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怪物少女の無双奇譚《フォークロア》  作者: あかなす
第四章 ■■地獄篇
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■■地獄 9

 きさらぎ駅の改札を出て右手に行くと、暫し田畑に囲まれた獣道が続く。なだらかな坂道となっているそれは山の中へと続いている。やがて周囲が樹海に覆われた、外界から隔絶された暗い山道に突入する。

 愛達『怪異組』と彼ら『人間組』は現在、そんな山道の中を躊躇いなく突き進んでいた。軽トラックの前照灯が暗闇を引き裂き道を示す。

 軽トラを走らせる運転席には鮫島、助手席には葉山。その荷台には片岡と蒼井――そして芥川九十九が乗っている。地上を走る車の速度に合わせて、その上空を飛行しているのは、背中に鳥のような羽を生やした黄昏愛。一ノ瀬ちりはそんな彼女の背中に半ば負ぶられるようにして搭乗していた。


 目指すは山頂。全てに決着をつけるべく、彼らは其処へ向かっていた。


 ◆


 時を少し遡る。


 村にある建築物の中では最も規模の大きいそれは、恐らくは公民館のような施設だったのだろう。両開きのガラス戸を押して玄関を上がったすぐ目の前に、小規模な宴会場にもなり得そうな広間がある。

 天井の蛍光灯に照らされたそこに、葉山、鮫島、片岡、蒼井。人間組である彼らは各々が僅かに距離を取りつつも全員集合していた。

 愛達が其処に土足で上がり込むと、その足音に反応して皆が顔を上げる。『巨頭オ』襲撃前までは辛うじてあった活気が今の彼らには無く、揃いも揃って疲れ切った顔をしていた。


「……本当に、生き返ってる……」


 ちりの姿を目の当たりにした葉山が声を震わせる。理外の光景に息を呑む気配が彼らから伝わってくるようだった。


「つ……土御門さんは……?」


 地獄で仏を求めるような、僅かな希望に縋るような、そんな声色。しかし現実は残酷で、その声に黄昏愛が応えることはなく、ただ黙って首を横に振る。


「…………俺達、ここで全員死ぬのか」


 押し黙るような静寂の中、鮫島が諦めたように呟いた。すっかり意気消沈した様子で、広間に中央に胡座をかいていた彼の目は虚ろに下がっている。


「やめてよ……」


 壁際にもたれ掛かる蒼井が反発するように声を上げるが、その音はあまりにも弱々しく気迫が無い。否定したくとも、心がそれを認めてしまっているのだろう。このどうしようもなく残酷な現実を前にして、皆一様に心が折られていた。


「聞いてください」


 静まり返った広間に、黄昏愛の凛とした声がこだまする。


「私達は今から、あの山の頂上に向かいます」


 即ち、麓に位置するこの村から北側に聳え立つ高い山。一度はそこを目指して翼を羽ばたかせるも失敗に終わったその山頂に、いよいよ愛達は向かうことにしたわけなのだが。


「……そんなことして、何の意味があるんだよ……」


 呼吸に苛立ちを乗せ異を唱えるのは鮫島だった。ぼさぼさに乱れた金色の短髪、だらしなく伸びたその前髪から三白眼を恨めしそうに覗かせている。


「山頂付近で怪しげな物を見たという情報がありました。それを確認しに行きます。あなた達はどうしますか?」


「違げえよ……! そういう話じゃなくてさあ……っ!」


 淡々と告げる黄昏愛。その態度が癪に障ったのか、鮫島は堪らず声を張り上げていた。


「……何とかなるって思ってたんだ。何だかんだ言ってもさ……結局最後には助かるって思ってたんだよ……」


 拳を握りしめ、その場からゆっくり立ち上がる。ぽつりぽつりと呟き始めた彼の表情は、怒りよりも深い後悔を滲ませたような。うまく呼吸が出来ないでいるような、そんな苦しげなものだった。


