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怪物少女の無双奇譚《フォークロア》  作者: あかなす
第四章 ■■地獄篇
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■■地獄 14

 山頂の状況は、概ね土御門が遺した通りだった。先頭に愛、殿しんがりに九十九、間にちりとその他が挟まるように隊列を組んで、頂上に続く山道を登り切った彼らは、やがて開けた場所に出た。

 そこには周囲が2メートル近い鉄柵によって隙間無く囲まれており、柵の網目には部分的に有刺鉄線が張り巡らされている。事前の話通り、確かに出入り口となりそうなドアの類いは無さそうだったが――


「よいしょ」


 九十九がその網目を両手で容易く引き千切り、ヒトがひとり通れるサイズまで拡げることで問題なく通れるようになる。鉄柵の内側に侵入し真っ直ぐに歩き続けていると、やがて六本の巨木が見えてきた。

 そして、六本の樹に繋がれ六角形に張り巡らされた注連縄の中心――其処に在る物を、愛達はとうとう目の当たりにする。


 それは箱だった。賽銭箱のような形状で、錆だらけの大きな箱。事前に聞いてはいたものの、しかしその大きさは想像以上だった。賽銭どころか人間でさえ押し込めば体格次第で複数人は入ってしまうであろうそれは、もはや箱というより棺桶に近い。大袈裟な表現にはなるが、カプセルホテルのような物だと解釈すれば『部屋』と呼ぶことすら出来るだろう。

 そんな物体が夜の山頂に鎮座している光景は、まさに怪談に出てきそうな雰囲気そのもので。土御門を始めとする彼らが最初に訪れた時、ろくに調べもせず下山を選んだ理由も解るというものだった。


 かくして彼ら人間組にとっては再び、そして愛達怪異組にとってはようやく、目的の山頂へと辿り着いたわけなのだが――


「……誰だ」


 やはりと言うべきか、其処には既に先客が居た。一ノ瀬ちりが真っ先に警戒の唸り声を上げた遥か前方で、()()は箱の手前に独り佇んでいたのである。

 向こうも愛達の存在に気付いたのか、僅かに顔を上げる。それは黒いローブとフードで全身を覆い隠した、人型のシルエット。少なくともそう見えるが、しかし『ヤマノケ』の例もある。ヒトのカタチをしているからと言って、それがヒトだとは限らない――


「嗚呼、ようやくお出ましですか。はぁ……まったく……こんな場所で、どれだけ待たされたと思っているんですか。暗いし、寒いし……もう最悪ですよ……」


 ――しかしそれは、あろうことかヒトの言葉を喋っていた。ヤマノケのそれとは違う、感情の籠もった人間の声。声色からして、恐らく女性。腕を組み、溜息混じりに漏らす神経質そうなその声は、およそ人間でなくては出来ない感情の起伏に富んでいた。


「愛。敵だ」


 だが当然、こんな所にいる以上、ただの人間なわけがない。息を吐くように静かに呟きながら、九十九は先頭にいた愛の左隣に並び立つ。


「はい。漂ってくる、年季の入った血の臭い……怪異のそれですね」


 九十九の天性の直感が、そして愛の異常な嗅覚が、間違いなくそれの正体を見抜いていた。


「……素直に姿を現すとはな。ちィと予想外だが……」


 遅れてちりもまた動き出し、愛の右隣に並び立つ。ちりの赤い眼光は鋭く前方を見据えながら、その眉を訝しげにひそめていた。


「黄昏愛、()()だけはしておけよ」


「解っています……」


 ちりの言葉に頷き返しながら、愛は自身の肉体を変化させていく。目に見える変化ではない、体の内側から構造が変わっていく――密かな戦闘態勢。向かい合う彼女達、距離にして約5メートル。一触即発の空気が両者の間に漂う――


「ねえ、愛ちゃん……もしかして、あれが黒幕……?」


 ――そんな愛達の背中越しに、片岡理奈は恐る恐る顔を覗き込ませていた。片岡だけではない、他の者達も怖いもの見たさといった表情で、前方の黒いローブを遠巻きに眺めている。


「なんや独り言喋ってるし……怖いねえ……」


 片岡は特に、黒いローブに対して興味津々といった様子で――いつの間にか一ノ瀬ちりの右隣にまで近寄って、細い目を更に細くさせ黒いローブをまじまじと見つめているのだった。


