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怪物少女の無双奇譚《フォークロア》  作者: あかなす
第四章 ■■地獄篇
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■■地獄 1

 地獄の階層間を行き来する猿夢列車。時間と空間を超越し、道なき道を往く異常存在。どういう原理で動いているのか、怪異なのか、異能によるものなのか、その正体を知る者はいない。

 そもそもこんなモノに乗って本当に大丈夫なのか、最初は誰もが忌避する存在。しかしそれも、地獄という場所に慣れていく程に、誰もそんなことは気にしなくなっていく。誰もが解らないまま、そういうモノとして受け入れている。

 彼女達もそうだった。最初は恐る恐る乗っていたし、その後も息を潜めるように車内で過ごしていた彼女達も、今となっては現世の交通機関と同じような心構えで利用している始末。すっかり慣れたものである。


 果たして黄昏愛、芥川九十九、そして一ノ瀬ちり。彼女達は地獄の第三階層衆合地獄を抜けて今、第四階層へと向かっている。


「……………………っ!?」


 心臓に杭を刺されたような衝撃に、半ば叩き起こされるような形で――黄昏愛は悪夢から目を醒ました。

 咄嗟に周囲を見渡す。何の変哲も無い、もはや見慣れた車内の風景だ。眠っている間に此処へ運び込まれた後、何事もなく第三階層を抜け、こうして酩酊から目覚めることが出来たようである。

 現状とその安全は確認出来た――にも拘わらず、依然として愛の黒い瞳は虚空を彷徨い続けている。全身から血の気が引いたような息苦しさ。滲み出た汗が黒いセーラー服の生地に張り付いて、ひたすらに嫌な感触。


「うおっ……どうした?」


 目を覚まして早々、ただならぬ雰囲気を醸し出す黄昏愛の様子に――その対面、一ノ瀬ちりは思わず目を丸くしながら問いかけていた。


「……大丈夫か? 顔真っ青だぞ」


 赤い長髪に赤いスカジャン、ホットパンツから太腿を剥き出しているその少女の呼びかけによって、愛の意識はようやく微睡みから現実へと照準が合わさっていく。定まっていなかった焦点が目の前の赤い少女に合わさると、次第に呼吸も落ち着いていった。


「普段寝付きの良いおまえが珍しいな。悪夢でも見たかよ」


「夢……?」


 額の汗を袖で拭い去りながら、深く溜めた息を吐く。脳に血が巡っていく実感と共に、自分が悪夢にうなされていたという事実もまた自覚していく。


「あぁ……そうか。私……夢の中で……」


 しかし思考が明瞭になるにつれ、夢の内容は急速に薄れていった。思い出そうとすればするほど頭の中に黒い霧がかかって、その記憶は遥か彼方へと追いやられていくようで――


「……あれ。えっと……なんだったっけ……」


 自分がどうしてうなされていたのか、直前まで見ていた悪夢の内容を、愛はこうして綺麗さっぱり忘れてしまったわけである。


「……ま、夢なんてそんなもんだ」


 愛が平静を取り戻したことで一安心したのか、ちりは浮かせていた背中を再び座席の背もたれに沈み込ませるのだった。


「そうだ、ちょうどいいや。起きて早々悪いんだが……」


 すると今度はばつの悪そうな表情を浮かべるちり。赤いマニキュアに彩られたその右手が腹部を抑えているのを見て、愛はちりの言いたいことを即座に理解する。


「麻酔、打ってくれねーか。痛くなってきた」


 一ノ瀬ちり。彼女は第三階層にて『净罪』と呼ばれる行為によって、酩酊への耐性を獲得。愛と九十九を列車の中まで運び込んだ立役者である。しかし、その代償として――今の彼女の体内は、内臓が一部欠損していた。


 怪異の肉体は本来、どんなに傷付いても必ず元の形に再生する。たとえ粉微塵になって死んでも、塵芥の状態からでも時間さえ掛けてしまえば、怪異の肉体はどんな損傷をも完全に修復してしまう。それが地獄のルールでもあった。


 地獄においてルールは絶対。きっとこの世界を創った神でさえ、それを破ることは許されない。しかし『净罪』は、そのルールの外の存在。この『净罪』によって傷付けられた肉体は、治らない。永遠に、その痛みが消えることは無いのだ。


 そもそも痛みとは神経が刺激を感知することで生じる現象であり、ある種の警告として働くそれは基本的に傷が修復されるまで続く。傷が治らないということは、末梢神経はその間ずっと痛みという警告を鳴らし続けるわけである。糸で傷口を接合しても、傷付いた細胞や神経が治るわけではない。警告は鳴り止まない。

