衆合地獄 40
地獄の第七階層、大焦熱地獄。物語がいずれ至る場所。今は遠き修羅の国。一面に広がる灰色の砂漠、その中央に聳え立つ黄金の宮殿――窓から射し込む赤い陽光のみを光源とする、薄暗いその一室に。今日この日、三つの人影が集結していた。
「失礼致します」
頭の上から膝下まで、その全身を黒いローブですっぽり身を包んだ女が、凛とした声を上げる。それは広い部屋には充分すぎるほど響き渡って――その奥、大きく幅を利かせた寝台の上、既に並んで腰掛けている二つの影の耳に届いていた。
「お待たせして申し訳ございません。ただいま戻りました――」
入口前で一礼し、ローブの女はそのまま部屋の中へと入ってくる。つかつかと靴底鳴らし、真っ直ぐ進んでいったその先で――
「嗚呼、俺は待ったぞ」
――白髪混じりの黒髪を長く垂らした女が、胡座をかいて待ち構えていた。
中性的なその顔面は手術痕のようなツギハギが痛ましく刻まれていて、その肌は屍体のような蒼白と火傷のような褐色が互いの陣地を侵し合うように波紋している。
縁の細い丸眼鏡の奥に控える鈍色の三白眼はまるで獣の如く、目前に迫ってきたローブの女を見上げるように睨み付けていた。
「知っているはずだ、俺は忙しい。貴様の要件は、そんな俺の創作を中断させる理由に足るのだろうな」
ハスキーな声色が唸るように溢れ出す。黒いキャソックの上から更に白衣を着込んだ、奇妙な風体のその女は、不機嫌を隠そうともしていない。ともすれば、今にも飛び掛かってきそうな苛立ちが雰囲気からも伝わってくる。
「報告です。第三階層に潜伏していた獄卒……シスター・フィデスから」
しかし、白と黒に彩られたその女に凄まれて尚、ローブの彼女はその態度も声色も全く変える事は無いままに。まるで慣れた様子で、淡々と言葉を紡いでいくのだった。
「然るべき試練を突破した者達が現れた為、我々の下へ生きたまま送り出したと」
そしてその報告に、白黒女の周囲を取り巻く雰囲気が僅かに変化する。
「……ほう」
白黒女は感心したように息を漏らし、自身の右隣に座るもう一人の女へとその視線を投げかけていた。しかし寝台の天蓋より垂れ下がる薄いカーテンが影となり、隣に座る何者かの姿は解らない。
「おい聞いたか、我が同胞。聞き間違いで無ければ何百、いや何千年ぶりだ? 屍体ばかり寄越しやがるあの天邪鬼が、よもや生きたままとはな。アレにまだ仕事をする気があったという事自体驚きだが……」
視線をゆっくりと前に戻しながら、白黒女はそこで何かに気付いたように眉を顰める。
「しかも待て。複数形だと?」
「はい。報告によると、こちらへ向かってきている怪異の数は……ふたり」
深くローブを被って顔の見えない女は、依然調子を変えぬまま、読み上げるように報告を続ける。
「片や、『麒麟』と『禁后』を倒した等活地獄の幻葬王。片や、あの『くねくね』を打倒せしめた本物――とのことです」
「成る程。それは確かに本物だな。面白い」
「……ですが少々、気性難のようで。送り出したはいいものの、我々の仲間になるつもりは無さそうだと」
「だろうな。あの『くねくね』に潰されなかったって事はそういう事だ。とんだ暴れ馬だろうよ」
白黒女は口角を上げ、矯正器具を付けた鋸のような歯を剥き出して、微かに笑みを浮かべていた。食指がようやく動いたといった様子で、先程までより機嫌が上向いているのを雰囲気でも見て取れる。
「さて、乗りこなせるか否か。試す価値は有ると見たぞ。ならば第四階層だ、其処で迎え撃て」
「貴女ならそう仰ると思っていました。私としてもその方針には賛成です――が、全ての決定権は我等が主にあります」
そこで初めて息が揃ったように、白黒女とローブ女は同じ方向へ、その視線を集める。
「如何でしょう、我が主――麗しき緋色の羅刹王」
その呼び声に応じるように、天蓋のカーテンが微かに揺れて――ベッドの上からそれは起き上がってきた。まるで太陽が如き、悍ましい程の美しさを誇る女が一人、その畏敬を顕わにする。
