■■地獄 4
「改めて、まずは我々の方から自己紹介をしよう」
荷台から降ろしてきた缶詰食品を人数分配り終え、切り株を椅子代わりにして各々が腰を落ち着けたところで――早速、土御門が口火を切る。
「私は土御門。元の世界では住職をしている」
土御門。地蔵のような坊主頭に、紺色の浴衣姿というその風貌は、言われてみれば確かに住職の出で立ちを彷彿とさせる。外見だけで年齢を判別するならば、若くとも四十代中頃といったところだろうか。その落ち着いた物腰と精悍な顔付きは、彼がこれまで潜ってきた修羅場の数をどこか想わせるようだった。
「えっと……改めまして、葉山です。さっきはごめんなさいね? 色々と混乱しちゃって……で、でも、これから力を合わせて、がんばりましょうね……!」
葉山。外見の年齢は二十代後半から三十代前半。黒髪のショートカット、パンツスタイルのビジネススーツを着ている。おっかなびっくりといった様子ではあるものの、愛達との交流に前向きなあたり、どこか芯の強さが窺える女性である。
「片岡ですう。よろしゅうねえ」
片岡。茶髪のウルフカット、左耳の軟骨を貫く十字架のインダストリアルピアスが一本。緑のリブニットに黒のタイトスカートを着こなした、関西圏の訛りが特徴的な女性。外見だけなら二十代後半から三十代前半ほどに映るが、その大人びた雰囲気からして実年齢はもっと高いのかもしれない。微笑むとまるで閉じているように見えるほど細い両目が、どこか妖しげで艷やかだった。
「……蒼井っていいます。よろしくでーす……」
蒼井。若干青みがかった黒い長髪、学生服の上から黒色のブレザーを羽織った少女。他の者達と比べて明らかに幼く見える。生前の黄昏愛と同い年かそれ以下だろう。どこか気怠げな雰囲気で、さほど物怖じせず素直に言葉を口にするタイプのようだ。
「ほら、鮫島くん。挨拶しなよー」
「うっ……」
そして次は鮫島の番なのだが、しかし彼はどこかばつの悪そうな表情を浮かべ言い淀んでいた。そんな彼に蒼井は容赦なく発破をかける。
「お……俺は、鮫島だ。あー……えっと……さっきは、悪かったな。怒鳴っちまって……その、ビビっちゃってさぁ……いや、正直今でもまだ怖いんだけど……」
どうやら好奇心も落ち着いて、ようやく冷静になったらしい。自らの言動を顧みる余裕が生まれたのか、再び恐怖がぶり返してきたのか、口を開いた彼は愛達に対し気まずそうな反応を示していた。
「と、とにかく……これから仲良くしようぜ? な? ……頼むから取って食ったりしないでくれよ!?」
「うわー……そういうこと言うー……?」
「ホラー映画だと真っ先に犠牲になるタイプやねえ」
「片岡ちゃん!? 今の状況でそれはマジ洒落になってねえから!?」
鮫島。金色の短髪、日に焼けた肌、そして橙色のつなぎを着ているという、外見だけなら強面な印象のある彼だが、どうやら人一倍臆病なようである。女性陣から容赦なくツッコミを入れられる鮫島は諂うような苦笑いを浮かべていた。
「で、でもさぁ! やっぱ土御門の兄さんは肝が据わってるよなぁ……寺生まれだからかな? 寺生まれってスゲェよなぁ……!」
「寺生まれは関係無いと思うがね……」
露骨に話を逸らそうとする鮫島を呆れるように頭を振る土御門。
こうして彼らの自己紹介は終わり――
「さて……では早速だが、教えてもらえるかい? 君達のことを」
土御門の促すような視線を受け、愛達もまた口を開くのだった。
◆
「…………なるほど。人間は死んだら地獄と呼ばれる異世界に落とされて、そこで特異な能力を持つ不死の怪物に転生する……それが君達、怪異と呼ばれる存在……か」
愛達の自己紹介はパーソナルな情報を避けた、極めて簡潔なもので済ませた。実際、彼らにとっても必要としている情報はそんな事では無いだろう。
