二章『マジのマジ。おおマジです」
休日。俺は封筒に入っていた地図を片手に山の中を歩いていた。
家から歩くこと山道を十五分。木々の隙間から降り落ちる木漏れ日を背中越しに受けながらようやく足を止める。
「やっと着いたな……って、ここかよ!?」
地図から顔を上げると、驚きのあまり口から思わず驚愕の声が漏れる。
鳶沢女学園。広大な敷地面積があるのが一目見れば思い知らされる城のような外観の学び舎がそこに立っていた。
門の前にいる体格の良い警備員らしき男性が立ちすくんでいる俺を訝しむようにして目を細める。
完全に不審者扱いされてるんだよなあ。
どうしたもんかと悩んでいるとーー俺の背中を、ぽすん、と何かが叩いた。
振り返ると、最近どこかで会ったことがありそうな学生服姿の小学生が優しげに垂れた瞳で俺を見上げながら、スクールバッグをぷらりぷらりと揺らしている。
その光景を見て視界の端の警備員の表情が緩んだような気がした。
はて? 俺に小学生のそれも女子の知り合いはいないはずだが……。
もしかして、このままどこかに連れて行かれて高額商品を買わせる新手の押し売り商法だろうか。
しかし、世の中には未成年の結んだ契約は簡単に取り消せる旨が書かれた消費者庁の啓蒙ホームページだってある。
第一、俺は今時の高校生にしては引くほど金なんて持ってないのである。
そんなことを考えていると、
「もしかして、わすれちゃったん、ですか?」
仔犬みたいにくぅんと寂しそうに背中を丸めて、優しげに垂れた瞳を不安げに揺らす。
その瞳に覚えがあった。
たしかこのまえ、浜辺で鍵を探していた女の子だ。
「もしかして、鍵を探してた……」
「そうですそうです。よかったぁ……思い出してくれて」
安心したようにホッと息を吐き、えへへ、と優しげな笑みを浮かべる。
「こんなところで、夕凪さんはどうしたんですか?」
「ここの理事長に呼ばれてて。ところでーー」
そこまで言って、まだ少女の名前を聞いていなかったことを思い出した。
「そういえば、君の名前を聞いてなかったっけ」
女の子は慌てたように手を口の前であわあわさせると、
「すいません、そういえばまだ名前を言ってなかったでしたね」
そうして、ぴんっと背筋を伸ばす。
「わたしは白波 凛っていいます。白波でも凛でも、好きな方で呼んでください」
「ああ、それじゃあよろしくな。白波」
俺がそういうと白波はまたぞろ優しげな笑みを浮かべた。
遠くで、筋肉質の警備員がまた瞳を細めた。
「…………」
あれよく見たら、微笑ましく見守ってくれてるんじゃねえな。
自分のところの制服を着た生徒が変な仕事にでも勧誘されてるんじゃないかって、眇めた眼で俺の一挙手一投足を監視して、いつでも110番チャレンジできるようにマッチョの警備員がスタンバイしているだけだわ。
「そ、それじゃあ、中に入りましょうか。 理事長室までご案内します」
この状況に気を利かせてくれたのか、白波は俺の腕を遠慮がちに引っ張って行く。
「お、おう」
俺はありがたく思いながらその背中について行った。
俺は無駄に長い廊下を通り抜け。理事長室、とドアプレートに書かれてあった部屋の前まで来ていた。
白波はここまで案内した後、
「それじゃ、わたしは部活がありますので。失礼します」
丁寧なお辞儀をして廊下を戻って行った。
それからコツンコツン、と控えめなノックをすると、
「どうぞ」
中から声がかけられる。
理事長室へ足を踏み入れると、至る所にトロフィーが飾られてあるのが目についた。
競泳、剣道、花道、テニスなどさまざまなトロフィーがガラス越しに並んでいる。
その中に見知ったものを見つけてしまい思わず目を逸らす。
「ふふ、やはりまだ未練はあるみたいですね」
その場にいた上品そうな女の子がくすくすと笑う。
俺は不機嫌そうな視線を向ける。
そういえばなんで小学生がここにいるんだ?