「でも……わかっちまった。無理だこれ。終わりだ……何もかも……」


「……ま、まあまあ、鮫島くん。一旦落ち着いて、話を……」


「落ち着いてるさ……! 今更足掻いたってどうしようもないんだから、落ち着くしかないだろ……! 全部無駄なんだ……俺はもう……何もしたくねぇよ……」


 傍に立つ片岡が宥めるように声を掛けるも、鮫島は落とした視線を持ち上げることなく頭を抱えている。


「なるほど。では、このまま此処で野垂れ死ぬつもりですか」


 ハイライトの無い純黒の瞳が、鮫島を咎めるように見据える。少女の眼差しを受けた彼は、ぐっと喉の奥で詰まらせたような呻き声を上げていた。


「ッ……そ、それでも……あんな惨い死に方をするくらいなら……俺は……!」


「鮫島くん」


 その時、葉山が意を決したように口を挟む。彼女は黒髪のショートカットを微かに揺らしながら、鮫島の立つ広間の中央へと歩み寄る。


「このまま此処に居たところで、またあの怪物に襲われるかもしれないわ。この子達と一緒に行動した方がいいと思うの」


 かくいう彼女もまた不安げな表情で声を震わせてはいるものの、その瞳は覚悟を決めたように真っ直ぐ前を向いていた。


「それに、危険は承知でも今は前に進むべきだって、土御門くんも言ってたじゃない。諦めずに前に進めば……きっと脱出の手がかりだって見つかるはずよ……!」


「いい加減なこと言わないでくれよ葉山ちゃん……!」


 それでも鮫島の心に巣食う不安は拭えない。


「みんなも本当は分かってるはずだろ……!? 考えてみりゃあ最初から、俺達が元の世界に帰れる保証なんて……どこにも無いじゃないか……!」


 頭では解っているのだ。ただ体が言うことを聞かない。心が追いついてきていない。どうしても一歩、前に進むことが出来ない。彼の背中を後押しするには、まだ足りなかった。言葉が、勇気が、希望が――


「いや、()()


 その光明を彼に示したのは、一ノ瀬ちりだった。


「アンタらは元の世界に帰れる。オレが保証してやるよ」


 不意に紡がれたその言葉に、皆の食い入るような視線が一斉に集まっていた。鮫島に至っては驚愕で両目を大きく見開かせている。


「そ、そんな気休めなんて……!」


「アンタらを異能で地獄コッチ側に持ってきた黒幕がいる。探すのは出口じゃない、この状況を作った黒幕の方だ」


「えっ……?」


 黒幕。その核心めいたワードに周囲がどよめき始める。


怪異組オレら人間組アンタらが合流して、その日に襲撃が起きた。今日までそんなことは一度も無かったんだろ? タイミングが良すぎるよな」


「そ……それは、確かに……いや、でも……えっ……ど、どういうことだ……?」


「この見計らったようなタイミングは、間違いなくオレらの動向を黒幕は監視している。極めつけはその襲撃方法。重要なのは怪物ではなく、それを転送してきたって事実だ」


 粛々と語る赤い少女。誰もが彼女の語り口に黙って耳を傾けていた。


「物体を転送する異能。もしもコイツが、地獄だけじゃなく――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。アンタら人間も含め、周囲を取り巻くこの状況全てが、現世から持ってきた物なのだとしたら……辻褄は合う」


 此処には地獄では本来ありえない光景が広がっている。故に此処が地獄なのか、現世なのか、はたまた別の異世界なのか。そもそも敵は何者なのかと、頭を悩ませる要因が幾つも存在する。しかし、もしもちりの言う通りであれば、それら全てに説明がつく。やはり此処は地獄で、敵は怪異なのだと合点はいく。


「だが異能が原因だッてンなら話は早ェ。地獄コッチに持ってこれるってことは、現世アッチに返すことだって出来るはずだ。黒幕を捕まえて、アンタらを現世に送り返す」


 周囲の視線が集まる中、ちりは物怖じすることなく、堂々と言葉を発している。実際、かの大組織『屑籠ダストシェル』では司令塔を任されていた彼女。どんな状況でもリーダーシップを発揮するのに臆することなど微塵も無い。


