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怪物少女の無双奇譚《フォークロア》  作者: あかなす
第四章 ■■地獄篇
109/188

■■地獄 5

 推定第四階層、その中央。山の麓に位置する無人集落。瓦の屋根の木造住宅が等間隔で数軒建ち並ぶその集落の周囲は、草原に根ざしたひょろ長い外灯によって橙色に淡く照らされている。集落内には電柱が突き立てられており、それを見てもこの場所に電気が通っていることは明白である。


 異能によって電気を生み出し、がらくたから部品を寄せ集め開発し、それによって運営が成されている施設は『酩帝街』にも存在する――がしかし、そもそもなぜこんな場所に電気を通しているのか。そもそもこんな場所に一体何が棲んでいたというのか。そもそもなぜ今は無人と化しているのか――などなど、不可解な点は挙げだせばキリが無い。


 そんな場所に彼女達は『きさらぎ駅』から数十分ほど掛け、辿り着いたのだった。


「此処か……」


 結局諦めて愛と九十九に担がれたまま集落に入ってきた一ノ瀬ちり。ようやく大地に降ろされた彼女は一息吐くよりも先に、周囲に警戒の目を走らせる。


「……なるほど。確かにヒトの気配は他に無いですね。無人です」


 愛もまた強化改造を施した自身の五感で周囲を探知スキャンするが、生物の気配を感じることはなかった。

 山を背に密集している空き家の群れは相応の経年劣化が進んでいるのか、どれも外壁はひび割れツタが幾重にも絡んでいて、廃墟の様相を呈している。それが数にして10軒、ほぼ等間隔で配置されている。

 一部の民家の傍には人間の手が入った形跡のある整地や、くたびれたくわ等の農具が放置されており、かなり小規模ではあるが農村のような側面もありそうだ。


「我々は食料調達がてら、改めて此処を調査してみるつもりだ。君達も此処を好きに調査してみてほしい」


 軽トラを集落の中央、井戸の傍に停めた彼らは、土御門の言葉を端に発し全員が自由に動き始めた。集落の空き家は東側と西側で5軒ずつに別れて並んでいる。土御門、葉山、片岡、蒼井はそれぞれが別々の、東側の空き家に正面玄関から入っていった。唯一その場に残った鮫島は井戸に紐の繋がった桶を放り込み水を汲んでいる。


「……さて、どうする?」


 顔を見合わせる三人。好きに調査してみてほしいと言われたところで、何が脱出の手掛かりになるか解らないこの状況でどこから手をつけるべきか、彼女達は早速頭を悩ませていた。


「つーか、またこのパターンかよ。暗号探しはもう懲り懲りなんだが……」


 かつての『酩帝街』においても同様に、彼女達は其処からの脱出にあたって暗号の解読に尽力してきたわけである。

 どうやら密室クローズドサークルというものに自分達は余程の縁があるらしい――ちりはそんなことを思いながら、勘弁してくれと言わんばかりに頭を振っていた。


「その前に私、試してみたいことがあるんですけど」


 さてどうしたものかといったところで、口を開く黄昏愛。


「あの人達は樹海を抜けられないと言っていましたよね。だったら――」


 愛は右の人差し指をおもむろに、上空へと向けた。


「空から飛び越えてしまうのはどうでしょう」


 樹海を空から飛び越える。およそ常人の発想ではないが、愛の異能を考えればむしろ当然の帰結と言えよう。


「愛、ナイスアイディアじゃない? それ」


「……そうだな。この異常性に対して、そんな近道ズルが通用するかは解らんが……いずれにせよ、この場所の全体像を把握するためにも空から見下ろす必要はあった。頼んだぜ」


 満場一致の賛成により、愛は早速自身の背中に鳥の翼を生成した。今回の変身先として参照した動物はマダラハゲワシ。地上1万メートル以上の高空を飛行可能なことで識られる、世界で最も高く飛ぶ鳥である。


