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怪物少女の無双奇譚《フォークロア》  作者: あかなす
第四章 ■■地獄篇
125/188

■■地獄 21

「……………………」


 微かに、揺さぶられるような感覚あって。芥川九十九はふと、目を覚ます。


 気を失う直前まで、彼女は間違いなく山頂に居た。血を奪われ、熱を奪われ、意識を奪われた。間違いなく致命傷を受けたはずである。

 にも拘らず今の九十九の肉体はというと、不思議なくらいに健康体そのものだった。あれほどの激しい戦いを繰り広げた後だというのに、その身体には傷一つ見当たらない。


 そんな彼女がどういう訳か今、列車に乗っていた。地獄で列車と言えば当然、猿夢列車である。いつも乗り合わせる入口近くのボックス席。その窓側の壁に彼女は凭れ掛かっていた。その車窓は最初に訪れた時と同じ、漆黒の闇を延々と映し出している。


 そして、九十九が座る真正面。目の前に位置するその座席には――窓の向こう側をぼうと眺める、黄昏愛の姿があった。

 気怠げに右肘をつき、無言のまま暗闇に視線をやる愛の横顔は、闇よりも黒い長髪に隠されて。その表情は窺い知れない。

 一瞬まだ夢の中なのかと疑うほど、九十九にとってはあまりに唐突な場面転換。しかしそこが列車の中だと解る程度には、今の九十九の意識は明瞭だった。

 致命傷から復活できた今の状態からも察するに、黄昏愛の異能によって九十九はまたしても生かされたのだろう。軽い倦怠感はあるものの、今の状況を冷静に分析できる程度には、今の九十九は何の問題無かった。


 だからこそ、その違和感にも当然気が付く。どういう経緯で猿夢列車に自分達は今乗っているのか。アナスタシアとの戦いの顛末はどうなったのか――()()()()()()()

 それは芥川九十九にとって、ただの違和感としては片付けられない程に重要な、異変であった。


「…………ちりは?」


 起き抜けに開口一番、芥川九十九の口から溢れたその言葉には、あまりに切実な願いのような何かが込められているような気がして。


「愛。ちりがいない。どうして?」


 その音がまるで、心底恐ろしいもののように聞こえて――黄昏愛は思わず、その肩を震わせていた。


「……九十九さん」


 反射的に姿勢を正して、愛の顔はゆっくりと前方、九十九の方へ向いていく。九十九と交差したその黒い瞳、その表情は、すっかり疲れ切っているようだった。

 頬は黒く煤け、髪は風に乱れ、黒いセーラー服は血で汚れたまま――ある意味彼女らしからぬ、その有り様。

 加えて、九十九の指摘した通り――彼女達が乗り合わせているボックス席、その車内には愛と九十九の二人だけしかいない。一ノ瀬ちりの姿はどこにも見当たらない。


 それなのに、こうして自分達が列車に乗っているこの状況。それら全ての違和感が繋がる程に――芥川九十九の内で蠢く悪い予感は、どんどん大きくなっていくようだった。


「私達は、負けました」


 そしてその悪い予感は、あまりにも淡白なその一言によって、間違いなく的中してしまったのだと悟ってしまう。


「吸血鬼の怪異は辛うじて倒すことが出来ましたが、その隙を突かれて……ちりさんが……拐われてしまいました」


 後悔と自責の念が、眉間に皺を深く刻み込む。震える声色を微かに漏らして、奥歯を噛み締める愛の視線は地面に落ちていた。


「……私のせいです。ごめんなさい」


 悪い冗談であってほしい――予感が的中してなお悪足掻きのように、そんなありもしない幻想に縋りつく。

 しかし平謝りする黄昏愛の弱った姿を目の当たりにした今、それが嘘や冗談の類いだとはとても思えなかった。


 そして、それを前にした芥川九十九に表情は無い。その赤い瞳は輝きを失い、何も見るでもなくただ茫然と開けているだけ。

 元より表情に乏しい彼女だが、愛と出逢ってからのここ最近は感情を見せることが多くなっていた。そんな彼女の積み重ねてきた感情が、全て虚無に塗り潰されてしまったような。