「問題は黒幕がどこに居て、オレらの事をどこから監視しているのか? 自分の身を隠すことができ、且つオレらを監視するのに都合の良い場所といえば、周囲一帯を見渡せる高所……つまり山頂。黒幕はそこで待ち構えている可能性が高い」


 そしてそんな、自分より一回りも二回りも小さな少女の言葉に、その姿に、鮫島は息をするのも忘れて圧倒されていた。


「つーわけだがよ。どうする? 付いてこないならそれでもいいが、そんな奴に温情をかけてやるほどオレ達は善人でもなければ暇を持て余してもいない。今の状況を変えたいなら付いてこい。自分の意志でな」


「……そう、か……」


 止まっていた時間が動き出したように声を漏らす鮫島。そんな彼の視線は動揺で震えてこそあれ、真っ直ぐ前を向いていた。


「わか、った……そういう、ことなら……行く……行くよ。あぁ……悪い、悪かった……俺、混乱してて……」


 ようやく落ち着きを取り戻したように、深く長い息を吐く。先程までの自分の荒れようを後悔するように、彼は自分の金髪をくしゃりと鷲掴む。


「――うん。わかってる」


 そんな彼の前に歩み寄っていくのは、九十九だった。項垂れる彼の前で九十九はその左手を差し出す。


「大丈夫。絶対に皆、元の世界に返す。今度こそ、守ってみせるから」


 その言葉にこそ、何の根拠も無い。しかしそれでも信じてみようと思えるのは、やはりそれが芥川九十九の言葉だからなのだろう。鞭のようだったちりの言葉の後では尚更、九十九のそれは飴のように染み渡る。


「あぁ……ありがとう……」


 崩れ落ちるように膝を折り、祈るようにその手を取って。鮫島は嗚咽混じりに感謝の言葉を吐き出すのだった――


 ◆


()()()()()()()()()()()()


 ――という事が、1時間ほど前にあった。

 そして現在。準備を整えた愛達は早速村を出て、山道を突き進んでいるわけである。目的地は山頂。そこで黒幕が待ち構えている可能性がある――という話だったはずなのだが。


「オレらの行動を細かく監視したいなら、近くに潜んでいた方が確実だ。いざって時は誘導も出来る。すると人間組アイツらは黒幕にとって、自分の身を隠す為のデコイってワケだな」


「黒幕は山頂に居る、という話だったのでは?」


「建前に決まってんだろ。今更パニックになられてバラバラに行動されちゃあ堪ったもんじゃねェからな。黒幕がオレらを監視したいように、オレらもアイツらのことは全員監視下に置いておきたい。その為には共に行動する口実、目先の目標が必要だ」


 黒幕が山頂にいるという先の演説は、どうやら彼らを奮い立たせる為の詭弁だったようで。ちりはその赤い瞳を怪訝そうに細め、地上を走る軽トラを冷たく見下ろしていた。


「ふむ……でも仮に、黒幕があの中に潜んでいるとして。その状況は黒幕にとってもリスクが高すぎませんか? そこまでする意味が解りません」


 人間をひとり軽々と背中に乗せたまま、愛は翼を羽ばたかせる。上空には彼女達ふたりしかいない。そんな状況で、互いの思考と疑問を擦り合わせるように彼女達は言葉を交わしていた。


「意味の有る無しで言えば、この状況そのものに合理的な意味があるとはオレには思えねェ。そもそもこの話の軸になってんのが『現世から物体を転送できる異能』だぜ? 正気の沙汰じゃねェよ」


「……そんな異能がありえるんですか?」


 訝しげに表情を歪ませる愛。まだ地獄に落ちて日の浅い彼女でも、その異常さは充分理解出来るようだった。


「辻褄が合うってだけだ。現世に干渉出来る異能なんざ、これまで見たことも聞いたこともねェ。そんなものがあるなんて考えたくもねェが……」


 最初にその結論へと至ったちり本人でさえ、頭を抱えてしまいたくなる程の最悪な可能性。地獄側から現世に直接干渉が出来る異能の存在。そんなものを一ノ瀬ちりは二百年間、噂にすら聞いたことが無い。いくら何でもありの異能とは言え、それはあまりにも規格外が過ぎる。いくら辻褄が合うとは言え、そもそもその発想に至ること自体が普通ではないのだ。