「それじゃあ、ちょっと行ってきます」


 ◆


 褐色の翼を背中に携えて、愛は翔び立った。砂塵を巻き上げ、見る見るうちに上空へと駆け昇っていく。


「――――」


 昇っていきながら、愛の鷹の目が上空より地上を見渡す。その時点でこの場所が周囲を樹海に囲まれていることは一目瞭然であった。

 そして土御門の証言通り――周囲のどこに視線を走らせても、やはり『きさらぎ駅』以外の駅は見当たらない。それどころか、集落を除いて他に人工物は無さそうである。


 あっという間に到達した標高500メートル――そこまできて愛の目はようやく、違和感を捉えることに成功していた。


「山の頂上が開けて……何かある……?」


 それは、愛が今居る地点から更に100メートルほど上、集落の北側に位置する山岳の頂上付近。

 雲に覆われたそこで愛が見つけたものは、山頂へ続く山道と、その周辺を取り囲むように設置されている金網のような物だった。


 明らかな人工物。それでいて金網に囲まれた頂上付近は木々が切り倒され、どうやら開けた場所になっているのが解る。見上げる角度の問題でそこに何があるのかまでは判別出来ないが、少なくともヒトの手で開拓された形跡であることに間違いはない。


「…………っ!」


 あの山の頂上に一体何があるのか。それを確認しようと、愛の翼が三度羽ばたき、更なる上空を目指す。

 愛が上へ上へと昇るほど、空気が薄く、視界が暗くなっていく。雲が凍える程の冷気を伴って、愛の皮膚に纏わり付いてくる。漆黒の霞は月光を遮り、辺りは闇に包まれた。

 そうして残り数メートル。闇を突き抜け、山の頂上に差し掛かろうというところで――


 ◆


「愛?」


 黄昏愛の足は、大地に触れていた。


「…………えっ?」


 唖然として、思わず間抜けな声を漏らす愛。そうなるのも無理はなく、先程まで上空に居たはずの愛は、瞬きをした直後、いつの間にか地上に戻っていたのである。


「いつからそこに?」


 唖然としているのは愛だけではない。九十九もちりも、突然地上に姿を現した愛に対して目を丸くしていた。ちなみにその様子を遠くから見ていた鮫島も口をあんぐりと開けて呆然としている。


「あれ? 私、地上に……?」


「……なるほど。まるで時空が捻れて、ループしているみたいに……か」


 今の愛の様子と土御門の証言を照らし合わせ、ちりは合点がいったように低く唸っていた。


「異能には座標そのものを対象としてその効果を自動発動させるものがある。この現象が異能なら、特定の座標に物体が通過した瞬間、それをスタート地点に送り返す効果が働いたんだ。樹海の奥、空の上、トンネルの中……他にもまだあるかもしれねェ。閉じ込められてるッてのも強ち間違いじゃないな」


 どうやら近道ズルは出来そうにも無いらしい。愛は些か肩を落とすが、すぐに気を取り直して顔を前に向ける。


「ですが、この場所の全体像は把握できました。確かにこの場所は周囲を樹海に囲まれています。あの方達の証言通り、『きさらぎ駅』以外の駅も見当たりませんでした。あと気になったのは……」


 愛は翼を引っ込めながら、その指で再び上空――山の頂上を差した。


「あの山。どうやら頂上が開けた場所になっていて、そこに……」


「何かあったの?」


「いえ。確認する前に戻されてしまいました。地上から行くしか無さそうです」


「……アイツら、何か知ってるかもな」


 土御門達は脱出の手掛かりを探しに山の方へ出かけていたとも証言している。恐らくはその頂上付近にも行っているはずだと踏んだちりは、その視線を改めて集落の空き家へと向けていた。


「山のことだけじゃない。何が手掛かりになるかわかんねーからな、関係無さそうな話でも色々聞き出しておいて損は無いかもしれん」


「そうですね。ではこの場所を調べるついで、彼らから個別に話を伺ってみましょうか」


「うん。異議なし」


 こうして愛達もまた、それぞれが別の空き家に向かって歩き出したのだった。


 ◆


 愛が選んだ空き家は、外見通り何の変哲もない一戸建ての一般住宅だった。玄関から入って木の廊下を進むと、キッチンとリビングの一体フロアに出る。窓から入る月光に照らされたそこに、片岡が居た。


 果たしてどこから探し当てたのか、それとも隠し持っていたのか、片岡がその人差し指と中指の間で揺らめかせていたのはタバコの煙であった。彼女はリビングのソファに腰掛けて、悠々と煙を吹かしていたのである。


