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怪物少女の無双奇譚《フォークロア》  作者: あかなす
第四章 ■■地獄篇
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■■地獄 15

「あ゛あああああああああああああああああアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッッ!!!!!!」


 悪魔が吠える。怒りに燃える紅い瞳が、前方の片岡理奈――シスター・カタリナにのみ注がれている。その握り締めた拳を打ち付けるべく、悪魔の脚が大地を蹴る。踏み込んだ衝撃で地面が割れ、山全体が軽く震動していた。


「あははっ! いけえっ、うちの『姦姦蛇螺ムカデニンゲン』~っ!」


 鬼の形相で向かってくる九十九を指さしながら、カタリナは愉しそうに口遊む。その命令に従うように、姦姦蛇螺は巨体を機敏に動かし、多脚を地面に這わせた。同時に豪雨かと思うほど凄まじい量の鈴の音が周囲に鳴り響く。

 その音は姦姦蛇螺内側から鳴っているような、はたまた周囲の茂みの向こうから聞こえてきているような。正確な出処は定かではない。ともかくそういう現象が、姦姦蛇螺という存在の機能として紐付いているようだった。


『う――――ウゥ――――』


 呻き声のような音を口から微かに漏らしながら――九十九とカタリナの間へ割り込むように、姦姦蛇螺の巨体が立ち塞がる。怪物と成り果てた彼の顔が、九十九の目と鼻の先に迫る。


「ぐ……ッ」


 その涙を流す白い眼と、視線が合ったように感じて――咄嗟、九十九は立ち止まっていた。動きを止めた九十九に対し、姦姦蛇螺の六本の腕が一斉に伸びてくる。その一本一本が触手のように伸びて、九十九の四肢に絡みつく。

 九十九の体幹は微動だにしない。それどころか、九十九の膂力ならこの程度簡単に振り払えただろう。


「くッ……そ……!!」


 だが、九十九は姦姦蛇螺の腕を振り払えなかった。もしそんなことをして、彼らの腕が千切れてしまったら――そんな不安が、九十九の身体を強張らせ、動きを止めてしまう。躊躇う彼女の隙を突くように、姦姦蛇螺は大きく割れた異形の口で、九十九を頭から丸呑みしようと迫る。


「っ、う……!」


 九十九は咄嗟に両手で姦姦蛇螺の顎を押さえ付け、迫る姦姦蛇螺をその場に押し留めた。九十九の眼前に広がる、姦姦蛇螺の口の中。無数の牙が生え揃った怪物の口からは唾液のような物が絶え間なく分泌され、それが地面に落ちる度、酸で溶かされたような灼けた音が聞こえてくる。


 姦姦蛇螺の材料にされてしまった彼らは、生きたまま繋がれている。それ故に、こんな状態になってもまだ自我が残っている――とは言え。もはやどこからどう見ても、今の彼らは怪物以外の何者でもなかった。


「…………ちり…………ッ!!」


 それでも九十九は、一縷の望みに賭けるように、その名を叫ぶ。彼女が顔を傾け視線を向けた遥か後方、そこに一ノ瀬ちりが立っている。九十九の言いたいこと、やりたいことを誰よりも正確に汲み取ることが出来る一ノ瀬ちり。

 ヤマノケの時もそうだった。ちりは葉山純子を助けるアイデアをすぐに思い付いた。だから今回も、姦姦蛇螺となってしまった彼らを助けるアイデアを、思い付いてくれるはずなのだと。そんな彼女に、九十九は縋るような視線を向ける。


「…………っ」


 しかし。そんな九十九の期待から、ちりは目を逸らした。


「えっ……」


 何も言わず、ただ苦虫を噛み潰したような表情を浮かべるちりに、九十九の口から声にならない声が無意識に漏れ出す。


『……………………タスケテ……………………』


 けたたましい鈴の音と、獣のような息遣いに混じって、微かにそれは聞こえてくる。芥川九十九に救いを求める、人間の声。しかし目の前には、人間とは似ても似つかない怪物の姿。喉の奥まで丸見えになるほど大きく口を広げた姦姦蛇螺の姿。その状況は、芥川九十九の思考を乱すには充分過ぎた。


「ぐ……っ!?」


 そんな九十九の死角を突くように、姦姦蛇螺の下半身に生えた蛇のような尻尾が勢いよく薙ぎ払われる。普段なら避けられるはずのそんな攻撃さえ対応出来ず、九十九は尻尾の直撃を受け、吹き飛ばされていた。