 それでも尚、怪異は死ぬことが許されない。たとえ全身を切り刻み毛髪だけの存在になったとしても、魂だけの存在になったとしても、死ねない。怪異は肉体を失ってもその意識が滅びることは無く、修復の間も痛みを感じ続ける。今のちりの肉体は、終わることのない痛みを未来永劫課せられてしまった状態にある。


 一ノ瀬ちりにとって幸運だったのは、黄昏愛の存在だろう。愛が「ぬえ」の異能で生物毒を調合し精製したその特殊な麻酔は、ちりの痛覚を一時的に麻痺させることが出来た。

 愛にとっても、ちりはその身を呈して自分達を次の階層まで運んでくれた、ある種の恩人でもある。二ヶ月前までは敵同士、一ヶ月前までは憎まれ口を叩き合っていた両者の間で、皮肉にも奇妙な共犯関係が成立しつつあった。


「ああ……はい。それは、構いません……けど」


 そう言う愛はどこか躊躇いがちに、自身の左隣――芥川九十九の方へ静かに視線をやる。


 芥川九十九。愛と同じく酩酊によって眠らされたまま、列車内に運び込まれた悪魔の怪異。上下黒いジャージの上から黒い学ランを羽織っている、少し変わった風体のこの少女は、等活地獄において幻葬げんそうおうと畏れられる怪物王でもあった。


 そんな彼女は依然、寝息すら立てず穏やかな表情で眠りこけている。目を覚ます様子は無い。


「……九十九さんには、言わないんですね? あなたの、今の身体のこと」


「ああ。そんなことであいつをいちいち煩わせたくねーからな」


「そんなこと……ですか」


 衆合地獄で過ごした一ヶ月。一ノ瀬ちりの芥川九十九に対する並々ならぬ想い、その一端を垣間見た黄昏愛は、それ以上何も言うことが出来なかった。

 それは、共感。自分自身、『あの人』と再会する為ならば誰に何と言われようと、先に進むことを止めないだろう。だから、ちりもまたそうなのだろうと。その執念を理解したが故に、愛は言葉を飲み込み、ただ息を吐くのみだった。


「……まあ、いいでしょう。それじゃあ……さくっと打ってしまいますね」


「おう、頼む」


 揺れる列車の中、隣で眠る九十九を起こさないよう、二人はそっと顔を近付ける。赤と黒、視線が混じり合う。互いの唇が目と鼻の先にまで迫って――


「っ……ん……」


 しかしそれが重なり合うことは無く、愛の唇はちりのそれをすり抜けるようにして躱し――その首筋に、牙を突き立てた。

 ちりの中にじわり、何かが流れ込んでくる。吸血鬼さながら噛み付いた愛の牙から麻酔が放出されていく。皮膚を突き破られた微かな痛みと、痺れるような感覚、そのもどかしさに、ちりは反射的に声を漏らす。


「……声、我慢してくださいね。九十九さん、起きちゃいますから」


「ッ……くすぐってェんだよ……早く済ませろ……」


「まったく偉そうに……ナマイキ言ってると……このままガブガブ食べちゃいますよー……?」


「ふんッ……やってみろ、この……っ、ぁ……」


 腹部に感じていた痛みが、次第に希薄になっていく。代わりに訪れたのは――微かな快楽。それが麻酔の副作用によるものなのかは解らないが、ともかくちりの呼吸は僅かに熱を帯び始めていった。


「…………」


 それを見計らったように――愛の左手が、ちりの胸元へ伸びていく。


「な、ぁ……!? ど、こ触ってんだ、てめ……!」


「触診でーす。痛かったら右手を上げてくださいねー」


「こ、このガキ……っ」


 諸事情により、色々あった『あの日』以来。愛はまるでタガが外れたように、時折()()()()ようになってしまった。

 考えてみれば当然かもしれない。およそ二ヶ月前まで愛も普通の人間だったのだ。人並みの欲というものは当然持ち合わせている。地獄での生活は、そんな人並みの欲望から掛け離れたある種の禁欲生活でもあった。そんな愛にとって、ちりとの関係は――あらゆる意味で都合が良かったというわけである。