「ちょっ……危ないよ……!」


 あまりにも迂闊な行動に、見かねた九十九が咄嗟に口を出す。咎めるように、片岡が居る右方向へ視線を向けて――


「…………?」


 ――その視線の先で見た光景に、九十九は首を傾げていた。


 片岡は相変わらず、恐れ知らずにもちりの隣に並んで前方、黒いローブを見つめている。九十九が不思議に思ったのは、愛とちりがそんな片岡の行動を無視していることだった。

 いつもなら九十九が言うまでもなく、それこそちりならば「引っ込んでろ」なんて刺々しく口にしているはずである。しかしどうだろう、今のちりは片岡に対して咎める素振りすら無かった。それどころか――


「…………」


 一ノ瀬ちりに至っては、まるで茂みに潜む獣のように息を殺して、隣に立つ片岡理奈の様子を虎視眈々と窺っていた。


「ほら。もう……()()()()()()()()()()


 そんな得も言われぬ違和感に九十九が首を傾げていると、黒いローブは溜息混じりに口を開く。違和感というのなら黒いローブの反応も奇妙だと言わざるを得ない。先程の呆れ返るような口振りといい、まるで――


「いい加減、遊ぶのはそれくらいにしておいて……そろそろ()()に戻ってください」


 ――まるで独り言ではなく、明確に誰かを指して言葉を掛けているような。しかし黒いローブの声に応える者は誰もいない。この場に居る誰もが押し黙り、胸の奥をざわつかせていた。


「(……何が起きている……?)」


 九十九には解らない。黒いローブが何を言っているのか。愛とちりがなぜ何も言わないのか。この状況の全てが、芥川九十九には解らなかった。

 否、本当は勘付いていたのかもしれない。ただ、それを認めたくなくて。半ば解らないフリをしていたのかもしれない。目の前に佇む黒いローブはやはりただの人造怪異で、言葉に意味なんか無くて――そんな薄い可能性を、この期に及んで期待していたのかもしれない。


「何をすっとぼけた顔をしているんですか。貴女に言っているんですよ……()()()()。いえ……()()()()()()()()()()()()()()()()


 しかし、そんな九十九の僅かな希望も踏み躙るように――黒いローブの女は躊躇いなく、その名を口にしたのであった。

 その場に居た全員の視線が一斉に片岡理奈へ集まる。皆の視線を釘付けにしている彼女は引き攣ったような苦笑いを浮かべていた。


「……あ、あはは。何言うてるんやろねえ、あの子……」


 困ったように眉を下げ、頬を指で掻くような仕草をしてみせる。突然言い渡された黒幕宣言に戸惑っているようにも見えるが――


「やっぱり、そうなんですね」


 黒いローブの放った言葉に特別驚くこともなく、黄昏愛は納得したように頷いていた。


「え……? どういう、こと……?」


 愛の後方で控えていた葉山純子が堪らず声を上げる。蒼井も、鮫島も、声こそ上げないものの今の状況に困惑し切った表情を浮かべていた。


「確信したのは……『ヤマノケ』が襲撃してくる直前。荷台の上での、あなた達の会話です」


 そんな葉山達の疑問に、黄昏愛が口を開く。その訝しげな黒い眼差しは、片岡を絶えず捉えている。


「貴女は2017年の現世に居たと言っていましたね。なのに貴女は『あきらっきー』を既に亡きものとして扱っていた。2017年の時点ではまだ『あきらっきー』は生きているのに」


 ヤマノケと遭遇する道中、軽トラの荷台の上での、片岡と蒼井の会話。愛はそれを上空から、強化した聴力でしっかりと聴いていて、覚えていた。黄昏愛が生きていた時代もまた2017年。その時点で『あきらっきー』――如月暁星は生きている。如月暁星という存在は黄昏愛が憶えている中でも数少ない、『あの人』との思い出の一部でもある。