「ただ……そうだな。それこそ『悪魔』の怪異なら……そんな規格外の異能を持っていたとしても……ありえなくはない」


 ならば何故、そのような結論に彼女が思い至ったのかと言うと。それはやはり、いわゆる『規格外』をすぐ傍で観測出来る機会が他の者達より多かったからだろう。


「『悪魔』の怪異……九十九さんの話ですか?』


種族カテゴリーの話だ。とは言え、オレも『悪魔』の怪異なんて九十九しか見たことねェが……聞いたハナシじゃあ『悪魔』の怪異には特別な共通点がある。なんでも、異能の発動条件とはまた別の『代償』を支払うことで、規格外の能力を行使出来るらしい」


「……なるほど」


 その言葉に愛もまた合点がいった。九十九が規格外の膂力を有するように、他の『悪魔』の怪異も何らかの規格外を有しているのだとしたら。現世に干渉出来る規格外もまた、確かに有り得ない話ではない。


 しかし、それはつまり――


「敵は『悪魔』の怪異……かもしれない、ということですか。それはまた……」


「あァ……そんな規格外の能力を持った野郎が、人間に化けてあの中に紛れ込んでいる。その目的も不明……最悪だろ」


 最悪な想定に、ふたりは揃って溜息を漏らすのだった。


「まだ仮説の段階だがな。それでも考え得る中で最悪の可能性だ。だから()()も考えてある。その時は頼むぜ」


「それは……勿論構いませんが……」


 小動物の鳴き声が微かに聞こえてくる樹海の中、山道を滑空する。ちりの言葉に頷きつつもも、愛の視線は自身の真下、地上へと絶え間なく注がれている。


「……対策と言えば、あれの対策も考えるべきですね」


 そうして面白く無さそうに呟く愛の声に釣られて、背中のちりもまた、その赤い視線をおもむろに地上へ落とすのだった。


 ◆


 暗闇の中、舗装されていない山道を走るその車体は、タイヤが小石を跳ね上げ隆起した土に乗り上げる度に震わせる。決して快適とは言えない乗り心地だった。


「…………」


 そんな荷台の上に乗っている少女、蒼井そらは、すっかり縮こまったように膝を抱えていた。彼女の両脇を挟むように、右側に片岡、そして左側に九十九が、寄り添うように座っている。


「元の世界に帰ったら、何しようねえ」


 蒼井の丸まった背を優しく撫でながら、片岡は穏やかに語り掛ける。


「うちはねえ、熱々のお風呂に入りたいなあ。蒼井ちゃんは?」


「…………」


 片岡の言葉に反応して蒼井は俯いていた顔を僅かに上げた。蓄えた睫毛の隙間から赤く腫れた目を覗かせている。


「……推しの配信のアーカイブ、百回見返す……」


 そうして彼女は涙声で、そんなことをぽつりと呟いた。


「へえ? 蒼井ちゃん、配信者好きなんや。誰推し?」


「……暁星アキラちゃん……」


 配信者という言葉が何を指すものなのか、芥川九十九には当然解らない。けれど暁星アキラというその単語には当然覚えがあって、九十九はその顔を蒼井の方へおもむろに傾けていた。


「へえ! 暁星ちゃんって、あの『あきらっきー』の如月きさらぎ暁星アキラのことよねえ? うちもファンなんよお」


「片岡さんも……?」


「うん。いいよねえ、『あきらっきー』。流石、一万年に一人の美少女なんて伊達に呼ばれてないよね。顔が良い。兎にも角にも顔が良い」


 この場に黄昏愛が居れば「お前は顔が良い女なら誰でも良いだろ」というツッコミが入りそうなものだが、それはさておき。


「堕天王……如月暁星……現世では、そんなに有名なの?」


 現世の話題に興味が惹かれたのか、九十九が尋ねる。


「ゆ、有名なんてもんじゃないって……! ねえ、片岡さん?」


「せやねえ。歴史の教科書に載っとるレベルの偉人やし。『あきらっきー』として配信者デビューしたのが2015年、そこからたったの5年で世界を変えた伝説、うちらの世代で知らん人なんかおらんよ」


