屑籠の日常
等活地獄。八大地獄の第一階層。全ての亡者は最初に必ず此処に落ちる。
水も無い、食料も無い、国境も無ければ人権なんてあるはずも無い、そんなナイナイ尽くしの世界に古今東西、ありとあらゆる人種が異能なんてものを身に着けた状態で、一箇所に押し込められたその結果。其処は地獄の名に相応しい劣悪極まる無法地帯と化した。
暴力と恐怖に支配されたその世界では、足を踏み入れたその瞬間から皆等しく活き活きと、奪い合い殺し合う日常を余儀なくされる。その後どうなるかは運次第。
運の悪かった七割が二十四時間以内に呆気もなく殺された後、そのまま永遠に辱められることになる。一方で運良く生き延びることが出来た三割のうち、二割は次の階層へ逃げる。そして残りの一割は等活地獄に留まり『十六小地獄』などの組織に与するわけである。
等活地獄には倫理も秩序も法律も無い。それでも人間が群れを成して其処に居る以上、必ず何らかの理由に基いた力関係が生まれ、上下関係が生まれ、理念が生まれ、社会が形成される。
社会は国となり、やがて相容れない隣国同士で争い合う。生前も死後も、人間の為すことに変わりはない。馬鹿は死んでも治らない。
とは言え、それが人間である。その在り方は愚かだが、間違いではない。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!! 行くぞテメエ等アアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」
ならば――彼女達の、地獄におけるその在り方は、まさに愚かの極みと言えるだろう。
よりにもよって等活地獄に留まるという選択を取り、奪い合い殺し合うことでしか生きられなくなった、残り一割の皆さんだ。
「ウチらの居場所はッ!! ウチらの手でッ!! 守るんだよオオオオオオオオオオオオッ!!!」
彼女達が所属している組織の名は、屑籠。
かつて。たった独りで二百年間を戦い続け無敗を誇り、仲間を守り抜いてきた偉大なる王がいた。
彼女達は、そんな王の齎す恩恵を安全な場所から享受するばかりだった、名ばかりの仲間達。
しかし彼女達はある日、王を失った。
王が不在となった屑籠を見限り、次々と脱退していく者達が現れる中で――
王に依存し切っていた自分達を反省し、自分達の手で屑籠という居場所を守ろうと決起した者達もまた現れた。
彼女達は等活地獄の中央区に残り、屑籠の一員として戦い続ける道を選んだのである。
十六小地獄は当然、これまで辛酸を嘗めさせられてきたこともあり、王のいない屑籠に対して集中攻撃を開始した。
屑籠は所詮、弱小怪異の寄せ集め。弱体化した今なら、すぐにでも中央区を奪い返せる――そんな考えだったのだろう。
しかし彼らのその考えは、些か甘いと言わざるを得ない。
理由は二つ。一つは、十六小地獄自体がそもそも『怪異殺しの悪魔事変』によって大打撃を受け、屑籠のことを馬鹿に出来ない程度には弱体化していたこと。
そしてもう一つは、彼女達の存在。これまで王に代わり組織内の政治を担ってきた、屑籠の幹部達である。
王は強かったが、政には興味が無かった。屑籠を一つの組織として今日まで維持してこれたのは事実上、彼女達の努力によるところである。
今となっては六人しか残っていないものの――否、この場合は六人も残ったと捉えるべきだろう。彼女達のおかげで屑籠は王を失った今も尚、組織として破綻せずに済んでいるのだ。
そんな残された者達の奮闘も甲斐あって、屑籠はあれから数ヶ月が経った今でも中央区を拠点とすることが出来ている。
しかしそれもこの先、どうなるかは解らない。だって此処は等活地獄。ある日突然降って湧いた規格外によって、その均衡は簡単に覆される。
終わりはいつか必ず訪れる。でも、それは今じゃない。