人間が死後に転生する異世界、通称「地獄」と呼ばれる其処は八つの階層に分かれていること。そこに棲む人間の成れの果て、通称「怪異」と呼ばれる存在のこと。そして怪異が持つ特殊な能力「異能」のこと――
異世界において前提となる最低限の知識、そして愛達がこの第四階層と目される場所に辿り着いた経緯を彼らと共有したのだった。
ともすれば荒唐無稽な絵空事にも聞こえるそれを、彼らは辛うじて呑み込めたようである。戸惑いの表情を浮かべることはあっても、愛の説明に異議を唱える者はついぞ現れなかった。
特に土御門、彼の理解は他の誰よりも早く的確だった。新たに得た知識と愛達の境遇を踏まえた上で、おもむろに状況を整理し始める。
「……我々がこの場所に閉じ込められたのは、今からおよそ二日前。電車内でうたた寝をしてしまい、目を覚ますと『きさらぎ駅』に着いていた。そこで下車した我々は行動を共にすることとなった」
缶詰の中身の乾パンをつまみつつ、他の者達は土御門の言葉に小さく頷いてみせる。
「厳密に言えば……我々の集まりは当初、葉山くんを除いた四人だった。葉山くんが『きさらぎ駅』にやってきたのはその二十時間後。二日目に我々と合流したんだ」
「そうですね。そして、更にその二十時間後……つまり三日目の今日、今度はあなた達がやってきた……というわけ」
土御門に続いて葉山が捕捉する。どうやら彼ら五人は揃ってこの世界に来たわけではないようで、前日入りと前々日入りの二組に分かれていたらしい。
そして今日、愛達がやってきた。つまり現状、一日おきのペースで新しい人間がこの場所に続々と集まってきているようである。
「我々はこの数日、独自に調査を進めていたが……出口はおろか、我々がこの場所に閉じ込められた理由も、その手口も、正直何も解らなかった。そもそも、犯人に何かを要求されたわけでもないからね……」
「あの……よろしいですか? 先程から気になっていたのですが」
その時、黄昏愛が小さく挙手してみせる。
「貴方達はこの状況を『閉じ込められた』と繰り返し主張していますよね。この場所から『脱出』しようとしていると。明らかに第三者の関与による事件性を確信しているようですが」
それは愛達が彼らに対して覚えた大きな違和感の一つでもあった。彼らは「自ら迷い込んでしまった」のではなく「閉じ込められた」と頻りに口にしている。前者と後者ではその意味合いはまったく異なってくるわけだが、彼らはどこか確信を持って後者を主張していた。
ひとまず彼らと話を合わせる為に敢えて触れずにここまできたが、いよいよもってそこを突っ込むことにしたのだった。
「……閉じ込められたと確信したのは、つい先日のことだ」
土御門は神妙な面持ちのまま口を開く。
「見て解る通り、この場所は周囲を樹海に囲まれている。我々は昨日、この樹海を抜けて新天地を目指そうと試みた。松明の灯りを頼りに、迷わないよう木々に印を付けながら……ひたすらに真っ直ぐ進んでいった」
語る土御門の背後、きさらぎ駅の線路の向こう側に聳え立つ森林に愛達は視線を向ける。天にまで届き得る深緑が星の光を通さぬ程に隙間なく大地に根ざし、そこにはただ暗闇だけが広がっていた。
「けれど……戻ってきてしまうんだ、この場所に」
「戻ってきてしまう?」
「ああ……途中で曲がったりもしていない、真っ直ぐ進んでいるはずなのに。何度試してもゴールに辿り着かず、スタート地点に戻ってきてしまう。まるで時空が捻れて、ループしているみたいに……」
樹海を抜けてこの場所から離れようとすると、どういう原理なのか巡り巡ってこの場所に再び戻ってきてしまう。そんな不可解な現象を身をもって体験した彼らは揃いも揃って苦い表情を浮かべていた。
「あのトンネルもそうだ。樹海と同様、真っ直ぐ進み続けてもどういうわけか入り口に再び戻ってきてしまう。現実ではありえない現象だ」
土御門が指差す遥か先、駅から続く線路の先に佇むトンネル。アレも『きさらぎ駅』関連ならば、恐らく『伊佐貫トンネル』なのだろう。そしてそれもまた樹海と同じ現象が働いているという。