艶めかしい金色の長髪、緋色の羽衣に包まれた白い肌の長身、溢れんばかりの豊満なバスト、引き締まったウエスト、妖艶に彩る紅いアイライン――およそ美女たる資格の全てを携えた、その絶世の魔女。
彼女こそが、ヒト呼んで――『麗しき緋色の羅刹王』。第四、第五、第六、第七――文字通り地獄の半分を手中に収めた、怪異の王である。
「貴女達が是とするのなら、私もそれでよくってよ」
獣の如く縦に割れた金色の瞳孔が、奏でるように紡がれるその音色が、彼女の放つ全てが強烈なまでの美を形作っているようで。全てを虜にし、そしてその全てを滅ぼす、羅刹の名を冠する王。彼女の一存で、世界の全てが左右される。
彼女は全ての決定権を有している。それを彼女自身、自覚しているはずなのだが――しかしこの場においてはその判断を、自身を取り巻く二人の女に委ねるのだった。
「……畏まりました。では此方で諸々手配いたします」
「俄然楽しみになってきた。だが釘を刺しておくぞ、我が同胞よ。もしその二匹が俺の下まで辿り着いた暁には、俺はそちらを優先する。進捗の上では貴様の方が優勢なのだ、そのくらいのハンデは良かろう?」
「よくってよ。それで貴女の気が済むのなら」
羅刹王をして『同胞』と呼ぶその白黒女は、彼女の返事に満足気な笑みを浮かべ――白衣の袖から自身の右手を掲げてみせる。その右手は人間の皮膚ではなく、瞳と同じ鈍色の金属に覆われていて――つまるところ義手であった。関節部分が人形のような球体のそれを、彼女は自身の眼前に掲げる。その感触を確かめるように指の関節を一本ずつ駆動していく。
「……嗚呼、しかし『禁后』か。懐かしい名を聞いたものだ」
そうしてふと、白黒女は徐ろに口を開いた。その灰色の瞳は耽るように遠くを見つめている。
「誰もが表現者に成れるなどと宣うあの街で、奴は自らの毛髪を除いた肉体の全てを净罪に捧げ、自身の死を以てあの匣を表現した。それが奴の芸術だった。……いや、まったく――」
義手の関節部分が、ぎちぎちと金属の擦り合うような音を鳴らして――
「――愚の極み、見るに堪えぬ駄作だよ。死は崇高なものでも無ければ特別なものでも無い。悪魔は芸術を解さないとは言うが――奴は最期まで芸術を履き違えたまま逝ってしまった。嘆かわしいことだ」
――彼女はその表情を、憎悪に歪ませるのだった。
「表現の過程で死という材料が必要ならばそれもよかろう。だが表現の結果に死を持ってくるなど言語道断。死で何かを表現できるつもりでいるなど見当違いも甚だしい。死とは無だ。無では何も得られない。空の皿で腹を満たせるかという話だ。奴の遺作は全くの無意味で、無価値な、無駄死にだった」
スイッチが入ったように、途端に溢れ出す怨嗟の詩。嗚呼、また始まってしまった――ローブの女は呆れたように頭を振る。
「芸術とは生命だ。無から有を産み出すその所業にこそ意義があり、産まれた作品に尊ぶべき価値が宿る。至高の芸術とは即ち、新たな生命の創造なのだ。そして全ての生命の誕生は祝福されなければならない。それが愛するということだ。だが奴に限らず凡百の芸術家気取りがそれを解っていない。驕り高ぶった自尊心を芸術などと騙り、言うに事欠いて『Are We Cool Yet』? 馬鹿馬鹿しい。オナニープレイなら他所でやれ、芸術への冒涜だ、そこには愛が無いッ!」
恨み辛みを吐き続ける彼女の有様はさながら暴走する列車のようで、こうなってしまうともう止められない。これまでの付き合いからそれを身に沁みて解っているからこそ、ローブの女は諦めたように溜息を漏らすのだった。
「愛無くして芸術家は務まらん。愛を知らぬと抜かすなら俺の作品を見ろ! さすれば正しき愛、正しき芸術を理解できるはずだ。神に誓って俺は芸術を間違えない。何故ならば俺は生きとし生けるもの、その全てを愛しているからだ。全人類の救済、それこそ俺の成すべき使命にして至るべき芸術だからだ! おお、世に蔓延る愛しき人類共よ。その節穴に真の芸術を魅せてやるッ!!」