 しかし衝撃で吹き飛ばされこそしたものの、九十九の強靭な肉体は微塵もダメージを受けていない。宙を浮いた九十九の身体はそのまま数メートル先、周囲の柵の傍まで飛んでいった後、二本の脚で軽やかに着地する。


「っ……は……」


 繰り返しになるが、九十九はダメージをまるで負っていない。けれど、今の彼女の表情は苦悶に満ちていた。

 ただの敵であったなら、九十九がここまで心を乱されることは無かった。無知な暴力で在り続けられたなら、今もまだ彼女は等活地獄にて幻葬王と呼ばれ続けていたことだろう。

 しかし今、目の前に居るこの人造怪異は、ただの敵ではない。短い付き合いではあったが、あの時確かに彼らは『()()』だったのだ。


 それは芥川九十九にとって、ある種のトラウマと言ってもいい。かつて希望の象徴であることを求められた彼女は、戦う度に傷付いてきた。肉体ではなく、心の方が先に壊れていった。

 他人の為の自己犠牲なんてもう懲り懲りだ、これからは自分のことも大切にしたい――そう白状した彼女の気持ちに偽りは無い。


 厄介だったのは、自らを犠牲にしてでも仲間を守りたいという気持ちもまた、九十九にとっては本心だったということである。

 仲間は助けなければならない、救わなければならない――その強迫観念は、彼女自身の願いでもあった。

 他人の為に自分を押し殺す日々を苦痛に感じておきながら、それでも他人を救わずにはいられないほど、彼女はお人好しだったのだ。


 黄昏愛との出逢いをきっかけに自分自身と向き合う機会を手に入れて、幻葬王からの卒業を決めたものの――その根底にある救済衝動はまるで呪いのように、未だ彼女を蝕んでいる。


「九十九ッ!? ちィ……ッ!」


 そんな刷り込み(トラウマ)を彼女に植え付けた元凶を自称するだけあって、一ノ瀬ちりは彼女の異変を誰よりも先に察知する。眉間に皺を集め、苦い表情を浮かべる九十九の尋常ではない様子に、声を上げたちりは次の瞬間、咄嗟に駆け出していた。

 赤いマニキュアに彩られたその右手を、九十九に向かって懸命に伸ばす。急な激しい運動による反動か、麻酔で無理矢理に誤魔化した痛覚がじわじわと蘇ってくる。それでも構わず一直線、ちりの脚は九十九を目指す。


「うおッ……!?」


 そんなちりの前に立ちはだかる、姦姦蛇螺。ヤマノケと比べれば目で追える程度だがしかし、それでもその図体からは不自然な程の俊敏さで地面を這い、ちりと九十九の間にそれは割り込んできた。


『……………………タスケテ……………………』


 助けを求める言葉とは裏腹に、姦姦蛇螺の大きな口は明らかにちりを丸呑みにしようと開かれている。壁のように立ち塞がるそれを前にして、ちりは歩みを止める他無かった。


「クソがァ……!」


 動きを止めたちりに向かってすかさず伸びる、6本の腕。その内の最も近い1本が、咄嗟に振るわれたちりの赤い爪の一閃によってその手首を切り落とされる。

 しかし切り落とされた手首は瞬時に再生、新しい手首が生えてきていた。姦姦蛇螺は怯んだ様子も無く、次々と腕を伸ばしてくる――


「私の邪魔をするな」


 そこへ割り込む、黄昏愛。次の瞬間、彼女は飛蝗バッタのような変貌を遂げたその怪脚で以て、姦姦蛇螺を横から蹴り飛ばし、ちりに迫っていた腕の群れを強引に引き離したのだった。

 サッカーボールのように蹴り飛ばされた姦姦蛇螺は地面を跳ね回り、柵に激突してようやくその勢いを止める。その傷付いた巨体は、ちょうど九十九のすぐ傍まで転がってきていた。