この物語は、そんな明日の見えない地獄で繰り広げられる彼女達の奮闘を綴った、激動の記録であり――
◆
「いいか? 恋愛ってのはさ、攻めて攻めて攻めまくった奴が実を結ぶんだよ。喧嘩と一緒さ。駆け引きどうこう以前に、最初の一発をお見舞いしてやることが肝要なんだ」
――記録にさえ残らない、徒然なる地獄での日常を描いた、幕間の一時である。
「小手先のテクニックなんざ必要ないね。水面下での駆け引きがーとか甘ったるいこと言ってたら他の奴に横取りされちまうのがオチさ。わかるかぁ? 八尋ぉ」
「……おー、双葉さん頑張ってんなー。両鉄処のクソ共を千切っては投げ千切っては投げ……でもあの調子だと、また一人で前に出過ぎて……あー。ほらやっぱり……仕方ない、助けにいくか……」
「聴けよ!! ヒトの話を!!」
中央区の更にその中央、聳え立つ廃校舎然としたその建築物は、鉄骨ならぬ人骨を積み上げ形作られている。
自分達の勢力の強大さを他勢力へ見せ付ける儀式的な意味合いも持つ等活地獄特有のその人間構築物件は、素材となった怪異の呻き声がそこかしこから聞こえてくる。事故物件どころの騒ぎではない。まさに家の形をした生ける屍だ。
その屋上は中央区一帯を一望することが可能で、屑籠の幹部達にとっては事実上の本拠地であり、その役割は今も変わっていない。
「……はあ。何なんスか、五代さん。うち、今忙しいんスけど」
「うるせえ!! 恋バナしよう!!」
「うるせぇのはそっちだろ……」
屑籠幹部、五代みこ。そして、八尋よどみ。
郊外近くにて他勢力と戦う仲間の姿を、廃校舎の屋上から見守りながら――今日も二人は徒然なるままに過ごしていた。
「最近マジでそればっかだな……どうしちゃったんスか……」
「前にも言っただろ? 死ぬ前も死んだ後も縁が無かったんだって! だからせめて! 妄想でもいいから! してみたいんだよキャッキャウフフなガールズトークってやつを!! この地獄という人生の放課後に、茶でもシバきながらさぁ!!」
「いや平成初期の萌えアニメじゃねえんだから……つーか五代さん、昔は別に恋愛とか興味あるタイプじゃなかったでしょ。何なんスかマジで……」
「い、いいだろ別にー!? つーかそれを言うなら八尋ォ! あたしだってお前に物申したいことがある!!」
サーモンピンクカラーのショートヘア、耳元の隙間から刈り上げた剃り込みを覗かせて。小豆色のジャージ身に纏う五代みこは鋭く尖った八重歯を剥き出す。
「お前いつからちりさんのこと好きだったんだよ! 抜け駆けってやつじゃねえのそれぇ!? あたしに黙って恋愛しやがって! ずるいよなぁ! なぁ!?」
「うわメンドくさ……」
長い前髪で目元を覆い隠す黒髪ボブカットのその少女、八尋よどみはオーバーサイズの黒いパーカーフードの中で縮こまるようにして、五代の抗議から視線を背けていた。
「いいでしょその話は……もう終わったことだし……」
「終わってねー! ちゅーかなんであたし以外はみんな知ってたんだよ! ずるいずるいずるい!! あたしにも聞かせろ色々!!」
「そうやって絡まれるのが嫌だったんだって……」
自分の右隣で声を張り上げ駄々をこねる五代に対し、心底面倒くさそうな表情を浮かべる八尋。
「……別に、アンタが期待してるような面白い話なんか何一つ出来ねえスよ。ただの片想いだったし……本当に何も無かったし……」
「面白がりてーわけじゃねえって! ただ識りたいだけなんだよあたしは! ヒトがヒトを好きになる感情を! 人間の心ってやつをさぁ!」
「ロボットか何かかよアンタは……」
もはやこれ以上適当に受け流すことは不可能だと感じたのか、八尋はやれやれと諦めたように溜息を漏らしていた。
「……何が知りてーんスか」
「じゃあじゃあ、ちりさんのどこを好きになったんだ!? やっぱ顔!? かわいい顔してるもんなぁ、ちりさん!」