この時点で既に、原典となる『きさらぎ駅』とは食い違いが発生しているようだった。
「軽トラで道なりにこの場所を一周してみたのだが、『きさらぎ駅』以外に他の駅やそれに類する出入り口は見当たらなかった。これらの状況を鑑みれば、先の鮫島くんの言う通り――この場所は何者かが用意した仮想空間ないし実験施設で、我々はそこに閉じ込められてしまったと考えるほうが、よほど自然だったんだよ」
どうやら「閉じ込められてしまった」とは比喩でもなんでもないようで、それは先の階層に進みたい愛達にとっても由々しき事態である。
「我々がまだ調査し切れていないのは、現状……あとはもう、あの列車くらいだ。アレに再び乗れさえすれば、もしかしたらこの世界から出られるかもしれない……、いや、トンネルがあんな状態である以上、乗れたところで再び『きさらぎ』に戻ってきてしまうのがオチのような気もするがね」
地獄の階層間を行き来する列車型特異現象、通称『猿夢列車』は、そもそも通常の地獄でも時刻表などは無く、待っていると気まぐれにやってくるという特殊な性質がある。
「そもそもアレは、我々が駅で待機している間は何時間待っても来ないのに、我々が目を離すとその一瞬の隙をまるで狙いすましたように突然やってくる。今日も手掛かりを捜しに山の方へ出かけていたのだが……またもその隙を突かれてね。汽笛に気付き急いで戻ったが、時既に遅し。しかしそこで君達と出会った。そして今に至る、というわけさ」
「……なるほどな」
しかしこの場所に愛や彼らを連れてきた『あの列車』は、どうやら猿夢列車とは異なり待っている時は来ないのに、絶対に乗れないタイミングを狙ってやってくるようである。その点においてもこの場所はやはり異常で、ちりは思わず自然と声を漏らしていた。
「しかし、よく考えてみればこれらの現象も全て……君達が言うところの異能なのかもしれないな……」
「……でも、もしそうなら……この場所は……私達は……やっぱり……っ」
思わず紡ぎかけたその言葉を、葉山は慌てて噤んでいた。しかしみなまで言わずとも、その先の言葉を、可能性を、誰もが脳裏に過ぎらせていた。
仮に全ての現象が異能に因るものならば、裏にはそれを行使している怪異が居るわけで。そんな者が棲んでいる此処は、やはり地獄の第四階層である可能性が高くなる。
しかしそうなると同時に、またひとつの可能性が芽生えてしまう。
地獄とは即ち死後の世界。そんな所に居る自分達は、もしかすると――
「アンタら、本当はもう死んでんじゃねェの?」
――やはり既に死んでいて、怪異の身へと成り果ててしまっているのではないか、という可能性に他ならない。
「う……っ!」
ちりの容赦ない指摘に、葉山の顔は一気に青ざめていく。葉山だけではない、誰もが顔を引きつらせ、しかしその言葉を咄嗟に否定することが出来ないでいた。
だってそれは、地獄なんてものを空想ということにしたかった最大の理由。気付かないうちに死んでいただなんて、あまりにも受け入れ難い可能性である。
「いっ……いやいや! いやいやいやっ! そんなわけねえって!」
まるで悪夢にうなされた直後のような汗だらけの顔で、鮫島が勢いよく声を上げる。
「だって、ほら! 死んで怪異になったら、異能とかいうチカラが手に入るんだよな!? でも俺、そんなもん持ってねーぜ!? だったらよぉ、俺は怪異じゃない、まだ死んでないってことになるよな!?」
鮫島の弁明に対し、尚も釈然としない表情を浮かべている一ノ瀬ちり。
「そうとも限らねェ。自分の異能を忘れてるだけかもしれないぜ」
怪異になった影響か、生前の死因が関係しているのか、記憶を欠損した状態で地獄に落ちる者は意外と少なくない。黄昏愛がまさにその良い例だろう。