俺の視線に気づいたのか豪奢な椅子に腰掛けていた少女は首を傾げる。
「私は歴としたここの理事長ですよ?」
「は?」
今度は二人揃って首を傾げるかたちになる。
こほん、と咳払いをすると彼女は話を続ける。
「秋月さんから話は伺ってますよね?」
「ここの理事長が俺をコーチとして迎えたいと言ってるってのは聞いたな」
俺がそう言うと、少女は掌を自分に向けると、
「そうです。そして私がここ鷺沢女子学園の理事長を務めている鷺沢 小鳥と申します」
すこし誇らしそうに胸を張る。
やわらかなふくらみも、なけなしの力を振り絞るようにふるんと上を向いた。
「よろしくお願いします。鷺沢さん」
「まぁ、私の姿を見て、理事長だと分かった方はいませんから。私もこんな威厳のない姿は嫌なのですが……」
鷺沢さんは困ったようにはにかむ。
「ここに来てくれたということはお願いを受けてくれるということでよろしいですか?」
「い、いや。俺は……」
聞かれて俺は言葉に詰まる。
秋月先生に『一度見に行ってみるのも悪くないんじゃないか』と言われたから仕方なく来ただけでお願いを受ける気なんてさらさらなかった。
「そうですか、あなたにはそれだけの対価を払うほど価値がある人だと判断したのですが。無理強いをするのは良くないですしね……」
落胆したように肩を落とすと残念そうな笑みを浮かべる。
その言葉に引っかかりを覚える。
「対価? なんの話だ?」
「おや、依頼書をご覧になられてなかったのですか? 私はてっきりそれを見た上での返答かと思ったのですが」
そう言って封筒を示す。
手紙を読んでいなかったことに今更ながら気付いた。
はなから受ける気はなかったためそのままにしていたのだ。
おそるおそる手元の封筒の中身を確認する。
まとめるとそこにはこう書かれていた。
『夕凪さんへ。このコーチを受けてくださるのなら当学園はあなたの素質を見込んで残りの高校生活における学費、または進学に至るまで全ての費用を負担させてもらいます』
「マジかよ……」
変な汗が頬を伝う。
「マジのマジ。おおマジです」
鷺沢さんは至極真面目な顔で答える。
だが、そこで新たな疑問が浮かぶ。
「でもどうして、俺なんですか。 コーチを頼むなら他にも選手はいるでしょう? 第一、俺はもう穹戯の選手じゃないんですよ……」
「あなたが中学生の頃に穹戯を辞めてしまったのは知っています。それでも私は他の誰でもないあなたに彼女たちのコーチになってほしいと思ったのです。私はあなたのファンですから」
優しげに、にっこりと微笑むと。
「それにこの話はあなたにとっても悪いものでもないと思いますが」
たしかに、学費の工面をしてくれるのは俺にとっても親の手ひとつで育ててくれた父親の経済的負担を軽減できるのでありがたい話ではある。
「ちなみに期間はどれぐらいなんですか」
「まずは夏の大会までということにしておきましょうか。本当はずっとコーチをしてもらいたいですが、その後は続けるも辞めるも夕凪さんの気分次第です。もちろん、報酬はちゃんと払いますので安心してください」
「そうですね……」
親の負担を減らせることを考えると魅力的だが、それだけならバイトでもすればいい話だ。今でも裕福とまでは言わないが不自由ない生活を送れている。
学費の全額工面という誘惑が俺の心に揺さぶりをかけてくる。
だが、ここで即決できる話でもなさそうだった。
「持ち帰って考えてもいいですか?」
鳶沢さんは俺の問いにゆっくりと頷いた。
「ええ、それではいい返事を期待していますよ」




