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六章『試合』

「ちょっと! これってどういうことよ!」

 上空から綾瀬の声が響き渡る。

 なにやらかなりお怒りの様子だ。

「なんだ? 私じゃ不満か?」

「いえ、そういうわけじゃ、ないんですが……」

 七瀬は自分のセコンドになった人物に弱々しく言う。

「夕凪さんって、色んな方とお知り合いなんですね」

 凛も驚いた表情を浮かべている。

 俺は綾瀬のセコンドについている人物に向かって改めて礼を言う。

「秋月先生。今日はありがとうございます」

「私もお前にああ言った手前、少し気になっていたからな。いい機会だ。それに、鼻が高くなっている生徒に現実を突きつけるのも教師の仕事だしな」

 秋月先生はそう言うとにひるに唇を歪ませる。

 調子を取り戻した綾瀬が会話に割って入ってくる。

「それはそうと、これはあなたのセコンドとして素質を見極めるもののはずでしょ? それなのに、プロの選手なんか呼んできてなに? 私をバカにしてるの? 私を子供だって見下して。私、あなたのそういうところ嫌いだわ」

 上空から不満げな声が降り注いでくる。

「なんだ? 私を知ってるのか?」

 秋月先生の質問に綾瀬は遠慮がちに声を落とす。

「はい。秋月さんは私たちの間でも有名な選手ですから」

「それは嬉しいな。 選手を引退して、そこまで名前が知られているなんてな」

 秋月先生は嬉しそうにふふっと薄く笑うと、

「安心しろ。私は君が相手を見失わないよう、最低限のセコンドしかしない」

「まあ、それなら問題ないですけど……」

 まだ何か言いたいことがあるみたいだったが、秋月先生にそう言われて引き下がって行く。

「それじゃあ、二人とも。そろそろ始めるからスタートラインまで飛んでくれ」

「分かってるわよ」

「がんばり、ます!」

 綾瀬は真っ直ぐに、凛は多少ふらつきながらスタートラインのファーストブイまで飛んでいく。

 その光景を見ながら凛たちには聞こえないように、

 秋月先生が声を潜めながら聞いてくる。

「どうだ? 勝算はあるのか?」

 俺は肩をすくめる。

「まあ、イーブンってとこですかね」

「私にはお前が何か企んでいるように見えるがな」

 そんな俺を見て秋月先生は苦笑しながら瞳を覗き込むように見つめてくる。

「まあ、可能性はあると思います」

 昨日感じたあのスポンジのような吸収力。それがどの程度のものなのかを見極めるため秋月先生を呼んだというのもある。

 俺はそれだけ言うと、上空に向き直る。

 凛と綾瀬がスタートラインに立ったのを確認すると。

「セット!」

 ピーーーーッ!!