「う、うん。暁星ちゃん、マジすごいから」


「そう、だからこそ……ほんまに、惜しい人を亡くしたよねえ……」


「うん……急すぎるよ、ほんと……」


 九十九の脳裏に思い浮かぶ堕天王の姿は、彼女達が語る如月暁星の人物像と確かに相違無い。透き通るような蒼いツインテールと弾けるような笑顔を振り撒いて、観る者全てに夢と希望を与えるアイドル『あきらっきー』。その在り方は現世だろうと地獄だろうと変わらず一貫しているようだった。


「そうか……そうだな。確かに、彼女は凄かった」


「……え?」


 見てきたような九十九の口振りに、蒼井が思わず声を上げる。その反応の意味を察して、九十九は頷いてみせた。


「私達、地獄で会ったんだ。あきらっきーに。元気そうだったよ」


 その一言に蒼井の両目は驚愕で見開かれる。呼吸を忘れたような沈黙が数秒続いた後、か細い吐息が少女の口から漏れていた。


「……あぁ、そっか……暁星ちゃんも、死んだから……地獄に居るんだ……」


 如月暁星は2020年、20歳という若さで他界した。20世紀において最も大きな損失と言われている彼女の早すぎる死は、それ以降の歴史において尚も色褪せることなく――彼女の人生アーカイブは様々な媒体で語り継がれている。


「…………あぁ、だったら。いいのかなー、別に。あたし、ここで死んでも」


 彼女の存在は確かに夢と希望を与えたが、しかし同時に深い悲しみと絶望を齎した。それは、この蒼井そらという少女が、まさに今、思い至ってしまったように。それと同じ結論を――どれほどの数の人間が当時思い至り、それを実行したことだろう。


「そしたら……あたし、暁星ちゃんに会いに――」


 視線が下がり、青みがかった瞳が揺れる。膝の前に組んだ両腕で、自分自身を抱き締める――


「それは違うよ」


 深い泥濘のような思考に落ちていくばかりだった少女。救いを求めるその手を、芥川九十九は底から引き上げる。


「君が死ぬべき時は、今じゃない。君が生きるべき場所は、此処じゃない」


 蒼井の手の甲に、そっと重ねられた九十九の右手。悪魔のような低い体温が手のひらから伝わってきて、少女の視線は再び前に向いていた。


「何より、自分に会う為に死んだなんて。そんなことを知ったら、彼女はきっと悲しむ」


 蒼井の眼前に広がる、異様な程に整った美貌と、凪いだような赤い瞳。吸い込まれるように、少女の意識は悪魔に魅了されていく。


「生きて、思い出をいっぱい作って、それから会いに行けばいい。……それで、その後に……もし良かったら、だけど……」


 そして、散る桜のような儚げな微笑を浮かべて。誠実を象ったような九十九の言葉は、翳ることなく少女の中に澄み渡る。


「……私とも、会ってもらえたら、嬉しい。その時にはまた、成長した君のお話、たくさん聞かせてほしい」


 まるで心臓を撃ち抜かれたように、蒼井は微動だにすることなく九十九の言葉に耳を傾けていた。

 その沈黙は九十九が口を閉ざした後も続いて、そして――


「……………………しゅき……………………」


 先程までの絶望的な心境はどこへやら、蒼井の瞳にはすっかりハートマークが形作られていたのである。


「ああ、なるほど……罪作りやねえ……」


 黄昏愛から話を聞いていた通り――否それ以上の、無垢が故の魔性。どんな毒よりも致命的な、思考を蕩かす甘い言葉。これにやられてしまっては、確かに。正気でいられるはずもない――と。夜空を見上げる片岡理奈はひとり、苦笑いを浮かべるのだった。