または後天的に、何らかの外的要因によって――あるいは単純な記憶力の劣化によって、自身の異能や怪異としての真名すら忘れてしまう者もいる。開闢王がその例に当てはまる。
「いや、異能だけじゃねェな。ちゃんと覚えてンのか? 自分自身のこと」
「お、覚えてるよ! 覚えてるに決まってる!」
ここにきて尋問のような雰囲気を出すちりに対し、皆の視線が一斉に集まる。
「そもそも、アンタら元の世界で面識は無かったのか?」
「……ああ。それについては初日と二日目に確認済みだよ。全員面識は無く初対面だった。聞けば住んでいる場所も違ったし、そもそも電車に乗った時間帯もバラバラだったよ」
「そうだぜ。ちなみに俺は東京生まれ東京育ち。蒼井ちゃんは千葉だったよな? 葉山ちゃんは静岡で、片岡ちゃんは大阪、土御門さんは京都っすよね」
「ああ。でも、まぁ……確かに。直前まで電車に乗っていたという事実と、全員が日本人であること、それに住んでいる場所も違うとは言えそれ程遠く離れているわけでもない。そういう意味では共通点が無いわけではないが……」
「そうかい。それじゃあ――」
揺れる焚き火の焔より、色濃い赤の髪の少女。獣の如く八重歯を剥き出して、その濁った赤い瞳が前方、土御門の姿を捉える。
「アンタら、いつの時代から来た?」
そうして唐突に投げかけられた彼女の問いかけに対し――
「――――…………」
土御門の口は続く言葉を失っていた。
「オレの享年は1997年だ。そこのそいつは2017年。九十九は知らん、本人が覚えてねェからな。とにかく――地獄って場所は現世とは時間の流れが異なるんだよ。死んだ順に落ちるわけじゃねェ、時代を超えて無作為に蒐集される。そういう仕組みだ」
言葉による駆け引きをまったくしないのが黄昏愛のやり方なら、先回りして相手の言葉を潰していくのが一ノ瀬ちりのやり方である。
「だからアンタらはどうなのかと思ってな。まさか覚えてない訳ねェよな?」
彼女に隠し事の類いはおよそ通用しない。その嗅覚は些細な違和感をも逃さない。どんな状況でも冷静に俯瞰出来る判断力と思考の速さが彼女の最大の武器であるとも言える。
見た目以上の老獪であり怪物である赤い少女、その本性を聡明さ故に悟ってしまったのか、土御門は人知れず鳥肌を立たせていた。
「……ああ、せやねえ。いい機会やし……それについてはもう一度、ちゃんと話し合うべきかもねえ」
ここにきて、土御門に代わり声を上げたのは片岡だった。糸のように細く開かれた眼は焚かれた炎を見つめている。
「たぶん、お嬢ちゃんの思っとる通り。うちらねえ、元の世界で生きた時代が全員バラバラみたいなんよ」
そうして焚べるように投げ掛けられたその言葉は、ちりの疑心を裏付けるものだった。
「うちの居た時代は2017年やってんけど、土御門くんはたしか、2008年やったねえ? ほんで、葉山ちゃんは2011年で、鮫島くんは2019年、蒼井ちゃんは2022年……」
「……そう、俄には信じ難い事だが。我々は我々で、みな異なる時代の人間だということになる」
つまり彼らは時代を超えて無作為に、この場所へ集まったということになる。その境遇は正しく、地獄の仕組みそのものだった。
「なにかの間違いやと思っとったんやけどねえ。証明のしようもないし。記憶が混濁してる可能性だってあったから……前に話し合った時は結局答えも出んまま、ここまで棚上げにしてきたんやけど……」
「……証明出来る物、何も持ってないんですか? スマホとか」
「この場所に来た時点で、気付いたらスマホも財布も手元から無くなってたんよ。辛うじて土御門くんの腕時計だけは残っとったから、それで時間を把握することは出来たんやけどねえ。……でも、ここが地獄でうちらは怪異なのだとすると……色々と辻褄が合ってしまうねえ……」
「…………か、怪異なのか? 俺……もう死んじゃってんのか?」