「土御門くんには内緒にしてねえ?」


 調査をサボってそんなことをしている様子を愛に見つかった片岡は、誤魔化す素振りも見せず、八重歯をちらりと見せながらイタズラに微笑むのだった。


「ふふ。ほんで、うちのところに来てくれたん? 嬉しいわあ」


「……嬉しい? なぜですか?」


「そりゃ嬉しいよお。愛ちゃん、えらいべっぴんさんやんかあ。一目見た時から、ええなあって、思っとったんよお」


 糸のように細い片岡の目が、愛の姿をまじまじと見つめている。その瞬間、片岡という女の内に秘めた何か、よこしまな思惑が垣間見えたのだろう。愛の眉間は自然と皺を寄せていた。


「うち、愛ちゃんと仲良うなりたいなあ。愛ちゃんもそう思って、うちを選んでくれたんやろお?」


「違います。それに私、彼女コイビトがいますので」


 悪魔のような誘いに、愛は即答で拒絶する。そもそも愛が片岡の居る空き家を選んだのは偶然である。誰がどこの家に入ったのかを愛は覚えていなかったし興味も無かった。でも個別に話を聞く必要が出てきたので、適当に入った家に片岡が居たというだけの話だ。


「あれえっ、そうなん? まあでも、そりゃそうかあ。残念」


 大袈裟に肩を落としてみせる片岡だったが、まるでダメージは受けていないように見えた。


「こんな状況で、随分と余裕そうですね」


「まあねえ。うち、元の世界でもテキトーに生きとったからねえ。住む場所も転々としとったし、怖ぁい人らに追いかけ回されたりもしょっちゅうで……ある意味こういう状況には、他の子たちより慣れてるのかもねえ」


「元の世界でどんな生活をしてきたんですか貴女は……」


 顔の良い女と見るや否や、たとえ相手が怪物であろうと構わずにアプローチを仕掛けるあたり、ろくな人間でないことは確かなようだった。少なくとも、愛の好みとは正反対の貞操観念タイプのようである。


「それじゃあ、死ぬのは怖くないってことですか?」


「いやいや、そりゃあ死ぬのは怖いし、元の世界に帰りたいとも思っとるんよ? まあ、でもねえ……」


 一息置くように、タバコを唇に差し込んで――やがてその隙間から、ゆっくりと白い煙が吐き出される。


「……愛ちゃんは正直、どう思う? ほんまに元の世界……帰れると思う?」


 糸目から僅かに覗く黒い瞳が、窓の外の白い月を物憂げに眺めていた。


「諦めてるんですか?」


「うちらかてこの二日間……いや、もう三日目やねえ。何もぼうっと過ごしてきたわけやないんよお。うちらなりに、色々がんばってきたつもり。土御門くんはああ言っとったけど……今更新しい発見があるとは思えんのよねえ……」


 テーブルの上にぼとり落ちる吸い殻には目もくれず、片岡の言葉は煙と共に吐き出される。その声色はどこか疲れを感じさせるものだった。


「それにまあ、ヒトは死ぬ時は死ぬしねえ。ここが死に場所になったとしても、それはそれでしょうがないよなあってねえ」


 それは事実上、諦めの言葉だった。片岡だけではない。誰もが心の中でそう思っているが、口に出さないようにしているのだ。

 それでも現状に絶望し切っているわけではない。発狂することもなく、諦めない素振りが出来ているだけでも、彼ら五人はある種奇跡のような集まりだと言える。


「……せやからお嬢ちゃんらも、無理してうちらに付き合わんでええよお?」


 そんな中で片岡は、誰よりも一歩先に絶望へ片足を突っ込んでいるようだった。


「うちらはこれ以上有益な情報は何も持ってない。そんなうちらとお嬢ちゃんらが手を組むメリットなんかないやん? 無理矢理に言うことを聞かせる必要すら無いくらい、うちらは足手まといでしかないやろ? なんで一緒に居てくれるんかなあ?」


 片岡は心底不思議そうに首を傾げる。実際、片岡の言う通りである。彼ら人間組からしてみても、愛達怪異組が手を貸してくれる理由もメリットも皆無と言ってよかった。


「……このまま人間あなた達を、こんな場所に放ってはおけない。誰も死なせたくない……というのが九十九さんの方針で、私達はそれに従っているだけです。あなた達は九十九さんに感謝するべきですよ」