「少なくともその時点で、貴女は限りなく黒に近かったんです」


「あ、そういえば……確かに……」


 愛の指摘で九十九はようやくその矛盾に気が付き、はっと声を上げていた。その後ろで蒼井もまた驚愕に目を見開いて、口元を両手で覆っている。


「油断したな。詰めが甘いんだよ。さっさと正体現せ」


 片岡のすぐ隣、赤い瞳をぎらつかせながら一ノ瀬ちりが冷たく言い放つ。両手の爪は既に赤いクレヨンの機能によって鋭く伸び、今にも飛び掛かりそうな勢いを醸し出していた。


「お……おい……嘘だろ……?」


 鮫島が怯えたような声を漏らしながら僅かに後退る。それに釣られるように葉山と蒼井もまた後退って露骨に距離を取り始めている。

 疑惑が確信へと変わっていく。呆気もなく露呈した矛盾から、綻んでいく化けの皮。もはや言い逃れは出来ない空気が周囲に満ちていく。既に愛達は臨戦態勢、肌で感じるほどの殺気を滲ませている。逃げ場は無い。そんな状況に追い込まれた、片岡理奈はと言うと――


「…………ふっふっふ。バレてしまっては仕方な~い!」


 まるでいつもの調子、戯けた口振りで。妖艶に目を細めながら――あまりにも呆気なく。あまりにも軽薄に。自らの正体を認めるのだった。


「そお! 何を隠そう、うちこそが――!」


拷问教會イルミナティの第一席にして、()()()()()()()()()()()()であり、三獄同盟成立の立役者でもある隠れた指導者。ヒト呼んで『()()()()()』のシスター・カタリナとは彼女のことです」


「……えっと、()()()()()()? 今いい所なんやけどお……ていうか、カミングアウトの情報量が多すぎないかなあ? 三獄同盟云々のくだりとか今関係あるう?」


 意気揚々とカミングアウトするつもりだった片岡理奈は、しかしその名乗りを横から黒いローブの女に奪われてしまう。そんな黒いローブの彼女のことを、親しげに『マヨイちゃん』などと呼ぶ片岡は、異議を示すように唇を尖らせてみせた。


「ちなみに誤解無きよう訂正させていただきますが、彼女は詰めが甘かったわけではなく、何も考えていなかっただけです。隠す気が無かった(どうでもよかった)と言い換えてもいいでしょう。いつも無責任に、テキトーでいい加減なことばかり嘯くんです。そういうヒトなんです、彼女は」


「フォローになってないよねえ? 否定はせんけどさあ。まあでも、確かにねえ……テキトー言うにしても、なんでよりにもよって2017年なんて言っちゃったんやろ。ぱっと思いついた数字がそれやったってだけなんやけど。我ながら間抜けやねえ。反省反省。あはは……」


 あまりに呆気なく、あまりに軽やかな切り口で語られた、片岡理奈の正体。周りが唖然とする中で、彼女は明け透けに全てを曝け出す。そしてこの状況自体、恐らく片岡の味方である『マヨイちゃん』にとっても予定に無い茶番だったのだろう。『マヨイちゃん』は先程から呆れ返るような溜息が止まらなかった。


「ん~? なんやご機嫌斜めやねえ、マヨイちゃん?」


「そりゃ……こんな茶番に付き合わされる身にもなってくださいよ……」


「あ、ひょっとして寒いの苦手? 確かに山頂ここ、ちょっと寒いもんねえ。だったら――」


 不機嫌を顕わにする彼女に対し、片岡は閃いたように指を鳴らすと――突如、上空から白い羊毛のファーコートが降ってくる。それは『マヨイちゃん』の上から覆い被さるように落ちてきて、頭上で受け止めたそれの重みに『マヨイちゃん』は驚いた様子で身体を震わせていた。


「わわっ……!」


「はい。これでどお? あったかいでしょお」


「そういう問題ではなくて…………はぁ…………」


 苦言を呈しつつも、渋々といった様子でファーコートに身を包む『マヨイちゃん』。そんな二人の間抜けなやり取りは、見ている側も思わず気が抜けそうになるが――


「(今のは……転送の異能……! やっぱりコイツが……ッ!)」


 目の前で当たり前のように見せつけてきた、転送の異能。そして、拷问教會イルミナティの第一席――決して聞き流してはいけないそのワード。これらによって愛達3人の警戒心はより一層強まるのだった。


「ふふ……あ~あ、もお~……締まらへんねえ」


 そして正体がバレたというのに、片岡理奈はあまりにもいつも通り。飄々としたその態度もまた、愛達の眉を顰めさせる要因となっていた。


「いやでもほんま、何も考えず喋ってたらあかんねえ。遅かれ早かれだったとは思うけどお……でも、もうちょっとこう、衝撃の事実! 黒幕はまさかの! みたいな感じで、みんなを驚かせたかったんやけどなあ。ねえ、蒼井ちゃん。どう思う?」


