえ、名前は?」


 自分の奇行を誤魔化すついで、予てよりの疑問をちりは少女にぶつける。


「名前……」


 少女は首を横に振った。


「怪異としての名ならある。が、ヒトとしての名は無い」


「あぁ……まあ、そりゃそうか。じゃあ、オレが付けてやるよ」


「そうか。頼む」


「……そうだなあ。それじゃあ――」


 ◆


 その後。芥川九十九と名付けられたその少女は等活地獄内で見る見る内に頭角を現し、十六小地獄の悉くをその身その拳一つで打倒せしめた。そんな彼女の周りには、いつしか『屑籠ダストシェル』と呼ばれる側近で固められるようになり――芥川九十九は地獄中にその名を轟かせる一騎当千の怪異、地獄の王『幻葬王』として君臨するまでに至った。


 その変遷を、およそ二百年。一ノ瀬ちりは、芥川九十九の隣に寄り添い、見守り続けてきたのである――

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