 そこには怒りも哀しみも無い、虚しさだけが広がっていて――


「助けに行かなきゃ……」


 ――だからそれは、気の所為かと思うほど微かな動きだった。


 唇が蠢く。譫言のようなその音が、九十九の発したものだと、愛は遅れて気が付いて――直後。

 九十九は自らの左腕を唐突に振り翳し、壁側に叩き付けて――窓ガラスを、木っ端微塵に叩き割っていた。

 割れたガラスの破片はその殆どが外側へ飛び出して、粉々になったそれは闇の中へと落ちていく。

 窓の外は依然、漆黒の闇だけが広がっていて。ともすればそれは、今の九十九の心境を表しているかのようだった。

 突然にそんな暴挙に出た九十九は、そしておもむろに立ち上がり、窓枠に脚を掛け――列車の外へ、身を乗り出すのだった。


「……はっ? ちょっ……!?」


 ようやく事態を把握して、九十九のやろうとしていることを理解して、愛もまた慌てて立ち上がる。九十九の胴体へ咄嗟にしがみつき、踏ん張って、列車の中へ引き戻そうとする。


「待って……! 落ち着いてください!」


 しかし九十九の体幹は微動だにもしない。愛の呼びかけにも反応は無い。愛のことを引きずってでも列車の外へ飛び出そうとしている。


「今、助けに向かってるところですからっ!」


 思わず声を荒げる愛。そんな彼女の口を衝いて出たその言葉に、九十九は一瞬動きを止める。

 その隙に、愛は思い切り踏ん張って――九十九をどうにか列車の中へ引き摺り込むのだった。


 二人揃って床に倒れ込む。思わぬ事態に愛の心臓は加速度的に鼓動を速め、その肩は震えていた。

 対する九十九は、やはり茫然自失といった様子で。その瞳は虚ろなまま、その口は閉ざしたまま。床に手を付き、一人で起き上がろうとする。


 そんな彼女の手を愛は咄嗟に取って、強く握り締めた。九十九より先に上半身を起こして、その顔を覗き込む。交差した視線。そこまでしてようやく、九十九は動きを止めるのだった。


「……この列車は次の階層、焦熱地獄行きです。ちりさんはきっと、其処に囚われているはず……!」


 焦燥する九十九を、そして何より自分自身を落ち着かせる為に、深く息を吐いて――優しく語り聴かせるように、黄昏愛は慎重に言葉を選ぶ。


「大丈夫、ちりさんならきっと無事です。だから今は落ち着いて、状況を整理して、対策を――」


「どうして」


「――えっ」


 息が詰まった。愛の言葉を遮る九十九のそれは、まるで体の底から凍えるような、温度を感じさせない声色で。

 そんな声で何故を問われた愛は、咄嗟に何も言い出すことが出来ないでいた。


「どうして敵は、ちりを拐ったの」


 九十九にとってそれは、カタリナがその正体を現した時から、アナスタシアと交戦に至った時から、ずっと抱き続けていた疑問。

 それは敵が、愛ではなく九十九でもなく、ちりを隙あらば優先的に無力化しようとしていたこと。

 殺し合いでは、弱い者から真っ先に狙われる。勿論それ自体は珍しいことでもない。しかし、とてもそれだけだとは思えない違和感を、九十九はずっと感じていた。

 事実、その結果として一ノ瀬ちりは拐われてしまった。同じく気を失っていた九十九のことは無視して、ちりだけを拐っていったのだ。


「愛は、何か知ってるんでしょ。ちりが拐われないといけなかった、理由」


 ちりを守れなかったという後悔なら九十九にだって当然ある。しかし今はそれよりも「何故ちりが狙われないといけなかったのか」という困惑の方が気持ち的には強かった。

 むしろこの状況では困惑して然るべきだと言えるだろう。そもそも理由が解らなければ、後悔のしようもないのだから。


 しかし黄昏愛は何故かこの状況で、困惑よりも後悔の方が勝っているようだった。ともすれば自責の念すら覚えている様子である。

 そもそもあの黄昏愛という人間が自分に否の無い、原因の解らないことに対して、怒りや戸惑いより後悔の念を募らせるとは九十九には到底思えなかった。


 それなのに愛は「私のせいです」と謝った。つまり愛には、ちりが狙われた理由に心当たりがある――


「……いや、それは……」


 しかしこの期に及んで、愛の口は言い淀む。どうしたって脳を掠める一ノ瀬ちりへの義理が、彼女にそれ以上の言葉を詰まらせていた。


「……愛は私のこと、馬鹿にしてるの?」


 だが、もはや言い逃れは出来ない。

 芥川九十九の直感を、一ノ瀬ちりへの想いを、これ以上欺けるはずなど無かった。


「気付いていたよ。ちりが私に、何か隠し事をしていたってことくらい。だってそんなのは、いつもの事だから」


 その語調は九十九にしては珍しく感情的で、弾劾するように責め立てる。

 赤い瞳に凪いだような静謐さは無く、しかしそれは怒りと呼ぶにはあまりにも、悲痛で。


「でも、ちりが隠し事をする時は……いつだって私のためなんだ。ちりは賢くて、優しくて、いつも正しい。そんなちりが隠すと決めた事ならそれは、私が知らなくてもいいことなんだって。だからいつも、気付かないふりをしてきた。だってちりが、それを望んでいたから……」