 しかしそれは先に話し合った通り――つまるところ、気持ちの問題なのである。

 そしてその返答があまりに予想外だったのか、片岡は細い目をまん丸に見開かせていた。


「えぇ~……? それは、なんていうか……お人好しすぎん? いや、うちらとしてはありがたいんやけども……」


「まったくです……まぁ、そこが彼女の美点でもあるのですが……」


 ぶつぶつと愚痴を呟き始める愛だが、その表情は決して不満げなものではなく、むしろどこか嬉しそうな。頬も若干赤みがかっていて――


「へえ?」


 それを見逃す片岡ではなかった。にやりと邪悪に微笑んで、傍に佇む愛に上半身をぐいっと近付ける。


「九十九ちゃん、やっけ? たぶん、あの黒い子やんな? どんな子なん? 話、聞くよお?」


「…………まあいいでしょう。そもそも九十九さんという方はですねぇ……――」


 片岡の口車にまんまと乗せられてしまう愛。調査をするという目的を忘れ、片岡のサボリに意図せず付き合ってしまうのだった。


 みんなも悪い年上のお姉さんには気をつけよう。


 ◆


「えっとー……それで、あたしの所に来たカンジ……? ですかー……?」


「うん」


 九十九が入った空き家は一般的な民家とは異なり、扉の無い開け放たれた其処は六畳半程度の狭い空間で。そこら中に設置された棚の上には、菓子や飴が包まれていたであろうチリ紙が散乱している有様である。

 其処はいわゆる駄菓子屋にあたるのだが、九十九は駄菓子の存在など当然知る由もない。其処がどんな施設なのか解らないまま入り、そこで棚を物色し食べられそうな駄菓子を探していた蒼井に声を掛けたわけである。