愛と片岡のやり取りにまた怯え始める鮫島。そんな彼の隣でブレザーの少女、蒼井が小さく溜息を漏らしていた。
「いや、でもさー? 仮に怪異だとしても……なんでそのこと全部忘れて、あたし達こんな所に居るのーってならない?」
蒼井の言うことは尤もで、そもそもの疑問として彼らがこの場所に居る意味が解らないというのはある。それがあまりにも不気味で、不可解で、だからこそ愛達は彼らのことを今でも警戒し続けているわけなのだが。
「そもそも木とか草とかフツー生えないんでしょ? 地獄って。じゃあここ、地獄じゃないんじゃない? 常識的に考えて」
「じゃッ、じゃあやっぱり、俺ら怪異じゃないッ! まだ死んでないんだよ!」
「ほな逆に、もし怪異じゃないなら……うちら、なんの異能も持ってない状態で異世界に来てしもた事になるんかなあ? 初めての異世界転移としては、ちょっとハードモードすぎるねえ……」
「そんなことがありえるの……? 私たち、本当に……今でもちゃんと人間なのかしら……」
議論に熱が帯び始めていく。情報が出揃い現状を把握することは出来たが、しかしやはりというべきか、問題の解決にまでは至らなかった。それどころか、無闇な憶測は更なる混乱へと発展しかねない。
「なんだか……堂々巡りになってきましたね」
そう囁きながら、愛はちりへと目配せをする。それを受けてちりがわざとらしく咳払いをしてみせ、再び彼らの注目を集めた。
「アンタらが怪異だとしても、そうじゃないとしても、だ。今重要なのはそこじゃない。問題はこの場所から出られるかどうかだ」
「そうです。いずれにせよ、こんな場所にいつまでも居られない――私達は出口を探します。協力していただけませんか?」
問題の要はこの場所そのものである。この場所を攻略することさえ出来れば、自ずと他の問題も解決に繋がるだろう。
「でも、出口は無いって……」
「……いや。我々が見逃している事でも、彼女達なら何か気付ける事があるかもしれない。最初から私はそれに賭けるつもりでいた」
空になった缶詰を地面に突き刺すように置きながら、土御門が前を向く。
「そういえば、あなた達には時間が無いと言っていましたね」
「ああ……単純に、食糧問題さ。この缶詰は、ほら、あそこに見える……あの集落の空き家から拝借してきた物なんだ」
土御門が集落と呼び指差すそれは、愛達が駅を降りた時点で既に見えていた遥か前方、闇の中に佇む幾つかの民家のことを指していた。
「それも当然、数に限りがある。そうでなくとも、こんな場所で野宿を続けていられる程、我々現代人の忍耐は強くない。わかるだろう?」
どうやら愛達と合流するまでの間、彼らは彼らなりにこの場所で苦労していたようである。彼らの体を闇に慣れた目でよく見てみると至る所に生傷や泥が付着しているのが解った。
「ちょうどいい、まずはあの集落から案内しよう。そろそろ食料を補給したいとも思っていたところだ。皆もそれでいいかな?」
土御門の提案に対し、この期に及んで異を唱える者は流石に誰もおらず、彼らは揃って頷いていた。それを見た愛達もまた、三人で顔を見合わせ頷き合う。
「では、行きましょうか」
そうして愛の一声を皮切りに、焚き火を囲み座り込んでいた彼ら彼女らはおもむろに立ち上がり始めた。
「よろしくお願いします」
「こちらこそ、頼りにさせてもらうよ」
第四階層と推定されるこの場所からの脱出を目指して。愛達怪異組と土御門達(自称)人間組、二つは手を取り合うことと相成ったのである。
◆
これから向かおうとしている集落は、土御門達曰く無人の廃墟であり、廃屋と化した空き家には一部を除き電気や水道は通っていない。しかし人間の住んでいた形跡は残っており、乾パンの缶詰や軽トラック、ライター等もそこから調達したのだそうだ。
しかし、こんな場所にどうしてそんな物が残っているのか? 一体誰がこんな場所に住んでいたのか? どうして今は無人となっているのか――?