「……まあ。可愛いのはそうなんすけど……それでいてカッコ良くもあるっていうか……あの氷みてーな鋭い目付きに睨まれると……なんだか吸い込まれそうで……」
五代の口車にまんまと乗せられて、八尋の言葉数は次第に多くなっていく。
「でも、そうっスね……やっぱ基本的に可愛いんすよ、あのヒト。いつも不機嫌そうで、なかなか見れねーけど……たまに見せるあの笑顔が……」
「おぉ……!! おぉぉ……!!! こ、こ、恋バナだあああああああああっ!!!! うわああああああああああああああっ!!!!!」
「うるせえなあ!?」
感動に打ち震えた様子で騒ぎ始める五代。その様子に自分が喋りすぎたことに気が付いて、八尋もまた恥ずかしそうに声を荒げその頬を朱に染めていた。
「これだよこういう話が聞きたかったの! ほら、ウチらってこれまで浮いた話ひとつ無かったじゃん!? どいつもこいつも参考にならなくて困ってたんだよね!」
「はぁ……参考……? 何の話スか……?」
「あ、いや。えっと、こっちの話……それよりほら、なんだっけ。命短し恋せよ乙女? 偉いヒトもこう言ってるし、ッぱ恋愛だよな!!」
明らかに何かを誤魔化している五代の様子に八尋は当然気が付いていたが、特に追求する気も起きず、面倒くさそうに溜息を吐く。
「はいはい……つーか浮いた話なら別に、うち以外にも――」
『(――八尋、聞こえる?)』
その時不意に、八尋の頭の中に直接、女性の声が響き渡った。
「え? 八尋? 今なんて? うち以外にも? は?」
「五代さんストップ。四条さんから着信入った」
声の正体が、他人の脳内に自分の声を直接聞かせることが出来る『やまびこ』の怪異――四条すすの異能によるものだとすぐに察知した八尋は、五代との喋りを中断し意識を脳内に集中させる。
『(双葉ちゃんがまたやられちゃった。今、七瀬ちゃんが回収に向かってるところだけど……念の為にサポートしてあげてくれない?)』
『(えーっと……あ、あー、聞こえますか。こちら八尋、了解ッス。すぐ行きます)』
要請に応えた直後、八尋の身体が変貌を遂げていく。フードを捲りあげ、背中から蛾のような羽が生えてくる。周りに鱗粉を撒き散らしながら羽ばたく八尋の身体は宙に浮かび始めていた。
「んじゃ、四条さんから応援頼まれたんで」
「オイオイオイ待て待て待て!! 八尋ォ!? あたし聞いてないんだけど!? お前以外にも居るの!? 誰!? どゆことォ!?」
「行ってきまーす」
長い前髪に隠れた眼窩、毒々しい赤い瞳をギラつかせながら――『モスマン』の怪異、八尋よどみは逃げるようにその場から翔び立つのだった。
「なんだよまったく……まだ聞きたいことあったのにさぁ」
その場に独り取り残された五代みこ。頬を不満げに膨らませながら、彼女は地面に座り込む。
「……お? なんだ、こんな所に居たのかよ。五代ちゃん」
そうして唇を尖らせる五代のもとへ、また別の人影が現れた。
ネオンイエローのボサボサヘア、返り血で殆ど読めない英字と髑髏のマークがプリントされたシャツ、ズタズタに引き裂かれたようなダメージデニム、耳や鼻や唇にこれでもかと言うほど開けられたピアス。
構成する全てがパンクと表現する他無いほどのパンク少女、屑籠幹部の一員、六海カイ。階段を登り屋上の扉を潜り抜けた彼女は、視線の先で胡座をかいていた五代に対し気安く手を振ってみせる。
「あれ、六海? もう片付いたのか?」
「おう、屎泥処の勢力は追い返してやったぜ。あんな奴等、ウチが本気だしゃ楽勝よ楽勝」
「へえ、やるじゃん。お疲れさん」
「お疲れ~。はぁ~……どっこいしょ」
軽く言葉を交わしながら、六海は五代のすぐ隣に腰掛けた。
二人は揃って気の抜けた表情のまま、地獄の赤い空をぼうと見上げている。