「えぇー……でもあたし、役に立ちそうなことなんてホント何も知らないですよー……?」


「大丈夫。蒼井のことが知りたいだけだから」


「えぇー……」


 蒼井は困ったような表情を浮かべ、両手で自分の長い髪を梳かしている。棚の上に腰を預ける彼女に近寄り、九十九もまたその隣に腰掛けた。


「あたしの何を知りたいんすか……?」


「うーん……それじゃあまずは、それ」


 あからさまに警戒している蒼井だが、それに臆すること無く九十九は軽やかに口を開く。


「その服。愛も着てたけど、現世で流行ってるの?」


「……はえ?」


 あまりにも予想外、それでいて拍子抜けするような質問に、蒼井は思わず間抜けな声を上げてしまうのだった。


「いや流行ってるっていうか……ガッコの制服だし、フツーに」


「学校のヒトは、みんなそれ着てるってこと?」


「うん、まあ、大体は……? ていうか、あなたも着てるじゃん、それ……」


「ああこれ、拾ったやつだから」


「えぇー……?」


 反応に困っている蒼井を他所に、自ら羽織っている学ランを得意げな顔で見せつける九十九。この時点で既に蒼井は九十九のペースに呑まれてしまったようである。


「ところで、学校ってどんなところなの?」


「あ、え……もしかして行ったことない、とか……?」


「うん。だから興味あって」


「へぇー……」


 なんとなくワケありなのかな、とか。そんなことを考えながら、立て続けの質問に対し、蒼井は律儀にも答えを返そうと頭をひねっていた。


「学校は……勉強するトコ、かなー……?」


「何を勉強するの?」


「まぁ……色々?」


「蒼井は、勉強好き?」


「……いやー。どっちかっていうと、苦手、かなー……」


「苦手なのに、学校行ってるの?」


「え、そりゃギムキョーイクだし……まぁ、仕方なくっていうか……?」


「学校、楽しくないの?」


 瞬間、蒼井の脳裏に過ぎる元の世界での記憶。平凡で、退屈な、極々普通の――離し難い、学校での日常風景。


「……んなこたーないよ。フツーに楽しいよ、友達もいるし……てか、友達に会いに行ってるようなもんだね」


「友達か。いいね」


 そんな日常から離れて、三日目。ヒトより図太い性格を自負している蒼井だったが、そんな彼女でもこの状況は流石に堪えていた。


「……今頃みんな、心配してるだろーな」


 途端に元気を失い、表情に影を落とす蒼井。目元がじんわり熱くなる。


「大丈夫」


 しかし蒼井の頬に涙が伝うことはなく――肩に伸し掛かった掌の重みに彼女が顔を上げると、こちらを覗き込んでいる凪いだような赤い瞳がそこにあった。


「私達が絶対、元の世界に返してあげるから。安心して」


 その優しい声色に、穏やかな微笑みに、蒼井は言葉を失い、目を奪われる。誰もが疑心暗鬼に陥っているこの状況で、この芥川九十九という少女は愚直な程に透き通っていた。

 その言葉に、きっと根拠は無いのだろう。それでも、そんな綺麗事を真っ直ぐ口にしてくれる。その純粋さは暗い闇の底でこそ、一際光って見えるのだ。


「だから蒼井の話、もっと私に聞かせてほしい。何が手掛かりになるか解らないって、ちりも言ってたし――」


「――……そ、そら」


「え?」


 その光は、恐怖に侵された心を開かせるには充分で――


「そらって、言います。ジブン。下の名前……」


 詰まる所、吊り橋効果。ときめいてしまったわけである。


「そっか。じゃあ、そらの好きなものってなに?」


 暗かった表情から一転、どこか赤みを帯びた頬を自分の横髪で隠し始める蒼井だったが、そんな彼女の些細な変化に対し芥川九十九はあまりにも鈍感で。すぐさま気を取り直し、早速次の質問を投げかけていた。


「……アニメとか、マンガとか…………配信、とか……」


「配信?」


「あ、いや……あ、あたしのことばっかじゃなくてっ、あなたは? 無いの? 好きなものとかっ」


「私? 愛とちりかな」


「え、即答……あー……一緒に旅してるとかいう、あの二人?」


「うん」


「ふーん……」


 ほんの数秒前に芽生えた蒼井の淡い恋心は、ほんの数秒後のこの瞬間に見事撃沈した。蒼井は面白くなさそうに唇の先を尖らせて、指先で自分の髪を弄りだす。


「……どっちが一番好きなの? 選ぶとしたら」


 ならばと、意地悪な質問をしてみるが――


「どっちもかなぁ」


 しかし、これである。


「えぇー!? どっちか選んでよ!」


「選べないなぁ」


「えぇー……?」


「だって、どっちも好きだし……仕方ないよね」


 優柔不断というよりは、本当に選べないくらい、どちらのことも大切なのだろう――それが見て解ってしまうほどの柔らかな微笑に、蒼井は思わず天を仰いでいた。


「(わかった……女誑しだこの人……いやていうか……そもそもさあ……っ!)」


 呆れているのは自分自身に対して。真っ赤になった自分の顔を掌で覆い隠す。芥川九十九は天然で、これまでもこんな甘い台詞を自分以外の誰かにも言ってきたのだろうと、蒼井は心の中で解っていた。解ってはいたのだ。