 喉が震える。大きく見開かれた瞳孔が、その赤い色彩が微かに滲んでいる。

 九十九は不意に、深く息を吐いて、吐き出して、吐き切ってから――その両手で自分の顔を覆った。


「でも……ああ、そうだ……私は何度、同じ過ちを繰り返すつもりなんだろう……もう見て見ぬふりはやめようって……決めたはずなのに……」


 それは愛も、九十九自身でさえも、初めて聴くような声色だった。普段の彼女からは想像もつかないような、感情に溢れた声。激情とすら呼べる、ぐちゃぐちゃな色。


「……ごめん。ごめん、愛。これじゃあ八つ当たりだよね。解ってる。でも……私には言えないことでも、愛になら言えるんだって。こういう時、私はちりの役に立てないんだって。それが、きっと……ただ、悔しくて……っ」


 もう自分でも、わけがわからなくなっていた。自ら溢れ出した感情の洪水に呑み込まれて、全ての色を混ぜ合わせたような黒に呑み込まれて、もう何も解らない。ただひたすらに苦しいだけ。


 いつも遠くて、けれど確かに其処に在った、赤いクレヨンの道しるべ。それを見失った途端、何も解らなくなって――何もかもが、怖くなった。


 未知の世界に憧れを抱いていたはずだ。それが今更になって。どうしてそんな恐ろしいものに憧れていたのか、それすら今の彼女には解らない。


「だから……お願いします(・・・・・・)教えてください(・・・・・・・)。私の知らない、あの子のこと、全部……」


 溢れた涙の止め方すら解らない彼女には、もはや縋ることしか出来なかった。


 漆黒をひた走る猿の夢。車内は微かに揺れ、蛍光灯が明滅し、血に薄汚れた壁は軋む。

 静寂が続いた。ただ虚しいだけの静けさ。静謐に包まれた列車の中、ひんやりとした床の上、ふたりの少女が座り込んでいる。


 芥川九十九は祈るようにこうべを垂れていた。溜めた涙が地面に落ちていく。微かに震える両手は力無く、黄昏愛の手に添えられている。


「…………」


 対する黄昏愛、彼女もまた、ただ俯いて。黒く長いその髪は締め切ったカーテンのように、その表情を隠してしまっていた。


「………………」


 無言が続く。冷たい時間が流れていく。

 このまま無為に、無限に、無意味な時間が、ただ流れていくばかりで。

 彼女達の旅は、ここで終わってしまうのか。


「……………………はぁ」


 ――否。否である。

 この時間は決して、無駄などではない。


「ああ……もう……ほんっとうに…………」


 だって彼女達に必要なのは、まさに今、この瞬間。


「面倒くさいですねぇ!! あなた達はっ!!」


 最初の一歩を踏み出す勇気を、絞り出すための時間なのだから。


「ばかにしているのか、ですって……? ええ、そうですよ……ばかにしていますよ……! あなた達はばかです! 大ばかですっ!! この際はっきり言っておきます……!!」


 そして、その一歩を最初に踏み出すのはやはり、この場においては彼女しかいなかった。

 元より地獄にとっては予期せぬ闖入者。この物語の中心人物トラブルメイカー

 芥川九十九の常識を破壊するのは、いつだって黄昏愛なのだ。


「今更になって後悔するくらいなら、どうしてその気持ちを普段からちゃんと言葉にして伝えないんですか!! どうしてあなた達は独りで何でも背負い込もうとするんですか!! 何をそんなに怖がっているんですかっ!!」


 勢い良く顔を上げ、声を張り上げ、目の前で項垂れる芥川九十九に、彼女は唐突として発破をかけた。怒りで頬を真っ赤に染め、叫ぶその表情は必死に歪んでいる。


「何が好きになる資格が無いだあ!? 何が言葉にしなくても解ってもらえるだあ!? そんなわけ無いだろいい加減にしろ!! そもそも私に愚痴ったって仕方ないだろっ!! どいつもこいつも!! 思ってることあんなら直接伝えろ!! このばかっ!!」