「てか、なんで五代ちゃんこんな所に居るんだよ。自分の持ち場はどした?」
「思ったより早く片付いたからさぁ。ちょうど八尋に聞きたいこともあったし、一旦拠点に戻ってきてたってわけ」
「なるほど。サボリか」
「いやいや。あたしは屑籠の最終兵器だぜ? チカラを温存してたのさ。いざって時のためにな。わかるか?」
「ハハッ……まぁ実際、今の屑籠で一番強いのは五代ちゃんだからな。そんな五代ちゃんが拠点に居てくれりゃあ、確かに安心だ」
「だろぉ? ふふん」
「……今度は油断して瞬殺されんなよー?」
「うぐっ……」
怪異殺しの悪魔事変にて、五代みこはその名を地の文で紹介されることすらなく、見せ場も無いまま瞬殺されている。
その時の事がフラッシュバックしたのか、嫌そうな表情を浮かべる五代の様子を見て、六海はケラケラと笑うのだった。
「あ。なぁ、六海よぉ」
「ん?」
「知ってたか? ウチらの中に恋愛してる奴が居るって話」
五代はふと思い出したように口を開く。その言葉に六海は眉を微かに動かしていた。
「……八尋のことだろ?」
「いや……どうやら八尋以外にも居るらしいんだよ……」
「ふぅん……?」
あくまでも興味なさげに、気の抜けた相槌を打つ六海。そんな彼女の横顔を左隣から覗き込む五代。
「六海は知らないか? それが誰のことなのか」
「知らねぇなぁ……」
「そっかぁ。やっぱ八尋に問い質すしかねぇか……」
唸り声を上げながら、五代は両腕を組み、難しそうな表情を浮かべていた。
「…………」
そんな五代に対して、今度は六海の方から覗き込むようにして首を傾ける。
「五代ちゃんさあ、最近変わったよな?」
「ふえ? なんだよ急に」
「前までそんな恋愛とか興味ある感じじゃ無かっただろ。何かあったよな?」
そう問い質す六海の表情が存外にも神妙な面持ちだったからか、五代は思わず視線を逸らしていた。
「あ、あー……いや、そりゃ……なんというかだなぁ……」
「……五代ちゃん。聞いてくれ」
誤魔化そうとする五代の肩に手をやりながら、六海は座った体勢のまま身体の正面を五代の方へ向ける。
その真剣な眼差しに射抜かれて、五代はそれ以上の誤魔化しの言葉を喉の奥に詰まらせるのだった。
「ウチはもう嫌だぜ。ちりさんみてーに、周りが見えなくなって、自分のことも見えなくなって……独りで暴走する仲間を見るのはよ」
一ノ瀬ちりだけではない。かつて恋愛絡みのいざこざで屑籠を脱退した阿片美咲という元幹部も存在する。
「別に言いふらしたりしないからさ。もし話せることがあんなら、話してくんないかな? 何か相談に乗ってやれる事があるかもしんないしさ」
そういった問題に対して、どうやら六海は幹部達の中では特に強く思うところがあったらしい。特に幹部間での恋愛沙汰は、拗れる前にどうにかしたいと彼女は思っていた。
そんな六海の表情はいつになく真剣そのもので、その想いは五代にも伝わっていた。
「……わかった。正直に言うよ。実はさ……もう何年前だったかな? たまたま一人で廃棄場のあたりをうろついてた時によぉ……」
やがて意を決したように、五代の口はゆっくりと開かれていく。
その様子を、固唾を飲んで見守る六海であったが――
「出逢っちまったんだ。あたしの、運命に……さ」
――それはどうも、六海の危惧するような内容では到底無さそうで。
「……は?」
「いやマジで、すげーキレイなお姉さんだったんだよ……アッシュグレーのミディアムレイヤーが超似合っててさぁ……すらっとした黒いタイトワンピースの上から厳ついギャングコート羽織ってんのも、めちゃくちゃエロくて……」
まるで頭の中にお花畑を思い浮かべる乙女のように、瞼を閉じ語りだした五代のその表情は、あまりにも間抜けなにやけ面で。