「(なんでこの人、こんなに顔が良いわけ!?)」


 しかしその程度で吊り橋効果が終わってしまうほど、芥川九十九という女の容姿は並大抵の美しさではなかった。


「(ちょっと整い過ぎててもはや人間離れしてない!? いや人間じゃないのか! 怪異なんだっけ!? それなら納得!! 納得!?)」


 蒼井そらはオタクである。それも顔の良い女に目が無く、推しの配信者を生涯追い続けるタイプのオタクであった。


「(いやでも、流石にあたしの最推しの暁星あきらちゃんと比べたら…………いや待て、間近でよく見ると…………もしかして、結構良い勝負、か…………ッ!?)」


 などと心の中で叫びつつ、指の隙間からチラチラと、九十九の顔面に視線を向ける蒼井オタク


「あ、待って」


 そんな彼女へ、不意に――九十九が手を伸ばす。


「えっ――」


 不意に、九十九の右手が蒼井の横髪を梳く。その指の感触を頭皮で僅かに感じて、顔がすぐ目の前にまで迫って、何が起きたのか解らなくて、蒼井がその場で硬直していると――


「なんか、髪に付いてたよ」


 それは芋けんぴだった。どうやら駄菓子屋の棚を物色していた際、偶然にも髪に引っ付いてしまったらしい。九十九はそれを指先で摘んで取ると、蒼井の前に掲げてみせる。


「う、わ――」


 まるで少女漫画のワンシーンのようなシチュエーションに直面して、オタク、天を仰ぐ。


「(暁星あきらちゃん助けてッ!! あたしこの女のことマジで好きになっちゃうッ!!)」


 沼に突っ込んだ片足が抜けなくなったような心境で、どこにも届かない助けを叫ぶのだった。


 ◆


 土御門が、そして一ノ瀬ちりが入ったその空き家は、病院施設だった。しかし施設としての規模はかなり小さく、正確には診療所と呼ぶべきだろう。

 建物内はかなり荒れており、コンクリートの壁や地面はそこら中が捲り上がっていて植物が根ざしている。廃墟同然だが、むしろそんな状態だからこそ、傷ついた壁の隙間から月光が多く射し込まれ、灯りが無くとも周囲を見渡すには充分だった。


「……病院なんてもんがあるとはな。ちらっと見えたが酒屋や駄菓子屋なんかもあったし、此処は集落っつうより、村って呼んだ方が正確かもな」


「そうだね。実際、こんな資料も残っている」


 そんな施設の最奥に位置する診察室にあたる場所で、ちりと土御門は向かい合っている。

 土御門から手渡されたのは、数枚のA4用紙だった。場所のことを思えば患者のカルテのような物なのかもしれない。しかし見つけた時から既にそうだったのだろう、それは汚水にでも浸かっていたかのように全体が浅黒く変色していて、書かれた内容も文字が滲んでおり殆ど正確に読み取れそうにはなかった。


「ここの部分だ。文字が潰れていて正確には読み取れないが……恐らくは住所が記載されている。例えば『オ』と読めるこの部分は『村』という漢字の左部分に相当しそうじゃないか?」


「此処に村としての名前があったってことか」


「その名前さえ解れば、ともすれば此処が日本のどこなのかも解るかもしれない……と、最初はそう思っていたのだが。こうなってくると、あまり意味は無いかな……」


 土御門は自身の坊主頭を撫でながら、ばつの悪そうな表情を浮かべている。資料が解読出来なかったのもそうだが、そもそも名前が解ったところで場所の特定には至らないだろうという諦めをどこか感じさせられるようだった。


「いや、名前は重要だ。意味の無い物に名前は付けないだろ。そしてオレ達が欲しいのはそういう情報だ。何でもいい、アンタ個人が気になったことは何でも共有してくれ」


 そんな土御門をフォローするつもりは正直特に無かったのだが、珍しく前向きな言葉を放つちり。視線を交わすことなく、その赤い目は手元の資料にのみ注がれている。


「……そう言って貰えると、これまでの調査が無駄ではなかったようで報われるよ」


 不甲斐ない自身を恥じるように、土御門の微笑はやはりどこかぎこちないものだった。


「しかし、他に気になる事か……何かあったかな……」


 その場で腕を組み考え込む土御門。その一方でちりもまた気難しそうに眉をひそめ資料と睨み合っている。


「(『オ』の前に続いてる単語は……形と大きさ的に片仮名か、あるいはそれらが組み合わさった漢字か……数は二つか三つくらいだな。しかしこの文字の潰れ方……いや滲み方か。雨ざらしにでもなってたのかね……)」


 責任感の強さという点においてはある意味似た者同士なのかもしれない二人。沈黙を両者気にも留めず考え事に耽っていた。


「……ああ、そうだ」


 先に意識を現実へと戻したのは土御門の方だった。ふと何か思い至ったように顔を上げ、その足で自身の背後に位置する壁へと近付いていく。


「あの山の頂上には、()があったんだ」


「……箱?」


 愛が確認出来なかった山の頂上の景色。その正体について、後で問いただそうと思っていた矢先。早くも土御門の口からその答えが飛び出して、ちりは咄嗟にその単語を反復していた。


「あの頂上付近は周囲を2メートル近い鉄柵に囲まれていてね。出入り口のような扉は無く、柵の網目には部分的に有刺鉄線が張り巡らされていた。我々は車から降り、有刺鉄線に気を付けながら柵をよじ登ることで、どうにか中に侵入することが出来たんだ」