考えれば考えるほど薄気味悪さだけが募るその場所を、彼らはひとまず深くは考えないようにして、ただ食料や物資を調達する為だけに利用することにしたのだという。
だが、今は愛達がいる。土御門達が気付かなかったことでも、愛達の目線でなら――怪異の目線でなら、新発見があるかもしれない。
そんな一縷の望みに賭け、彼らは軽トラに乗り込んでいく。運転席に鮫島、助手席に葉山、荷台に土御門と片岡と蒼井。これが彼らの定位置なのだろう。あっという間にいつでも出発できる体制が整っていた。
「……ん?」
運転席に乗りエンジンを吹かしていた鮫島が、ふと窓から顔を覗かせる。
「おーい、なにしてんだ? 嬢ちゃん達も後ろに乗りなよ!」
軽トラに乗る素振りすら見せない愛達三人に、鮫島は不思議そうな表情を浮かべながら声を掛けた。
「ああ、お気遣いなく。私達は――」
愛は涼しげな顔を向け――直後、自身の背中をボコボコと蠢動、隆起させていく。
骨が砕け肉の弾ける音と共に、セーラー服を突き破って現れたのは――巨大な鳥の翼だった。
「――ご覧の通りの怪物ですので」
翼はためかせ、そうして宙を舞う愛の姿に、彼らは揃って言葉を失い釘付けとなっていた。どうやらその異形に彼らが慣れるまで、まだ当分掛かりそうである。
「私たち、後ろから付いてくから。大丈夫」
「うおぉ……マジか……りょ、了解……」
その場でひらひらと手を振り軽やかに言ってのける九十九に、鮫島は唖然としながらもどうにか頷き、顔を引っ込めるのだった。
愛達に構わず、やがて軽トラがゆっくりと動き出す。草原に出来たタイヤ跡の道に沿って真っ直ぐ、彼らを乗せた車輪の行く先は集落へと続いている。
その後方で一定の距離を保ちながら、愛は空を飛び、九十九とちりは走って付いていく。前を走るトラックは時速10km程度出ているが、怪異が本気で走るとそれを悠に超えてしまう。九十九とちりは車間距離を保てる程度の駆け足に留めていた。
「……アイツらの話、まさか丸っきり信じてるわけじゃねェよな?」
その道中、軽トラとの距離を一定に保つことを意識しながら、最初にちりが口火を切る。
「現世から生きたまま地獄に落ちたとか、流石にありえねェわ。いや、仮にそれが真実だとしてもだぜ。どうしてよりにもよってこのタイミングなんだ? オレらが此処に来るのを見計らったようなこのタイミング、偶然にしちゃデキ過ぎだろ。待ち構えていたとしか思えねェ」
声のトーンを落とし、ぼそりぼそりと懸念を口にし始める一ノ瀬ちり。その近くへ九十九と愛は身を寄せ、耳を傍立てる。
「ありゃ十中八九、敵側だ。記憶が無い演技をして、ただの無能力の真似をして、オレ達の寝首を掻こうとしている可能性が高い」
「むしろそっちの方がありがたいですよ。その時は殺せばいいだけなので」
とどのつまり愛達は彼らのことを、やはりどうにも信頼し切れないでいた。
情報を手に入れる為、ここまで話を合わせてはきたが――彼らの言動や境遇は、棚上げするにはあまりにも不可解な点が多すぎるのである。
「ただ、嘘を吐いている自覚が無いという可能性もあります。何者かに記憶を消されたか、行動を遠隔で操作されているのかも」
翼を生やして上空を飛んでいた愛は、やがて地面に足を付けると、今度はその足を飛蝗へと変貌させ、スキップするように大地を跳躍した。ぴょんぴょんと軽やかに跳ねながら、ちりの隣で並走を始める。
「むしろそう考えなければ納得出来ません。吐くならもっとマシな嘘を吐くでしょう」
「確かに記憶操作はあり得る。アイツらにそのつもりがなくとも、オレらを釣る撒き餌として利用されてるのかもな。にしたって不自然過ぎるが……いや、あるいはこうやって混乱させること自体が目的か……」