「アイシャドウ引いたあの細い目なんか、なんつーかこう……女豹? ってカンジで超エロかったし……特にそう、あの喋り方! 関西弁? 京都弁? よくわかんねーけど、とにかくエロい……うん……すげえエロい女だったんだよッ!!」
「……待て。待ってくれ五代ちゃん。さっきから情報がエロしか伝わってこねえんだけど……」
六海、思わず頭を抱えたくなる衝動、ぐっと堪えて。
「えーと……まさかとは思うが五代ちゃん、そのエロ女のこと……」
「あぁ、多分こいつは……いわゆる、一目惚れ……ってやつかな。へへっ……」
気恥ずかしそうに鼻頭を指で擦る五代。一気に肩の力が抜けたのか、六海は深く溜息を漏らしながら天を仰いでいた。
「だからさ、次にそのお姉さんと再会した時の為に、勉強しとこうかと思ってよぉ。恋愛について、色々とさぁ」
「マジかよコイツ…………」
きらきらと瞳を輝かせる五代に対してもはや何も言えなくなってしまったようで。六海は諸々ツッコミたい気持ちを溜息と一緒に一旦飲み込み、改めて五代の顔を見据える。
「てか何者だよその女……? そんな綺麗な身なりの奴、この等活に居たかぁ……?」
「そうなんだよ。だからあたしもビックリしてさぁ、思わず声かけちゃったんだ。こんな所で何してんすかぁ~って」
女との馴れ初めを意気揚々と語り始める五代。訝しげな表情のままそれに耳を傾ける六海。
「そしたらそのお姉さん、ヒトを探してたみたいでさぁ。なんだっけ……メサガワ? とかいう名前に心当たりはないかって聞いてきて。あ、六海知ってる? メサガワって奴」
「メサガワぁ……? いや知らねえけど……」
「だろ? だからあたしも、知りませんつって。そしたらお姉さん――『そっかあ、残念。まあいいやあ、疲れたし、今日はもうこのへんで。ああ、そおそお。きみ、声かけてくれてありがとねえ? ほなねえ、かわいいお嬢ちゃん♪』――つって、どっか行っちゃってさ」
「(口調まで完璧に覚えてんのかよ……キモイぜ五代ちゃん……)うんうん……それで……?」
「一目惚れした」
「何でだよ!?」
一度飲み込んだはずのツッコみたい衝動が胃袋から逆流して、堪らず六海の口から衝いて出る。
「あれ以来一度も会ってないんだよなぁ……また会いてぇなぁ~……エロいお姉さん……」
「はぁ……まぁつまり五代ちゃんは、その女のことが好きってことなんだな?」
「好きっていうか…………ヤりたい!!」
「欲望に素直!! つかそれエロけりゃ誰でもいいってことじゃねえか!!」
「いやいや、エロは大事だろ! オンナなんてエロけりゃエロいほどいいんだから!」
「最悪だコイツ!!」
一説によると、一目惚れとは相手の外見に性的な魅力を強く感じた場合に生じる、脳内麻薬の分泌が原因とされている。
当然そこから相手の人となりを知っていき、より深い恋愛関係にまで発展することはままある。一目惚れとはつまり、その初期症状。恋に恋している状態だと言えるだろう。
「はぁ……心配して損したわマジで……」
つまり今の五代が抱いている感情は、六海が懸念していたような仲間内での拗れて歪んだそれとは遠くかけ離れたものだったのである。
これ見よがしに溜息を吐く六海の表情は、呆れ返っているのと同時にどこか安堵したようでもあった。
「なぁ、六海よぉ。どう思う? どうすればお近付きになれるかなぁ? なんかあたしでも出来そうな恋の駆け引き的なテクニックとかねぇの? あとは年上のオンナが喜びそうなデートスポットとかさぁ」
「等活地獄にデートスポットなんかあるわけないだろ……てか年上なん? ウチらもう地獄に百年以上居るわけだし、そいつが新入りならウチらの方が年上だろ」
「知らね。でも見た目がオトナっぽくてエロかったし年上かなって」
「……名前は? そいつの」
「聞いてねえ」
「終わってんな……」
雲一つ無い赤い空の下、廃校舎の屋上にて。まるで本物の学生のように、気ままに駄弁る五代と六海。