 ◆


「……九十九さんって、異能がハッキリしてないらしいんですよ」


「……あァ、どうもそうらしいな。変身能力がそれだとオレはずっと思ってたんだが」


「……誰でも口説き落とすあの話術が、実は異能そうだったりしませんかね? 悪魔の魅了チャーム的な……」


「……ありえるな……」


「……対策が必要だと思いませんか?」


「…………必要かもな…………」


 そんなわけで、地上で繰り広げられていた九十九と蒼井のやり取りを一部始終、上空から盗み聞いていた愛とちり。彼女達は揃って心底面白く無さそうに、じっとりした視線を地上へ目掛け落としていた。


「まぁ、冗談はさておき。あれが九十九さんの美点であることは解っているのですが……誰に対してもあんな感じだと、少し心配になりますね」


「……ふん。まァ言いたい事は解る。でも九十九は誰に対しても優しいわけじゃない。九十九が無償で優しくするのは仲間か弱者のどちらかだけだ。……そういう風に教えたからな」


 僅かな自虐を込めて、吐き捨てるように呟く。その泥のような視線は依然、九十九へと注がれている。


「あの小娘に興味があるわけじゃない。ああやって話を聞きたがるのも、ただ生きている人間の現世の知識が物珍しいだけだ」


 ……などと言いつつ、九十九の方へ擦り寄るように頭を傾けている蒼井を睨み付けながら、舌打ちひとつ。


「むしろああやって勘違いさせておけば、いざって時に色々と利用出来るからなァ……だから今は大目に見ておいてやるぜ小娘……精々舞い上がってろ……ククッ……」


「うわぁ…………」


 呪うように呟きながら冷笑を浮かべる一ノ瀬ちり。これには流石の黄昏愛もドン引きであった。


「裸すらまともに見れないくせに、どうしてそんなに分厚い正妻面が出来るんですか?」


「あ? ぶッ飛ばすぞ」


「は? やってみろ」


「あ?」


「は?」


 売り言葉に買い言葉。いつものように煽り合う両者。同じ者に好意を寄せ、それでいて互いに肌を重ねた事のある、なんとも奇妙な関係である。


「けッ……そもそもオレと九十九はそんなんじゃねーッつの……」


 ちりはやれやれと息を吐きながら、忌々しそうに顔を歪ませる。それはちりにとって特に他意の無い言葉だったのだが、それを聞いた愛は忽ちにその表情を神妙なものへと変えていった。


「……前々から、気になってたんですけど」


 口を開いた愛の雰囲気から何かを察したのか、ちりは黙って耳を傾けている。それを愛もまた背中越しに察して言葉を続けた。


「九十九さんに、好意を伝えたことはありますか?」


「無いな」


「一度も?」


「一度も無い」


 即答に次ぐ即答。愛は不満そうに眉をひそめる。


「……いい加減、関係を進展させたいと考えたことは無いんですか?」


「どうしてそんな事を考える必要がある。今の関係で何の問題も無い。実際これで二百年間、オレ達は何の不都合も無かったんだ。これでいい」


 すらすらと、まるで原稿を読み上げているように、ちりの回答はあまりにも流暢だった。それを受けた愛はますます怪訝な表情を浮かべている。


「……正直、私には理解出来ません。長い付き合いなら尚更、せめて好きなら好きだと、一度明確に伝えておくべきでは――」


「オレに九十九を好きになる()()は無い」


 ちりはきっぱりと言い放つ。けれどやはり、それを素直に鵜呑み出来ない愛である。


「……なんですか。資格って」


 暫し、翼が風を切る音だけが流れていた。耳を澄ませば、軽トラのエンジン音。荷台から微かに聞こえる会話、樹海のざわめき、野生動物たちの息遣い――それ以外には何もない。自分達の間で聞こえる音は、何も無かった。


 このまま永遠に、誰も口を開かないまま、この話題は終わってしまうのでは――そう思っていた矢先。


「あいつは生前、産まれてすぐに殺された。だから現世の知識が無い」


 ようやく、重い腰を上げたように――ちりは口を開くのだった。


「地獄に落ちて早々、右も左も解らないそんなあいつに、オレは付け込んだ。嘘を教え、命を張らせ、オレにとって都合の良い王様に仕立て上げた。あいつは二百年間、幻葬王という重荷を理不尽に背負わされたんだ」