ちりは気難しそうに唸りながら、走る速度を徐々に落としていく。額に浮き上がった汗をスカジャンの袖で軽く拭いながら、その赤い瞳孔を前方の軽トラへと向ける。
「とにかく、オレらは先に進めさえすりゃあいい。アイツらと必要以上に関わることは無い。適当な頃合いでさっさと離れちまうのがベストだ」
ちりの提案は極めて妥当なものだった。敢えて結んだ協力関係だが、まさかいつまでも続けるわけにはいかないだろう。どうせ裏切られるのなら、最小限の被害に留まる早期の内がベスト。当然の帰結である――
「でも、本当に現世から生きたまま地獄に来た可能性も、あるんだよね?」
その当然を受け入れられないのが、芥川九十九という人間だった。
「いや……そりゃあ……アイツらの話を丸ごと鵜呑みにするなら、そうなるけどよ……」
「もし本当にそうなら、このままこんな場所に放ってはおけないよ。脱出するなら全員でしたい」
その凪いだ赤い瞳が、一ノ瀬ちりの赤と交差する。数秒の沈黙の後、堪らずちりは溜息を吐いていた。
「……仮に、仮にだ。マジに生きた人間だったとしても。それならそれでアイツら結局、死んでも地獄に落ちて怪異に転生するだけだぜ。そういう意味でも、アイツらを助けるメリットは皆無だ」
「でも、純粋な人間としては最初で最後の人生なんでしょ。あの人達にとってはたった一つの命なんだ。私もそうだから解るよ。まだ死にたくないはずだ。まだ死ぬには早い。だから死ぬのが怖い。きっとそうなんだ」
芥川九十九の命は一つしかない、人間と同じように。たった一つしかない命を間違っても失わないよう努める困難を、芥川九十九はよく知っている。
永遠の命を持つ怪異ならばそのあたりの感覚は麻痺してしまう。しかしある種新鮮と言って良いその感覚を、九十九は怪異として生きた二百年間、片時も忘れたことは無かった。
「だったら、死なせない。死なせたくない。私の目に見える範囲で、死にたくないと願う人達のことを、私は放っておけない。……だめかな?」
例え彼らが怪異だとしても、九十九は同じ選択をしただろう。助けを求める者には問答無用で救いの手を差し伸べる。その在り方を『王』として求められた芥川九十九だったが、そもそも王でなくとも、彼女は元来よりそういう生き方しか出来ない。
どうしようもない、お人好し。
「……そうですね。敵だと確定するまでは同行を許しても差し支えないでしょう。何かの役に立つかもしれませんし」
ちりの走るペースに合わせ、飛蝗だった両脚を再びヒトの形へと戻しながら――愛は九十九の提案に頷いてみせる。
「まぁそれに、仮に全く役に立たなくとも、肉壁程度の利用価値はありますよ」
「愛、それはどうかと思う……」
「オレが言うのもなんだが九十九の話ちゃんと聞いてたのかよオマエ……」
実際に等活地獄にて、九十九とちりに旅の同行を許した愛は当初、彼女達を利用しようと目論んでいたわけで。彼女らしい腹黒さだが、ひとまずは九十九と同意見(?)ということらしい。
「……ッたく、お人好しめ……わかったわかった。出れそうなら一緒に出よう。だが当然、それはアイツらが味方だったらの話だ。それが確定するまでは様子見。いいな?」
「うん。ありがとう。ごめんね」
微笑む九十九に勘弁してくれと言わんばかり、一ノ瀬ちりは再び大きく溜息を吐くのだった。
深く深く、息を吐き切って――
「……っ、ふぅ……」
その時、不意にちりの走るペースが一気に落ちた。軽トラとの距離がどんどん開いていき、やがてその足は走ることを止めてしまうのだった。
「ちり?」
突然の失速に驚きの声を上げ、自らも足を止める九十九。愛もまた同様に、ちりに合わせて歩みを止める。
「っ……はぁ……わ、悪い悪い……ちょっと、な……」
「ちり、もう息上がってる? 珍しい……というか……」