周囲からは仲間達の怒号や喧騒、他勢力の悲鳴や断末魔が時折風に乗って聞こえてくる。
そんなBGM代わりに聞こえてくる喧騒の中から、不意に。
一際大きく、轟くような男達の雄叫びが、遥か彼方より響いてきた。
喧騒に慣れた彼女達でさえ一瞬口を噤むほどの大声に、二人もまた思わず顔を顰めた、その直後。
『(――六海、聞こえる?)』
またしても、四条すすの異能によるテレパシーが――今度は六海の脳内に直接響き渡る。
『(南の方角、刀輪処の連中がまた攻めてきた。行けそう?)』
『(えー、はいはい。こちら六海。また刀輪処かよ、マジで懲りねえな。了解した)』
『(近くに五代ちゃん居るよね? 一緒に連れていって。敵の数、結構多いから。注意して)』
『(あいよ)』
やれやれと重い腰を持ち上げるようにして、おもむろにその場から立ち上がる六海。そんな彼女の様子から察して、五代もまた立ち上がっていた。
「てか、最近のウチらって……やってること完全にタワーディフェンスなんだよなぁ……」
「四条から着信?」
「うん。南の方角から刀輪処だってさ」
「あ~、今のやっぱりアイツ等の声だったか」
「さっさと片付けに行こうぜー。ゴミはゴミ箱にってな」
この等活地獄で安穏な休息の時間なんてものは、五分と続いた試しがない。斯くして今日も彼女達は、戦場へと赴くのだ。
しかし見た目だけならば年端も行かないような少女達が、眼も歯も獣の如く剥き出して殺し合いに勤しむなんて光景は、やはり悪い冗談のようで――
「――あ、ちょい待ちっ!」
その矢先。屋上の柵に足をかけよじ登ろうとしていた六海の背後から、五代は慌てた様子で声を上げた。
やれやれ何事かと、六海は後ろを振り返って――そうして、思いの外すぐ傍にまで近付いてきていた五代の顔とあわや肉薄する。
「今日した話、他のみんなには内緒な? ウチら二人だけの秘密だぜ?」
六海の耳元で囁く五代は、そうしていたずらっぽく微笑んでみせたのだった。
「…………おぉ。そりゃ別に、いいけどよ」
一瞬、呆気に取られたように言葉を詰まらせる六海。一呼吸の間の後に、彼女はようやく口を開く。
「サンキュ! それじゃ行こうぜ、相棒っ!」
六海の背中を軽く叩いて、はにかむ五代。柵を軽々飛び越えて、彼女は地上へそのまま落ちていった。
『(……調子狂うよなぁ……)』
その後ろ姿を眺めながら――六海は心の中で溜息を吐く。
『(てか、五代ちゃん……そんな女がタイプなのかよ。意外とマセてんな……いや、ただガキなだけか……? と、ともかく……えーと、なんだっけ、ミディアムレイヤー……?)』
ボサボサで、ろくに手入れもしていない、発光色に染まった自分の前髪を、指で摘みながら――
『(…………髪型、か。ウチも……ちょっとイジってみる、か…………?)』
――今度は現実で、六海カイは大きく溜息を吐くのであった。
気の所為でなければ、その頬はどこか――まるで地獄の空を映し出したような、そんな色に染まっているようで。
『(…………六海。とても言いづらいんだけど。まだパス切ってないから……全部聞こえてる。心の声……)』
『(……………………アンタを殺してウチも死ぬ)』
『(やめてね……)』
これは記録にさえ残らない、徒然なる地獄での日常を描いた、幕間の一時。
生きていた頃は手に入らなかった、死んだ後にようやく訪れた、彼女達の青春を綴った一頁である。
しかし青春とは、いつか必ず終わるもの。
死と終わりは別物である。不死の怪異とは言え、終わりの宿命からは逃れられない。
だから今、この瞬間を必死に生きる。
いつか今の自分達が跡形も無くなって、未来では誰の記憶にも残らないとしても。
今の自分達に出来ることは、今を精一杯に生き抜くことだけだから。
そうして、今を生き抜いた者達のもとに――――明日は訪れるのだ。