「お、落ち着け……おまえ、こんな所で……二百歳のババア相手になにサカッてんだ……!」


「……私、年上好きなので」


「二百歳はもうそういう次元の話じゃ無くねえ!?」


 思わず声を上げてツッコミを入れてしまったちり――その声量が些か大きかったのか、その直後。


「……んん……?」


 愛の左隣、気配が蠢く。次の瞬間、愛とちりは咄嗟にその身を離していた。浮かせていた腰を元の座席に収め、その視線を二人揃って九十九に集める。


「ぅ……あれ……」


 そうして黄昏愛に続き、寝起きで少しざらついた声を喉から絞り出すようにして――芥川九十九は目を覚ましたのだった。

 いつもの凪いだような赤い瞳が、周囲をぐるりと一瞥する。そこが猿夢列車内で、愛とちりが無事であることを確認してすぐ、九十九は安心したように息を吐いていた。両手を上に伸ばし身体をぐっと伸ばす。


「おはようございます、九十九さん」


「ん……愛。おはよ」


 愛の挨拶に九十九は軽やかに応じる。伸ばした手をゆっくり降ろして、今度はその赤い瞳を前方、ちりの方へと向けた。


「ちりも、おはよ」


「お、おう……」


 いつもの調子で応じてみせるが、内心ではさっきまでの愛とのやり取りを見たり聞かれたりされていないか気が気でないちりである。


「私、どのくらい寝てた?」


「ん、あー……半日くらい、か……?」


「そっかー……んー……」


 そんなちりの心配を他所に、九十九はその場でおもむろに深呼吸をし始めた。


「……うん、頭の中スッキリ。お酒のニオイがしないからかな。久し振りに良い感じかも、体調」


 酩帝街に居た頃はずっと本調子ではなかった九十九。彼女自身、歯痒い思いをしてきたのだろう。何の制約も課されていないことを実感し、満足げな微笑を浮かべていた。


「これでやっと……振るえるね、暴力!」


「いや言い方……」


「どんな敵が来ても私に任せて! ね!」


 よほど嬉しいのか、いつになくはしゃいでいる九十九。そしてこの様子だと、目覚める直前、愛とちりのやり取りにもどうやら気付いていないようで。ちりはほっとしたように苦笑いを浮かべていた。


「……敵、ですか……はぁ……」


 その単語を耳にした途端、やれやれと、心底面倒くさそうに。愛は細く長い溜息を漏らす。


「私はただ、先に進みたいだけなのに……どうしてこんなにも邪魔が入るのか……」


「日頃の行いだろ……」


「殺しますよ」


「それだそれ」


 不貞腐れたように頬を膨らませてみせる愛を傍目に、ちりもまた呆れたように息を吐く。


「まだ邪魔が入ると決まったわけじゃないけどな」


「どうせそうに決まってますよ……今更何が来ても驚きませんけどね……ああでも、酩帝街のように暴力で解決出来ない案件は流石にもうごめんですが……」


「それは……そうだな。オレ達……いや、おまえらのアドバンテージはその戦闘力の高さだ。まともに戦えさえすりゃあ、何が相手だろうと勝ち目はあるはず……」


 かつて、等活地獄で千年もの間を王として居座り続けた「ライザ」という名の怪異がいた。しかしそれは『羅刹らせつおう』という他階層たこくの王の支援があってこそ実現出来た特例である。

 毎日のように新たな怪異が堕ちてくる等活地獄はその性質上、勢力争いがどの階層よりも盛んであり、秩序も何も無い其処に長く王で居られる者は殆どいない。保って数年、早ければ数日程度で王の座が入れ替わる――それが等活地獄における常識でもあった。


 だからこそ、芥川九十九という存在は地獄史上でも類を見ない異例中の異例、規格外中の規格外。彼女がただの一人で幻葬王として在り続けた二百年という期間は、実はとんでもない偉業なのである。

 そして、そんな九十九と真っ向から同等以上に張り合える黄昏愛もまた、怪物中の怪物。この二対が肩を並べて共に行動しているという現状は本人達の自覚以上に、他階層の者達からしてみれば脅威以外の何物でもない。


「無論、戦わずに済むならそれに越したことは無い。問題無さそうならさっさと次の階層に進んじまうのがベスト……だが」


 だからこそ、目を付けられてしまったのだろう。如何せん、目立ち過ぎたのだ。自分達はただ先に進みたいだけ、などと言ったところで――


『アタシは羅刹王の配下ダ。この街にスパイとして潜入シ、使えそうな人材を見繕っては羅刹王の下に送り出ス――『獄卒』の役目を任されていル』


 ――()()がそう簡単に、通してくれるはずもない。


「こっちにその気がなくとも……絡んでくるだろうな……」


 シスター・フィデス。その不敵な笑みを思い出し、ちりは忌々しげに鎌首をもたげていた。


「第四階層についての情報は、あなたも掴んでないんですよね?」


「ああ、悪いが……なんせ『第三階層から先には何も無い』なんて云われてるくらいだ。あの図書館にもその手の文献は無かっただろ?」


「ですね。現状解っているのは、羅刹王と呼ばれる怪異の領土である事と……あとはまあ、名前くらいなものですか。仏教もとネタ的に、第四階層は『叫喚地獄』……でいいんですよね?」