 慎重に思い出しながら、土御門は窓から外の景色を覗き込む。その視線の先は当然、あの山に向けられていた。


「(最初の一文字目、片仮名のヨに似ている……が、よく見ると向きが逆だな……ってことは……『()』か? 『巨』……するとその後に続くコイツは……んん……さっぱり解らん。いや、ここまできたら後は連想ゲームだ。形が似ていて、かつ当てはまりそうな文字……例えば……)」


 ちりはその話を聞きつつ、依然その視線と意識は資料へと注がれていた。そんな彼女に構わず土御門は続けざまに口を開く。


「そうして辿り着いた先に、箱があった。賽銭箱のような形状で、錆だらけの大きな箱だったよ。私が気になったのは……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 土御門の語り口は淡々としたものだったが、その内容は徐々に不穏を帯びていくようだった。


「あんな異様な光景は見たことがなかった。他の皆は怖がってしまってね、結局私ひとりで箱の中を調査することになったんだが……何も無かった。箱の中には何も入っていなかったんだ。だから……異常無しと判断して、我々はすぐに山を降りた」


 会話の狭間、部屋の中の光量が徐々に落ちていく。土御門の見上げる黒い空では灰色の雲が風に流されて、白い月を覆い隠しつつあった。


「でも、今にして思い返してみれば……そんなことがありえるだろうか? あんな物があった場所で、それ以上何も無いなんて。私は何かを見落としていたのかもしれない。無意識に何かを恐れて、見ないようにしていたのかもしれない……そう思ったんだ」


「(……イン………………トウ…………)」


 土御門の話に耳を傾けながら、並列に思考する。資料からは既に目を離し、ちりもまた窓の方へ顔を上げていた。


「だから今日は君達と出会う前、我々は山の方へ再度調査に向かおうとしていたんだよ。この後休憩を挟んだら、早速そこへ案内を――」


 土御門の言葉は、そんな中途半端なところで唐突に打ち切られた。無論、ちりがそれを遮ったわけではない。脈絡も無く、彼はそこで口を閉ざしていた。


「(……キョトウ……オ……?)」


 そんな土御門の異変に気付くのが遅れたのは、その時ちょうど、ちりもまた自身の思考に一つの決着をつけていたからである。

 巨頭オ、あるいは巨頭村か。その文字の並びが、ちりにはどこかしっくり来るものがあった。


「…………ん?」


 数秒の沈黙が続いて、そこでようやくちりは土御門が急に黙ってしまった事に気が付いたのだった。


「どうした? 話ならちゃんと聞いてたぜ。案内よろしくな」


「……………………」


 ちりの声に、土御門は無反応。ちりに対して完全に背を向け、まるで呆然と窓の外を眺めているようだった。

 ちりの目付きが変わる。異変を悟り、咄嗟に周囲へ視線を走らせる。病院内に先程までと変わったところは見られない。

 強いて言うならば、窓から射し込む月の光の量が先程からやけに少なくて、部屋の中の薄暗さが増していることと――


「……あ? なんだこの……()……?」


 いつからだろうか、耳を澄ますと遠くから聞こえてくる――()()()()()()()

 どん、どん、どん、と。それが鳴るたび、微かに地面が揺れていることに、ちりは気が付く。


「……………………()()()()()()


 そんな状況で土御門は、唖然としたように声を震わせる。そんな彼自身の異変にも、ちりは遅れて気が付いていた。彼は漠然と窓の外を眺めていたのではなく――山の頂上よりも更に上空を()()()()()()のだ。


「おい……()()()()()()……ッ!?」


 ちりはすぐさま駆け出した。窓の前で呆然と突っ立っている土御門の体を退かそうと、勢いよくその手を伸ばしながら――


 しかし、ちりの手が土御門の肩に触れるよりも早く、彼は振り返っていた。その顔からは血の気が引いていて、瞳孔は完全に開き切っていて――


「――――逃げろおおおおおおオオオオオオオオッ!!」


 突如として発せられた彼の叫び声が、病院はおろか村中へと響き渡る――直後。一際大きな地震と共に、瞬く間に天井が崩壊した。


 逃げ出す暇など当然あるわけもなく――土御門と一ノ瀬ちりは瓦礫によって、その場に圧し潰されたのである。

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