『…………イタイ…………』


 姦姦蛇螺は多脚を用いて必死に身体を起こそうとしているが、どうやら愛の一撃が効いたのか身体は小刻みに震え、覚束ない。


『…………タスケテ…………タスケテ…………タスケテ…………』


 大蛇の如き裂けた口から微かに漏れる、呻き声。依然として涙を流し続ける白目が、その乞うような視線が、九十九へと注がれる。


『……………………ツクモ、サン……………………』


 それはこれまで幾度となく眼差された、救いを求める目。それを向けられる、たったそれだけのことで、芥川九十九は戦えなくなってしまう。


『タス、ケ…………――――ぎッ!?』


 そんな呆然とする九十九の目の前で突如、姦姦蛇螺の巨体に蛸のような無数の触手が纏わりつく。触手の出所に視線をやると、そこにいたのはやはり黄昏愛だった。姦姦蛇螺に絡みつく愛の触手は徐々に締め付ける力が強くなっていき、姦姦蛇螺の身体から骨の軋む音が鳴り始めてる。


『ぎ…………ギ…………ッ』


 愛が触手を自身の右腕から切り離した後も、触手は自動で蠢き、姦姦蛇螺を縛り上げる。全身を締め付けられた姦姦蛇螺は蟲のような鳴き声を漏らして、その表情は苦痛に歪み、涙に血が混じり始めていた。


「……ま、待って……待って、愛ッ……!」


 それを目の当たりにして、九十九は思わず声を上げる。愛に向けるその赤い瞳は不安で微かに揺れていた。


「……九十九さん。流石に……これはもう駄目です。……残念ですが」


 焦燥に駆られる九十九とは対照的に、冷静な判断を下す愛。九十九を横目に一瞥したその黒い眼差しは、すぐさま前方――微笑浮かべるカタリナの方へと向けられていた。


「それより、今優先すべきなのは……アレの始末です」


 冷たいように聞こえるが、この状況においては愛の判断の方が正しいと言わざるを得ない。ヤマノケの時とは明らかに異なる状況。助かる見込みも無く、はっきり言えばそのメリットすら無い。

 愛の指摘する通り、その指差す方向に佇むシスター・カタリナ、まずはアレをどうにかしなければならない。今の愛達が優先的に対処すべき脅威は間違いなく、姦姦蛇螺ではなくシスター・カタリナの方だろう。


 九十九もそれは解っていた。解ってはいたのだ。


「お~、さっすが愛ちゃん。容赦無いねえ」


 そんな九十九の葛藤など嘲笑うかのように、カタリナはけたけたと悦びの声を上げる。閉じたように細い目が、更に細く引き伸ばされていく。


「それに比べて……九十九ちゃんたら、どうしたのお?」


 喜んでいたと思ったら一転、今度は退屈そうに表情を歪ませ、これ見よがしに肩を落としてみせる彼女。


「愛ちゃんの言う通り、今はそんなことにかまけてる場合じゃないでしょお? ほら、まずはうちをどうにかせんと」


 今の状況を自ら引き起こしておいて、まるで他人事のように口遊む彼女の姿を、九十九は奥歯を噛み締めながら睨み付けていた。


「ああ、ひょっとして……人間を材料にして作ったから? だから迷ってるの?」


 どこまでもわざとらしく、たったいま合点がいったとでも言わんばかり、カタリナは両手を合わせてみせる。その濁った黒い瞳が細い目の隙間から深淵のように覗く。

 言うまでもないことを、言う必要のないことを、言ってはいけないことを、わざわざ口にしてみせる彼女は――直後、乾いた笑みを溢したのだった。


「あはっ、おかしな九十九ちゃん。そんなん()()やないの」


 ああ、おかしい。おかしくておかしくて仕方がない――


「巨頭オも、ヤマノケも、何を材料にして造られたと思ってるの?」


 ――そんな、悪意に満ちた嗤い声。


「散々殺してきたよねえ? あの子達の助けを求める声を無視して、いっぱい殺してきたじゃない。ねえ?」


「…………は…………あ…………?」


「ああ、そっか。流石の九十九ちゃんも心の声までは聞こえへんか。フィデスちゃんやないもんねえ。声帯も潰しとったし、ほなしゃあないかあ」


 夏の蝉のように五月蝿いはずの鈴の音が、まるで気にならないくらい。カタリナの言葉は、大きな声量でも無いはずなのに、すんなりと耳の奥へ這入ってくる。


「あの子らみんな、残っとったよ。敢えて残るように造ったからねえ、()()


 愛の「耳を貸したら駄目です」と叫ぶ声が、九十九にはまるで遥か遠くから聞こえてくるようだった。


「その子と同じ。みんなまだ生きとったのに。まだ人間だったのに。九十九ちゃんが殺したのよ。心の中で助けを求めていたあの子達を、その手で握り潰して、その足で踏み躙ってきたのよ」