 愛が今日までずっと抱き続けてきた、九十九とちり、二人の関係性に対する筆舌に尽くし難いその違和感。何がそんなに気に掛かるのか、愛自身も無自覚なまま、これまで二人と接してきた。

 柄にもなく空気を読み、関係を取り持ち、距離を近付けてきた愛は――ここにきてその違和感の正体を理解する。


 とどのつまりコイツ等は、互いを大切に想うあまり、自分のせいで現状が変わることを恐れているのだと――理解したその瞬間、黄昏愛は爆発していた。


「失ってからじゃ……何もかも遅いんですよ……!! それ以上に恐ろしいことなんて……あるわけないでしょう……っ!!」


 だって愛するヒトへの言葉は、毎日伝えたって足りないくらいなんだから。もっと伝えたいことがたくさんあったのに、ある日突然、その相手を未来永劫失ってしまうことだってあるんだから。

 なら、伝わらなくてもいいなんて事があるはずがない。()にそんな奥ゆかしさは必要無い。

 現に彼女は今こうして、まだ伝えたいことがあったから――わざわざ地獄に落ちてまで、『あの人』を追いかけてきたのだから。


「……………………」


 鬱憤を晴らすように叫ぶ黄昏愛。その必死の形相を前にして、芥川九十九はその目を唖然と見開かせていた。

 大きな瞳からは涙が依然、止めどなく溢れ出していて。肩は怯えるように震え、手に力は殆ど篭っていない。

 規格外の悪魔などと謳われる、いつもの強い彼女の姿は、どこにもない。


「わからないんだ」


 それでも――今の彼女は確かに、前を向いていた。


「ちりはどうして、王様を辞めちゃった私のこと……まだ見限らないでいてくれるんだろう。優しくしてくれるんだろう。……そりゃあ、一緒に居てくれるのは、すごく嬉しい。けど……私はきっと、ちりの期待を裏切ったはずなのに……嫌われたはずなのに……どうして……」


 先程までの、感情が剥き出しのまま氾濫したような支離滅裂さではなく。その想いは詩となり紡がれていく。


「だから、ずっと、私……ちりが何を考えているのか、私のことをどう思っているのか……本当のことを確かめるのが、怖くて……」


 未知に焦がれたのはきっと、答えを探すためだった。辿り着いたその先で、人生の正解が欲しかった。


 だって、答えが解ったら。私は今より、正しく在れる。そうして、正しく在れたのなら――あの子が求める理想の自分に、きっと近付けるはずだから。


「私は、ちりに……嫌われるのが、怖い……」


「……ええ。それはどうしてですか?」


「それは……ちりのことが……大切、だから……」


「…………つまり?」


 互いに抱く想いは同じだった。それなのに、互いを大切に想うあまり、すれ違い続けてきた。相手に迷惑をかけたくないからと、独りで勝手に判断して、決断して。自分が苦しむだけで済むのならそれで構わないと、諦めて。


 結局のところ、似た者同士だった九十九とちり。自分達はこのまま永遠に変わらない、変わらなくていい、変わるくらいなら――

 互いにそう想っていた、願っていた、諦めていた、終わっていた関係性。


「私は、ちりが…………好き…………」


 その関係性から芥川九十九はとうとう、抜け出してみせたのである。


 赤と黒、熱の籠った視線、混じり合う。凍えるようだった車内が、まるで火を灯したように温度を帯び始める。其処には互いに、これまで見たこともないような表情を浮かべ合う少女達の姿があった。


「ごめんね……愛……」


 片や。涙と鼻水でぐちゃぐちゃに汚れて、せっかくの整った顔が台無しになるほど不細工な泣きっ面を浮かべる彼女。


「はぁ……いいですよ、もう……」


 片や。呆れ果てたように息を吐きながらも、その顔はくしゃりとした笑みを浮かべて。目の前で泣く少女の頭を、優しく撫でている。

 本音でぶつかり合い、キズつき合ったその果てに。彼女達はようやく、ほんとうの意味で互いを理解し合うことが出来た――訳では無い。


 当然だ。だって彼女達は本来、三人なのだから。理解したと言うにはまだ早い。まだひとり、足りない。三人揃ってようやく、この問題は正解へと辿り着けるのだ。


「ちりを……助けたい……」


「はい。助けましょう。一緒に」


 斯くして。利害の一致で成立していた奇妙な共闘関係にあった彼女達は、今日この時を以てして。

 同じ願いを叶えるために、改めて協力し合う道を選んだのである。

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