 細い目の隙間から、濁った黒目が覗く。そのじとりとした視線に射抜かれた蒼井は、声にならない悲鳴を喉奥から漏らしていた。そんな蒼井を庇うように、九十九が一歩前に出る。その赤い視線に睨み返された片岡は、くすりと妖艶に微笑む。


「あれえ? でもそしたら……なんでうちのこと、その時点で殺そうとしなかったの?」


 顎に人差し指をやりながら、首を傾ける片岡。その濁った視線の先が、今度は黄昏愛へと向けられた。


「……黒幕あなたが何をしたいのか、解らなかったので。それに……真の黒幕に、ただ操られているだけかもしれない、と……そんな可能性も、考慮して……」


 応える愛に、いつもの凛とした覇気は無い。願わくばそうであってほしかった――そんな想いが滲み出るような。それは愛にしては珍しく、感情の籠もった声色だった。


「ああ、なるほどねえ。せやから今もこうやって、お話ししてくれてるの。ふふ。何だかんだ優しいよねえ、愛ちゃんは。やっぱり可愛いわあ」


 しかし残酷なほど、全く変わらない表情、全く変わらない声色、全く変わらないその態度は――片岡理奈の正体を否応なく突き付けてくるようで。


「安心してええよお。うちは誰かに操られとるわけでも、ましてや人造怪異でもない。この件に関しては、そう、うちが黒幕。拷问教會イルミナティの第一席、シスター・カタリナ。改めて、よろしゅうねえ」


 それはへらへらと、軽薄な口調のまま。片岡理奈――シスター・カタリナは、どこまでも陳腐に嗤ってみせた。


「全部、演技だったの……?」


 誰もが言葉を失う中、声を震わせるのは葉山純子だった。勇気を振り絞るように、一歩前に踏み出して。


「ここまで皆のことを支えてくれた貴女の言葉は……全部嘘だったってこと……!?」


「ん~?」


 声を張り上げ責め立てる葉山の様子に、カタリナは首を傾げている。その涼し気な表情は、葉山の訴えが何も響いていないようだった。


「ああ、せやねえ……葉山ちゃんは、T()R()P()G()って知ってる?」


 そうして唐突に話題を振り始めたカタリナの調子は、あまりにも普段と変わらない、いつもの調子で。


「うち好きなんよねえ、あれ。口八丁手八丁で理想のキャラクターを演じて、色んな世界、色んな物語を冒険するの。あのライブ感はひとつの芸術じゃない?」


 ここにきて誰もが思い知らされる。彼女の言葉に意味なんて、何一つ無かったのだということを。


「特にTRPGを愉しむには没入感が大事でねえ。舞台となる世界観、演じるキャラクターの人生、これらにどれだけ真摯に向き合えるかが全てと言ってもいいかもねえ」


 その場違いな語調、愉しげな表情は、あまりにも悍ましくて。誰も口を挟むことが出来なかった。


「キャラクターを演じているという意味では、確かに嘘かもしれへんけどお……そのキャラクターとして演じた言動に、偽りは無いと思うのよねえ。今回もそう。うちは真剣に、片岡理奈を演じたつもりよお?」


「…………何の話を、しているの…………?」


「え、何の話やったっけ? あはは」


 何も考えずに喋っているのであろう、いい加減なその態度を隠そうともせず、けたけたと笑ってみせるカタリナ。葉山はこの時点で既に心を折られそうになっていたが、それでもなんとか踏み止まっていた。生唾を飲み込んで、それでも乾いた口を懸命に動かそうとしている。


「っ……どうして、私達を選んだの……? こんな場所に連れてきて……こんな目に遭わせて……どうして私達じゃなきゃダメだったの……!?」


 そう、これだけは聞いておかねばならない。自分達が此処に連れてこられた理由。こんな目に遭わなければならなかった理由。せめて納得に足る理由が欲しいと願うのは当然だろう。


「選んだわけやないよお。勝手にそっちが網に掛かっただけ。別に誰でも良かったのよねえ」


 だがそれは、考え得る中で最悪な理由だった。


「でもまあ、葉山ちゃんにとっては確かに、ちょっと可哀想かもねえ。ほんまは()()()()()()3()()()()()()()()()()、連れてくるつもりは無かったんやけど、ほら……うちが異能解除するの忘れてて。それで葉山ちゃん、一日遅れで網に掛かって、こっちに来ちゃったわけやし」