 カタリナがその子と呼ぶ、藻掻き苦しむ姦姦蛇螺の姿が目に入る。そして、思い出す。巨頭オの人造怪異をその拳で殺した瞬間シーンを、一枚一枚、思い出していく。


「いや、そんなんどうでもええかあ。九十九ちゃん、王様やもんねえ。偉いもんねえ。弱者の悲鳴なんて聞き慣れてるやろうし……そもそも、九十九ちゃんが悪いと感じる必要なんか何一つ無いもんねえ。だって九十九ちゃんは、何も知らなかったんだから。無知で、無垢で、それで釈されるから、王様はええねえ」


 遠くから一ノ瀬ちりの弾けるような怒号が、微かに耳元にまで届く。けれどホワイトノイズのような耳鳴りに遮られ、言葉が上手く聞き取れない。カタリナの声は、呪いのようなその言葉は、こんなにもはっきりと聞き取れるのに。


「でも、九十九ちゃんさあ……わかっとる? 怪異が相手ならともかく、現世の人間まで手にかけてしもうたら……流石に、それはもう……ねえ? うふふっ……」


 今の芥川九十九はもう、等活地獄の幻葬王ではない。今更、他人に蒸し返される筋合いは無い。でも、そうだった事実が消えることは無いのだと。罪が消えることは無いのだと。忘れることは許されないのだと。過去は一生付き纏ってくるのだと――


「人殺しどころか、人でなしやね。九十九ちゃん」


 カタリナの言葉は、じぐじぐと、傷口を抉るように突き刺さって――気が付けば。


「…………あ…………」


 九十九の左目からは、一筋の透明な雫が溢れ落ちていた。


「テメェ゛エエエエエエエエエエエエふざけんなブッ殺してやらァ゛アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッッ!!!!!!」


 今度ははっきりと聞き取れた。怒り狂った一ノ瀬ちりの叫び声。瞳孔の開き切った赤い残光が、暗闇の中を駆け抜ける。

 やけに暗いと思ったら、上空では流れてきていた暗雲がいつの間にか月を覆い隠していた。そんなことにさえ気が付けないほど、九十九の精神はたった数度の会話で既に摩耗し切っていた。

 九十九をそんな風にしてしまったカタリナに狙いを定めて、一ノ瀬ちりの脚は大地を踏み込む。拳を握る手は怒りに震え、食い込んだ爪が掌を裂き血を流していた。


「おっ、いいねえ。カモ~ン。かかってきんしゃい」


 しかし鬼のような形相で向かってくるちりを前にしても、カタリナの涼し気な表情が崩れることは無い。右手の人差し指をくいくいと挑発的に動かして、誘うような微笑を浮かべている――


「――なんちゃって♪」


 が、カタリナとの距離が1メートルを切ったところで――ちりの足元が突如として消失する。


「あ……ッ?」


 まるで、いやまさに、落とし穴に足を思い切り突っ込んだような浮遊感。ちりが視線を落とすと、先程まで普通の地面だったそこには、黒い空間が広がっていた。

 ヒトが一人、縦にすっぽり落ちてしまえる程度の、黒い穴。前へ進もうと踏み込もうとしていた足先が、その黒の中に吸い込まれていく。


「ばいば~い」


 それがカタリナの異能、転送の出入り口であることを理解するよりも先に――ちりはその穴の中へ真っ逆さま、落ちていくのだった。


「はい、これでいっちょあがりっと。マヨイちゃ~ん。約束通り、()()()()()()()()()


「……最初からそうすれば良かったのでは……?」


「うふふっ。せやねえ」


 カタリナと『マヨイちゃん』が隣り合って何やら言葉を交わしているが、愛はともかく九十九の耳にはその内容までは聞き取れなかった。


「…………えっ」


 それどころではない。あまりに突然のことで、九十九には目の前で何が起きたのか理解出来なかった。見慣れた赤い彼女がどこにもいないことに、遅れて実感が湧いてきて――


「ちり…………?」


 声が上擦る。呼吸が上手く出来ない。膝から崩れ落ちそうになる。

 今膝を地に付けたら、もう二度と立てなくなるだろう。それは解っている。

 けれど、信じ難い現実を前にして、心が理解を拒んでいる。身体が命令を拒んでいる。


 目の前が、暗くなっていく――――

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