二十五章『失ったもの』
「すまないな。待たせてしまって」
テストの答案用紙から視線を離した秋月先生は事務椅子を回転させ俺の方へ向き直る。
「彼女たちのコーチを辞めたらしいな」
「すいません。連絡もなしに」
無理やりとはいえ元は秋月先生から聞かされた話だ事前に連絡もせずに辞めてしまったことは一方的にこちらが悪い。
頭を下げる俺に秋月先生は軽く首を振る。
「いや、いいんだ。私も渚の気持ちを考えずに依頼してしまったからな」
「そういえば、どうして俺にコーチなんてやらせたんですか?」
「そうだな……」
少し考えたそぶりを見せた後、「今なら話してもいい頃合いかもしれないな」と小さな声で呟く。
「私は、お前にもう一度。空を飛ぶことの楽しさをコーチをする中で彼女たちを通じて思い出して欲しかったんだよ」
「俺も彼女たちに教えるのは楽しかったです」
言いながら俺は視線を伏せる。
でも、結局。俺はまた穹戯から逃げた。
負けても前を向いて頑張ろうとする、穹戯を楽しむ彼女たちの姿が眩しくて。
それに俺はそんな彼女たちと昔に穹戯から目を背けた自分を重ね、比較して劣等感を抱いたんだ。
だから、俺はそんな彼女たちのコーチとして相応しくないと思いコーチを辞めた。
秋月先生が俺の顔を覗き込む。
「どうかしたのか」
「なんでもないですよ」
もう終わったことだ、そう自分に言い聞かせて前に向き直ると、頭を下げる。
「そういえば、ありがとうございます。凛たちのコーチを引き受けてくれて」
「教える者がいないと、彼女たちも寂しいだろうしな。気が向いたらまたいつでも見に来てやってくれ」
「気が向いたら行かせてもらいます……」
「彼女たちにはコーチのこと伝えたのか?」
「いえ、まだ……。機会がなくて。でも、こんな俺じゃなくて秋月先生に見てもらってるんですから、彼女たちも嬉しいでしょうね」
自虐的に笑うと。
「ほんと、渚は周りが見えてないみたいだな」
秋月先生は呆れたふうにため息を吐く。
「どういうことですか?」
「それは、自分の目で確かめたほうがいいと私は思うがな。いや、確かめに行かなくても。もしかすれば、向こうからやって来るかもしれんな」
質問の答の代わりに苦笑を返される。
「意味がわかりません」
「もうじき分かるだろうさ」
それだけ言い残すとひらひらと手を返される。
話は終わったからもう帰ってもいいぞということなのだろう。
もう一度、言葉の意味を頭の中で考えてみたがやはり答えは出なかった。
「ほんと、どういうことなんだろうな」
自宅への帰路を歩きながら、さっき言われたことを考えていた。
だが、いくら考えても答えが出てくる気配はない。
そのまま家へと続く坂を上りかけて。
「そういえば、ここら辺だったな」
そう言って浜辺の隅の方へ視線を送る。
初めて凛と出会った場所だ。
たしか、あそこの石で作られたブロックで影になってるところで、失くした鍵を探してるのを見かけて、一緒に探してやったのがそもそもの始まりだった。
それから七海と会って、勝負を挑まれて、一緒にショッピングに行ったり、練習メニューを考えたり、思い返せば色々なことがあった夏だった。
去年とは比べものにならないほど充実して忙しかった気がする。
俺も彼女たちのコーチをすることが楽しかったのかもしれない。
そんなことを思っていると。
「……コ…………チ……」
「ーーっ!」
名前を呼ばれた気がして、思わず振り返った。
だが、そこには夕陽に照らされて電柱の影がひとつ、淋しく伸びているだけだ。
「って、いるはずないのにな……」
今しがた、自分の行いを思い出して肩をすくめる。
俺が自分勝手に誰とも相談をせずに決めたことだ。
それなのに、俺は彼女たちのコーチをすることにまだ未練があるとでもいうのだろうか?
「ほんと、何なんだろうな」
吐き捨てるようなその呟きに答えを返す者はいなかった。