 でもそういう境遇ってちょっと主人公っぽいよね? 意図せず黒幕のミスリードっぽくなっててちょっと面白くない? などと、見当外れのフォローを付け加えながら。


「でも、楽しかったでしょお? ここまで。ゲームみたいでさあ。普通に生きてたらこんなセッション、体験出来なかったよねえ? ポジティブに捉えてこ? むしろラッキーじゃん。やったね!」


 愉しげに話すカタリナを前にして、もはや葉山には、普通の人間には、声を出す気力すら無かった。


「……オレ達も、テメェには聞きたい事が山程あるんだ」


 そんなカタリナと今最も近い距離に居る一ノ瀬ちりは、自身の右隣に居た彼女の方へゆっくりと向き直る。吠えるように声を漏らし、カタリナの一挙手一投足を見逃すまいとその赤い瞳を絶えずぎらつかせている。


「まずは両手両足を圧し折る。拷问教會テメェラの大好きな拷問で、洗いざらい吐かせてやるよ。覚悟は出来てンだろうな?」


「えぇ~? 普通に訊いてくれたら何でも答えてあげるのにい。うちはフィデスちゃんみたいにイジワルやないからねえ」


 カタリナは自分の頬に両手を添えて、わざとらしく驚いたような仕草をしてみせる。


「でも……そうやねえ。ただ質問に答えるより、そっちの方が愉しいかも……」


 ちりの脅迫にもまるで動じておらず、そればかりか愉しげにほくそ笑んで――


「……シスター・カタリナ」


 そんな彼女を咎めるように、遠くから聞こえてくる咳払いが一つ。


「先程も申し上げましたが……私語は控えて、そろそろ仕事に戻ってください。……まさか、()()()()を忘れたわけではありませんよね?」


 吐息に苛立ちを乗せて、『マヨイちゃん』が本日何度目かの苦言を呈す。頻りに『仕事』という単語を口にする彼女の様子は、どこか急いているようにも映っていた。


「わかってるよお、マヨイちゃん。うちにはうちのやり方ってもんがあるの。ちゃんと()()はこなすから、安心してそこで見ててねえ」


 そんな彼女の気を知ってか知らずか、カタリナはやはりいつも通り、ひらひらと手を振ってみせる。


「ほな、こうしよか。うちを捕まえられたら、何でも望みを叶えてあげる。どんな質問にも答えてあげるし、次の階層にも進ませてあげる。どお?」


「……そうかい。テメェのキャラはよォく解ったよ」


 すぐ目の前、手を伸ばせば届く程の距離に、カタリナが居る。そんな状況で一ノ瀬ちりがここまで動かなかったのは、先に愛が告げた通り。片岡理奈という人間が操られている可能性を考慮して、ちりは踏み止まっていた。


「だったら遠慮なく――――殺していいなァ!?」


 しかしその理由も無くなった今――ちりは何の躊躇いも無く、いの一番に爪を振り翳す。刀剣ほどの鋭さを伴う左手の爪がカタリナへと迫る。頭の上から一刀両断せんと容赦なく振り下ろされた。


「きゃあっ、怖あい♪」


 対するカタリナは台詞を棒読みしたような、わざとらしい声を上げてみせる。ちりの攻撃を避けようとする気配すら無い。それもそのはずで――直後、ちりの攻撃に割り込んでそれは地面の下から飛び出してきたのだ。


「うお……ッ!?」


 直後に爪から伝わったその感触に、思わずちりは声を上げる。驚きで見開いた彼女の目に映ったそれは――()()()だった。巨頭オの一件で犠牲となり、村の古民家にその遺体を放置することとなった、あの土御門を名乗る男の、死体である。

 土御門の死体は地面から突然飛び出してきて、まるでカタリナの盾になるように、ちりの爪をその身で受け止めていた。爪の食い込んだ胸元からは夥しい量の血が噴き出す。


「あっはは!」


 土御門を身代わりにちりの攻撃を凌いだカタリナは、ぴょんぴょんとステップを踏みながら、くるりくるりと回りながら、上機嫌に口ずさむ。ちりから距離を離すカタリナの行先には、箱の前で佇む『マヨイちゃん』が退屈そうに腕を組んでいる。どうやら合流しようとしているらしい――