「そうだが……まあ、ほとんど何も解ってないに等しいな」


 八つの階層から成るこの地獄は、奇しくも仏教における地獄観を一部倣ったような構造をしている。原典の通りならば、叫喚地獄には熱湯の大釜や炎で熱した鉄室による責め苦が罪人を待ち受けているらしいが――これまでの階層がそうだったように、其処を支配する王によって階層の様相は大きく異なる。先入観は危険だろう。


「ロアなら何か知ってるんじゃないかな?」


 そこで九十九は閃いた。恐らくはこの地獄の全てを識っているであろう、自称地獄の水先案内人――『フォークロア』の怪異であるその名を口にする。


「あ、そうですよ。信憑性は限りなく低いですけど……聞くだけ聞いてみましょうよ」


 愛もそれに同調した。愛からしてみればロアとは多少なりとも因縁のある相手だが、背に腹は代えられぬと言ったところだろう。


「…………」


 しかし、肝心の一ノ瀬ちり。彼女だけがそこで否定も肯定もせず、黙りこくっていたのである。


「ちり?」


 首を傾げる九十九に、ちりはどこか釈然としていないような、神妙な面持ちで口を開く。


「いや、それが……この列車に乗ってから、呼んでも出てこねえんだよ。アイツ」


「試したの?」


「おまえらが寝てる間にな」


 ロアは地獄に存在する全ての怪異に憑依し、別の領域から我々を常に監視しているという。だから今こうしている間もロアは愛達の事を見ているし、呼ばれればそれに応じることも出来る――そのはずなのだが。


「それは……妙だね」


「ああ、こんなことは今まで一度もなかった。アイツは曲がりなりにも案内人だ、だから呼んだら現れる。そういうシステムなんだよ。そのはずなのに……何かおかしい」


 いつもなら呼んでなくとも現れるくらいの奔放さで真偽不明の噂話を語りに来る彼の姿は、やはりどこにも見当たらない。愛達が黙ると、列車内はすっかり静まり返ってしまう。

 車窓から見える景色は深海よりも昏い闇だけがそこに広がっていて、陽光の射し込まない車内がそれでも明るいのは、天井に備え付けられた古びた蛍光灯が微かに点灯しているからだった。


「おかしいと言えば……車窓の景色も、さっきからおかしいですよね」


 愛は自らの瞳の色と同じ、純黒の景色を眺めている。愛が異能で夜目を利かせても、黒の向こう側には何も見えない。完全な黒が車窓の外には広がっていた。


「おかしいのはいつもの事なんですけど……なんというか……」


「いや、言いたいことは解るぜ。そしてその違和感は正解だ」


 ちりもまた、外の黒を睨み付ける。忌々しそうに眉をしかめ、牙のような八重歯を僅かに剥き出す。


「オレは起きてずっと見てた。第三階層を離れて以降、この列車の車窓の景色は――ずっとこの黒一色だ。変わり映えしねえ」


 猿夢列車は異次元を走る。故に車窓から見える景色は常に変動して、様々な世界の様子を垣間見ることが出来る。

 それが時間にして半日、変わり映えのしない黒の景色のみが続いている。呼んでも現れないロアといい、これもまた異常な現象だった。


「……まさか、とは思いますが」


 ひとつひとつは些細な事なれど、間違いなく異常事態が、それも立て続けに発生している。その事実に気が付いて、三人の顔色から血の気が瞬く間に引いていく。


「私達は、もう……既に……」


 そう、既に。自分達が何かに巻き込まれているかもしれない、ともすれば敵の攻撃を受けているかもしれないという可能性に、ようやく気が付いて――


『――――――――――――――――――――――――――――――――ッ!!!!』


 ――直後。金切り声のような轟音が車内全体に響き渡った。


「ぐ、あっ……!?」


「うるせェ……ッ!?」


 三人は咄嗟に両手で耳を塞いでいた。その不快な音の正体が列車の急ブレーキによるものだと気付いた更に次の瞬間、車体が大きく揺れ始める。


『――――縺、縺弱縺ッ邨らせ――――縺阪&繧峨℃――――縺阪&繧峨℃――――』


 ノイズだらけで全く聞き取れない無機質なアナウンスが車内でハウリングする。しかし今更そっちに意識を割く余裕も無く、三人はその場で衝撃に備え防御の姿勢を取っていた。まるで台風に車体ごと突進したかのような轟音と激しい衝撃が、目に見える全てを揺るがし、視界が点滅する。