 開始の合図とともにホイッスルを鳴らす。

 その合図で凛と綾瀬が水泳の飛び込みみたいに身体を弓のように引きしぼった状態から一気にバネのように身体を水平に伸ばして加速する。

 ーーが。

「あれ? 七海ちゃん。下に行っちゃいましたよ?」

 インカムから凛の困惑した声が聞こえて来る。

「ローヨーヨーだな」

「……ヨーヨー?」

「ラインの斜め下に飛んでスピードを上昇させる技だよ」

 やはり、姿勢が安定している分、綾瀬の方がスピードが速いか。

 インカムから指示を送る。

「凛。ブイは捨ててセカンドラインにショートカットだ」

「ショートカットですか?」

「次のブイを捨ててその先のラインに先回りすることだよ」

「わ、わかりました」

 凛は言われた通りにブイを捨ててセカンドラインまでショートカットして行く。

「き、きます!」

 なんとかセカンドラインまで移動すると、正面から綾瀬が迫ってきていた。

「ど、どうすればいいですか?」

「両手を広げて相手の進行を防ぐんだ」

「こ、こう。ですか?」

 アリクイみたいに両手を伸ばす凛。

「そんなので、私を止められると本気で思ってるの?」

 凛の行動を見ると綾瀬は左右へジグザグに飛び始めた。

「えっ! なっ、なな、なんですか!?」

 混乱したように凛が目で相手の動きを追おうとするがそのまま通り抜かれてしまう。

「シザーズだな」

「シザーズですか?」

「左右に動くことによって相手を惑わせる技だよ」

 なるほど、基本はできているみたいだな。

 そんなことを考えていると、

「まったく、ダメダメです……」

 申し訳なさそうな声に引き戻される。

「なんだ? まだ試合は始まったばかりだろ」

「せっかく夕凪さんが指示してくれてるのに、その通りに動けなくて……」

 だんだんと声が小さくなっていく。放っておけばそのまま消えてしまいそうなほどに。

「……あのなぁ」

 俺は大げさにため息を吐いてみせると、出来るだけ強い口調で言葉を並べる。

「いいか、誰しも初めは初心者なんだから。出来なくて当たり前だろ? お前は俺に期待してくれているかもしれないが、俺はお前にそこまで期待していない。」

「うぅ、すみませんダメダメで……」

「でもなーー」

 凛の言葉を遮って続ける。

「お前の可能性は信じてる」

「ふぇ……? それってどういうーー」

「いいから、今は試合に集中しろ。まずはフォースラインにショートカットだ」

「は、はい!」

 凛が慌てたように飛んでいく。

 その様子を見ながら、

「試合は二対0か……」

 得点を見てぼそりと呟いた。

「さぁ、こっからが本番だぞ」



 試合は二対二の拮抗状態にまでもつれ込んでいた。試合の残り時間はあと二分。

「これは驚いたな……」

 隣で見ていた秋月先生が感嘆の声を上げる。

 そのままちらりと俺を見る。

「まさかこれを見越してたのか?」

「それこそ、まさかですよ。才能の片鱗は見えてましたが、正直ここまでとは思ってませんでした」

 俺は首を振る。

 本当にとんでもない子だ。

 凛自身は気付いていないみたいだが、試合が進むにつれて格段に動きが良くなっている。

 それは綾瀬もうすうすと感じているだろう。始めと比べると凛のことを抜けなくなってきていた。

 だが、問題はここからどうするかだ。

 残り時間が迫ってくる中でそれぞれが睨み合って動けないでいる。十分という制限時間は小学生の身体ではきついだろう。 

 その瞬間、展開が動いた。

「ーーッ!」

「いきます!」

 先に仕掛けたのは意外にも凛の方だ。ドッグファイトを仕掛けに行くが綾瀬はそれを拒むように上空へと逃げる。凛も離されないように必死にそのあとを追いかける。

 ドッグファイトを仕掛ける側は一度相手を追い越さないとブイにタッチすることができない。

 だが、相手を追い越してからブイにタッチしようとするとどうしても相手が先にタッチしてしまう。

 なのでドッグファイトは基本的にそのまま背中の取り合いになる。

「まずいっ!」

「いただきます」

 疲れが出た綾瀬の一瞬の隙をついて背中をタッチしようと凛が迫るがーー

「ーーッ!」

 ぎりぎりのところで身体をよじった綾瀬に避けられてしまった。

 くそ、もうダメか……。

 俺は諦めて目を伏せる。

「まだ、まだです!」

 だがーー凛は諦めていなかった。

 その声に顔を上げると、凛は身体を空中で一回転させて、空中を蹴ったように飛び上がる。

 そうして、綾瀬の背中へと手を伸ばし、メンブレンが触れ合った衝撃で綾瀬が後方向に飛ばされる。

「「なっ!」」

 その場にいた凛を除く全員が驚愕の声を上げた。

「エア、キックターン……」

 俺は今しがた凛がやってのけた技の名前を口にする。

 エアキックターン。穹戯の中で最も難しいといわれている技の一つだ。

 空中を蹴ったようにして加速するには、巧みなメンブレンのコントロールと優れたバランス感覚が必要になる。

「まさか、こんな芸当までやってのけるとはな」

 秋月先生が呆れたように笑う。

 それと同時に試合終了のホイッスルが鳴る。

「この勝負。二対三で白波凛の勝利とする」


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