「く……っ!」


 足止めを食らったちりに代わって次に行動を移したのは黄昏愛だった。その両手を蛸の触手に変化させ、カタリナに向かって放たれる。


「はあい、無駄でえす」


 しかし触手はカタリナに届くこと無く、その目前で――まるで見えないトンネルの中に引きずり込まれたように、その先端が消失していた。直後、触手の先端は愛の背後、何も無い虚空から突然現れた。その部分だけが切り離されて宙に浮いているように見える。

 それは、愛が空から山の上を目指そうとしていた時に起きた現象と同じ。一定の距離、特定の座標に到達した瞬間、スタート地点に転送させられたあの時のものだった。つまり上空も、トンネルも、樹海も――この階層自体が、カタリナの異能によって囲まれていたことを意味する。


「チッ……やっぱそういう感じか……解っちゃいたが……!」


 土御門の死体から爪を引き抜きながら、目の前の現象に忌々しく舌打ちをするちり。そうしている間にも、カタリナはどんどん愛達から遠ざかっていく。愛は背中からも触手を生やしカタリナ目掛けて伸ばしているが、やはりそれが届くことは無く、触手はあらぬ方向へ転送させられてしまっていた。


「――ああ、そうだ。ごめんねえ?」


 誰もその歩みを止められず、やがてカタリナは『マヨイちゃん』の左隣、例の箱の手前まで足を運んでいた。そこで彼女は立ち止まると、ふと思い出したような仕草で、再び愛達の方に顔を向ける。


「さっき、何でも、って言ったけど……ひとつだけ、叶えてあげられへんお願いがあるの」


 ごめんね、とでも言いたげに、わざとらしく眉尻を下げ、両手を合わせるカタリナ。その仕草一つ一つに、芥川九十九は言葉に出来ない悍ましさを感じていた。忌避感とでも言うべきか。関わり合いになりたくない、九十九にそう思わせてしまうほどの不気味さがカタリナにはあった。

 ともすればそれは、九十九だからこそ感じ取れたある種の直感だったのかもしれない。死に敏感な彼女だからこそ、その一歩を踏み込むことに躊躇いを覚えたのかもしれない。


「えっとねえ。現世からお越しくださった人間の皆々様におかれましては、現世に帰ることは叶いません! だってこれから、きみ達は――()()()()()()()()()()()


 しかしその躊躇が、九十九にとって最悪の結果を齎すこととなる。


()()()()()()()()()()()()()()()()、みんなは知ってるかなあ?」


 気が付いた時には、遅かった。


「きゃっ――――」


 不意に小さな悲鳴が、後方から微かに聞こえてきて。九十九が咄嗟に振り向くと――葉山、鮫島、そして蒼井――彼らはそこから忽然と、姿を消していた。


「材料が必要なのは勿論そうなんやけどねえ。作り手側がそもそもそういう異能を持ってないと、人造怪異は作れない。それにただ作れればいいってもんでもない。任意の機能を搭載させたいなら、それだけ要求される素材も複雑になるし、一つの異能じゃ足りないこともある。苦労して材料かき集めて、複数の異能を掛け合わせても、それで創れるのは精々が一種類。基本的に、割に合わないのよねえ」


 慌てて九十九は周囲を見渡す。しかしどこにも彼らの姿は見当たらない。九十九の呼吸が浅くなっていく。動揺で視界が揺らぐ。まさか、まさか、まさかと、何度も心の中で唱えてはかぶりを振るう。


「かく言ううちも、人造怪異を作れるような能力なんて持ってないんやけど――何事にも、例外はあります」


 だって、約束したのだ。必ず現世に返すと。皆を守ると。

 そう、だから、そんなことはあってはいけない。そんなことは、許されない――


「ぎゃああああああああああああああああああああああああああッ!!!!!」


 しかし、非情にも。九十九の嫌な予感は的中する。その悲鳴は――蒼井の叫び声は――カタリナの背後から聞こえてきていた。 


「はいっ、そこでこちら! 種も仕掛けもある、特別な『()』でございますう。マヨイちゃんが用意してくれましたあ」


 六本の樹に繋がれ、六角形に張り巡らされた注連縄。それに囲まれた、錆だらけの大きな箱。賽銭どころか人間でさえ、押し込めば体格次第で複数人は入ってしまうであろう、その中から――彼女の悲鳴は聞こえてきたのだ。