『――――――――――――――――――――……………………』


 そうして二転三転、前後に揺れながら十数秒。列車は徐々にその速度を落としていく。永遠に続くかと思われた不快極まる金属音も徐々に鳴りを潜め、揺れも収まっていった。


「……と、止まった……?」


 やがて車体が完全に停止したことに気付き、三人は周囲を見渡した。先程の衝撃で蛍光灯は点滅を繰り返すようになり、スピーカーからは延々と砂嵐のようなノイズが微かに聞こえてくる。

 三人はその場から立ち上がることすらもままならなかった。明らかな異常事態を前にして動揺を隠し切れないでいる。全身からは冷や汗が溢れ出ていた。そんな彼女達を、まるで手招きするかのように――自動扉が蒸気を噴き出す音と共に開け放たれる。


「……どうしましょう」


「どうするったって……」


 この事態を引き起こした第三者がいるとすれば、それは彼女達への攻撃と考えて差し支えないだろう。つまり敵だ。外に敵がいるかもしれない。そんな状況で迂闊に動いていいものか――外に出ていいものなのか。彼女達は判断に倦ねていた。


「行こう」


 その時、意を決したように九十九がまず立ち上がる。依然、臨戦態勢のまま。拳を固く握り締めて、いつでもそれを振るえるように。


「三人一緒なら、大丈夫」


 その言葉は力強く、愛とちりの耳に届いた。発破をかけられたように、二人もまたその場から立ち上がる。


「……ですね。行きましょう」


「さて、鬼が出るか蛇が出るか……」


 三人は足並みをそろえて扉の外へ歩み寄る。警戒を怠らず、慎重に。外で何が待ち受けていても、冷静を努める心構えで。かくして第四階層、その地に一歩、少女達は踏み込むのだった。


 ◆


 そして――驚愕する。


 何が待ち受けていても驚かない。つい数瞬前までそんなことを宣っていた彼女達は、外に出た次の瞬間、驚きで目を見開かせていた。

 外は夜だった。涼し気な風が駅のホームを吹き抜ける。それでいて蒸し暑く、気候は真夏のそれであった。駅の周辺に外灯は無い。ただ夜目を利かさずとも周囲の状況は把握出来る。その程度の光量は、空にあった。


 夜空に浮かぶ巨大な月。その満月は――()()()()。鈍色の雲が漂う黒い空には、天の川のような()()が瞬いている。


 駅の線路側、少女達の背後に壁のように生え揃っている()()からは、風で()の擦れる音に混じって、()()()()のような声がほうほうと微かに聞こえてくる。


 そして少女達の前方、駅を取り囲むフェンスの向こう側からは、()()のような声が凛々と響いてきていた。

 もっと遠くへ視線を向けると、大地に根ざす()()の絨毯と、()()に覆われた山岳の連なりが見渡す限り広がっている。よく見るとぽつぽつとだが民家のような物もあり、その周りに人工的な外灯がチラホラと立っていた。


「……………………」


 少女達が言葉を失っている背後で、列車は彼女達を置き去りにし大地に沿った線路の上を真っ直ぐに進み始める。そうして列車が向かう遥か前方、()に囲まれた線路は、どうやらトンネルに続いていた。トンネルの向こう側は真っ暗で何も見えない。列車は闇の中を突き進み、あっという間に少女達の前から姿を消したのだった。


「……ありえねェ……」


 ちりは未だに驚愕し続けている。そんな彼女を他所に、愛はおもむろにフェンスに沿って右手の方に移動し始めた。


「…………」


 愛の足はまるで吸い寄せられるように、視界の端で捉えていた建築物へと向かっていく。それは駅の改札だった。()()の巻き付いた古びた小屋、簡素な造りの無人駅――


「これ、は……」


 そんな無人駅の改札手前、フェンス傍に立て掛けられたその看板に――愛は目を奪われていた。


「ねえ……愛……」


 愛の後ろから九十九が声を掛ける。しかしそれに応じて振り返る余裕すら無く、愛は看板を見つめている。それでも構わず、九十九は口を開いた。その表情に、酷い困惑の色を宿したまま。


「……()()()()()()……?」


 愛の見つけた駅名標の看板。そこには掠れたひらがな文字で、こう書かれていた。


 ()()()()()


 そして――()()()()

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