 それは、懺悔。たとえ何を犠牲に払っても洗い流すことなど出来はしない、後悔の二百年。


「そう……二百年。二百年だ。オレはあいつを等活地獄に縛り付けていた。オレがあいつの二百年じゆうを奪ったんだ。そんなオレが、どの口で好きだなんて言えるんだよ。あいつに」


 芥川九十九が『幻葬王』という立場を重荷に感じていたという事実は、黄昏愛も知っている。しかし思えば、そもそも九十九が『幻葬王』に成ったきっかけを愛は知らない。知る機会が無かった。


 そして今日、ついに黄昏愛はそれを知る。芥川九十九が『幻葬王』になった全ての元凶こそ、一ノ瀬ちりだったのだと。彼女が九十九に執着する理由も、净罪をしてまで彼女の役に立とうとする理由も、全ては罪の意識からなのだと。短い説明の中から、愛はちりの想いを汲み取り、察して――言葉を失っていた。


「……だが、おまえにはその()()がある」


 しかし、さて。この話を愛に伝え聞かせる事を決めた一ノ瀬ちり。彼女の中で一体如何ほどの心境の変化があったのだろう。


「あいつを……あの屑籠おりの中から解き放つことが出来たおまえになら……任せられる」


 ちりの口から突如として飛び出した、思いもかけないその言葉。愛は虚を突かれたように表情を強張らせていた。


「……は? 何を言って……」


「認めてやるって言ってんだよ。おまえなら九十九の隣に立てる」


 胸の奥がざわめき立つ。焦燥で喉が乾く。それ以上の言葉を、聞きたくないとすら思ってしまう。


「おまえだって九十九のこと嫌いじゃねえだろ。だから、まあ……これからも仲良くしてやってくれよ、あいつと」


 だってそれは――まるで、遺言のようで。


「……私は……」


 疎ましい、面倒くさい、目障りだ。そう思っていたはずの、奇妙な関係。しかしそれが、いつからか。心地よいものに変わっていった。今の愛にとって、九十九も、ちりも、今更失いたくないと思える程度には――


「あなたのことも、別に……嫌いではないです。なので……そうやって自分を卑下するのは、やめてください。……心配になるでしょう……」


 友と呼んで差し支えない程度には、離れ難い関係となっていたのだ。


「……ハハッ。おいマジかよ、ついにデレ期到来か? ここまで根気強く一緒に居た甲斐があったな?」


「なっ……はぁ? キモ……こっちは真面目に言ってるんですけど……」


「ククッ……いや悪かった。まッ、これでこの話は終いにしようぜ。……あいつには黙っててくれよ」


「……ええ。黙っておいてあげますよ、私の口からは。あなたの想いは、あなたの口から直接伝えるべきです」


「ハッ。来ねェよ、そんな日は」


「……はぁ……」


 ちりはいつものように鼻で笑い飛ばして、愛は諦めたように溜息ひとつ。一ノ瀬ちりはどうするべきなのか。黄昏愛はどうするべきなのか。その答えは結局出ずじまい。問題は山積みで、先の事なんか解らなくて、それでも少女達は今この瞬間を必死に生きている。


 ……これを青春と呼ぶには、些か血生臭すぎるだろうか。


 ◆


 山道を登り始め、相応の時間が経過した。

 山の中に入ってから上空は曇天に覆われて。天の川のようだった星々はその隙間から辛うじて覗く程度。前照灯の光が無ければ、この夜道を進むのは困難だったことだろう。


 ……ところで。なぜ愛とちりが上空を飛んでいるのかというと。無論、索敵の為である。

 地上は九十九が、上空は愛とちりが。それぞれ警戒という名のアンテナを張り巡らせて――


「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおい。危ないから線路の上歩いちゃ駄目だよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお」


 ――こういった危険を、いち早く察知する為である。

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