()()()()()()()()()()()、あら不思議。誰でも簡単に、人造怪異が作れちゃいます」


 そんな箱を前にして自慢気に、カタリナは両手を広げて見せびらかす。


「イヤああああああアアああああああああっ!!!! 出してっ!!!! 出してっ!!!! ダシテッ!!!!」


「助けてくれええええええええええええええええええ゛ェあ゛あああああああああああああああああああアアアアアアアアアアアアアア!!!!」


「おかあさん!!!! おかあさん!!!! おかあさん!!!! おかあさん!!!! オカアサン!!!!」


 夜の静寂にこだまする、男女入り交じる悲鳴、壁を打ち付ける騒音。全て箱の内側から聞こえてきている。その光景に、愛も、ちりも、思わず動きを止めていた。今起きている状況を理解して、これから起ころうとしている結末を予想して、彼女達は言葉を失っていた。


「ねえ。愛ちゃん達は――『()()()()()』って映画、知ってる?」


 箱の中へ転送させられた彼らの絶望した悲鳴を差し置いて、カタリナは尚も変わらず話を続ける。


「3体の人間の内臓を繋げて、1匹のムカデ人間を作るってお話。最高にクールでクレイジーで、うちが大好きな作品」


 箱の揺れが酷くなる。小さな部屋ほどもある箱の内側で、それ以上の大きな何かが力任せに暴れているような、そんな凄まじい揺れに箱が軋む。


『ああ、ああアあ、助け、タスケッ、テ、あ、ああああ痛い、痛いイタイ逞帙>縺溘☆縺代※縺阪b縺。繧上k豁サ縺ォ縺溘¥縺ェ』


 辛うじて人間のものだったその悲鳴は、徐々にかけがえのない何かが失われていくように、変質を遂げていく。


「今回はそちらの作品をリスペクトさせていただきましたあ。材料は現世の人間3匹。これを生きたまま繋げて、繋げて、繋げて――」


 やがて箱の外殻に罅が入る。内側から破裂するように、箱の形は膨張の一途を辿っていく。


「やめろ……っ」


 かけがえのない何かが失われ、取り返しのつかない何かが産まれようとしているその光景に、九十九は無意識に声を漏らしていた。

 その声が届くことなど、当然あるわけもなく――それは、卵から孵るように。箱を木っ端微塵に砕きながら、現れる。


 夜の山に響き渡る、耳をつんざくような鈴の音。人間の身体が3つ、文字通りに繋がった、その巨体。生えた腕は6本、脚も6本。計12本の多脚が周囲の木々を薙ぎ倒しながら、大地に横たわる。

 先頭の顔に、九十九は見覚えがあった。鮫島だ。面影がある。しかしその肌には生気が宿っておらず青ざめていて、瞳は白目を剥いている。

 更にどういうわけか、彼の短かった頭髪は長く伸びていて、自身の足元にまで届いていた。そこだけを一見すると、長髪の女性にも見える。何より、彼は笑っていた。裂かれた口の端が、耳元にまで引き攣るように届いている。


 その、口の中。無数に生えた牙の隙間から。


『………………………………タスケテ………………………………』


 声が、聞こえてくる。


 3人の声だった。轟く鈴の音に混じって微かに、風に乗って聞こえてくる、男女の声。よく見ると鮫島だったそれの両眼からは、透明の、涙のような液体が流れている。彼の下半身と連結している葉山の肉体からも、更にその下と繋がった蒼井の肉体からも、どこからか透明な液体が溢れて、大地を濡らしていた。


 そう、彼らは生きている。生きたまま繋がって、人造怪異にさせられている。


「あはっ。そおそお、これこれ。どお? うちが作った『姦姦蛇螺ムカデニンゲン』――――最高にイカしてるやろお? うまくできてよかったあ。うっふふふふふふふふふふふふふふ」


「貴ッ様ァァアァァァアァァアアアアアアァッァアアアアアアアアアアアッッッッ!!!!!!!!」


 悪魔が吠える。ここにきてもはや、何の躊躇もあるはずがなく――芥川九十九はその足裏で大地を割り、駆け出していた。

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