九十九の知っている一ノ瀬ちりは、このくらいの距離を走った程度で息切れなんかしない。ちりは自身のことを「弱小怪異」と卑下しがちだが、その身体能力は見た目以上に高く、並の怪異では比較にならない程度にはある。
「……ひょっとして、調子悪い?」
そんな彼女が息を切らしている姿に、九十九は困惑の表情を浮かべていた。
「いや……いやいや、大したことねェよ。酩酊暮らしに、すっかり体が鈍っちまってさ……ッ……悪い、肩貸してくれ」
ちりの視線の先は黄昏愛の姿を捉えている。その赤い視線に込められた意味を、汗が滲み青ざめた表情の理由を、愛はすぐに察していた。著しい体力の低下、血圧の低下は紛れもなく『净罪』の後遺症である。
「……やれやれ、仕方のないひとですね」
それに気が付いた上で、いつもの調子を装う愛。彼女の意を汲んだように、これ見よがしの溜息ひとつ。
「私の肩は安くないですよ。ありがたく思ってください」
「へいへい……」
などと言ってみせながら、愛はちりの左腕を自身の肩に回す――
「あ、待って待って。私も肩貸すよ」
それを見て、今度は九十九が有無も言わさずちりの右腕を取り、自身の肩に回し始めた。
「え? いや九十九はいいって別に……え、ちょっ……」
ちなみに、愛も九十九も女性の平均を悠に超えた高身長である。比べてちりの身長は平均で言えば低くはないが、二人と比べると圧倒的に小柄である。
そんな二人に両脇を抱えられたちりは、あの有名な宇宙人捕獲の写真さながらの状態となり――
「…………」
それどころか足が地面に付かず、ブランコのように宙にぶら下げられる形となっていた。
「よし、行きましょうか!」
「待てやコラ」
そのまま行こうとする愛に当然流されることなく、すぐさまツッコミを入れるちり。
「いいからそういうの。そういう状況じゃないだろ今。な? ちょっと肩貸してくれるだけでいいから……ほら見られてんじゃん。おまえらだって恥ずかしいだろ。ほら」
ちりの目線の先には前方、軽トラの荷台に乗っている彼らの姿があった。特に片岡と蒼井は、まるで謎のポーズを取っているようにも映る愛達のことを、遠くから訝しげに眺めている。
しかしそれを受けた愛と九十九は互いに顔を見合わせ、やがてイタズラな微笑を浮かべ始めるのだった。
「まあまあそう遠慮せず。調子悪いんでしょう?」
「そうだよ、ちり。ここは私たちに任せて」
「あーそうだったオマエらが他人の視線とか気にするわけねーよなッ! ハイハイわかったわかったもう大丈夫ッ! 元気になった元気になった! 歩く歩く自分で歩く!」
「はいはい、病人は大人しくしておいてくださいね~。九十九さん、脚も持っちゃいましょう」
「おっけい」
「ぅおォっ!? 待て待て待てッ!?」
その華奢な体を軽々と担ぎ上げる愛と九十九。ブランコどころかもはや神輿である。
ちりが本調子で無いのを良いことにやりたい放題だが、無論その方がちりにとっても気が楽であろうことを見越しての悪ふざけである。
それはちりも解っているはずだし、本気で嫌がっているわけではない――
「しゅっぱ~つ」
「わ~」
「降ろせバカッッッ!!!」
……ないよね?
「あの怪物ちゃん達、仲ええねえ……」
「緊張感無いなー……」
こんな状況でワイワイガヤガヤと、何やら担いだり担がれたりしている怪物三人組。
その様子を軽トラの荷台から半ば唖然と眺めている片岡と蒼井であった。
そうこうしている間にも、着実に彼女達は向かっていく。最初の目的地、山の麓の無人集落。そこに足を踏み入れようしている。
地獄には本来ありえない生命に満ちた草花も、白い月の正体も、結局は謎のまま――彼女達は深い闇の中を進んでいく。闇雲に、我武者羅に、ひたすら前へと突き進む。
遠く響く太鼓の音色は、未だ彼女達の耳には届かない。