二十六章『空を飛ぶ翼』
「渚、帰って来たみたいだな!」
家の鍵を開けると玄関で父親に出迎えられた。
「帰ってたのか……ってことは、会社のプロジェクトは終わったのか?」
「つい昨日終わってな。そこから朝まで飲み会があったが渚のことが心配だったから途中で抜け出して朝一の新幹線で帰って来たぞ」
「俺のことは気にせずに飲んでくればよかったのに」
「そうも言ってられんだろ」
父親は心配するように眉尻を下げるとこちらの様子を探るように。
「穹戯……また、始めたんだってな」
「まあな……」
曖昧に言葉を濁す。
おそらくは理事長が知らせたのだろう。
だけど、いまはもう。
『俺はコーチではないんだよーー』
そう言おうとして、すんでのところで言葉を飲みこむ。
父親は俺が穹戯から離れた挫折の理由を知っている。だとしたら余計な心配をかけさせることになるかもしれない。
だから俺は、
「それじゃあ、疲れてるから自分の部屋に戻ってる。夕飯ができたら呼んでくれ」
そう言って逃げるように階段を駆け上がった。
どれくらい時間が経ったのかは分からないが、俺はドタドタドタと階段を駆け上がってくる足音で目が覚めた。
ゆっくりと布団をのけ上げる。
初めは、呼んでも起きなかったから直接に父親が夕飯ができたことを知らせにきたのかもしれない。
そう思っていたのだが、足音が近づいてくるにつれてその足音が一人だけのものではないとということに気が付いた。
しかも、それが大人ではなく小学生みたいな軽い足音だと気付いたのとほぼ同時。
「でりゃあぁぁぁぁあぁぁぁぁぁ!!」
そんな掛け声と共に部屋のドアが勢い任せに蹴り開けられた。
人様のドアを見事に器物破損して入ってきたのは二人の小学生。
俺はそのうちのドアを蹴り開けた、いかにもつんけんして気の強そうな少女に迷惑そうに視線を送る。
「おい、鍵は開いてるんだから普通に入ってこれねぇのかよ」
単純な器物損壊罪が適用されるんだが?
だが七海は呆れたようなどこか安心たような視線を俺に向ける。
「なによ。案外、落ち込んでないじゃない。心配して損したわ」
「突然、何しに来たんだよ。てか、なんで俺の家知ってる」
「なんでって、あんたの家を調べたからに決まってるじゃない」
七海がこともなげに言う。
「さも当然みたいに言われても困るんだが……」
苦笑を浮かべていると、七海の後ろから凛がためらいがちにこちらを覗くように見つめているのに気づく。
「凛までどうしたんだ」
「その、わたしたち。夕凪さんに事情を聞きにきたんです。どうして、今日来なかったんですか?」
俺はその瞳から逃げるように視線を逸らす。
それを見て七海がため息を吐いた。
「やっぱり、コーチを辞めてたのね。でも、どうして?」
「俺のことを調べたのならおおよそ察しはついてるんだろう?」
「まあ、少しはね。合宿の時にいた佐藤さんが原因なんでしょ」
俺は首を振る。
「半分正解ってところかな……。それもあるんだけどな。俺はあの時にお前たちに劣等感を抱いたんだよ」
「私たちに?」
「わたしたちにですか?」
凛と七海は俺の答えが意外だったのか不思議そうに首を傾げる。
「負けても前を向いて頑張ろうとするお前たちの姿を昔の挫折した自分と比べて分からなくなったんだ。たった一度の敗北で挫折してお前たちみたいに前を向けなかった俺がコーチでいいのかってさ」
意を決して俺は彼女たちに聞きたかった質問をぶつける。
「負けるのが怖くないのか、悔しくないのか? なんで前を向いていられるんだ?」
「…………」
俺の問いに凛と七海は互いの顔を見合わせると。ぷっと吹きだすように笑い出した。
「なんだ、そんなことで悩んでたんですか」
「そんなの簡単なことじゃない」
凛と七海が目尻の涙を指ですくうと、まっすぐに俺を見る。
「負けて悔しくない奴なんているわけないじゃない。もし、そんな奴がいるとしたらそいつは本気でそのモノに取り組んでないのよ。だから負けても感情が動かないの。だけど、あなたは違うでしょ?」
「夕凪さんはわたしたちよりもずっと穹戯のことを考えてくれてたじゃないですか。わたしたちに合った練習メニューも組んでくれましたし。穹戯に対する想いがなければそんなこと続かれるはずありませんよ。それに、怖いって楽しいからですよ」
その言葉を聞いて俺の心の中で渦巻いていたドス黒い何かが溶けていくような気がした。
結局はこいつらも勝てば嬉しい、負ければ悔しいのだ。
こいつらは自分とは違う、才能があるのだと勝手に決めつけて。そう思っていた自分が恥ずかしくなる。
「それで、本題なんだけど……」
凛と七海がそれぞれ俺を見つめると。
凛が上目遣いにこちらを見上げはにかみながら、
「もう一度、わたしたちのコーチをしてくれませんか?」
七海は恥ずかしそうに、ふんっと顔を逸らしながら、
「これからも、あなたにコーチとして指導してもらいたいのだけど、いいかしら?」
それぞれが言葉は違えど俺に手を差し伸べてくる。
きっとそこには何の思惑もなく、ただ俺にコーチを続けてほしいのだろう。
「どうかした?」
「いや、なんでもない」
差し出された手を取りながら俺は首を振る。
『彼女たちの意見も尊重してあげてくださいね』
いつか理事長に言われた言葉を思い出す。
これが彼女たちの答えだというなら俺もいいかげん過去と向き合わなくてはならないのだろう。
今はまだ飛ぶことができなくとも、俺も自分の新しい翼を探さなくてはならない。
「凛たちに心配をかけて不甲斐ないコーチだと思うけど、こんな俺でもいいのなら……あらためてよろしくお願いします」
そうして俺は彼女たちの小さな手をしっかりと握り返す。
もう、彼女たちの手を離さないように。