彼女が叫び、そうして天を仰いだ次の瞬間――薄暗い部屋に響き渡る、飛沫の噴き出すような異音。その音と共に、白と黒の二色のみだったその髪は――真っ赤な血の一色に染まっていた。突如として湧いて出た鮮やかなる赤によって、瞬く間に塗り潰されていったのである。
原因は、誰がどう見ても一目で解る程に明白で――彼女の頭の右側には、巨大な螺子が、深く深く突き刺さっていた。螺子の刺さったその傷口から、絵の具のような鮮血が噴き出して、髪だけでなく顔面の右側をも覆い尽くし、その血で赤く染め上げていったのである。
「あぁ……また暴走してしまわれた。シスター・バルバラ。頭から血が出ていますよ。どうか落ち着いてください」
バルバラ。確かにそう呼ばれたその女は、頭から血を垂れ流しているにもかかわらず、そもそも頭に螺子が刺さっているにもかかわらず、そんな些事は意にも介さないとでも言わんばかりに邪悪な嗤いを形作っていた。白衣が血に濡れ、寝台のシーツをも汚しながら、それでも彼女の興奮は収まらない。
「大目に見ろ。これが落ち着いていられるか? 俺にとってその二匹は、世界を救う材料になるやもしれんのだ。心躍って当然だろうがッ!」
「また貧血で倒れてしまいますよ、まったく……僭越ながら我が主よ、御身からも仰っていただけると……」
「そうね。愉しそうで何よりだわ」
「我が主……そういうことではなくてですね……」
目の前で血を噴き出すバルバラの姿も、彼女達にとってはいつもの光景なのだろう。羅刹王に至っては柔和な微笑を浮かべる始末であった。
「いいのよ。浮かれているのはバルバラだけではないわ。私もそう。だって、もうすぐ――」
そうして彼の王は上機嫌に、金色の目を妖艶に細めて。血の滴ったような朱い唇を、ゆっくりと動かして――
「あの堕天王とかいう小娘を。ようやく殺す事が出来るのだものね」
――咲うように、呪いの言葉を口にしたのである。
「それもこれも、全ては貴女達の働きに懸かっている。よろしくね?」
寝台の上、優雅に謳う羅刹の王。その怪物の一挙手一投足に、誰もが否応無く魅了されてしまう。堕天王が全てを愛する無垢の偶像であるのなら、羅刹王は全てから愛される魔性の女神。
ただし愛されたからといって、彼女がその期待に応えるとは限らない。その魔性は、女神は女神でも邪神の類いなのかもしれなかった。
「……無論です、我が主。私達は、御身の願いの為にある」
彼女の前にローブの女は跪く。その双肩に王の願いを乗せて尚、その声色に怯えは見られない。目の前で言葉を交わすそんな二人を見て、バルバラもようやく冷静さを取り戻し始める。出血の勢いが落ちていく。赤と青のツギハギ顔を、挑発的に歪ませて。眼鏡の奥に控えた鈍色で以てして、目の前の金色を睨み付けた。
「嗚呼その通り、俺達は貴様の為に在る。精々期待していろ。だが貴様こそ、その手で幕を引く覚悟は出来ているのだろうな? 我が同胞、緋色の王よ」
「あら。当然じゃない」
二対の怪物が相対する。真逆の理想を掲げながら、互いを同胞と認め、嗤い合う、奇妙な両者。彼女達の想いは、願いは、物語は、この一節だけでその全てを計り知ることなど到底出来ないだろう。
「これは私達、三人で始めた物語なのだから」
その言葉の真意もまた、今はまだ遠く――しかしそれでも、たった一つ。確かに言える真実が今、あるとするのなら。
物語は一つだけではなく、この世界を無双する怪物少女もまた、一人だけではない。而して、その無双の果てに。物語の結末へと辿り着けるのは、たった一人。
これは選ばれし者達の物語。奇跡を求める者達の軌跡。地獄の底で願いを叶えるべく、煮え立つ釜の中へその身を窶す者達を――
――無間地獄にて、魔王が待つ。
第三章・衆合地獄篇、終幕。
第四章・■■地獄篇に続く。




